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勇者作戦群  作者: 亜蒼行
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第二話「聖剣の勇者」その1

『思い知ったか、ウーパールーパーやろう……!』


 仰向けに横たわる巨大なモンスターの、白い腹が内側からぶち抜かれる。血と火炎をまとって姿を現したのは一人の少年で、彼は右手で剣を天に突き上げ、左手に一人の少女を抱きかかえている。

 それは先日の戦闘をドローンで撮影した動画だった。プロジェクターによる大画面の上映が終わって映像が暗転。暗かった室内にLEDの照明が点る――そこは巨大な会議室で、何十人もの背広を着た人間が机を囲んでいる。一番若くて四〇代で、ほとんどが五〇代、六〇代、またはそれ以上。女性もいないわけではないがその数はわずかだった。


「……」


 沈黙がその会議室を満たしている。その重苦しい空気を、


「……確かに、『英雄の誕生』に相応しい姿だったと思う」


 一人の男性が破った。恰幅のよい、四〇代の男だ。一同の中で一番若い人間の一人である。


「ですが、この少年は『丁』のハンターなのでしょう? 何の変哲もない、どこの馬の骨とも知れない、ただの避難民の」


「ええ、その通りです」


 力強くそう断言するのは黒い袈裟の鷹杜丁讃だ。


「白鳥甲斐は何の変哲もない、どこの馬の骨とも知れない、ただの少年です――勇者ヤマトがそうであったように」


 甲斐をくさした発言者はその反論に面白くなさそうな顔となった。


『――白鳥甲斐。ID上では一八歳だが実際には一六歳と推定。昨年一〇月に「丁」部隊に入隊。任務評定D』


 誰もが唸りながら、あるいは難しい顔で手元の資料に目を通している。


「しかし、たとえ仮でも候補でもさすがに評定Dのハンターでは」


「白鳥甲斐はハンター用の寮を使わずに町中で妹と二人暮らしをしています。家賃を含む二人分の生活費にハンター報酬の大部分を持っていかれ、装備の更新できず、レベルアップができず、評定が上がらないものと見られます」


「評定はAIによる自動計算です。直属の上官は『闘争心に満ちた、良いハンターだ』と評価しています」


 鷹杜の擁護を補足したのは情報部の人間だった。


「白鳥甲斐はハンターの中にも付き合いのある人間がほとんどおらず、近所付き合いも妹任せで、『周囲の人間の評判』というものが不明……そもそも『ない』という状態です。引き続き情報収集に当たっていますが」


「悪い評判もないということか?」


 鷹杜の確認は「今のところは」と肯定されるが、


「君が私情によってこの少年の評価を歪めていないか、過大に評価していないかと、私達は懸念している」


 それを牽強付会のように感じた者も少なくないようだった。


「自分の娘をそうしないために、この少年を無理に『聖剣の勇者』に仕立てようとしてはいないかね」


 その底意地の悪い詰問にも鷹杜は一切の動揺を示さなかった。


鷹杜淑佳たかもり・きよかはまだ一二歳、今年ようやく一三歳です。彼女が『聖剣の勇者』になれるとしても、三年後。どんなに早くともまだ二年かかります」


 その発言を受けて誰かが「あと二年……」と呟く。会議室内は再び重苦しい沈黙に包まれた。


「その二年三年の間に人類が取り返しのつかないところまで追い詰められる、勝機を完全に逸してしまう――その可能性は決して低くはないと考えています。違いますか」


 鷹杜の問いに「違う」と言える者は一人もいなかった。


「我々には時間がないのです」


 その強い訴えは全ての人間の胸を打ったが、彼の提案を受け入れるかどうかはまた別の話である。会議は難航し、いつまでも続けられ、このまま永遠に終わらないかのようだった。






「お兄!」


「梨乃?」


 その声が発せられたのは突然だった。甲斐が振り返ると、妹の梨乃が入口から入ってきて一直線に自分に向かってくる。少女は甲斐と衝突寸前で急停止し、二人は触れんばかりの距離となった。


「またひどい怪我をしたって聞いたよ! 大丈夫なの?」


「ああ、もうすっかり。あと四、五日もすれば仕事に行ける」


 甲斐は強がりでなくそう言って笑い、一方の梨乃は安堵するべきかその四、五日後のことを心配するべきか迷ったような、複雑そうな顔となっている。

 箱根港で戦闘があったのが三月二六日夕方で、作戦が中止となって富士市に戻ってきたのが翌二七日。普段なら野戦病院に放り込まれて雑な治療を受けるのがせいぜいなのだが、今回は翡翠を筆頭とする何人もの術者が治癒呪術を使い、さらに腕のいい外科医が処置をしたのだ。今日が二八日だがこの時点でもう日常生活には支障がないところまで回復している。


