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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
目覚めの章:さなかの国
19/100

19.馬車


 東へ東へと、緑が切り拓かれている。広大な平野に、出迎えるのは風。牧草のなびく音が、彼方で立ったと思えば合図だ。さぁーっと東西、()け寄って来る、吹き抜けている。ともに頬を掠める、()み残された若草の欠片。ここは、逗留者用の放牧地。

 よその旅隊の馬番たちが、ぽつぽつといる。馬泥棒やら取り違いに用心、見張りの傍らだ。地べたなり柵なり座り込んで彼ら、つぶす暇には困っていない。物珍し気な視線をあびながら、少年少女に、眼鏡の只人に、(おお)きな獣人の組み合わせが、延々連なる木柵沿いを歩いている――好奇の視線は、たとえば考察する。どんな面合わせか、あの一行。只人組は父と姉弟(きょうだい)として、獣人は従士にでもあてはめようか。して、何用でここに?似た疑問を抱く人々は、今日にはじまり、長くにわたって現れ続ける。答え合わせの機会に巡り会う者は、ごくごくわずか。何故、好奇から、疑問までを抱く?簡単だ。ふつうの子どもは、長旅になど出ない。

 ここは、どこか遠くから来て、どこか遠くへゆく人向けの、放牧地。"商隊"と、一行には愛称があった。

「ハウプト~、お昼のきゅうけい、ありがとぉ」

「ん!こりゃまたずいぶん賑やかだな!」(まみ)えるのは、髭の大将ハウプトマンと。

「あら、お昼はもう食べた?何を食べたんだい?」子どもの目線に屈んで、()()()な装いの長耳ジニーだ。

 口が増えれば話題も増えようただ中に、専ら傾聞すべきだろう、少年少女のお手柄について。要求されていたそれすなわち。


「おおっ!?エウロピア金貨じゃないか!しかも二枚!」


 少女が得意げに差し出せば、要約にして顛末、髭面の仰け反りがここに。どこかで見たような反応だと、少年はくすくすと笑った。

 (かず)一枚から、ふつうの子どもの手に余る大金の獲得が、半日にも足らずの間につき、知恵を貸したのか?いえいえまさかと、市場を振り返る。


「うーむ、稼ぎの目途を心配してたとこだったが……大したもんだ!」


 ハウプトマンとて人の子だ、子どもに対して過大な要求をした自覚と、心配くらい持ち合わせている。一方で、ハウプトマンは商隊長でもあった。馬車のやりくりのため、子どもだろうと乗り合い相手に、容赦できない時もある。現実、旅には厄介が付き物であるし、「旅」が「長旅」へと変われば、「付き物」は「尽きない」へと転じてしまうのだから。


「ハウプト、ちょっとよろしいですか。突然に今回、大金が入り用になったのは何故でしょうね?僕らは訳をおそらく……聞き逃してしまったかと」

「む?そりゃあ当然……」


 少年少女が巡り会う直前に、商隊は、とある厄介に遭っていた――物事の説明には、順序立てが必要になる。今に前提からひとつ、少年少女にも共有される。馬車の話を、せねばならない。商隊の馬車についてだ。

 曰く。ハウプトマンの馬車は、四頭立ての馬車である。非常に、とてつもなく、ありえないほど軽い馬車だ。軽いのだが、しかし、「四頭」で引くのは、欠かせない。何故なのか?大人たちは教えようとしなかった。頑なに。あの教えたがりのイトーでさえ!顔を見合わせあやしく笑う大人たちの謎は、ひとまず置いておくとしよう。

 とにかく、四頭、馬が欠かせない商隊の馬車に、厄介、それは訪れた。

「かわいそうな、ジェファーソン……」

 一頭が急死してしまう。悪いものでも()んだのか、泡をふき倒れて帰らなかった。馬番ダルタニエンはたいへん、落ち込んだ。ちょうど昨日、目を離して――隊の昼飯をつまみ食いしまくっていた折の出来事だったから、なおさらである。

 急遽、足りなくなった馬の頭数だ。商隊は、馬車馬を使いつぶさない、つまり、行く先々で買い替えたりしない。長旅に耐え得る良馬をそろえて出発し、うちの一頭が、ジェファーソンだった。並みの暮らしの一財産に相当しかねない馬だと、言い換えられる。

「俺は寒い懐をまさぐってみた!色々勘定して勘定して、勘定してはみたんだが……どう誤魔化そうが、(ウチ)の財布にゃ余裕がない!あるもん全部はたいちまえば間に合うが……するってぇと次の厄介に備えられん」

 商隊各員に大金貨二枚、少年少女は合わせて二枚、大金が入り用になった訳とは、とどのつまり馬の入り用であった――さて、見える者には、見える景色があるだろう。

「この町も悪かぁないがな、元の予定じゃあそう長くとどまるつもりはなかった」

 馬の都合がつかねば、商隊は前へ進めない。ゆえ、手頃を探すべくに今朝、ハウプトマンとジニーはいそいそと出かけたし、目途のたたぬまま、ここに行きついた。

「そして先には管理人も呼びたてた、と」

 途中ですれ違った小人について、イトーは言った。商隊に割り当てられた牧草地は、管理人小屋から――つまり入り口から――さほど遠くない、わりと良地にあるはずで、小人種にしてみれば「わざわざ馬に乗るにも面倒な距離」らしい。無駄骨を折った管理人のぼやきなら、耳利きが覚えている。

