49.混濁
その夜も、僕は彼を夢にみた。
「フランはさ……また戦うの?」
とじた瞼をゆったりひらいて、少女はひとまずこたえるのだった。少年は、みなまで言った。
「悪心と出遭ったら」
まったくしずかな"魔法空間"である。あかりはとっくに消えていた。
「ええ、きっと……それが私の使命ですから」
「そう……」
大人はやさしくしかってくれる。夜に子どもは寝なくちゃならない。
だれも少年少女をしからない。
偶然なんだろう。
逃げていいんだよ、子どもなんだから。長耳はそっと伝えたが、少年少女はきかなかった。あの戦いも、僕はみていた。
「私ひとりじゃ、むずかしいことですけれど……」
わがまま、きいてもらえますか?
少女の願いに、うんと答えた少年は、それがいくつめなのかを、かぞえた。ふたつめだ。
『私のわがままを聞いてもらいます』
そうして他人の傷から癒した。
清浄な雪をたたえる銀杯は、そこにあるのかわからない。彼女の本性なんだろう。
「おやすみ、フラン……」
「おやすみなさい、ゼン」
なんて悲しい生きがいだ。
僕が思うから、彼も思ったはず。
まったくしずかな"魔法空間"である。彼らが"冷凍庫"とか呼ぶそれも、人の眠りたいこんな夜分に、うんうん唸ったりはしない。吸収冷却式だろうか?たいした技術樹系だった。
人の心にも、進化はあるのか。
目捷の間に栄えて滅びて、僕らは彼らになれるのか。
少年には父親がいる。義父を得たとて、道をゆくことが生きがいだ。
少女に血族はない。
そんなはずがない。
人の子には人の親がいる。のっぴきならない事情があって、彼女は親を知らないだけだ。と僕は思っている。
いない者とは出会えない。そうして事実を嘆かずに、彼女は至上としてとおす。
"聖巡礼"。
正体をたぶん、僕はつきとめた。道ゆくさながらの利他行をいう。
おぞましい信仰だ。
少年は思いつかずいた。なにぶん幼かったし、じぶんの生き方に懸命で、実際には手いっぱいだった。
"悪心"、アレを知るまでは。
よかれ"聖巡礼"のまっとうが、少年の目指す「再会」に相当する喜びだとして、どうして少女はそれをしたいのだ。
まず我が身をまもれ。命をまもれ。
いささかの拡大解釈をして、素直な少年は、素直にこたえた。
恩返しの域をでやしない。なにより彼女を守りたい。ならばやれるだけやってる。
大人たちが正体を濁したがるアレに、立ち向かうのを正しく選んだ。
守手の彼は思いにふける。のぞんだ平穏な夜だった。"魔法空間"、ひいて"商隊"は、少年少女の"聖域"だった。
彼らを脅かす影はない。こうして身の安全にしばられない夜、人は哲学を手に入れたのだろう。
気高き大人のふるまいに、いわれた守手の役割に、感化がないならうそになる。
けれど少女は助けたい。
これは絶対にぜったい、ほんものだ。
すると"分別"がチラついた。
つぎは殺せるのか、人の形をしたソレを?
――やっつけるって、どうするの。
殺さずにすむ者を殺した。縄にかける手間が省けたよ。土地の人々に、じつのところ、むしろ歓迎されたが。
『見よ!ここに悪魔がいる』と、彼は言いました。
規定され、枷ははずれていない。心のおもてに押し出せない。
少年は、光の騎士の夢を見るのだ。
悪魔だ、それをさしおいたとて。
――僕の力で、フランを守れる?
真の騎士とやらがいた。
ばかげた拳士は頼れる義父だ
彼らの拓く道にすがれば、なにもしくじらず済むのだろう。
――それでいいの……?
やりたいこと、やるべきこと、やれること。
だいたい僕らは、ちぐはぐで悩む。
気持ちに、肩書き、いまの在り方、少年にとってのそれぞれだ。絡みあっては、つっかえる。めざす矢印はおんなじはずで、うまく合成できやしない。
――哲学に解法はない。こいつが君に届けばいいが。
明日には国境らしい。
---
東に"悪心"あり。と、人々は知っているらしかった。伝達の術がなんにせよ、大陸道を貸しきれて、"商隊"は西まではやかった。
馬車馬たちは毛色もみださず、十日はかかると見た道を、ものの三日で踏破する。あの戦いから、すなわち三日だ。
はやいだけいい。
追う者がいる。目指す者がいる。
けれど旅ながら身を癒すのに、三日というのは存外たりない。
夜に眠れる子どもはましだ。食う寝るだけでせいいっぱい、見栄からゼンは昼番についても、うつらうつらとしてしまう。"時駆け"だから無事ですんだ。
大きな彼らの負担たるや。一見ふだんと変わらずに、のそいのである、なにかにつけて。
町を出て二日は、夜襲があった。魔物のそれしき、ダルタニエンがいてくれる。それはそれとてたたき起こされる。
ヴァンガードの稽古がお休みだった。ゼンはいっしょに昼寝した。
ヴィクトルはもっと無口になった。座っているのに、寝ているんだか、起きているんだか。お昼ご飯は?と訊いてみても。
「…………何か言ったか?」
めんどうそ~な唸り声である。できるだけ静かにしてやった。彼にはあとが控えている。
大の戦士らの休息を思い、いまだに静かな"魔法の居間"に、その喧騒はしみわたった。
車輪をとめた黒馬車は、ざわざわと、つつみこまれている。
(おや……)イトーは"薄灰色"にいた。
(もう国境なの?)もしも居眠りしてしまったら、ゼンは起こしてもらう気でいた。
(いえ、おそらくは……)
どんな訳でしょうね?わかっていそうな、イトーはひそり。"商隊"の思いやりで、ゼンは力を取り戻せていた。昼番だったらはたしてやろう。黒馬車の屋根に身をひるがえす。もっとも剣呑さのない喧騒だった。
「すごい人だかり……」
大陸道に、馬車がずらりだ。すぐ目前からつらなって、先頭などは、ありんこである。
ぐるりひらけていた。人馬が散らばり、天幕がたつ。屋台だろうか?商売っ気な呼び声だ――ああ、町のにおいがする。
もはや街道町だった。
(フランもみてみる?)
