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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:統べ手無き土地
49/106

49.混濁


 その夜も、僕は彼を夢にみた。

「フランはさ……また戦うの?」

 とじた瞼をゆったりひらいて、少女はひとまずこたえるのだった。少年は、みなまで言った。

「悪心と出遭ったら」

 まったくしずかな"魔法空間(リビング)"である。あかりはとっくに消えていた。

「ええ、きっと……それが私の使命ですから」

「そう……」

 大人はやさしくしかってくれる。夜に子どもは寝なくちゃならない。

 だれも少年少女をしからない。

 偶然なんだろう。

 逃げていいんだよ、子どもなんだから。長耳はそっと伝えたが、少年少女はきかなかった。あの戦いも、僕はみていた。

「私ひとりじゃ、むずかしいことですけれど……」


 わがまま、きいてもらえますか?


 少女の願いに、うんと答えた少年は、それがいくつめなのかを、かぞえた。ふたつめだ。

『私のわがままを聞いてもらいます』

 そうして他人の傷から癒した。

 清浄な雪をたたえる銀杯は、そこにあるのかわからない。彼女の本性なんだろう。

「おやすみ、フラン……」

「おやすみなさい、ゼン」

 なんて悲しい生きがいだ。

 僕が思うから、彼も思ったはず。


 まったくしずかな"魔法空間(リビング)"である。彼らが"冷凍庫"とか呼ぶそれも、人の眠りたいこんな夜分に、うんうん唸ったりはしない。吸収冷却式だろうか?たいした技術樹系(テックツリー)だった。

 人の心にも、進化はあるのか。

 目捷(もくしょう)の間に栄えて滅びて、僕らは彼らになれるのか。


 少年には父親がいる。義父を得たとて、道をゆくことが生きがいだ。

 少女に血族はない。 

 そんなはずがない。

 人の子には人の親がいる。のっぴきならない事情があって、彼女は親を知らないだけだ。と僕は思っている。

 いない者とは出会えない。そうして事実を嘆かずに、彼女は至上としてとおす。

 "聖巡礼(Pilgrimage)"。

 正体をたぶん、僕はつきとめた。道ゆくさながらの利他行をいう。

 おぞましい信仰だ。

 少年は思いつかずいた。なにぶん幼かったし、じぶんの生き方に懸命で、実際には手いっぱいだった。

 "悪心"、アレを知るまでは。

 よかれ"聖巡礼"のまっとうが、少年の目指す「再会」に相当する喜びだとして、()()()()少女はそれをしたいのだ。

 まず我が身をまもれ。命をまもれ。

 いささかの拡大解釈をして、素直な少年は、素直にこたえた。

 恩返しの域をでやしない。なにより彼女を守りたい。ならばやれるだけやってる。

 大人たちが正体を濁したがるアレに、立ち向かうのを正しく選んだ。


 守手の彼は思いにふける。のぞんだ平穏な夜だった。"魔法空間(リビング)"、ひいて"商隊"は、少年少女の"聖域"だった。

 彼らを脅かす影はない。こうして身の安全にしばられない夜、人は哲学を手に入れたのだろう。


 気高き大人のふるまいに、いわれた守手の役割に、感化がないならうそになる。

 けれど少女は助けたい。

 これは絶対にぜったい、ほんものだ。

 すると"分別"がチラついた。

 つぎは殺せるのか、人の形をしたソレを?


 ――やっつけるって、どうするの。


 殺さずにすむ者を殺した。縄にかける手間が省けたよ。土地の人々に、じつのところ、むしろ歓迎されたが。

『見よ!ここに悪魔がいる』と、彼は言いました。

 規定され、枷ははずれていない。心のおもてに押し出せない。

 少年は、光の騎士の夢を見るのだ。

 悪魔だ、それをさしおいたとて。


 ――僕の力で、フランを守れる?


 真の騎士とやらがいた。

 ばかげた拳士は頼れる義父だ

 彼らの拓く道にすがれば、なにもしくじらず済むのだろう。


 ――それでいいの……?


 やりたいこと、やるべきこと、やれること。

 だいたい僕らは、ちぐはぐで悩む。

 気持ちに、肩書き、いまの在り方、少年にとってのそれぞれだ。絡みあっては、つっかえる。めざす矢印はおんなじはずで、うまく合成できやしない。


 ――哲学に解法はない。こいつが君に届けばいいが。


 明日には国境らしい。




 ---




 東に"悪心"あり。と、人々は知っているらしかった。伝達の術がなんにせよ、大陸道を貸しきれて、"商隊"は西まではやかった。

 馬車馬たちは毛色もみださず、十日はかかると見た道を、ものの三日で踏破する。あの戦いから、すなわち三日だ。

 はやいだけいい。

 追う者がいる。目指す者がいる。

 けれど旅ながら身を癒すのに、三日というのは存外たりない。

 夜に眠れる子どもはましだ。食う寝るだけでせいいっぱい、見栄からゼンは昼番についても、うつらうつらとしてしまう。"時駆け"だから無事ですんだ。

 大きな彼らの負担たるや。一見ふだんと変わらずに、のそいのである、なにかにつけて。

 町を出て二日は、夜襲があった。魔物のそれしき、ダルタニエンがいてくれる。それはそれとてたたき起こされる。

 ヴァンガードの稽古がお休みだった。ゼンはいっしょに昼寝した。

 ヴィクトルはもっと無口になった。座っているのに、寝ているんだか、起きているんだか。お昼ご飯は?と訊いてみても。

「…………何か言ったか?」

 めんどうそ~な唸り声である。できるだけ静かにしてやった。彼にはあとが控えている。


 大の戦士らの休息を思い、いまだに静かな"魔法の居間(リビング)"に、その喧騒はしみわたった。

 車輪をとめた黒馬車は、ざわざわと、つつみこまれている。

(おや……)イトーは"薄灰色"にいた。

(もう国境なの?)もしも居眠りしてしまったら、ゼンは起こしてもらう気でいた。

(いえ、おそらくは……)