「無理しちゃだめだからねー」


 そう笑いながらその兄妹の下へとやってきたのは、カナリアである。カナリアは二〇代半ばで女性としては背が高く、非常に魅惑的グラマラスなプロポーション。それをファンタスティックな僧侶服で包んでいる。形としてはキリスト教のシスター服に近いが白を基調としており、また金銀で縁取りするなどしたものだ。清楚さときらびやかさを絶妙なバランスで両立させた、美しい衣装である。フードの下はふわふわとした、明るい栗色のロングヘア。仮面のように大きな眼帯で顔の上半分を覆っているが、それでもその美貌は隠されてはいなかった。なおその眼帯は失われた視覚を部分的ながら代替する霊的機能を有しているという。


「カナリアさんがこいつを?」


「甲斐君がずっと心配していたでしょ?」


 ありがとうございます、と礼を言いながらも甲斐は当惑した様子だった。


「俺だけじゃなくこいつもここに?」


「鷹杜隊長には許可をもらっています。少なくとも隊長が戻ってくるまではここに留まるようにという命令です」


 後ろからそう告げるのは翡翠である。彼女は今は巫女服ではなくブレザーとスカートという、どこかの学校の制服のようなコーディネイトだ。一方の甲斐はミリタリージャケットにジーンズといういつもの格好。梨乃が着ているのは安物の地味なワンピースだった。


「いつ戻ってくるんだよ」


 その問いに翡翠は返答に詰まり、


「多分だけど、そんなに簡単に戻ってこれないんじゃないのかな」


 カナリアが首を傾げながらそう言う。甲斐は天井を見上げて嘆息した。


「……まあ怪我が完治するまでここで療養していいっていうんならありがたく使わせてもらうけど」


「お兄、ここに泊るの?」


「甲斐君だけじゃなく梨乃ちゃんも泊っていっていいからね」


「本当?! 本当に本当?!」


 少女の念押しにカナリアが笑顔で頷き、


「うわあ、すごいすごい! こんなところ泊まれるなんて!」


 有頂天となった梨乃が両手を広げ、ロビーの中心でくるくると回る。そのまま踊り出しそうな勢いで、カナリアは微笑ましそうな笑顔。甲斐もまた顔をほころばせているが、


「……しかしまあ、ひどい格差だ」


 同時にそう思わずにはいられなかった。

 そこは陸上自衛隊第二特殊作戦群、通称「勇者作戦群」の「甲」部隊の専用宿舎である。富士宮市に近い、富士市の北に位置している。元は旅館風の高級ホテルで、五年前までは訪日観光客で大盛況だった建物だ。冥王軍の侵攻によって存続が不可能となったものを自衛隊が徴発し、「甲」部隊の宿舎として使用しているのだ。

 ハンターに限った話ではなく、東日本の避難民には戦争によって使われなくなった建物が仮の住居として割り当てられた。だが高級ホテルに住める者もいれば、学校の体育館で雑魚寝をさせられる者もおり、この割り当ては決して公平でも平等でもランダムでもなかった。政府の、戦争の役に立つかどうかという、明確な基準に基づくものなのだ。

 ロビーは美しく広々としており、甲斐達は窓側に移動した。ロビーの東側の壁一面が窓ガラスになっていてその向こう側、遥か彼方には富士山がそびえている。四人が高級ソファに座るが、甲斐は溺れるかと思うほど沈み込むソファにどうしても慣れず、梨乃は柔らかなスプリングにはしゃいでいる。

 「丁」部隊とのあまりの扱いの差に甲斐の目はどうしても非難がましいものとなってしまい、それを向けられたカナリアはちょっと心外そうな顔をした。


「でも使わなかったら廃墟になるだけなんだし、みんなで有効活用した方がよくない?」


「掃除とかは当番で、みんなで手分けしてやっているわ。上げ膳据え膳のお客様でここにいるわけじゃない」


「お風呂掃除大変なのよねー。広くて気持ちいいんだけど」


 カナリアの言葉に翡翠がくり返し頷いている。


「別にカナリアさんに文句があるわけじゃない」


 先日の箱根港ではカナリア一人で万を超えるキルスコアを数えていたが、これが「丁」のハンターだった場合一体何百人集まれば同じだけの数字を稼ぐことができるだろうか? 単純計算をするならカナリアは「丁」のハンターの数百人分の待遇を受けてしかるべきであり、この高級ホテルの割り当てもまだ控えめな方……と考えることもできた。


