15.腕試し
三日月が夜空をひっかいている。星々が真砂をなしている。人なき夜にも世を照らす光だ。
時の流れが、闇を拓く術を人にもたらした。酒場の裏手の壁掛けに、松明がひとつ、ふたつ、と立てかけられる。知恵の光だ。
風なき夜に、掲げた炎がおどっている。灯し人たちが、脇をゆくからだ。街灯も、酒場のうちの白昼灯も、ここまでは照らせないでいる。
汲み取りの肥の臭いが、どこからともなくわずかに漂う。しめった草葉が青く塗りかぶさる。繁みに微か、虫が鳴く。
囲まれた空間だ。
酒場に厩舎に倉庫に、搬出用の通り口をのぞけば、あとは防風林である。四方を遮られて影になるから、裏手の地面は陽の目を見ない。先だっての雨で泥濘をふんだんに、轍や、蹄や、人の足跡を、幾重幾重にも刻んでいる。
「怪我させるんじゃないよっ」
長耳ジニーに厳しい声音が出せるのを、少年少女ははじめて知った。
「大丈夫だいじょぶ!」
快活に笑って、白い歯を見せている。
大男だ。
挙げてみせる手の、大きさよ。
やわい地面に大きな足跡をつくるのだって、ヴァンガードは大得意だった。
「気をつけてくださいね」
「うん」
ゼンは大男に対峙する。あいだ七、八歩。剣士の距離だ。
フランが離れて、長耳の横にかくまわれた。胸に手を組む。見届ける為に、目はつむれない。小さな戦士の無事と勝利を、己の神に祈っている――神。信ずるにいまや足るかをともかく、祈れる相手は他に知らない。
ヴァンガードは明るかった。
「大将!誓ってくれ」
「おう、言ってみろ」
髭の大将は、ジニーとフランのそばだった。背は、三人のうちで中くらい。
「少年が勝負に勝ったら、必ずだ、ドラッドネルトの港町まで連れて行ってやると」
「いいだろう、誓おうじゃないか。坊主が勝てば、だ。なにがあろうと――」
「おおっと!まだ勝負のなかみを言っちゃないんだぜ」
「構わん!西の果てまで連れてってやる!」
にやりと、髭もじゃの口角が上がった。
「こんなでも、損得ばかりで考えちゃあないっ」
「太っ腹だね!じゃ、ついでと言っちゃあ、だいぶ何だが、お嬢さんもだ。誓いのうちに入れてやってくれるかい」
「何?」
「二人は一緒でなくちゃならん」
「ん……」
それもそうかと髭面は、脇の不安気を見下ろした。
「いいだろう!お嬢ちゃんも一緒にだ」
「よし!そんなら少年、戦いの《規定》を決めようか。これは一種の決闘だ」
「けっとう」
出会ってまもなく「手合わせでも」と、大男は冗談を言った。実現が間近だ。
戦士の能とは、あらためる能だから、ゼンはとてつもなく集中している。一言一言、聞き逃さない。あったようで、なかった戦いだ。目端にチラつく火の色さえも、神子守の儀とは異なった。
「大将も!心して聞けよ。ぜんぶ聞いてから誓ったって……」
「いいや!もう決めた!《こいつぁ約束じゃあないっ、誓いだ!一度言ったら、跳ね除けんっ。二言はない!》」
「《助かるよ!》少年!大将の好意にできるだけ甘えよう。この戦いには《強者の枷》を設ける」
「はんで?」
文脈から、意味がわからない。勝敗を司る規定とは別物らしい。
「心配ない、良いものだよ。聞けばわかる」
「わかった」
「いいか?《強者の枷》は全て、俺が俺に課す。たとえばひとつ、利き腕を使わない」
「!」
なるほど。ゼンは読み取った。ヴァンガードは加減をしてくれる。これなら勝ち目があってもいい。片腕落ちとは好条件だ。どころか。
「ひとつ、俺は少年を攻撃をしない」
「えっ……!」
