軍隊における事務屋の存在意義
夢にまで見たファンタジー世界。
王道的中世欧州風異世界……かどうかは知らないが、魔術云々言っていることからどう見てもファンタジー。
みんなが憧れるファンタジー。そこに俺はやってきた。
やったぜ!
なわけないのが悲しいところである。
「……えっと、ヘル・アーチェ陛下。本当にいいのですか?」
「何を心配しているのだアキラ。君が事務仕事ならできると言ったのだろう」
「それはそうですが……」
問題は、なぜか事務処理係となったことだけど。いや何故も何もない。
単に俺が普通の無能力者だったと言う衝撃でもなんでもない事実があるのだから。
あぁ女神様、なぜ私を異世界に連行したのですか。もっと有能な人間を転移させろよ。エジソンとかアインシュタインとかナポレオンとかさ。これがわからない。
召喚の儀式から暫くして、俺は本当に事務処理に努めることになった。従者たち、もとい臣下たちは反対したようなのだが、陛下曰く、
「せっかく30年かけて描いた魔術陣で召喚したアキラなのだ。すぐに殺すなど勿体ないだろう!」
らしい。
よく言えば魔王陛下らしく器の大きい御人である。
悪く言えば貧乏くさい。
「何か言ったかな?」
「いえ、なにも」
短いやり取りの後、陛下の従者の1人、犬耳と犬の尻尾の生えた犬っ子軍服ワンピの案内で俺は俺専用の執務室を宛がわれた。そこが俺に与えられた新たなる生活空間、あるいは牢獄。
部屋の前には粗雑な表札があり、そこには綺麗な字で「兵站局執務室」と書かれていた。しかも日本語で。
理由は単純。軍隊で事務仕事と言えば、兵站だろうと言うことで物は試しと提案してみたところ、
「兵站ってなんだ」
「はい?」
そこから始めなければならないらしい。
魔王軍兵站局局長。それが俺の役職となる。
平社員でしかなかった頃と比べると大出世であるが、素直に喜べない俺がいる。
……まぁ、あぁ言った手前せめて事務処理はこなさなくては。さもないと本当に陛下からこう首をキュッと絞められそうである。
「ここがアキラ様の部屋となります。寝室は、右の扉の向こう側にありますのでご自由にお使いください。左の扉は応接室です。どれも50年程使用しておりませんが大丈夫でしょう」
犬っ子美少女さんからの事務的な言葉。
この子の方が実は優秀な事務処理係なのでは、と一瞬考えがよぎった。せ、せめてこの子以上の事務はこなさないと……。
にしてもなにが大丈夫なのだろうか。不安である。「生きる分には」ということだろうか。
「まぁ、部屋を与えてくれただけ温情です。陛下には感謝いたします」
「当然ですね」
……ねぇ、ちょっと言葉きつくない? もしかして嫌われてる?
「それと、本日から私はアキラ様の従者に任じられました。道徳的かつ法的に問題のない範囲の命令で予め定められた労働時間内であれば、なんなりと申してください」
「いや大丈夫だから。いくら俺が男でもそんな節操なしじゃないから」
やっぱり嫌われていたらしい。
だって人間だもの。
「じゃあとりあえず、君の名前を教えて欲しい、犬っ子さん」
「い、犬…っ子……?」
顔が引きつる犬っ子さん。
いやいや、犬っ子じゃん。犬種で言うとシベリアンハスキー。それ以外何があるのよ。あ、でも出会ったばかりの女性にこういう物言いはダメか。
それに見た感じ年下だし、失礼だったか。
「あぁ、いきなり犬っ子なんて失礼でしたよね。申し訳ないです」
「本当ですよ! 失礼にもほどがあります! 私を侮辱しているのですか!」
怒鳴られた。そこまで怒ることなのか。いやそうだろうな。いきなり犬呼ばわりなんて失礼極まる。これは完全に俺の落ち度――
「私は犬ではありません。私の名はソフィア・ヴォルフ! 誇り高き狼人族です! 人間如きが、私を犬っころと一緒にしないでください!」
そっちかよ。
「……ごめんなさい」
まぁ。日本人的には西欧人に中国人と間違えられるような感覚なのだろう。あるいは群馬と栃木の位置と漢字がわからない、というのが近いだろうか。俺は別に気にしないが、気にする人も多いと思う。
90度に腰を曲げて平謝りすると、次からは気を付けるように、と説教された後許してくれた。
彼女曰く
「私は優しいからいいですが。気にする者は鋭い牙と爪でもって人間の皮を丁寧に剥いできますよ」
と。
次からは気を付けよう。本当に。
「じゃあヴォルフさん。さっそく、仕事の話をしたいのですけど」
「……わかりました。と言っても今はやることがそう多くないので大丈夫だと思います。その前にアキラ様は召喚者ですので、この世界のことを話したいと思いますが、よろしいですか?」
「長くなければ、大丈夫です」
「ご安心を。短めに終わらせますので。あと、私のことは『ソフィア』でよろしいですよ。ヴォルフは種族名を表すので、狼人族は全員姓が同じなのです」
「……なるほど。ではソフィアさん、これからよろしくお願いします」
そう言ってから、俺は右手を差し出した。
だがソフィアさんはまだ怒っているのか、その右手を華麗に無視した。
悲しい。