「それじゃ誰に文句があると?」


 甲斐の嫌味を翡翠が真っ向から受け止め、二人が火花を散らす。


「お前ろくすっぽ前線に出てきてねーじゃん。義務は果たさずに権利だけは一人前かよ」


「隊長の命令があればちゃんと出動している。文句を言われる筋合いはないわ」


「田長さんが死んだのをお前のせいにするのは違うだろうけど、お前がもっと積極的に戦っていれば死なずに済んだ人は多いんじゃないのか」


 翡翠が怒りに歯を軋ませ、カナリアが甲斐をなだめるように、


「でも翡翠ちゃんは戦うのが苦手なんだし」


「家柄と血筋に恵まれていてこれだけ戦う力があって! 『乙』のサポートが何人もいて! それでも戦えねーのかよ!」


「恵まれている……? 誰が恵まれているって……!」


 限界を突破した翡翠が立ち上がり、拳を震わせる。甲斐もまた立ち上がって二人が対峙。翡翠は大粒の涙をいくつもこぼし、甲斐が舌打ちした。


「あなたこそ、本当なら戦う必要なんかないじゃない! 選ぶことができる分だけわたしよりずっと恵まれているわよ!」


「俺がハンターを選ばなかったら梨乃はクソ野郎どもの慰めものになっていた。それでも俺達が恵まれているって言うのか?」


 甲斐が嘲笑するように口を歪め、翡翠は固い顔となる。その一瞬の隙を突くように、


「甲斐君はどうしてハンターになったの?」


 カナリアがそれを問うた。彼は落ち着いて説明するべく、深呼吸をするようにまずため息をついた。


「俺と梨乃は東京で暮らしていたけど五年前に西に避難した。一緒に暮らしていた家族は避難のときに逃げ遅れて、それっきりだ」


 母親は梨乃が生まれたときに死去。父親はそれと同時に絶縁状態となり、甲斐は顔も覚えていない。父方の祖父母に育てられてきたが、その二人も五年前に死んだのは疑う余地がなかった。


「俺達が放り込まれた避難所は愛知県の山の中で、米とか野菜とか作っていた」


 この戦争が始まってから海外との交易が事実上ゼロとなり、食糧供給の大部分を海外に依存していたこの国は飢餓に直面。その対策として実行されたのが、平地・山間部問わずあらゆる場所での農耕であり、その労働力として動員されたのが千万単位の避難民である。もちろんそれだけでは供給が追い付かず、植物工場の大量建設によって補い、今ではそちらが主力というべき状態なのだが、だからといって田畑での農耕は決して不要になりはしなかった。

 そして農作業に限った話ではないが、今のこの国には子供であろうと遊ばせておくような余裕は一切なく、避難民であればなおさらだ。甲斐と梨乃もまた、年齢と体力と能力に応じて農作業に従事していたのだ。


「仕事はつらかったけど他のみんなも同じだったし、ご飯はちゃんと出ていたから特に文句はなかった。でも、その村では避難民の女子は村の男どもに性上納するのが義務になっていた」


 感情を殺して事務的に説明する甲斐と、表情を殺している梨乃。カナリアは痛ましげになっており、翡翠はどんな顔をしていいか判らないような様子だった。


「まだ小さいうちは見逃されていたけどついに梨乃が指名されて」


「それで村を逃げ出した?」


「ああ。鍬で村長をボコボコにして金目のものを奪って家に火をつけて」


「うんちょっと待とうか」


 ストップをかけられた甲斐は不満そうな顔となり、翡翠はどんな顔をしたらいいか判らない様子である(さっきとは違う意味で)。


「それはちょっとやりすぎじゃないのかな……?」


「でもあいつら、性上納しているところを撮影して、それを使って避難民をさらに脅していたんだ。家を家探ししている時間がなかったからてっとり早く全部燃やした」


「それなら仕方ない……のかな」


 そう言いつつカナリアは自信なさげに首を傾げている。


「その火事をきっかけに避難民が暴動を起こして、そのどさくさで逃げてきた。両方に死者が出てさすがに警察が介入して村の男どもがまとめて逮捕されたってニュースで見た。どこにでもある、よくある話だ」


 流れ込んできた避難民を旧来の住民が疎み、差別をし、酷使をし、性上納を強いるのも、今のこの国ではありふれた話であった。我慢できなくなった避難民が暴動を起こすのも、それで両者に死者が出るのも、月に一回くらいはどこかで発生している。逆に避難民の側が数の暴力によって旧来の住民を支配しようとしたり、追い出したりすることも、比率としては少数でもたびたび聞くくらいには起こっていた。いくら西日本全体に分散しようと避難民の総数は二千万人とも三千万人とも言われているのだ、それで軋轢や問題が起きないわけがない。それでも、諸外国と比較するなら日本は奇跡のように平穏を保っていると言われていた。


