23.剣士
静穏な早朝に、焚き火がひかえめに灯っている。囲むのはイトー、ハウプトマン、それからサルヴァトレス。これは、彼らがおりなす余談の一幕だ。
「"集団暴走"とは、よもやよもやの晩でした!この地が帯びた幻想に、我々の旅もいよいよ踏み入った感がありますねぇ」
イトーは目覚ましの茶をすすり、手記をつづっている。その呑気さたるや。稀な「災害」に出遭って浮かれる変人と、とられて然りの態度で、しかし、"庭木に落雷の喫驚、勝りしは寝台に辿る夢路"を星には言ったりもする。以下に書き留める文字などは、尻の方ほど震えて歪んだ。雷は、庭木でなく屋根をそして寝台を、あるいは貫きかけたのだ。
――件の脅威から逃げおおせる為、黒い馬車は夜通し走った。小眠りのち、現実をあらためる。生き残っている。いささか寝足りない。馬たちには十分な休息が必要だ。……何かが足りねば全滅だった。危険を知らせた少年少女。時を稼いだ名うての剣士。特別な魔法にかけられた馬車。やはり、いずれが欠けても全滅だった。慎ましやかな表現である。
「わはは!幻想ってなあんな出来なら、思ったよか現実と地続きらしい」
過ぎた危機になら憂いなし。ハウプトマンは商隊長だ。来たる危機になら、悩みの種はある。「なに睨んでんだい、そりゃ」根菜の皮むきにかかるサルヴァトレスが、まさに指摘した。
「荷の目録さ!思い切りよく捨てちまったもんだ。キリキリ舞いに算盤弾かにゃ、国境越えもだいぶん渋いぞ」
「へっ、大将が気にしいな"縁起"っての?あンじゃねぇのか、あながちよ」
しげしげと視線を送って、ハウプトマンは返答とした。続きを言ってみろ、とばかりで、強面だ。
「ほれ、神子を乗せたら途端にこれさ」サルヴァトレスは怖じていない。
「……嬢ちゃんの前じゃあ口走ってくれるなよ、妙なこと」
「おっと、嫌味盛りは俺んタチじゃねぇぜ。フキツにやきもきすンのもな。出来過ぎだってぇーんだ、要は」
真実である。"さなかの国"はすなわち弧大陸のさなか。"商隊"の旅は折り返しにして続けざま、あれやこれやと出くわした。どちらも、当代には稀とされる。弧大陸は名を「幻夢の如き」と掲げども、道ゆく万人の巡り会いに、必ずしも奇跡をもたらさない。
「因果関係はともあれ……」イトーは手帳を閉じた。「我々は無事です。幸いなことに」
「そうとも」「違ェねぇ」
あらたに荷台に積み込んだのは、はたまた、幸運、なのかもしれない。すくなくとも、三人はそうとらえることにした。
「仮にも市場に並んだ日にゃ、大枚叩く行列を拵える。そーゆーモンだわな、ツキってなァ」炊事用の炉を組み立てに、サルヴァトレスが腰を上げた。
「ああ……」ハウプトマンは口髭をもみ、やはり商隊長として、道ゆきを見据えていた。順調と、安全と、心遣いが、"商隊"には求められる――まずは。
「ケンジ。隊費の勘定に、お前の援護射が入り用だ。頼めるか」
「ええ、それは一も二もなく」
はっ、とイトーは眼鏡を押しあげた。舞い込むであろう作業の量に、その手は震えを忘れはじめる。
「旅程のあらためも必要でしょうね。いったん東進、そののち北上、西境は……」
「諦めよう」あの"集団暴走"は、おおよそ西方からやって来たのだ。「大陸道に出るべきだ。付近なら国内外、治安の安定が見込める」
「おっ、街道に戻んのか!助かるぜぇ」"薄灰色"にて料理番は、嬉々として聞き逃さなかった。大陸道に街道、どちらも同じく弧大陸の大流通路を指す。未開国では扱わないような先進国の品――医薬品、調味料など入手できるが、"商隊"にとっては、利点ばかりの道取りでもない。
「人目が絶えないのは……良くも悪くも、ですね」"時駆け"が使えなくなる。
「公国まで直進がよかろうな。"統べ手無き土地"南部の物見は、難しくなるが」
「日が空きますから、行き先で情勢を拾い直してみましょう。良い巡りに恵まれるやもしれません――」
さて余談はここらで一区切り。"商隊"が朝食を済ませる間に、とりたてて馴染むべきこの星の知見があるに違いない。
"集団暴走"に関してだ。
天災の一種である。先史――王国暦前、伝承のときにまで、初出は遡るとされる。「何故」起こるのか、定評のある学説――詳細は割愛――が、当代には複数。「如何に」起こるのか、つまり原理は、解明されきっていない。
現象の定義を「魔物が、固有の生物的特徴を放棄して、同一ないし近縁種のくくりで数多に集結、狂乱的な進群をおこなう」こととする。
脅威である。物量の暴力である。成熟、肥大化しきったそれに、真っ向もしも出くわした日には、運がなかったと諦めて、よりよい来世を願うがいい。と、剣も魔法も発展途上の時代には、まこと囁かれたもので、何時であろうと人を生かすのは、それでも、とのたまう諦めの悪さでもあった。立ち向かい方の象徴を、ここにふたつに大別できる。類稀なる個の犠牲、また、凡庸されど集団の執念。後先、形を残すのが後者であった。門柵を設け、城壁を築き、やがて"結界"の概念を得て"警戒線"や"障壁"を駆使することで、人々はとくべつな代償を必要とせぬまま、災害を退けられるようになった。
当代に至る。"統手"――願いを受け、安寧を行き渡らせる存在――を戴く多くの土地で、"集団暴走"は激減している。たかが「言い伝え」だと丸め込み、記憶から掃き捨てる人々が増えた。稀に発生するその一度の規模は、いにしえと比して遥かに大きくなっている――以上、すべて心得るなら学者の仲間だ。
土地の古老くらいだろう、見知らぬ魔物が幅を利かせはじめた、など些細な噂を気に留めて、予兆をはやくに読み取る賢者は。旅人の身では難しい。黒雲に、身打つ雨滴を覚悟こそして、雷だとは、よもやがよもや。あると知ろうが逃れられるものか。誰しもがそうだ。退けられる、と断ぜるのは未だ、備えがあれば、の都合の話だ。真っ向もしも出くわす日には、やはり、巡りの悪しきを嘆くだけ、草の肥やしと伏す明日が待つ。笑いの渦を所望なら「それ」を逃げおおせたと、夜の酒場で誇るが良い。立ちはだかったと口を滑らしてみる。酔いの深さを、荒くれだって気にかけてくれる。わかるだろう。事実であるなら類稀、語り草になる物語なのだ。
いかなるものか、"集団暴走"を学んだら、いかなる馬車か、"商隊"のとくべつさに、いよいよ勘付くやもしれない。話の枕を起こす頃合いだ。朝食が既に済んでいる。ゼン・イージスの話を続けよう。
主役足り得る人物を、黒い馬車は乗せている。とくに剣士だろう。とくにおおきな剣士だ。そのおおきさまでを、まだ知らずにいる或る少年は、とある頼みごとをだいじに抱いて、親身な大男に背を押されている。