 どんな訳でしょうね?わかっていそうな、イトーはひそり。"商隊"の思いやりで、ゼンは力を取り戻せていた。昼番だったらはたしてやろう。黒馬車の屋根に身をひるがえす。もっとも剣呑さのない喧騒だった。

「すごい人だかり……」

 大陸道に、馬車がずらりだ。すぐ目前からつらなって、先頭などは、ありんこである。

 ぐるりひらけていた。人馬が散らばり、天幕がたつ。屋台だろうか?商売っ気な呼び声だ――ああ、町のにおいがする。

 もはや街道町だった。

(フランもみてみる?)

(ええ!)

 逆さにのぞいた"薄灰色"から、ゼンはフランをとりあげた。ふたりで屋根から観覧すると、イトーもおもてにでてきてくれる。

「いつもこんななの?」

「特別かと。訳は察せるところですが」

 御者のハウプトマンがやってきて、イトーにちょっとめくばせをした。中からサルヴァトレス、ダルタニエン、ジニーも出てきて、一言二言かわして散る。つまり馬車番をまかされたのだ。

「結界、みたいなものですね?国境(くにざかい)って」

「たしかに、人の定めた概念ですから。けれどここにはしるしがあります」イトーはあたりを指さした。「"さなか"よりずっと見てとれる」

 右手が北で、左手が南だ。真正面の小山脈が、"統べ手無き土地"も西の果て、エウロピア国境。イトーは言う。

「"星へと至る丘"も最東端にあたりましょうか。たしかここらの名称は……地図が要りますね」

 "丘"とは呼ぶが、山脈の名だ。エウロピア域の北西端からを、かこってそびえるそれである。もっとも高いところでは、息が苦しくなるという。

 "天に瞬く星々へ、逃れようとする不遜な者らを、我らが星はのろうのだ"――昔は信じられていた。標高、酸素分圧が云々、イトーならくわしく教えてくれる。

 平たさにはあきた道だった。立派な山を間近でみるのは、少年少女はかぞえるほどで、いざ。"偉大なる霊峰"……?かわいいものだ。


 ――"御許"にいる間は、バカみたく……。


 あっ、とゼンは思考を断ちきる。いけない。まちがっても口にしたら、イトーの眉毛を変につりあげる。あとのお小言でサルヴァトレスがすねる。なんでぇ俺ばっか、旦那だってよ!

「そうそう、"東のほうの尾山"でした」

 イトーが"薄灰色"にひろげる地図を、少年少女も降りてのぞんだ。山のふしぶしには、気どった書体で名がふられている。

「山脈全体を、ひとつの巨竜にみたてるのですね。その"尾"であると」

 "尾山"の一画を貫いた、谷間がここら唯一の関所だ。

 じきに、散っていた大人たちが帰る。情報をあつめていたのだった。ハウプトマンから言う。

「やはり検問だ」

 悪心の使徒のせいである。とは、"商隊"だけが知れていた。

()()()じゃあ、どうにかなるめぇ」袖の下をサルヴァトレスは言うのだ。「面通しにゃ最長ひと月。もち、ドンケツが俺らさ」

「すごすだけなら、へいきだけれど……」食いもの屋台もいろとりどりで、ダルタニエンはきめかねそうだ。

「ずいぶん、にぎやかだ?」

 寝起きのヴァンガードであった。"薄灰色"を窮屈そうに、やっとおもてへ出てくると、胸をひらいて大あくび。ひととおり目をつむりながらきいた。

「しまったね!」青い瞳を片方ひらいた。「これこそチェチェックさんに頼みゃよかった」

 脇をゆうゆうとすり抜けられたのだ、旅客身分証(パスポート)さえそろっていれば。

 私はどこの誰々です。しるしはこれこれ、こんなかんじです。頭のてっぺんからつまさきまで、本人にまちがいありません。

 と、"誓約"にもとづくなんら証明物である。形態はお国柄になるが、それの前では、どんな変装も偽名も無力。

 金さえ払えばあとはお好きに――"さなか"はだいぶ田舎であった。不安がる少年少女を、ヴァンガードはなぐさめる。

「できたての仕組みさ、もってるやつのが少ないよ」

 王国人、王国人に準ずるもの、また公国の有力者のほか通さない。現状は、なかばの国境封鎖といえた。

「ヤツらのいどころにせよ、さて……」

 使徒のことだった。ハウプトマンのひとりごとに、"商隊"は緊張する。

 とっくにどこかで追い越せた?

 あるいは、むこうのごった返しに? 