「それでも、わざわざハンターを選ばなくても」


「避難民に他に何をやれっていうんだ?」


 都会での工場労働は人気が高く、技術や知識や経験を持った人間が優先的に雇用される。女性なら身体を売るという選択肢もあるかもしれない。金になる技能を何一つ持たない、ただの子供の甲斐にできるのは、ハンター以外なら犯罪組織に入ることくらいだった。

 「丁」部隊は一八歳以上である程度の体力がある者なら事実上誰でもハンターとして採用する。甲斐はまだ一六歳、今年ようやく一七歳だが、富士市に逃げ込んだ際に「一八歳」と年齢を偽って戸籍を作り直したのだ。東日本が陥落し、何千万という避難民が西日本に流れ込んできて、情報インフラとともに従来の戸籍制度が崩壊。政府は戸籍を作り直したが氏名や年齢は自己申告だ。年齢が間違っていたので訂正します、という申請も端末を通じて行うだけ。それでも成人が未成年を装うのは(就労義務の回避を疑われて)厳しく見咎められるが、その逆は完全なざるである。またハンターのなり手はいくらでも必要であり、多少疑わしかろうとあえて見過ごしている、という事情もあった。

 論拠の全てを失った翡翠が唇を噛み締め、甲斐は彼女を軽侮の目で見下している。


「……それでも」


 それでも、彼女はそう続けた。


「わたしは自分が恵まれているなんて、決して思わない」


 甲斐を真っ直ぐに見据えて確固と言う。一瞬怯む甲斐だが次の瞬間には怒りがそれを上回った。


「この……!」


 震える右拳を左手で抑える。そうしなければきっとこの拳を翡翠に叩きつけるに違いなかった。


「甲斐君、待って」


 その両手をさらに包み込む、カナリアの両掌。真正面に立ったカナリアの顔は文字通りの目と鼻の先で、


「甲斐君が怒るのも当然かもしれない。でも翡翠ちゃんがそう言うのもわたしは判るんだよ。甲斐君が知らないことをわたしは知っているから」


 その美貌と花のようなかぐわしさに甲斐の頭が一瞬真っ白となってしまい、そのためかカナリアの言葉は何の抵抗もなく腑に落ちていった。


「わたし達が背負っているものを、今は教えられない。今の甲斐君にはそれを知る資格がないから。だから今の話は一旦棚上げにしてほしいの。全てを知った上で、それでも翡翠ちゃんのことを怒るかどうか考えてほしいから」


 その一生懸命な説得に甲斐の怒りの炎は急速に鎮火していった……だが完全に消火されたわけではない。残り火のような怒りが胸のうちにわだかまっている。それでもカナリアの言うようにそれを一旦棚上げできるくらいには冷静になっていた。


「……事情も知らない人間に好き勝手言われたらむちゃくちゃ腹が立つのは判る」


「……事情を知らない人間からすれば恵まれた立場に見えるのは判ります」


「よし! それじゃこの話はこれでおしまい! じゃあ仲直り!」


 カナリアが甲斐と翡翠の手を掴んで握手を促すが、二人は同時にそっぽを向く。カナリアは困った顔で笑い、この気まずさをごまかした。

 ……話がひと段落着き、梨乃はすっかり仲良くなったカナリアに案内されて宿舎の中の見物に行ってしまった。ロビーには甲斐と翡翠の二人が残されている。


「……」


「……」


 やることがないので甲斐は携帯端末を取り出し、翡翠もまた少し離れた場所で携帯端末を扱っているが……何か言いたげに甲斐の方をちらちらと見ているのが気に障った。


「何か俺に用事でもあるのか」


「何もないわよ」


「じゃあなんでここにいる」


「わたしがどこにいようとわたしの自由でしょ」


 何となく気まずくて気詰まりだからどっか行け、と言いたいところだったがさすがに自制。かと言って自分の方が移動するのは、なんか負けた気がするので嫌だった。仕方なく甲斐は無意味な意地の張り合いでロビーに留まることとなる。

 甲斐は携帯端末での情報収集を試みた。具体的には市川啄木と鷽姫琴美がどうなったかの確認である。消息が分かるとは限らないと思っていたが……


「お、ちゃんとニュースになってる」


 市川啄木はトレインとなすりつけの事実が発覚したことにより除隊。鷽姫琴美は管理者権限の無断使用で市川啄木に様々な便益を図り、さらにトレインを隠蔽したことが判明し、逮捕。二人とも特別法廷の即決裁判により鉱山送りになったという。さらには彼女の上司も、管理者権限を不用意に預けて監督責任を放棄していたため懲戒免職になっている。