(ええ!)
逆さにのぞいた"薄灰色"から、ゼンはフランをとりあげた。ふたりで屋根から観覧すると、イトーもおもてにでてきてくれる。
「いつもこんななの?」
「特別かと。訳は察せるところですが」
御者のハウプトマンがやってきて、イトーにちょっとめくばせをした。中からサルヴァトレス、ダルタニエン、ジニーも出てきて、一言二言かわして散る。つまり馬車番をまかされたのだ。
「結界、みたいなものですね?国境って」
「たしかに、人の定めた概念ですから。けれどここにはしるしがあります」イトーはあたりを指さした。「"さなか"よりずっと見てとれる」
右手が北で、左手が南だ。真正面の小山脈が、"統べ手無き土地"も西の果て、エウロピア国境。イトーは言う。
「"星へと至る丘"も最東端にあたりましょうか。たしかここらの名称は……地図が要りますね」
"丘"とは呼ぶが、山脈の名だ。エウロピア域の北西端からを、かこってそびえるそれである。もっとも高いところでは、息が苦しくなるという。
"天に瞬く星々へ、逃れようとする不遜な者らを、我らが星はのろうのだ"――昔は信じられていた。標高、酸素分圧が云々、イトーならくわしく教えてくれる。
平たさにはあきた道だった。立派な山を間近でみるのは、少年少女はかぞえるほどで、いざ。"偉大なる霊峰"……?かわいいものだ。
――"御許"にいる間は、バカみたく……。
あっ、とゼンは思考を断ちきる。いけない。まちがっても口にしたら、イトーの眉毛を変につりあげる。あとのお小言でサルヴァトレスがすねる。なんでぇ俺ばっか、旦那だってよ!
「そうそう、"東のほうの尾山"でした」
イトーが"薄灰色"にひろげる地図を、少年少女も降りてのぞんだ。山のふしぶしには、気どった書体で名がふられている。
「山脈全体を、ひとつの巨竜にみたてるのですね。その"尾"であると」
"尾山"の一画を貫いた、谷間がここら唯一の関所だ。
じきに、散っていた大人たちが帰る。情報をあつめていたのだった。ハウプトマンから言う。
「やはり検問だ」
悪心の使徒のせいである。とは、"商隊"だけが知れていた。
「贈り物じゃあ、どうにかなるめぇ」袖の下をサルヴァトレスは言うのだ。「面通しにゃ最長ひと月。もち、ドンケツが俺らさ」
「すごすだけなら、へいきだけれど……」食いもの屋台もいろとりどりで、ダルタニエンはきめかねそうだ。
「ずいぶん、にぎやかだ?」
寝起きのヴァンガードであった。"薄灰色"を窮屈そうに、やっとおもてへ出てくると、胸をひらいて大あくび。ひととおり目をつむりながらきいた。
「しまったね!」青い瞳を片方ひらいた。「これこそチェチェックさんに頼みゃよかった」
脇をゆうゆうとすり抜けられたのだ、旅客身分証さえそろっていれば。
私はどこの誰々です。しるしはこれこれ、こんなかんじです。頭のてっぺんからつまさきまで、本人にまちがいありません。
と、"誓約"にもとづくなんら証明物である。形態はお国柄になるが、それの前では、どんな変装も偽名も無力。
金さえ払えばあとはお好きに――"さなか"はだいぶ田舎であった。不安がる少年少女を、ヴァンガードはなぐさめる。
「できたての仕組みさ、もってるやつのが少ないよ」
王国人、王国人に準ずるもの、また公国の有力者のほか通さない。現状は、なかばの国境封鎖といえた。
「ヤツらのいどころにせよ、さて……」
使徒のことだった。ハウプトマンのひとりごとに、"商隊"は緊張する。
とっくにどこかで追い越せた?
あるいは、むこうのごった返しに?
