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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:シュワルコフ領
52/100

52.進め 下


 瞼のうらをくすぐられる。どこだか威張ったまぶしさだった。

「んん……」

 首をよじるとやわらかい。もっとうずもれてみる。このままでいたい。

 やがて我慢ができなくなった。

 しようがなく、熱をおびた目頭をこする。

 うすく見やる。

 はためく窓掛け(カーテン)が肌色だ。

 格子の窓はひらいている。風が遊びに来るたびに、お日様が顔をのぞかせる。


 知らない寝台だ。


 むこうに林の樹々をみた。ぬれていて、なぜかなつかしい。まどろみながら覚えたのだろう。

 ながく息をすう。吐きだした。

 けだるいからだを起こしてみてから、フランの寝息にようやく気がつく。

 窓とは反対側である。椅子にかけたはいいものの、疲れてしまったらしかった。


 ――そんなかっこじゃ、風邪ひいちゃうよ。


 こちらとあちらに寝台はある。フランはこちらに突っ伏していた。きっとあちらが正しい寝床だ。

 あとは小机に水差しがある、とても清潔な宿だった。

 フランをそっと抱き上げると、ちょうど窓掛けが膨らんで、夏の匂いが溢れかえった。

 草いきれ、しめった土。

 あとからわかる。

 身も心も冷たくしたあのざんざん雨は、雨季の終わりを告げる雨。

 恵みの雨であった。


 ――そうだッ、ヴァンガード……!


 フランを横にしてやって、ゼンは部屋から飛び出した。




 ---




「過労です」

 つっけんどんな町医者だった。何度も言わすな、とは、わざとらしいため息にふくませる。つくや否や、「では往診があるので」と、そそくさ出かけた。宿とおもえて、医院であった。

「過労……」

 つかれすぎ、ということらしい。シュワルコフ人医師の王国語でも、訛りがどうこう、ゼンはもはや聞き違えない。

 ともかく死んではいないという。

 ヴァンガードは、まだ生きている。

「だったらどうして、目覚めないの……」

 個室を用意されていた。ぐったりと寝て、生気がない。あるべき闘気を感じない。やはりむくろのようである。

「どこも悪くない……そうでしょう?」

 "商隊"がほぼそろっていた。フランは別室、ヴィクトルは所用、サルヴァトレスは病人食をこしらえている。疑問にはまず、イトーがこたえた。

「すくなくとも、肉体的な損傷は認められないとのことです」

「おこせないの、お医者の技でも」

「疲労てぇなら、そういうもんだ」ハウプトマンは元軍人だ。それも最先端の軍にいたが、不休でいられる兵士をみない。「人であるかぎり、休むべきときはくる」

 イトーはこんな話もした。

「ご存知でしょう?シェリフマック・ドールランを」

 むしろ納得したものだ。アメイジアでも、それは知られた名前だという。

「休息なしで、人はどれだけ道を行けるのか?比較実験に彼は参加しました」

 体力自慢の男がつどった。じゅうぶんな術師を用意して、つど痛むところを治してやる。

 筋疲労、神経疲労、そうしたものは癒せるようで、最終的な前進効率はかわらない。人には人の距離があり、正規の休息を省いたぶん、いずれ相応に脚を止める。逃れられる人はいない。

『ねむくてねむくて、まいったよ』

 二千キロルを不休で踏破し、おおあくびをするシェリフマックが、保健の教科書に載っている。三日かけ、三日ねむったそうな。

「あくまで仮説になりますが……」

 魔法理による回復術は、回復法にかかわらず、その身に宿る力を、前借りしているだけなのだ。

 魔法理医療が確立されても、緊急時をのぞく使用には、医学界も消極的である。不透明な予後が危険だからだ。

 実例からして、つじつまはあう。

 けれどこれらを是とする場合、回避できない疑問がまたある。

「前借り、と簡単に言いましたが……はて、いったいそれは()()()()()?」

 とりわけ生理学的な検証は首をかしげる。ヒトが認知しうる領域に、貸し借りを許す余地はない。

 ゼンはもどかしい思いをした。適切な答えを、もう知る気がするのに、喉につっかえて出てこない。これまた奇妙だ。


 ――……イトーも知らないことなのに?