 ――日本国憲法には戒厳令の規定がなく、自衛隊には軍事法廷も存在しない。だが首都を含む国土の半分を失ったこの戦時下では、強権なしではどうにもならないのだ。東京陥落後、生き残った政治家・官僚・国会議員は京都に集まって一種の亡命政権を樹立。国会議員の全会一致により緊急事態を宣言し、事実上の戒厳令を発令して今日に至っている。「特別法廷」は軍事法廷に代わる裁判で、自衛隊所属の二人はそれによって処断されたのである。なお二人に下された判決は九州の鉱山での強制労働。期間や場所にもよるがこれ以上となるともう死刑しかない、最大級の厳罰だった。

 なおニュースのコメント欄には「鷽姫琴美は戦前から市川啄木の推しをしていた」とか「二人は男女の関係にあった」とか、真偽不明のゴシップが書かれているが甲斐にとってはどうでもいい話である。二人が社会的に死んだも同然となり(物理的に死ぬ可能性も低くはない)彼の復讐心は満足することとなった――田長を死なせたことを忘れるわけでも許すわけでもないとしても。

 ソファに背中を預け、天上を仰ぎ、大きく嘆息した甲斐はこの出来事に区切りをつけた。手持ち無沙汰となった彼は引き続き端末を操作し、何の気なしに討伐ポイントの確認をし――


「あの……櫛名田さん、つかぬことをお伺いしますが」


「誰?!」


 その驚き方に「どういう意味だ」と思う甲斐だがそんな話は後回しにし、


「見たこともない額が入っているんですけど」


 端末の画面を見せてもらって確認し、「ああ」と翡翠は納得の声を出し、


「リヴァイアサンを倒してわたしを助けたんだからこのくらいは当然でしょ」


 と当たり前のように言う。翡翠からすればそれは高ポイントと言っても驚くほどではなく、むしろ目に入ってしまったこれまでの討伐ポイントの貧相さにいたたまれない気持ちとなってしまったのだが、何とかそれを隠して普通の態度を装った。


「後になって間違っていたから返せとか……」


「ないってば。そんなこと」


「か、返せって言っても返さないぞ」


「言わないって」


 それでも甲斐は警戒するように端末をしっかり抱きかかえている。だが「そうだ」とあることを思いついて端末を操作し、「これでよし」と満足げに頷いた。

 ――戦争が始まってから「円」は紙切れとなり、食糧を始めとする物資の大半は配給制となってしまったが、それでも貨幣と市場経済が完全に消滅したわけではない。「円」に代わる貨幣は「配給ポイント」だ。これは何もしなくても政府から最低限の支給があるが、社会と政府への貢献によりそれに応じたポイントが付与される。冥王軍と戦うだけでなく、農作業などの勤労奉仕だって社会への貢献である。ポイントは、これまた政府支給の携帯端末に電子データとして入ってきて、配給品との引き換えは端末を使って行われる。この配給ポイントは任意での融通が可能なので事実上の通貨として使われていた。