 "蹄減らし"を使ったという。前か後ろか、もはや途方もない。

 予見されるのはただ有事、いるべき者よ、いるべきところに。万人の願いのはずである。

「連中のことだ、やりすごせても不思議はない。ヴィーだってたぶん……」騎士はまだねむっている。「歯がゆいが、待つほかない。わかったうえで備えてる」

 悪人に"(しるし)"はないのである。

「つってもこのフン詰まりでよ」サルヴァトレスは首をならした。「行かすのか?俺らた別で」

 単騎で駆るにも消耗だ。どうにかともにゆけないか、"商隊"は、騎士にとっても"聖域"であれる。そうとも、聖域。サルヴァトレスはわるだくみをした。

「どうでェ、()に隠しちまえば」

 手間がかかるのはガキどもだけだ、置いてっちまえ。とは、とうぜん言わない。

「あるだろう、生体感知が?」ハウプトマンは目をつむった。

「丁か半かさ」

「ひどい博打だね」ヴァンガードは無精ひげをかく。

魔法理(まほーり)的には、姉御?」みなジニーをみた。

「保証はできないねぇ……」

 "聖域"とはいえ、看破されかねない。そのときはもう大変だ。

「んじゃー、旦那の首飾り」サルヴァトレスはなんでも手早い。

「うーん、そいつが現実的か……」

 できることなら、避けたいけれど。ヴァンガードのつくため息に、少年少女が共感していた。

 公国の誇る騎士たる大騎士、その盾のしるしを掲げれば、木っぱ衛兵は平伏する――可能性が高い。

「しかし……」イトーが補足する。「統括騎士の権威とは、権力とはまた異なるとも。全てがまかり通るかは」

「試すにゃタダさ」

 いよいよ、少年少女がいやな顔をした。

()()()()()がきらいだから……ヴィクトルは隠してるんだよね?」

 あの帰り路だから、まだ唸り声をきけた。

 "盾"のしるしとは、決意のあかし。偉ぶるためにあるのではない。

 もちろん、少年少女のためだときけば、彼はうなずくかもしれないが。

「お願いしづらいです……」

「うん……」

 なによりヴィクトルはねむっていた。仕事をはたしてつかれていた。たたき起こして、便所についてきてほしい、とは実父にだってはばかられる。せめて親友ならわからない。

「そうさな、ここら人目も多いぶん、多少は安心できるだろう?もうちょい休ませてやるとして」うんうん、少年少女はうなずいた。「次に目覚めたら俺が――」

「ううん、僕らで言う」「ヴァンはついててください」

「よしきた」

 これで、今できることはすましたろうか。"商隊"はおのおのを見やった。

「じゃ、残るは気晴らしか!」

 ものの見方である。

 秤がしるしのシュワルコフ旗と、公国兵士とおぼしき兜が、それなりのかず見えていた。もしも「なにか」がここらであるなら、彼らが味方だ。用心のため馬車番だけは欠かさずに、"商隊"は行楽につとめることとする。

「銭この臭いがぷんぷんしやがる!」昼の仕事がなくなったので、サルヴァトレスはやる気であった。ダルタニエンをひっつかまえて、近場の森でなにか獲らすらしい。

「つまみ食いぶん返上しやがれってんだ!」「ああ!さきに!ぼくの!ごはん~……!」

 次にみる"薄灰色"は食べもの屋台かもしれない。

 馬車主夫妻とイトーが、先々の相談にのこった。最悪、隊費はたりるだろうか?

「心配しなさんなって」

 少年少女がむこうをめざすのに、ヴァンガードが()()()であった。

 その馬車に、はたして乗ってもよいものなのか。

 大の両手になでられて、少年少女はそれぞれかさねた。いつぞや、おんなじように思った。

 もちろん、今では信じている。置き去りにされるはずがない。

 それはそれ。

 いらぬ迷惑をかけたくない。

 心配するなと、大人はきっと繰り返す。だから浮かないでいるほかない。勝手になってしまうのだ。"気の持ちようならだれでも騎士"だが、思いたいように思えるひとは、たぶん、そんなに多くはない。