 過剰な消耗は、つよい眠気をひきおこす。実際、人はねむりに落ちる。ひとまず確かなことだった。

「いつになったら、起きるかな」

「"ドゥファスのみぞ知る"、だな。診療記録(カルテ)まで奴が目を通せばだが」

 額縁にはいった学位の証明、それから表彰状を、ゼンもみかけた。主治医は、王国で学んだ町医者なのだ。

 愛想と腕前は相関しない。シュワルコフ領も辺境で、"診察眼"にありつけた。実技的に長けた医師のみが行使できる、一級医療魔術にあたる。セイミツキカイなみの精度で、さまざまな異常を感知できるという。

 それでなお断言した、過労だと。

「ちゃんと目覚めるよね……?」

「もちろん」イトーが知るはずもないけれど。「何と言っても、彼はヴァンガード・アーテルですよ。信じましょう」

 こればかり、ゼンもそうだと思いたかった。

 男の筋肉質な腕から、つたった(くだ)を指でたどる。

 点滴だ。

 ブドウ糖だの、電解質だの。飲まず食わずでも、何か月かはもつらしい。

 何か月か。

 ずっと目覚めなかったなら?

 みんなで詰め寄せるのに、わびしい病室だった。




 ---



 

 "魔法の居間(リビング)"がやたら久しい。たまご粥を円卓(ちゃぶ台)でいただきながら、少年少女は出来事を共有する。

 ダルタニエンに助けられてから、丸一日が経っていた。その間、ねむりこける"抜け道"組の容態を、さんざ訊ねたものだから、医者も"商隊"を煙たがるはずだった。

「ハメられたのさ、(よー)は」

 "抜け道"を言った女性について、やっと"商隊"は不自然に思う。

「我々は本気で信じていたのです。最善手であると……」

 大人たちが言うのだから、それでいいのだとゼンも盲信した。反省である。

「合流予定日になってようやくさね、胸騒ぎったらないよ」

 ハウプトマンは外しているが、陣頭指揮はむろん彼がとった。

 地図をあらいなおし、あらゆる有事――"抜け道"組の遭難、怪我、最悪の事態までを考慮。手順を周知し捜索を開始。できるだけのことをした。

「ダルが近くて助かった……」

「ちょうど目立って、よかったよぉ!」

 "光鎚"がしるしになったのだ。

「ヴィックはけっきょく、盾の首飾りを……?」

 "抜け道"組の発見そのほかをしらせるのに、また二次遭難さけるため、町の狼煙台(ほうかだい)を借用した。

 重要な情報伝達手段・防衛設備である。

 金さえあれば、で、どうこうならない。統括騎士の"盾"の威光だ。「すまないが、連れが――」一声唸れば、むしろ捜索隊の志願がなされたほどだった。

 軽率に頼りたくはない。森も深まれば、人々にとって命がけになる。

「あと半日遅ければ、協力を正式に要請したでしょう」

 ものの見方だが、「余計な」犠牲はださずにすんだ。

「あの女ァ、次がありゃ腱をかっ切って、奈落につき落としてやら」

「意外におかんむりですね」

「そりゃ(てめぇ)によ」サルヴァトレスは机をはじく。「唆されたなぁ、フツフツきやがる。他人のを借りて"目には目を"さ」心中はふかくはかりかねるが。「別段、ヴァンガ(ヤツ)ードの為じゃねぇ」口では言う。

 ジニーはまだ不思議そうだった。

「妙な技だよ。人心掌握……」

 出がけにメモを託したか?とゼンは訊ねてみるも、やはりおぼえがないようだった。くだんの女性の仕業であろうか。"使徒"かどうかはわからない。しかし驚異的な魔術師である。