「期待しちゃなかったが、やはりわからんそうだったよ」

 よその旅隊と交渉し、買いつけるのだって手の内だ。ハウプトマンは良さげな馬を見出して、管理人に持ち主を訊ね、答えを得られずいたのであった。

「ちなみに、どちらの馬でしょう?」

 ここは、領営の格安放牧地。管理人の管理とは名ばかりで、基本はなんでも自己責任。だからどこの隊も見張りに役をつけるし、割り当てられた柵の内、見知らぬ馬が紛れ込んだって不思議ではない。

「ほら、あの鹿毛さ。どこのか知らんが、ちょうどウチのと同じ囲いに入ってる」

「うん?エマのこと?」

「何?」

「ハウプト、あれは、ゼンくんの馬だよぉ」

「なんだって!坊主、馬を連れてたのかっ?」

 人は見落としの生き物であると、誰だったかが呟いたはずだ。たとえば昨晩、巨体が厩舎へと案内した、新顔の尾などはどうだろう。買い出し帰りの黒鹿毛ヒィロの、たまさか影に隠れていた。

「こっちに呼んだ方がいい?」

「頼めるか」

 遠くの彼女(エマ)まで届くよう、ゼンは高らか指笛を鳴らした。

「みっつくらい、呼び方があるんだ。急いでってお願いしたから、すぐ来るよ」

「聞き分けるのか!賢いな」

「うん、だいたいなんでもわかってくれるよ。お喋りに夢中になってなかったら」

「お喋りだって?わはは、ダルみたく言う!」

 鹿毛の牝馬は颯爽と、蹄を鳴らして駆けつけた。ぶるう、ぶるるう。柵から頭を乗り出している。

「やぁエマ、なんだかひさしぶりだね」

「ほー!こいつぁ間近じゃ一段、立派な馬だ!」

 力強さと機敏さを兼ね備えた馬体のエマは、売り値で大金貨四十はくだらない優馬、とは、馬番ダルタニエンの見込みである。もちろん、少年の友達に、値など安易につけられないから、大人たちは配慮している。

「《うーむ、買うとなったらえらく手が出んぞ……》」

「なんの話?エマに馬車を引かせたいの?」

 馬車とは、馬が引くから馬車なのだ。商隊の馬車に足りない頭は一つ。導き出される答えも一つ。

「エマがいいって言うなら、いいよ。どうかな?」

 ふーん、ふーん。

「うん……うん……まかせて、だって」

「おおっ、まったく助かるぞっ!」

 ゼンにとって馬のエマとは、ともに駆けるか、背に跨るかの存在であり続けた。新たな役目が加わるなら、今日だ。

「頼りにしてる、力を貸してね」

「ぷるふふ!」

 頭を重ねて撫でる間にも、エマは自信を語るのだった。商隊の馬車がいかなるものか、ほかの馬から聞いているから、心配ないのだと豪語する。

「自信たっぷりだねぇ、エマちゃん!」

「ヒィロたちと並んで引くんだよね。ちゃんと仲良くできるかな?」

「うん、うん!みんな、いいこだから、大丈夫!」

「そう、よかった……」

 ぷるふふん!

「もらったの?知らない果物?いちばんおいしい、だって!ありがとう」

「ああ!りんご、かなぁ?また、あげようねぇ。エマちゃんとおはなしできて、元気がでたもの、ぼくのほうこそ、ありがとう」

 馬の言葉はさて"馬語"と呼ぶのか。聞こえる者と、聞こえぬ者の違いとはなにか。あたりまえに疑問と解決を見出すのは、のちのちの、友達の羨望をきっかけとする。まさしく彼女は「いいなぁ」と、つい呟いたかもしれないし、視線で語っただけかもしれない。

「わかるようになるよ、フランにも」

「そっ、そうでしょうか!」

「うんうん、ちがう国のことばと、おんなじさ~」

 エマが、ぶるぅ!と、愉快げに首を振る、友達の輪のさなかであった。かたや、大人の輪では。

「《うーむ、と、なるとだ。しまったな!皆々稼ぎに走らす由なぞ、これっぽちもなかったッてぇ訳だ!》」

「《あんたったら、これと決めたら突っ走るんだもの!けど、ふふふ、ついてちゃうあたしもあたしさね》」

「《それもこれも急のことでしたからね、気の動転もあったでしょう》」

 ともかく解決に笑いあった。有事の相談を以後に欠かさぬよう、反省もこめつつに。一通り終えたところで、前向きさだけを一途にたもった。ハウプトマンが強面と黒髭のはざまに、にかっと歯を見せた。

「よしっそんなら早速、出発といくか!」

「えっ、今から!」

「おうっ。良いものがちょうど、見られるかもしれん!」


 日没までには次の町へ。商隊は算段をつける。

「エマちゃんに、装蹄(そうてい)だけ、しないとねぇ~」

 決まればあとは早い早い。放牧地を去り、大通りをくだり、中央広場では、サルヴァトレスに一声かけた。

「なんてぇ?稼ぎァいらなくなったァ?へへっ、そーかい!」

 すっかり羊肉を売り切っても、大金貨二枚の捻出にはとても足りず、しかし、晩飯を豪勢にするにゃ十分だと言い張る料理番は、「ちぃと借りてかァ!後で拾ってくれや!」イトーの首根っこを引きずって、西の市場へ揚々と向かった。


