②
「そんならカンパーイ」
翌日、朝からやっている新宿の居酒屋に朝飯がてらキイチと連れたった。
「ゼンさんプー太郎やったんかぁ」
「こらキイチ、失礼やろが、おっさんだのプー太郎だの。転職活動中というのだよ」
「俺も何か仕事ば探さんきゃ」
「お前、女はどがんすっとか?」
「なんや暫くは友達んとこに居るって」
そんなくだらないやり取りをして和んでいると、斜め向かいに一人で飲んでいたサラリーマン風の男が此方を見ていた。細身の黒っぽいスーツに銀縁眼鏡をかけ、清潔感のある短髪だ。なんでこんな人種が朝から酒を煽っているのか不思議だった。三十代だろうか、四十代にも見える。その男が静かに席を立って、会釈しながら近付いて来た。
「すみません。ちょっとお話させて貰っていいですか?」
「なんやこのおっさんは?」
キイチは不快感を出した。男がこっちのテーブルの空いている椅子に手をかけた時に、見間違いかもしれないけど、スーツの中のワイシャツの袖が引かれて、見えている手首の面積が増えた。その一瞬、矢張り見間違いだと思うけど刺青のようなものがあった。キイチがまた何かを言い出しそうだったので、肩を軽く叩いてそれを制した。
「突然すみません。わたくしこういう者でして」
そう言って差し出された名刺を見て、さっきのが見間違いじゃなかった事を確信した。それには、後藤組 若頭 伊勢山陽介 と記されていた。キイチが、名刺とそれを差し出した男を何度も見比べている。
「あなた方の話し声が聞こえてきまして、失礼ですけど九州のご出身ですか?」
「え、まぁ、はい」
相手がヤクザと分かって俺は明らかに動揺した。キイチの表情も変わっている。
「そうですか。良かった。いや気になさらず。そうですか」
今まで色々とやらかしてきたけど、ヤクザに目を付けられる様なことはしていない筈。いや、自分でそう思っているだけで、何処かで地雷を踏んでいたのか。
「親会社から頼まれた事があるのですが、ちょっと行き詰まりまして」
丁寧な語り口、ちゃんとした身なり、表情も柔らかい。名刺を見なければこの男がヤクザとは到底思えない。
「それで、お恥ずかしながら朝から酒を。ところで、お仕事をお探しみたいですが、仕事を手伝って貰うことは出来ないでしょうか?」
キイチへ顔を向けると、キイチも此方を見ていた。
「勿論報酬はお支払いしますし、今ここで直ぐに決めなくても大丈夫です」
伊勢山陽介はそう言って自分の内ポケットへ手を滑り込ませた。それから黒い折りたたみ式の携帯電話をテーブルに置いた。
「わたしの携帯番号だけ登録されています。これで連絡をください。それでは」
それだけ言うとテーブルの片隅にあった俺らの伝票を持って、元居た自分の席へ戻り、自分の伝票も手にしてレジへと向かって行った。
俺とキイチは箸が止まっていた。食べかけの焼き魚とお新香が入っている皿の間に、無機質な黒い携帯電話が置かれていて、その黒さが急に不安を感じさせる。
「ゼンさん、これ」キイチが携帯電話を指さす。
「まいったなぁ」そうこぼして目をやった先には、出されたままの状態で、出した本人とは違い太々しい顔をした名刺があった。
「そうですか」
携帯電話の向こうから伊勢山陽介の落ち着いた声がした。それから何かを叩いているのか、何かが割れたのか、鈍い音と派手な音が聞こえた。低い聞き取れないくらいの声は男が呻いているようだった。
「じゃ、その携帯電話を事務所まで」
伊勢山陽介はそう言ったけど、それは直ぐに修正された。
「いや、昨日の居酒屋まで持って来て頂けますか?」
その直後にドスンという鈍い音がして、それは何が行われているのか想像出来るもので、俺の気持ちは落ち込んだ。
