97.回想
ただならぬ聡明さの宿る、琥珀色の瞳をした少年が、朝露に濡れる黄金の麦穂の間を駆け抜けていた。
誇らしいこの景色、少領にして底力のあるいわれであった。木刀を片手に常だれば、こんな狼のようなはしたない真似は誓ってしまい。
急ぐのである。
授与式をしらせた使者が未明の帰路に、一人稽古の後をわざわざ追ってきて、ご母堂が産気づいたぞといった。
はざまの農道に飛び出すと、野良へ出たての百姓たちが、彼の背中に声援する。うちのひとりなど、
「坊ちゃま、これがよがんす!」
おとなしい、がさがさとした南部馬の荷をあわただしく解いて、手綱をあずけようとした。農民にはかけがえのないひと財産だ。
「恩に着る!厚意だけしかと受け取ろう!」
齢わずか七つを前に大の男をうちまかす、その少年の膝であった。ちかく異例の剣を授けられたなら、のぞまぬ土をつけることは、誰にだって困難になる。
彼はすでに農村の門をゆきすぎていた。朝陽の目覚めをあなうらに感じながら、なじみの丘を登りつくすと、白い邸宅は見おろせた。父を「イグナシオ」と呼んだ巡礼の聖者は、囲いの要らぬ"聖域"として、サンドバーンの土地を定めたという。金色の夜明けであった。
赤子の声、息をつめて見守り、または励ます助産婦ら、幸福そうに汗した母、あたたかいおくるみのやわらかさ――少年は想像した。玄関をぬらした昨夜の雨は、すでに乾ききっていた。
悪寒に彼は足をとめる。
やがては、うぶごえを手がかりにして、行き着いたのと思われるが。
そこに父はもういなかった。
ついた杖を半身にして肩をしゃくり、頑固そうで、それでも潔い名誉を身中にみなぎらせていた。そんな父はもういなかった。
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兜の黒い隙間の奥に、相手のひとみが見えぬものかと、騎士と騎士とが相対している。
刃が閃き、観衆が熱狂する。
勝者があった。
それが兄だ。
はじめて目にした兄だった。
北方の寄宿先では、どんな騎士でも勝負にならぬという。十四で正騎士位を得た天才が領都にのぼってくるぞと、人々はうわさしていた。
胸躍らせるおとぎ話は実在していた。
もはやどうでもよかった。領地を出られぬおのれの身を、彼が知ってくれているかどうかなぞ。
希望は強く灯っていた。おこがましかろうか――とんでもなく誇らしかった。
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知らぬもののない騎士として、彼は帰った。
いくたびめの帰郷かはかわからぬ。
偉大な世界にまじわりたいとあせる少年の心は既に彼方、まっとうする志も、かつてほど美しく燃えてはいない。
暗鬱な帰り路であった。なにがしか事は帰郷にあたって起こるのだった。
白い塗装の剥げかけた、玄関をくぐったとき、ちょうどロドリゴはころがっていた。
正視するのにしのびない、子どもがぞんざいに放り捨てたがために、壊れてしまった木偶のようだ。
段を踏み外して転落したのだと、憔悴した母は言った。
杖を突くとき、気をつけていることのひとつであった。
よぎる。
平いた手でばんと机をたたき、沈黙を厳命する父。
お前など悪魔に飲み込まれてしまえ、と弟に叫ぶ父。
気難しいところはあるが、剣にまつわることであれば、なんでも機嫌のよかった父。
いつからか何かと入れ替わり、急速に老い、ついにひからびた父。
かいのようにぱしりと口を閉じた、弟が二階から見おろしている。
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時ならぬものの音に、サンドバーン家の回想は破られる。
「……何か聞こえませんか?」
窓外の秋の夜空をゼンはみあげて、窓のつがいに駆け寄った。開け放つ。
「鐘の音だ……!」
遠くかき鳴らされている。農村の鐘だ。火事なら夜空の模様から察せるべきで――星の瞬く平静な藍だ。
「剣を帯びろ」「明かりを消して」
食堂にともる電球は、それでぱちりと落とされた。
――巡礼の少年少女が聞けたのは、もっと肉感からとおい、にがくて淡い思い出話ではあったけれど、"回想"から伸びた影はともかく、真実の一側面を如実にとらえている。