「ただ躱して、ただ往なす。俺は一切、少年に反撃しない。これならジニーも怒らない、だろ!」
ゼンがつい窺ったのは、ジニーよりもハウプトマンの様子だ。なにせ加減の程度が跳ね上がった。いくらなんでもやさしすぎる――とは馬車主、文句を言わないでいる。髭を掻くだけだ。余裕な有様にまた、理解もできる。更に。
「ひとつ。俺のからだに一度でも攻撃がふれれば、少年の勝ちだ」
これでほんとうの勝ち筋だった。ゼンはありがたい。だけれども疑問。
「……ヴァンガードに勝ちはないの?僕に攻撃しないんでしょ」
「そうだねぇ、どうしようかな?」
「晩飯ができるまでだ!ヴァンガード!飯ができるまでの暇つぶし、そうだろう?」
「ん!言われてみりゃ、そんな話だったね。いいかい少年?ちょうどいま、厨房で飯をこしらえてる仲間がいる。そいつがぜーんぶ皿を仕上げて、呼びに来るまで決着がつかなきゃ、少年の負けだ」
「……うん。わかったっ、はじめよう!」
"鋼の構え"をゼンはとった。携えるのは銅の剣だ――背負ってくれていたエマは厩舎にて、猪の彼が面倒を見ている。
やはりはじめての戦いだった。時間が敵だ。わずかさえ惜しい。飯のできあがりがいつかを知れず、ゼンは気がせく――すこしでも早く!
「っと、慌てなさんな!余裕ならまだある。見たろう?食材は買ってきたばかなんだ。それにさ、なんたって大所帯でね」大人たちが目配せに、くすくす笑っている。
「そ、そう……」
「言ったって、伝える縛りはあとひとつだけ!ただね、おっきいぞ。設けた規定や強者の枷を、俺がすこしでも破れば、やっぱり少年の勝ち……どうだい?」
「うん。たしかに、おっきいや」
「だろ!」
ゼンはまとめる、要はこうだ――ヴァンガードは利き腕を使わない。ヴァンガードは攻撃してこない。やぶれば、ヴァンガードの負け。ヴァンガードのからだに触れれば、僕の勝ち。時間切れで、僕の負け。
「もひとつ!俺からつけ加えよう」
「もちろん大将、あんたにゃその権利がある」
「ヴァンガード、お前に向けてだ。決め事を設けても……それ以上の加減はするなよ!」
「そりゃ当然さ!じゃなくっちゃあ勝負じゃない」
「ならいいだろう!存分にやれっ」
ふんす、と髭、腕組みが定番だ。ぜんぶ満足しているらしい。
ゼンは高まる鼓動を、ふかい呼吸で押さえつけた。好機が、ぐんぐん近づいている。近づいていて、安心は遠い。
強者が、枷をまとってくれた。気がすむまで許されるなら、どんなに良かった。流石にならない。ハウプトマンだって頷かなかっただろう。
――時間だ。時間が大切だ。
思いが行きつき、準備は万端。
ただし。
まだ一点だけ、見過ごせない。
「剣はどこ?ヴァンガードの」
「ん?」
対峙する大男は、剣を帯びてはいなかった。出会った昼間と同様である。ほかの形こそ違ってかまわない。つまり、帽子がなく、外套がなく、銃がなくて、かまわない。さりとて得物がなければ、おかしな話だ。決まり以上の加減はならない、ハウプトマンも言ったはず。
むろんヴァンガードは徒手で強い。なら、剣を持ったら、もっと強くていい。そもそも革の手袋だけで、刃は往なせないのだし、規定もなにも揺らいでしまう――首を傾げるゼンをよそ、ヴァンガードは笑みをふくんで、言いかけだった。
「や、俺はね――」「《おい》」
遮った、唸り声である。
「おっと!」
大男は、まるで振り向かなかった。死角から飛来するそれを掴むのに、危うげもない。
剣だ。鞘に収まっている。
椅子漕ぎの剣士がよこしたのだった。ヴァンガードは逡巡をしばしのち、鍔をきる。剣身をかたげ、具合を確かめた。
