17.対価
「ふむ。夏、冬、春、雨季でひと巡り……秋はかぞえず、と」
イトーが眼鏡を押し上げた。このあと立ち止まる合図なのだと、少年少女にはお見通しだ。鉛筆が手帳に綴るだろう、みみずの意味を解せなくたって、男の両脇から覗き込む。西通りに横一列な、今朝のとりあわせ三人だった。
ひとしきりすめば、また道を行く。
「秋、という語はご存知なんですね?」
「商人にきいたよ。ほんとは外の言葉なんだって」
「でしたらどうでしょう、落葉とか、収穫期とかいった語は?」
「落ち葉の季節とはいうよね?」
「はい。あとは赤山の季、収穫の……あっ!私、ひとつ思い出しました!姉さまたちが、もうすぐ収穫期だーってお喋りしてたらですね、おばあ様は"実りの時季"と呼びなさいって、ちょっぴり怒られて……」
「ほうほう!その訳は仰っていましたか」
「ええと、たしか……村人たちがよくっても、"育て家"で新しい言葉はいけない、正しく使いなさい。そんなふうに、あとは……」フランは小首をかしげて。「ごめんなさい、これくらいしか」
「構いませんとも!おおいに参考になります」
イトーは眼鏡を押し上げた。なんの前触れかは見通せよう。
綴られてゆくみみずの意味を、少年少女が読み解ける日まで、未だしばし。もしもただちに解せるなら。
◆
秋の語源は"落ちる季節"。落つ=堕つ、を嫌うか。
収穫期。穫る→取る→盗る、の連想――?
神子の居所"育て屋"とは神聖な場である。言葉の端にも悪心の予兆を許さないのだ。秋季とは食糧事情に肝要なはずで、なお疎かにできるのは、確かな実りをもたらし続ける「神」の恩恵か。
◆
変人と、ここいらの土地では評されるだろう。ケンジ・イトーのような人物を、田舎者は訝しみがちである。言葉や常識について根掘り葉掘り、聞いてはいそいそ何やらしたため、この余所者、いったい何を求めている?
知ることこそが喜びなのだ。男が眼鏡を光らせる訳を、ちょうど少年少女のように、あらかじめよく聞いていれば、おかしな誤解も減るだろう。あるいは気がつけるかもしれない。硝子を越したその双眸に、滾るのは比類なき教養である。
過たず、この人物なら教えてくれる。どうして空は蒼いのか。深まる秋に、山並みが紅く燃えるのは何故か。海を克服する術はあるのか。月まで歩けば何日かかるか。
もっとも旅出たばかりの少年少女に、イトーは生き方からして難解すぎた。馬車にとっての「出資者」だという。ハウプトマンとは旧知の仲で、出発以来の乗り合いだ。夫妻の冒険計画に誘われたのは、この"弧大陸"の言語や文化に精通するから。一も二もなく参じたのは、三十路に精力の尽きぬうち、見聞を広めたい魂胆から。
子どもの視点でつかめる要は「ハウプトマンのともだち」だ。それから「物を知りたがっている物知り」でもある。振る舞い方までふくめると「おしゃべりで子どもにも親切な大人」くらいにおちつく。
つまり変人にしても、悪人ではない。子どもと好んで話そうという大人を、少年少女は嫌わなかった。ならんで今も歩いている。よく喋る知的好奇心だった。
「暦もかぞえも用いないのですと……時季をいかにして判別するのでしょう?いまは春とのことですが……冬との境は?」
少年少女はきょとんと見合わせる。なんだそんなこと、ジョーシキだ。
「朝陽がのぼればわかるよね?」
「ええ。光を浴びれば、季節がひとつ……」「「めぐったんだなって」」
「なるほど、なるほど!」