「お兄お兄お兄!」


 梨乃が猛ダッシュで戻ってきて甲斐の前で急停止。少女は携帯端末の画面を甲斐へと突き付けた。


「どうしたのこれ! こんな大金! 何したらこんなにお金がもらえるのよ!」


「何も悪いことはしていない、この間の極秘任務の報酬だ」


 偉そうに胸を張る甲斐に、梨乃は聖女のように透明な、泣いているような笑顔を見せた。


「……警察に自首しよう? わたしも一緒に謝るから」


「本当だって」


「いや、本当だから」


「嘘じゃないわよー」


 なかなか信じようとしなかった梨乃だがカナリア達の言葉にようやくその事実を受け入れたようだった。


「でも、それならなんで全部わたしの口座に移してるのよ」


「全部じゃない、剣を買う金は残している」


「必要なのは剣だけじゃないでしょ、このお金があればもっとちゃんとした装備をそろえられるじゃない」


「俺は剣があればそれで……お前のちゃんとした服を買う方が先だろ、女の子なんだし」


「服のことなら、そのマント!」


 腰に手を当てた梨乃が人差し指を槍のように甲斐へと突き付けた。彼が座るソファには愛用のマントがかけられているので、そちらを指したのかもしれないが。


「……なんで色が違うの?」


「リヴァ……モンスターの血で染まった。なんか防御力が上がった感じがするぞ」


 元々はモスグリーンだったマントはリヴァイアサンの血によって真紅に染まっている。何十時間を経ようとそれは目が覚めるような鮮やかな赤色のままだった。


「そうなんだ、よかった――じゃなく!」


 気を取り直した梨乃が再び甲斐を指弾する。


「それはもうやめよう? 貧乏くさいから」


「別にいいだろ、気に入ってるんだ」


「わたしが恥ずかしいんだって」


「俺は恥ずかしくない」


 堂々とした甲斐に梨乃は困ったような顔だ。翡翠は部外者に過ぎないが梨乃に感情移入をし、


「でも、いくら不動明王の真言でもマジックで手書きじゃ……創意工夫は認めるけどさすがに限度が」


 彼女は失笑の一歩手前でそう言う。レンオルムとの戦闘で負傷し、気絶した甲斐を救護したときにマントの裏全部を埋め尽くした梵字の真言を見たのだが、それはマジックで書かれたものなのだ。一緒に救護をした「乙」のハンターは失笑するか、そうでなければ憐れんでいて、そのときの翡翠は後者に属していた。


「ほら、専門家もこう言ってるんだし、あんなみっともないの」


「みっともなくねえよ、俺にとっちゃ最高の装備なんだよ」


 頑固を通り越した、絶対的な肯定に翡翠は当惑するしかない。一方のカナリアは梨乃の言葉ににじむ自嘲の音を聞き逃さなかった。


「ねえ、その真言を書き込んだのって」


「……ああ、うん」


 半笑いで頷く梨乃。翡翠は自分の迂闊さに舌打ちしたい気持ちを堪えている。

 金がなく、「浮浪者スタイル」と言われるマントを着るしかなく、それで戦いに赴くほかなく、そんな貧相な装備でも甲斐が無事に戻ってこられるように、甲斐を守る力となるように、不動明王の真言を一文字一文字心を込めて、マントを埋め尽くすまで書き込んで――たとえ使ったのがただのマジックでも、家族を思うその気持ちを誰が嘲笑できるだろうか?


「その、ごめんなさい」


「気にする必要はねーよ。俺も気にしないから」


 翡翠の謝罪に甲斐は軽く手を振り、


「――どうでもいい奴が何を言おうと」


 強い語気でそう付け加える。翡翠は怒りと反発に口を固く結び、カナリアと梨乃は困った顔をするばかりだった。






「甲斐君、梨乃ちゃん、一緒に遊ぼう!」


 甲斐に割り当てられた客室へとやってきたのはカナリアであり、何故か翡翠が同行している。出迎えた甲斐は「どうしてこいつまで」という顔をし、


「どうしてわたしまで……」


 翡翠もぶつぶつと文句を言っていた。カナリアは彼女に顔を寄せ、


「隊長の命令でしょ? わたしだけで判断していいの? 甲斐君のこと」


 翡翠は不承不承であったがそれ以上文句は言わなかった。


「カナリアさん!」


 一方梨乃は大喜びでカナリアの腕に抱きつき、部屋の中へと引っ張っていく。その一歩後ろを翡翠が続いた。


「それで、何して遊ぶの? ゲーム?」


「ゲーム版も神作だけどプレイ時間がちょっと長いからねー。今日はこっちです!」


 とカナリアが取り出したのは、八枚のDVDとプレイヤーと、小型プロジェクター。DVDのケースには剣を構えた少年が描かれており、「トリニティ・ファンタジア」の題名が記されている。


「……それかよ」


 と複雑そうな顔の甲斐。カナリアはその鼻先に指を突き付けた。


「甲斐君、これをちゃんと見たことあるの? ゲームは?」


「いや……でも必要なことは知ってるし」


「ダメよ! ダメダメね!」


 カナリアの断言に甲斐は沈黙を余儀なくされた。


「上っ面の知識だけで知った気になっていても、それは知ったことにすらならない! ちゃんと全部見て、しっかりと心で受け止めて! それこそが本当に『知る』ということなの!」


 はあ、と戸惑ったような生返事の甲斐。


「わたしもちゃんと見たことないです。面白いんですか?」


「とってもとっても! 今の情勢がどうこうは抜きにして、純粋に物語として楽しめるから!」


 へえ、と期待に満ちた梨乃の声。甲斐としてもどのみちやることがあるわけではないし、妹が楽しめるというのなら今日一日をアニメで潰すことにも文句はなかった。


「よりによってこれを……」


 と苦々しい顔で文句を言っているのは翡翠である。カナリアは再び彼女に顔を寄せ、


「隊長から命令があったでしょ?」


 再びそれを言う。


「今後の説明をするにしても最低限の基礎知識は必要だから、わたし達からすれば常識に属するようなことでもしっかりと勉強をさせておいてほしいって」


 翡翠はやはり不承不承ではあったがそれ以上は何も言わなかった。翡翠は自分が(客観的には)恵まれており、この時代にあっても勉強ができるだけの余裕があり、高度な情報に触れられる立場にあることを理解している。それに対して甲斐には知識を得るだけの余裕も機会もないことも、触れられる情報は大幅に制限されていることも、容易に想像できることだった。