指定された時間に店に行くと、伊勢山陽介はもうビールをやっていた。俺に気付いた伊勢山陽介は軽く手を挙げた。伊勢山陽介のテーブルへ近付いて携帯電話をポケットから出そうとして、まわりの違和感を感じた。午前中にもかかわらず店は満席だった。
「カシラっ、こいつっすか?」
体格の良いパンチパーマの口髭が、絡むような眼つきで食ってかかってきた。それを合図みたいに、各テーブルに居た者たちが一斉に立ち上がった。
「うわっ、」
情けない声を出して、俺は夢から目覚めた。
携帯電話を受け取ってしまっている。もうその時点で逃げ道は無いのだろう。相手はプロだ。こんなシミュレーションをやりながらウトウトしていた俺はアマチュア以下のド素人だ。
携帯電話の電話帳を開くと、【陽介】と記された文字だけが登録されていた。意を決してボタンを押すと呼出音が鳴る。頼む、出ないでくれ。ここまで来てそんな事を思う自分が情けない。次のコールで伊勢山陽介はあっさりと出た。
「榊原楽太郎さんですね」
俺は思い切り出鼻を挫かれた。
「な、なんで知っているんですか?」
「これから仕事で携帯電話が必要になるので、失礼ですが少し調べさせてもらいました」
断りの電話の筈だった。仕事とはいえ、何にでも首を突っ込む癖があるとはいえ、そっちの世界へ行くのは止そうと思ったし、ましてキイチを巻き込むわけにもいかなかった。
「住所は渋谷区富ヶ谷一丁目xx番地xxで間違いないですね」
それは、あの劇団の稽古場兼事務所の住所だった。
「これで新たに携帯電話を契約しておきました。今使っているその携帯電話はキイチさんに使ってもらいます」
まてまてまてまて、話が勝手に進んでいる。キイチの名前まで知られているじゃないか。
「行けば受け取れるようになっているので、中央線の高円寺駅で降りて直ぐのパール商店街中程にある携帯電話ショップで受け取ってください。あっ、料金は会社負担なのでご心配なく。では」
伊勢山陽介は言い終わると一方的に電話を切った。ツーツーツーという通話を断絶した音だけがしていて、改めて自分の素人感覚を痛感した。もう俺たちは取り込まれていた。
新しい携帯電話はすんなりと受け取れた。キイチは仕事が決まったくらいにしか思っていないのかも知れないけど、俺は変なものに片足を突っ込んでしまった感覚が拭いきれない。伊勢山陽介からその新しい携帯電話へ連絡が来たのは、その日の夜だった。
「あの居酒屋へ明日の朝九時に来てください」
来られますか?ではなく来てくださいだった。些細なことかも知れないけど、なんとなく圧が強くなったような気がした。それでももう行くしかない。
翌朝、キイチと店に行くとガラガラの店内で伊勢山陽介はビールを飲んでいた。挨拶をしようと近付くと伊勢山陽介は無言で席を立った。テーブルの上にある瓶ビールの横に小さな箱と何かが書かれている紙があって、伊勢山陽介はそれを指差して店の出口へと歩いて行った。
「なんやあのおっさん?」キイチが呟く。
これを下記の住所へ届けてください。紙にはそう書かれていた。住所を見ると、渋谷区内にあるマンションみたいだった。
「ゼンさん、これが仕事やろか?」
キイチの問いかけに何と返答すればいいのか分からなかったけど、とりあえずやるしかなかった。
「敵対する暴力団の事務所かなんかで、届けたら時限装置やら遠隔操作でボカンとならんやろね?」
キイチの予想は十分に考えられた。咄嗟に箱を耳へあててみたけど、時計の秒針が動くような古いタイプの時限爆弾の音はしなかった。
「お届け物です」
インターフォン越に言うと、暫くしてから解錠される音がしてドアが開いた。黒髪で長髪の瘦せた若い男が無言で現れ、箱をひったくると直ぐにドアを閉め施錠する音がした。