"蹄減らし"を使ったという。前か後ろか、もはや途方もない。
予見されるのはただ有事、いるべき者よ、いるべきところに。万人の願いのはずである。
「連中のことだ、やりすごせても不思議はない。ヴィーだってたぶん……」騎士はまだねむっている。「歯がゆいが、待つほかない。わかったうえで備えてる」
悪人に"徴"はないのである。
「つってもこのフン詰まりでよ」サルヴァトレスは首をならした。「行かすのか?俺らた別で」
単騎で駆るにも消耗だ。どうにかともにゆけないか、"商隊"は、騎士にとっても"聖域"であれる。そうとも、聖域。サルヴァトレスはわるだくみをした。
「どうでェ、中に隠しちまえば」
手間がかかるのはガキどもだけだ、置いてっちまえ。とは、とうぜん言わない。
「あるだろう、生体感知が?」ハウプトマンは目をつむった。
「丁か半かさ」
「ひどい博打だね」ヴァンガードは無精ひげをかく。
「魔法理的には、姉御?」みなジニーをみた。
「保証はできないねぇ……」
"聖域"とはいえ、看破されかねない。そのときはもう大変だ。
「んじゃー、旦那の首飾り」サルヴァトレスはなんでも手早い。
「うーん、そいつが現実的か……」
できることなら、避けたいけれど。ヴァンガードのつくため息に、少年少女が共感していた。
公国の誇る騎士たる大騎士、その盾のしるしを掲げれば、木っぱ衛兵は平伏する――可能性が高い。
「しかし……」イトーが補足する。「統括騎士の権威とは、権力とはまた異なるとも。全てがまかり通るかは」
「試すにゃタダさ」
いよいよ、少年少女がいやな顔をした。
「そういうのがきらいだから……ヴィクトルは隠してるんだよね?」
あの帰り路だから、まだ唸り声をきけた。
"盾"のしるしとは、決意のあかし。偉ぶるためにあるのではない。
もちろん、少年少女のためだときけば、彼はうなずくかもしれないが。
「お願いしづらいです……」
「うん……」
なによりヴィクトルはねむっていた。仕事をはたしてつかれていた。たたき起こして、便所についてきてほしい、とは実父にだってはばかられる。せめて親友ならわからない。
「そうさな、ここら人目も多いぶん、多少は安心できるだろう?もうちょい休ませてやるとして」うんうん、少年少女はうなずいた。「次に目覚めたら俺が――」
「ううん、僕らで言う」「ヴァンはついててください」
「よしきた」
これで、今できることはすましたろうか。"商隊"はおのおのを見やった。
「じゃ、残るは気晴らしか!」
ものの見方である。
秤がしるしのシュワルコフ旗と、公国兵士とおぼしき兜が、それなりのかず見えていた。もしも「なにか」がここらであるなら、彼らが味方だ。用心のため馬車番だけは欠かさずに、"商隊"は行楽につとめることとする。
「銭この臭いがぷんぷんしやがる!」昼の仕事がなくなったので、サルヴァトレスはやる気であった。ダルタニエンをひっつかまえて、近場の森でなにか獲らすらしい。
「つまみ食いぶん返上しやがれってんだ!」「ああ!さきに!ぼくの!ごはん~……!」
次にみる"薄灰色"は食べもの屋台かもしれない。
馬車主夫妻とイトーが、先々の相談にのこった。最悪、隊費はたりるだろうか?
「心配しなさんなって」
少年少女がむこうをめざすのに、ヴァンガードがおもりであった。
その馬車に、はたして乗ってもよいものなのか。
大の両手になでられて、少年少女はそれぞれかさねた。いつぞや、おんなじように思った。
もちろん、今では信じている。置き去りにされるはずがない。
それはそれ。
いらぬ迷惑をかけたくない。
心配するなと、大人はきっと繰り返す。だから浮かないでいるほかない。勝手になってしまうのだ。"気の持ちようならだれでも騎士"だが、思いたいように思えるひとは、たぶん、そんなに多くはない。
せめて少年は話題をみつくろう。
「もう、昼寝は平気そう?」
「おう、俺ってば寝つきがいいからね!」
肝の据わった男であった。魔物が来る、とはやく勘付きながら、夜襲のぎりぎりまで眠れる。際どい線で起きるのに、"商隊"だから、とっくに誰かがやっつけている。
それでまた、ぐーすか寝に落ちる。
ひとり旅からのクセらしい。
少年少女はからかえない。気がつきもせず、ぐっすりだった。
「どうだい、稽古も再開するかい」
「うん、人目がなければね」
こんな調子である。心配はヴィクトルだった。
「やっぱり大変だったのですね。私たちを守ってくれて……」
すさまじい強度の魔法理を、騎士は何度でもはじき返した。
「あれも業だが、"必殺剣"がこたえたのさ。並みの剣士じゃ立ってられない、たった一発からでもね」