ほとんどの余所者には不可解な事実も、イトーをすれば腑に落ちる。眼鏡が、またまた押し上げられた。
◆
思いだした。季節の折り目には"神秘の風が吹く"と、この地では言い伝わる。また、"陽には季の力が宿りし"とあとに続いたはず。これが解けた。
彼らにとっての実感なのだ。まやかしではない。子どもらにとってさえ、ごくあたりまえの一部である。
春の訪いは目覚ましく草木を育つ。生息する動物の九割九分が、厳密には魔獣と目される。地形も潮流も気候区分も、物の理を意に介さない。魔法理――いいや「神秘」のとばりにつつまれた、ここは写し鏡の土地……またの名を。
◆
「《"幻夢の如き弧大陸"……先人の名付けの意も得たりです》」
「ふぁ……んたずま」「って、読むんですか?」
「おや失礼、気になりますか?」
「気になります!」「そのみみずも、王国のコウヨウゴ?なんだよね?」
眼鏡の奥にやどるものを、少年少女はよく惹きたてる。
「ふふ、そうですね。おふたりが興味をお持ちなのでしたら……」
"公用語"とは尊大に聞こえよう。この言語でいちど育ってしまうと当代、孤独をのぞむ旅は無駄だ。アメイジア連邦王国に制定された「標準語」が、南北アメイジアを統べて留まらなかった責である。
"幻夢の如き弧大陸"に伝播するさま風より疾し、"叛逆する砂の大陸"を侵すさま病魔のごとく。もはや人類生存域たる主四大陸で通用してしまう世界言語。だから甘んじてみな"公用語"と呼ぶ。星史を鑑みて言い訳がたつのは、その彼方"神殿聖国"でも通ずる由縁くらいだ。
「おっと、見えてきたようですね。まずは用事をすませましょうか?」
浅くさしこむ朝陽のむこう、喧騒が間近であった。西通りにひらかれる市場だ。
「あそこで売り買いできるんですね!」
「ほんとうに、これがお金になるのかな?」
ゼンが抱えて見やるのは、布巻きにした一振りである。
「なりますとも。東へ運ぶ手間はかかりますが」
「ふうん……」
布をまくって、剣身をちらり。それは父親ゆずりの黒曜石の――では、もちろんない。でらり、とにぶい銅の刃だ。
少年少女は学んでいる。買えばお金とは支払うし、売ればお金とは支払われる。ここで大人の知恵を借りるのだ。路銀の足しを、つくりたい。
入り用だった。金、金、金だ。如何にして、如何ほど要るか?時を戻せるのは魔女か神かだが、思いだすなら誰でもできる。
習慣だから早起きだった。ゼンはさむさを覚えていない。鼻先ではフランがすうすう寝入った。
酒場の寝室、二階の一室。開けばきっと薄明かり、木窓が朝陽をふうじている。ぬくい毛布をそろっと抜け出す。そのまま部屋をあとにした。
寝入るまでいたヴァンガードがいない。耳をすませば、声なら聞こえる。となり部屋だ。
『《わっ。模様と思ったよ、これって血のりか!鼻がいいくせお前――》』
『《――せん。貴様のいびきの――》』
壁越しだからくぐもった。
階段をくだる。大机がしるしの食堂がある。灯りはおちて、空気がひんやり。人影こそなく、厨房から気配。料理番のサルヴァトレスだろう。
――僕よりずっと早起きだ。
あたりの卓にかけたままの、銅の剣をひったくる。得物がなくても寝床につけたのは、ヴァンガードがそばにいてくれたからだ。
酒場の裏手へ、たっと向かった。
剣を振らねば朝ではないし、厩舎のエマにも挨拶がいる。昨晩は馬番ダルタニエンに任せきりだった。腕試しの前には。
――こんばん、平気そう?
