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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:さなかの国
24/100

24.物語



 親愛なる母上へ


 母上、家中の皆様、いかがお過ごしでしょうか。ご無沙汰しておりました。爽やかな風吹けば一面どうと波立つ春の青草原、弧大陸のさなか、そのどこかに私はいます。

 ハウプトマンに誘われて、迷う間もなく頷いて……好奇が勝って恐れも半ば、いざ繰り出てみたこの旅路、甲斐というのがやみません。出で立ちに過ぎった後悔なる語も、きっと先々無縁でしょう。もちろん予期されていたように、大小ただならぬ厄介事とも出くわしました。ですがそれらみな、恵まれた巡り会いと、頼もしい仲間たちの力が退けて――

 

 ふむ、いまいちどうして筆がふるいません。誰かに宛てる文はやはり、私の柄ではないようです。せめてもまず、欠かせぬ言葉を欠かさぬよう、謝辞を、述べておきたいと思います。

 大変、感謝しております。例の高価な魔道具の品々です。それなりに不自由を味わうことも旅の醍醐味でしょうから、いらぬいらぬと、利いた風な口を私はききました。なにがなにが!もれなく大活躍の日々を知れば、なくしての旅はもはや考えられません。国で使おうにも驚かれる品ですので、当然となってしまえば、当然ですが。

 冷凍庫には我らが料理人も初見にたいそう魂消(たまげ)ておりました――驚かれるなかれ、旅の同道者には今や料理人すらいるのです、それもかなり腕利きの。さて彼の技がありきでしょうか、どなただったか魔物の肉を食らえば腹を壊すぞと笑いましたが、牛や羊と変わらず美味に頂けるものですよ。

 白昼灯は、日中雨の薄暗闇も、夕闇夜闇も、易々と荷台から跳ね除けてしまいます。じきに来たる雨季にもきっと変わらぬ明るさを、この文字書きにして文字読みには確かな活力を、与えてくれて言わずもがなです。更にはくわえて、そう――きっかけも。礼にはじめたこの手紙です。国を出た折に一通、あとは目的を遂げるまで、つまり西の最果てをこの目で見るまでは、執らないつもりの筆でした。


 巡り会いに目敏いのは、王国人の性でしょうね。さなかの国に至った頃に、乗り合いは、七名にまで増えておりました。きっかけを語る章前として、改めるのが相応しそうです。

 まず、ご存知の通りティレルチノフ夫妻。国境を越えじき雇ったのが、用心棒にして馬番のダルタニエン・サングリエ。転がり込むように次いで、件の凄腕料理人サルヴァトレス・ドルトル。

 大陸道沿いの大衆酒場にて拾い上げたのは、思いもよらぬ宝剣でした。今更ながら、ご安心ください。私どもが乗る馬車は、弧大陸横断を試みる中で、一等安全な馬車なのですから。ヴィクトル・サンドバーンとヴァンガード・アーテルは、エウロピアの地で武名を轟かせる英雄であります。それでいて、それでいるから義に厚い。武勇を以てして横柄と程遠く、けして肩肘を張らない、平和を貪るばかりの我々とは、まるで異なった視点に生きる、善き同道者たちです。彼らは、やんごとなき事情のもと一度は東へ、引き返して西への帰路に、健脚を必要としていました。我々の馬車が居合わせました。我らが道に彼らが現れたのではなく、彼らがゆく道に我らが用意された、とすら感じたほどです。こうした出会いが、続きました。

 ええ、ここに私を含めれば、乗り合う名前はかぞえて七つに。今では実際、九つなのです。さなかの国のさなかでは、あらたに、そして、おそらく最後となるでしょう、同乗者たちと巡り会いました。つきまして、いくつかの懸念を捨てきれませんから、彼らの名は伏せさせていただきます。武人ヴァンガードがちょうど、そのうちのひとりを、少年、少年と呼んで、なにかと可愛がっておりますから、(あやか)ってただ、少年少女、と呼びましょうか。今度こそは、驚かれて然るべきです。隣町へのお使いすら「旅」と相成ろう年頃の子らが、旅立ちに求めていたのは、隣町などより、はるか彼方を目指す同道者でした。我々の馬車が居合わせました。為せば成るだけの資質を備えた、とくべつな少年少女です。彼らの一助となれるなら、この馬車が道をゆく意義とは、単なる 敢て挑む困難の克(チャレンジ)服 の域を越え、はかり知れないものになる。私は既に確信しています。


 子どもは小さな賢者です。(くだん)のふたりは、とりわけてでした。さなかの国には学校がありません。教育がありません。少年少女の故郷も、例に漏れません。誰も教えませんでした、なのに彼らはわかって言うのです。この世界には、知らぬことが多すぎる。もっと知りたい、と。棚に上げての物言いになりますが――物を知らぬことすら知らぬ大人が跋扈するのは世の習い、比してはなんと目覚ましきことでしょう。気がつく彼らに立ち会って、私は思いました。己に内在する限りの知識なるものを、振り絞ってでも伝えねば白状である。

 筆執ったきっかけの結び目が、ほどける頃かと思われます。絶えずに欠ける何らかを、補いゆくのが旅ですが、並びに、潤沢な資源を生み続けもします。時間です。そこに絶えない灯りがあってくれるなら?少年少女が望むだけを、私は教えたい。ですから、白昼灯を贈っていただき、感謝の念にまた絶えません。贅沢な品と、やはり思っておりました。本読みが、本を読みたいだけならば、国へ帰れば間に合いますから。違いました。知恵を求める幼き心とは、乾ききった真綿であり、際限のない(かめ)であります。大人がいつ漏らしたかの一滴すらも、けして逃さず蓄えられる。今だからでしょう。少年少女には、明かりが今こそ必要でした。

 彼らの学びの得意不得意は、補い合うかの二様をみせます。好奇心旺盛な少年は、とくに言葉に関して熱心です。聞いて覚えてはすぐ活用する。これが大変達者ですから、我々の言葉を流暢に操れるようになる将来も、さほど遠くはないでしょう。少女の方は控えめな性格が災いし「みんなとのおしゃべりは、上手な発音を覚えてから」と遠慮しがちな様子なので、言語学習には些かの苦労を伴なうやもしれません。一方で少年が苦手とする算術に取り組むのに、おおきな意欲をみせています。良家の出自ゆえ下地があって、彼女の視点に言う「外で用いる数字の表記」さえ改めなおしたところ、基本の理解はあっという間でした。これからは道行きに役立つ少々難しい単位、たとえば距離と時間の計算などを取り扱おうという段です。

 彼らが得意は、我が国の水準からして年相応の学力まで、あっという間に追いつき、追い越すことでしょう。疑問詞と代名詞を駆使しては、新たな単語をみるみる覚え、九九をさらえば、早速みつけた仕事に還元してみる……さて強いて勉めると称しては如何に。為したいがために為す、純粋な意志は強いです。

 それから「物語」を知るのも、少年少女は大好きです。とても喜ばしいでしょう?母上がどうしても持たせたがった、そしてやはり私が拒んだ、あの小さな本棚と少ないながらの蔵書にも、輝き所を与えてやれそうなのですから。


 おや……折しも今朝もふたりが、何やら訊ねにきてくれたようです。はたまた、何かを教えてくれるのやも。お願いしてあるのです。些細な知恵の対価には、彼らの故郷の風習・出来事を、些末であろうと聞かせてほしいと。律儀にも話題を用意して欠かさぬ彼ら、少年少女らにとっての「ふつう」が、私には興味深くてたまりません。子どもから学ぶべきことは、大人にだって多分にあります。

 さ、あまり待たせてもなりません。ふるわぬ筆がどこへやら、思ったより長くなりましたがこの手紙も、このあたりにて。


 どうかお健やかに。


 ――――ケンジより



 