おおきな剣士ヴィクトルに、できることならばゼンは、剣技を授けてもらいたい。勇気と声を振り絞った。
「ヴィクトル」
「……」
ぎろり、押し黙りが返される。いかにも不機嫌。敷布に腰を下ろすヴィクトルは、睨み上げて幾ばく、ようやく。
「……なんだ」
唸り声である。ただの子どもが立ち向かうには、だいぶ勇気の要る唸り声であった。敵うだけよかれ、ゼンは持ち合わせていた。
「剣を、教えて欲しいんだ」
「…………」
沈黙である。焚き火が代理でぷすぷす鳴いた。ゼン、ヴィクトル、ヴァンガード、三人だけがいあわせている。
「…………」
続く沈黙である。辛抱たまらず口を開くのは他にない、通訳を兼ねるヴァンガード。
「《なぁ、ヴィクトル――》」
熱弁がある。頼み込んでくれているのだろう。聞けどもゼンには異国の言葉だ。ありあり知れたのは、ヴィクトルが眉間に刻む皺の、いかにも厄介そ~に深まってゆく様だけだった。
「…………」
幾度だろうと、沈黙である。熱弁をさんざ浴びせられてヴィクトルは、少年を睨み、大男を睨み、はてに焚き火を恨めし気に睨んだ。睨んでいる。止めない。
「…………」
そこで燻ぶるのは親の仇か、と語らんばかりの、ぎろり、である。これに些細な変化を読み取れるのは、"商隊"の大人ではヴァンガードしかいない。だから、「なぁ」と再度、辛抱たまらずも、ぎろり、を受け直しては、口を噤みもする。このぎろり「すこし黙れ、俺が喋る」のぎろりだ。
生まれるのは、これまた長い沈黙である。埋め合わせるため、関係性の補足でもしよう。"商隊"とゆくならどの道、遅かれ早かれ知る関係性ではあるが。
戦友である。剣士ヴィクトル・サンドバーンと、拳士ヴァンガード・アーテルは。それなりの死地――昨晩の"集団暴走"が、お話にならないほど悪い死地を、共に潜った仲であるから、良し悪しで言えば、かなり良い仲だ。
人付き合いなど、いかにも厭うヴィクトルの、肩をがっと組み「こいつは俺の友達さ!」と、大手を振って大路を行ける大胆が、大地にどれほどいるだろう。ヴァンガードこそ稀なひとり。もっとも、殺してやろうか、と語らんばかりの、ぎろり、が対価の肩組みである。大うそつきと、衆目は判ずるかもしれない。ゼンなら違う。察する余地がある――ふたりはうんと仲良しだ――射殺すばかりの、ぎろり、はいつでも恐ろしいけれど、嫌悪や敵対など、おおよそふくまれていない。誰に対しても、これは同じくだ。たまにちらつくとすれば、そう。
「……断る」
拒絶である。ダンコヨーテ訛りの否定の言葉を、ヴァンガードは訳さずにいて、どうしてだっ!と怒鳴ってかかった。子どもの期待は裏切れない、どうにかして違う答えを――報われない思惑であった。何故ならば「断る」これは、とっくに覚えた異国の言葉だ。誰が。ゼンが。肩を落として、つぶやいた。
「そう……」
覚悟はあった。拒絶される覚悟だ。視線のふくみで、わかってしまう――ふつうでないと、ゼンはなんとなく自覚している――それはそれ。期待してみて、頼んでみて、すげなく断られてしまえば、はっきり表明されてしまったら、どれほどだろうと、傷つくものだ。なにせ、十夏かそこらの少年である。
ちいさくなった少年の姿は、いつだってヴァンガードを慌てさせる。身振り手振りを交えて大声の、大男である。
「《頼むよヴィー!この子の剣はたしかに見ただろ!お前が今日からでも教えてくれたら、"勇者"にだって彼はなれる。本気で俺は思ってるんだ!》」
「《……聞いた》」
「《星へ至るには、導くのが俺じゃダメだ。お前じゃなくちゃ》」
「《……それも聞いた》」
「《お前が……いいや、誰しもが憧れた、光の騎士にも、彼ならっ!》」
「《聞いた。全て、既に聞いた》」静かに、ヴィクトルは立ち上がっていた。いかにも億劫、しかし無駄がない。どう隠したてたところで、戦士の目にはわかってしまう。ヴィクトル・サンドバーンは手練れの剣士だ。力を担う人物は、それ相応にしかふるまえない。「《全てお前の意見で、お前の言葉だ……》」唸り声である。
どこから何まで訳すべきか、ヴァンガードが迷っていると。
「"誓い"なの?」ゼンが問うた。全てを解せずとも、聡かった。貫かなければいけない何かが、ヴィクトルの拒絶には混じって思えた。
「違う」ヴィクトルが応えた。とっくに覚えた異国の言葉だ。ゼンがまた問うた。
「……ヴィクトルに教わらなくても――」懸念はとくに、この一点である。「僕は、昨日より強くなれるかな」
御許では、暇さえあれば「自分」と打ち合った。毎日ぐんぐん前へ進めた。いつか「自分」が言った。行き止まりに、どこかでぶつかるだろう。また自覚があった。背が伸びるにつれて、日々の一歩が縮まっている。高く、分厚く、見えない壁に、今にも、ぶつかろうとしている。勘付いている。ヴァンガードの消えるような足並み、ヴィクトルの魅せた"必殺剣"、あれらはきっと、壁のずぅっと向こうにある。神秘をゼンは信じているが、剣術についてはこと現実的だ。名手に拒絶を示されて、戦士の性が、脳裏で冷ややかに囁きもする――壁を乗り越える素質が、僕にはないのかも――越え難いなら、ぶち破ればよし。など、持ち合わせの気概ばかりでは、途方もない時を対価とするのも、また戦士の端くれゆえ、よくわかりきっていた。
ヴィクトルは応えずに、問うた。
「何故だ」
理由を質す異国の言葉が、ゼンの一部になろうとしている。
「何故、お前は剣を執る」
「えっ……」
決まっている。決まっているはずで、何故だ、とっさにうまく選べない。ヴィクトルは、問いを重ねてやまない。
「何故、強さが必要だ」
思ったように述べたところで、ヴィクトルの険しい表情はやわらいでくれようか。すでに、ほとんど立ち去るかの横顔である。それほど長く、ゼンは沈黙した。
――僕は弱い。守らなきゃいけないフランより弱い。強くなりたい。フランに、エマに、商隊のみんなを助けて足りるくらい、強くなりたい。役立たずでいたくない。弱いままじゃ、いられない。
全てが本音であるはずで、全てを言いきる自信はなかった。ひとつ選ぶのが、やけに躊躇われた。ぐるぐる渦巻く選択肢。拾い上げるのを過てば、ヴィクトルとのあらゆる距離が、いっそう遠のく気がしてならない。思い切りがゼンに味方するのはいつも、命のやり取りの中、それか、好奇が命にも勝るときだけだ。
幸いに、迷いを、ヴィクトルは良しとした。立ち去ってしまうことなど、実際はなかった。沈黙で、怖い目つきで、いかにも物憂げで、されど辛抱強く。答えを、ひたすら待っていた。
「役に、立ちたいから……っ」
これもまた、真実である。ようやくつかみあげ、ゼンは掲げた。
「僕は、みんなの役に立ちたいんだ!」