――この猪ならだいじょうぶ。
そんなやりとりをした。ゼンはダルタニエンをまだよくしらない。"商隊"のひとりだから、わるい奴ではないはずだけれど、エマは家族だ、気になった。
厩舎をのぞけば空である。黒鹿毛のヒィロもいないので、ダルタニエンがどこか連れ出してくれたとみえる。商隊はみんな仕事がはやい。
――僕はちょっと寝すぎたや。
反省もそこそこ素振りにかかった。"構え"から型をひととおり。あたり一面、まだぬかるみで、腕試しの跡をよくのこしていた。
集中するのにかかる今朝だった。考え事を、すこしした。
もっとだ。強くならなくっちゃ。
ヴァンガードに勝つのが、すぐにはむりでも。
馬車の対価になれるくらい、強く。
ヴァンガードはこれからも助けてくれる。
それじゃだめなんだ。
約束がある。僕はフランも守らなくちゃいけない。僕だけじゃない。
今のままだと、たりてない。
村の外の戦士たちはみんな、ヴァンガードくらい強いのかも。「ヴァンガード」は、たくさんいるのかも。ヴィクトルだって……しずかなヴァンガードとよく似てる。
外は、こわいや。銃だって、あって……。
…………。
ハウプトは、乗せてくれるって言ったけど、さいごはうれしくなさそうだった。
だったら僕が役にたたなくちゃ。守れるだけじゃ、たりないんだ。
かならず強く、ならなくちゃ。
――どうだい、今朝は。
――ああ!なんだかひさしぶりだね。
――彼女がずっといたからな……やるかい?
――やろう!
訪れにゼンは集中を得た。一心不乱に剣を振った。彼と、ひたすら乱取りをした。
ふたりは、ちょうど同じな腕前だった。
少年の知らない技は、彼もまた知らないけれど、少年がすこし上達すると、彼はたちまち追いついた。見て覚えるのが得意だという。
――うーん?こいつはだいぶ離されたね。
――そうかな?
――前から月はいくつ満ちた?
――まだ日でみっつかよっつだよ。
ゼンの剣筋を傍からみたら、なるほど、仕合いと見えただろう。
金の鳴らない、ひとり仕合いだ。もしも大路で披露できたなら、迫力で銭も得られるほどで。しかし。
「あっ!」
人目があると「彼」はいられない。ゼンの剣は、あるべきように空を斬っている。つながりが失せてしまったのだ。山で木こりに見られてもこうだった。
「ヴァンガード!」
「おはよう少年。さっそくダルと稽古かい……」
裏口からぬっと図体を現わして、男はあたりを見渡した。木々やひさしがつくるほか、影は少年のただひとつ。
「ううん、僕だけだ」
「ん、そうか」
一目瞭然であった。疑う由などヴァンガードにはなく、見当違いに顎をかしげる。ついでは酒場のおくに振った。
「すれ違ったかな?大将がお呼びだぜ。隊の一員になったからにゃ、集合のときは集合だ」
「そうだった!」
おおきな手に背中を押されて、ゼンは裏手をあとにした。大机の間には、ダルタニエンをのぞいて"商隊"がそろっている。とくに待ち構えているハウプトマンは、"大将"のしるしの腕組みだった。
「朝一すまんな。話ってなほかでもない……いま、隊には――」
唾を飛ばして大声である。
「金が……ないッ!」
寝ぼけまなこをこするフランが、額でのけぞるほどだった。
「すまんがなんとか作ってきてくれっ。隊費とは別だっ、一人頭大金貨二枚!」
「げぇッ、べらぼうじゃあねぇか!」サルヴァトレスは負けじの大声。
「負担をかける!ただし坊主と嬢ちゃんについては二人で計二枚!目途がつくまで"さなか"は出られんからな、頼んだぞ!」
要点だけをさっさと伝えて、ハウプトマンは酒場を飛び出た。慌てるらしい。ジニーも一緒だった。
のこされた"商隊"の面々はとにかく、金獲りを命じられたわけだ。ゼンやまさしく一員である。頭の中では声が鳴った。
『困ったことになるやもしれんぞ?』
旅には金が入用なのだ。黄金の女性は嘘を言わなかった。もちろん、ゼンは悔いなどしないが。
「僕のぶんをどうにか獲らなくちゃ……」