 せめて少年は話題をみつくろう。

「もう、昼寝は平気そう?」

「おう、俺ってば寝つきがいいからね!」

 肝の据わった男であった。魔物が来る、とはやく勘付きながら、夜襲のぎりぎりまで眠れる。際どい線で起きるのに、"商隊"だから、とっくに誰かがやっつけている。

 それでまた、ぐーすか寝に落ちる。

 ひとり旅からのクセらしい。

 少年少女はからかえない。気がつきもせず、ぐっすりだった。

「どうだい、稽古も再開するかい」

「うん、人目がなければね」

 こんな調子である。心配はヴィクトルだった。

「やっぱり大変だったのですね。私たちを守ってくれて……」

 すさまじい強度の魔法理を、騎士は何度でもはじき返した。

「あれも業だが、"必殺剣"がこたえたのさ。並みの剣士じゃ立ってられない、たった一発からでもね」

 三度それを振り、全ての脅威を凌ぎきり、まだ戦えると本気で唸った。"統括騎士"なだけあって、ヴィクトルもどこかおかしいのである。

「もうそろ戻ってよかろうが、神経質なタチだから悪いね」

 塵芥魔物をいわない。寝込みに使徒が現れたなら?彼はいつでもそなえていたのだ。昼夜をとわず敵襲とあらば、変わらずまっさき飛び出でたという。

 単に寝るだけでいられぬ夜が、どれほど心身をくらうことか。ゼンにはだいぶおぼえがあった。"商隊"だから抜けつつあって、代わる誰かがいてくれただけだ。

「心配しなさんなって」

「言うと思ったよ」

 がやがやと、かりそめの町にまぎれる間近、何者か、背後をかるく駆け寄ってきた。「イトーだ」迎えて四人となる。

「どうだい先生?"三人寄らばみなしも賢者"だ」

「ふぅ、よく言いますね!ひとまず腹ごしらえですよ」うちとけたふうに、イトーは肩をすくめ。「検問まで誰かを送ろうかと」

「たしかに!これだけの車列だものな」 

「ええ、竜尾竜頭で鱗はちがう」

「あは!案外みーんな、思い込むばかの待ちぼうけかもな?」

 そうだといいなと見合わせて、ゼンはフランの手をとった。はぐれないようにするためだ。あいた方では、ヴァンガードの腰帯(ベルト)をつかむ。

 目新しくて、わくわくできる、なかなかの混雑具合であった。大陸道をうめる荷台の、隙間を人々はいきかった。気の利かない主人を持つ馬車馬は、繋がれたままでご機嫌ななめ。便所というのは彼らにないから、鼻の鳴らし方も考えようだ。商機をみたり道ばたの屋台は、お祭り価格でおもてなし。果物、肉串、豆のスープ、麺類、ちょっとめずらしい甘菓子が気になる。ドンと構えた生活用品店には笑えた。ともしび油に、水浴びがわりのキツい香水――国内の商人だろうと、イトーは見立てる。かたや、道のど真ん中に荷台をひらくのは、関税を前にさばく魂胆だ。それから、技まで売っている。散髪屋、靴磨き、占い師に出張鍛冶屋。

「もう根が生えてるよ」

「楽しそうですね!」フランはふくみなく言ったのだが。

「夜になったら、賭場も出るかな?拳闘だったらしめたもんだ」ヴァンガードは悪いのだ。「剣道場だってありえるか?」

 ゼンはイトーの出方をみた。

「するといよいよ柵が立ち、門が立ち……」「街道町のできあがり!」

 なるほど、モノの復習をとった。ひとだまりから町になる。"統べ手無き土地"ならありうる話だ。

「さすがに公国が近すぎますかね」

 近場を一巡してたのしんで、よさげな店を思い思いに挙げてみる。

 それじゃあ、あっちに戻ろうか。と、ちょうど東を振り向いたとき。

 猛り馬のいななきを聞く。

 わっ!と、人混みの音の圧。かん高い悲鳴。どよどよと伝播する。

「おっとこいつは」

 刃傷沙汰ではあるまいな。大男を穂先にして、四人は野次馬をかき分けた。拳闘場じみてひらけたさなか、さいしょに思わぬ人をみた。

「どうどう、どう……!」

 ダルタニエンだ。

 サルヴァトレスとはどうしたのだろう?食いかけの肉串を足元にほかって彼は、暴れ馬をしずめにかかっていた。事情の前にゼンは加勢する。

「ゼンくん!いいとこに!」

 問題の馬はダルタニエンの巨体に夢中だが――かわいそうに――こんな騒々しさで落ち着けやしない。

「みなさん、どいて!この子どかします!」

 ひらけた場所を探しもとめて、ゼンはそのあとを見ていない。ただ血の臭いがした。


「イトー!お嬢さんとこっちに!」

 流血に、フランはすくまなかった。

「ああ、あなたぁ、あなたぁ!」

「奥さんいけない!ゆするんじゃ!」

 ヴァンガードがひょいと引き離すのは、齧歯獣頭の夫人であった。たぶん海狸(ビーバー)だ。旦那のほうも同じしるしで、蹄にやられたのであろう、額がぱっくりかち割れている。

「イトー?」フランは一緒にかがみこむ。指先に火をともす。

「意識混濁も自発呼吸あり。頭部裂傷、頭蓋骨骨折、瞳孔……不同で、もっとあかりを」「はい」「……対光反射鈍化、よろしくない」

 重症なのは診るまでもない。一刻を争う、と言っている。

「医者はいないか!医療術師!」とりまく人々に ヴァンガードが叫んでいた。

 おねがいします、おねがいします。夫人がしょぼしょぼむせび泣くのに、大小、人の目、獣の目、無情にながめているだけだ。取り囲むのに、視線はあわない。

 フランもイトーとそれをみていた。救える術なら持っていた。

(治癒の……)(待て、お嬢さん!)

 ヴァンガードはにらむ。少年のような異能がなくとも、視線で意志を伝えあえた。


 ――人目が多すぎる。

 ――でも、このままじゃ……!


