14.石尻尾の酒場
通りのひとつにも、町では名がつく。建物たちの背が縮んできた今度に、東通りと呼ぶのだそう。道ゆく衛兵に聞いた名である。
「ん、小人にしちゃでかいと思ったら!お使いにはもう遅い、家に帰りなさい――」
声から逃れるよう、少年少女はさらに東へ。
夜が濃くなる。行けば行くほど、人影が少なくなる。ちらほら有るだけ、町はすごい。星の時間だ。村なら誰も出歩かない。街灯がひとつ生えなくなって、ついには町の東端らしい。外とをへだてる門の前だ。
南門を見知るから、東もそれだと見当がついた。幾周りか立派で、扉を抜かした小屋がそばにある。中では衛兵がいびきを立てている。ばかりかと思えば、立ち番もきちんといた。気取られないよう、そろっと向こう側をのぞく。
いくつか建物。どれも厩舎や倉庫の類に見えた。つまりこの先、酒場はなさそうだ。町の夜、子どもは衛兵に追われるものらしい。すこし引き返してから、ゼンはささやく。
「やっぱり、はじまできちゃったみたい」
「見逃してしまったんでしょうか……?」
「きちんと目はこらしてたけどな……」
東へ端まで歩いてみても、「狼の尾」はみつからなかった。黄金の女性があやまったのだろうか?ゼンは思えないでいる。
「どうしましょう……」
そでを掴んだフランの横顔を、ゼンは見やった。上目遣いにあたりを探って、彼女は夜闇が怖いのだ。街灯がいなくなってから、ひとまわり小さくなってしまった。
そよ風が、東通りの後をつけて来る。凍える晩ではなかったけれど、フランの手はちょっと震えていた。人攫いがでるぞー!とは、お使いを言った衛兵だ。助言は必ずしも安心をくれなかった。良くも悪くも門兵のほか、通りの人影は絶えていた。
「ね、フラン、そこの灯りのついた家」
少女の手をとり、少年は光を指さした。
「いい匂いがしてくるし、食堂なのかも。さいごに狼の尾を聞いてみて、だめだったら宿を探そう?」
通りの建物たちが漏らすのは、どれも木窓に薄明かり。かの食堂だけが、ちがって光った。雪の色をした硝子越し、真昼の白さで夜をさした。
頼もしさを、フランも思ってくれる。はい、と決意の声を聞き、ゼンはのぞみをかけて行った。
「エマ、ちょっと待っててね」
「ぶるん、ぶるん」
木目の目立つ、ぶ厚い扉だ。手をかける。ずしりと重たい。引けば、リリリン、頭上で小さな鐘が鳴いた。扉の掛け札が、カタカタ揺れる。刻まれる文字は、かたちがわかっても、意味まで解せない。
「……」
静かな食堂だ。
もとより戸越しで音がなかった。入って、やはり静かだった。笑い声や、怒号や、ひとつもなくて、それにしたって静かだった。
広場の酒場と真逆であった。広く整然、床は清潔。飯の香ばしい湯気が、奥の方から漂ってくる。
なにより明るい。まばゆさに満ちた。吊るされるのは、輪っかの灯り。街灯の仲間だろうか?白昼をもたらす源らしい。
ゼンは心得ている。臭くて騒然なら「酒場」、いい匂いがして親切なら「食堂」――おもったとおり食堂だ、なにか教えてもらえるかも。
「……こ、こんばんは」
フランが慣れない夜の挨拶をささやいた。どこからも返事はない。
耳利きが耳をそばだてる。奥の厨房から物音だ。トントントン、カツカツカツ、サーサーサーと小気味よい。店の人はいるらしいから、営業中、ではあるのだろう。
静かな食堂だ。
既に何人かいる客が、そろって静かであるからだ。
全部で四人。それぞれ別の卓についている。おとなしく座って、音を立てないでいて、どうしてか、四人が全員、印象深かった。ただ一度きりすれ違って、名を知ることのない誰彼とは異なった。
最初に目につく。ど真ん中にして大机。ドン、と居座る黒髭だ。がっしりしている。けれど、ちいさい。いいや、やっぱり、ちょっとおおきい。
