オーケストラ作戦
正暦一八七九年十一月五日 連邦東部標準時十三時〇〇分
汎人類連合軍統合参謀本部第三会議室
「定刻となりましたので、これより『第Ⅶ方面管区における対魔王軍冬季攻勢作戦』の実現可能性に関する考察会議を始めさせて頂きます」
誰かの言葉で、静寂に包まれた会議室の雰囲気が僅かに変わる。
それは、人類の歴史、この世界の歴史が変わる瞬間でもあることを表していたのかもしれない。
議事進行役は、大佐の階級章を襟につけた士官。
そして彼の視野に入るのは、各国の軍隊において相応の地位につき、汎人類連合軍の中枢とも言える者達である。
汎人類連合軍は、その名の通り各国家が「魔王」という共通の敵に対して手を結んだ超国家的な組織である。
故にその構成は実には多種多様。白人、黒人、黄色人種、男性、女性、老人、若者。
しかし当然のことだが、人間しかいない。
人間以外の種族は、悪魔であり、蛮族であり、敵である。故に彼らは殲滅しなければならない。
それが汎人類連合軍の思想であり、一種の宗教である。
「作戦は、北洋諸島連合王国軍参謀部が独自に立案し、我が汎人類連合軍統合参謀本部に提出されたものでございます。本会議はこの作戦案の可否を含めた具体的な議論を目的としています」
人類は、魔王という絶対悪がいても国家を統合し切れず、軍隊と言う枠組み中にあってはいわば二重構造となっていた。
しかしそれは二重のチェックと、一国の暴走に歯止めをかけ人類全体の意志を確認する手段としては有用だったことも確かである。
北洋諸島連合王国は人類の中でも最も古い国家のひとつで、連合王国軍もまた長い歴史を持つ軍隊である。
故にその思想は基本的には保守的であるが、時に大胆な作戦と革新的な兵器を立案して歴史を変えてきた軍隊でもあった。
そして今回の作戦もまた、汎人類連合軍の歴史を変えたことは間違いない。
「提案された『第Ⅶ方面管区における対魔王軍冬季攻勢作戦』――長いため、連合王国軍が命名した作戦名『オーケストラ作戦』を使用します――の最終目的は、我が人類の最大の敵であった『魔王』を討ち取り、全人類の悲願であった平和と秩序を取り戻すことにあります」
出席した会議参加者の中から、驚きの声が微かにあがる。
もとより、人類軍の最終目的が魔王の討伐であることは誰もが理解しているところである。
そのために技術を進歩させ、兵器を生産し、魔王軍の兵器を調査し、長い時をかけて一歩一歩確実に、魔王ヘル・アーチェが住む魔都グロース・シュタットへと近づいていたのだ。
しかし人類軍は未だに魔王ヘル・アーチェに勝てない。
彼女の持つ絶対的な力の前に、人類の科学力は無力だった。そのために、まだ人類は着実な進歩を遂げていた。
その進歩を、一気に早めることに「オーケストラ作戦」は主題を置いていた。
それは人類の進化は科学力の進化だけに留まらないということ。
つまり、魔王軍に対する戦術や戦略も確実に革新を遂げているということである。
連合王国軍らしい、堅実で、しかし革新的な作戦案は誰の目にも新鮮に映った。いくつかの国の将軍が称賛の声を上げる一方で当然、疑義の声も上がる。
「このような作戦、前例がない。成功の可能性の前に、実行の可能性を論じるべきではないのか」
それは当然の反応だった。
なにせ「オーケストラ作戦」は汎人類連合軍の総力を挙げて遂行する作戦だったからである。
数ヶ国が共同で作戦を取ることは今までにもあったが、しかし連合軍参加国のほぼ全てを作戦に投入すると言う前代未聞の規模を前にして、当然慎重論が出た。
しかしその当然の反応に対しても、予想済みであると言わんばかりに連合王国軍参謀部の将官が発言する。
「今まで北大陸で行われてきた対魔王軍作戦の情報を精査した結果、我々は十分可能だと考えております。この『オーケストラ作戦』は全体像として見れば革新的ですが、その基礎となる部分は今までの作戦の積み重ねであり、既存の戦術理論の上に成り立っているものです。無論多少の修正は必要でしょうが、小官と致しましては十分可能という結論を出させて頂きます」
机上の空論ではないことを積極的に主張する連合王国軍の理論もまた正しい。
なぜならば、机上では完璧な作戦よりも、実際の戦場において蓄積されたノウハウによって組み立てられた作戦の方が遥かに現実的であるから。