三度それを振り、全ての脅威を凌ぎきり、まだ戦えると本気で唸った。"統括騎士"なだけあって、ヴィクトルもどこかおかしいのである。
「もうそろ戻ってよかろうが、神経質なタチだから悪いね」
塵芥魔物をいわない。寝込みに使徒が現れたなら?彼はいつでもそなえていたのだ。昼夜をとわず敵襲とあらば、変わらずまっさき飛び出でたという。
単に寝るだけでいられぬ夜が、どれほど心身をくらうことか。ゼンにはだいぶおぼえがあった。"商隊"だから抜けつつあって、代わる誰かがいてくれただけだ。
「心配しなさんなって」
「言うと思ったよ」
がやがやと、かりそめの町にまぎれる間近、何者か、背後をかるく駆け寄ってきた。「イトーだ」迎えて四人となる。
「どうだい先生?"三人寄らばみなしも賢者"だ」
「ふぅ、よく言いますね!ひとまず腹ごしらえですよ」うちとけたふうに、イトーは肩をすくめ。「検問まで誰かを送ろうかと」
「たしかに!これだけの車列だものな」
「ええ、竜尾竜頭で鱗はちがう」
「あは!案外みーんな、思い込むばかの待ちぼうけかもな?」
そうだといいなと見合わせて、ゼンはフランの手をとった。はぐれないようにするためだ。あいた方では、ヴァンガードの腰帯をつかむ。
目新しくて、わくわくできる、なかなかの混雑具合であった。大陸道をうめる荷台の、隙間を人々はいきかった。気の利かない主人を持つ馬車馬は、繋がれたままでご機嫌ななめ。便所というのは彼らにないから、鼻の鳴らし方も考えようだ。商機をみたり道ばたの屋台は、お祭り価格でおもてなし。果物、肉串、豆のスープ、麺類、ちょっとめずらしい甘菓子が気になる。ドンと構えた生活用品店には笑えた。ともしび油に、水浴びがわりのキツい香水――国内の商人だろうと、イトーは見立てる。かたや、道のど真ん中に荷台をひらくのは、関税を前にさばく魂胆だ。それから、技まで売っている。散髪屋、靴磨き、占い師に出張鍛冶屋。
「もう根が生えてるよ」
「楽しそうですね!」フランはふくみなく言ったのだが。
「夜になったら、賭場も出るかな?拳闘だったらしめたもんだ」ヴァンガードは悪いのだ。「剣道場だってありえるか?」
ゼンはイトーの出方をみた。
「するといよいよ柵が立ち、門が立ち……」「街道町のできあがり!」
なるほど、モノの復習をとった。ひとだまりから町になる。"統べ手無き土地"ならありうる話だ。
「さすがに公国が近すぎますかね」
近場を一巡してたのしんで、よさげな店を思い思いに挙げてみる。
それじゃあ、あっちに戻ろうか。と、ちょうど東を振り向いたとき。
猛り馬のいななきを聞く。
わっ!と、人混みの音の圧。かん高い悲鳴。どよどよと伝播する。
「おっとこいつは」
刃傷沙汰ではあるまいな。大男を穂先にして、四人は野次馬をかき分けた。拳闘場じみてひらけたさなか、さいしょに思わぬ人をみた。
「どうどう、どう……!」
ダルタニエンだ。
サルヴァトレスとはどうしたのだろう?食いかけの肉串を足元にほかって彼は、暴れ馬をしずめにかかっていた。事情の前にゼンは加勢する。
「ゼンくん!いいとこに!」
問題の馬はダルタニエンの巨体に夢中だが――かわいそうに――こんな騒々しさで落ち着けやしない。
「みなさん、どいて!この子どかします!」
ひらけた場所を探しもとめて、ゼンはそのあとを見ていない。ただ血の臭いがした。
「イトー!お嬢さんとこっちに!」
流血に、フランはすくまなかった。
「ああ、あなたぁ、あなたぁ!」
「奥さんいけない!ゆするんじゃ!」
ヴァンガードがひょいと引き離すのは、齧歯獣頭の夫人であった。たぶん海狸だ。旦那のほうも同じしるしで、蹄にやられたのであろう、額がぱっくりかち割れている。
「イトー?」フランは一緒にかがみこむ。指先に火をともす。
「意識混濁も自発呼吸あり。頭部裂傷、頭蓋骨骨折、瞳孔……不同で、もっとあかりを」「はい」「……対光反射鈍化、よろしくない」
重症なのは診るまでもない。一刻を争う、と言っている。
「医者はいないか!医療術師!」とりまく人々に ヴァンガードが叫んでいた。
おねがいします、おねがいします。夫人がしょぼしょぼむせび泣くのに、大小、人の目、獣の目、無情にながめているだけだ。取り囲むのに、視線はあわない。
フランもイトーとそれをみていた。救える術なら持っていた。
(治癒の……)(待て、お嬢さん!)
ヴァンガードはにらむ。少年のような異能がなくとも、視線で意志を伝えあえた。
――人目が多すぎる。
――でも、このままじゃ……!
