約束と城下
「本日のレッスンは以上です。 お疲れ様でした」
「ありがとうござました」
レッスンが終わり、先生をお見送りした後、私ははーっと息を吐くと、ニーナが「お疲れ様です」と言って紅茶を出してくれる。
それに対し礼を言うと、ニーナは心配そうに口にした。
「お嬢様、お疲れでないですか?
昨日も夜遅くまで起きられて勉強していらっしゃいましたよね?」
「まあ、そうね……」
私が言葉を濁せば、ニーナは「無理は禁物ですよ」と私を嗜め、休むよう言う。
(だって、私に出来ることはやりたいと思うんだもの)
夜会から一週間ほどが経った。
そして、夜会が終わってから本格的に、婚約者としての淑女修行が始まったのだ。
また、それは私自ら希望したからで。
(今後婚約者として、夜会やお茶会などに誘われることがあるかもしれない。
この前は話しかけてくる方があまりいない上、イヴァンが庇ってくれたようなものだから良いものの、今後は一人で対応しなければいけない可能性がある。
その時のためにも、私がイヴァンの……、ノワール辺境伯家の足を引っ張らないように、良く勉強しないと)
そう思ったからだった。
(もし、私が一時的な婚約者だとしても、イヴァンに婚約者にして良かったと思えるようになってもらいたいもの)
一時的、とか、この先どうなるのだろうとか、考えると不安になる時はあるけれど。
そんなことを考える暇があったら勉強して、少しでもイヴァンの役に立ちたい。
今はそれだけで十分なのだと自分に言い聞かせて、今夜も机に向かうのだった。
そんな毎日が続いていたある日、イヴァンが部屋を訪ねてきた。
「おい、リディア。 また遅くまで勉強しているのか」
「イヴァン! イヴァンこそ、こんな時間まで起きていて良いの?」
私は夜中に突然イヴァンが訪問して来たことに驚きつつそう口にすれば、イヴァンは「俺は慣れている」と言い、眉間に皺を寄せて言った。
「侍女が心配していたぞ。 君の部屋の灯りだけが夜もついていると。
夜会の予定など入っていないのだから、そう焦る必要はないだろう」
「で、でも、私は勉強を教わっているうちに、まだまだ何も知らないんだなぁって思って……、この地のことも、この国のことも、もっと勉強したいし知りたいと思うの。
それに、イヴァンの隣に立つのなら、胸を張っていられる自分になりたいし」
「……! 全く、君は」
イヴァンは深くため息を吐くと、私の額を指で押して言った。
「その気持ちは嬉しいが、君が無理をしているのではないかと心配になるこちらの身にもなれ。
君は無理をしたら体調を崩しやすいタイプだろう?」
「は、はい……」
「それならば、ほどほどにしておけ。 勉強は逃げることはないからな」
「……分かったわ。 気を付ける」
私の返事にイヴァンは頷くと、「早速だが」と口を開いた。
「明日は一日休んで俺に付き合え」
「……え?」
イヴァンの言葉に目をパチリと瞬かせれば、彼は何故か視線を逸らしながら言った。
「以前城を訪れた時、城下を見てはしゃいでいただろう?
その時はゆっくり見て回ることも出来なかったからな、明日連れて行ってやる」
「……うそ!? 本当!?」
「本当だ」
「〜〜〜やったー!」
嬉しくて思わずその場で飛び跳ねてしまう私に対し、イヴァンは驚いたように目を見開き、「そんなに行きたかったのか?」と口にした。
その言葉に大きく頷く。
「えぇ、もちろん! 城下を歩いたことなんて一度もないもの、行ってみたいと思っていたの!
ふふ、嬉しい! 誘ってくれてありがとう、イヴァン」
「……そうか、そんなに城下に行きたかったのか。
それなら良かった。
では、明日の正午に着くように出発するから準備をしておくように」
「分かったわ」
イヴァンの言葉に頷くと、彼は満足そうに頷くのだった。
そして、次の日。
「わぁ……! 今日も凄い人だね、イヴァン」
馬車から降りた先に広がる活気あふれた街の光景に思わずそう口にすれば、イヴァンはお忍び用の黒髪を揺らし、「そうだな」と相槌を打った。
「城下はいつもこんな感じだ。
だから、君のような者ならばすぐに迷子になるだろうな」
「っ、それってどういう意味!?」
私が思わずムッとすれば、彼は「行くぞ」と口にし、私の手をぐいっと引く。
危うくバランスを崩しそうになったものの、イヴァンはその手を離そうとはせずに歩き出した。
その耳が赤いことに気付き、私も顔に熱が集中する。
(て、手を繋いでくれる口実だったりして……、い、いやそれはないわよね! 迷子になったら困るから仕方がなく、よね!)