 東通りで少年少女が語るのは、新たな旅への思いだった。きっかけは、ハウプトマンの一言である。

「坊主たち、まどろっこしく思ったろう?旅ってな道連れが増えりゃその分、遠回りも重なるもんさ」

 エマがいて、大金貨二枚がある。とうに隣町へたどり着いて、宿を借りることだって、少年少女にはできたはず。早い方が良い、昨日までなら、考えただろう。

「今はちがうよ。僕たち、わかったから。ね?」「はい!知らない、を、知ったんです!」


 いつか()る人物が記す一節を、ここで引いても良いだろう。

『幼さと愚かさとは必ずしも等しくなく、無学と無知とはまた等しくない。

 武技。学問。魔法。世界。

 未知を学ぶ機会は巡り続ける。前へ進むのを、止めない限り。その日その通りになった』


 村を出た少年少女は、「外」で何を知った。

 たとえば危険。脅かすもの、退けるもの。仲間なくして、旅は安全を欠く。

 たとえば言葉。通じない人、ごまかし利かす人。音に(さと)くても、解せねば意味がない。

 たとえばお金。必要らしい。けれど、獲るのに技が要るのが道理だ。職人だって――サルヴァトレスのような一流(いちりゅー)だって――、苦労するのがふつうであった。

 たとえば場所や物の、名前やありか。あるいはそれら、情報と呼んで、人はしばしば、価値を見出す。(かず)(かぞ)えまでを弁えたなら、進むための(しるべ)にもなる。


「僕、腕試しのときにも思ったんだ。ハウプトの馬車に乗せてもらえたらきっと、神殿聖国は、ぐっと近くなるって」

「そうです!目には見えない近さですけど、今日だって私たち、たくさん前に進みましたっ」


 十夏かそこらの少年少女が、歩めば十夏かそこらの道のりを行こうとしている。遥か彼方と、表すは易くに、困難を、困難ばかりだとは、当人たちが思っていない。胸を高鳴らす希望を、めいっぱい抱けてすらいる。それは、信頼の芽生えとも言えた。

 頼りになるヴァンガード。やさしいジニー。なんでも教えてくれるイトー。料理上手なサルヴァトレス。おおきな友達ダルタニエン。怖い目つきのヴィクトルは――まだちょっとわからないけれど。

 "商隊"とともにゆけるなら、ちょっとやそっとの足踏みを、遠回りなどと、少年少女は、思わない。きっと先々変わらない。ハウプトマンが聞き届けている。厳しいだけの男ではなかった。

「ふふ……はっはっは、そうかそうか!」

 大将のぎゅっと詰まった体つきからは、窮屈さがどこかへか消えていた。笑みに秘めたのは、なんであったろう。

「お前たち、町を出る時は御者台に乗ろうか!」

 上機嫌にされた提案に、少年少女は喜んだとも。わくわくを、たっぷりに――。


 一連あって、だからこそ、と言うべきか。

 少年少女は目にして、少々の戸惑いで済んだ。

 何を。

 商隊の馬車を、だ。

 それは。

「けっこう、ちいさい、ね?」

「そ、そうですね……」

 石尻尾の酒場も裏手であった。厩舎の影に隠してあった。黒塗りで、長箱型で、屋根付きの荷台だ。装飾は質素。左側面前方には、只人ほどの幅の、貨物用扉が設けてある。立派であるには立派で、しかし。

「全員でこれに、乗れるのでしょうか……?」

「うん……」

 ずっしりと、頑丈そうでもある。先に聞く「ありえないほど軽い」という特徴を、忘れてしまうくらいには。ヴァンガードとダルタニエンが、一緒にぶつかったとして、形を保っていられそう――少年のぼろ小屋ならバラバラだ。

 がっしりとした四輪は、やけに頼もしい。ほかの馬車にはみない分厚さだ。きっと、悪路で簡単にひっくり返ることもない。

 上等な、馬車なのだろう。

 しかし。

「ダルひとりでも、窮屈そうだ」

「ううん、ぎゅうぎゅうに入ったら……」

 大人で四人、がんばって五人が、いいところ。少年少女は荷台背面、つまり入り口を覗いてみている。向かい合った座席の一角が、既に埋まっていた。大鍋やら煉瓦やらが占拠するのだ。

 おかしい。

 荷台は、日中の暗がりで満ちていた。薄灰色が印象的な板張りが、ところどころ木の(フシ)で見つめ返す。

 だんだん、不気味に思えてくる。

 奥の貨物置き場を(から)にしたって、御者台までもあわせたって、特大の大人をふくむ七人が、はたしてこれに乗り合えただろうか。

 さらに。

 子ども二人を、乗せようとしている。

 どこへ。

 馬車について訊ねるたびに、大人たちははぐらかしてきた。意味深に、笑うばかり。持ち主のハウプトマンだって、雨よけの幌を()けたら、説明もなし、そそくさ酒場へ引っ込んでしまっている。なにか、隠し事でもあるみたく。