小さな大男とでも呼べた。只人なりの小柄だが、ぎゅっと詰まった輪郭で、組んだ両腕にみちみちと、力こぶなど張り裂けそうだ。
一身に、大小ふたつのしるしで彼は、立派な髭に、しかめっ面をこさえている。睨みつくすのは机上の硬貨。積んで重ねて、金銀銅と、だいぶ思いにふけるらしい。なにも動じない。満ちる白光がふと消えようと、地鳴りに大地がわれようと、その小さな大男だけは、やはり両腕をみっちりと組み、硬貨を睨んでやめないのだろう。リリリンと扉が鳴るくらい、言わずもがなだった。
なにが起こっても動じない。この点、似た客がもうふたりいた。
食堂の端に、大きな形だ。今度こそ、ほんとうに彼は巨きい。"五分咲きの巨人"と呼び方を選べば、"徴"をだいぶ表せる。だいぶ、とはつまり、いくつかを欠く。
猪だ、まず。
"五分咲き"だから動物具合は、"四つ耳"より濃く、"獣頭"ほどでない。肌は人並み。鼻は猪のそれ。人の耳がなく――"耳なし"たる所以――獣耳には剛毛を生やす。獣耳の下の黒髪を、くりっと短く切りそろえるから、ちょっぴり幼く思わせる。
まだ若いのやも。定かでない。只人離れした巨きさゆえだ。そしておおきさは、種族だけを言わない。
とてもふくよかである。
あわせて巨体。立てばヴァンガードにも勝るだろう。それを今ばかり、気の毒なほど縮こまらせる。背中を曲げて、うつむいて、彼もある意味、"小さな大男"であった。なにか不幸があったのだろうか?リリリンに見向きもしなかった。
つづいて最寄り、窓際の席。よくよく見れば彼女、頬杖をかいて居眠りだ。
先のとがった長い耳、褐色の肌、結っているのは灰色の髪。種族の名前を、火の神の子らは知らない――"長耳"だ。四人にひとりの女性客、青みに締まった脚衣に、赤みな革の上着を瀟洒に着こなしている。
前のふたりが、がっしり、ふくよか、とあったから、彼女にも授けよう、すらっと、だ。リリリンには、うつら、と応じただけだった。
四人目だけが、これといった反応をくれた。反対の隅の席になる。只人だ。いかにもふつう、際立ちはない。暗い髪の色、どこにでもある。髭は剃られて、徴にならない。
強いて言うなら。
どこか気だるそう。
やがてわかるが。
目つきがとても――とてつもなく、鋭い。
彼は、脚を机にのせ、手を頭に組み、何を食むのかもそもそと口を動かし、椅子を傾げてゆらゆらと漕いでいる。戦士だ、ゼンは自然と思った。手の届くところに剣帯を立てかけるから、戦士は戦士でも、剣士と知れる。
剣士の男は、リリリンにも、「こんばんは」にも動ぜずに、少年少女が、お客を一人、二人、三人とじっくり観察し、次は四人目だと、視線を送った折、しぶしぶ具合に口を開いた。とてつもなく鋭い目も、開かれた。
「《……表の札が見えなかったのか?今日は店じまいだ》」
「あぅ……」
フランはさっとゼンの背に隠れた。男は、ひどく剣呑に思えた。
睨めつける目つき、炯々と。口を開けば、唸り声である。
無論、何を言われたかフランは知らない。ゼンも後ろ手をつよく握られながら――知らないことばだ――思っている。
それでも。
成すべきことの為ならば、物怖じしない少年である。鋭い視線がなんのその、唸ってくれてこれ幸い、さっそく試しの物言いだ。
「このあたりで酒場を知らない?狼の尾がしるしなんだって」
かいつまんで。
剣士の男は、いかにも億劫。眉間のしわを、なお深くして、しばし。
「あー……キョウは、ミセ、ヤテナイ」
なんと。知った言葉を喋るではないか。喜ばしい、ぜんぶわかった。店はやっていない、たしかに、料理の皿が出ていない。
――なら、お客の四人はどうしてここに?いい匂いだって、奥からするけど。
さておこう。知りたくてたまらないのは、「狼の尾」のありかだ。