「他人の意志に干渉し、行動までを操れる……それもこれだけの人数相手に。まるで"魔法使い"じゃないか」

 言葉についてすこし補おう。

 魔法理への干渉を、おのれの矛とする者たちは、慣用的に"魔術師"と呼ばれる。

「魔法使い」とは呼ばれない。

 特別さ、をふくむ意味でそれは、"勇者"に通ずる肩書きだからだ。うらとおもてで、(つい)とみなせもする。

 星は遠くともはっきりしている。空はあるのかわからない。"魔法使い"こそ空にあたる。

 情報を、可能なかぎり精錬すると、実在がほぼ確からしいのは三名。それぞれ仇名がついている。


 "光の導き手"、"砂漠の翁"、"東方の賢者"である。


 人の形を取りながら、人にありあまる力をもって、人ならざる視点で生きる者たち。いにしえからの伝承が、彼ら不老不死だとほのめかす。(せかい)の真理をわかちあい、人の世を支えるために、何らか役目を分担するらしい。

 らしい、らしい、かもしれない、だ。

 うわさはつきない。たとえば。

 不老不死などありえない。"魔法使い"とはあくまで、"魔導称号"に似したものだ、とみなす「継承される称号説」。

 肥大したかの肩書きは、仮託された実績の結晶にすぎないとする「はりぼて説」。

 根拠の多寡をとわず、一部から熱狂的な支持を得続ける「ドゥファス=魔法使い説」。

 悪いうわさは、もっとそれらしい。

 この星に魔物を創り出したのは、ほかならぬ魔法使いではないか?「魔物創造主説」

 人に悪さをする"魔女"たちは、魔法使いの弟子だった。彼女らは放逐されたのだ。「なれはて説」

 はたまた、魔法使いこそ、じつは魔女だ。「同視説」

 もろもろ統べて、ひとつ確か()()()のは。 

 "魔法使い"を前提に語るとき、ありえない、というのはどうにも、ありえない。


「正体なんた正味お呼びじゃねぇ」サルヴァトレスだった。「坊主が光んなきゃ、三人ともくたばってた。だろ?」

 "光の鎧"がなければ終い。とんでもない話である。

「……ま。仇討つってんなら、お()のがスジか」

 なでくりまわすサルヴァトレスに、ゼンはあいまいに頷くのだった。思っている。

 そうだ、強いられるのはおそろしい。

 ヴァンガードの現状がどうこう、恨み節はひとまずよそう。

 誰かに気持ちを変えられて、もしも変えられたことすら気がつけないのなら、一体おのれの何を信じたらよいのか、人はわからなくなってしまう。

 あってはならないことである。

 どんなに偉大な存在だろうと、次があるなら物申さねばなるまい。

「ごちそうさまです」

 かきこんだ粥は、ちょっと塩っ気がきいていた。




 ---




 黄昏どきに、騎士は帰った。

「……伝書バトだ」

 それだけ唸って、置き物になる。気だるげな前のめり、病室の椅子であった。

 ヴァンガードのふところで、ゼンはねぼけていて。

 出かけていたのは、何の用?

 と、たずねた答えが「伝書バト」。はて、よくわからない。 

 しかめっつらに影がふかかった。そろそろ明かりを灯さねば。もぞもぞしていると、イトーがやってくる。

「非有事であることの証明と、情報収集のためですよ」

 イトーにわからぬことなどないのだ。ヴィクトルが出かけていた訳を、代わりにくわしく教えてくれる。

 この町で狼煙(のろし)をあげたのだった。ふつうは緊急有事をしるすものである。否定のために、伝書バトなり早馬なり必要で、騎士であるなら間違いがない。

 情報収集というのは、ほかならぬ"悪心の使徒"についてだ。隣町になら、おおきな"連絡所"がある。信用できる国営施設だ。

 一等級の施設であれば、"魔バト"――ハト近縁の魔獣。知的温厚ながら、鷲を蹴り殺せる巨鳥――を使役することで、かなりの情報伝達速度を有する。この町のそれだと三等級、基本は定時連絡をこなすだけ。うわさを掴むには物足りない。

 狼煙(のろし)を補足するおのれは伝書バト。伝書バトのしらせを求めてもいた。

 ヴィクトルは、一口でふたつ言った気なのだ。

 あれこれくわえて訊ねると、最小限の唸り声である。

 うわさは結局つかめたか?