 三つの「おはようございます」のあと、少年少女はじぃっと待った。どれだけ忙しそうにしていても、商隊の大人は応えてくれる。イトーだってつぶやいた。「すぐ終わります。どうされました?」ただ、作法であると弁えるのだ。にぎやかさに満ちる旅だからこそ、ときどき生まれる個々の時間は、大切にされるべきである。

 軽やかに鳴る万年筆が、ぴんと角のたつ上質紙に筆記字体を綴っている。三人の囲む"マサムネの円卓(ちゃぶ台)"が置かれるのはたいてい、吊られた白昼灯が頭上で輝く、"魔法の居間(リビング)"のまんなかだった。筆の音は、じきにやむ。顔をあげたイトーが、眼鏡のつるを整える。まるで生まれながらの癖だった。

「お待たせしました」

「日記……ですか?」

 違うとわかって、フランは訊いている。イトーもまた、わかったうえで微笑んだ。

「《いいえ、これは手紙です》」

 抜き打ち試験だ。ゼンが素早かった。

「手紙!手紙なら僕も知ってるよ。誰に出すの?」

「《国の家人に宛てました。心配性な人達です》」

「イトーの、家族……あれ、《心配性》ってなんだっけ?」「心配性、です!たしか……」

「正解ですよ。では、《この手紙は、どこかで東行きの隊を見つけて預けるつもりです》」

「う、聞き取れません……」「"境の町"か、タイリクドーで出す、のかな?」

「素晴らしい。早口でも要旨を掴めたようですね、ゼンくん」

「うん。イトーの発音だから」 

「フランさんも難しい語がよくわかりました」 

「えへへ、これだけですけれど。よく聞くので……」 

「たいしたものです」

 イトーは手紙を革手帳に挟むと、ちゃぶ台の隅へおいやった――教材とするには、難しく書きすぎました――ないなら新たに作ればよい。寝床の荷から粗紙を手繰り寄せ、一連のやり取りの王国語化例文を示す。数度の復唱訓練法(シャドーイング)を通し、発音の練習までおこなう。この三人でそろったら、一日一度はおこなう「授業」だ。本日の総評は以下に。


「おふたりとも、ひと月足らずでかなりの上達です」


 今度の授業は手短だった。少年少女が疑問を持ち寄るのは毎度のことながら、ふたりそろって朝一番はなかなかない。おおかた昨日のうちにかかえた謎を、昨日のうちに明かしきれないでいたのだ。対面でそわそわ座る少年少女に、イトーは本題を促した。

「あのね、ヴィクトルが言ったんだ。昔から、誰でもはじめに剣を執りたがる。剣が槍より繁栄(ハンエイ)するのは、"教え手"の多い少ないだけが理由じゃないって。でも、詳しく話すのは嫌そうだった。そしたらヴァンガードが、イトーだったらきっとよく教えてくれるって」

「なるほどなるほど」

 昨日の少年の稽古の相手が槍士ダルタニエンだったのを、イトーは思いだしながら、「物語」と粗紙のすみに綴った。端的にはこれが答えである。が、仔細説明するより先に、経験上、守るべき手順があった。少年少女の質問の時が重なったなら、まず、両方の声に耳を傾けよ。

「フランさんは?本を……お持ちですね」

「はい。こちらの絵本なのですが……」「ええ」

 確かめるまでもない。居間の片隅にある、例の小さな本棚の蔵書だ。地味な色合いに、質素な装丁である。ノイジェット作『名もなき騎士の物語』は、少女の胸元から、ちゃぶ台へ静かに横たえられた。少女の手で、丁寧に頁をめくられてゆく。開かれた箇所には、"光の騎士"を(えが)いてある。傍らには、"神子"も(えが)いた。少女フランは、神子を指さした。

「この、女の子の言葉……公用語ですから、全部はうまく読めませんでした。でも、なんとなくわかるんです。これはもしかして――」

 遅かれ早かれ来たる時、その幾節目が今か――イトーは思っている。

「"守手への祝福"では、ありませんか?」


 その"祝福"は、秘術ではない。しかしフランにとっては代々受け継ぐ"御言"のひとつ。それもおそらく、"神子の育て屋"の中に限ってだ。

 なのに何故だか、守手のゼンにも一部を暗唱できた。旅に繰り出れば、大人が一節を引用した。知りそびれていた。あらためて、なぜ。

 本に書かれているからだ。文字に起こされ、世に出回るなら、機会さえ巡れば誰でも触れられる。なるほど、しかし、やはり、なぜ。


「どうしてこの"祝福"は、当たり前に知られるのでしょう。神聖で、もっとも大切な"御言"だと、私は教わりました……だから、なんだかおかしい気がして」

 その"祝福"は、一度だけゼンへ贈って、うまくはたらかないでいた。それはそれとして、フランにとっては特別だ。控えめを着た少女であろうが、神子としての矜持は、命に代えても捨てがたい。

「なるほど、なるほど。相解りました」

 質問の時機が重なったなら、答える順は、答える者に委ねてある。少年少女はじぃっと待った。疑問を投げかけたあと、イトーが答えをよこさなかった試しはない。

「手早くひとつ、お伝えしましょう。まずフランさん、あなたの思う通り、その絵本の少女の台詞は"祝福"に間違いありません。ええ、私たちは単に"祝福"と呼びますが」

「!」

「そしてゼンくん、朗報ですよ。今回、待ち時間はありません」

表裏(コイントス)剣盾礫(じゃんけん) もなし?」

「なしです」「やった!」

 イトーが手順を遵守した訳だ。解答待ちは、おもちゃの取り合いさながらで――いいえ、逆でしょうか――少年少女はケンカこそせず、むしろ仲良く、しばしば知恵の引き出しの、同じ段を、同じ時に、開こうと試みる。まったくもって、偶然に。


「おふたりの疑問は――剣と祝福に関して。どちらの答えも、根を同じくしますから」


 少年少女は顔を見合わせた。いまさらながらの悟りがあった。イトーは何かを教えるときに、かならず新たな謎も用意する。

「よい機会やも、私も知りたくなってきましたね!いかがです、我らが商隊の仲間たちから、その答えを引き出してみるというのは」

「え。イトーも知りたいの?」「剣と祝福を、きくのですか?」

「はい。より正確には、《"光の騎士"》と神子、そして祝福について、どんな形で理解をしているか、そうですね、《調()()》してみましょう」

 ふたたび顔を見合わせた少年少女は、守手と神子を肩書いている。粗紙の隅に綴られた「物語」が、二重の丸で囲われた。




 ---



 

 ドゥファスの時代に神子はいた。すると、少なくとも五百年の歴史が担保される。更に以前は?やや不透明だ。東海岸の宗教戦争で、かなりの一次資料が焼失した。だが存在したのだろう。神子は、古くからこの星にいたはずだ。先史に遡ったとして、私は驚かない。

 当代、身近に神子を見かけなくなってなお、人々は、その存在を認知し、神聖視している。まつわる()()()が、()に行き渡るからだ。利他の救い手たちが築いた山ほどの実績は、今昔不変に、信仰の拠り所となっている。 

 曰く、神を信じぬまま世を去る人も、(せかい)(ふち)を前にすれば(こいねが)うだろう、物語よ在れと。確かに。正統な物語には、魔力が宿る。私もいずれ痛感する。

 

