55.騎士と騎士
名も知れない湖の畔であった。このごろ構ってやれないでいたぶん、ゼンはひとしきりエマと遊んでやる。
遊ぶといっても、上等なおもちゃはいらない。"御許"なら、野で駆け比べでもしたろうが、休むのも彼女には仕事のうちである。のんびりするのがやり方だった。とくに砂浴びだとか、泥浴びだとかだ。装具から解き放たれた鹿毛の馬体を、青毛とばかりによごしては笑いあう。
今朝もそうした。
終わったあとは洗ってやる。燦々と、夏の陽射しのこのごろであるし、水場も近くてぴったりだ。
ふきふきしてやるうち、エマはふんすふんふんと多弁であった。こきざみに頭をゆすっては、解せるものにだけ通ずる言葉でいう。
「平気だよ。また会えるもの」
ヴァンガードをこの頃みないのを、気がつけたらしかった。名前まで上手に覚えられないでも、馬番ダルタニエンとはしるしをたがえる「大男」なら忘れなかった。
「ふーん、ふーん」
大きな瞳でみつめてくるのだ。ゼンは白状した。
「……ちょっとはね」
遠巻きに、我らが黒馬車をなんとなく見る。"尾山のもと町"を出て、まだ間もない。"魔法の居間"はだいぶ広くなった。
夜にいびきも聞こえない。つけて苦情のたえないそれは、安心のしるしでもあった。
ふと、ハウプトマンが降車してくる。仕草ばかりで合図をした。昼食まで休憩続行との旨。
思ったよりも時間ができた。
――ブラシをあててやろうかな?
まだほんのりしめった鹿毛を、ゼンはなでつける。
「港町に……たっぷり走れる野があるといい」
ヴァンガードの一件があって、なおさら想像した。
「お前が引くのも、そこまでだから……」
老商人。おばば。名にし負う王国英雄。いちおう、魔女の家のご夫妻。それに花畑の少女。
いつか"商隊"のみんなの名前が、ここに加わるときがくる。
別れは不意に訪れる。
覚悟は、あったりなかったり。二度とのぞめない悲しさもあれば、かえって希望になりもする。
「ふふ、なぁに!その顔!」
かゆいと言うので尻をかいてやると、エマはおかしな顔をした。たぷたぷとくちもとをゆさぶり、首をかしげてべろをたらす。
「そう、オルシに?」
ダルタニエンから、よく様子をきく。しょっちゅうエマを褒めてくれる。悪癖がない。蹴ったり噛んだり、絶対しない。よけい申し訳なさそうにきこえた。
『オルシのまねっこを、この頃しちゃうんだけど……』
なるほどこれだ。やっと見られた。かわいいものである。
「すこしお待ち」
からっとしていてあたたかい。のこりもすぐに乾くだろう。
「ぶるるる!」
ふきながら、エマの調子を再確認できた。
すこぶるすこやかである。
"御許"にいたときより、毛並みは抜群にいいし、脚なんてもうむきむきだ。
馬車馬のごとく、と、過酷な仕事をいうはずで、当代の馬種は強すぎる――ゼンは頭によぎらせたが、ふさわしくない記憶だった――ともかく。"商隊"とはこれほどなく、すぐれた居場所なのだろう。
「友達もたくさんいるものね」
「ふふん?」
「これから坂がすごく増えるんだって。平気?」
「ぶふふん!」
「悪いところは、がまんしちゃだめだよ」
「ふうん」
よい陽気だった。暑いといっても知れている。日陰にもどれば風で涼める。
木陰に根をえらんで、ゼンは腰かける。水浴びする気はなかったが、いつの間にやら濡れていた。前髪をなでつける。
ぼうっと、湖面を眺めにかかる。
さざなみに水面は離れゆくと、夏のかがやきを散乱させた。ご機嫌なエマの尻尾の影が、いったりきたりでさえぎった。
贅沢な時間であった。なんともあてがない。
旅に出るまで、ありえなかった。
獲るか、振るか、作るか、眠るか。何かをしていて当然だった。
エマとのんびりする時間は、エマがのんびりする時間だった。