「特に」

 明日も町へ?

「特別に寄越せと言ってある」

 "魔バト"のことであろう。たいへん高価で貴重な資源だが、有力な騎士にはお付きの"魔バト"がゆるされており、とくに"騎士バト"とか呼ばれている。イトーもそこまではまだ知らない。


 ヴィクトル・サンドバーン。名を呼ばれても、心ここにあらずだ。

 "湖畔の町"の激戦から、回復していてかようであった。

 強権をふるい、連絡馬をみずから駆って、許されるだけ耳をとがらす。ずっと気がかりだったにちがいない。

 使徒の策謀が遅かれ早かれ、ともに迎え撃つ気であったのだ。

 "商隊"、もとい、拳の戦士と。

 エウロピアの地に踏み入ったとはいえ、東の果ても果てすぎだ。

 ここで立ち止まる訳にはいかない。 

 

 ――でもヴァンガードは動かせない。


 医者でなくとも、戦士ならわかる。ゼンとて何度も感じた、今もだ。

 むくろのようだ。 

 見えてしまう、死人も同然に。

「……何があった?」

 ようやく聞けた、まともな唸り声である。

 "抜け道"で何が起きたのか、知るべき人がつぶさに知らない。

「おふたりとも、夕食をいかがです?」イトーが言う。付き添いは交代でこなしていた。「ここは僕が」

 ヴィクトルは顎を持ち上げると、部屋の暗さにはっとした。それだけはりつめていたのであった。闇をおしのけるほど、深く息をつく。無言で脚をくんでしまったから、どうやら梃子でも動かない。