 もしや。

 ――"商隊"など、実は存在しないのだ。やさしいフリした大人たちの正体は、子どもをとって食ってしまう、人攫いの一党――

 まさか。

 少年少女は、商隊を信じているから、少々の戸惑いで済んだ。たっぷりのわくわく、のうちいくらかが、まあまあの疑問、に変わったのは、否めないが。


「ゼンくーん!フランちゃん!はじめるよぉ」


 呼んだダルタニエンはとっくに、すい、と馬車に乗り込んで、ひょい、と降りた後だった。(おお)きな腕には、石火鉢やら木炭やら金床やら丸太の道具掛け(ツールログ)やらを抱えている。

 外見に首を傾げている間に、"薄灰色"の中で巨体がどう振る舞っていたのかは、まったく謎のまま。少年少女は後ろ髪を引かれつつも、興味を、装蹄に吸い寄せられた。不思議な馬車には、また後で乗れるのだ。


 はじめてに驚いてしまうといけないから、エマの(はみ)は縄でつないである。

「いたくないからねぇ……」

 職人が、ここにも一人いた。前掛け姿のダルタニエンは、削蹄(さくてい)を、見事な手際でやってのける。

 手順はこうだ。鹿毛の牝馬に挨拶をする。前後ろ反対で側面につく。巨体をにゅっと曲げてかがんだら、四本脚の一本を持ち上げて、蹄の様子をじぃっと観察する。自分の股の間に蹄を挟んだら、削蹄用の鎌型短刃(ナイフ)を入れ始める。

 小気味よく。

 こべりついた土をこそぎ落とし、刃の向きを自在に変えて、徐々に、徐々にと削いでゆく。たまに、持ち上げ、じぃっと観察、戻して、じぃっと観察、また削ぐ、今度はやすりで整える。繰り返す。

 (おお)きな手は、繊細で、素早く、澱みなかった。

 ――見て明らかながら、"獣の徴"は、手の形にまで現れない。如何ほど徴が咲こうとも、たとえば、獣並みに毛深かろうと、五指は人の五指。いわば人の徴として、五本の指は、この()で神聖視されている――


 職人は作業をしながら、ゼンとエマにまつわる色々を言い当てたりした。

「ふだんは、あんまりエマちゃんに乗らない?」

「うん、一緒に走る方が多いかな」

 蹄を見て触ってわかるらしい。ほかにも。

「ふたりは、ずっとお外で暮らしてた?」

「そうだね、だいたい」

「そっかぁ。厩舎にすんでる馬よりね、蹄がずっとかたくて、丈夫なんだぁ」

 ぷふん!とエマは誇らしげだ。 

「長旅はたいへんだから、もっと丈夫に、守ろうねぇ」

 削蹄は爪切り、装蹄は靴を履くのと同じだと、職人は説明する。これには、はじめてたちも納得を示した。

 職人の技の内には、鍛冶もあった。蹄鉄を石鉢で熱するとき、ダルタニエンが行ったのは、


『熾せや熾せ、火床の神には燃ゆる贄、鉄の神には()


 "魔術"の詠唱であった。

 短時間ながら、燃料や火床の性質に依らず、適切な高温の維持ができる、この"テマレの(ふいご)"の行使には、三つの条件があるという。

 一つ、焚かれた火が、あらかじめ用意されていること。

 二つ、ひとにぎりの燃料が、間に合っていること。

 三つ、加熱の対象が、金物(かなもの)であること。

「必ずみっつが、必要なんですか?」

「うん、かならず、みっつだよう」

 火の神子が知る限り、火の神秘に制約はない。神秘と魔術は似て非なるものだ――と、このときばかりは思った。

「ちょっとの燃料ですむし、火加減もかんがえなくていいから、ラクちんなんだぁ」

「火種の小枝も便利だね、マジュツみたい。ちいさいのに、ちゃんとした火が出てた」

「マッチだねぇ?王国からきた道具だよ~」

 職人が、蹄鉄を焼く。金床で叩いて整えて、蹄に押しつける。じゅうううと、音。立つ、白煙。形が合うかの確認だ。

「エマ、熱くないの?」

 ぶるぶる。

「全然?そうなの」

 蹄鉄が、金床でふたたび叩かれる。熱をまだ保つから、水桶に(ひた)されれば、しゅううう、とうなる。

 蹄に、蹄鉄が打ち付けられる。小槌で釘を、とんとんとん。はみでた釘は、折る、削る。蹄尖(ていせん)――蹄の先――を、小槌で叩く。蹄鉄が、ぴったりと合う。やすりが、またまたかけられる。

「よぅし!」

 職人の掛け声が、装蹄の仕上がりを伝えた。ただし、やっとの一つ目だ。

「後三回も。大変だ」

「きょうは、エマちゃんだけだから、すぐさ~」

 商隊の馬車は四頭立てだから、馬番ダルタニエンはいつだって十六の蹄の手入れをする。ジェファーソンを、エマが代わった。ほかの蹄の持ち主に、勇敢な黒鹿毛のヒィロ、ひょうきんな葦毛のオルシ、物静かな牝馬のシズカがいる。彼らの話題で、装蹄中は盛り上がった。それから。

「ねぇ、ダルにはわかるかな。エマって、僕をどう思ってる?」ゼンは長らくの疑問を言った。「弟みたいに、思ってない?」

 ぶるふふん!