境界を飛び出てくる人がいる。なかば転げた、裕福そうな只人だ。
「ウチの馬車だぞ、なにしてる!」厄介ばかりが増えるのだ。「うっ!?」
説明をもっとご所望だろうか。暴れ馬の主人とみうけられるその男は、光景に青ざめた。聴衆からむしろ嫌な視線をあびて。
「悪さしたんだろ!?あんたらが!さては馬泥棒だなっ」
今度はビーバー夫妻が悪くみられる。ふんぞりかえる馬車主は、とうとつにこけた。尻を蹴とばされたのであった。
「つべこべうっせェ!こーいう訳だ、ひっぺがすぞ!」
どこからともなくサルヴァトレスだ。むしろ馬車主を連れてきたのやも。いまにヴァンガードが引き裂く幌布は、人目をよけるのに要った。
「もっと離れて!医療術式と干渉します!」
いかにも私が行使者です、もっともらしくイトーは叫んだ。簡単な解毒・消毒、止血、縫合がなせるくらいで、高等な外科手術の資格なぞもたない。
「たっぱのあるアンタ、これ持て!ほれ、そっちのアンちゃんも!ほかぁ散れ散れ!野次馬料とッぞ!」
サルヴァトレスが采配していた。ヴァンガードは馬車主の背に立ちつつ、とりのこされたビーバー夫人をやさしくつかまえる。機をみてささやく。
(ご夫人、誓えるか。なにも詮索しないと)
「なんだって誓います!どうか主人をたすけてぇぇ」
布にまるく囲われたなかに、あかりの係りの少女はいた。
クーネル・ドゥファスは定義した。物理的に、再現なるならそれは魔術、ままならないならそれは魔法。
いわゆる医療術式は、外科的処置を省略できるが、あくまで物理に忠実だから、どんなに発達したとして、不可逆的な損傷は回復できない。
"治癒の神秘"はちがう。それは魔法だ。
受傷から猶予二十六時間、およそ二十四時間につき一度、手をかざせるだけの至近、把握するだけの容態にかぎり、「もと通り」にすることができる。
いかにでも悪用できてしまう。ものの見方だ。だから大人が身代わりになる。
「うっ……?」
「ああ!あなたぁ!」
話ができすぎだ。と、群衆は気にしなかった。起死回生の術のひとつやふたつ、王国人には訳もなかろう。
ただ出来事は内幕に隠されていて、感心の程度はそれなりだった。まばらな拍手と口笛が、茶色の毛並みを撫でて立ちあがる、ビーバー主人を出迎える。夫人はイトーに感激した。
「お礼のしようもございません」
「どうぞお大事に。では……」
"商隊"は、とっとと去りたかったのに。
「こりゃ詐欺だ!」
わざわざ呼び止められるのだ。
「一味なんだろう!?俺からたかろうってッ!?」疑心にまみれた馬車主である。「商売道具も台無しにしやがって、懐みせやがれ!」
誰かにとっての救いの騎士は、誰かにとっての死神となりうる。
「誓って、俺らは何も盗らない」ヴァンガードがぬっと立ちはだかった。「だがたしかに、幌は悪かったね」弁償にはあまりあるだろう、大金貨をさっとくれやると、聴衆の目は"商隊"を味方した。
「ほんとに、俺らはもう行くから」
「馬は!」
「てめーで世話しやがれ!あたりでクソして草食ってらぁ!」
サルヴァトレスが吐いた唾を、越えてくる者はいなかった。
やっと人混みにまぎれている。昼飯を食い損ねてしまった。
「これだからよ」なにがとは、サルヴァトレスは言わない。「損こくばっかだ」
「"重荷にあえぐその背中、支えに駆け寄る、善手か魔手か"……然り、傍目には紙一重でしょう」
「はっ、俺様もほだされたモンだ」
「よいではないですか。許されるなら」
ダルタニエンを甘やかし、屋台を巡っているところ、サルヴァトレスも居合わせたのだった。
「落ち込みなさんなよ、お嬢さん」
「え、私ですか!」フランはなんでもないふうに。「ぜんぜん平気です!ご夫婦が無事でよかったです!」
どこまでも本音なのだろう。
「ところで、ゼンはどちらまで……?」
「うん。いっぺん馬車に戻ろうか」
はぐれた時の手順であった。いっとき東へ引き返すのを、"商隊"だけが知るはずだった。どうしてだろう、呼び止められる。
「もし、ぬしら」
綺麗な声だ。しずかな音なのに、やけによく響く。
「おや……なんの用だい、ええと」
抜けた人混みを背にして「彼女」は、どこかくっきり浮いていた。
薄手の外套が、時季にはすこし暑そうだ。目深に被り、視線は覗けない。
「……お嬢さん?」
男が首をかしげると、「彼女」は上品な仕草で笑って。
「不服じゃろうて?善行をなしてあの始末とは」
何もかも知る口ぶりだ。
「あんだぁ?例の連れ合いにゃみえねぇな」サルヴァトレスが前に出た。「けったくそ悪ィ野次馬が、帰ンな」
『ちと黙っておれ』
ひらり。「彼女」が手をかざすなり、"商隊"は喋れなくなった。
『長話はせぬ』
神妙に頷くしかできない。
『急ぐぬしらがつっかえておる。しのびないから、教えてやろう。くれぐれも内緒じゃよ』
つむがれる言の葉が、光景となって脳裏に忍び込む。
北西の、いまは明るい林のむこう。
忘れられている"尾山"の山道。
つづらに登る。わずかでいい。