求められている大金貨二枚。大金貨とはエウロピア金貨のことで、これが、なかなかの大金だという。フランが一枚持っているから、差し引きたりない一枚にせよ、大人がいわくまだ大金だ。
「どうしたらいいんでしょう?イトーさん」
「そうですねぇ」
酒場にのこった最後の大人である。あとの大人の動向といえば。
サルヴァトレス――「ああは言ったがな、実ァもうアテがあんだ!」と厨房へ引っ込んだ。
ヴァンガード――「任せていいかい?ちょいと頼むよ」と、ヴィクトルを連れて出た。返す借りとやらがあるらしい。もちろん少年少女の面倒を見る気でもいたから、せめてと立てた代役がイトーだ。
イトーは、馬車の出資者にして知恵袋。金獲りに奔走せずともよくて、助言の質に事欠かない。
「策を考えましょうとも。おふたりの色々をふまえて、まずは……」
少年少女の事情をイトーは、すみからすみまであらためなおした。特技に持ち物、路銀のあたい。
「元手を作ってみましょうか?」
目をつけたのが銅の剣だ。盗賊の剣、もとい"ガズの剣"でこれからは間に合わせる。ゼンもけじめをつけたのだった。
「遠く東の王国では、銅製品を高く買い取っているんです」
もっとも金貨には満たないだろう。それで構わない。わりのよい仕事を得るための、契約金からつくるのだ。
「お金を得るための仕事、仕事を得るためのお金……奇妙に思われるかもしれませんが、信用の問題です。ゼン君は腕が立ちますから、得てしまえば事は容易でしょう」
ヴァンガード流のやり方だと聞く。くわしい意味はもっと後で教わるが、とにかくいまの路銀では心許ない。かといって手持ちの金貨は砕いて使うと、手数料で価値が縮んでしまうという。季節の変わり目なんかより、お金こそ不思議でいっぱいだ。
「お金を獲るのって大変なんだね……」
「ですね……」
ともあれ向きが決まったのだった。三人でくだる東通りでは、こんな会話もした。
「そういえばおふたり、ご立派な馬を連れていましたね?」
「え、エマは売れないよ!」
話の流れが悪かった。意図はまったく別だそう。
「彼女を売るなんてとんでもない!人は見落としの生き物ですから、ひょっと救いやもとは思いましたが」
大人はときどき、大人にしかわからないことを言う。
「ふふふ、どうぞお気になさらずに。これも経験、糧となりましょう」
そうして眼鏡を光らせるのだ。やっぱりイトーはむずかしい。
歩きながらで飯はすました。サルヴァトレスが用意してくれた紙包みのなかは、具材ふんだんの白パンだ。サンドウィッチと古く呼ぶ、由来は諸説があるのだそう。ぴりり、つん、とする香辛料に、少年少女はちょっとびっくり、うまいうまいと食べきった。山で暮らすなら一握りの実、村で暮らしても麦乳粥に塩、それで朝餉の常識なのだ。
一直線に来た道だった。東通りから中央広場、西通りもさなかが市場。ここまで来たら、イトーも立ち止まらない。銅の売りどころをつきとめるため、一足先に市場へもぐってくれた。物知りは、物の知り方もよく知っている。
「人の森だね、はぐれないようにしないと」
喧騒をすこし手前に、少年少女は待っている。舞ったほこりをすかす朝陽は、石畳をはねて灰色だけれど、活気、というのがある場所だった。荷をさまざまかかえて男どもが、おしあいへしあい譲らない。どら声にかぶさるどら声が、もっとどら声に圧倒される。
肌もなじんだ頃合いに、ひょろり、イトーが抜け出してくる。くだびれ模様だ。ふつうな大人は揉まれてこうなる。
「ふう、首尾よくつきとめられました……!」
銅物商の居所と、売り値に期待できる旨を、ずれた眼鏡をなおして言った。
中央金貨一枚が見立てだという。不思議なお金の話をしよう。ひとくち「金貨」と呼ぶにしたって、かぶる愛称で価値がちがうのだ。
「ええと、中央金貨が十枚で、だいたいエウロピア金貨一枚ぶん……でしたよね?」
「左様になります」
エウロピア金貨は、とにかくえらい金貨であった。その次にえらい中央金貨が、十人がかりでようやく対等。どちらにしたって、ふつうの子どもの小遣いとするには過ぎた大金である。ただ巡礼の少年少女は、いつでもふつうを許されなかった。