同じ言葉を、剣士は喋った。聞きづらくたって、喋ってみせた。何か知るなら、教えてもらえる。村長だっておかしな喋りでも、同じ言葉なら解せたのだ。
「ご飯じゃなくてね、道を知りたいんだ」
「…………」
剣士がくれたのは、この星のものとは思えないほど、面倒そうな顔だった。すなわち、しかめっ面である。
しばしの無言。
静けさをうけて、無垢な少年だ――伝わらなかったかな?言い方を変えよう。
「なにか知らない?狼の、尻尾の、酒場」
言いながら、ゼンはさまざま思い浮かべる。狼らしいふさふさの尻尾。狼とよく関わる近頃だ。岩オオカミの尾はどんなだったかな。あの剣士のかお、ちょうどおこった狼みたい。
それからだ。
狼が吼えた。
ちがった。
剣士ががなっている。舌打ちの後で、だん!と、椅子が床を叩く。フランが驚き、首をすくませる。
「《ちっ……おい大将。何とかしてくれ、さなかの言葉はわからん……おい!》」
剣士が呼ぶのは中央も大机、どうやら髭の小大男らしい――はなれた席だけど、知り合いなのかな?
かたや髭である。動じない。硬貨を見つめて、夢中なままだ。いずれ硬貨どころか、机も床も溶かす眼力だった。
「《んん……なんだいヴィー。らしくもないね、大声だして》」
代わりに、居眠りの女性である。音に目覚めてくれらしい。
「《ガキは苦手だ、旦那を連れ戻してくれ》」
「《子ども……?あら本当!この辺の子かい?》」
女性は寝起きに、長耳をぴこりと動かした。目元をこすって、のびをする。見つけた少年少女には、手をぱくぱく、首を傾げて、ぎゅうっと笑んだ。光の粒舞うような美女である。
「《知ったことか……言葉がわからんのだ》」
「《なんだいそんなに煙たがらなくても、きっとサルヴァが喜ぶよ》」
「《逆だろう、おおかた浮浪児だ。それより……》」
「《わかった、わかったよ。ねぇ、アンタ!アンタってば!ハウプト!ちょっと――ダメだねこりゃ、金勘定に一途さ》」
「《……俺はもう知らんぞ》」
剣呑な剣士は、ふたたび椅子を漕ぎだすと、まるでそっぽを向いてしまう。笑顔の長耳が席を立った。
「《ハァイ、今日はどうしたの?》」
少年少女の前までやってきて、膝を抱えてしゃがみ込む。目線が合うと、褐色の頬はもっと笑んだ。剣士よりずっとやさしそう、"火を見るよりも明らか"だ。
「こんばんは。あのう、お店を探してるんです……」
「うん、馬車があるって聞いたんだ」
「アー、オナカ、スイテ、スイテルマスカ?」
「い、いえ……でも、すこし……」
遅めの昼食だったから、空腹たまらぬ程ではない。少年少女は首をよこに振るも、否定と伝わらなかったようだ。長耳はにこにこ、やさしく背を押して、どうにも席につかせたがる。
「《連れが戻ったらご飯にするんだ。せっかくだし食べていきなよ、ね?》」
言葉が通じないのは、剣士と同じだ。長耳は向かいに腰かけ、それから。
「《あたしはジニーってんだ》……ジニー、ジニー」
褐色の頬をさして、しきりに繰り返す。なるほど。言葉が違っても、名前の音は変わらない。
「私は、フランです。フラン」
「僕はゼン」
きゅうっと、長耳はまた笑んだ。ゼン、フラン、ゼン、フラン、と交互に指さし、かなりご機嫌らしかった。
喜んでくれてなによりだ――けれど――ゼンはとてつもなくもどかしい。狼の酒場をはやく見つけたい。振りきって行ってしまおうか?すると手がかりは得られない。晩飯はここで済ませるとしても。
「《どこから来たんだい?》……ドコ、イキタ?」
「狼の尾の酒場を探していて……」
「オオカミ?オオカミスキ?」
「い、いえ、狼さんはあんまり……」
こんな調子である。尻尾をつかめる気がしない。逃げるのも、ジニーになんだか悪い。ゼンはしっかり座り直した。めずらしい諦め方だった。
――ご飯があるなら、対価もなくちゃ。フランの一枚で足りるかな?