おかしなところで似通っている。優れた剣士に一瞬は長く、どれだけあっても熟考に足りない。聞き届けたヴィクトルの、これまた長い沈黙である。一番長いか、沈黙である。重たい口が、ようやく開いて、告げる結論に。
「剣は、ヴァンガードに教われ」
ゼンは落胆を重ねた――ヴァンに教えてもらえるのは、嬉しい――それはそれ。十夏といえど剣士の端くれで、おおきな剣士が考え抜いてダメと言った、事実に重みをくらうのだ。ただ。
「俺は、弟子をとらん……」
と、唸り声が付け足すと、趣もだいぶ変わってくる。つまり、とくべつ誰が訊ねても、断る、とヴィクトルは唸るらしい。ならば仕方がない。わりきり得意な少年でもある。
「…………」
ヴィクトルは、用は済んだな、と語らんばかりの沈黙である。背中は、行ってしまうかと思われた。二、三歩行った。顎だけ振り向いた。
「《世の常識に限れば……教えてやらんでもない》」
ゼンはすかさず(なんて言ったの!)と、隣のヴァンガードを見上げた。微笑んでいる。
「座学なら教えてくれるってさ!」
「えっ!」
「《気が向けばな……》」
これは、とくべつではなかろうか。「やったぁ!」ゼンは飛び跳ねて喜んだ。じかの稽古でなくともよかった。一挙に道が開けた気がした。見えない壁が吹き飛んだ。きっと、ぶあついだけの雲だった。
「良かったな、少年」ヴァンガードは手癖でゼンを撫でつつ、目ではヴィクトルの背を追っている。「《わかったよヴィー、まずは俺がやる。だけど、必ずどこかで代わってもらうぞ。お前の剣は……守護剣は、この子の道に欠かせない》」
どこまでを真に受けただろう。ヴィクトルは鼻息で、ふん、とあしらって、とうに場を去っていた。少年と大男だけになった。
「ありがとうっ、ヴァンガード!」
「おいおい、だいぶん早い喜びようだね!ヴィーから引き出したのは少年で、俺が教えるのだってこれからさ?」
「いいんだっ、なんでも!」
父親ぶりの稽古になった。夏三巡、ゼンが「自分」と研ぎ澄ました時間だ。新たを得るには制約があった。突き詰めたのは、基礎ばかり。逆に、基礎だけを見れば。
「うん、おそろしく綺麗だ。王国五剣も腰を抜かすぜ」
「いいことなの?」
「良いことだとも!」
"構え"と型――各"構え"から派生する、定番の剣筋――を、持ち合わせるだけ披露して、必要に応じ打ち合った。ほんの向こうではフランが、サルヴァトレスの料理に便利使いをされている。火加減を、イトーの通訳で様々試すのだ。大鍋から、ばぁっと火炎が立ち昇る。楽し気な声があがる。ゼンも燃えていた。
――僕もフランくらい、みんなの役に……ちがう。ちがうよね。こう言えば良かった。必要なんだ、剣が。守るために。
ときに、新たに満つれど長き旅路に、重宝するのが「遊び札」だ。言葉や数字の学習に、交流、休憩、暇つぶし、それからある種たとえ話――とくに戦術に関しての――など役立つ。ゼンは札より先に柄を握るし、遊び方より先にたとえを覚えた。
「"対人剣"の手札は十分!後は切り方と組み合わせ……駆け引きを、もっと学ぼうか」
「どうするのがいい?」
「経験だね。仕合いの数が要る」
「きっとたくさんだ……」
「ひとまず百人分。癖を読んでみたら、そう簡単にサシじゃ負けなくなるとも」
「ひゃくにん」
大きな成果を楽観するより、馴染みのない大きな数字が、とかく気がかりな少年だった。やはり、戦士の端くれゆえ。
「心配ない。俺がいる」
真実だった。なにもかも。この先、覚えておくといい。
「うん、信じてる」
「ふふ。それと、もひとつ欲しいのはね……」「なに?」「爪の垢だ、少年の」
「何故?きたないよ」
「素直とは正反対で暮らすヤツに、煎じて飲ましてみたいのさ」
黒い馬車がちょっとあちらに見えるなら、剣の稽古になど、いかにも興味なさげな誰かさんが、ぎろり、もたれかかっているのも一緒に見える。もちろん、ゼンは気がついていた。見守ってはくれているらしい。ヴァンガードがほくそ笑む。
「どうだいこの後、馬車が発ったら。遊び札もいいけれど、今日のところは――」
長くも短い朝の時間を、稽古にぜんぶ費やした。遅めの昼食まですまし、平原に日を高く、黒い馬車がゆく。
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"薄灰色"は見張り席。そこに座すなら見張り番。昼番など、呼び替えられもする。すれ違いざま、ほかの荷台の乗組員と、挨拶を交わせるだけが特権だ。欠かせない、けれど退屈な役割である。左右に、かたや身体を伸ばせる"魔法の居間"、かたやだだっ広いばかり"さなか"の平原。後方確認、たいていは、よし。すくない仕事に、手狭な仕事場、就くのはひとりで十分で、ふたりより増えれば、昼番のための「お喋り役」だ。
もっとも、孤独を好む人もいる。ひとりになりたい時もある。「隣をいいかい」「ダメだ」となったら、押しかけないのが"商隊"の作法。常の話だ。とくべつはある。ずい。と、まさしくヴァンガードは、注文にない「お喋り役」を押し売り、"薄灰色"に顔を出す。もちろん、ゼンを連れている。いかにも迷惑そ~な顔を、昼番はこさえた。
「《気が向けば、と言った……》」唸り声である。
「《まぁまぁ!どうせ暇だろう?》」
「…………」
それはそうなのだ。せめてヴィクトルはぎろりを利かせる。するとヴァンガードは肩をすくめる。「貴様は向かいだ、座るなら」「わかったよ」無言をこうして汲めるなら、はやくも彼らとお近づきである。
ずしりと座した大男、総身で"薄灰色"を埋めかねない。大鍋や煉瓦が居座る側だから、窮屈加減もなおさらだ。片脚など"魔法の居間"まではみ出してしまう。空いているヴィクトルの隣に、ゼンはちょこんとおさまった。煤と油が香る荷台だった。
「あのね、昨日の必殺剣って――」通訳にヴァンガードが取り次ぐ。「《な、興味津々なんだ。話してやってくれ》」
「《……幻想を抱くな。俺の一振りは、紛いだ》」
「過ぎた謙遜はイヤミだぜ。少年、覚えておくといい」
「うん」
あれでニセモノなら、この星こそが夢だ。ゼンは思った。十夏らしからぬ現実的なまなざしで、理屈を、剣に追い求めている。
「刃をあてずに斬れるのは、何故?無詠唱とは違うんでしょ」
わかるのだ。平野を薙いだ一閃は、とくべつだろうが剣の道にある。
「……"剣気"のはたらきだ。"必殺剣"は、これを著しく増幅する」
開けゆく景色に、少年の胸は高鳴り通しだ。
「剣気……!僕も頑張れば、使えるようになる?」
「もちろん!どころか、とっくに使えてるよ」
「え!」
「少年だって持ち合わせてる。剣気も、その源たる闘気もね」