「待ってて、ご飯をとってきます」

「……もう休め。話は急がん」

 おもてにでると月は大きい。病室は照らしてもらえなかった。手燭もないいま、真っ暗のはずだ。

 ヴァンガードの目覚めを、騎士は夜通し待ったらしい。




 ---




 医者がぶつくさ言っていた。

 敷地の黒馬車が邪魔くさいのだと。

 たしかに無賃駐車であったから、然るべき対価をご用意すると、文句は出ないようだった。

 金、金、金だ。

 剣とおなじくらい、人を沈黙させうる武器だ。

 "商隊"がいま求めるものだ。

 ヴァンガードの点滴代が馬鹿にならない。

「寝かせるだけで暴利(ボリ)やがって」サルヴァトレスの鼻息はあらい。「朝晩見るだけ治しゃしめぇヤブが」

 医者にきこえている。もとより顔色の悪いお人だが、いい顔はしない。

「左様ですか、でしたら宿に?病床が空いて助かります」すげないものだ。「なおさら死人は治せませんがね」

 このあたり、ゼンは駆けつけたのであった。脅されたととってひどく慌てた。

 かいつまんで聞くと、「金がないなら、ほっぽりだすぞ」そりゃたまらない。

 泣きつくのが少年だから、不愛想な職業人も多少はたじろいだ。そしてもっともなことを言う。

 なせるだけの手当てはなすとも。けれど資材はあるところにしかなく、タダでというのは不可能だ。何よりひとりきりでやる医院であるから、つききりの看護など非現実的。

 正しい医者だった。少年が涙ぐむのもあって、"商隊"はさっと出せるだけ支払いをくわえた。

 ところで勘定してみると、隊費が底をつきそうだ。ゼンが道中はたらいた余分が、ここで生きている。なお足りない。

 なにせ大所帯であった。宿代が"魔法の居間(リビング)"で浮くにしたって、不動の黒馬車で商いはままならない。食う寝るだけではみるみる溶ける。

 金、金、金だ。それがいるとき、どこを頼るか、冒険者なら流儀があった。

 冒険者組合である。

 この町にもある。国内だから、正規のそれだ。ゼンは息巻いた。今なら飛竜でもかかってこい。しかし。

「……ひとつも?ひとつもないのですか?依頼が?」

 受付嬢はにこにこしていた。

「いつもならね?森のオオカミさんが元気になる季節だから、ほかの魔物さんも顔を出すんだけれど、今年はみんな静かみたいだよ~。どうしてだろうね?」

 がらんとしたちいさな組合に、可愛いぼうやが遊びに来たとみて、やさしく教えてくれたのだった。

 これには困ったものである。

 だぶつく外注戦力が、冒険者なのだ。必要とされるほど、近隣の治安はいま悪くない。奇しくも何という町だった。

 "平穏満ちる町"である。

 来る旅人には訳をききたい。

 辺境の、静かな町であった。交通の要衝でもなし。市場もない。見どころは、最大限に解釈しても、せいぜい"尾山"のながめだけ。

 人口は"火の神の村"とどっこい。四方を森にかこまれて見通しはきかないが、侵入予防型の結界で守られている。

 こうなると、みずから出向くべきか。

 狩りだ。

 毛皮や羽根や肉などを、生活組合ごしに売ってみる――?

 すずめの涙だろう。

 腹はふくれるかもしれないが、くわしい森でもない。もぐってすぐさま大猟はむりだ。


 ――ありえないかな。とつぜん、()()があらわれたり……。


 ()ぎる邪念に、ゼンはかぶりを振った。

 誰かの不幸をねがったのだ。

 見張りやぐらの当番は、行きも帰りも同じ兵士たち。たとえば大欠伸をして暇そうな、あの青年。もしも本当に飛竜があらわれたなら、"商隊"はよくても、彼は死ぬだろう。

 よからぬ思いを、陽は焼いた。"頭領"のくれた胸のかさぶたが、ちりちりとした。


 医院の待合室が、昼間の拠点であった。

「よわりましたね……」

 顛末をきいてイトーは言う。彼に頼るのはまだはやい。

 サルヴァトレスならどうだろう?

「屋台だァ……?たかがしれてら」

 とにかく小さな町なのだ。

 ダルタニエンと狩りならできるが。

「走ったぶんで、とんとんだぁ……」

「そうだよね……」

 出稼ぎにいくべきだろう。

 となりの東部関所町、"尾山のもと町"なら仕事も期待できる。それならそれで。

 

 誰が行く?誰が残る?男の付き添いは?


 行くも留まるもみなでは無理だ。

「関所町には、我が国の銀行支店も。いざとならば……」

 イトーが"とっておき"を言いかけた、そのとき。

「おい……おい!」

 迫り来る、唸り声である。血相をかえて、いかめしい。角をのぞいて言い放つ。

()()()()()

 朗報だった。




 ---




「どこも痛まんのでしょう?ほらね」

 聴診器というやつは、よほど物がよくきこえるらしい。

「当分はまぁ点滴(それ)だ」

 医者は早々に立ち去った。


 ヴァンガードが目覚めている。

 目覚めたといって、目はややうつろ。嚥下(えんげ)は不可能。ぴくりとも身をよじれない。

 かききえそうな囁き声で、とだえとだえに、男は強がった。

   

 ――さすがの俺も、死んだと思った。


 あげる口角はふるえているが、ヴァンガードの笑みであった。

 少年少女がえんえん泣いた。大人たちもそれなりにつられた。

 ひょっと出稼ぎを急ぐから、てばやくいきさつを告げると。

 

 ――あるよ、へそくり。


 隊の裁量で全部使えと、ありかを男はささやいた。時間をかけて聞くに、それはもう大金である。なにもかもを補って、すくなくともひと月の猶予ができる。

「遠慮なく使うぞ」「もちろん無駄なく」

 ハウプトマンとイトーは勘定にはけた。

「祝い飯だな!おめーの分はねぇけどよ、がはは」仕度に去った。サルヴァトレスは素直でないのだ。

「食べれるようになるまでに、森をおぼえて、たくさん獲るよ!」ダルタニエンは狩りへ出かけた。

「ほら、挨拶をし。ねぼすけさんまだつかれてるって……明日も起きるんだろう?」ジニーが少年少女を世話して。

「…………」

 まだ居残るのが、ヴィクトルだった。

 