俺とキイチは顔を見合わせた。ひと仕事終わったって事か?伊勢山陽介へ報告の電話を入れると、「ご苦労様」とだけ言われて電話は切られた。何とも拍子抜けだ。
最寄りの駅に帰ってきたのは午後の一時過ぎだった。改札を出ると券売機近くの柱近くから、赤い帽子を目深に被った年齢不詳の女が近付いて来た。
「陽介さんからです」
女はそう言って封筒を差し出した。それを受け取ると、女はそのまま改札の中へと消えて行った。封筒の中にはピン札で五万円が入っていた。
「おおお」
キイチが思わず歓喜の声をもらす。いや待て、こんな簡単に高収入を稼げるわけは無い。これは完全に取り込む為の餌だ。そう分かっていても顔はほころんでいた。
二日後、次の指示も住所こそ違っていたけど渋谷区内のマンションへ何かを運ぶだけの仕事だった。翌日もそう、あの居酒屋で箱を受け取り、届ける。最寄りの駅へ帰ってくると、改札を出たところであの赤い帽子を目深に被った女が居て報酬を貰う。
次に電話があったのは一週間後の午後八時過ぎだった。俺たち二人はもう酒を飲み始めていたけど、いつもと違う緊急を要する感じの伊勢山陽介に違和感を覚えた。
「こんな時間に申し訳ないけど、ハンズの先の路地裏へ行って欲しい」
「何かを届けるとですか?」
「争いを収めてください。早く」
アパートから小走りで十五分、言われた付近へ近付くと怒鳴り声が聞こえた。雑居ビル同士の間に五、六人の若い男たちと二人の中年が揉めていた。近くには飲食店も多く、センター街を外れた先とはいえ通行人もそこそこ居る。そこで俺とキイチは困った。これをどうすればいいのか、どちらかに加担すればいいのか、そんな事を思っていると体格の良いオヤジの手元に刃物が見えた。
「なんばしょっとかぁ」
キイチが叫びながら突っ込んでいく。俺もつづく。
「なんだオメェら?」
刃物を見て少し怯んでいた若い男たちの中にいた金髪が強がった。キイチがそれに反応して振り返った。必然的に俺はオヤジたちと向かい合った。手にしていたのは想像よりも小さく見えたけど、それは間違いなくドスだ。
「堅気にそがんと、駄目ばい」
俺は何を言ってるんだ?これじゃまるで、そっちの人間の台詞だ。
「馬鹿たれが、引け」キイチが金髪のニット帽へ詰め寄る。
「は?何言ってんのこいつ?」
そいつが仲間の居る方へ振り返って変なジェスチャーをして再び振り向くと同時にキイチの頭突きが左のこめかみ辺りに鈍い音と一緒に入った。顔を押さえて倒れ込んだそいつ頭を、思いっきりキイチは蹴った。他の四人は固まっている。
「な、何やってんだテメェ」
ようやくそんな声を出した奴をキイチが睨む。
「お前ら、どこのもんや?」
丸腰の方のオヤジが俺に言ってきた。どこの者かと言われても、なんと答えていいか分からない。キイチはもう睨んだ先の奴を殴りつけていた。
「通行人が見とるけん、それば仕舞わんと」
そう言ってからキイチを見ると、キイチ越しに通りの奥からこっちに向かって来る二人の制服が見えた。
「警察が来よるぞ」
俺の声に、オヤジ二人はビルの間へ吸い込まれて行った。俺とキイチは来た道とは逆の人混みに紛れた。あいつらがどうなったのかは分からない。
「ありがとうございました」
いつもの居酒屋ではなくチェーン店のカフェで、伊勢山陽介の第一声はそれだった。
「昨日のは、あれはなんですか?」
俺はいつもと違う仕事の事を知りたかった。
「あの二人の会社から急な依頼がありまして」
「あの人ら、会社員じゃないっすよね?」
そう言うと伊勢山陽介の表情が少し険しくなったような気がした。
「持ちつ持たれつなところがあるので」
差し出された封筒を受け取ると、中には十万円が入っていた。