何も持たざる少年は、知らず知らずに持つ少年である。
「そっか!戦士ならみんな"闘気"を持ってて……だけど――」「《"闘気"はもう教えたか》」「《……森で伝えた》」「《とーぜん、十単語より多く使っただろうね?》」「…………」怪しい。沈黙である。
「はははっ、そんじゃあ改めて!ヴィーが"剣気"なら、俺が"闘気"で先駆けよう。どうしておあつらえ向きじゃないか」
手袋を外すヴァンガード。差し出してみせる、傷痕だらけのおおきな手のひら。
「そら、握ってごらん。俺のやり方は"現せば真だと人は執る"、さ」
唐突に、きっと握手というやつだ。市場の商人らをゼンは見真似、おおきさに差がつく手と手であるから、先っちょの方を握って返した。
「これでいい?」
「おう、剣柄を握るつもりでな」
剣柄ならば、手放す訳にいかない。よっぽど強く握り締めてみる。ぎゅうっと。ところが。
「もっと強くていいぞ。ぐぐっと」
「ん。どう、これなら……?」
木渡りだって、こんなに強く枝を握らない。ぐぐぅっと。どころが。
「まだまだいけるだろう?」
「う、うんっ。たぶん……!」
まだまだいける。たしかに。しかし。試みたことはあまりない。日常、とても必要がない。
「よし、いい具合だ!」
ヴァンガードの満足げを受け、ぱっと、ゼンは力を弱めた。なんだか気が咎めている――ヴァンガードだから、よかったけど――握る手が、もしもたとえばフランのものなら、どんなにお願いされようと、さいしょの段すら断った。怪我をさせてしまうからだ。
「ここらで出番だ、魔法の林檎を用意してある。ほんとは、おやつに持ってきたんだけどね」
足元から拾われる木目の鉢皿に、ことっと鳴った、数は三つ。旬であらずも出回っている、魔法の林檎だ、文字通り。ひとつ、ふたつとそれぞれ配って、ヴァンガードはにっと笑った。空の鉢皿を膝に乗せる。
「俺の分とはいえ、汚すと怒られちゃうからな」
傷痕だらけの手のひらに、のこった林檎がまるまる収まる。くしゃり。
「あっ」
爆ぜた。おおきな手のひらに、握りつぶされてしまったのだ。ほとんど粉々、鉢皿が受けた。ヴァンガードはけろり"魔法の居間"へ「《なぁこれ、パイの具にでもできるかな?》」と投げかける。「《あーん?炉ォ組み手伝え!したらやってやらぁ》」缶詰を勘定中の料理番が応えた。「《じゃ、頼むよ》」鉢皿は夕頃まで"冷凍庫"で冷やされるだろう。ヴァンガードが向き直った。やはり、にっと笑っている。
「どうだい?わかったかな」
「えっと……」
「ひとつは、少年の握力だ。俺が測って、そうさな……半分くらいか?林檎に再現してみた」
測った。半分、再現した。驚くほど器用。しかし、真実なのだろう。出来る大男である。頷きつつも少年は、不思議をまなこに湛えるのだった。
「あはは、林檎なんてつぶれて当たり前!ってツラをしてるな」
「当たり前……じゃないんだ」
「おう。ちいさな手と細腕でもこれなら、ちょーっとふつうじゃなかろうさ?"闘気"を持つから出せる力だ。なみたいていの少年はね、少年ほど力持ちでもなけりゃ、速く走れもしないんだよ」
はたと、ゼンは今朝がたを思い出す。ハウプトマンに、がしがし背中を叩かれたのだ。「たいしたもんだ」とくるから「なにが?」と返せば「大切担いで逃げおおせたことさ」ときく。ハウプトマンはかつての仕事で、同じを行うのに心血を注いだときく。難儀したともきく。何かを背負って走り出すのも、大人の重たい身になれば、かえって難しかろうかと、勝手に納得していたものだ。
「そいでもひとつ!握り締めてみてどうだったかな、俺の手は」
「かたかった!はがねみたいだった」
「今はどうだろう」
傷痕だらけのおおきな手のひら――林檎の汁は拭き取られている――を、ゼンはふたたびつまんでみる。
「いつもの手だね」つまり、頭をくしゃくしゃにしてくるのと同じ、かたくもやわらかい大人の手である。
「さっきは思ったんじゃないか、『これくらい強く握っても壊れない』って」
「うん」
「でももう違う?」
「うん……」
頼まれたって強く握れない。いくらヴァンガードの手でも、きっと傷つけてしまうから。
「加減がわかるのは、"闘気"を感じているからだ。実際、さっき俺の手は千切れずに済んだ。"闘気"を集めて守ったからね」
はたとゼンは、いくらか過去を思い出す。
「そういえば僕も!頑丈だって、おばばに褒められたことがあるよ!"闘気"があったからかなっ?」
「ああ、そうだろうとも」
少年の過去の暗さについて察する余地が、このときの大人たちにはとてもなかった。無邪気な笑顔ばかりをみる。ちょっと曇った。
「だけど……かたくなり方は、わかんないや」
「鍛錬がすこし必要だね。俺はとくべつ得意なんだ」
「ヴィクトルは?かたくなれる?」
通訳を聞いて、ぎろり。いかにも呆れた唸り声である。
「《馬鹿げた龍種の真似事だ。イカれた技と知っておけ》」
「『俺にはできない、ヴァンガードは流石だ』ってさ!」
「そうなの」「《違う》」「違うって」
ゼン・イージスに嘘を吐いてはならない。
「あちゃあ!覚えが早いね!」子どものそれを侮るなかれ。
「そいつ、《嘘つき》」追い打つ、唸り声である。
「ウソツキ!ウソツキはダメだよ、ヴァンガード」
「参った、俺がわるかったよ!《たは、怒られちまった》」
「《ふん、いい薬だ……》」
この場にひとりの通訳だ。適当されたら困ってしまう。
「もうウソツキしない?」
「この手に誓って、ウソツキしないよ」
掲げられる、林檎の香りの手のひらだった。気を取り直して。
「《"闘気"についちゃ、どうだい補足は》」
「《……剣気、魔術および飛来物に対する抵抗力》」「《そうだった!続けて》」「"闘気"をその身に宿すなら、得物の何もを失ったとして、持たざる者の盾となれる」
「盾……」
ゼンにとって、たとえばかりを聞く道具の名前だ。
「内を強くする"内闘気"、ガワを守れる"外闘気"って話さ。こと弓矢の概念に、"闘気"は強い。刺さって浅いし、勢い失したもんなら、ぽよん、って弾いて痒くもない。ながく飛ぶにつれ、色々を弾ける。やわ肌だろうと、戦士は結局カタい訳だ」
「……穿ち得るのは、闘気を凌ぐだけの剣気、格別に高強度の魔術、威力を保った至近射出物――」「そして、刃だ。なによりも」
ヴァンガードが指をさす。おおきな剣士が、林檎をひとつ握っている。
「剣は鍛冶屋に、剣技は剣士に。出番だぜ」
「ふん……」
考え事に沈む鼻息だ。短く沈黙、ヴィクトルが、じきに抜くのは腰の短剣。ぎらり、いかにも鋭い刃が上向き、冷たく輝いた。
「"剣気"なし……」