腹がふくれるのに文句を言うのは違う気がした。厨房からの匂いに、好奇心だって働く。それはそれとして、今日の道ゆきはここまでだと思うと、退屈が急に押し寄せる。
飯を待つ、という習慣がない少年だった。もとい「何もしない」、をしたことがない。剣を振るか、野山を走るか。獲って採っては、作るか食うか。みずからおこない、みずから終える。おこなわないなら、休むべきだ――おしゃべりはフランにまかせよう……。
まかせてください――と視線をもらったからだった。兎の話を、彼女らはしている。ゼンは頬杖をかき、目をつむった。ひとつ閉じると、ほかが鋭くなる。とくに耳など冴えわたった。同卓の女性ふたりは、はやくもだいぶ仲良しだ。むぅぅ、と髭の男が胸を鳴らした。ずびっ、と猪の彼が鼻をすする。剣士は物音のひとつも立てない。厨房だろう奥の方から「《っせぇなァ……》」とは、苛立たし気だ。それから、外で喋り声がする――外?
「あ」
気配が、食堂に近づいて来る。ゼンにはすべて聞こえていた。ただ、意味だけがわからない。
(《んー?どこかで見たかな、この馬》)
(《荷が載ったままですね》)
(《ああ、こいつぁ不用心だ》)
男がふたり。うちのひとりだ。なんだか聞き覚えのある声だ。知らない言葉を知らないままで、わかる、と言えるほど馴染んだ声が、"さなかの町"に、いくつもあるか。
がた、と立たずにゼンはいられない。木目の扉を、振り返る。
「どうしました?ゼン」
「《おや、ようやく帰ってきたかね》」
ずしりとした扉が、ぬうっと開く。
リリリン。
小さな鐘を鳴らし、声の主は現れた。
大男だ。
「《おーい、表のがウチの新顔か?繋いでなくって危な……》おおっ!?」
「ヴァンガードっ!」
屈強なその立ち姿。一度でも目に灼きつけば、二度と忘れない、力強い。まぎれもない、ヴァンガード・アーテルである。太い首をのけぞらせて彼は、表の馬に気を取られていた。腕いっぱいの紙袋からは、パンやら野菜の頭がのぞく。
「《何事です?ヴァンガード》」
大きな背中にかくれた声だ。扉に大男が立ちんぼだから、どうやったって中へ入れない。
「やぁイトー、すまんがちょいと頼むよ!」「わわわ!」
向き直りもせずヴァンガードは、後ろへ全てを押しつけた。背後の男に大変な仕事だ、大男よりずっと小柄――つまり、ふつうの只人――で、もともとの荷もあったから、額までつかって支えては、よたよた、厨房へと消えた。
大男がむかってやって来る。見た目はいかにも、のっしのし。実際は、ちょっぴり床が軋むだけ。
「どうしたんだいふたりとも!晩飯探しにこんな果てまで?偶然にしちゃ出来過ぎだ」
「《なんだい、あんた知り合いかい?》」
「《ああ、まさにね!》なぁ、領主のとこには行かなかったのか?」
ばんばん、と音ばかり大きかった。ゼンの肩をやさしく叩いて、ヴァンガードは、よそからずった椅子に腰かける。見た目は、どしん、実際は、布が擦れただけ。
「ヴァンガードさ……、ヴァン!私たち馬車を探してたんです」
「そう!東で、酒場を探すといいって」
「酒場だって?なんて名前の酒場なんだい」
「そういえば、名前を知らないや。目印だったら聞いたよ、狼の尾に……ええと」黄金の女性はなんと言った。「小石をちりばめたもよう……だったかな?」
「何?そりゃひょっとさ、あれのことじゃないか?」
「え……」「うーん?」
壁にかけられた真四角の板を、ヴァンガードは指さした。
異物が、木彫りに描かれている。
棍棒だろうか。剣と呼ぶには不格好である。柄?があって、ぴぃんと伸びて、ごつごつと――岩、がくっついている。