「これからああいう仕事ってあるんすか?」
俺の問いに、「どうですかねぇ」と言葉を濁して伊勢山陽介は席を立った。
使用期間が終わり、本番の、プロとしてやっていけるかの最終審査にパスしたのか、あれ以後の仕事はキナ臭いモノ中心となった。あの、運び屋というか、私設宅急便みたいな物凄く楽だった仕事は矢張りそういう事だったのだろう。
「神泉の駅前にお願いします」伊勢山陽介のそんな指示で向かうと、トラブルが起きていた。
「なんだお前ら?」
キイチと歳が近そうな四人組が一人の中年を囲んでいた。中年男性は大分酔っているみたいで、懐へ手を忍ばせている。俺とキイチは直ぐに察した。キイチは、さっき軽口を叩いた奴の顔面を掴み、そのままアスファルトへ落とし込んだ。後頭部から思い切り地面に叩き付けられた男は、足をピクつかせた。俺は中年男性の手を押さえた。
「駄目、駄目ばい。こがんとば出したら駄目ばい」
そう言うとその男は動かなくなった。それからキイチの加勢にまわったけど、その時には大体カタはついていた。
初台の、こじんまりとした中華居酒屋へ向かった時は、地理的にいつもよりも時間が掛かったけど、そんな事より状況の把握に手間取った。
店主らしき中国人が必死に争いの仲裁をしていて、俺らが店へ入ると、「ユウアイか?」と変なことを聞いてきた。土木作業員風の三人と、くたびれたスーツを着込んだ四人が、かなりの剣幕で捲し立てている。いつもなら敵対しているのは若い奴らと中年で、俺らの仕事はオヤジたちを守るというか、その決定的な犯罪を止めるというか、そんな事が自然と分かってきていた。それが今回は違う。目の前の土木作業員風もヨレヨレのスーツも三十代から四十代といったところで、どう立ち回れば良いのか判断の仕様がなかった。
「お前らがユウアイか?」
言ってきたのは、土木作業員風の一人だった。
「ユウアイってなんや?」
キイチに聞いたところで分かる筈もなかったけど、空気がそう言っていた。
「表に出らんね」
俺がそう言うと、スーツの四人組から変なものを感じた。
店内には仕事帰りだろうか、三人で静かに食事をする一組の客が居て、中国人の店主は愛想よく、「直ぐに終わるからね、ごめんなさいね」とユニークな仕草を交え謝っている。
表に出た途端に四人の中の一人が走って逃げた。「あっ」とか言って他の三人はそれを目で追った。その中の一人へキイチが詰め寄る。
「なんばしょっとか?馬鹿タレが」
キイチはそう言って頭をはたいた。ついさっきまで逃げた奴の事を、「マジか?」なんて言ってたのに、頭をはたかれた事で店内のイザコザが再燃したのか反抗的な眼つきでキイチに、「はぁ?」と突っかかってきた。「は?て、なんや?」そう言うとキイチは最初よりも強くはたいた。
酒が入っていただろうし、店内では人数でも一人上回っていた。きっかけは何だったのか知らないけど、最早当事者同士は三対三で、そこへ俺ら二人が加われば勝ち目は無い。しかも土木作業員風の男たちは、こっちの関係者で間違いない。
「詫び入れて、店に勘定払って帰りなっせ」
俺が静かに言うと、スーツの三人組は渋々頭を下げにいった。
「さっきの勢いはどうした?あ?」
ニッカにドカジャンを羽織った男が煽ってきたけど、スーツの三人組は頭を下げ続けた。それでも怒りが収まらないニッカの連中は今にも殴りかかる感じだ。
「これ以上は引いて欲しか、あいつらも頭を下げとるし、上が来るとマズいし」
俺はそれらしいことを言った。それはあらがち的外れじゃないように思えた。男たちは店内へ引き返し、自分らのテーブル戻ると、「飲み直すぞ」と注文を追加した。
「ユウアイご苦労さん」
店主は変なアクセントでそう言った。
つづく