 カーテンを閉めて室内を暗くし、テーブルにプロジェクターを置き、映像を白い壁に投影。ちゃんとしたスクリーンでなくとも映像としては充分にきれいで、梨乃は「わあ」と感嘆している。この五年、見る機会のある映像と言えば携帯端末の小さな画面だけだったのだから。白い壁に映し出されているのは馬車で移動する巫女服の少女だ。


「『トリニティ・ファンタジア』は元々九〇年代に発売されてヒットしたゲームでね。『フェニックス』社長の材木朱雀ざいき・すざくはこのゲームを作るために会社を立ち上げたって言われている。何本か続編が作られたりしたんだけど、設定を一新して制作されて一三年前に発売されたのが今の『トリニティ・ファンタジア』。九〇年代のそれは『旧作』って言い方で区別されている。で、大ヒットしたこれをアニメ化したのが今見ているやつ。ゲームもアニメも世界規模の大ヒットになったの」


 カナリアの解説に耳を傾けながら甲斐はそのアニメを視聴する。旅をする十数人の集団があり、彼等は一人の少女を守っていて、その少女の名はソニア。少女は「神鏡の巫女」とも呼ばれていた。


『本当にあの男が「聖剣の勇者」なのでしょうか? あまり良い話を聞きませんが……』


『それは判りません。ですが預言者エノクは言われたのです。わたしはこの旅で運命と出会う、と』


『あの男には何十人もの弟子がいると聞きます。あるいは彼ではなく弟子の中に「聖剣の勇者」がいるのかもしれません』


 彼等の旅は「聖剣の勇者」となる剣士を探すためのものだった。そしてその候補とされる、有名な剣術家の下を訪れたところである。が、その剣術家は魔物に操られており、騙されたソニアは虜囚の身となってしまった。

 その少女を助け出したのがヤマトという少年だ。彼は元々はしがないハンターで――モンスターを狩って報酬を得ているのが「ハンター」という職業であり、「乙」部隊員・「丁」部隊員をハンターと呼ぶのもこれに因んだものだった。ヤマトが一念発起しその剣術家に弟子入りをしたのがほんの数日前で、このため弟子の中で彼だけが魔物の支配下にはなかったのだ。ソニアを連れて逃げるヤマトだがモンスターの群れに襲われて絶体絶命! だがヤマトはソニアの持っていた聖剣、紅蓮剣を使ってモンスターを一掃。そのときソニアは理解するのだ、


『ああ、彼こそがわたしの運命なのだ――』


 カナリアがにやにやしながら翡翠の耳に口を寄せ、


「最近似たような話をどこかで聞いたわねー」


「うるさいです」


 室内が暗いため自分の頬が赤くなっていることに甲斐が気付かなかったのは、翡翠にとっての幸いだったかもしれない。


『神鏡「黄金鏡」、宝珠「紺碧珠」、そして聖剣「紅蓮剣」――この三種の神器を以てするしか、冥王カズムを倒す方法はありません』


 今、彼等の世界は冥王カズムにより滅亡の危機に瀕していた。冥王カズムは次元の裂け目からこの世界に出現したという。それは人々の絶望を食らい、これを糧とし、力とする存在である。よって人々の絶望がより深まればそれだけ冥王の力は強くなり、さらに勝利は困難となる――だが逆に言えば、人々の明日への希望、愛や正義という純粋な感情、神々への信仰が強ければ強いほど冥王に対抗することは可能となる。そして「神鏡の巫女」「宝珠の聖女」そして「聖剣の勇者」の三人こそがこの世界の希望そのものだった。

 三種の神器の本体は天上にある。今ソニア達が持っている「黄金鏡」や「紅蓮剣」は、言ってみれば空っぽに近いただの容器だ。儀式によって神の力をこの器に下ろし、真の力を発揮させること。まずそれが旅の目的の一つ。次に神器の真の担い手となるべくソニア達がレベルアップをすること。最後の一つが「紺碧珠」の担い手を見つけること。ソニア達は預言者エノクの導きにより「宝珠の聖女」パルマと出会うこととなる。