「《これ、お前のじゃないか》」
剣士は、大男を睨めつけるのにたっぷり。瞬きを、一度。言葉の隔りにも、呆れたよう、
「《……加減してやれ》」
喉の奥での、ささやきだった。耳利きには捕まえられても、意味を知りようがない。ハウプトマンたち三人には、遠くて届かない。
「んん!そうか、そうだな……じゃ、俺も使うとしようかな?」
ヴァンガードは咳払いに、ハウプトマンをすがめて窺う。どうやら腕組みに変わりはなかった。
鞘だけ投げて返されて、剣士は気だるげ、酒場の板壁にもたれかかった。松明のそばは、彼だけだ。
「少年、言っとくよ、一応ね。加減はまったく必要ない。叩っ切るつもりで、かかってこい」
ヴァンガードは半身で肘をたたむ。左の握りを、胸元に置いた――"短の構え"だ。片手剣や、ほんとうの「片腕落ち」に用いられる。
向き合ってゼンは"鋼の構え"、浮かぶあれこれを、振り払っている。というのもだ。おかしな物言いを、大男はした。「俺も使うとしようかな」まるで、使う気のなかった口ぶり。なら、どうするつもりだったのか。一抹ひらめく想像だ。想像ではなく、現実ならば。決闘の決まりどころか、この星のすべてが、ひっくりかえってしまわないか――振り払っている。
「君の力も、意志も、本物だってことを、この星に知らしめてやれ」
かつてない集中に、ゼンはあった。大人の言葉を、聞き逃さないでいる。戦う自分を、脈動させている。
「わかったっ!」
「さぁ、いつでもこい!」
聞き終えたのか、はたして。
小さな足跡が残っている。くぼみに泥水が舞っている。
駆け出したが小柄な体躯、獣の疾走と見紛うもかくや。七、八歩ばかりの距離だった。詰めるのに瞬く間もない。
"鋼の構え"を流して反転、"長尾の構え"は――長尾鳥が引く尾の如く、刃を垂らして、腰に隠せる。続ける型は、二つにひとつ。剣の重さの上段か、踏み込み任せの斬り上げ下段か。
――あてれば勝ちならッ。
下段だ、速さも間合いも読まれにくい。大人に対しては機敏さこそ勝機と、経験が言っている。機敏さを隠せば、勝ちに近づく。経験がゆえの選択だ。
斬り上げている。
大男をして真正面、急所の股、腹、喉、顎をむすぶ線へ。抜群の踏み込み、細腕は剛力を発揮した。天に逆らい、
ぶぅぉん!
唸りをあげる、樋の造りも曖昧な銅刃で、しかしつまりだ、空を切っている。
ヴァンガードは、刃を刃で受けなかった。上半身をかるく仰け反らせている、切っ先を毛の一本ほどでかわしている。
わずかな避けだと一見。少年の目には、驚愕だ。剣士の必殺まで肉薄したはずの、距離が、二、三歩、どうして開いている――いつのまにっ――はかり違えかと思わされたほど。
大男の後退動作は言わずもがな、素早かった。それでいて、動きを見出すのも困難なほど、身体の芯を揺らさなかった。
不覚を許しながらもゼンは、理解をとうに終えている――ヴァンガードがもし反撃できたら……!――重い一撃を見舞えたはず。接地をたもった足運びだからだ。腕の長さで、間合いにも秀でた。
よぎらせる、殺し合いならどうなった?しかし勝負が今だから――次!――斬り上げきって最速で、"疾風の構え"のもと打った。首をはねにいく剣筋だ。とはいえ相手が大男である。実直剣ほど背をたがえては、こめかみを打てて然りの筋も、肩口をかすめ喉笛へ、まさに。
わあん!刃と刃がわめき散らす。
――っ……おもたいッ!
片手の握りで、この手ごたえ。岩に打ち込んだって、もっとやわらくていい。弾かれた刃を、ゼンは操る。
――まだっ!