彼女が草を味見したり、地面にこすって背中を掻くのを、横目に仕事を絶やさないでいた。駆け比べだって、鍛錬のうちだ。
何もしないというのは、なかった。
――考える時間……。
生きることに、必死であったか?そうだろうとも。けれどなにより不安だったのだ。
唇を噛む。昨日を憂う。明日を恐れる。
ねむるより倒れてしまいたい。
――思いきりには、自信があったけど。
意外と考え性だねと、ヴァンガードは見抜いてくれたものだった。
必要なことだ。彼は言った。
もっと思いにふけることにする。
なにせ稽古の相手がいなくなって、ちょうど暇らしい暇だった。
湖のおもては、天光をふんだんに蓄えて、いよいよ目をいためるほどだ。平たい石ころを、しばし手元でもてあそぶ。さっと投じる。
うまく水面に滑らせた。
鋭くとんで、石は水しぶきと跳ねる。光のむこうへ飲み込まれた。
――見通せないなら、真っ暗闇とかわらない。
いてもたってもいられずに、ゼンは結局腰をあげた。
「……もうかわいたかな?」
「ぶふん」
何かできるのに何もしないのは、どうにも得意でないらしい。性だった。
たいして時は過ぎていないものの、鹿毛の具合はいい。ブラシをとりに"魔法の居間"へむかう。稽古に熱をあげていたので、最後はいつだか自信がない。ダルタニエンの仕事ぶりには感謝しかないが、エマのことなら、やれるだけやってやるべきだ。
――よっぽど時間があまるなら、サルヴァに短剣さばきをねだろう。
そうとも、稽古の相手がいないのだ。
"サルヴァの城"をあさっている。"魔法の居間"も一角のガラクタ山である。
食材が一緒くたにつめこまれた厚紙箱、大小の料理道具、馬用品、馬車の機材、などなど。
ごちゃっとしてみえて、ゼンにはわかる。法則性にのっとっていて、主には使いやすいのだ。馬用品のありかにしたって――すぐわかる……わかる、はず……?――見つからない。
あるはずのところにないのであった。きっとうもれた訳ではない。ダルタニエンあたりが使用中だ。探すなら彼だ。
おもてにでた。
首をめぐらすよりはやかった。誰かに視線で呼び止められる。反射で見返す。駆け寄ってくるフランであった。弓を手にしている。
「どう?調子は」
「えへへ、まだすぐには……あの、ちょっとお時間よろしいですか?」
「いいよ!僕のをとってくる」考えずにものを言うべきではない。「あ……エマにブラシをかけたあとでもいい?」
「いえっ!そのっ、私じゃなくって」
フランがうかがう先を見た。ぽつねんとヴィクトルがみえる。切り株に座して、視線は手もとに落としていた。
「何かお話があるみたいです」
「……なんだろう?」
いささかゼンは身構えたのであった。
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湖の名を訊ねてみても、騎士は知らんと言うだけだった。
街道沿い。湖畔の森。浅く拓いて、旅人の憩うところとする。
よくあるものらしい。
奥も手の入る森なのだろうか?陽射しになお色濃い緑のかげに、ヴィクトルは待ち受けていた。
ならぶ切り株椅子を、ゼンは遠慮しない。育ち輪の線を爪でなぞって、おとなりの切り株が何をきりだすのか、気長に待った。もはや見慣れたしかめっつらは、虚空を睨んで押し黙っている。
そうっと先ほど近づくと、彼が読むのは手紙であった。"尾山のもと町"では、ぴんきりの手紙を、枕にできるほど受信したのだ。連絡所から出てきたヴィクトルの腕は、それはもう紙束でふかふか。ちょっと困ったおなじみの顔つきを、おもわず皆でかわいがった。
騎士ヴィクトル、エウロピアの地に帰還せり。知るにつけて、すっ飛んできた便りばかりだ。
中身は良し悪しだろう。
彼の身分であり、常に昨日のことがある。
――使徒について、なにかわかったとか……?