黒い"抜け道"が待っている。
『さほど保たん。日没までにゆくことじゃ』
「それじゃ、密入国……」
ヴァンガードはあらがえた。とはいえ、つぶやき。おぼつかない。
『気にするようなことかえ?ただならぬ悪意のために、大勢が死ぬかもしれんのに。とどまる方が罪ではないか?』
そうかもしれない。
「はてさて……"明かりが灯るか灯らぬか"」
ひらり、たおやかな指をおどらせ「彼女」は、なにかを許すのだった。
『話は終いじゃ』
夢でもみていたようである。しかし「彼女」はまだそこにいた。ヴァンガードだけが、すばやく持ち直した。
「あんたこそ、使徒じゃあるまいね」語気を強くできない。
「強いて言うなら――」被りが風に靡いて、ちらとまみえる。「"光"のな」
稲妻のごとき紫の瞳。波打つ黄金色の髪。足のすくむほど端正な相貌は、美の神が手ずから捏ねあげた人形のようである。
『今のはお忘れ、龍の子よ』
「ん……」
「誓って言おう。この物語の完成を、わしは心から祈っておる……さらばじゃ」
どんなしるしも、もう見えない。
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ゆく道は定められていた。ゼンが黒馬車に帰るころ、大人たちは地図とにらめっこである。
「合流は……"平穏満ちる町"になりますか」イトーが納得している。
「野営具を借りるよ。二泊三日ってとこだ」ヴァンガードが荷造りにかかる。
「そっちのが先につくまであるな」ハウプトマンも勘定だ。
むずかしい、さかい目の仕組みはわからない。けれど大人がああなのだ。きっと"抜け道"に間違いはない。誰かのねむりも煩わせずすむ。
ゼンは担ぐ、久しぶりのずだ袋であった。"黒剣"までを持ち出したわけとは。
「よぉ、こいつで最後かもな」
サルヴァトレスが弁当とくれた冗談だ。
「めったにないことを!」ヴァンガードは否定するが。
「稀ってこた、有るってことさ」
これまたちがいない。黒馬車のことは信じているとも。けれど何があるかはわからない。いっときであれ離れるのなら、自分のものは自分で守ろう。ゼンの性であった。
「……そうか」
すこし目覚めて、騎士は唸った。すぐ寝てしまうから、ほんの挨拶だけだ。
「ダル、あとをよろしくね」
「もちろん」
山登りはエマの得意でないし、黒馬車の運行には、四脚四頭が欠かせないのだ。「もしも」があっても、ダルタニエンなら安心できた。エマは悲しそうだった。
「足の踏み場に用心深くな!」「お気をつけて!」
ジニーのキスを多めにもらって、出発する。ゼンはまもなく不思議に思った。襟もとにメモを託されたらしい。
其方の信ずるものを信じよ。
と、みみずに書かれている――ジニーのふでじゃない、気がする……――であればだれが、いつの間に?
「どうかしました?」
「うん……フランは、何を信じてる?」
あなたですよ。とは言われなかったが、にこり、とされて足りていた。
人目を逃れるように、林へ。ちょうど"一条の道"の面々だった。
「ああ、たったひとつの抜け道だ」
"治癒"の礼に授かったのだと、ヴァンガードはいう。
"尾山"をのぼって汗もわずかだ。くだんの洞はすぐ見つかった。黒さを思うも束の間、むこうに光が一点みえる。なにか灯すまでないだろう。
来た道をたしかめた。
眼下にひろがる浅い林。もっとむこうに、馬車の行列。意外に遠くへ来たものだ。じぃっと凝らしてみても、"商隊"がどこかはわからない。あるいはとっくに入国したやも。
「調査窟かな?まだあたらしい」
いかにも魔法理にうがたれてた。鉱物なり、地質なり、知りたがる人はいるものだ。
うずくまる闇に、恐れるところなぞありはしない。フランの手をひき、ゼンは行く。筒が波をよく射返した。はやくも足もとが明るみだした。
――ここを出たなら、もうエウロピア?こんなとこまで、僕は来れたんだ。
きまってそうだ。
うまくいくぞ、と思えたそのとき、大なり小なり、不都合はおきる。
人攫いの銃、機械の群れ。次こそ決着――"暁の鎧"。やっとの思いで"魔女の家"。
どれもこれもが、笑い話ならよかったのだけれど。
フランを守るのに、ゼンはすべてを費やした。
崩落だ。
来た道はむろん、いま立つそこも、踏み出そうとする更なる一歩も。
雷なみの轟音だった。ふりむく男の声が聞こえない。なにかを必死に訴えている。追ってくる、ともに落ちてくる光――夜明けをきざす、朝焼け色の……。
ゼンの意識はそこで途絶えた。
---
なにも見えない。
まっくらやみだ。
こめかみががやかましい。
うごかない。
からだがうごかない。
四肢のありかがわからない。
右の指先をおもいだす。
ひやりと手垢の染みた布。
剣柄だ。
いつの間に抜いたのだろう。
うごけ、うごけ。
うごかない。
脚がまったくわからない。
まるでそこにはないみたい。
いっそう気張ると、フランのにおいがした。
すぐそばだ。
ほとんど目の前?