「……尻尾なの?あれって」
「尻尾さ?岩オオカミの尻尾だとも。ここは"石尻尾の酒場"なんだから」
「お、オオカミさんの尻尾って……!もっとくるん!としたのかとっ」
「僕もだよ、もっとふさふさの……って、それじゃあ!」
「《ヴァン!ふたりはなんて?仲間外れにしないでおくれよ》」
「《や、それが俺にもね……》ちょいと待ってくれ、そもそも二人はどうしてここを――?」
少年少女は順を追った。門前払い、門番の助言、仲間の気づき、酒場の喧騒、そして東へ。それから、"黄金の女性"に関して。
「あたしじゃないよ?ずっとここにいたもの」
「連れに女性は彼女だけなんだ」
通訳なるものを、少年少女は学んでいる。知りたがるジニーには、ヴァンガードがところどころ訳す。
浮かぶ疑問に、黄金の女性の正体だ。なにせ"石尻尾"にある西行きの馬車、つまりヴァンガード一行の存在は、町の誰にも内緒であったのに。
不思議だなぁ。みんなで首を捻ったものの、行きつくところは変わらない。少年少女が西行きに、ありつけるかどうかが肝心なのだ。
「あのね、歩くと夏十回だって。馬車のノリツギがいいって聞いたから、それで……」
「ううん、領主の件は俺の見当違いだったか。悪いこと言ったね」
明日にでもヴァンガードに付き添ってもらえば、門前の対応は変わらないか?そんな旨をフランが言うと。
「なぁに、ここまで来りゃもう"巡り会わせ"だ。とっくに俺らは去ってるはずで、今晩ちょうど君たちが来た……どうだい、ふたりさえ良けりゃあさ、俺らと西を目指すってのは」
「えっ!」「いいんですかっ」
ゼンは願ってもなかった。フランは言いつけに背くとしても、門番長の笑いより、ヴァンガードの笑いを好いた。
かたやジニーだ。通訳されて、ひどく慌てふためいた。まだ夏十回と乗り継ぎのあたりである。
「《こんな小さな子らだけで!あぶないったら!ねぇ、うちの馬車にさ……》」
「《ちょうど誘ったところだとも!そんだから頼むぜジニー、大将をさ。わかるだろ?》」
「《まかせといてよ!》」
さっそうと立って長耳は、中央にいる髭へ向かった。ヴァンガードもまた立ち上がる。
「ふたりにゃいい口を叩いたけどね?俺は馬車で一番のお偉じゃないからさ、誰を乗せるか決められないんだ。おいで」
お偉に掛け合ってくれるらしい、すなわち髭で――
「《ちょっと、あんたってば!もうっ。ダメだね、勘定になるとモノを聞かないんだからっ》」
星の終わりまで腕組みするのだろう、小さな大男であった。
「《どれどれ……俺が試してみよう》」
まことの大男が近寄っても、髭もじゃの小男はおおきく見えた。ふたり、腕の太さが同じくらいある。大男が、ばしばし!小男の背中を叩く。「んー?」とか唸りが返されるだけ。
「《なぁ、大将!》」
「《おー》」
「《聞いてるのか?》」
「《んんー》」
「《どっちなんだい!》」
「《んんー》」
これにヴァンガードはため息だ。しゃくった顎で明後日をにらむ。「そうだなぁ……」から、じきだった。「よし!」厚い胸板をふくらます。
「《おいっ!火事だ!裏手で馬車が燃えてるぞ!》」「《なにぃ!?》」
どってんがらん!髭の小男は椅子を蹴散らした。ヴァンガードが星を終わらせたのだ。
「《悪いね!いまな嘘っぱちだ》」
「《な、なんだっ!どうしたってんだ急に》」
ハウプトマン、と髭はいった。みな、ハウプトとか"大将"とか呼ぶ、西行き馬車の主であった。彼がよし、と言ってくれるなら、少年少女の同乗もかなう。