「うわ、そっくり」


「でしょ?」


 梨乃の驚きにカナリアが嬉しそうに言う。白を基調としたシスター服に、顔の半分を隠す大きな眼帯。「宝珠の聖女」パルマはカナリアと全く同じ姿をしていた――いや、逆だ。カナリアがパルマのコスプレをしているのだ。

 ソニア達はその後も旅を続け、共に戦う仲間と邂逅し、ソニアとヤマトがラブコメを展開し、カナリアがそれをネタに翡翠をからかい、翡翠が冷たい声を出しながらも顔を赤くし。……出会いがあり、別れがあり、戦いがあり、ついに七人がそろって勇者パーティとなり。


「ゲームなら勇者候補は十何人もいてパーティメンバーは入れ替えられるの。この最終決戦メンバーも嫌いじゃないんだけど、わたしの解釈とは違うかなー」


 なお「勇者」とは、狭義では「聖剣・紅蓮剣の担い手」のみを指すが、広義では「冥王と直接対決できるだけの力を有する、『聖剣の勇者』の仲間」を意味する。「神鏡の巫女」も「宝珠の聖女」も、最終決戦メンバーの全員がこの広い意味での「勇者」だった。

 勇者パーティの七人は冥王城「コキュートス」へと突入。犠牲を払いながらもヤマト、ソニア、パルマの三人はついに冥王カズムの前までたどり着いた――だが彼等は既に知っている。冥王を倒すための最終奥義「三位一体トリニタス()終焉クラウデレ」、その発動のためには彼等の生命を神器に捧げなければならないのだと。


『ああ……ヤマト。わたし、死にたくない。ここまで来ているのに、冥王が目の前にいるのに』


『それは、俺も同じだ! ようやく君と愛し合うことができたのに! でも、やらなきゃならない。俺達は俺達の力だけで今ここにいるわけじゃない。数え切れないくらいの人達がその生命を懸けて、俺達をここまで導いてくれたんだ』


『ええ、判っている。ヤマト、わたしを放さないで』


『放すものか、たとえ死んでも』


『ええ。わたし達は生まれ変わって、きっとまた一つになる』


 世界を救うために自らの生命を捧げようとする二人に、その美しくも悲しい姿に、梨乃は泣きながら画面に見入っている。だが甲斐からすれば悲劇の演出があまりに過剰で、


「目の前で愁嘆場が展開されてるのに冥王は何ぼけっと見物してんの?」


「三人一緒に生命を懸けてるのにパルマの扱いが空気過ぎて、可哀想じゃない?」


 などと余計なことを考え、泣くよりも先に白けてしまった。カナリアもまた眼帯の下で涙を流していて、翡翠は、


「ぅぅぅぅぅ……」


 最初は泣くのを堪えているのかと思ったら、様子が違う。顔を蒼白にし、腹部を抑えるように前屈みになり、小さく呻いている。


「大丈夫か、腹が痛いのか?」


「構わないで」


 翡翠は甲斐の手をはね退けるようにして、その部屋を出ていってしまう。甲斐はその後を追い、すぐに見つけた。廊下の片隅で翡翠がうずくまっている。口を抑えていて今にも嘔吐しそうだ。


「吐きそうなのか? 我慢せずにここに吐け」


 限界に達していた彼女は言われるがままに、胃の内容物をそれに吐き出した――広げた甲斐のマントに。


「え、これ……」


「洗面所に行って口をゆすごう」


 それから少しの時間を経て。トイレに移動し、手洗い場で口をゆすぐ翡翠と、水で吐しゃ物を洗い流す甲斐。濡れたマントを持って男子トイレから出てきた甲斐を、


「……ごめんなさい」


 殊勝な顔の翡翠が出迎えた。


「気にしなくていい。俺がここに吐けって言ったんだ」


「でも、妹さんが……」


 甲斐は「は」と鼻で笑う。


「俺が自分の血と反吐でこれをどんだけ汚したと思ってる」


 大威張りでそう言う彼に翡翠は何と言うべきか迷ったような様子だ。その前に甲斐が、


「それよりも大丈夫なのか」


「ええ、少し楽になった。ありがとう」


 翡翠が自分の部屋へと向かって歩き出し、甲斐はその少し後ろをついていく。


「……あなたは」


「なんだ?」


「あなたはあれを見ても、まだわたしが恵まれているって言うの」


 何を問われたのかを理解するのに時間を必要とし、問いの答えを見つけようとしてさらに時間がかかり。その間に彼女は自分の部屋の中へと消えてしまっていた。甲斐は部屋の前で立ち尽くしている――その問いに何も答えられないまま。

次回・第二話「聖剣の勇者」その2は8月3日12時更新です。

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