 境界を飛び出てくる人がいる。なかば転げた、裕福そうな只人だ。

「ウチの馬車だぞ、なにしてる!」厄介ばかりが増えるのだ。「うっ!?」

 説明をもっとご所望だろうか。暴れ馬の主人とみうけられるその男は、光景に青ざめた。聴衆からむしろ嫌な視線をあびて。

「悪さしたんだろ!?あんたらが!さては馬泥棒だなっ」

 今度はビーバー夫妻が悪くみられる。ふんぞりかえる馬車主は、とうとつにこけた。尻を蹴とばされたのであった。

「つべこべうっせェ!こーいう訳だ、ひっぺがすぞ!」

 どこからともなくサルヴァトレスだ。むしろ馬車主を連れてきたのやも。いまにヴァンガードが引き裂く幌布は、人目をよけるのに要った。

「もっと離れて!医療術式と干渉します!」

 いかにも私が行使者です、もっともらしくイトーは叫んだ。簡単な解毒・消毒、止血、縫合がなせるくらいで、高等な外科手術の資格なぞもたない。

「たっぱのあるアンタ、これ持て!ほれ、そっちのアンちゃんも!ほかぁ散れ散れ!野次馬料とッぞ!」

 サルヴァトレスが采配していた。ヴァンガードは馬車主の背に立ちつつ、とりのこされたビーバー夫人をやさしくつかまえる。機をみてささやく。

(ご夫人、誓えるか。なにも詮索しないと)

「なんだって誓います!どうか主人をたすけてぇぇ」

 布にまるく囲われたなかに、あかりの係りの少女はいた。


 クーネル・ドゥファスは定義した。物理的に、再現なるならそれは魔術、ままならないならそれは魔法。

 いわゆる医療術式は、外科的処置を省略できるが、あくまで物理に忠実だから、どんなに発達したとして、不可逆的な損傷は回復できない。

 "治癒の神秘"はちがう。それは魔法だ。

 受傷から猶予二十六時間、およそ二十四時間につき一度、手をかざせるだけの至近、把握するだけの容態にかぎり、「もと通り」にすることができる。

 いかにでも悪用できてしまう。ものの見方だ。だから大人が身代わりになる。

「うっ……?」

「ああ!あなたぁ!」

 話ができすぎだ。と、群衆は気にしなかった。起死回生の術のひとつやふたつ、王国人には訳もなかろう。

 ただ出来事は内幕に隠されていて、感心の程度はそれなりだった。まばらな拍手と口笛が、茶色の毛並みを撫でて立ちあがる、ビーバー主人を出迎える。夫人はイトーに感激した。

「お礼のしようもございません」

「どうぞお大事に。では……」

 "商隊"は、とっとと去りたかったのに。

「こりゃ詐欺(ペテン)だ!」

 わざわざ呼び止められるのだ。

一味(グル)なんだろう!?俺からたかろうってッ!?」疑心にまみれた馬車主である。「商売道具も台無しにしやがって、懐みせやがれ!」

 誰かにとっての救いの騎士は、誰かにとっての死神となりうる。

「誓って、俺らは何も盗らない」ヴァンガードがぬっと立ちはだかった。「だがたしかに、幌は悪かったね」弁償にはあまりあるだろう、大金貨をさっとくれやると、聴衆の目は"商隊"を味方した。