技が宿るなら、ここだった。かえす左を踏み込んでいる。頭上で刃を滑らして、やはり"疾風"で打つ。弾かれる。
――かたいッ、けどっ。
往なされるのに加減なし。さなかに見つける、右、左――打つなら、左だ――ほんのわずかでも、ヴァンガードは受けづらそうにした。
たった三度の攻防に、ゼンは得ている。気づき、気づき、そして気づきである。
ヴァンガード・アーテル。やはりか、大きな戦士であった。なにと比べようもなく大きい。三度でじゅうぶん、思い知る。尋常なら、逆さになってもかなわない。
大きさは、巨体ばかりを言わないのだ。膂力ばかりを言わないのだ。そして、その大きさが、どれほどなのか、わからずに、おそろしい。けれど「わからない」とは、わかりきった。
そして、わからない差があって、たとえ大人と子どもとしても、身体のしくみに変わりはない。手足が曲がって、同じ向き。足さばきはよく、はやいだけ。握らなければ、剣は振れない。
戦いの決まりが、味方をしている。強者には枷。右を縛って、柄は左で持つ。すると攻めて向かいの左、男からして右が弱い。身体のしくみが、同じだからだ。
気づき、気づき、そして気づきを以てゼンは考える――僕が勝つには、――劣る側を攻めるのだ。見て左側を攻めるのだ。枷ある相手は反撃をしない。守りを捨てて、攻め立てられるなら――時計の針が進む方へ!
戦士の時間に全てはまとまった。三度目の刃が、まだ鳴っている。踵を軸にゼンは身を翻す。深く踏み込む、枷があるからだ。尋常な戦いでこれは選べない。背中を、相手に向けている。
「はッ!」
胴を薙げ、時計回りに一閃。
小柄が、はじめもはじめに舞わせた泥水が今、あるべきくぼみで波紋をたてた。
---
フランは気が気でない。ゼンは攻撃されないのだから――安心できたのは、ほんの一時。己を呪っている。治癒の神秘は、とっておくべきだった。
素早さに、およそ目が追いつかず。打ち合い鳴って、ようやく出来事を知り。攻めるばかりなら、傷つくことはない。とは、とても信じられないでいる。
華奢が剣戟に響かせる。凄まじく、音。続けざまに音、次の音。見えぬとて思い知らされた、その力強さである、素早さである。
不思議な力だ。
ゼンは神秘を身に宿している。
でなくば、どうして無事であれる。打ち込む一方にしたってだ、子どもの四肢で耐えられるはずがない。
屈強な戦士長を打倒せしめたと聞き及んでいて、聞くばかりとは、なにも知らぬと一緒であった。出立の朝に全身を、痣だらけにした戦士長は、ゼンを相手に健闘したのだ。したに違いない、フランは思う。
――神様どうか、ゼンをこのままお守りください。
思いの行きつく先であった。相手を誤っても、祈るのだ。為せる何かがほかになく、歯がゆい。
---
ヴァンガードに、勝つ?夜空の星でも、つかむみたいだ――より劣る方へ、ゼンが決めてから時が経った。すなわち勝機が遠のいている。たしかに、大男の右側は弱かった。あくまで、左と比べてだ。
――僕がやぶれるほど、弱くない……ッ!
速さを高めた。数をこなした。方々打ち入れ、かなわない。どれだけ速くて及ばない。大男の目は見逃さない。先手を打つのに、追い抜かされる。
力をこめた。渾身に振るった。ここぞと決めて、かなわない。指先何本かまでは迫って、そこ止まりである。跳ね除けられる。
思いつくだけ、技を施した。全て尽くして、かなわない。すくって、返して、有利と思って、いつのまにやら負けている。"長尾"から"疾風"を皮切りに、"鋼"に"水面"、"雷"に"憤怒"、"烈火"に"逆蜂"。どれも試して、ダメだった。
なにをしたって、かなわない。
焦燥だ。焦燥にもゼンは、攻勢を緩めないだけが手立てで、今だ。時計回りで駆けめぐる。円を描いて打ち入れる。一周する内、おのれの焦りを鳥瞰する。
危険のふらない戦いだから、ながら考えを止めずによかった。むしろ考えが必要だった。百度は疾うに打っただろう。大きな数えを、ゼンはまだ知らずに、百度で勝てないのなら、百度と一度目に勝てればいい。と、思っている。たくさんと一度目を模索して、今だ――
ヴァンガードは強い。枷なしじゃ、僕はかなわない。でも枷があるんなら、まだわからない。
どんなだって、戦いは苦しいのに。少しでもながく続いてほしいなんて。
時間は、敵――?ばっかりじゃない。味方でもある。あるかぎり、僕はためせる。あせっちゃだめ、あせっちゃだめだ。
なにか、たりない。なにがたりない?一歩、二歩……ちがうな、高さだ。僕は、高くとばなくっちゃ。
木登りだ。
僕がするのは、木登りなんだ
一本一本、枝に足をかけて、踏み外したっていい。枷があるから、押し戻してくれてる。
腕試しを、ハウプトマンは笑った。ヴァンガードが枷をつけた。ハウプトマンはうなずいた。
無理と思われてる。勝つなんて。
それは、そうだ。僕も思ってる。思ってた。
でも、だけど、それでも、やってみなくっちゃ。
無理だと言われて、やってみたことがある。
木登りだ。星をめがけて、届かないよと言われても、僕は登った。高いコニの木のてっぺんまで登って、かがやく星空に手を、伸ばしたことがある。
あの時は届かなかった。今度はちがう。すぐそこまで、星から、おりてきてくれた。
だからあと少し、まにあって時間。もう何段かを、登らせて。これから僕は、星に、手を!