「うふふ。うーん、どうだろうねぇ……エマちゃんのほうが、からだが、大きいものね~」

 はっきり言わないダルタニエン。おしえないでと、エマに頼まれている。

「……そっか」

 すんなり諦めた――のではなくて、ゼンはみずからに驚いていたのだ。疑問を口にし、答えをもらうと、(かすみ)がかった記憶のなかに、それはあざやかに蘇った。いまやかけがえのない瞬間だった。


()()()だ!おとうさん、おうまをつれてる!』

『イージスのあたらしい家族だよ。エマって呼んでおやり』

『エマ?エマ!』

『うん、"疾き風"って意味さ。お前の妹分だね』

『いもうと?こんなにおおきいのに!ぼくより、こどもなの?』

『お馬の中では、大人だ』

『おうまのおとな?エマはいくつの夏?』

『んー、この子はだいたい、二巡りかな』


 越えた夏の数は変わらない。関係も変わらない。過去も変わらない。ゼンは思いを馳せている――エマは、商人が連れて来たんじゃない。お父さんが、町で買ってきた。ずっと前から村を出られたんだ、お父さんは、戦士長だったから……。


「や!どうだい具合は」

「あ、おかえり……帰ってたんだ」

 四つ目の装蹄も終わり際に、ヴァンガードが裏手に顔を出す。

「うまい仕事がなくってね、都合がついてて助かったよ。そろそろ出るから、ふたりも荷をまとめておいで」

 少年少女は、簡単な出支度にかかる。石尻尾の酒場は、帰る場所から、発つ場所になろうとしていた。


 "エストの石尻尾亭"と正しく言って、"石尻尾の酒場"は愛称だ。妙な場所だと、思うかもしれない。店主が不在の、今では、潰れた酒場であるのに、商隊は屋根を借りている。 

 東のはずれに佇む石尻尾亭は、かつて、昼は味の良い食堂、夜は静かな酒場として、地元に根強い人気があった。経営するエスト夫妻が強盗に惨殺されたのは、商隊が"さなかの町"に訪れる、ほんの直前の出来事になる。

 店主エスト氏と親交があったのは、ヴァンガードそしてヴィクトルだ。「次来たら、一飯ごちそうしてもらえる約束だったけどね。残念だ、すごく……」偲びつつも、裏手を馬車の置き場に借りよう、と言い出せるくらいの仲だった。そこを、要領の良いサルヴァトレスが「たまにゃちゃんとした炊事場で仕事がしてぇ」などと、裏口の錠を、ちょちょいと開けてしまう。

 ところで、住居侵入罪、という言葉が王国にはある。言いかえよう、王国の外にはない――厳密には、親告罪であったりする――ここは、他ならぬ"さなかの国"だ。商隊の馬車は王国からやって来て、王国人はハウプトマンとイトーのふたりしか乗らない。少数派が懸念を示せば、多数派の精神性と文化が明らかになる。「死人は怒りゃしねぇよ」「せっかくだから中を掃除でもしよう。手向けと思ってくれるさ」王国人は資料を引いて「法に触れないのは、確からしいですね……」と、受け入れた。

 それから、ジェファーソンが急死する。半日の滞在予定が急遽延長される。ヴァンガードが()()()を、お縄にかける。詰め所に、石尻尾亭を借りると断りを入れる。少年少女が、商隊と巡り会う。

 線は、どこからつながったのだろう。なにかが(たが)えば、昨晩、石尻尾亭に、光は、見つからなかったはずで。今がある。

 

 手綱と操舵(ハンドル)をとるハウプトマンの左右に、少年少女は座っていた。馬車が出発している。

「落っこちるなよ!落っこちたら、おいてっちまうからな!」

 下手な冗談を、フランは半分本気にしたものだ。ハウプトマンの袖にしがみついた。かたやゼンは、不思議を重ねて仕方がない。

「重たくない?本当に?」

 ぶるるん!