髭もじゃの口は"さなかの言葉"をよく話せたから、少年少女がじかに要を述べた。ヴァンガードがしばしば加勢。ジニーも言葉を隔たりながら、どうやら猛烈に応援してくれる。
国の動かす馬車が、町にはあるとも。けれど子どもには、あまりやさしくない。それこそ人攫いを常に思うべきである。ちょっと隣町ならまだしもで、国を出るなど大冒険だ。寄り合いが運ぶ馬車であれば、事情もだいぶ変わってくる。集った顔ぶれによるからで、ちょうどジニーもこう言った。
「《ねぇアンタっ、ウチみたいな馬車ほかにはないよ!》」
目的地にせよ、そうだった。ハウプトマンたちが目指すのはドラッドネルトの港町。つまるところが、"西の果て"。ヴァンガードはこれを推した。
「"巡り会わせ"、違うかい?大将」
「んん、だがなぁ……」
しかし、もっぱら渋る髭だった。もちろん訳がある。
すでにたくさん乗る馬車なのだ。今より荷台を重くするなら、ハウプトマンはなにか捨てざるをえない。それは旅の資金調達に欠かせない、行商の荷となるだろう。
ただ望むだけではままならなかった。たとえジニーがいたいけさを訴えようと、ヴァンガードが信心につけこもうと、ハウプトマンは頷かない。半分だけしか、頷かない。
「ああ、わかった、わかった。検討してやってもいい。するってぇとその場合、お前たちには何が出せそうだ?」
じろり、座りなおして同じ目線でも、ハウプトマンは眼力だった。少年少女に、きっぱり言った。
「子どもであろうと、なにやらのっぴきらない事情があろうとな、俺の馬車を求めるんなら……」
「うん、対価がいるんだね?」
「でしたら!これ……これはどうですかっ。もとは、ヴァンのくれたものですが」
小首をよじって、フランは引っ張り出す。胸元にさげていた硬貨入れだ。ぱかり、つまんでさしだすのが、一枚のエウロピア金貨であった。
ハウプトマンはどっしり構えて、毛深い腕を伸ばさなかった。太眉だけをぴくりと動かし、関心と感心ばかりを示す。
「ほお、たしかに!金は良い!道行きに欠かせんっ、もっとも望ましいまである!しかしな、一枚だけではままならんのだ……!」
「あっ……」
動揺したのはゼンである――もう一枚あれば、ちがったのかな?――困ったことになるやもしれんぞ。黄金色がちらついた。けれど、しまった、と思えたのは、ほんのひとときだけだった。
「旅には金が入用だ!間違いない!馬、馬具、馬車の手入れ、置き場にだって金がかかる!そればっかりじゃあないぞ。うちじゃあ隊費と呼ぶがな、込むうち食費なんてぇ日が重なりゃ当然増し増しだ。進んで過ぎる橋、通り、門に税がありゃ、一人頭いくらと勘定せにゃならん。必要なだけをぜぇんぶ数えて用意周到、集めといたって、安心とまではならんのさ!《厄介》ってな不意に遭えば、まるで間に合わず困っちまう!」
とにかく、金、金、金。金が要るのだと大将は言った。もっと大事は、賄い続けることと説く。一枚、二枚の金貨では、旅とはままならないのだと。
この話は、ゼンに難しかった。「金の感覚」がわからない。御許でながらくひとりで生きて、一度も必要なかったものだ。生きるだけでは不要なのに、道を行くなら不可欠ときく。困った。動物の獲り方ばかりを知って、金の獲り方をちっとも知らない。
「《でもさ、一枚にしたってけっこうじゃないかい!》」金説きの傍らでジニーだ。「《あんたがやったって?》」
「《正当な報酬だよ。ふたりはとっくに得る術もつのさ!大将にゃこいつを聞いてもらわなきゃ》」
しめたもんだよ、大男は横目に小男を据える。金の次第が終わったら、困り顔の子どもらに問うた。