---
小柄が飽きもせず泥を掻いた、大柄の側面に回り込む。
型をやめない少年だ。低く地を這っては、素早い。されど、ひとつ前には些か劣る。
疲れたか?男は思って、一瞬である。まさかだ、次手がよく見えている。鞘から抜き打つかの振り上げ、鈍くない。ただし、ひとつ前には些か劣る。
仕込みがあるな。と、男は見逃さない。少年の柄の握りが、右手だけになっている。だから速さが劣っている。何かを隠している少年は、小さく屈む、縮んでいる。意図があるのだろう、注視すべきは。
――左にゃ何を握ったんだい?そこらの石くれか。
振り上げを、男は往なしたとも。予期十分だ。自らがそうであるように、片手でとれる技は限られる。いくら仕込みがあったところで――予期十分なはず。実際、怯んだ。想定外だ。
さっ!
と、それは投げかけられた。
「むっ!」
きめの細かい砂粒である。顔面をめがけ、まき散らされた。
砂の目潰し、侮れない。剣技の外でも、剣術として、常套にして上等の手段。しかし互いにわかっているはず、これが一握の砂でゆらぐ戦いか?
男は視界を遮られながらも、よもや決着は許さない。
少年の攻勢は一連、こうだ。縮んで振り上げ、砂があり、伸びあがっては振り下ろす。攪乱のちに一撃が魂胆だろう。と、見切って男は、たしかに弾き返している。真っ暗闇でも凌ぐに足りた。
――惜しいね少年!悪かなかったぞ。
評して男は、大事をひとつ見落としている。どうして「砂」と、予期しなかった?
思いがけない一瞬の隙とは、いかな領域でも決着の糸口だ。そして一瞬をつくりだす手として、目潰しの砂はもちろん悪くない。男なら想定できたはずで、どうして予期しえなかったのか。気がつくまでには、すこしかかる。
ところで。
戦士の男がもうひとり、この場には居合わせた。その男、戦士は戦士でも、剣士と知れる。
「……砂?」
独り言ちるのに、唸り声である。酒場の壁に持たれかかっていた彼は、ほかの見物人らと離れてひとり。
「ふっ……」
ぎろり、一瞥するのは足元だ。長靴を持ち上げ、鼻で笑うと、もう見るものは見た、とでも語る気だるげな背中を、酒場のなかへ静かに消した。
剣士が行けば。裏口のそば、壁にかけられた松明に、炎が、おどっている。
---
ゼンには"とっておき"があった。
神子守の儀では縛られて、"村人の群れ"には不要だった。"試練"に遭っては、出せなかった。だから手負ったとは言わないが、御許を離れて「何か」が途切れて、やっと戻って、どうしてかわかる。これは使えて、あと一度きり。
とっておいたから、とっておき。
使うなら、今だ。ヴァンガードは決まりに定めなかった、"とっておき"を縛れとは言わなかった――なら、使ってもおこられない。
ゼン・イージス、嘘を知らない少年だ。けれど、戦いとなれば別である。偽り、欺き、価値なら知るとも。生き延びるため、全力を尽くす。そして仕込みを、上々終えた。
小柄が素早く地を這った。大柄を右手に置いている。
見せた動きだ。どころか空いた左手を、地面にこすって見せている。ぴくり、大男の眉も動いた。
――同じ手は食わんぞ?