その点で言えば、この作戦の実行可能性は高いと言わざるを得ない。
そしてそれが実行できるとするのならば、魔王個人の才覚はともかく魔王軍という組織の実力を鑑みる限りにおいては、成功の可能性は十分にあった。
それだけで、多くの諸将の関心を引き、賛同に立つ者も多くいた。
数時間程の検討会議の結果、「オーケストラ作戦」は多少の修正を経て完成され、採択された。
最後まで実行反対を声高に叫んだのは、歴史的に長く連合王国と対立関係にあった国家のみであったという。
会議が終われば、あとは佐官レベルの参謀と実戦指揮官を交えた大規模な作戦検討・修正会議が待っている。
今日はとりあえずは解散となるが、これがさらなる大きな会議と戦闘を呼ぶことになることは多くの者は承知していた。
仮にオーケストラ作戦に何か反対がある者は、その会議で提言した方がまだ意見が通るというものである。その会議の場は国籍や階級に関係なく自由な発言が許されているため、階級が低い人間ほどその会議を重視する。
「閣下、本当によかったのでしょうか」
それだけに、連邦軍作戦部所属の士官であるジョシュア・ジョンストン少佐が自分たちの仕事場に戻る道の途上で、彼自身の上官に対してそのように述べたのは少しおかしな話だった。
当然上官は、後日の会議でその不安を述べればいいという回答をするのだが、ジョンストンが求めたのは作戦の修正ではなく作戦の撤回だった。
つまり、どこぞの連合王国の仇敵のように、そしてその国とは違い、まともな理論でオーケストラ作戦を否定したのである。
「オーケストラ作戦は確かにすばらしい作戦案だとは思います。現実に即した内容で、机上の空論とならないよう注意し、綿密に計画された作戦案であります。しかしその一方で、魔王軍の実力を軽視しすぎているのではないかと小官は考えています」
曰く、直近数ヶ月の魔王軍の様子がおかしいと言うこと。
前線部隊からの報告で、些細ではあるがその変化が報告されていた。しかしそれは前線指揮官の主観であるという指摘もあり、殆ど見向きもされていない報告だった。
「もし魔王軍が何らかの、急激な改革を行っているのであれば、このオーケストラ作戦は失敗すると考えます」
だが、上官はその言葉を否定する。
前線指揮官の主観が多分に含まれた報告書に、少佐の主観をさらに振りかけた提言など誰が重要視するのだろうか。
上官はまだジョンストン少佐に理解があったために聞くことは出来たが、他の者であれば聞く耳を持たなかっただろう。
それにたとえ何らかの改革が行われていたとしても、成功する確信が各国の高級士官の脳内にはあった。状況変化に対する作戦も後日の会議で検討されるであろうし、何も問題はないはずだ。
だが少佐は諦めずに食い下がる。なにか大きな存在に急かされるかのように、彼は一心不乱に反論する。
曰く、
「オーケストラは、劇場で奏でる音楽と野外演劇上で奏でる音楽は同じ譜面であれど全く異なる音を産み出します。環境の違いが、違った結果をもたらすのです」
それは正論である。
同じ譜面、同じ楽器、同じ演者であっても結果が異なる。それが音楽であり、戦争にも当てはまる話である。
元音楽隊志望の上官に対する説得としてはかなり有用な弁舌だっただろう。
だがしかし、上官は既に連邦軍大将という地位に上り詰めている。音楽隊の夢などとうの昔であり、彼の頭にあったのは「他国との衝突を極力回避すべき」という祖国からの圧力である。
魔王軍との戦争が終われば、今度は人類軍同士の戦いが始まるだろうと、上官は言う。
そのときにどれだけ人類軍の中で我々が活躍できたかによって、今後構築されるだろう世界秩序の中で存在感を発揮できるかが決まるのだ。
だからこそ連邦軍は、成功確率の高いこのオーケストラ作戦に積極的に参加するのである。
戦術云々よりも政治が優先されることがあるのは、人間社会の特徴だった。
あらゆる反論が上官の前に跳ね返され、ジョンストン少佐は打つ手をなくしてそれ以上言葉を発することはなかった。
上官は臆せず反対論を唱える彼を見て、かえって評価を上げた。
しかし、オーケストラ作戦発動に関する準備を早急に行うことに専念することになったために、その評価が人事に反映されることになったのはだいぶ先の話となる。