なのにみえない。
わからない。
「……フラン?」
「――――!」
音はふるえてつたわった。頬と頬とでつたわった。こんなにそばで、わからなかった。
耳鳴りがやまない。
左の指先をおもいだせた。
掻いてみる。
冷ややかだ。
じめじめとした、砂?土?
なんでもいいか。
頬がふと濡れる。
涙……それか、血……。
たいへんだ、フラン。けがをしてるの……?
かがようむらさきを見た気がする。
くらくらしていた。
目がよく利かない。
どうやらフランのうえに寝ていた。
ごめんね。どかなきゃ、おもたいでしょう。
どうして気がつかなかったんだろう。それに。
なにをこんなに、僕はおびえてる?
また思い出した。
死にはにおいがある。
「ヘッヘッヘッヘッヘッハー」
不気味な吐息がしのびよる。やっと聞こえたものだった。
「ヒッヒッヒッヒッヒッヴー」
ひたり、べちゃり、ひたり、べちゃり。足音なのか。
ひたすら直感だった。執った剣は守るためにある。迫るらしいそれに突き刺した。
「ヴェアアアアッ!」
「あ"っ!?」
知らなかった。おのれは何かに挟まれていた。それはどうやら追い払えたが、無理な剣のあつかいかたで、柄はもとより大事ななにかを、からだの芯からうしなった。
もう全身がうごかない。
むこうで爆ぜた薄紫色へ、不気味な吐息はむかっていった。
「ゼン?ゼン!?」
「うん……」
声ならまだだせた。
「よかった、よかった……!」
「……フランは?へいきなの」
「あなたが、まもってくれたから……」
だいぶ深くまで落ちたらしい。おまけに何かがかぶさっている。
「……」
そうとうな自由落下。
ふへんな重力。
うしなわれた"闘気"。
子どもの腕力で、何百キログの岩はどかせない。梃子でもあれば別だろうか。それにしたって元気な子どもだ。
まあたらしい血へどをあじわった。
「どうにかここを……でないと、ヴァンガードがっ」
にぶく炸裂する拳がきこえた。
首だけならよじれる。目でもっと追う。
はかない光だ。
"暁の鎧"。
ヴァンガードは、何と戦っている?
僕も、あれと戦わなきゃならない?
腹の奥底がきゅっとすぼんだ。
四肢が不覚でも悪寒がはしった。たぶん鳥肌もたっただろう。
つるぎがない。
からだはまともにうごかない。
なんならある?
恐怖があった。
こんこんとそれはこみあげる。
無限の恐怖だ。
進めるものなら進んでみろ。それさえお前はできないだろうが。
すべてのしるしに吐き気をもよおす。
べちゃりぐちゃり。人体をこねくりまわすような音。ひた、ひた、ひた、ひた。徘徊する音。ヒッヒッヒッヒッヒッヴー。気味の悪い吐息。
さいごの闘気で、おぞましいものをみてしまった。
異形でうめつくされていた。薄紫色はうもれていた。
ふらふらとしたり、這ったりなんなり、腐った色で、長身であって、溺れたみたいにたるんでいた。細長い四肢や全身から、するどいとげを、出したり、しまったり。
この星に人型の魔物はいない。
むこうの連中だ。
拳の英雄が殴っても、殴っても、殴っても、殴っても、殴っても、殴っても。
たりないのである。
再生する。再生する。再生する。それは再生する。また群がる。
あのヴァンガードが苦戦している。
そんな。
むこうのにおいがキツくなった。
穴だ。
どこかに穴がある。
どこもいうことをきかないクセに、ふるえているのがわかるのだった。
こわがるな。
と、思ってこれをやめられるなら、心臓だって意志でとめられる。
絶望。というのを、辞書でひいてみたことがある。
手の出ない神子の少女。
苦戦する英雄。
死にゆくおのれ。
そうだ、おのれは死にていだ。
つるぎはとれない。
みうごきとれない。
かっこうのえじき。
しょぼつく視界で、あわい紫色が爆ぜた。ああして木っ端みじんにするしか、斃す手立てが見つからないのだ。
「ぐぅっ!」
しなびた闘気で、もうみえない。苦悶の音だけでわかってしまう。
穿たれたのは男の方だ。
捨て身で脅威をひきつけている。
クソだめの中にいる。
さほど比喩でもない。
いまさらながら悟ったのだろうか、フランの嗚咽がはじまった。
"かみあい"。それが悪ければ、英雄だって、簡単に死ねる。
死ぬ。
死ぬ。
死んでしまう?
ヴァンガードが死んでしまう。
その次か?
その前か?
おのれに何ができるというのだ。
紫色が、かがよわなくなった。
「ヒッヒッヒッヒッヒッヴー」
「ヘッヘッヘッヘッヘッハー」
なにもきかない。ききたくない。
串刺しで、血祭りな男を幻視する。
どのみちみえない。みたくない。
まぶたでのがれようとした。
こわい。
ねむったら、ぜんぶやすらげる。
みざる。きかざる。こたえざる。
だれのだろう。泣き声がうるさかった。
---
光のなかに、ゼンはいた。どこが輝くのかわからない、あまねく白さの、たぶん部屋だ。
――ここは……"先史"?