唸り声である。剣士の手から、林檎が軽く放られる。たちまち短刃の上に落つ。スッ、と鳴って、切れ込み、刺さる。食い込み具合、三分の一。果実の自重でこれだから、やはり鋭い刃である。
「無事な林檎を貸してやってくれ」
切れ込み林檎をゼンはもらった。無事な林檎はヴィクトルにあずける。
「"剣気"、あり」
唸り声である。無事な林檎が、軽く放られる。たちまち短刃の上に落つ。落ち続けた。音も鳴らずに、真っ二つ。床まで落ちるか。ヴァンガードの手袋が受けた。
「これが"剣気"の有無!何が違った?」
「斬れ味!すごくよくなった!」
「ああ!そんでもって……《動かすなよ?》」「《車輪に祈れ》」
ヴァンガードが裸の手のひらを短刃に近づける。なんと危ない。かるく押しあててさえいて――何も斬れてはいないらしい。
「"剣気"あり……」「"闘気"もあり、だ」
ガコン!まったく折り悪し、車体が一時浮いたではないか。踏みならすだけが舗装の旅路で、懸架装置にも限界はある。
「だ、大丈夫?」
おおきな手のひらなど、短刃を握りしめてしまっているが。
「おう!俺の拳はカタいからね!」「"剣気"、なし……」
よい子は真似をしないだろう。真似をしてみたい部分はある。
「作ってみるかい?パイの具を。おんなじ風に、少年だってできるはずだぜ」
鉢皿を追加で持ち出して、手頃な刃はヴィクトルに借りたらいい。
「《……料理道具では――》」
「いいの?」
「…………」
短剣の柄が差し出されている。
「ありがとう、ヴィクトル!」
「…………」
八等分まで楽しんだ。ゼンにも"剣気"がしかとあるのだ。刻んだ林檎は、すこしすっぱい。ひときれずつだけ摘まんだら、本題へ戻る。
「"闘気"は"剣気"をよく防ぐけど、刃の鋭さまでは、ふつう、防げない」
ヴァンガードは、つまりとくべつだ。
「ここらまでが前提、ふまえて――《準備の時間は作ったぜ、》語ってもらおうじゃないか。"星の理"、剣士最強論をさ」
「……沈みかけた陽の話だが」
ふん。と今度は自嘲気味だった。
聴き入るのにゼンは夢中であったから、ああ、と納得できるのは、おそらく床に就く頃になる。無口を饒舌へ仕立て上げる話題とは、まれながら存在するもので、ヴィクトルにとって、剣ぞまさしく、その一筋なのだ。
「……強い"剣気"を纏った刃は、鋼鉄だろうと容易く貫く」
ときどき、ヴァンガードの補足がともなった。
「木の盾なんて、バターみたいに撫で斬りさ」
「故、戦場に盾は廃れた」ヴィクトルは脚を組み替える。「剣の一振りで事が足りる……剣身を保護するのも、"剣気"のはたらきだ」
ちょうどたとえば"腕試し"。ゼンが用いた剣は銅のそれ、柔い金属製だった。しかし鋼の刃を打ちまくっても、歪まず剣の体を保ったし、買い取る銅物商はケチをつけなかった。
「"剣気"の価値は、剣士の価値だ。懐で薙ぎ、十歩を斬り裂く、修練を積めば"必殺剣"に頼らずとも能う」
短く飛ばすだけの"剣気"なら、別段とくべつではない。と、ヴィクトルは唸っている。留意すべきは――あくまで、ヴィクトル目線の語りである。
「彼我の力量差次第で"剣気"は"闘気"を貫き得るが、真の必殺剣士であらばそも、"闘気"の多寡に関わらず断つ」「"剣気"の得意は格下狩り、か」「戦場の真理だ」
深く、ため息がある。
「だから言った。俺のは紛いだ。格下狩りのそれに過ぎん」
昨晩にしてはじまりの、"必殺剣"の話をしている。
「薄く広くで構わんのなら、魔物を相手に苦労はせん」
たくさん倒せたのは、敵が弱かったから。とは要約で――弱かったから……僕が、受けたら?――ゼンとて恐れた。何も訊ねはしなかった。止まってならない気がしたからだ。
「"闘気"に"剣気"、そして剣術が、剣士を、戦場の支配者たらしめた」
槍士でも、斧士でも、鎚士でもなく。
「剣士こそが、最強だった」
過去形を学ぶ。訳を学ぶ。
「澄ませども矢は疾きを追えず、降らせば闘気に弾かれる。魔術も全くこれと似た。開いた直後の戦端に、消耗を強いるには適しているが、優位の序列まで変えようもない。遠隔術師の群れへと飛び込み薙ぎ倒せるだけの名剣士を、切り札として、指導者らは重んじたものだ。剣を阻めるのは自明に、剣だけだった」
「槍はだめだったの」
ぎろり。をゼンは受ける。おそろしくも、同意をふくむ、ぎろり、だった。
「凡百の槍には、"剣気"が宿らん。達人なれば異なるがしかし、達人を育てるだけの"教え手"に乏しい」「ダルみたいな槍手は稀で、槍術の"教え手"ならもっと稀なのさ」
長い柄が物理に優れても、"剣気"の前で無防備ならば、つまりは無用の長物である。なるほど、ゼンは納得を示す。疑問も示す。
「"教え手"って?」
「資格なき者は、誤った道へと後人を誘う。達人がすなわち"教え手"足るとも限らない」「"教え手の資格"は、"星の理"のひとつだ。昨日の俺が魔術を教えられなかったのと、おんなじ理屈だよ」
「剣の稽古にも、資格が必要?」
「少年も得意な"対人剣"以外はね」
どうやら剣の世界は広い。"対人剣"と"必殺剣"のほかを、ゼンは知らない。だが、悟りもした。
「"対人剣"なら、誰でも、誰からでも学べる……?」
「《意志さえあれば》」「意志さえあれば」
剣の優位だ。剣士の多い訳だ。そして、すっぱい果実も一山つもれば、熟してあまい果実が混ざる。
「この先も……強い剣士は、きっと、剣の数だけいるんだね」
「…………」
ヴィクトルのまなざしに、否定の色が混じった。ゼンから逸れる。来た道へ送られる。
「……後衛が雑兵を削り、中を剣士で固め、数える手練れが切っ先となる。俺がしたのは、歴史の話だ」
代わり映えのしない光景を、睨んでいるに違いない。
「変革の時に、我々はいる。時代に見出された詠唱作家ら、普及する魔術教育、隆盛の兆しにある職業魔術師……剣士を害するに足るだけ強く素早い魔術が、この先の常識になる。
その将来を待たずしても……だ。闘気を破るのは、何よりも刃。こいつは言ったな。古い視点だ。戦士の背中を追い越して、闘気を討てるだけ強力な物の理を発する飛び道具が、既に相当数、この星にはある……」
何かわかるか。ヴィクトルは振り向き、ぎろり、視線で唸った。ゼンはすぐさま頷いた。
「銃だ」
「左様」
脅威である。
「剣の数だけ銃が並べば、剣士の牙城は造作もなく崩れる。銃弾は、弓矢の形をとってはくれない。銃弾には、闘気の特権が通用しない。剣士は剣気で飛び道具を落とすが、見切れるだけの眼と、捉えられるだけの技が前提だ。銃弾では、難度も跳ね上がる。硬く小さく、速く飛び、距離にも大きな力を保つ。剣士の天敵として、これほどない」
忌々し気な、唸り声である。
「銃弾の速さの具体は?」ヴァンガード宛てだった。