「ほんとに、俺らはもう行くから」

「馬は!」

「てめーで世話しやがれ!あたりでクソして草食ってらぁ!」

 サルヴァトレスが吐いた唾を、越えてくる者はいなかった。

 やっと人混みにまぎれている。昼飯を食い損ねてしまった。

「これだからよ」なにがとは、サルヴァトレスは言わない。「損こくばっかだ」

「"重荷にあえぐその背中、支えに駆け寄る、善手か魔手か"……然り、傍目には紙一重でしょう」

「はっ、俺様もほだされたモンだ」

「よいではないですか。許されるなら」

 ダルタニエンを甘やかし、屋台を巡っているところ、サルヴァトレスも居合わせたのだった。

「落ち込みなさんなよ、お嬢さん」

「え、私ですか!」フランはなんでもないふうに。「ぜんぜん平気です!ご夫婦が無事でよかったです!」

 どこまでも本音なのだろう。

「ところで、ゼンはどちらまで……?」

「うん。いっぺん馬車に戻ろうか」

 はぐれた時の手順であった。いっとき東へ引き返すのを、"商隊"だけが知るはずだった。どうしてだろう、呼び止められる。


「もし、ぬしら」


 綺麗な声だ。しずかな音なのに、やけによく響く。

「おや……なんの用だい、ええと」

 抜けた人混みを背にして「彼女」は、どこかくっきり浮いていた。

 薄手の外套が、時季にはすこし暑そうだ。目深に被り、視線は覗けない。

「……お嬢さん?」

 男が首をかしげると、「彼女」は上品な仕草で笑って。

「不服じゃろうて?善行をなしてあの始末とは」

 何もかも知る口ぶりだ。 

「あんだぁ?例の連れ合いにゃみえねぇな」サルヴァトレスが前に出た。「けったくそ悪ィ野次馬が、(けぇ)ンな」

『ちと黙っておれ』

 ひらり。「彼女」が手をかざすなり、"商隊"は喋れなくなった。

『長話はせぬ』

 神妙に頷くしかできない。

『急ぐぬしらがつっかえておる。しのびないから、教えてやろう。くれぐれも内緒じゃよ』

 つむがれる言の葉が、光景となって脳裏に忍び込む。


 北西の、いまは明るい林のむこう。

 忘れられている"尾山"の山道。

 つづらに登る。わずかでいい。

 黒い"抜け道"が待っている。


『さほど保たん。日没までにゆくことじゃ』

「それじゃ、密入国……」

 ヴァンガードはあらがえた。とはいえ、つぶやき。おぼつかない。

『気にするようなことかえ?ただならぬ悪意のために、大勢が死ぬかもしれんのに。とどまる方が罪ではないか?』

 そうかもしれない。

「はてさて……"明かりが灯るか灯らぬか"」

 ひらり、たおやかな指をおどらせ「彼女」は、なにかを許すのだった。 

『話は終いじゃ』

 夢でもみていたようである。しかし「彼女」はまだそこにいた。ヴァンガードだけが、すばやく持ち直した。

「あんたこそ、使徒じゃあるまいね」語気を強くできない。

「強いて言うなら――」被りが風に靡いて、ちらとまみえる。「"光"のな」

 稲妻のごとき紫の瞳。波打つ黄金色の髪。足のすくむほど端正な相貌は、美の神が手ずから捏ねあげた人形のようである。

『今のはお忘れ、龍の子よ』

「ん……」

「誓って言おう。この物語の完成を、わしは心から祈っておる……さらばじゃ」

 どんなしるしも、もう見えない。




 ---




 ゆく道は定められていた。ゼンが黒馬車に帰るころ、大人たちは地図とにらめっこである。

「合流は……"平穏満ちる町"になりますか」イトーが納得している。

「野営具を借りるよ。二泊三日ってとこだ」ヴァンガードが荷造りにかかる。

「そっちのが先につくまであるな」ハウプトマンも勘定だ。

 むずかしい、さかい目の仕組みはわからない。けれど大人がああなのだ。きっと"抜け道"に間違いはない。誰かのねむりも煩わせずすむ。

 ゼンは担ぐ、久しぶりのずだ袋であった。"黒剣"までを持ち出したわけとは。

「よぉ、こいつで最後かもな」

 サルヴァトレスが弁当とくれた冗談だ。

「めったにないことを!」ヴァンガードは否定するが。

「稀ってこた、有るってことさ」

 これまたちがいない。黒馬車のことは信じているとも。けれど何があるかはわからない。いっときであれ離れるのなら、自分のものは自分で守ろう。ゼンの性であった。

「……そうか」

 すこし目覚めて、騎士は唸った。すぐ寝てしまうから、ほんの挨拶だけだ。

「ダル、あとをよろしくね」

「もちろん」

 山登りはエマの得意でないし、黒馬車の運行には、四脚四頭が欠かせないのだ。「もしも」があっても、ダルタニエンなら安心できた。エマは悲しそうだった。

「足の踏み場に用心深くな!」「お気をつけて!」

 ジニーのキスを多めにもらって、出発する。ゼンはまもなく不思議に思った。襟もとにメモを託されたらしい。


 其方の信ずるものを信じよ。


 と、みみずに書かれている――ジニーの()()じゃない、気がする……――であればだれが、いつの間に?

「どうかしました?」

「うん……フランは、何を信じてる?」

 あなたですよ。とは言われなかったが、にこり、とされて足りていた。


 人目を逃れるように、林へ。ちょうど"一条の道"の面々だった。

「ああ、たったひとつの抜け道だ」

 "治癒"の礼に授かったのだと、ヴァンガードはいう。

 "尾山"をのぼって汗もわずかだ。くだんの洞はすぐ見つかった。黒さを思うも束の間、むこうに光が一点みえる。なにか灯すまでないだろう。

 来た道をたしかめた。

 眼下にひろがる浅い林。もっとむこうに、馬車の行列。意外に遠くへ来たものだ。じぃっと凝らしてみても、"商隊"がどこかはわからない。あるいはとっくに入国したやも。

「調査窟かな?まだあたらしい」

 いかにも魔法理にうがたれてた。鉱物なり、地質なり、知りたがる人はいるものだ。

 うずくまる闇に、恐れるところなぞありはしない。フランの手をひき、ゼンは行く。筒が波をよく射返した。はやくも足もとが明るみだした。

 

 ――ここを出たなら、もうエウロピア?こんなとこまで、僕は来れたんだ。


 きまってそうだ。

 うまくいくぞ、と思えたそのとき、大なり小なり、不都合はおきる。

 人攫いの銃、機械の群れ。次こそ決着――"暁の鎧"。やっとの思いで"魔女の家"。

 どれもこれもが、笑い話ならよかったのだけれど。 


 フランを守るのに、ゼンはすべてを費やした。

 崩落だ。

 来た道はむろん、いま立つそこも、踏み出そうとする更なる一歩も。

 雷なみの轟音だった。ふりむく男の声が聞こえない。なにかを必死に訴えている。追ってくる、ともに落ちてくる光――夜明けをきざす、朝焼け色の……。

 ゼンの意識はそこで途絶えた。


 


 ---




 なにも見えない。

 まっくらやみだ。

 こめかみががやかましい。

 うごかない。

 からだがうごかない。

 四肢のありかがわからない。

 右の指先をおもいだす。

 ひやりと手垢の染みた布。

 剣柄だ。

 いつの間に抜いたのだろう。

 うごけ、うごけ。

 うごかない。

 脚がまったくわからない。

 まるでそこにはないみたい。

 いっそう気張ると、フランのにおいがした。

 すぐそばだ。

 ほとんど目の前?

 なのにみえない。

 わからない。

「……フラン?」

「――――!」

 音はふるえてつたわった。頬と頬とでつたわった。こんなにそばで、わからなかった。

 耳鳴りがやまない。

 左の指先をおもいだせた。

 掻いてみる。

 冷ややかだ。

 じめじめとした、砂?土? 