「おはよう、ございます!」「ございますっ」

「なんでぇぞろぞろ、けったいな!」

 公用語の挨拶をぎこちなく試す子どもたちに「はッ、小せぇお(めぇ)が並んでら」と、片眉をつきあげて、サルヴァトレスは笑ったが、指をさされる私は、まんざらでもない。

「おはようございます、サルヴァ。少々お時間よろしいですか?もし、お仕事の邪魔でなければですが」

「おう、おはようさん。んーどうでぇ、ああ、今なら良いぜ。後ぁ煮込みがあっ(ある)だけだ」

 蓋をされた大鍋がぐつり、ぐつり。よい香りだ。赤煮込み(ビーフシチュウ) だろうか。前掛け姿の料理人は語りの始終、貫禄の腕組みに、手にしたおたまをときおり揺らすのだった。

(あに)ィ?"神子"が何なのか知ってるかってェ――?」

 我々はおもに聴くに徹する。


「そりゃお前、あれだよ、悪ィ魔物と戦ってるあのー、あれだ、聖国の光の騎士サマたちによぉ、祈りの文句を唱えてよ、なんかかんかすンだろ?これっくらいしか、俺ァ知らねぇよ。

 まァなぁ、"さなか"に比べりゃ俺のお国は――弧大陸とは海を隔てた、砂香る(サンズバル)共和国を彼は言っている――聖国のだいぶお隣さんさ。そんでもォ飛竜を駆った騎士サマすら、とんと見かけたこたねぇんだ。神子サマはなお馴染みがねぇーぜ。

 ん、ガキの時分に読み聞かせ……?やァ、やっぱし記憶にねぇな。なんつーんだ王国じゃ、ウチの大将もいたような……ああ、孤児院!それさ。んーなようなトコの出だからよ、俺も。さァて最初はどこで聞かされたやら、神子サマ騎士サマありがたや、()の為、人の為ってなァ、大層ご苦労なこって――おオっと!もうそろ鍋に手を入れねェと!"境"までじきだろ?余りモンを片付けちまうんだ!」


 いくつもの嘘が彼の言葉には混じっていたが、折しもの私に看破できる由などなかった。同日付けの手記には、彼の発言の要点と、本日の煮込みはまろやかで非常に美味、とだけつけてある。私の知るサルヴァトレス・ドルトルは、商隊の腕利き料理人であり、その仕事と成果に対して、果てしなく誠実であった。また記すまでもなく、彼は商隊の一員であり、誰にとってもの友人であった。偽りはない。


「ふむ。残念ながら、おふたり向けの答えは見つかりませんでしたが……大切な事実も明らかになりました。神子に騎士に、聖国に、それら何たるかの認識は、海の向こうでもさほど変わらぬようです。次はどなたに伺いましょうね」


 朝飯時を嗅ぎつけて、商隊がじき焚き火で集う。私と少年少女は、ダルタニエンの両隣に腰かけた。彼がいい。そろそろ訊ねてみようかの頃合いに――声を張り上げたのはサルヴァトレスだった。

「あッ、ダル坊!てめ、そりゃ何杯目だ!」

「えッ」目をぱちくりさせたのちしげしげと、ダルタニエンはよそいたての皿を眺めては「う~ん?三杯目だよぅ」無邪気な笑顔を付け加える。「まだ!」よそいたての皿は、平らげ済みの皿でもあった。

「バカタレっ、食い過ぎだッ!」

 日常である。ダルタニエンはのんびり加減で動じない。

「いいじゃなぃ、みんなのぶんだってまだ、お鍋にたくさんあるんだし~」

「あァ!?何度言わせりゃ覚えやがる!昼飯分もそいつァ兼ねてんだ!」

 サルヴァトレスの技をして、同じ煮鍋の味わいなど百変化する。よもや下地を「兼ねた」など感じさせない常々だから、ダルタニエンはつい忘れてしまうのだろう。私も口にして庇ったが、微力にして助くに及ばず。

「食っちまったモンは戻せねぇ、足りねぇ分の皿は満たせねぇ!コイツはトーゼン昼抜きだッ!」

「そ、そんなぁ~」

 しょぼん、とまるまる(おお)きな背中を、私は軽くさすったのだ。

「ダル、ダル。僕のお昼を分けてさしあげますから――」

 僕のも!私のも!少年少女がすぐさま続いた。私が対価を提案するより前だった。

「ちょっとお話を聞かせてはもらえませんか?この後で」


 ダルタニエンは今や槍の名手だが、はじめに志したのは剣士だったという。私が訊ねたのは、その訳だ。


「もちろん、かっこういいからさぁ!でもね、気がついたの。ほんとうにかっこういいのは、剣じゃなくて、剣士なんだ、って!」


 彼は答えを持っていた。更に訊ねてみる。


「おふくろがね、聞かせてくれたんだぁ。お話の主人公たちは、み~んな剣がうまくって……うん、いくつも知ってるよ。いちばん好きなお話は――」


 そういえば彼の「名前」を知らないやと、ダルタニエンは首をひねったが、私はすぐに考え及んだ。有るべきその名は口伝の過程で欠けたのではなく、役目をはたす道すがら、失われる他なかったのやもしれない。そして後代、曖昧になった実存性にふと光が投げかけられたとき――すなわち今――「肩書き」という入れ物が輪郭をみせ、想像を掻き立てる。これは事実に即した物語だ。私は以下に記録する。

 

 ――飢える冬、小村を襲ったならず者たちは、したり顔で良心を語ったという。猶予を設けるからだ。

「七つ日跨いでまた来るぞ。食い物を同じだけ用意しておけ。無ければ女を、その次は子どもを頂く」

 なけなしの種もみさえが食い荒らされた。不幸が続き、狩りや戦いに能うような男手が、まるで失われたばかりの村だった。魔物の脅威を退けるのにも、旅の戦士を雇ったあとで、財という財が村には尽きていた。

 ()()()()ならず者たちが 女だ子どもだと並べ立てるのは、持ち去るだけの価値があるからだ。思い当たった村の少女は、ひとり街道へと繰り出し、泥雪に膝をつき、旅人たちに懇願した。

「助けてください」

 道をゆく誰も、通り過ぎるばかりだった。旅人たちは、戦えるはずだった。少女が呼び止めても、呼び止めても、他人の為には振れぬ飾りだと、立派な鞘を帯びて言った。事情に耳を傾ける者もいた。しかし、ならず者があまりに多勢だと知ってしまえば、やはり、少女に背を向けた。

 この少女には、心命を賭す覚悟があった。深まる冬、ならず者の横暴、助力の対価、どれに食われることになろうと(※1)、ただでさえ口減らしをせねば、己の家族は次の春を見ない。どのみち最後の冬になるとして、せめて平穏な最後を贈りたい。

 覚悟に報いる者がいた。ひとりの剣士が立ち止まる。彼は、何の対価も求めなかった。少女が剣士を連れ帰っても、村人たちは、かえって剣士を信じなかった。どうして対価を求めない。少女の信じる善性なるものが、信用にもっと足る世であるなら、救い手は、もっと早くに現れてくれてもよかったはずだ。

 心がけがよかろうと、たしかに、剣士のなりは、ぼろで、みすぼらしく、頼りなかった。人は一見の印象に、強く影響されてしまう。(※2)振る舞いだけが全てだとは、真なる危機に(※3)瀕してようやく、心の底から思い知る。

 いざ、ならず者の再来に、剣士はひとり立ちはだかった。少女以外は彼を信じない。彼は構わない。村人たちを代弁し、踵を返すよう、ならず者らを説得する。

 戦いになった。戦いになるだけ上等だ。棒の数の差が趨勢(すうせい)(さだ)めると、童すら道理として弁える。だが剣士は実際、強かった。頼りない装いに、巧みな剣術を秘めていた。多勢に無勢で抗った。ただ長旅を経て、弱ってもいた。(※4)