「中央金貨が二、三枚もあれば、一家でひと冬を楽にすごせます」
「へぇ、そんなにすごいの」
ゼンは勘定がわからない。金貨が混じればなおさらだった。それもかしこいふたりが言うのだから、粗末な銅も金になれるのだろう。
「おんなじ剣なら、村の倉庫に山ほどあるのに……」
老商人をまねた言いまわしは、いざ口にしてみて、とてもしっくりきた。村の倉庫にゼンは詳しい。寝床に数回使ったし、雨宿りの暇にねずみを追った。うずたかく積まれた銅剣の山を、もちろん見逃すはずがなかった。
「ものの価値とは人それぞれですからね」
「どうせ使わないんだもの、もってこれたらよかったな」
無邪気に言うだけ詮無い話だ。
はぐれないよう細心に、三人は人混みをかきわけた。お目当ての人物には、すぐにいきつく。髭と帽子は「商人」のしるしなのかもしれない。
「おはようさん。おうおう皆まで言いなさんな!ここに来たんなら用は決まってら。モノの査定は無償だぜ、まずは見せてみろよ」
東方からきた銅物商だ。売り場をもとめて彷徨えば、彼にいきつくよう網が張られている。
銅物商は座るのも木箱、机とするのもまた木箱である。
「これ……けっこう高く売れるんでしょう?」
ゼンはさっそく机に押し出し、布巻きのはじをほどいてみせた。
「ほぉ、粗悪な銅の直剣、全長九十セルってとこか。どれ重さは、と。でかい秤、でかい秤……ちと今よそで使ってるな。持った感じ……ふん。まぁまぁあるな」
「いくらになるの?」
「含有率がわからんからなぁ。中央銀貨十だね」
「……それだと、聞いたよりだいぶすくないみたい」
「そりゃ言ったやつが悪いことしたね」
「銅は東で高いんでしょ。これくらいなら中央金貨一枚だって」
「じゃあ中央銀で十五。おおまけだ」
「金貨で一枚がいい」
「馬鹿言うない、んーなに高けりゃ鋼の上物が買えちまう」
「どうしよう……」
「ほかぁ当たんな!選ばなきゃ買い手はいくらもいるよ。おおっと、もちろん最大手はここさ。秤に誓ってね」
駆け引きも何もなかった。交渉決裂である。この少年は商売に向かないなと、銅物商は鼻で笑うのだ。
肩を落としてゼンは、ついつい引率の大人を見やった。ときどきの通訳に徹するイトーだった。いちばん大事な金獲りは、少年少女がみずからおこなう、そういう約束なのだから――いや。仕事の領分を別にして、イトーには助けてやる気があったとも。あえて黙っていた訳とは。
「ほかに行ってみる……?」
「そうですねぇ……」
曖昧にイトーはとどめて、ずっとフランを観察していた。何を言おうか言うまいか彼女、腹にこぶしを握るのは何故か。交渉中から兆しであった。
三人はなんとなし、人混みにまた溶けかけだ。それを「なぁ……」銅物商が呼び止める。いかにも、なんでもないように。
「坊主、その剣どこで手に入れた?」
「これ?これはね……」
商売に向かない性である。まるで正直な少年だった。
「僕の村の――」「あのっ!」
それだからフランに張り上げさせる。握らない方の腕で制すから、ゼンをかばったようにもみえる。
「場所の名前なら教えます。そのかわり、剣を高値で買いませんか」
才というのはわからない。人は磨けば誰しも光るが、磨かれないまま光る者もいる。
「やるね、お嬢ちゃん。いくらか聞こう」
「大金貨二枚です」
銅物商にめまいも催さす。
「馬鹿言うない!暴利がすぎるぜ!」
「そうですか!残念ですね……みあうくらいに多くの銅が、たしかにある場所なんですが……やっぱり行きましょう。ゼン、イトーさん」
「や、や、待て待て待て」
「はい?」
「……んーなにたくさん銅が、そこにゃあんのか?」
「ありますよ。これとおなじ銅剣が、山ほどあります。言葉通り」
「んん……じゃあ、どうだい……中央金貨五で!」
「えっ、すごい!」
聞いて無邪気が喜んだ。つまりゼンだ。先の値段と、ずいぶん違う。事前の金貨一枚とだって――四枚もおおくなっちゃった!