 ――急ぐとこ悪いね。


「……数日は留まれるだろう」

 まぶたを震わせて、ねたきりの男は何かを数えた。


 ――もう満月か。


「……もはや案ずるところはないな」

 奇跡的だった。去ろうとする騎士の背を、ヴァンガードは呼び止める。


 ――ヴィー。


 はためく窓掛けにも()される声だ。


 ――なったぞ。


 ヴィクトルははっと振り向いた。病床に耳をよせようとする。


 ――光の騎士に。


「……何?」

 問いただそうにも、男はふたたびねむっていた。

 



 ---




 ヴァンガードには介護が要った。

 目覚めて四日でまだ動けない。

 つききりでゼンは面倒をみた。

 おおきな体はむずかしかったが、苦楽でいえば、楽しいまである。

 今朝がた、指先が動くようになったのだ。首だって、ちょっとよじってみせた。

 気分転換に外すのは、朝の自主稽古と、依頼掲示板を冷やかす散歩くらい。ほとんど、ねむる男をじっと見守り、目覚めるたびちょっとおしゃべりをした。それだって、だいぶ達者になった。


 ――ありゃ夢じゃなかったか。


「うん、でも夢みたいだった」

 "光の鎧"のことである。いくつか"みやげ"を残すだけ、光の中に溶けていった。

 知る、知らない違和感も、日が経つたびにうすれつつある。そうあるべきなのだ。


 ――機転が利いたね……"祝福"とは。


「ひょっとしたら『彼』に頼ったけど……」

 "精霊"のことである。

「『彼』はいなかった。自分で選んだんだ」


 ――……誰だって?


「……おかしく思われるから、ほんとは内緒なんだよ」ゼンは前のめりになって、気持ちささやいた。「でも、ヴァンガードならいいよね?ときどき、頭の中で声が聞こえるんだ。いつも大事な何かを教えてくれる」

 男は唇をもにょりとさせた。


 ――……しまったな。


 ゼンは様子をうかがった。


 ――訊くんじゃなかった。


「なぜ?」


 ――そりゃ"精霊の夢"さ。


 あとでジニーに訊くといい。そんなようなことを、男は言った気がする。つづきは、これまでなくはっきりときこえた。

「ゼン」

「なあに?」


 ――進め。


「え?」

 怪訝におもって、ゼンは目を細める。


 ――先へ進むんだ。


 聞き間違いではない。そうだろうとも。  


 ――やつをひとりにしちゃならない。


 またさだかなことだ。ヴィクトルのことである。

 けれど、すぐさまゼンは頷けなかった。もはや男はねむってしまって、こたえるべき相手もいなかった。

「僕だって、はやくいきたいよ……でも」

 備えなしなどありえない。

「今のまま、ヴァンをおいてはいけない……」 

 金、金、金だ。とにかく金だ。

 誰かが工面しなければ。

 たくわえはのこり、ひと月ぶんにも満たない。存分に活用したとして、この男が、自分のケツを自分でふけるようになるか?一週間で指先も満足にひらかず、ものの数分のおしゃべりで力尽きる、いまの彼が?

 あやしい。

 それも先の読めない"商隊"ではない。やるべきことなら進めている。




 ---




 朝雨馬に鞍を置け。騎士はひとりで行こうとした。満月を、雲が覆った明け方の、振り出す小雨のなかだった。

 これといった挨拶もない。

 せいぜい"魔法の居間(リビング)"へ一言、不明瞭な唸り声を投げかけたくらいだ。借りた馬にもう跨っていた。

(おいおいおい!)