 剣士が泥雪に転がされた。首こそ未だに繋がっているが、遅かれ早かれ同じ結末だと、村人たちは目を背けていた。たとえ直視したとて、手が出ない。術がない。意志がない。少女も失望した。願うしか能がない自分に、ひどく失望していた。それでも、その願う気持ちだけが、剣士の最後の味方とわかって、彼女は祈りを唱えたのだ。

「精霊様、あの剣士の命だけは、どうかお救い下さい。私の身なら捧げます」

 精霊はこれに応えることができた。とうに賭された心命が、傍にふたつもあったからだ。精霊は、少女の身体にのりうつると、不思議な呪文を(※5)唱えさせる。唱え終わって、間に合った。伏せった剣士の心臓に、光が、ぴかっと(※6)突き刺さる。輝きは、剣士の全身を包みこんだかと思えば、白い鎧を象った。

 白鎧はとても堅かった。剣士は気を失っているようで、しばし倒れたままであっても、命を無事に保ち続けた。ならず者のいかなる追撃も、白鎧は決して寄せ付けなかった。

 潮目が変わった。明らかだった。その剣士は、傷だらけの剣士であっても、心がけはなくさずにいた。すなわち、目覚め、余力を振り絞り、ふたたび立ち上がり、少女の、いちばん最初の願いをかなえるだけの、気概を備えていた。もう一度だけ、踵を返すよう、ならず者たちを説いた。無敵の鎧に、そして不屈の剣士に慄いて、ならず者たちは退(しりぞ)いた。

 脅威から村は救われる。剣士の命も救われた。少女は対価を支払わねばならない。"精霊様"が告げる。

「精霊の国へ行け」

 これがすべての対価だった。

 遠い所にある国だ。少女ひとりで適わぬ遠路だ。村人たちは後ろめたくも、共に行こうとは言いだせなかった。戦う術のない人たちだから、少女はわかって、恨まなかった。

 ひとりだけが手を挙げた。少女の前に進み出た。心がけのよい剣士だった。ちょうど私も目指す土地だと、彼は道中の安全を約束する。そしてふたりは旅立った。(※7)


(※1 少女が唯一掲げそうな対価に純潔を見出し、かえって挙手を厭うた戦士もいたかもしれない)

(※2 のちに「鎧」が外見に現れる、それに応じた文脈だろう)

(※3 村存亡の危機を遥かに越えた、世界の危機を言っている)

(※4 語り手によれば、心の傷とも身体の傷とも)

(※5 「不思議な呪文」で口頭表現まま。具体は語られず)

(※6 擬音は口頭表現まま)

(※7 村のその先については語られない。想像に難くないが、あるいは「信じぬ者」を戒めている)――


 語り手はこう締めくくった。

「おふくろはね、きっと、やさしい人になりなさいって意味で、このお話をきかせてくれたんだ。ぼくがいざ、強くなりたいって、ほんとうに思えたとき、いっしょに思い浮かべたのも、このお話の剣士だった。腕っぷしだけじゃなく、心も強く、誰かのために戦えるひと……けっきょくぼくは、槍を選んだけれど、理想のかたちは、かわってないよ」

 実現している理想のかたちだ。ダルタニエンは剣士ではないが、槍の名手であり、やさしき心をそなえている。痛みを知る人であるからだろう。のんびり加減が由来して彼は、その(おお)きさから不釣り合いなほど、穏やかな存在感を保ち続ける。ただ居ることで、誰かの救いとなりもする。ずっとずっと先の話だが、私には担えない役割だった。

 我々は礼を述べ、お昼の約束をとりつけると、次の御者役を担う彼と別れた。荷台へ戻るまでの合間、少年少女は私に、ただこう訊ねた。

「次はだれのお話を聞くの?」

 馬車主夫妻の歓談に、混ぜてもらうこととしよう。夫の方などどうやら、語りの備えすらあるらしい。"魔法の居間(リビング)"で揺れを感じるようになった。馬車が発った合図だ。

「おう、待ってたぞ。用意してたとも、神子と騎士の物語をな。なんで――って、そりゃあダルのを小耳に挟んだからさ。ん?」

 "神子"の語も"騎士"の語も、ダルタニエンの話にはなかったはずだ。と、少年少女は首を傾げる。

「はははっ、そうかもしれん。だけれど俺にゃわかるのさ。ありゃあ、神子と騎士の物語だ。よぅく似てる、俺の記憶の奥深くのそれと」

 ハウプトマンは共通点をよく見出していた。すなわち、かの物語群に踏襲される文脈だ。

「おおきな魔の手に脅かされた町があってな、腕っこきだがぼろぼろな剣士が、ひとり立ち向かおうと出向く、ってな筋さ。なんでぇ一人かって言ったら、それまでの戦いで他の男どもは、みーんな死んじまったからだ。な、似てるだろう?」

 ハウプトマンの信仰を、私は以前に記録してある。せっかくであるから語り口は、彼の"さなかの言葉"に任せきりでよいだろう――思えば、私と彼が学生時分に意気投合したのは、外国語を「剣」とみなす節だった。あえて振るうなら、奇抜でも流派だ。彼のそんな真似を見て学ばなかったら、私も追求しなかった。痛く感心したのである。異なる言語を用いながら、人柄の印象を、まったく同じく聴かせる、ハウプトマン・ティレルチノフの器用さに。


「話をいっぺん、最初に戻そうか。最初ったって、最後なんだぜ。残ってたのは、その剣士だけだった。町一番の剣術使いで、立派な男だったが、とっくに傷だらけときたもんだ。

 剣士は命からがら馬を駆って、じきにも町へたどり着くとこだ。仲間達と戦いへ挑んで、勇敢に戦ったが、これがだめだった。相手があんまり悪かった。デカくて強い化け物がいたのさ。とてもじゃないが()が立たなかった。

 臆病風に吹かれて逃げ帰ったわけじゃねぇ。転がり込む剣士を見て、町の人間の誰しもが分かったとも。なんせ気立ての良い男だった。町きっての剣士は、町きっての人情家でもあったのさ。仲間の為にこさえた古傷が、とっくにいくつもいくつもあった。

 剣士の涙が止まらないのだって、断じて負った手傷が痛むからじゃねぇ。悔しくて、悲しいからだ。町の戦士が総出で向かってダメだった敵を、一人じゃあもう、どうしようもならん。剣士は最後の一人になっちまった。仲間たちは死の直前、町のみんなを剣士に託した。だからな、なにがなんでも逃げ延びたんだ。悔しくて、悲しくて、千切れるくらいに唇を噛んで、それでも剣士は逃げなくちゃならなかった。魔物はいずれ町へやってくる。そしたら町の人間を全部食っちまう。誰かがどうにか生き延びて、町を捨ててはやく逃げるんだと、伝えなくちゃならなかった。

 剣士は手当てを受ける間にも、魔物の恐ろしさをみんなに話した。町のみんなは、剣士が言うのを聞いた。

 すぐ逃げろ、俺が少しでも時を稼ぐ、ってな。

 そりゃあ、もう、死ぬ覚悟だわな。だけど、剣士はやるつもりだった。自分が最後の一人だからだ。死んだ仲間に託されたからだ。ヒトの都合なぞお構いなしで、あの化け物はやってくる。誰かが時間を稼がなくっちゃあ、町のみんなは追っつかれて死んじまう。剣士は重ねてこう言った。

 町を捨てるのは悔しいだろう、それでもどうか逃げてくれ。

 手当てと言ったが、半端な手当てさ。傷口に巻きつけた布きれなんか、とっくにどれも血塗れだ。彼は何もかも構わなかった。水を一口だけ含んで立ち上がり、足を引きずりながらまた、馬に跨った。

