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第九話『復讐の教示 PART1』

 「よく耐えたわね、セリーヌ。魔女の八割は“辛耐”でできているものなのよ。その味を首筋から味わえるようになったら、本物の“しもべ”ね」


 そう言って笑ったのは、ヴァルセリア──魔女の名を冠するに相応しい、絶望のような美しさと底知れぬ禍々しさを持つ女だった。細く吊り上がった瞳は赤黒く光り、唇は血のように赤い。その姿は、まさに夜を統べる女王のようだった。


 私は膝をつきながらも、視線を逸らさなかった。心臓が跳ねるように鼓動している。怖くて、でも……それ以上に、私は彼女の言葉を待っていたのだ。


 「今のあなたは、ようやく“しもべ”として多少は使えるようになったわ。でも、まだ足りない。教えてあげる……“復讐”とは何かを」


 彼女はゆっくりと手を掲げる。すると壁の一部がひび割れ、その内側から魔力を帯びた鏡が浮かび上がった。縁には骨のような装飾が絡みつき、表面はゆらゆらと液体のように波打っている。


 「さて、質問よ。あなたは“前菜”を選ぶ? それとも“メインディッシュ”?」


 唐突な問いに、私は一瞬思考を止めたが、すぐに口が動いた。


 「……前菜を」


 その答えに、ヴァルセリアは喉を震わせて笑った。


 「よろしい。じゃあ“前菜”は……あの庭師の男にしましょう。覚えているでしょう? あなたを犯し蔑んだ目で見ていたあの男。今は新しいメイドにちょっかいを出してるようね」