 なんでもいいか。

 頬がふと濡れる。

 涙……それか、血……。

 たいへんだ、フラン。けがをしてるの……?


 かがようむらさきを見た気がする。


 くらくらしていた。

 目がよく利かない。

 どうやらフランのうえに寝ていた。

 ごめんね。どかなきゃ、おもたいでしょう。

 どうして気がつかなかったんだろう。それに。


 なにをこんなに、僕はおびえてる?


 また思い出した。

 死にはにおいがある。


「ヘッヘッヘッヘッヘッハー」 


 不気味な吐息がしのびよる。やっと聞こえたものだった。

「ヒッヒッヒッヒッヒッヴー」

 ひたり、べちゃり、ひたり、べちゃり。足音なのか。

 ひたすら直感だった。執った剣は守るためにある。迫るらしいそれに突き刺した。

「ヴェアアアアッ!」

「あ"っ!?」

 知らなかった。おのれは何かに挟まれていた。()()はどうやら追い払えたが、無理な(つるぎ)のあつかいかたで、(つか)はもとより大事ななにかを、からだの芯からうしなった。

 もう全身がうごかない。

 むこうで爆ぜた薄紫色へ、不気味な吐息はむかっていった。

「ゼン?ゼン!?」

「うん……」

 声ならまだだせた。

「よかった、よかった……!」

「……フランは?へいきなの」

「あなたが、まもってくれたから……」

 だいぶ深くまで落ちたらしい。おまけに何かがかぶさっている。

「……」

 そうとうな自由落下。

 ふへんな重力。

 うしなわれた"闘気"。

 子どもの腕力で、何百キログの岩はどかせない。梃子でもあれば別だろうか。それにしたって元気な子どもだ。

 まあたらしい血へどをあじわった。

「どうにかここを……でないと、ヴァンガードがっ」

 にぶく炸裂する拳がきこえた。

 首だけならよじれる。目でもっと追う。

 はかない光だ。

 "暁の鎧"。

 ヴァンガードは、何と戦っている?

 僕も、あれと戦わなきゃならない?

 腹の奥底がきゅっとすぼんだ。

 四肢が不覚でも悪寒がはしった。たぶん鳥肌もたっただろう。


 つるぎがない。

 からだはまともにうごかない。 


 なんならある?


 恐怖があった。

 こんこんとそれはこみあげる。

 無限の恐怖だ。

 

 進めるものなら進んでみろ。それさえお前はできないだろうが。


 すべてのしるしに吐き気をもよおす。

 べちゃりぐちゃり。人体をこねくりまわすような音。ひた、ひた、ひた、ひた。徘徊する音。ヒッヒッヒッヒッヒッヴー。気味の悪い吐息。

 さいごの闘気で、おぞましいものをみてしまった。

 異形でうめつくされていた。薄紫色はうもれていた。

 ふらふらとしたり、這ったりなんなり、腐った色で、長身であって、溺れたみたいにたるんでいた。細長い四肢や全身から、するどいとげを、出したり、しまったり。


 この()に人型の魔物はいない。

 ()()()の連中だ。


 拳の英雄が殴っても、殴っても、殴っても、殴っても、殴っても、殴っても。

 たりないのである。

 再生する。再生する。再生する。それは再生する。また群がる。

 あのヴァンガードが苦戦している。


 そんな。


 むこうのにおいがキツくなった。


 穴だ。

 どこかに穴がある。


 どこもいうことをきかないクセに、ふるえているのがわかるのだった。

 こわがるな。

 と、思ってこれをやめられるなら、心臓だって意志でとめられる。

 

 絶望。というのを、辞書でひいてみたことがある。


 手の出ない神子の少女。

 苦戦する英雄。

 死にゆくおのれ。


 そうだ、おのれは死にていだ。

 つるぎはとれない。

 みうごきとれない。

 かっこうのえじき。

 

 しょぼつく視界で、あわい紫色が爆ぜた。ああして木っ端みじんにするしか、斃す手立てが見つからないのだ。

「ぐぅっ!」

 しなびた闘気で、もうみえない。苦悶の音だけでわかってしまう。

 穿たれたのは男の方だ。

 捨て身で脅威をひきつけている。

 

 クソだめの中にいる。


 さほど比喩でもない。 

 いまさらながら悟ったのだろうか、フランの嗚咽がはじまった。

 "かみあい"。それが悪ければ、英雄だって、簡単に死ねる。


 死ぬ。

 死ぬ。

 死んでしまう?


 ヴァンガードが死んでしまう。


 その次か?

 その前か?


 おのれに何ができるというのだ。

 紫色が、かがよわなくなった。


「ヒッヒッヒッヒッヒッヴー」

「ヘッヘッヘッヘッヘッハー」 


 なにもきかない。ききたくない。

 串刺しで、血祭りな男を幻視する。

 どのみちみえない。みたくない。

 まぶたでのがれようとした。


 こわい。

 

 ねむったら、ぜんぶやすらげる。

 みざる。きかざる。こたえざる。

 だれのだろう。泣き声がうるさかった。




 ---




 光のなかに、ゼンはいた。どこが輝くのかわからない、あまねく白さの、たぶん部屋だ。


 ――ここは……"先史"?