 ああ、これから剣士は死にに行くんだ。

 そんなときだ。町の衆から、少女が飛び出てくる。わんわん泣いて剣士を引き留めた。剣士が妹分みたく可愛がってた娘だった。町の誰も口にゃしなかったが、娘は兄貴分として以上に剣士を慕ってた。見かねた町のみんなは、娘の肩を持った。

 せっかく生きて帰ってきたんだ、何も今から戻るこたねぇ。

 剣士がどれだけ時間を稼げるか、魔物はどれほどで追っつくか、どっちにしたって不確かだ。そんなら一緒に逃げたらいいと、町のみんなは口々に言った。

 だが剣士は首を縦にふらなかった。魔物の恐ろしさを、骨身に滲みて知っていた。アレを町のみんなに近づけちゃならん。妹分を最後に抱きしめてやりたかったが、馬を降りる時間も惜しかった。娘の手の甲に一つ口づけをすると、剣士はやっぱり馬を駆った。

 娘はもう、剣士の背を見送ることしかできなかったが、とにかく、祈りを捧げたそうだ。剣士が無事に帰ってこれるよう、魔物を打ち倒せるよう、神様ってぇやつに、自分の何を捧げてもいいから、力を貸してくれって祈ったんだ。

 それを、神は聞き届けた。その娘は、ただの娘じゃなかった。不思議な髪の色と、不思議な力を持つ、神子様だったんだな。神子様の声は、神へ届く声だ。

 神子の祈りが通じてすぐに、遠く馬を駆る剣士の傷が癒えていった。もう一度、自分の脚で走り回れるだけの力が剣士に戻った。

 けれども娘はまだ祈る。相手の魔物は、戦士総出でかかってダメだった敵だ。ひとりで倒せないと分かるからこそ、剣士は死ぬまで時間を稼ぐ。だから娘はもっと願い、神は聞き届けた。剣士の剣に力を与えた、魔物の肌を易く貫けるだけの鋭さを与えた。

 それでも、娘は祈るのをやめなかった。どれだけ鋭い剣があっても、剣士のからだは人の身だからな。喉を切り裂かれりゃ息は止まる。踏みつけられたらぺしゃんこになる。ちょっとの過ちで、剣士は負ける。そりゃならない。だから娘は祈ったし、神は剣士に鎧をやった。白く輝く、魔法の鎧さ。魔物のどんな一撃も無意味にする、この星で最高の鎧だ。

 いざ再戦に挑むとき、剣士には、傷の癒えた肉体と、最高の剣と、最高の鎧、これだけ揃ってた。それで死闘に漕ぎつけた。陽が落ちて昇るまで、剣士は剣を振るい続ける。そして勝てた。仲間たちと全員でかかってダメだった化け物を、ついには一人で倒せちまった。もとは腕利きといったって、剣士にとっちゃ望外の結果さ。

 剣士は無我夢中で死地に向かって、無我夢中で戦ったから、自分が不思議な力に守られているとわかったのは、ぜんぶ終わって、鎧が崩れて消えるときだった。それで良かった。危機は去ったからな。くたくたのあまり一眠りして、目覚めたら馬に跨って、町へ向かった。もう誰もいりゃしないかもしれんが、剣士の帰る場所だった。

 帰り路もあとわずか、小丘からちょいと見下ろすと、町にはどうした訳かまだ人気(ひとけ)があった。遠かろうが剣士の目にはわかる。休ませた馬も放り出して駆けた。なんせ良い報せを抱えてる。『おおい、魔物を倒したぞ!』喜ばれるに違いない。だがどうした、町のみんなは悲しげだ。剣士の帰りに気がついて、続々増える人だかりの誰もが、剣士の無事を確かめて、いっそう悲し気になった。剣士は気がつく。あの子がいない。

 娘は、剣士の為に涙を流し、祈りを捧げたあの町娘は、神に呼ばれて忽然と、この世から消えちまっていた。ちょうど剣士から鎧がはがれ落ちた、日の出の時分の話だった。神子は剣士の無事を願って、剣士の戦う間中、ずうっと祈りを捧げてたんだな。娘が町から動かなかったから、町のみんなも動かなかった。そして娘が日の出とともに消えるのを、みんなで見た。止めようもなかった。

 剣士が救ったその町は、娘が救った町でもあった。町は脅威を退けはしたが、失ったものも多かった……。

 話はここで終いだ。

 馬を駆る立派な剣士、つまり"騎士"は、不思議な力を持った娘、つまり"神子"に祝福をもらうことで、誰もが束になって敵わない敵を倒すことができた――なんて、簡単にまとめちゃしまえるが、それじゃあんまりに救われなかろう。だから俺たちは物語を尊ぶ。神子のありがたさだってそうさ。他の誰にも真似できない、願いの力を携えている、神聖で、敬うべき存在。その名が賭されて続くのが今日と、忘れちゃならねぇ。親が語って、子どもは覚えるもんなんだ。聞かされる物語はただの物語じゃなく、近しい出来事が、昔に実際あったとな。ああ、そうとも。こんな話が、星の数ほどこの世にゃある。ケンジだってまさか知り尽くしちゃいまい」


 至らぬ私がしまった、と慌てたのは、少女が涙してからだった。物語に継がれし神子、その体現者たる火の神子が、泣いている。

「剣士さんが、死んじゃうかと思って……でも、助かってよかった」

 長い旅路を経て、私は学ぶ。彼女が涙を流すとしたら、己に訪れ得る可能性を呪ってではなく、他者に訪れるべき幸せのためなのだ。いつでも変わらない。万事めでたしとはいかぬ結末でも、確かな幸せを得た者が、ひとりでもいるなら、救いになる。この物語の場合は、少女だ。少女の願いは、せめて叶った。

 私がまごつく間にも、聞き取り調査の語り手が、自然と夫人に引き継がれる。少女の涙を思ってか、手短だった。

「あたしゃ生まれも育ちも長耳だからね、なんなら人一倍のお話を聞いたもんさ。けど……騎士様、神子様って意識はしなかった。変わったのは、ちょっと森を出てみてすぐさね。いつの間にやら常識だもの。神子は大切さ。でも、フランが大切なのは神子だからじゃなくて、あたしたちの仲間だからだよ。よしよし」

 何も知らない私には、ジニーに抱いて慰められるのが、いかんせん年相応の少女とばかり見える。泣いた娘の扱いなど、これまでうまく学べずにいたし――遅ればせ、下手な気遣いをしたものだ。

「……このあたりにしておきましょうか?調査は」

 少女がすぐ、目頭を袖でぬぐう。ながらに、ふるふる、と首をふった。

「もっと、知りたいです……!」

 我々はまた、意志を尊ぶ。


 剣士と祝福につきいくらかが既に、明らかになったはずである。とはいえ、全ての答えを出すためにはやはり、彼にも問いかけねばならない。嫌~な顔をされるなら、私がこの身で盾となろう。暗器のごとく、(こす)(つるぎ)もちらつかせよう。

「隊の全員に聞いて回っています。あとは、おふたりだけなのですが」

「……結局、こうか」

 案の定。とは、彼にも浮かんだろう言葉だ。ヴィクトル・サンドバーンには、どうにか話してもらいたい。隊に大人の剣士は、誰もが黙って頷くような"剣士"は、彼だけなのだ。