――それでいいんだ、そうでなくっちゃ。
ゼンのそぶりは、抜き打つような振り上げだ。続くなら――また砂かい?それとも、砂の見せかけかい――ヴァンガードは足を切り返す。全てに対応できるよう、わずかばかりに顔を背け、ゼンに対して左に割る半身、それからだ。
刺す違和感。
何だ?思考を巡らす男は、戦士の時間。万全を期す、手は抜かない。
一撃が来る。受けられる。目潰しが来る。構わない。砂が、あろうとなかろうと――ここだ。
――砂だって?
切り返したばかりの足元は、ぐにゃり。砂などあろうはずがない。昨日の雨は乾いていない。酒場の裏手は、どこまでも泥濘ふんだんだ。一粒どころか一握りの砂、いったいどこからゼンは用意した。
無意識に欠かした想定を、ヴァンガードは拾い上げている。
先には砂を予期しなかった。何故だ。足元が泥まみれだからだ。
砂を用意できたのは、何故だ。用意できるやも、と予期しなかったのは何故だ。それは。
優れた戦士にだけ見える、戦いのうちの"戦士の時間"を、この星の人は"刹那"と呼ぶが。
いくら優れた戦士でも、度肝をぬかれて、これを損ねる。だから"刹那"とは、いかな領域でも決着の糸口となる、思いがけない一瞬の隙、その「一瞬」をもまた、言い表す。
刹那。
――何ッ!?
大男は、抜き打つ振り上げを凌いだ後だ。縮んだ少年が伸び上がるのを見た後だ。少年がともに振り上げる、左の空手を見た後だ。
砂など握られてはいない。それでも、小さなてのひらは浴びす。
赤き閃光。
意志をそなえた一条だ。蔦、鞭、縄、どれでたとえても役目は同じ、おどり狂ってその輝きは、眩ます以上に、怯ませる。火の粉を散らし、赤く紅く、男の剣にたちまち巻きつく。
酒場の裏手の一帯が、ほの赤く彩られている。
火炎の鞭が柄まで襲うから――触れたら俺の負け……ッ――取り落としかけてヴァンガードは、輝きに、目を奪われきった己に気がつく。なにせ、視界の内に――少年がいないっ!
ゼンは仕込みを終えているのだ。
ヴァンガードは遊ばない。守ってかならず、手を抜かない。打ち尽くして、打ち尽くして、知った。時間が味方でいるうちに、数百試したあとだった。
目潰しへの対応も確かめた。"掌熱"でつくった砂だった。もう一度、砂と見せたなら?
かならず、抜からず、守ってくれる。その姿勢とは、左で割って右後ろ、顔はわずかに背けることだ。
"とっておき"は、もう使えない。かつては違って、今は感じる。理由を何故だか知れないでいても、割り切り得意な少年だった。仕様がないから、出し渋る。せめて偽り欺き、場を拵える。"とっておき"として、隠しておいた。高く飛ぶため、ここぞで使え。そして今生最後と思って選んだ。経験も言った。強い動物であればあるほど、一度見た仕掛けに油断する。
――とどけぇッ!
"火の神秘"はもう、おどらない。男の剣を縛りつけ、引けばとうぜん怪力だ。張り合ってみせる、わずかで良い。
ヴァンガードの背面へとゼンは、踵で滑り込んでいる。
はじめてだ。時計の針と逆さに進んだ。背けた顔が戻るより前に。
速さでだめなら、隙をつくる。力でだめなら、どうにか縛る。技でだめなら、がら空きを攻める。誰の背中にも、目はつかない。ゼンは心命を賭して素早く振った。あてれば勝ちなら、重さはいらない。防ぐ術だって、相手は持たない。
目掛ける。男の腰部には、利き手が空を掴んでいた。強者の縛る右腕へ。
決着の一撃。
――とおったッ!