「俺の底碪式の弾が、駆け出し音の倍、ってトコだな」
「ふん……」
そのため息は、感心とも、呆れとも、諦念とも解釈できる。
「比べてみろ、圧倒的に矢は鈍い。剣士には見えて然り、断てて然り。弾丸では違う。剣気を備えた刃であらば、弾き返すに欠けこそしないが、何人の眼と技がそれに追いつく。見えて一握り、断てるのが更に一握り。次またどこかの戦場で、銃が台頭しようものなら、阻めるのはもはや、銃だけだ」
次があるなら前がある。たった一度の前例が、アメイジア南北戦争だよ、と、ヴァンガードが付け加えた。たくさんの血が流れたという。
「民を守るため盾が残って、魔を削るために弓矢が残った。戦場に依然、必要とされ、残る剣士も居はするだろう。音を置き去り地を蹴って、無数の弾丸を一振り除ける、"勇者"に匹敵するような、星にも稀なる剣士らだ。大勢その他は、居残ったところで死するのみ。銃に淘汰され、剣士の時代はじき、終わる……」
沈黙である。打ち破るのが。
「《お前ったら悲観的なんだから!》」大声である。徹した通訳と補足を、ヴァンガードが脱している。「《頼んだのは俺!せっかく語ってくれたのは良い!ありがとよ!でも、ちょっとあんまりなオチじゃないか》」
「…………」
「《脅してばっかじゃ面白かない!ここに居るなァ先行き無限の少年なんだぜっ》」
「…………」
にっ、と笑顔を絶やさずに、安心しろよと、男は言うのだ。ゼンは、これが大好きだった。
「ヴィーはだいたい正しいかもな。けど!見立ての慎重がちょいと過ぎる。少年、この星の『銃』の九割九分が、どこにあるかは知ってるかい」
「それなら教えてもらったよ。王国だ」
「そう!銃はアメイジアに固有の武器なんだ。"誓約"それから"魔法陣"、厳しい法に、取り締まり部隊、ありとあらゆる方法で、製法を、外に漏らさないでいる。それも驚け、云百年って単位でね!悪しきにモノが渡らないよう、十分、工夫が凝らされてるんだ」
「ふぅん……」
「だからさ心配しなくていい。銃を統べてる王国が、剣士をぜんぶ根絶やしちまおう、なんて、今後たくらまない限り、剣士こそ、この星じゃ最強の戦士!拳士の俺でも認めてる!」
「《……近年は帝国が紛いを用い出したと聞く》」
「《ああ言えばこう!俺が教えてやったんだろそれ!実用にゃ、まだ向こう何年だってかかる。その頃、この子は立派な剣士だ。しかも、あるいは類稀なるね!誰かさんが教えてくれりゃ、なお良いけどなァ!》」
「…………」
「《都合が悪けりゃだんまりだ!》」
「《……如何に抗おうと、何事も終わりを避けられん》」
「《へ、あくまで"剣士"を語るってか。いいぜそんなら!魔物の相手はいったいどうだい。弾丸は尽きりゃそれまでだけど、剣気ある限り剣は鋭いぜ》」
「《兵站の都合など、いずれ魔術が解決しよう。結局は、銃だ》」
「《はっ!アレもダメ!コレもダメ!剣が銃に勝てないってんなら、お前の大っ嫌いな"剣盾礫"も、絵から飛び出た騎士になる訳だ!笑いモンじゃあねぇの》」
「《やかましい!剣も盾もひとつで数えて、どうして礫は無数に数える。公平ではない。如何にせよ石ころ風情、使い手なれば幾万と防げて然りで――》」
白熱。ゼンが宙ぶらりんだ。それでよかった。感情の整理に時間を割けた。
――誰にとっても、銃は危ないんだ。
銃と弾丸とはやはり、よほどの剣士にも脅威らしい。ほとんど誰でも平等ならば、たとえばそれは、死と、さほど変わらないではないか――誰だって怖いなら……――むしろ安心を得るほどだ。これはふつうだ。わるいとくべつには、なりたくなかった。そうでないなら、ふつうは至って歓迎だった。
「な!少年には見えるよな?」
嬉々と訊ねるヴァンガード。どうやら勝負が優勢らしい。
「何が?」
「弾丸さ!」
「それなら、うん」
ゼンは剣士で、なにより守手だ。迫る脅威は、弾丸だろうと見逃せない、見逃さない。
「どんなだったか、覚えてるかい」
「よく覚えてる。細いどんぐりみたいな形をしてた」
「流石!」
にんまり、ヴァンガードがわらった。こっちの笑顔はあやしい笑顔だ、わるいことを考えている。ふたたび宙ぶらりんにされながら、ゼンは思った。
「《そら慄けよ常勝の剣士!すっかり観察まで出来ちまう、この少年はやっぱし特別だっ》」
「《素養なら知った。森で確かめた》」
「《そんなら何でっ、稽古のひとつくらい!》」
「《話を何度すり替える!貴様の悪癖だぞっ》」
「《おんなじさ!なんてッたって剣士の話だ!未来の話だっ……そうだっ、お前の気が変わらんうちは、確かに俺が教えるよ!ゼンに、銃を!使い方じゃなく、捌き方を!流れを変えるのが、ひょっとこの子さっ。剣士の明日が暗いなら、彼の剣はなお輝くぜ!》」
「…………」
困ったものだ。馬鹿げた大人の足跡をたどり、旅路を行くのがゼンであるから、無事におおきくなれるとすれば、馬鹿げた景色が常識になる。けれど先人ばかり責める勿れ。進む当人こそまさに、心を躍らせ、好奇に満ちて、なにも諦めず、前へ、ついつい背を追ってしまう。そして、意志が必要を兼ねるとき、しばしの躍進とは、生まれるものだ。
拳士と剣士の勝負に隙有り、ないし決着がついている。見計らってゼンは「ねぇ!」ヴァンガードの脚衣の膝を引っ張った。
「ん!なんだい?」
「ヴァンガードは、"必殺剣"を使えるの?」求めている。飛ばせる"剣気"を。脅威に、対抗するために。
「使えるよ。だけど教える"資格"がなくてね、ごめんな」
「ヴィクトルは?」
「…………」ぎろり、が、ぷい、とそっぽを向いた。
「こればっかしは、こいつの狭量でもなさそうだ」
"教え手の資格"は"星の理"によって与えられたり、剥奪されもする。その有無とは、自覚の有無のほか、知って知らせる術がない。
「大変だね。"教え手"と出会わなくちゃ、技は覚えられないんだ……」
「おっと!実はね、そうとも限らない。まるっきり見様見真似が俺さ。ヴィーだって確か――」
「《……おおよそ、自己流だ》」「独学で、《期間は?》」「《一年》」「だってよ、大したもんだ」
「夏一巡っ……?すごい!」
ゼンは剣を執り夏幾巡、剣気の欠片も飛ばせはしない。
「……俺には俺の道があった。それだけだ」
平らな場所でも人は躓く。険路であれば言わずもがなだ。なれば駆けゆく後追いで、遠くの背中ばかりに気をとられるのは、些か危ういかもしれない。
「寝て待つべき"巡り"も、ときどきゃあるさ。少年にとっては"必殺剣"がそうなのかもな」
東を選べば素直な巡りも、西へ歩めば世界の果てだ。誰にとっても等しくて、ゼン・イージスにとて例外ではなかった。