いまは切り株椅子にいる。
街道をながめてみても、旅人の影はほかにみとめない。ゼンはほっとする。
今日のヴィクトル・サンドバーンは、単なる「こわいかおの剣士」ではない。
覇気のだだ洩れた、畏怖の対象である。
なまじ負けん気の強い冒険者でも、休憩のご相席は見送ることだ。
――よかった。出会ったときにこうでなくて。
扉をりりりんと鳴らすより早く、尻尾の酒場をあとにしただろう。すると"商隊"にも加われなかった。
どちらも無意識のことらしい。ふだんやたらと静かなのも、大量に受信して以来、こうも鋭いのも。
推し量れるものだ。とくに交互に読み比べては、浮き沈みする二通があって、うれしそうなとき、フランが見逃さずにきいた。
『どなたからです?』
『……妻だ』
上等な便せんであった。
この地には、彼の守るべき家族がいる。あるいは危機が近づいている。するともろもろ納得できる。しかめっつらの喜怒哀楽を、はっきりわかるようになった自分に、ゼンは気がついた。
「……なったと聞いた」
ようやく唸り声である。
光の騎士に。と、主語は省かれた。もしも互いに母語だとしても、むずかしい話になるかもしれない。けれど通訳はもういらないと、ゼンは思った。
「はい」
鋭いひとみを、ゼンはまともに見返せる。狼のような琥珀色だった。強烈な感情が、奥ふかくにひそんでいる。
「……そうか」
言葉足らずで、一足跳びになる。ゼンはこれにも、もうついてゆけた。
「何を見た?」光の中で。
「未来、なのかもしれません」
「望んだか」力を。
「守るため、という意味では」歯をくいしばったのを覚えている。「ほかには、選べませんでした……」
沈黙である。ゼンはみずからきりだした。
「伝聞は信じないものと」
「どの口かによる」
「フラン?」
「ヴァンガード」
「なるほど」
「感慨はあるか」
「カンガイ」
「む……」
「あ、わかります」期待される答えとは、ちがったかもしれない。ゼンはあとで思う。「夢みたい……とはいっても、砂や水を、つかむようで」
握る拳をふたりでみた。
「ただひとつここに残ったのは」
胸をたたいた。
「悔しい。です」
嘲笑ではないはずだ。ふん、とヴィクトルは鼻をならした。琥珀色が明後日にそれた。
「……でなくては、ならんのだろうな」
「はい?」
「喧伝もなく、歓喜もない……至れたとして驕るようでは、元来及ばんところなのだろう」
夏風に押し流されてゆく、唸り声であった。
ふいとヴィクトルの視線は、彼の手もとの手紙に戻る。風と木の葉が囁くのを待って、ゼンはまたみずからきりだした。
「話、というのは、これですか?」
「……いいや」
言うわりに、おだまりさんなのだ。常のことではあるが、よっぽど何かためらうらしい。
「では、その手紙?使徒であるとか?」
「これは……私信だ」
「家族?」
「そうだ。今に関わりはない」
暗に、詳しく話す気はないのだと。ヴィクトルの手の内に、手紙はたたまれた。
「……身元であれば、それらしいものが割れた」使徒のことである。必要な顔がそろうときに、「おって伝えよう」
居場所は杳としてつかめない。
「然り……これもせねばならんな」
いま行く先の話である。土地の名前なら、ゼンはすこし覚えておいた。
「やはり"采配と力の地"へ?」すなわちシュワルコフ領都であった。
「第一候補だ。領境に異常はない」
そして方針の話である。
「待ちですか」
「我慢比べは、大いにありうる」
人相書きがあるとはいっても、潜伏場所には事欠かない。エウロピア内と仮定こそして、「次」とはいつになるのやら。
「半年……」ヴィクトルはいう。「様子をうかがう気でいる」あまり音沙汰無いようであれば、「隙を見て、"無二の水瓶"ないし"賢狼の裾"へ……」順にジガヴェスタ、ダンコヨーテ領都である。
「それか、"月の抱きし所"に拠を移す」
ゼンのまだ知らない場所だった。
「ダンコヨーテの旧領都にあたる」
三日月旧都、とも呼ばれるそうだ。
「事が片付けば……故郷へ帰る」
あらためて知れたように、西の最果て――ドラッドネルトの港町に、ヴィクトルの用はない。
「半年というのは?」ゼンは訊ねる。なにか目算があるのだろうか。
「勘だ」
言い切った。
「百八十日。みじかくないです」もはや計算に指はいらない。
「……討ち損ねた使徒と、三年越しに見えたことがある。生涯をかけて追う者さえいる」
「生涯……」
ゼンは短慮を恥じいるばかりであった。まずもって、あった機会をみすみす逃した。
――あの時、僕が荷物じゃなければ……。
ヴィクトルはついぞ言わないが、誰の失態かは明らかだ。
そして待つことを強いられている。
ヴァンガードの回復にあてるうちは、根気も保つだろう。しかしその後は?