「そう。僕が招待した」
今日ばかりその白い影は、自分と似つかぬかたちをしていた。
「や」
――……"僕"なの?
夢をみているらしかった。何かをしばらく忘れていた。
光。
それから。
――あ、あ……。
どっと、冷や汗が噴き出た気がする。
助言をくれたらいいなと思った。「彼」なら助けてくれるはずだった。
「どうだろう?まずは落ち着いてみたら」
無理だ。夢なのに、胸はおどりくるった。
「すばらしい。生のあかしだね」
やたらと茶化す。「彼」らしくない。
「ごらんよ、うしろを」
思う通りに、からだは動いた。
理解のおよばぬ光景がある。
白の一画がくりぬかれていて、支配するのは深い黒。おそろしいが、邪悪でない。それに。
――まんまるな……これは?
「守ろうと僕らが前へ進むと、きまって後ろにあるものさ」
わからぬことを「彼」はいう。
「星だ」
腕にいだけるほどなのに?
「空は暗いが、地は青い。それなら君は何色だろう」
なんの話だ。じれったい。
――ねぇ、どんなだかみてたんでしょう。おしえてよ。
「君は剣の腕が立つ」
――今さらだ。
「うん、脊椎をやられてしまった。他人のために、"治癒"はもうない。立ち上がるすべは、常人ならない」
――じゃあ……。
「あきらめる?」
――……相手は"果ての悪心"だ。
「こわいんだ」
――わかるもんか。君は知らない……!僕だって、こうなるまでは……。
「ないはずの心臓は、いまも躍ってる?わかるとも、気持ち悪いんだ」
――ヘンないじわるばかり。いつもの君と別人だ。
「そうだろうか。僕はなにかを授けたかもしれない。が、何かするのはいつでも君だ。君を救えるのは、いつだって"君"だけだった」
――……キベンだ。
「情報強度保存則は遵守されている」
呪文のように「彼」はとなえた。
「いいかい?たまたまなんだ、この夢は。無理くり割り込める場所が、ここしかなかった。僕が感傷に浸りたいがための蛮行で、けれど結果を変えない。だから許された」
ねむたくなってきた。
「要は、君がキミとする問答に、君は勝手に答えを出してる」
むこうに戻るのがただこわい。
「ほんのわずかでも、猶予があるのに?きみはいつだって怠らなかった。許されるなら、いつだって……」
時計の針は鳴らないでいた。どれだけすぎたかわからない。
――……なんにもないよ、僕にはもう。
「やーい、嘘つき!」
ない。は、ある、と定義できるのだ。ある、と思う心があるうちは。
「ホントは思いついてるくせに」
――……僕は生きてる。かろうじて。
「そう、大事な部品がまだ動いてる」
――それから、あれを、試してない……。
「君はもってる」
腕時計をみる仕草を、「彼」はした。
「出目がいい。知るべきときに知るべきものを、居合わせるべきとき居るべきものを。西を選べば東からやってくる」
光の空間が粒子と化してゆく。闇へとかえるときなのだ。
「うん、だいぶ満喫させてもらった。これで僕にとってはホントのさよなら。だが、君にとってはわからないな」
たがいの名前を知るはずがない。それなのに「彼」は言った気がする。
「然るべき日にまた会おう、善の盾たる人よ」
---
だれだろう。
ねむりを呼び覚ますのは。
おわりはすぐそこ。
自分でわかる。
…………。
どうして泣くの。
その名をよぶの。
ひらめく炎が、まぶたをわった。
フラン?そこにまだいるんだね。
おもいだしたよ。
泣かないで。
僕になにもかもくれた人。
僕だってこわい。
こわいよ。
だけど……。
死なせない。君だけは死なせない。
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なそうと思えばなせてしまう、かの少年の悲しき性であった。すくなくとも、僕はそう思う。
戦うという選択。
守るのだという信念。
救うのだという決意。
闘志を再びふるいたたせ、一振りの剣を、彼はみつけた。
闇にまぎれて、しかしある。実父ののこした"夜空の剣"は、崩落の前後で健在だった。
ただ懲らしめるだけの闘争に、きっとむかない刃だが、確かにそれは剣であった。
「フラン」
思ったよりも声はちいさい。
「あっ……!ゼン、生きて、生きてっ……!」
決定的な頭部裂傷が、永遠のねむりへ秒読みをはじめている。
「まだ……しんじて、る?」
「はいっ」
泣き腫らすだけで手が出ない、少女も歯がゆかっただろう。ただ少年にはまだ自由があった。
『火床奔る深紅の煌策』
一日一度のとっておき。
もはやうごかない右の掌に、そろりそろりと剣柄をおさめた。利口な彼は目視した。
かもしれない。
は、あってはならない。
避けられるなら、あってはならない。
だから悔しくてたまらない。
けれど。
三際十方に、それがたったひとつの道だというなら。
「僕に"祝福"を」