「そこを"対人剣"の教えならどうだ!この荷台にも、そら、ゴロゴロしてる。座って聞けるもんなら座学だろ?こいつにせっかく聞きたかないか、たとえば俺とは違う視点で――少年の剣が、今後どうしたらもっと良くなる?とかさ」
「聞きたいっ!」
「《おお、こんなにも目を輝かせて!あんまりかわいそうじゃないか。やる気があるのに、けちな大人がダメって言ってきかないんだぜ。すこしは融通してくれたっていいだろヴィー?どう思う。ちょっとだけでも、な、な、頼むよ》」
境界線をじりじり詰める。純真を盾に、譲歩を強いる。どれほどだろう、付き合いも長引けば、なるほど、しかめっ面が張り付きもする。
「…………」
沈黙である。ヴィクトルの、いちばーん、深い沈黙だった。ただし、これは熟考なのだ。拒絶ではない。ゼンにはわかった。だから待てた。開いたり閉じたりしては結局、何も告げずにいるかたい口が、何を発するか期待できた。じっ、と見つめて、とにかく待った。その甲斐は、おそらくあった。
「……我が、強すぎる」
「……が?」
あるいは「意志」の暗い面を、人は「我」と呼び戒める。
「《悪い可能性ばっかり拾う!まったくお前の悪癖だ》」
「《……どう思うかと問われたのだから、どう思うかを述べたまでだ》」
「ね、どういう意味……?」
「まぁまぁ、ちょいと難しい話かもね」
ヴァンガードは取り繕ったし、ヴィクトルは親切にもややこしい物言いを加えた。ただ――これもまた、真実だった。どこまでも。この先、覚えておくといい。
「我が道を往くことを非難はすまい。しかし、常道を顧みず奔放に突き進むばかりでは、暗く深きへ陥りやすい。《お前の剣筋には、その気がある……》」「少年のこだわりが、どこかでわるく働くかもしれないって、ヴィーは心配してるんだ」
「こ奴との腕試しで、まさに見て取れた。己の決意が、正しいだけと信じ込むな。たとえ己が血で贖った一歩だとして、時には二歩下がってでも考え直せ。己が我儘を貫けるほど、戦場に幸運の蜜は降らん。視野を常に広く保て。瞬間的では意味がない。望む結果がもたらされたようでも、振り返るまでは何もわからない。《長く描いた軌跡など、大切な血で彩られているかもしれん。お前の危うさとは、そうした危うさだ》」
これは剣の話のはずだった。そうとも。剣士の話を、ヴィクトルはしている。少年として、ゼン・イージスを見ていないかった。対するヴァンガードは、少年を思っている。触れ心地の良いよう、話を濾して、転がした。
「こいつはつまり、素晴らしいな!」
「う、うん?」
思いもよらず、ゼンはきょとんとする。決して愚かな少年ではない。通訳越しでさえヴィクトルの言葉は、良し悪しで言えば、悪しを突いていたはずと、ふんわり、理解ができている。ヴァンガードは、もっともらしく笑った。
「だってさ、『技』についちゃあ、ケチがつかなかったんだぜ!基本に煩く、頑固で、偏屈な、あのヴィクトル・サンドバーンが――」「《おい》」「指摘に欠いて語るのが『視野』だ!こうなったら少年だって、剣士も、名剣士の端くれだよ」
「そうかな……?」
「そうとも!たとえば、やっぱり駆け引きだ。はじめの着眼点はよいけれど、行き詰ったならどうするか。少年は、見つめた一点を好む癖がある。これは強みでもあるし、弱みにもなる。ヴィーが小難しく言ったのもこれさ、な?」
ゼンはヴァンガードを信じているが、それはそれとして、ヴィクトルを見た。そうなの?とは言わずいた。
「…………」
ぎろり、が、しぶしぶ気味ながら、おおよその賛同を訴えている。
「少年の癖はね、ながく一人でやって来た成果だと、俺は思うよ。だから、良い方向にだけ、使えるようにだってなる。俺と一緒に、必ず、良くしよう」
「そっか……うん」
おおきな戦士がふたりして、どうやら同じ主張をしている。思い当たる節をかさねて、ゼンもひとまず納得した。西か東か転がった、小石くらいの違和感も、きっと踏まずに済むはずだ。おそらく。道どり次第では。
「……お前がひとり道をゆくなら、"五花"の名手として、近く咲いたやもしれん」唸り声である。「楽観に付き合えば、だが」
「おいおい!どっちだいそりゃ、皮肉か称賛か」
「ごか?は、良くないの?」
「や、それこそ悪かない!だけど、皮肉屋さんのヴィーは、皮肉の切り売りばっかりするから――」
「……第五花の"百日剣"は、"我道剣"なる別名を有する」
「だいごか……ひゃくにち、がどうけん?」
「あッ、そっか!五花六葉!少年は、まだ知らんよな?《なんでこいつを先に話さない!》」
「《知るか!貴様が運んだ筋だろう》」
「《じゃあじゃあ今度こそ頼むよヴィー、挽回の機会だぜ。もっと楽し気にお前らの庭を紹介してくれ!》」
「《何……?》」
くしゃみでも控えたような、しかめっ面である。
「…………」
拒絶というより熟考寄りの、沈黙である。
「まぁ、よかろう……」
まんざらでもない、唸り声である。咳払いから続くのが、剣士の庭先の光景だ。寡黙な剣士の、饒舌であった。
「"五花六葉"と我々は唱える。この星に咲く、剣術流派の総称だ。とくに普及して著名な五流派を、おおきく開いた五つの花に。小規模ながら、秀でた特徴を有する六の分派を、六つの葉に、それぞれなぞらえる。剣士と肩書き、称されるのなら、得てして"五花"のいずれかを修めるものだ。
剣の歴史は先史に紐づこうが、"五花"の歴史はアメイジアに端を発する。千年王国と、かの国が讃えられてまさに。はじまりの剣花が咲いたのは、当代より遡り、千年を数える。
すなわち"必殺剣"こそ、第一花。王国七賢が一、軍賢マサムネ・タチバナが始祖にして、大魔を退けるためこれを振るった」
ときに補足。"始祖"ときくなら、最初の一人、"開祖"ときくなら、普及の立役者である。
「"対人剣"は、数えて第二花。激化する人と人との争いに、剣士らが技を持ち寄り、磨き上げた。自ずと咲き、これと種子を知らず。始祖も開祖も掲げぬ剣技だ」
あるいは"星の理"が、対人剣に"教え手"を不要とする訳である。
「……"守護剣"が、公国の礎にして、第三花。始祖は、異世界より訪れし大剣士、オルダ・レレイア・リレイ。公国人が"水の神"を尊ぶのは、他でもない、リレイが『水の神の剣』と守護剣を崇めたからだ」
"より良い来世を願うがいい。より良い星に巡るがいい"――この星に、しばし流布する死生観である。
「第四花は、砂漠で咲いた"熾烈剣"だ。西方も海の彼方、"叛逆する砂の大陸"にまで及んだ守護剣の猛威に、対抗するため編み出された。その始祖の名は、安易に口走れば邪を招きかねんとして、使い手たちの胸にのみ秘められている」
この星で、名前の扱いとは、想像以上に大切である。