「なぁヴィー、俺も知りたいぜ。どう思ってるのか聞かせてくれよ」

 "光の騎士"について。引き出す役を、ヴァンガードが買ってでてくれた。問答然に先駆ける。

「今でも()()()()()かい」

「……愚か者だけが盲信をする」

「目をつむるだけが信仰じゃないぜ」

「己の外に寄る辺は不要だ」

「お前はいつでもそうだろうね」

「説教気取りか?」

「見たままを言うだけさ」

「何」

「神子様だったら現に居る」

「…………」

 ふたりはちらと、(はた)の少年少女を確かめた。

「……どうだろうな」

「なおまるで作り事だと?」

「そうまで言わん」

「じゃ、どうだか言えよ」

 こうした手続きは、なにかを観念させたらしい。ヴィクトルは幾度目かの深いため息をついた。

「聖国の成り立ちとはなんだ」

「急に敬虔だ。決まってる、(せかい)を危機から救う為だろ」

「実際はどうか。いずれの戦場の幕引きに際しても、俺の目に映っているのは、各国の英雄や、アメイジアの軍隊だった。そうでなければ屍だ」

 白い鎧は見なかった。と、ヴィクトルは証言している。

「無理ないよ、彼らにゃここらは()()()()だもの」

「ふん、()()ときた。なれば猶の事、いかにも危機でありふれていようもの。それとわかって現れんのだ。駆った飛竜は遠出に重いか――?」

 皮肉だ。"光の騎士とは「竜騎士」であり、俗人にはおよそままならぬ胆力を以て、飛竜を手懐け乗りこなす。そして、日に三度星を跨いで、激闘を共にし、主の休息を守り抜くまでが、騎士の竜の務めなのだ"。と、古い物語では述べられる。一言一句を信じればこそ、彼らは、どこであろうと然るべきとき、駆けつけてよいはずである。

「まさかな。竜は龍種に(こうべ)を垂れるが、人には決まって牙を剥く。手負いの幼竜ですら火を吹き、傷を癒した人間(ヒト)を殺める」

 ヴィクトルは公国人で、公国の歴史は、竜と争いながらに築かれた。王国人より竜に詳しく、おとぎ話より教訓を重んじたとして道理である。

「騎竜の夢なら俺も見た。信じるに足る逸話も知る。だが竜を御せる戦士など今昔、数えるほども居はしまい。ともすれば虚構なのだ。白装束を徴とする騎士団の実態は、神子の力と伝承をダシに神殿信望者から金をむせり、私服を肥やす詐欺師連中――」

「おいおい」

「と、世間が疑う日が訪れたとして、俺は差し伸べる手を持たん……話は最後まで聞け」

「おどかすからだ!(ゼン)の親父さんが今どこにいると思ってる」

 神殿聖国である。巡礼の終着地にして、"光の騎士"と"神子"の国だ。これまで誰も、はっきりと言わないでいた。ゼン少年の父親は、おそらく、単なる"剣士"ではあるまい。

「…………」

 しかめっ面で沈黙の、力点はどこに置かれるか、私ではとても図りかねた。知った口利きで手紙には綴ったが、その実、ヴィクトル・サンドバーンについて、肩書き以外の大切な全てに、まだ親しめていない。

「するとなんだい、結局のところ。輝かしい光の鎧も、お前にとっちゃ無いも同然か」

「無いものを無いとどうして明かせる。断言はせん。だが、見ないものを認めないとて、愚者と(そし)られる云われもない。聖騎士と称される者らの内に備わるのが、ただそれなりの剣術だけだったとして別段、俺の腑には落ちるというだけだ。日頃に白装束さえ晒せば、信者への慰めは足りよう」

「最後の機会かもしれんから、言わせてもらうよ。必ず在る。星の守手の座も、そこへ至れる高潔な魂も。なにも幻想なんかじゃない」

「証拠はない」

「今にわかる」

「愚かだ、貴様は」

「せめて夢見が良いと言え。おっと!馬鹿にするなよ、来た道ならさ」

「ふん……」静かに、ヴィクトルは立ち上がった。男たちの居所にして寝どころはふだん、隣り合わせている。つまりその睥睨する琥珀色も、真っすぐ射抜き返す青色も、反目などは意味していない。

「確かに言った。夢ならば俺も見たとも、大昔にな。見つけ、歩み出し……そして理解した。己は何も、特別ではない。これは徹底した現実だ」

 我々は彼に強いて言わせたのだ。相応の対価が必要になった。

()()()、今後この話はせん」

 唸り声を残し、ヴィクトルは場を去っている。向かう先の"薄灰色"で、サルヴァトレスの昼番を代わる。剣呑にあてられたか本来の当番は"魔法の居間(リビング)"へ押し戻され、我々に向かって文句ありげに肩をすくめるとそれだけ、得を勘定してソファへ寝に行った。


 一部始終のち、ヴァンガードは自嘲気味に微笑むのだった。

「魔王の居城に踏み入ったらしい。覚悟の上ではあったがね」

 私が求める最後の欠片を、彼こそとって来てくれた。思ったよりも深い所へ。大切な何かを、汚しはしなかっただろうか。

「なぁに心配するこたない。強情っぱりなんだもの、ほんとに()ならおいそれ口にするもんか」

 少年少女は不思議そうにも聞き終えている。剣と祝福の、核心を。

「ああ、ヴィクトルはね、教えてくれたんだよ。人が剣を執る訳を」

 ひいては、祝福が周知される訳を。ヴァンガードは完璧に整理し、補ってくれさえする。最後の語り手に、彼は相応しかった。

「知らないはずがない。あいつの後生大事なお抱えものは、言っちゃ悪いが、ありふれてもいる……。

 つまりだ、"光の騎士"に、人は憧れる。 そして剣士だけが祝福をものにする。だからはじまりの武器には、剣がもっとも好まれる。当代じゃ九割九分の理由がこれで……残りも、なんにしたって憧れの類さ。少年、"勇者"の意味はもう知ってるな」

「うん。この星でいちばん強い戦士のことだ」

「そうとも。星の頂たるその称号を、これまで何人が戴いただろうね?きっと曖昧だ。全部の名前は残っちゃいまい。けれど確かな事実がふたつある。まず、勇者は同じ時代にひとりだけ。後にも先にも、たったひとりだけ。それと大事、勇者の誰しも()剣を執る。

 千年前に、初代勇者が剣を執った。振るった技が"必殺剣"だった。闇を明かす切っ先といえば長らくがそれで、だから昔の人もまた、こぞって剣を執りたがった。剣は栄えた。勇者の人気をそのうちに、引き継いだのが"光の騎士"なんだ。だからもしかすると、必殺剣がこの星に生まれなかったり、はじまりの勇者が槍を好んだなら、光の騎士もほかの得物を選んだかもな。だけど、騎士の手中には剣があった。やっぱり人は憧れた。憧れは信望を、信望は繁栄を、繁栄は更なる繁栄を呼んだ。

 これから大きな町へゆくたびに、剣の道場を探してごらん。や、探さなくたって見つかるだろうね。お向かいさんを振り向けば、別の流派の剣道場ってことすらあるんだ。どっちもきっと盛況でいて、魔術塾や槍の道場じゃとても真似できない。親が子どもを通わせたいのは剣道場だ。剣術こそもっとも実用的な、身を守る術だから。子どももこぞって行きたがる。物語の主役に、憧れるから。

 今も昔も誰でもさ、たったひとりの特別に、なれると思い込めるなら才能だ。"勇者"に成りたいならそうでなくっちゃ。同年剣士に敵なしで、スジがあるよと褒められて、最強の自分を夢想してみるもんだよ。それで遠からずぶつかる壁に、挫けずいられるなら本物だ。なんせ自分より腕の立つ剣士と、出会わずいられる剣士はいない。一本取るのに三年かかった兄貴、兄貴を()せる隣の長男、その父親でも敵わない町の道場師範、挙げた全員が束になっても倒せない悪者、これを颯爽と討つ旅の剣士……はは、そんな劇的な境遇にゃ、なかなか巡り会わないか。むしろ膨らませきった幻想に、ぴしゃり冷や水を浴びせてくるのは、決まってつまらない現実ってトコだ。