「そう。僕が招待した」

 今日ばかりその白い影は、自分と似つかぬかたちをしていた。

「や」

  

 ――……"僕"なの?


 夢をみているらしかった。何かをしばらく忘れていた。

 光。

 それから。


 ――あ、あ……。


 どっと、冷や汗が噴き出た気がする。

 助言をくれたらいいなと思った。「彼」なら助けてくれるはずだった。

「どうだろう?まずは落ち着いてみたら」

 無理だ。夢なのに、胸はおどりくるった。

「すばらしい。生のあかしだね」

 やたらと茶化す。「彼」らしくない。

「ごらんよ、うしろを」

 思う通りに、からだは動いた。

 理解のおよばぬ光景がある。

 白の一画がくりぬかれていて、支配するのは深い黒。おそろしいが、邪悪でない。それに。


 ――まんまるな……これは?


「守ろうと僕らが前へ進むと、きまって後ろにあるものさ」

 わからぬことを「彼」はいう。

(せかい)だ」

 腕にいだけるほどなのに?

「空は暗いが、地は(地球は青かった)青い。それなら君は何色だろう」

 なんの話だ。じれったい。

 

 ――ねぇ、どんなだかみてたんでしょう。おしえてよ。


「君は(つるぎ)の腕が立つ」


 ――今さらだ。


「うん、脊椎をやられてしまった。他人のために、"治癒"はもうない。立ち上がるすべは、常人ならない」


 ――じゃあ……。


「あきらめる?」


 ――……相手は"果ての悪心"だ。


「こわいんだ」


 ――わかるもんか。君は知らない……!僕だって、こうなるまでは……。


「ないはずの心臓は、いまも躍ってる?わかるとも、気持ち悪いんだ」


 ――ヘンないじわるばかり。いつもの君と別人だ。


「そうだろうか。僕はなにかを授けたかもしれない。が、何かするのはいつでも君だ。君を救えるのは、いつだって"君"だけだった」


 ――……キベンだ。


「情報強度保存則は遵守されている」

 呪文のように「彼」はとなえた。

「いいかい?たまたまなんだ、この夢は。無理くり割り込める場所が、ここしかなかった。僕が感傷に浸りたいがための蛮行で、けれど結果を変えない。だから許された」

 ねむたくなってきた。

「要は、君がキミとする問答に、君は勝手に答えを出してる」

 むこうに戻るのがただこわい。

「ほんのわずかでも、猶予があるのに?きみはいつだって怠らなかった。許されるなら、いつだって……」

 時計の針は鳴らないでいた。どれだけすぎたかわからない。


 ――……なんにもないよ、僕にはもう。


「やーい、嘘つき!」

 ない。は、ある、と定義できるのだ。ある、と思う心があるうちは。

「ホントは思いついてるくせに」


 ――……僕は生きてる。かろうじて。


「そう、大事な部品(パーツ)がまだ動いてる」


 ――それから、あれを、試してない……。


「君は()()()()

 腕時計をみる仕草を、「彼」はした。

「出目がいい。知るべきときに知るべきものを、居合わせるべきとき居るべきものを。西を選べば東からやってくる」

 光の空間が粒子と化してゆく。闇へとかえるときなのだ。

「うん、だいぶ満喫させてもらった。これで僕にとってはホントのさよなら。だが、君にとってはわからないな」

 たがいの名前を知るはずがない。それなのに「彼」は言った気がする。 

「然るべき日にまた会おう、善の盾たる人よ(ゼンノタテタルヒトヨ)




 ---




 だれだろう。

 ねむりを呼び覚ますのは。

 おわりはすぐそこ。

 自分でわかる。


 …………。


 どうして泣くの。

 その名をよぶの。


 ひらめく炎が、まぶたをわった。


 フラン?そこにまだいるんだね。


 おもいだしたよ。

 泣かないで。

 僕になにもかもくれた人。


 僕だってこわい。

 こわいよ。

 だけど……。


 死なせない。君だけは死なせない。




 ---




 なそうと思えばなせてしまう、かの少年の悲しき性であった。すくなくとも、僕はそう思う。

 戦うという選択。

 守るのだという信念。

 救うのだという決意。

 闘志を再びふるいたたせ、一振りの(つるぎ)を、彼はみつけた。

 闇にまぎれて、しかしある。実父ののこした"夜空の剣"は、崩落の前後で健在だった。

 ただ懲らしめるだけの闘争に、きっとむかない刃だが、確かにそれは剣であった。

「フラン」

 思ったよりも声はちいさい。

「あっ……!ゼン、生きて、生きてっ……!」

 決定的な頭部裂傷が、永遠のねむりへ秒読みをはじめている。

「まだ……しんじて、る?」

「はいっ」

 泣き腫らすだけで手が出ない、少女も歯がゆかっただろう。ただ少年にはまだ自由があった。


火床(ほど)(はし)深紅(しんく)煌策(こうさく)


 一日一度のとっておき。

 もはやうごかない右の掌に、そろりそろりと剣柄をおさめた。利口な彼は目視した。


 かもしれない。

 は、あってはならない。

 避けられるなら、あってはならない。

 だから悔しくてたまらない。

 けれど。

 三際十方に、それがたったひとつの道だというなら。

 

「僕に"祝福"を」


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