「軽すぎるけど、ちゃんと乗ってるのか、だって!」

「ははは、そうだろうそうだろう!」

 馬車馬たちは二頭二列で、黒い馬車を引いていく。軽快に、かつかつ、石畳を響かせている。

 不思議だ。

 引くのは、荷台に、御者台に三人に。ばかりではなく、"薄灰色"には、四人の大人が詰まっている。重たくないはずがない。それも、ぎゅうぎゅう詰めのはずであるから。

「どうなってるの!」

「がははっ、どうなってると思う?」

 教えてくれないハウプトマン、「町についたら種を明かすさ!約束だ」と笑うばかりだ。


「おーい!」


 不思議の内に、西通りも市場に至る。食材を抱えたサルヴァトレスおよびイトーと落ち合う。

「《まだ中ァ見せてねぇのか、にしし》」

 怪しい笑いも、薄灰色へ吸い込まれていった。きっと天井にでも張り付かないと、乗り場所がない。少年少女は不思議に思って――すぐに、高揚感が勝った。

 新たな景色を、迎えつつある。

 西門を抜けた。あたりがだいぶ開ける。まもなく駅馬車とすれ違う。最終便だ。

「町を出るのは、もう私たちだけですね……」

「うむ、ふつうじゃあ半端なトコで野宿になっちまうからな。だがこの馬車なら、二時間とかからん!」

 馬車のふつうを、少年少女はまだ知らない。

 傾きはじめた陽を追う商隊。がたんごと!と、道を踏む車輪。おおげさな音のわり、あまり揺れないでいる御者台。

 ふつうの馬車なら、安全な町を離れない時間。ふつうの馬車なら、馬たちが鼻息ぜいぜいたてる速さ。ふつうの馬車なら、こうも快適にいくものか。


 散見された家畜厩舎が、すっかりなくなった。平野が続いている。雑木林がときどき現れ、伸ばした影で地をだんだらに塗る。

 道脇に、ぽつん、とたたずむ家がまれながら見つかる。申し訳程度にかこう木柵は、家畜を逃がさないためのもので、危険を退ける力など持たなそうだ。

「ああした家はな魔女が住む、ってぇ不気味がられるもんだが、なんてこたぁない」

 "魔女の家"の話を、ハウプトマンはした。旅には厄介がつきもので、急な物入りで世話になるとすれば、町より道中の人家がありがたい。安全から孤立し暮らすかわりものを、人は魔女だと蔑むけれど、いざというとき頼りになるのは、我関せずの常識人より、救ってくれる変人だ。

「便利は悪かろうが、自由に使える土地はいいな。町中じゃ同じにいかん」

 集団とのかかわりやいざこざを苦手とする人が、賊や魔物の危険を承知で住むのが"魔女の家"。相応、揶揄される"魔女"のように、力なくしては叶わない生き方であった。

「魔女の家には、みんな銃があるのかな?」

 少年の考えは、王国人には突飛と感じるかもしれない。

「まさか!王国外でな銃なんて、魔女そのものよかずっと稀さぁ。つまり、あって数えるほど、ってこったな」

「……王国になら、銃はたくさんある?」

「ああ、ここいらの剣とだいぶ変わらんね」

「ふぅん……」

 ゼンは戦士で、守手であるから、似たようなことをこれから一生、考え続ける。守る力についてだ。

 力、というのを思い浮かべる。連想できる。たとえばヴァンガードのような戦士。たとえば恐ろしい銃、弾丸。

 危険、というのを思い浮かべる。経験からして、たとえば四匹の岩オオカミ。たとえば六人の人攫い。想像をふくらませて。たとえば敵に回った、ヴァンガードのような戦士。たとえば自分につきつけられた銃、守るべきものへ飛んでゆく弾丸。

 すべてを退けられる力は、いかほどあったら足りるのだろう。ヴァンガードになるよりも、銃を手に入れた方がはやい、と人は考えはしまいか。銃と、銃より強い戦士では、どちらの方が多いのだろう。

 僕は、銃より強くなれるのかな?きっと――かなり難しい。すくなくとも、簡単ではない。ただちに行きつく結論だ。すべての守り手は同様の苦労を持つだろうから、"魔女の家"が銃で武装するという発想も、ゼンの中では妥当とかたがつく。

 だけど、銃がたくさんあるなんて――王国というのは、考えられないほどブッソウな場所だ。ゼンは思った。ヴァンガードを好きになれても、銃は好きになれそうになかった。これから一生、好きになることもない。


「くしゅっ……!」

 フランは思わず肩をさすった。空色が赤を帯びだして、馬達がご機嫌に駈歩(かけあし)となれば、御者台は風に肌寒い。

「こいつを使いな、嬢ちゃん」

 がたがたあけられた足元の収納から、ふかふかの毛布がよこされる。

「あ、ありがとうございます」

「坊主は?」

「ん……僕は大丈夫」

 ハウプトマンとの雑談が、このとき、ひと区切り。親切まで感じてフランは、機会だと思った。

「あの、ハウプトさん。きいてもいいですか」

「おう、馬車について以外ならな!」

「……神子、のことなんです」

 いまは親切な髭男が、血相変えて怒った昨晩を、忘れられるはずがなかった。男は太い眉を、たいそうつりあげた。

「なんだぁ!もう気にするなと言ったろう!」

「で、でも……」

「嬢ちゃんはハナっから悪くない、俺がわめいたのは《縁起》の話さ。《"踏んで(しま)えば吉が(うつつ)なり"》……ってな。実際、なーんにも大事は起きてないんだから、ヴァンの言った通りの今が答えだ。違うか?」

 町を出てからだいぶ経ち、とくに脅威は現れていない。現れたとしてどうか。"一条"で遭った困難のくらいを聞き、"商隊"になら屁でもないのだと、ハウプトマンは大笑いした。

「後ろの連中の腕っぷしを借りてばっかり言うんじゃあないぞ。ひとりじゃないってこたぁな、それだけ大きな力になるもんだ」

 男は今度、静かに笑った。

「なにより嬢ちゃん、なりたくて神子になった訳じゃなかろう」

「その……生まれつき、では、ありますけど……」

「な。誰かの生まれた形を責めるのは、人が犯しちゃならん大罪だ」

 フランは、声がでなかった。大罪。思わぬ刃で、深く突き刺された。生まれを"穢れ"と蔑まれた少年が、神子の守手となって、命がけで守ってくれている。

 大将ごしに、おそるおそる、当人の様子をうかがった。

 考え事でもしているのだろうか。膝を抱えて、ぽけっと遠くを眺めている。彼とは今、隔たれていた。あたりまえながら、巡礼の少年少女は、ときどき、少年と、少女、である。

 曇らせた表情の真意を、ハウプトマンは知らない。

「いかんなぁ、そんなじゃ不安気が板についちまうぞ!」やっぱり、笑った。「将来、別嬪にひそめ眉が張りついててみろ、あの日ゃ悪いことを言ったなと、俺ァまた()な皺こしらえちまう。そいつぁ勘弁願いたい!どうせ寄る年にもうけるんなら、笑い皺いっぱいでいたいもんだ。だからな、なんにもない今のうちに、これだけはよぉく言っておく。この先、もしもの大事、があったとして、だ。嬢ちゃんが気に病む必要は、これっぽちも!ないからな。いいか?」