「此度の使徒は異質だ」
ヴィクトルは森の切れ端の、西へと続く道を睨んだ。あるいは気遣いだった。
「事はさほど遠い将来ではあるまい」だから半年、勘ばかりでもない。「そうでなくば、アレが起きるのをいくらも待った」
「……なるほど」
公国騎士には、公国騎士なりの機動のすべがあるそうだが、領都でなくてはありつけない。隊の試算をきくに、まさにむかって二、三週間。山路や迂回路がうんぬんであるから、相応の時間を食う。これに急ぐのだ。
裏をかえすと間に合えば、更なる仲間を期待できる。
なにしろこの地はエウロピア、"統括騎士"とはなにも、ヴィクトルひとりの肩書きではない。
――ヤツをひとりでいかせるな……。
けれどヴァンガードはくりかえした。急ぐ道中の安全ばかりを懸念したのか?
わかる節と、わからない節が、ゼンにはある。
"ヴィクトル・サンドバーン"にくらいつける戦士というのは、ひょっとこの星にさほど多くない。
――たとえ"統括騎士"でもわからない。そういうこと……?
続く者こそあって、並べる者が皆無ならば、いつまでたっても騎士はひとりだ。ヴィクトルの横には、しばらくヴァンガードが並んでいた。ふたたび、ひとりになりつつある。
アレにひとりでたちむかってはならない。ヴィクトルのとなりを――"白鎧"をもって託されたのだと、ゼンは解釈する。
「一緒に待ちます、いくらでも」
ゆえ宣言した。たとえどれだけ待つことになっても、ヴィクトルをひとりにしてはならない。三年むこうが無為に過ぎるようなら、それからまた考えよう。
「わからんぞ。言ったな、あるいは一生涯……」
「信じるべき勘です」
「……ふん」
不愛想な相槌には、あたたかい笑い声がかぶさった。みなもとは湖畔の方であった。散歩をたのしむのだろう、馬車主夫妻の大小の影がある。ふたりの姿に気を取られ、ゼンは見逃した。ヴィクトルはどんな顔であったのか。
「……だが何のために?」
お前の戦う動機は。
聖国はずっと遠のくぞ。
そういう意味だ。やはり、ゼンはヴィクトルを見ないままでいた。
仮眠をおえて荷台をくだったイトーを、サルヴァトレスがつかまえた。昼の仕度の雑用係だ。
道ばたにはフランをみた。エマの面倒を代わってもらったのであった。ダルタニエンもいあわせて、ブラシを教えてくれている。こちらまで、くすくすわらいが頬をなぜた。
答えならそこここにある。
「……つまらん事を訊いたな」
大事な話だが、これも本題ではなかった。とくに文句はない。待つのはゼンの常である。
「……呼びたてた訳だが」
「はい!」
少年ぶりに、はっとみた。
「剣を磨く気が、まだ有るか」
どういう意味だ。むろんである。しかしわざわざ訊くのであるから。
「……教えてくれますか!」
手のひらでヴィクトルは制したが、およそ肯定とかわらない。
「ふたつ懸念がある。これは譲れん」
誰にも剣は授けない。ヴィクトルはかつて言ったのだった。
かたくなさを、今日になってひるがえしたのはなぜか?思いつかないくらいに、ゼンはもう夢中であった。よけいにがっかりする。
「ひとつ。俺の剣は、お前に向かない」
「……むきませんか、守る剣が?」
「やや異なる。お前に向かんのは"守護剣"だ」思案もまもない。「その特性はもう承知だろう」
歴史を軽く学んだだけだ。より「適任者」にと、ヴァンガードがゆだねたものだから、ゼンはくわしく知らないのである。けれど戦場でほんのかいま見て、そこから洞察するに。
「待つ剣技」
強さのための制約を、強者はふつう、ひた隠しにする。
「敵に先制させることで……特別な力を、ハッキできる?」
「左様」ヴィクトルは食い気味に頷いた。「守護剣とは静の剣である。お前に向くのは、動の剣だ」
対となる、流派のことを言うのであった。
「"熾烈剣"?」
「であれば、容易くモノにするだろう」
「……具体をしりません」