かたやフランは考えるそぶりだ。そぶりと見せて、まさしくフリである。何が正しいのか考えがある。
「うーん。中央金貨五……でしたら、やっぱり結構です!高値で場所の名前を買ってくれる、ほかの方を探してみますから」
ぷいっと、つやな黒髪をゆらすのだ。もはや連れも置き去りに行きかねないから、銅物商は前のめった。大小木箱に蹴躓いた。
「やや、待ってくれ!」
ハッタリだとは思えない。銅物商には疑えない。素人の演技に過ぎないのなら、経験をして見破れるはずで、なかなかどうしてすごみがあった。この少女、麗しい形で商人だ。
「んじゃあっ中央金七、いや八!どうだい!」
「大金貨一と中央金五です」
「むっ……」
「山ほどありますよ、ね?ゼン」
「あ、うん。すごくたくさん。こんなにあるんだ」
こ~んなに。ゼンは背伸びでせいいっぱい、おおきな山をつくってみせた。村人の頭数より多いと見たから、これでもまだまだ足りないくらいだ。
「ぐ、ぐ……」
効果覿面とはこのことである。銅物商をうめかせる。いちど決裂した交渉が効いた。こちらの少年は、嘘をつけない。銅剣の山はそこに実在している。
「だ、大金貨、一……どうだッ、かなりギリギリだぞ!」
「ふぅん、そうなんですね……」
かたやフランは考えるそぶりだ。そぶりと見せて、やはりフリである。商人だから、これで正しい。
「銅の剣を中央銀二十で買うなら、場所を大金貨一で売ります。どうですか?」
「……いいだろうっ」
ゼンに劣らじ正直者で、ひかえめフランの意外な一面をみた。ほくそ笑むのがイトーである。銅物商が並べる硬貨を、誤魔化されないようあらためて、少年少女に頷いた。
「やった!すごいよフランっ」
「えへへっ」
ゼンがぴょんぴょん跳ねるので、フランはとても嬉しくなった。ついつい硬貨に手をかけて、銅物商を慌てさす。
「おおい、場所は!」
「あっ、そうでした!"火の神の村"の倉庫になります。町の南門を、ずーっと行った先にある村です。子どもの足でも順調にいけば……どれくらいなんでしょう、ゼン?」
「うん、一日かからないかな?」
「南……南に村だぁ?んーなに近く?覚えがないぞ……誤魔化しちゃないね」
「ごまかしてません!私たちが生まれた村です」「町から来る商人だっているよ」
「な、なに……?」
銅物商はめぐらせる、言うなれば「商人の時間」であった――たしかに南に門はありゃする……だがその先、森は出入りご禁制。むこう山のきわまで、領主の狩場だからさ……――頬髭を撫ぜながらもかたやで、少女の手をきつく押さえている。
「あ、あの……まだ何か、いけませんか」
「ん……」
明け渡せずにもいる訳だった。町の常識が邪魔をした。すなわち。
"さなかの町"の南に、人村など存在しない。
銅物商はみている。さきの自信はどこへやら、いまや不安げな小娘である。疑うべきは、その態度ではなかった。もはや銅剣の宝庫の真偽でもなかった。火を噴くという、あの切り株山のふもとには――隠されてるのか?人里が?誰に?領主に?どうして?
