第1話 戦争が終わった日の裁判
戦争は、勝てば終わると思っていた。
魔王は討たれ、英雄は称えられ、王国は歓声に包まれた。
誰もが信じていた――これで全てが解決すると。
だが現実は違う。
戦争が終わった瞬間から、
国は静かに、確実に壊れ始める。
財政は破綻し、難民が溢れ、治安は崩れ、
英雄たちは“戦後”の責任を取らない。
その後始末を、誰がやるのか。
その役を押し付けられ、
最後に「不要」と切り捨てられたのが――俺だった。
これは、剣を振らない男が、
英雄の代わりに地獄を見る物語だ。
魔王が討たれて三日。王都の空は、妙に澄みすぎていた。
王城の大広間――白い柱が並ぶその奥、玉座の前に赤い絨毯が敷かれ、左右には貴族と官僚、聖職者たちが壁のように立っている。そこに混ざるようにして、鎧姿の英雄たちがいた。金糸の刺繍、宝石の飾り、勲章。眩しいほどの華やかさが、勝利の証として整えられている。
そして、その列の外側。端に寄せられた位置に、アレン・クロウは立っていた。
灰色の官服。肩章も飾りもない。手にはいつもの革鞄。中身は剣ではなく、書類だ。
――論功行賞。
呼び出しの文面にそう書かれていたから、アレンは当然、仕事の延長だと思っていた。戦後処理官。魔王軍との戦が終わってからが本番の役職だ。捕虜の扱い、賠償、難民、国境の線引き、復興資材の配分。英雄が剣で切り開いた道に、現実という瓦礫が降り積もる。それを片づけるのが、アレンの仕事だった。
玉座の前に立つ宰相ベルナールが咳払いをする。
「本日、陛下より、魔王討伐に際し尽力した者たちへ褒賞が下される。まずは――」
読み上げが始まる。勇者レオン。聖女セリア。戦士ガルド。魔導士ユリア。次々と名が呼ばれ、歓声と拍手が湧いた。
アレンは拍手の輪の外で、静かに手を叩いた。
……おかしい。
読み上げは英雄たちの功績を一通り称え、勲章と領地の下賜にまで及ぶ。それでも、アレンの名は出なかった。視線が自分に向くこともない。まるで最初から、ここにいないように扱われている。
絨毯の先で、レオンが勝利の剣を掲げる。祝福の光がセリアの指先から舞い、貴族たちが涙ぐむ。
その眩しさが、アレンの胸の奥をじわりと冷やした。
宰相の声が、ひとつ低くなる。
「――続いて、戦時中に発生した、条約違反ならびに戦争犯罪疑惑について、審理を行う」
大広間の空気が、一瞬で固まった。
拍手は止み、誰かが息を呑む音だけが響く。英雄たちの肩の力が抜け、貴族たちの目が細くなる。まるで、待っていたと言わんばかりに。
ベルナールが巻物を掲げた。赤い封蝋。王の印。
「対象者――王国戦後処理官、アレン・クロウ」
名を呼ばれた瞬間、アレンの足元から絨毯が消える感覚がした。
周囲の視線が、刃のように突き刺さる。さっきまで英雄を讃えていた口が、嫌悪と期待に歪む。誰かが囁いた。
「……あいつが、全部やったんだと」
「やっぱりな。表には出ないが、裏で汚いことを……」
ベルナールが淡々と続ける。
「戦時中、北方の村落における住民の大量処刑。捕虜交換条約の破棄。敵対国との密約。これらは、王国の名誉を著しく損ない、戦後賠償と外交関係に致命的な損失を与えうる」
アレンは、心の中で一つ一つの案件をなぞった。
北方の村落。魔王軍が人質に使っていた。救出に時間がかかれば、隣国が介入して領土問題に発展する。捕虜交換。英雄の戦士ガルドが「今さら情けをかけるな」と突っぱねた。密約。勇者レオンを生かすために、敵国の援軍を遅らせる条項を飲んだ。
――どれも、アレン一人で決めたことではない。
決めたのは、戦場で剣を振るった者たちだ。アレンは、その決定が国を焼かないように、紙の上で火を小さくしただけだ。
ベルナールが、形式的な慈悲を含んだ声で言う。
「弁明があれば述べよ」
アレンは、ゆっくりと顔を上げた。玉座の上、国王ハロルドは硬い表情で座っている。目が合っても、逃げない。だがそこにあるのは信頼ではなく、計算だ。
アレンは英雄たちを見る。
レオンは視線を逸らした。勇者の瞳は、戦場ではまっすぐだったのに、今は床の模様を見つめている。セリアは胸の前で手を組み、祈るふりをした。ガルドは腕を組み、苛立ったように鼻を鳴らす。ユリアだけが、薄く笑っていた。
――異議は?