 一番なんてなれっこない。剣は人気で、剣士の数はすごく多い、競争なんてだいぶ大変だからと、みんな静かに諦める。"勇者"はすごい。だけれども届かない。憧れの形と、向きが変わる瞬間だね。

 "光の騎士"は、"勇者"とは違う。必ずしも、一番でなくたっていい。腕と、いくらかの勇気さえあれば、ひょっと自分もなれるかもしれない。何人が成れる?それはわからない。ふるいの目の粗さは、ほとんど"勇者"とどっちつかずで、けれど同じ時代に、すくなくとも『騎士団』をなせるくらいには居ていいはずだ。それは物語が教えてくれてる。物語の数が――歴史が、教えてくれる。かつて、そしてこれからも、"光の騎士"と呼ばれる人は、"勇者"の数より圧倒的に多い。

 さて、俺の譬えの中じゃ悪者を討てた旅人も、ほんとに自信満々で面倒ごとに首をつっこんだのかな?戦いに絶対はない。どんな強者にも、怖気づくときはある。もしや悪者にはたくさんの仲間がいて、さらにその親玉は旅人よりずっと強いかもしれない。それでも"火を見た途端に向かう水"、振る舞えたなら旅人は、ただの剣士では済まないな。"光の鎧"だって、いつか得ただろう。するとまた物語が生まれる。今日、たくさんの人が信じてる。"光の騎士"を教えてくれるのは、どれも事実に基づいた物語だとね。これは、この星における信仰ってヤツさ。わかるかい、信仰って言葉が」

「えっとね……ひとそれぞれで、とくべつな、目に見えない、道しるべ。傷つけられると、持ち主もとても傷つく」

「ほお、詩的だね。どこで覚えたんだい」

「森で。外の狩人から教わった」

「殊勝な人がいてくれたもんだ」

「正しいかな?わからないや。僕は持たないものだから」

「正しいよ。そのまま忘れずいておいで」

「じゃあやっぱり……信仰を、傷つけられたの」

「ん?」

「ヴィクトル、悲しそうだった」

 ゼン少年のその指摘は、私の偏見を戒めた。剣士ヴィクトルが語るのを拒んだのは、忿懣(ふんまん)がゆえとばかり。違う。悲憤はときに、生まれ方こそ似通わせるが。

「……そうだね、たしかに。あいつは傷ついている。あいつはさ――」

 ヴァンガードは、紡ぐ言葉を選んだらしかった。

「盾、だからね。ヴィクトルは、人の盾なんだ。身も心も痛めることで、何かを守り抜いて来た。守るってことは、正しく戦うってことだよ。難しくて、辛くて、どれもギリギリで……俺が居合わせたのは、そのうちのほんのひとつ、ふたつに過ぎない。

 ひとりで戦う中であいつは、絶望を何度抱いただろうね。今度こそもうダメだ、そんな時に、光の騎士が現れてくれれば良かった。けれど、一度だって現れてはくれなかった。幼く覚えて胸奥に秘めた誓いの文句も、祝福と巡り会わなきゃ、白鎧をくれない。結局、(つるぎ)の一本で、あいつは全ての窮地を覆してきた。やるしかなかった……」

 何を思うだろう語り手は、ヴィクトルの背を遠目に。

「騎士、か」

 と呟いた。それから、少年少女を見た。

「救いの象徴だから、光の騎士は崇められてる。光の騎士を生み出せるから、神子の存在はいっそう尊い。『いつか自分ももしかして』、思って剣士は祝福の応え方を覚える。熱心高まり、聖なる祝福そのもの諳んじられるようになったって、なぁにも稀なことじゃない。

 物語を辿るほど、信仰は強度を増す。活躍が広まるにあたって、こと取り上げられる文脈がこうだ。『人々の窮地にかけつけ、脅威を退け、去ってゆく、白鎧の剣士がいるらしい』そんな彼らは普段、どこで暮らす?祝福を授けたあと、神子はどこへゆく?疑問が浮かべば、やっぱり物語が答える。"神殿聳えし聖なる国"だ。そこでは大いなる力を持つ神子と、白鎧を授かりし剣の達人、光の騎士らが、今もまさに、人を、ひいては(せかい)を救うため、戦っている――ひっくるめて、"神殿信仰"の走りだね」

 私は続きを待つほどだったが、彼は思い出したよう、おどけて締めくくる。

「どうだい先生、このへんで。及第点はいただけそうかな?」

 (てら)いがまるで見当たらない、あえての隙を作るかだった。ただの信者でも、ただの武人でも、ただの学者でも、"光の騎士"と"神子"について、彼ほど巧く語れまい。 

「や……補足の余地もありません。おふたりは、いかがです。肝心の疑問は、明かせましたか?」


 居所へ帰る少年少女のもとに、『名もなき騎士の物語』はあった。普遍的な「物語」を絵本の体で簡潔にまとめたそれゆえ、初歩的な言語学習に役立つことに、今更ながら私は気がつく。ふたりが力を合わせれば、読解に手助けは必要ないだろう。

「"祝福"のはじまりは……このあたりでしょうか?」

「そうだね。ほら、書いてある。『私は、神子……』」

「待ってください!今でしたら、私にもすらすら読めるかもっ。こほん!我は神子、尾と鱗の在りし火の神――」

「ん……そのカミサマ、尻尾はついてないと思う」

「えっ!そ、そうなんですね……」

「あるのは《王冠》に……って、《王冠》?」

「ゼンでも知らない単語ですか?」

「ううん、わかるよ。"《王冠》の構え"ってあるから。ただ……」

「ただ?どんな神様なんですか?」

「うーん……教えない」

「そんなっ、どうして」

「フランが口にして、もし消えちゃったらどうするの」

「きっと平気ですよ、神子の私にはわかります」

「ほんとう?」

「すくなくとも、聖域では平気でした!」

「だったけど……」

「それにっ、忘れてませんよ。ゼンってばあの時、笑ってました!」

「う。そ、それは、ごめんって――」

 この時まだ用意すべくもないとある統計を将来、私は試みる。あるいは贖罪を意味していた。結論、「鎧の出現」と「神子の消滅」が結びつく事例は、アメイジア南北戦争頃を(さかい)に見られなくなる。つまりここ百年で、祝福に殺された神子はいない。私は"消滅"の概念に、魔法理学者ほど明るくはないから、本当に失われてしまったものを探りようもないが。彼女のことならばいつだって、間違いなく確かめてみせる。一度だけ手記にも記そう。フラン・フラムネル。消えていない。意味も忘れていない。忘れていないなら、彼女は消えていない。

 少年少女を見守りながら今、私は、杞憂と感心を思い浮かべている。解決しようもない憂いより、感心からを近く、隣人に伝えるべきか。

「恐れ入りました、ヴァンガード」

「おう?なんのお話だい」

「体系的な新世人類学の知見をお持ちだ。しかも地につきながらも鳥瞰のそれです。エウロピアの智識院でお納めに?」

「ややっ、御大層な買い被りをしてくれたね!てんで悪い気はしないが、違うもんは違うって応えなくちゃ。出会った時にも言った通り、俺は目覚めてこの方の根無し草、さっきな又聞きを()()()連ねただけだよ。学筆なんて、熱心に握ったこともない!」

 まさか。と、私はそれ以上、追求しなかった。彼はつまらぬ嘘などつかない。ヴァンガード・アーテル、誰の目にも魅力的な人物だ。関わる内によこす心象は、冒険に駆け出したての少年のようでも、千年を生き連ねた賢者のようでもある。公国すなわちエウロピア地方の出身を自称しながら、踏んだことのないアメイジアの言葉を違和感なく――異国人と言われねば、全く気がつけないほど巧みに――操り、王国人が親しむような歴史に古い仕草を、当然に用いる。ちょうど、立てた人差し指を唇に当て。

(それよかさ!)