「そして"百日剣"、第五花は全ての可能性を追求する。人は万能足り得んが、万能とは何かなら理解できる、という理念に基づき、他四花の要所を押さえた、効率的な取捨選択を奨励している。明確な唯一教書を有し、そのかえって簡便すぎる真髄が『百日で網羅できる』と蔑称されたところ、当代に名の由来となったという。現実には一定、花咲き、栄えの目を見る流派であるから、如何にか体系的で優れた教えが通ずるのだろう。伝えた人物、つまり始祖もまた、"教え手"として類稀なろうが、書物を残すのみで、正体などは霧に包まれている。剣士が、無限の時間を我道――独学に費やせば、自ずと行きつく形が五花だ、とも言われる」
「"百日剣"は侮りの文脈を避ける為に、"五花"って呼ばれがちだね。教えの内容についちゃ、俺もなかなか共感してる。全てを突き詰められるなら負けなし、だけど、突き詰めるには人の一生は短すぎる。なら、せめてもを!ってな、手頃な具合じゃないか」
以上が、"五花"の大要だ。剣花はときどき、葉を備えている。
「"六葉"は、それぞれ帰属する花を持つ。呼称に数を冠する場合もあるが、時代の流れに剪定を繰り返された末、再編された番号に過ぎず、俺は好まん――」「数字を振って呼ぶこともあるが、誕生した順番とは限らない、ってコトだね」
「多くの場合、専門の道場を構えず、具体的な教えの認知度に劣るのが、"五花"との相違点だ。各花に沿って理解するのがよかろう。
"必殺剣"は、一撃必殺流と弐撃必殺流で主流を競うが、これらを"葉"の内には数えん。前者が対魔を、後者が対人を得意としながら、用途としては兼ね合うからだ。"対人剣"にならば、「魔」との対峙に特化し派生した、"対魔剣"の葉が生える。
"守護剣"のもとには、意志と制約を重んじる"騎士道剣"と、教え手が不在にして、次の百年に断絶を囁かれる"超越剣"がある。
"熾烈剣"には、"暗殺剣"と"曲芸剣"が連なる。どちらも花を飾らずして生え得る、奔放の"葉"として知られる。
"百日剣"の道場師範は、"外道剣"を伝えることができる。遠隔術師の二の剣として考案された、最小限かつ簡略化された護身剣術だ。"花"を修めた剣士は侮りがちだが、接近に勝ちを見出したところ、速攻詠唱との合わせ技で返り討ちにあったなど、笑い話として風に聞く」
以上が、"六葉"の大要だ。
「五花六葉のどれを修めたかで、何花何葉の剣士と見立てる。お前であれば――、」ゼンのことだ。「対人、百日、対魔、騎士道の素養から、二花二葉と数えられる」
知らないうちに少年は、なんだか色々持ち合わせるらしい。
「留意すべきか。花葉の数えの大きさすなわち、能力の指標とはならない。多様性こそ示しはして、強さの尺度とは一致せん。
そして、あらゆる剣術を、同程度に高水準で統べる使い手、というのも存在し得ない。
とくに"守護剣"と"熾烈剣"は、備える性格が正反対ゆえ、たとえば人格を入れ替えでもしない限り、両立が困難だ。
"五花"にせよ、万能を見据えつつ節々を弁えている。浅く広くの代償だ。本道の達人と類似の技で競えば、忽ち『紛い』と化してしまう。真っ向勝負では敵わず然り。ゆえ五花の達人には、広い視野で適切な手札を適時出し切る、器用かつ柔軟な戦い方が求められる……俺の"必殺剣"は、こうした事情と似通っている。故に、紛いと呼んだのだ」
「俺の見方はちょいと違うぜ。どれかしらの技で、高いところに居ればいるだけ、『紛い』の一振りも、そんじょの本道を圧倒しかねないモンだ。可能性をとかく信じたい」
実態は、道の先で確かめるしかないだろう。
「……魔術師などまさに、扱う属性を限定してこそ世に謳われる。そして世に謳われる魔術師が剣を齧ったところで、どうだ、真の剣士ほど素早くは成れん。逆もまた然り」
「"万能の拒絶"かい」
「いかにも。"星の理"が、人に科した制約なのだ。ふん、これ以上はつまらん話になる。ほかの誰かれに聞け……」
剣と魔術の両立を試みて、しくじった詠唱作家こそ、世に言う三大詠唱作家のあとひとりだが――ヴィクトルの機嫌を損ねてはいけない。また後日に委ねるとしよう。
「そんで、もとの話は何だっけ。ああ、少年の行きつくのが"五花"だって?褒めたか貶したか、ちょいとあやしく思ったのさ」
「何故。五花を乏しめる理由など、俺にはない。砂の目潰し、咄嗟の組み打ちなど、剣の不文律を教えに体系化したのも五花だ。器用貧乏のきらいを避ければ、効率的で、優れている」
「お前、剣についちゃあ開けた考えしてるんだから」
「俺が必殺剣を曲がりなりモノにできたのも、門外不出の五花の教書をとくべつ垣間見たからだ。見真似の能う剣士もなければ、非常に助けられた」
「あっ、そうか!少年はさ、"必殺剣"を覚えたいなら、ヴィーのを見て盗むといいよ。系譜を限定する魔術とは違って、剣技の見様見真似は悪い風にはならんもんな?」
「でなくば剣技自体が栄えん。守護剣にせよ、初期のそれはリレイの剣を公国剣士が盗み見ることで伝播したという――」
ゼンは、この辺りでようやく「はぁ~」と、あいまいな相槌を打った。どこかで唾を飲みこんでから、すっかり止まっていた呼吸の、ほとんど息継ぎだった。情報量が、ちょいと多すぎた。指折り数えて五花や六葉を追うなどしてみたけれど、聞き惚ける箇所もだいぶあった。
――お父さんが教えてくれたのは、"対人剣"だけ……。僕が今、持ってるのも、"対人剣"だけ……あ、あれ、違うんだっけ……?
剣について、できる限りをやったと思われた。ところが、払われた雲、開けている道、あまりにあまりに広すぎる。「ほか」を知らない一滴の焦りと、まだ見ぬ景色への更なる興奮と、とにかく新たに触れたい意欲が溢れて、少年の魂は震えた。少年は、剣士だった。宙ぶらりんにはもう、なりたくなかった。
「《それにしたってやっぱしさァ、お前の必殺剣が『紛い』はどうなんだい、俺はどうにも気に食わなくって!》」
「《……正真正銘の一振りは、城壁を裂き、国を分かち、山をも打ち砕く》」
「《そりゃ物語もおとぎ話っ、あるにしたって"勇者"の類の話だろーっ?》」
「《裂かれた山――いいや丘ならば実在しよう》」
「《そんならッ俺だって知らん訳がないさ!"星へと至る丘"だろう、じゃなくって――》」
たったひとりの通訳まで、談議に夢中になれば困ってしまう。あわててゼンは"魔法の居間"へ跳び込むと、"マサムネの円卓"で算盤仕事をするイトーにせがみ、次に馬車が止まるまで、おおきな戦士らのお話の中身を、ずぅっときかせてもらったのだった。
「売ってるところがあるんなら、幸運ってのは、ちっとばか買っておきたいもんだ」――『老人と海』アーネスト・ヘミングウェイ