 ヴァルセリアは妖しく笑いながら、ゆっくりと指をなぞるように振る。


 「誘惑して、ここへ連れてきなさい。あなたの“美”ならきっとできるわ」


 その言葉に、私は思わず目を伏せた。


 「……そんなこと、本当に……」


 「できるわ。だって、あなたはもう“絶世の美女”よ」


 ヴァルセリアはそう言うと、鏡を私に手渡した。


 震える指先でそれを受け取り、そっと覗き込む。


 ──そこにいたのは、もはや“あの日の私”ではなかった。


 長く艶やかな黒髪に、滑らかで白い肌。瞳は深い紫に染まり、どこか哀しみと誘惑を含んだ妖しい光を帯びている。唇は紅く艶やかで、頬の線も端正に整っていた。


 「……はっ……」


 思わず感嘆の声が漏れた。


 ニールが隣で微笑み、そっと私の手を取った。


 「ご主人様は、お前に期待してる。今のお前なら“前菜”も“メイン”も、美味しく仕上げられるよ」


 ヴァルセリアは振り返り、薄く笑んだ。


 「ニール、あなたには……あのメイド……セリーヌを虐めていた……あの女たちを、連れてきてもらうわ。もちろん、少し“お化粧”を施してからね」


 ニールは頷いた。その表情には、忠誠と喜悦、そしてどこか歪んだ愛情が混じっていた。


 「さあ、セリーヌ──あなたはこれから“復讐”を学ぶのよ。どこまでも甘美で、どこまでも苦痛に満ちた……復讐のなんたるかを」


 私の背筋を、ぞくりと冷たいものが走る。


 だが、私はもう、後戻りしないと決めたのだ。


 さあ、地獄のレッスンを始めましょう──。


 ノクトホロウの森は、夕闇が深まるにつれて、ますます不気味な気配を濃くしていた。

 黒い木々が立ち並ぶ森の奥、苔むした石の階段の先に、朽ちた石柱と割れた円形の台座が並ぶ古の祭壇──それが、魔女ヴァルセリアの住処。


 私は、その祭壇の手前にひざまずいていた。

 背中には薄紅のドレス、肩を出す形の布地が肌を撫で、唇には濃く艶のある深紅。

 鏡に映る自分を思い出すだけで、ふと笑みが浮かんだ。


 「さて、行きましょうか……前菜を迎えに」


 魔女の声に背を押され、私は森を抜けて復讐すべき相手のいる街へと戻った。


 屋敷の庭には、変わらず夏の草花が咲き、懐かしくも腹立たしい香りが漂っていた。

 あのとき、私はこの庭の片隅で足を腐らせ、三姉妹に笑われていた。

 その私を、誰よりも嘲った男。


 「……ロガン」


 庭の奥で鍬を振るう中年男。

 肌は焼け、腕は太く、ごつごつと節くれ立った手。

 今でも、口元には常に何かを侮るような歪んだ笑い。

 私を、貪るように犯して玩具にした。"腐った足の臭い女"と笑った、あの男。


 「すみません。用事がありまして……屋敷の方に行きたくて」


 柔らかい声で近づくと、ロガンは汗を拭きながら私を見た。

 目を細めたまま、私の身体を舐めるように眺め──その口角が持ち上がった。


 「……お嬢さん、見慣れない顔だな。屋敷のお客さんかい?」


 「ええ、そう。でも少し時間が余ってしまって。もしよかったら、案内してもらえないかしら」


 ロガンは汗ばんだ額を拭いながら、にやついた顔で首を傾げた。


 「ふふん。もちろん構わねぇさ。俺で良けりゃな」


 内心、吐き気がした。

 その顔、その手、その笑い声。

 私が崩れていく身体で這いつくばっていたあの日、ロガンが投げた小石の冷たさ──

 あのときの悔しさ、痛み、涙。それが私の中で、黒い火となって燃え上がる。


 「じゃあ、ちょっとだけ寄り道してもいい?このあたりに、不思議な森があるって聞いたの」


 ロガンは少し首をすくめた。


 「ノクトホロウか……あそこは、よしときな。あんまりいい噂聞かねぇ」


 「でも……怖い場所って、ちょっとそそられるじゃない?」

 私は上目遣いに囁いた。

 ロガンの表情が、露骨に緩む。


 「……ああ、なら付き合ってやるよ。美女の頼みとあっちゃ、断れねぇ」


 ──獲物が、罠に踏み込む瞬間だった。


 ノクトホロウへ続く小道は、薄霧に覆われていた。

 ロガンは何度も周囲を見渡し、不安げに後ろを振り返る。


 「おい、本当にこっちで合ってんのか?……なんか変な音がするぜ」


 「大丈夫よ。私、道には詳しいから」

 「えっ!? お嬢さんそうなのかい」


 木々の影に潜む黒い視線。

 遠くで何かが這うような音。


 それでも私は振り返らない。


 この手を引いているのが、私にとって"前菜"となる男であることを、誰よりも知っているのだから。


 ノクトホロウの森の奥深く、朽ち果てた祭壇の前。月光すら届かぬ黒霧の帳に包まれ、私はロガンを伴い、その場に立っていた。


 「おい……誰もいねぇのか? ここは……何だよ……」


 ロガンの言葉は震えていた。だが、その声が空に吸い込まれるよりも早く──乾いた足音が、黒き霧の中から近づいてきた。


 現れたのは、闇そのものが形を取ったかのような女。ヴァルセリア。

 漆黒のドレスは影と溶け合い、頭には瘤のようにねじれた角。頬を伝う血の涙が乾いた跡を作っていた。

 彼女が笑うと、空間が凍てついたように冷たくなる。


 「お招き、ありがとう。可愛い“前菜”を連れてきてくれたのね」


 「なっ……誰だお前、ふざけ……」


 ロガンが叫ぶ寸前、地面の土から這い出した無数の蔦が彼の足を絡め、足首をねじ切るように締め上げた。

 骨の砕ける生々しい音──そして、叫び。


 「ひ、ひいいっ! た、助け──うわああああっ!」


 私は、一歩も動かなかった。

 昔の私を嘲笑い、足を腐った肉だと罵った男が、這いずり倒される様子を──微動だにせず見つめていた。


 ヴァルセリアは、無表情のまま掌を掲げ、呪詛を囁いた。


 「さあ、欲望を喰らえ。愚か者が積み上げた穢れを、肉に変えよ」


 ロガンの身体が、突如痙攣し始める。皮膚が泡立ち、筋肉がぶくぶくと膨張し、骨が軋む音が周囲に響く。

 背骨は突き出し、肋骨は外へと反り返り、皮膚が裂けて血が噴き出した。


 「ぎ……が、ぁ……ぐぉああああああああああああああッ!!」


 その咆哮はもはや人の声ではなかった。

 指は異様に太く伸び、爪は黒く変質し、鉤爪のように変形する。

 皮膚は灰緑に染まり、顔面は崩れ、鼻は陥没し、牙が顎から突き出す。

 顔の骨格そのものが変化し、喉は獣のような鳴き声を響かせた。


 肉が裂け、血が吹き出し、身体中の骨が逆関節へとねじ曲がる。そのたびにロガンは、苦悶と狂気の叫びを上げ続ける。


 「欲望こそが、最も美味な餌……人はそれを制御できると思っているけれど、それは幻想よ」


 ヴァルセリアの声は静かに、しかし甘やかに響く。


 「あなたのような女が、それを支配する日が来る……楽しみね」


 私は、震えていた。だが、それは恐怖ではない。

 血の匂いと焼けた肉の香りの中で、私は理解した。


 怒りと、恨みと──そして、熱に浮かされたような悦び。


 これこそが、私の復讐の序章。


 地に倒れたロガンの身体は、すでに人ではなかった。

 泡を吹きながら吠える口からは、粘ついた唾液が垂れ、触れた地面を焦がすように煙を上げた。


 私はその光景を、ただじっと見つめ続けていた。



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