 この人は、きっと嘘を言わない人だ。フランは思った。不安のひとつを、たしかに解決してもらえたから、はい。と小さく頷いた。

 いくつの種類を持つのだろう、ハウプトマンは笑みを絶やさない。

「ふははっ、お前達はまだ知らんだろうが、(うち)ほど厄介に首を突っ込む馬車はそうそうない!もとっから、王国を出る前からの話だぜ。起こるだろう面倒が、全ェん部わかった上で、俺は、この旅に出たかった。

 ケンジはな、興味に惹かれてあっちへふらふら、こっちへふらふら、どこだろうとお構いなしなせいで、足っ首に()()()()引っかけがちだ。だが予想出来てたもんさ。でなきゃ、馬車に誘っちゃいない。

 リリーは長耳ってのをさしおいても、稀代の面倒見たがりだから、ちょいとしたことで車輪を止めたがる……もちろん、俺は彼女のそんな部分も含めて愛してる」

 弧大陸の東西大横断こそ、ティレルチノフ夫妻が新婚旅行に掲げる目標なのだ。不思議な馬車は、その為に道をゆく。

「ハウプトは、ジニーをリリーって呼ぶよね。どっちが本当の名前なの?」物思いから帰ったゼンだ。

「おお、どっちも本当の名前さ」

 ジニーリリー・シルヴィン・ティレルチノフが、夫人の"完全名"にあたる。"中名"には、王国の文化に則り、旧家名が当てはめられる。

「リリーってな長耳の"幼名"だな、可愛いだろう?だけど俺以外がリリーって呼ぶと恥ずかしがって怒るから、俺だけの特別だ」

 また、笑った。


 ごんごん。と、首の後ろで音がする。誰かが荷台の内を叩くらしい。

「おう、開けていいぞ」

 振り返れば小さな木窓がある。さぁーっと開く。

「どうだい、はじめての御者台は」

 ヴァンガードだ。覗き口の暗がりに、青い瞳を浮かび上がらせる。気になる荷台の現状を、少年少女は観察してみたかったけれど、貨物置き場は"薄灰色"と隔たっていた。

「すごいよ。どこもおんなじ景色に思えるのに、おんなじところがちっとも見つからないんだ。広いんだね、(せかい)って」

 続く平野にも端がある。小丘を、馬車は登ろうとしていた。

「中はどうだ、休憩いるか?」

「や、平気だ。馬達が大丈夫ならね」「エマは元気だよ」

「ああ、快調なもんだ。《重すぎてアレを使えんが、今はよかろう》」

「そうか……っと、こいつぁ眩しい!また後でね!」

 夕陽だ。焼けた色に、御者台は満面照らされた。

「あんまりじっくり見るなよ!眼を傷めるぞ」

 背もたれにたたまれていた幌傘を、ハウプトマンはすかさず広げる。馬車は、丘を登り終えていた。続くまた平原。行く先で真ん前、揺れる光を遮るのが、"夕日の町"だ。斜陽に赤く赤く、影を長く長く。

「だがおあつらえ向きってなぁ、これさ!」

「すごいです、綺麗……!いちばん偉大な、火のねむり……」

 "さなかの国"でもっとも美しく夕陽をとらえられるから、"夕日の町"。地平線へ沈む夕陽を御者台で望むのは、新婚夫妻が本来だった。少年少女のさらなる旅立ちに、情景をゆずった、あるいは分かち合った、新婚夫妻でもある。


 黒い馬車はまもなく道を逸れ、雑木林の影でとまった。

「町まで行かないの?すぐそこなのに」

「今日は野宿だ。いや、今日()だな。わははっ」 

 石尻尾は特別だった。町中では宿代も馬車の置き賃も、馬鹿にならない。町の外ならだいぶ自由で、しかし、安全なく、雨風も凌げない。はずだ。

「心配ない!じきわかる!そらっ、ついたぞー!」

 ハウプトマンは荷台を叩く。

 馬車の不思議が、不思議のままだった。町に着いたら教えてもらえる約束で、少年少女は待ちきれない。目で確かめた方が早そうだからと、"薄灰色"を覗きに駆けた。するとちょうど「あっ!っとっと!」ダルタニエンが降りてきて、行く手を阻まれてしまう。すぐに続いてヴァンガード。後はもうぞくぞくと大人たち。アッと言う間に出てしまわれて、ぎゅうぎゅう詰め――に違いない――を確認できなかった。みな平然としているのだけは、確かだ。

 遅れて、中を覗いてみる。"薄灰色"は変わらない。精々乗れて、ふつうの大人がいいとこ五人。貨物置き場を仕切る垂れ幕が、吹き入る風でひらり裾を舞わせた。奥には荷が詰まっている、小窓を覗いたヴァンガードはさぞ窮屈だったろう。