通念、常識、思い込み。銅物商は疑って、まさに悪寒に襲われる。きっと、見つけてしまったからだ。少女は髪留め、隠している。はざまに閃く、それは何色だ。
「うっ……!そ、そういうことかっ」
銅物商は少女を離した。すると悪寒も止んだのだった。あるいは皆まで知らずに済んだ。たとえば、守手がぎろり睨むさま、指をかけていた柄の斬れ味。
「いいんですね?いただきますよ」
「ああ。いいとも、いいとも。腑に落ちたね。なるほど、へへ、腕の見せ所かな」
商人はときどき、物知りでさえわからないことを言う。
去り際に少女は振り向いた。花咲く満面の笑みだった。
「あっ!気をつけてくださいね商人さん。町に来るまでオオカミさんに、人攫いさんに……いろいろ大変でしたから」
「おいおい、そいつも金取んのかい!」
「ふふ、これは無償にしてあげます!」
少年少女とイトーは東へむかった。喧騒を抜ける。横一列でのお喋りが、やっとままなる。
「フランっ、フランっ、すごいね!」
「ええ、すばらしい商才がおありです」
小さな商人の活躍で、あとは金貨を大将に届けるだけでいい。
「どこで覚えたの?あんな交渉!」
「えっ、どこで……?うーん……姉様たちの、おはなしで、でしょうか――?」
そうでないなら夢の中だ。フランは義理の姉たちを思った。サリーナとシエンテは「外」の話が大好きで、商人――そう、あの"老商人"――からあれこれ聞きだしては、育て屋に持ち帰ってくれたものだった。
「あ、あのふたりって。そっか……」
ゼンはいまさら身近に思う。老商人のかつて言った、村での"オトクイ"がわかったからだ。それに。
「フランって、外をたくさん知ってるんだね!僕よりずっと知ってるや!」
おばばはどうやら間違ったらしい。ゼンはとにかくほめまくった。ほんとうにすごいよ。てんさい?だ。フランはくすぐったそうに笑った。
「よかったです!やっとゼンの役に立てて……」
「やっと……?へんなの、腕だって治してくれたのに」
「でも、それだけですから……」
フランは、秘めていた不安をようやく明かせた。なにより"商隊"に対価を示せていない。
「ゼンは強いです。火の神秘だって使えるのに……私はほかに取り柄がありません」
ゼンはきょとんとせざるをえない。
「なんだそんなの!商隊は僕の剣をかってくれたけど、ヴァンガードの方がずっと強いよ。それに火の神秘なら、もう使えないし」
「え……?」
今度はフランの番だった。きょとん。
経緯の説明のついでにゼンは、"とっておき"のほかをあらためた。
"掌熱"――使える。
"指先に灯し火"――使える。
"とっておき"、もとい神子曰く、"火床奔る深紅の煌策"――やはり使えない。御許にいる間は何度でも使えて、今生最後の一撃と、覚悟したのが昨晩だ。
「どうしてだろう……」
「ふむ……」
居合わせるイトーが物知りだった。
「ひょっと《冷却期間》にあるのやも」
仮説とは発見をもたらすが、往々にして誤るものでもある、と物知りは前置く。やっぱりちょっと難しすぎだ。
「《行使数》の規定によって魔術の《強度》を高める手法とは、かなり古くからあるものです。《制約の原理》はたまた《時の対価と呼ばれます。『使えない』との直感は行使者にとって絶対で》……ああっと失礼!」
"さなかの言葉"に公用語がまじって、少年少女にはなにがなんだか。
「ようは可能性を言いたいのです。また時間さえ経てば、ゼン君はとっておきを取り戻せるやも」
「そうなの?だったらうれしいな……」
「《魔法理》はジニーが詳しいですから。またの機会に訊ねてみましょう」
仮説と言葉にとらわれて、イトーは大事を見落としている。ゼンは言ったのだ。御許で"とっておき"は何度も使えた。意味するところ「日に何度でも」、これは"制約の原理"と矛盾している――なぜ。を、すべて明らかにするには、更なる巡り会いと時が要った。
魔術について軽く談議するうち、中央広場が近くなる。店々から漂う、香ばしい匂いだ。昼飯時の予感だった。嗅いでは話題もうつろうもの。お昼ご飯をどうしようね。そうば、というのはいくらでしょうか。
「中央銀貨一枚ともなれば、なかなか豪勢な昼食ですね」
「なら大金貨だと――」道すがらフランは勘定をさらったが、大きな桁だとまだまだだ。なにせ比率が難しい。「とにかくすごいですっ!たくさん食べられます!」
「ねぇ、銅って銀より安いんでしょう?なのに剣だと銀より強いんだ」