 ハウプトマンの大声を、ゼンは病室からきいた。窓をあけはなつ。顔を出す。 

 行く行かせないの問答である。

「もはや国内、俺には終着といっていい。大変世話になった」騎士なりにまくしたてる。「……夜番の都合は悪いが」

 立ちはだかる、ハウプトマンとて知るはずだ。ゼンも思っている。ヴィクトルをひとりで行かせるな。

 けれど行かせぬ術がない。

 ヴァンガードが今朝、早起きでよかった。

「……どうした」

「おはよっ、あのね……」

 男は理解がはやいのだ。 

「集めてくれ……みんなを」

 朝雨は、じき止んだ。


 "商隊"が病床にあつまった。せめて一言挨拶を、と強いて、ヴィクトルも連れてきた。

「行け、"商隊"」

 ヴァンガードはほそぼそと言う。

「俺は誓って、あとから追いつく」

 ようやくのていで、指をさす。

「ひとりで、いかせちゃ、ならん」

 さされているのが、ヴィクトルだ。唸った。

「貴様のケツを誰が拭く」

 くすりと笑えなくもない。実際、ゼンが拭いていた。部屋の空気も多少なごんだ。

「すぐに動ける、ようになる。あとはわかるだろう?」

 金の工面の方を、ヴァンガードは言っている。

 強がりだ。

 これは儀式のようなものだった。

「いいんだな」ハウプトマンが代表した。

「ああ」

 根回しはもう終えてあった。

 医者をうなずかせる術があった。


 ヴァンガードはここに置いていく。


「西の最果て……」

 ヴァンガードはきたない言葉遣いだ。

「港町、それまでには」

 走って追いつく、とは言わないが。

「約束だね?」

「約束だ」

 ゼンは信じた。一週間で二千キロル超。シェリフマックにできるなら、ヴァンガードにもできていい。


 男が放り出されずすむように、滞りがあってはならない。まして知らない善意に頼ってもならない。

 金、金、金だ。

 契約のあかしだ。

 ゼンがまかなうのがスジだった。

 平穏の満ちるこの町に、ふさわしい仕事はふってこないが、金目のものなら持っていた。

 実父の贈り物であった。

 三つのうち、二つの封が空いている。人助けに費やすのだから、きっと褒めてくれるだろう。

 ひとつは金塊。隊費にあてた。

 ふたつめが"原石"。これが肝心の金目のものだ。

 けれど「金目のもの」では、医者も困った。換金のために、黒馬車は走った。

 となり町にある銀行では、金品の鑑定もおこなえる。イトーが物を言ってくれた。サルヴァトレスも目を光らせた。

 結果えられたのが、信用だ。

 すぐさま金貨とはままならなかった。"原石"の価値が高すぎたのだ。相応しいだけかき集めるには、大銀行にも時間がかかる。

 手に負えないほど高いなら、なおさら医者はしぶるかもしれない。

「……公用語では、なんていうのかな」

 先んじて、ゼンはイトーに訊いたのである。

「"担保"って?」

 老商人のくれた知恵だ。

 交渉は、言葉のためにイトーをはさむが、発案者はもちろんゼンである。

「治療費はいずれ、ヴァンガ()ードがみずから支払います。よくなれば、それはもう満額間違いなく。

 けれど、どれだけかかるかわからない。お金も時間も、不安でしょう?僕らもだ。担保として、原石(これ)は役立つはずです」

「と、この少年は言っています。

 鑑定書およびケンジ・イ(わたし)トー名義の保証人署名を、こちらにご用意いたしました。

 支払い分が不足するころには、"原石"を対価に、銀行から費用を引き出せるようになるでしょう。総額およそ一千万連邦通貨(オール)。領都の城から大公も立ち退く。それから――」

「先生は、ひとりだからいけない。ちがいますか?」

「人を雇うべきだ。失礼ながら、あなたこそ過労で倒れますよ」

 (きん)のかがやきは、しばしば人をくらませる。これほどない、悪心のつけこみどころである。

 つっけんどんな町医者を、無条件に信じたはずがない。

 

 それはにぎやかな医院であった。


 平穏の満ちる町である。エウロピアも東の果ての、ド辺境、くそ田舎。

 なのに、やたらと多い宿は立派だ。みかける旅人の顔ぶれは、昨日と今日とでさまざまだ。なぜか?