「ど、どうなってるの、この馬車!」

「ずっとですっ、どうして隠すんですか!」

 いったい何を隠すというのか、少年少女は具体を知れないが、とにかく大人たちは秘密で通している。はぐらかして怪しく笑うし、教えたがりも教えようとしない。子どもたちがそろって声を大きくする様子を、意地悪な大人たちはひとしきり笑った。


「《なぁ、飯の支度があンだけどよ、もうそろいいかぁ?》」


 平野に夜の紺色が近づけば、仕事の時間も差し迫る。料理番が真面目になってようやく、全てが明かされる頃合いだ。

「《うふふ、それもそうだねぇ》」

「《ジニー、二人はもう入れるのか?》」

「《ばっちりさ。昨日の夜のうちに、まじないは済ませといたからね。いっぺん入ればもう()()()()()()》」

「よしきた!お待ちかねの種明かしだぞ!」

「しゃあね、俺サマがつきあってやらァな!見とけよ!」

 サルヴァトレスに少年少女が続き、少年少女に後が続いた。薄灰色と、みんなで対面している。

 少年少女は、よく観察したとも。サルヴァトレスが、印象通りの身軽さでひょいっと、薄灰色にとびのった。板が軋む。中腰だ。一歩、二歩、三歩。すると。

「えっ!?」「あれっ!?」

「消えちゃった!」「消えちゃいました!」

 忽然。どこへ行ってしまったのか。サルヴァトレスは、空気に()()()。ように見える。


「サルヴァー!?」

「《なんだぁー》」


 たしかに(いら)えはあった。いつも大声でがなるせいで、ちょっと枯れているあの声だ。薄灰色の床材に、食べられてしまった訳ではないらしい。だけれど、当の人物の姿は、どこにもない。

 少年少女が、きょとん、と顔を見合わせると背後、大人たちが大笑いをした。

「そら、あんたたちも行っといで?」

 通訳を聞き終えて、フランは。

「えっ……」

 と、尻込みをした。かたや、さっと前へ踏み出すのがゼンだ。好奇心さえ携えてしまえば、物怖じというのを知らない。とっくに薄灰色へ上がっている。

「行こうよ!フラン」

 満面の笑みで手が差し伸べられたならもう、フランだって選ばずにいられなかった。

「は、はいっ」

 フランは見た、ゼンの背が、溶けていく。手を引かれる。()()を通れば、薄い膜が、肌を撫でる感触。それから。

「わぁ!?」「ええっ!?」


 部屋だ。


 ひとつの部屋があった。

 光が満ちている。白昼色の灯り。夜の石尻尾亭を明るませたのと、同じ照明だ。

 広かった。

 馬車の外見から、とてもとても、考えられないくらい、広かった。

 (おお)きなダルタニエンが十人だって座っていられる。全部のダルタニエンが横になったら、ようやくぎゅうぎゅう、かもしれない。


 板張りの床に、織物が様々敷かれている――各人の空間を主張する目印だと、荷でわかる。

 中央には、丸い小机――"マサムネの円卓(ちゃぶ台)"だ。

 左手には、寝椅子(ソファ)が、その横には背の低い本棚が。

 右手には、ガラクタ山が――通称、"サルヴァの城"である。積まれに積まれた食材の厚紙箱(ダンボール)、がちゃがちゃたくさん調理道具、馬に食べさす干し草の束、他にもたくさん、たくさん、雑多にあれこれ。サルヴァトレスが、まさに今がさごそしている。

 正面奥には、貨物置き場とを隔たる、垂れ幕だ。

 これは部屋、どころか、ほとんど、家である。


 いったいぜんたい、どういうことか。馬車の荷台に、家がある。どう考えたって、成り立たない。

 少年がいくら算術ができなかろうと、少女がまだ容積の計算を身につけていなくたって。

 一目見て、明らかだ。つじつまがあわない。


 ゼンがまず、一通り眺めて、ぽかんとする間があって、我に返った――薄灰色はどこ!

 振り返る。板壁に、くっきり荷台の大きさの穴がある。薄灰色は、むこうに健在で、さらに外には、大人たちがいる。

 言葉が出ずに、ぱくぱく、口を動かしたなら、ヴァンガードが顔を抑えて爆笑した――あれっ、ヴァンには見えてるんだっ。

 外へ出てみる。当たり前に、薄灰色を踏める。野天に出れば、風を思い出す。外から中を、また振り返る。

 "光の空間"が、薄灰色のむこうに、見えるようになっている。


「すごいすごい!すごいっ!どうなってるの!どうなってるのっ!」


 ゼンが何度も飛び跳ねると、大人たちは増しに増して笑った。

「わははっ、これだこれ!これが見たかったんだ!」仰け反って、ハウプトマン。

「素直で可愛らしいねぇ、本当に」目端の笑い涙を弾いて、ジニー。

「子どもは、ふふ。ええ、ふふ……」言いたいことも言えないくらいに、イトー。

「うふふ、ないしょにしておくの、たいへんだったぁ」と、ダルタニエン。

「ふっ……」おそろしい顔つきで、しかし笑ったのだろう、ヴィクトル。

 フランが後から、呆然と出てくる。ぽかんと、開けた口をようやく動かした。

「なんですか……っ、これ!?」

「お待ちかねだぜ、大将!」ヴァンガードとハウプトマンは、拳骨を小突きあう。秘密の解禁だ。

「おうよ!聞いて驚けこいつはな、我らが商隊とっておきの、()()()()()さっ」

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