はずだった。
「……あっ?」
---
「《おどれぇた、こりゃ火魔術師でも通るじゃねぇかっ!どうしてハナっから使わなかった!》」
手をうって、ハウプトマンが称えている。結果などまるで気にしないらしい。
すなわち、ゼンの勝利であった。
「やるな少年!まさか《無詠唱》の《攻勢魔術》が使えるなんて!」
「え。う、うん……」
男の期待を飛び越したゼンだ。「剣士」とばかり思わせて、ここぞの"魔術"で意表をついた。それも、ふつうの「剣士」に扱えず、職業人――軍人でさえなかなか持たない、"攻勢魔術"の域だった。
一方で。
困惑のさなかにあるゼンだ。たしかに勝負に勝ちを得て、思ったかたちと異なった。意図した勝ち方と、ちがっていた。
「利き腕を使ったから、俺の負けだ。いいよな大将?」
「おう、誓いは果たされる!乗せてってやるさ、西の果てまでっ」
ゼンは見つめて、やめられない。ヴァンガードのたくましい右腕だ。よろこびに勝る、困惑と疑問。戦士としては尽きぬ興味。見たのだ、刹那、男の右腕に。
朝焼け色の輝きを。
最後の一手を、男は防いだ。
素手ではなかった。革の手袋でもなかった。
枷で縛った右腕に、まとった光で防いだのだ。
薄紫色で、よろいのようで。
がしりと、刃を受け止めた。
光が、だ。
一本取った、とは言えない。
防がれたから。
夜明けを兆す朝焼け色に。
ゼンは困惑だ――あれは、神秘?ヴァンガードの、"とっておき"……?
「《よかった!ねぇフラン、あたしたちこれから一緒だよ》」
「……」
もうひとり、よろこぶよりも困惑だ。ジニーに背中を抱かれるフランは、酒場の裏手でたったひとりだけ、火の神秘の名を知っている。おどりくるった炎には、形にふさわしい名があった。
「"火床奔る深紅の煌策"……」
ジニーに聞かれず、神子はつぶやく。
"煌策"は言う、「輝く鞭」だ。使い手の意志に従って、対象を灼き、締めつける。
火の神の子は、火の神秘をその身に宿す。ゼンもまた火の神の子であるから、使えるとして、とくべつではない。けれど"煌策"は難しい。真に使いこなせる誰かしらを、フランは"育て屋"の外に知らないでいた。たとえ"育て屋"の内にせよ、自分のほかには知らないでいた。守手にあれほどの火が操れるなら――神子の私は……?――フランの困惑の源だ。
「《おらっ飯だぞォー!!》」
決着も折よく、酒場の中からがなり声だ。今宵の厨房の主であった。少年少女は依然と湧かずに、大人たちばかり喜色を示した。
「《おお、ようやっとか!すきっ腹にぶっ倒れちまうトコだった!》」
「《今晩はふたりの歓迎会さね!》」
「飯だってさ少年、いい運動したな!」
「そ、そうだね……フラン、行こっか?」
「はい……」
誰もが立ち去る、酒場の裏手。掲げられていた松明が、始末の為に人の手に取られた。意志なき炎がおどるのをやめても、夜空でひっかく三日月と、星々が真砂に輝いている。
剣の"構え"派生ざっとメモ(一部簡略、力技。PCクローム初期設定以外では表示が崩れると思われる)(追記:23/11/23)
憤怒
/ |
※雷-烈火-逆蜂
|
王冠-退魔 飛泉
\| / |
※雷-疾風- 地平
/|
蛇-水面-鋼-短-長
/|\
(正水) 鉄門 猪牙
"長尾"は鋼系列、烈火系列とつなげやすい。
(水面)
|
発草【陰】-生木-火角
|\
正水≒(鋼)
(全ての構えに対して)
↑ |
必殺 誘い
・相性がよい派生先、くらいの認識で。つながらない=移れない訳ではない。
・なるたけ変えずにいきたいですが、ひょっとしたら足すかも。
・https://twitter.com/ZenAegis/status/1452996760834613254 のツリーに表画像
(24/10/29)
案の定、足したい構えがたくさん出てきました…