 アメイジアで学んだ医師がいる。


 すれちがう、町人町人いうのであった。

 あそこは名医だ。ありがたい医者だ。

 もっと稼げるやりようがあるのに、拠点を故郷においたのだった。

 弧大陸の大横断が、冒険なのは知れたところだ。留学なぞ命がけである。少なくとも「行き」に、保証はない。

 おのれの利益をほっぽりだして、命をかけても、なすべきをなす。人種があるなら――?多くは言うまい。信じはしても疑うまい。

 "誓い"で、ことはたりていた。

 "原石"は、安全のため"商隊"が行きがけ、銀行に預ける手はずであった。横取りするには軍隊が要る。

 

 ことの顛末を"商隊"は、ヴァンガードに黙っておくことにした。癒すべきときに、よけいな心配はしないでいい。

 今にかぎっての話だが、すごんだところでリスにも勝てない。そんな男に、進め、と言われて、いやいや進む訳でもなかった。


 ――それをしたいから、僕らはする。 


 ヴィクトルをひとりにさせてはならない。 

 悪心を知ったいま、ゼンにはよくわかるのだった。

 アレに、ひとりでむかってはならない。

 みずから選んだ最善手である。覚悟があった。しばしお別れの時である。


 きょろりと、青いひとみをめぐらせて、男は挨拶をこなしていった。

「すまないね。とんだ、新婚旅行で」

「これが醍醐味さ」ハウプトマンは笑顔だ。「最後じゃないんだ」ジニーも笑顔だ。「しめっぽいのはなしさね」

「ああ、また」 

「待ってるぞ」

 馬車主夫妻が退室した。おろすべき男の荷があった。

 ダルタニエンはここ数日で、あたりの森をだいぶ覚えたらしい。

「せっかく……肉をやまほど、用意してくれたって?」

「へいき~、みんなで食べるもの!」

「でっかいのをまた、一緒にとろう」

「いいのを見つけたら、教えるよ!」

 ダルタニエンが退室した。彼には馬車の準備があった。

「とーぶん点滴(コイツ)か?味気ねぇな、え?」サルヴァトレスはさいごまでからかう。

「ああ、頬をねぶるのも飽きてきた」

「ビョーイン食ってぇな、ロクなもんじゃないらしいぜ」

「おどすなよ」

「へへ、せいぜい腹空かせとけ」

「善処する」

 サルヴァトレスが退室した。ダルタニエンがしこたま獲った肉を、誰かがさばいてやらねばならない。

「しばらく、まかせても?」ヴァンガードは、少年少女をちらとみてから、あてるべき視線をイトーにもどした。「俺の分まで」

「誓って、最大限を尽くしましょう」

 イトーが退室した。彼の本分はその知性にある。

「さびしいです」

「俺もだよ。ふたりでよく、支えあってな」

「はい……!」

 フランはすぐには退室しない。ゼンを待った。

「お別れなのに、悪いな」力んでも、男の腕はあがらない。「なんにもしてやれなくて」

「いいんだ」

 ゼンは男の手をとって、思い出を一言でまとめた。

「心強かった」もっと思いつく。「きっとこれから、そばに居なくても」

 男は、ちょっと意地悪な笑顔ができた。

「であいがしらは、怖かったろう?」

「ばれてた」

 ふふ、とわらいあって。

「誓いはたがえん。どんな誓いも」

「待ってるよ、西の最果てで」

 少年少女が退室した。ふたりは来たる戦いに、肩書きなりの備えが要った。

 名だたる騎士が、ひとり残った。過去のあやふやな大男にとって、もっとも古い友人だった。

「……聞いたか?」

「……人伝てには」

「俺は目にした……」

「…………」

 沈黙にあてつけて、大男はひととき、覇気をとりもどしたかに思えた。身を起こすさまを、騎士は錯覚する。

「なぁ、ヴィー!」

 寝たまま、息も絶え絶えである。それももっとも大声で。

「ヴィクトル・ヴォルフ・サンドバーン!」

 忌み名までをとなえた。

「誓え。お前の剣を、授けると……!」

 ふー、と大男はうなる。静けさがある。時間の問題だ。

「……誓おう。俺の守護剣を、ゼン・イージスに、授けると」

 唸り声である。

 "商隊"がみな、退室しおえた。のこされた男は、もうねむっている。

 誰も後ろを振り返らない。


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