「鋭いご指摘ですね。もちろん、さまざま訳があります。製品とはそれだけで価値をもちますし……」
原価、工賃、需要による高騰。イトーは経済なるものを説けた。
「そして実のところ王国がもとめているのは、銅製品に限らないのです」
採掘資源に由来する、弧大陸産のあらゆるものを、高く買い取っているという。
「真に欲しているものとは、はて品そのものでしょうか……」
この物知りは、王国が生んだ物知りだった。知識人、とか呼ばれるひとりで、ある種の道を啓ける人だ。
「『情報』というのは時として、ただならぬ価値を宿すものです。たとえば鉱脈分布、宝物のありか……ええ。フランさんは、これに自ずから気がつけました」
「情報……私、ゼンの情報に助けられました!」
「ふふ。人を助けてきた総量でいえば、金そのものにも勝るでしょうね」
「それなら僕にもわかるよ。お金がないより、知らない方がこわいもの」
「……あっ!」はたとフランは立ち止まった。「いけません!銅物商さんに、掟を伝え忘れました……」
やさしい思いつきだった。今から向かえば夜になり、余所者は村に入れない。
「オオカミさんに襲われるかも!」
これが、イトーに眼鏡を押しあげさせる。
「掟ですか?」
「そう。外の人間は、御許で夜をすごせないんだ」
「もどって伝えてあげないと……」
「いえ、きっとご心配には及びません。見ず知らずの土地へゆくなら、相応しいだけの備えをするはず。それでようやく商人ですから」
「そ、そうですか。ならよかった……」
安堵を見るよりもしや早い。「ところで」とはイトーの口先だ。「掟、とおっしゃいましたね?よろしければ、つぶさに教えていただきたいのですが」
「いいですよ!」
いまや無邪気な少女であった。損得なくして、すぐさま頷く。少年だって左にならえだ。けれど物知りは今度、ふでをとらないでいる。
「……おっと。さすれば僕もおふたりに、見合うなにかを用意せねば。山より大きな国ですら、知るには対価を払うです。なくしては公平性を欠くというもの」
「いいのに別に、掟くらい」「そんなにうれしい情報ですか?掟って」
「それこそ、ものの価値とは人それぞれです」
「でも対価って……どうするの?」「ええ。イトーさんとお喋りしたら、お金をもらえるなんてなんだか……」
嫌だよね。嫌ですね。少年少女が見合わせるさまに、大人はほほえんだ。
「たしかに。金銭をひとたび対価としてしまえば、ちょっとしたお喋りさえ窮屈になってしまうやも。僕としても、それは避けたい……だから提案です。たがいの景色を、交換しませんか」
「景色を……」「交換?」
「商隊がゆくのは長い旅路です。時間は許してくれるでしょう。僕はおふたりに、僕にあるだけを伝えられるよう努めてみます。お金の話、国の話……単位に算術、もちろん言葉も。
だから、おふたりはおふたりの常識を、僕にできるだけ教えてください。育て屋での日々、山で見たもの、寝食、それからもちろん掟の中身……この星に、同じ人間はひとりとしていません。見てきたものも当然ちがう。たとえ似ているようでもね。そしていかにも些末な経験こそ、僕は高く買う自信があります。いかがです、この条件では」
交渉の余地など見当たらない、すてきな提案だった。
「僕、みんなの言葉がはやく喋りたい!」「算術をもっとおしえてくれますか!」
「もちろんですとも。ええ、ええ。どうやら、よろしい取引でした。単に何かを得る以上にね。して、何からはじめてみましょうか?ああ、ところでひとつ発見が。聞いていただけますか?僕は自分で思ったより、語ることが好きらしいのです。まさしく、物を知るくらいに……」
少年少女に知らされない景色があるとすれば、イトーは、選べる立場にあったということだ。
たとえば、アメイジアを統べた王国が、枯渇をしらない南北大陸の資源をさしおいて、弧大陸の鉱脈調査を貪欲におこなうのは何故か?
考えるだに、おぞましい。物知りは、憶測と黙っておいた。たとえ巡礼の神子と守手でも、子ども達には黙っておきたかった。
その物知りがいかに高くから世界をのぞむのか、少年少女が実感するには、知った景色がまだ狭すぎる。だが明日はわからない。いずれ見える景色が善いか悪いか、それもわからない。ただ、明日もまた善く有れと願う大人なら、ちょっとかわってはいるけれど――すくなくとも、ここにまた一人。