その言葉が喉まで上がり、飲み込まれる。
ここで英雄たちが「違う」と言えばいい。たった一言でいい。だが、誰も口を開かない。沈黙が、判決より重い鎖になってアレンの足首に絡みつく。
アレンは、静かに言った。
「……確認します。これは、私個人の責任として扱う、ということですか」
ベルナールが頷く。
「国家の安定のために必要な措置だ」
必要。安定。正義ではなく、都合。
その瞬間、アレンは理解した。これは裁判ではない。演目だ。勝利の祝いの後に、血の抜けた肉を差し出して民の機嫌を取るための儀式だ。
国王が口を開く。重々しい声が、大広間に落ちる。
「アレン・クロウ。汝は王国の名において、戦時の権限を越え、重大な背信を行った。よって――官位を剥奪し、財産を没収。国境より追放とする」
ざわり、と群衆が湧いた。安堵。快感。獲物を見つけた犬のような興奮。
アレンの指先が冷える。革鞄の取っ手が、やけに硬い。中の書類が、重い鉛の塊に変わったみたいだ。
――財産没収。
アレンの財産なんて知れている。寝床と机と、書類の山。それでも「没収」という言葉は、人生を奪う音がした。
国王は続ける。
「英雄たちは国を救った。彼らの名誉を汚すことは許されぬ。……必要悪は、誰かが背負わねばならない」
必要悪。
それを口にした瞬間、王の顔が少し楽になったように見えた。罪悪感の肩代わりが完了した表情だ。
アレンの脳裏に、短い断片が過ぎる。
夜通しの交渉。眠気で文字が滲む書面。役人に投げつけられた罵声。「汚れ役が偉そうにするな」。捕虜の名簿に書かれた幼い名前。救えなかった村の地図。英雄の背中を守るために、書類の上で何度も死んだ夜。
戦場より、血が流れた。
アレンは息を吐いた。怒鳴らなかった。泣きもしなかった。ここで感情を見せれば、彼らはそれを糧にしてさらに踏みつける。
ベルナールが形式的に言う。
「最後に言い残すことがあれば」
アレンは一歩、前に出た。絨毯の上ではない。赤の外側。最初から、そこが彼の居場所だったように。
そして、静かに口を開いた。
「承知しました」
群衆が「え」と小さくざわめく。抵抗しないのか、と。
アレンは続ける。
「では――この国の“戦後”は、今後一切、私の管轄外ということで」
沈黙。
誰も意味が分からない顔をしている。国王も宰相も、英雄たちも。
アレンは、あえて説明しなかった。説明すれば、彼らはすぐに理解して対策を打つ。理解できないまま、気づいた時には遅い方がいい。
アレンは踵を返し、大広間を出る。背中に浴びる視線は、石を投げる手のそれだ。だが、その石はまだ飛んでこない。彼らは、追放が終わりだと思っている。
廊下に出ると、冷たい風が頬を撫でた。窓の外、王都の街が見える。戦勝旗が揺れ、民が歌い、酒が回る。平和だ。――まだ。
アレンは小さく笑った。
戦争が終わった日の裁判で、王国はひとつの勝利を祝った。
そして同時に、ひとつの“敗北”を選んだ。
――自分たちが、世界で唯一「戦後を処理できる男」を失ったことを、まだ誰も知らない。
(第1話 了)
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