「少年なりの使徒をみたな」フィルデーのことだ。「未熟だが、アレは熾烈剣士だった」
舞踏のような足さばき、速さを活かし翻弄する。好機とおもわせ"誘い"であり、悪手とおもわせ攻めさせない。極まる剣士の打ちざまは、まぼろしを実感させる。
「闘争本能、野生の直感……思うがまま、をよく活かす」
フィルデーの獰猛な剣を、ゼンはまざまざと思い出せた。
むきだしの殺気、とどまることをしらない暴力性。たしかに野性味というのにあふれていた。
「逆算できるな、守護剣を」
忍耐強さ。好機に焦れない強い意志。必要とあらば、どこまでも忍ぶ。
「理性の剣だ」唸り声である。
得意と、好きと、可能性。ぜんぶ別々のものだった。
ゼンは、待つことならできる。待たざるを得ない日々を、過ごしてきたからまちがいない。
けれどまったく好きではない。待たずにすむなら、待たないのがいい。
戦いでなんて、もってのほかだ。さっさと終わらせてしまいたい。
「お前の向きは……熾烈剣だ」
陽の射し方で、影の落ち方はかわるもの。そうでないのなら。
――やろうぜ、って聞けてもよかったはず。
ヴァンガードとの真実だった。
「……もしも守護剣を半端に学べば、お前は何にも至れない」
ヴィクトルも親切心なのだ。なにより。
「"星の理"ですね」ゼンは覚えている。「"万能不到"。僕らはよくばれない」
「そうだ……」
守護剣に対抗するために、熾烈剣は誕生した。対するさまとは磨き合いであり、水と油の剣術なのだ。
選択の時である。悔いがあってはならない。
「守護剣こそ、騎士の剣では……?」ゼンの牽制は、まじないごとのようである。
「歴史の話だ」ヴィクトルは難なく受け流す。「熾烈剣を擁する公国騎士も、当代には多い」
ひと思いにゼンは踏み込んだ。
「才能、僕にはありませんか?」
受けて立つのに、ヴィクトルはしぶそうだ。
「さいていげんを、モノになるまで、そんなにかかりますか」
もっと押し込む。長い膠着を予期したものだが。
「一年」
すぐさまはね返された。
「それで平凡な守護剣士にはなれる」
ひと呼吸、つくなら今だ。
平凡、ヴィクトルの言うそれが、いかほどなのか見当がつかない。はっきりとゼンが感じるのは、一年とは、とても長くて、とても短い、ということである。
戦場を変えよう。
「……もうひとつのケネンとは?」
こんどのしかめっ面こそ、沈黙の予兆であった。
きらめく水面と、そよぐ緑の深い影、はざまにゼンの見当が追いつく。
「分別、ですね」
それを生かすか殺すかだ。話し合いは片付いていなかった。
「……左様」
「誓えます。もう独善の為にふるわないと」
「よせ」かなりきびしい声音であった。「不要だ」"誓い"を信じるヴィクトルだからだ。「お前が鎧を得た日には、守護剣を授けよう――既にとりつけた者がいる」
その人物はもう馬車にいない。
「妄言だった。懸念は、実にひとつきりだ」
騎士は、なで肩で息をつくと、しずかに立ち上がった。気だるそうにも見えるかの左前の立ち方は、どんな城壁よりも堅固に、背後のすべてを守り抜く。
「……どうする」
「追います。たとえ、うしろ歩きでも」
「選ぶのだな。守護剣を」
みおろす琥珀色に、もはや他意はない。ただ決意をのぞんでいる。
「はいッ!」
考えてものは言ったのだが。
「あ、その……フランと、相談を要りますが」
「そうだろうな」
時の課題が、ぽつりぽつりだ。
使徒の出現。守護剣の獲得。ヴァンガードの回復。
――"商隊"との別れ……。
どれがはやいかわからない。騎士とゆく道を同じくするなら、海をみるとき、ひょっと黒馬車はそばにない。
「剣はもう手に馴染んだか」
ヴァンガードの一振りをよこしたのは、ほかでもないヴィクトルであった。
「手落としはしません」
「稽古となれば、手は選ばんぞ」
まさかほんとうに「うしろ歩き」とは、さしものゼンも思わないでいた。