 囁いた。この男は実際のところ、どこからやってきたのだろう。その疑問は明かされるべきではない、私は思った。つい同調して、声を潜めている。

(なんです)

(ここだけの秘密なんだが――)

 と、来るから、私の心臓を打つ。しかし、これまた考え違いであった。

(とある賭けを、折よく交わしたところでね)

(賭け、ですか……?)

 誰と。何を。答えを示そうとする筋肉質で太い首が、そぉっと回る。私も首だけ、そぉっと追従する。"薄灰色"で俯くしかめっ面が見つかる。持ち主は、ヴィクトル・サンドバーンしかない。

(いったい何をです)

(あらたな騎士の誕生を)

「んっ!」

 声を上げそうになる。鮮やかに私の口を塞ぐヴァンガードは、誰よりも信じていた。続ける。

(実現したなら、あいつの剣技を少年に授けてもらう。俺のじゃまったく足りないんだ)

 私は男の掌を剥がそうとして、敵わない。すぐに許される。

(おっと悪い!イトーはどう思う?『ある』かな?)

(ふぅ……そうですね、ない、とは気軽に断じ難いですが――)良くも悪くも、特別な巡り会わせを経て。(彼らがはたして、"鎧"を要とするでしょうか?よりにもよって、この馬車に乗る内で)

(む!それも、そうだね……)

 考えもしなかった、とはいかにも。不要な謙遜をしないのが、ヴァンガードの美点のひとつだ。目も利かぬ文人の私が今更、類稀なる武人の腕前の何を語ろう。判然とするのは、ヴァンガード級の戦士が、この馬車にはふたりいる、という事実だけだ。

(もっとも聞けば少なからず……ヴィ――彼は、賭けに乗ったのですか。あなたはいったい、何を天秤に?)

(何でもいい、そう伝えてある)

(思い切りましたね)

(あいつの『よし』を聞くためだもの)

 "守手"の肩書きが"騎士"を導くとは限らず、同道の期間とて無限ではない。分で勝るなど確信はできぬはずなのに、ヴァンガードはおおきな覚悟を示した訳だ。

(ふ。俺が叶えられる望みなんて、そもそもあいつにゃあるのかな?ようく考えておいてもらわないと。地と()()がひっくり返ろうと、ない、そうだから)

 聞いたそのままを引いたのだろう、いささか(きたな)い言葉遣いである。時次第で避けられるべき強調表現というのが、どんな文化にでもあり、我々にとって、()()、は筆頭だ。

(言わしめましたか、それほどまでに)

(子どもの"騎士"なぞ、居やしないからとね)

 確かに、寡聞にして聞かない。

(ふつうの子なら、そうだろうとも。善しも悪しきも分別つかず、振るう剣は悪に折れるもので――)

(それでも?)

(それでも。常識なんてつまらんものを、打ち破れるやつはいる。いないとすれば、必要だ)

 ヴァンガードは、ゼン・イージスの話をしている。

(魂を試す機会は、誰にでも巡るものじゃない。恵まれなくて、悔しくて、斜に構えちまうやつだって生む)

 今度は、友の話をした。

(内省にまでずいぶんお詳しい)

(後にも先にもいっぺん限り、あいつがべろんべろんのヤケ酒した時、たまたま近くにいたのが誰だと思う?)

 それでわかりきったような口を利く。いや掛け値なく、彼らは余人が通ずる度を越して、遥かによくわかりあうのだろう。そうでなくては耐えられぬ戦場(いくさば)が、この星にはある。

(あいつの振るう(ことわり)は、あいつ自身を傷つけている。可能性だけが、あいつを救える……)

 最後に彼は騎士について、あるいは、光明についてを語った。

(勝てるかな、俺は)

 この時ばかり、ヴァンガードも異国語の選びを誤ったかと思えた。間近な青い瞳は、そぐわず強く告げるのだ。『勝つのは必ず、俺だとも』

「ねぇ、どうしてずっとひそひそ話なの?」

 ゼン少年は公用語上達の志高く、大人たちの会話に絶えず聞き耳を立てている。知らない我々ではなく、だからひそひそ話なのだ。とは答えられずに。

「あ、や!ちょいと大人の話をね!」

「オトナの?オトナの話って、どんなお話?」 

 弱ってしまう。少年は、いつのまにやら傍にいた。忍び寄った経緯をつきとめるに――絵本の解読にあたって安全性を押し問答のち冒頭へ、ふたたび"祝福"へ至っては「そ、それよりさ、ほかの本をたしかめてみない――?」と、居所を立ったところらしい。主語の具体を長く省いたから、「オトナの話」の詳細は、彼にも汲み取れなかったはずである。我々はその大人なりに小狡く、少々の目配せのち、素早い連携をみせた。すなわち時を稼ぎ、陽動し、仕留める要領だ。

「い、いかがですフランさん、読解の調子は」

「イトー!ゼンったら、危ないって言って聞かなくて……」

「魔法の原則に照らしてみましょう。意志なく口ずさむのみなら、いかなる呪文も……?」

「安全です!」

「あ、そっか……」

「はは、少年、気を取り直してさ!本を探してるって?一緒に読もうぜ、好きなのを持っておいで」

「え、やった!」


 全ての肩書きを、私は国においてきた。自ら名付くを新たに許されるなら、「記録者」を選びたい。

 "物語"には、往々にして空想と真実が入り混じる。その同定とは容易ではない。今では気に病む商隊長が、いつか口を滑らせたように「旅路の神子は縁起が悪い」とは、物語が発端である。辿って、「聖巡礼には苦難がつきもの」とは、いまや幻想に包まれた常識である。人は引く。"道に光射し闇は開けり"。これは、"巡礼"にまつわる物語だ。

 ひとつの(さかい)がほど近い、"さなかの国"との別れが近い。地続きの現実を、黒い馬車がゆく。


 本話の改稿を受けて、五十話「光明」の心理描写を一部調整する予定です。


---

(旧あとがき一部補・修正)

ようやく商隊の面々の真名、家名が出そろったので、ここに記しておきます。


ハウプトマン・ティレルチノフ:アメイジア王国出身。商隊長、只人なりの比較的低身長、大概なマッチョ。頑固。

リリージニー・シルヴィン・ティレルチノフ:長耳の国出身。ハウプトマンの嫁、長耳、高身長、褐色肌、すらっとした美人。子どもにダダ甘。

ケンジ・イトー:アメイジア王国出身。商隊の知恵袋、旅の記録者。只人、中肉中背、眼鏡、天パ。まじめ、世話焼き。

ダルタニエン・サングリエ:恵みの国出身。馬番、元用心棒、五分咲きの猪、かつ巨人、とてもふくよか。くいしんぼうのおっとりさん。

サルヴァトレス・ドルトル:自称、砂香る(サンズバル)共和国出身。料理人、只人、身軽な感じ、胡散臭い。声がデカい、怒りっぽい。あと胡散臭い。

ヴァンガード・アーテル:自称、エウロピア地方出身。常識外れの拳の戦士。只人なりの超高身長。金髪碧眼の鬼マッチョ。ゼンをかわいがる。

ヴィクトル・サンドバーン:エウロピア公国、ダンコヨーテ領出身。かなり凄腕の剣士。只人なりの高身長。黒髪アンバーアイ。狼みたいにこわいかお、眉間の皺とかすごそう、皮肉屋さん、ヘンクツ。


ゼン・イージス:神子の守手

フラン・フラムネル:火の神の村の火の神子


きちんと名前が出そろうところまで書けるとは思っていませんでした。

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