繋がれた右手を意識しないよう、街の景色に視線を映していると、イヴァンが口を開く。
「今日は女性に人気の店を中心に周ろう」
「え、それではイヴァンがつまらないんじゃない?」
私がそう口にすれば、イヴァンは「いや」とこちらを見向きもせず答えた。
「初めて城下に君を連れてきたんだ、今日は俺に任せろ」
「そ、そう? 私としてはイヴァンも楽しめるところの方が嬉しいけれど……、でも貴方がそう言うなら、今日は任せるね」
「あぁ」
イヴァンは頷き、宣言通り女性向けのお店を回ってくれたのだが……。
「……」
先程から私を見るイヴァンの視線が痛い。
私は恐る恐るイヴァンに尋ねる。
「あの、イヴァン? 私の顔に何かついてる?」
「何もついていないが」
「じゃ、じゃあどうしてそんなに私の顔を見つめてくるの!?」
思わず顔が赤くなるのを隠しながらそう尋ねれば、彼は「俺のことは良い」と何故か怒ったように言う。
「俺ではなく商品に集中しろ。
何か欲しいものはあったか?」
「ほ、欲しいもの? えーっと……」
本当に、今日はどうしたんだろうかと私は思いつつ、商品棚に並ぶ繊細なガラス細工で施された置物に目を移した。
(本当にどれも素敵……、だけれど、それよりもイヴァンの視線が気になって集中できない……!)
「ど、どれも素敵で迷ってしまうわね、イヴァン」
その上、商品に集中出来ないのにはもう一つ理由があった。
それは、どの商品も高額でとても手が出るような値段ではないことにある。
(うっかりこれが良いと言ったら、今日のイヴァンなら買ってくれかねないし……)
欲しいものを聞いてくるあたり、買ってくれるつもりなのだろうかと思った私は、曖昧にそう返事をすれば、イヴァンは「なるほど」と口にし、その瞬間とんでもないことを言った。
「君が全て気に入ったというのならば、この店ごと買い取ってやる。
そうすれば、どの商品も手に入れられるだろう?」
「!? は、ちょ、ちょっと待ってイヴァン!」
そう言って奥にいた店主を呼ぼうとしたイヴァンの腕を慌てて掴み、それを制すると、彼はさも不思議そうに首を捻った。
「何だ?」
「な、何だではなくて! お店ごと買い占めるって正気!?」
「あぁ、そうだが?」
彼の瞳から、それが嘘ではないことがすぐに見て取れて、私は自身の頭を抑えた。
「ちょ、ちょっと待ってねイヴァン。
今日はそれでなくてもあんなに! 私に買ってくれたのよ!?」
私はそう指を指せば、後ろに控えていた侍従達が、とんでもない数の箱……、もといイヴァンが私へ買った贈り物の山を持って立っていた。
そう、困ったことに私が少し眺めていただけで、イヴァンはそれを買い求めてしまうのだ。
かつてないその行動に、最近イヴァンのことが分かってきたと思っていた私でも、何が起きているのかさっぱり分からない。
ご乱心なのか、はたまた疲れているのかと私は心配になり彼に尋ねる。
「大丈夫? 少し休もうか?」
「……君には、こういうことは迷惑だったか?」
「へ?」
私はその彼の消沈したような言葉に、思わず顔をあげる。
イヴァンは悲しげに瞳を伏せ、言った。
「君が喜ぶ顔が見たいと思ったが、俺は何か間違えたか?」
「あ、え、いや、その……、気持ちは嬉しいのよ、凄く。
だけど、限度っていうものがあるというか」
そんなに私を喜ばせたかったの!?
と驚いてしまう私に対し、イヴァンは「では」とおずおずと口を開いた。
「君の誕生日を祝うには、何をすれば喜んでくれるんだ?」