「なっ!そういや二人にゃ特技があったよな?ありゃなんだっけ」
「とくぎ……?」「剣のこと?耳のこと?」
ゼンにはすぐに見当だ。"一条"で褒めてもらったふたつだった。
「えと、わ、私は……」
「よしよし、お嬢さんのはとっとこう。どうだい少年、大将に得意を《主張》してみたら。金にも代え難いもんを、とっくに持ってるかもしれないぜ」
「あぴぃる……?わかった、ええと――」文脈にゼンは意を汲み取った。思ったままを言ってみる。「剣が振れるよ!村では僕が一番だった。町ではどうか、わからないけど」
「ほお……?」「まだあるもんな?」
「耳や鼻がいいみたいだ」「いいってなだいぶ謙遜だね!四つ耳も真っ青なもんさ」
「あとね、動物を追えるよ。山があるなら飢えないと思う」
「どうだい!頼もしいもんじゃないか。来る道、人攫いだってやっつけたよな?」
「うん?そうだね、半分はヴァンが倒したけど……」
正直な少年だった。正直に過ぎるゆえ、ヴァンガードがくれた目配せの意味に気がつけない。ハウプトマンも「なら当然か」と、手柄を聞き流してしまう。
「村で一番ったってぇ、俺らにゃ程度がわからんからな。《俺だって身内じゃ一番だったが、入隊すりゃあ人並みだった。お前はどうにも贔屓目だ》」
「《なことないって!》ななっ少年、まだ大変な目にあったろう?俺と会う前にもさ……」
「オオカミのこと?」「それだ!」
「森で岩オオカミの群れと戦ったよ。三匹倒したけど、一匹逃がした」
「なに!?そりゃ本気か?」「《嘘をつく子に見えるかいこれが!》」ヴァンガードは図体を起こす。視線を送って店の隅、椅子漕ぎの剣士に呼びかける。「《ヴィック!聞けよ、どれくらいすごい?女の子を守りながらこの少年は、岩オオカミを四匹も退けた!大将に言ってやってくれ!》」
椅子漕ぎが、漕ぐのをやめた。ゆっくり、鋭い目を開く。ずっと食んでいた何かしらを、手元の杯にぺっ、と吐き出す。椅子の脚は今度、静かにおろされた。
話し合いの輪を、剣士はむいた。一挙一動、気だるげそう。口を開けばやはり、唸り声である。
「《……専心級の準騎士並みだ。無論、事実であればな》」
ぎろり。
剣士は睨め回す。少年の頼りないからだつきだ。
幼さに輪をかけた小柄であった。腕まわりなど、剣の柄にも勝るかどうか。転ばず振れるかさえ、怪しいものだ――つまらない常識に、あてはめたのなら。
「《……狂ったキツネと見違えたんだろう》」
「《断言するかい?》」
「《伝聞を鵜呑みにせんだけだ》」
「《ならさ、事実ってな教えてくれよヴィー。つまり、子どもの"戦士"は有り得ない?》」
「《……無くはない。稀にだろうが》」
「《稀、ってこた、有る、ってことさ。な、どうだい》」
「ふぅむ……」
最後にハウプトマンが胸を鳴らした。大男と剣士のやり取りの具体を、少年少女は知らないでいても、大将の髭のくすぐり方からして、「よし」が聞けるとは思えなかった。
「あいにく……ウチにゃ腕の立つのがだいぶ揃ってる」わかる言葉で言うのだから、つまりダメだと伝わった。「手前の尻が拭けるくらいで……荷をおろすのに見合うかどうか」
「んん、これで聞かないんだ!仕方ない!」
ヴァンガードもやはり、わかる言葉で言うのだった。
「大将、腕試しをしてみせよう!」
「何、腕試し?」「ああ、そうさ!」
「え……腕試しって?」
ゼンの疑問を、誰も聞きとめない。ヴァンガードが厨房に叫ぶせいだ。
「《なぁサルヴァ!まだそっち、かかりそうかな!》」
「《あ~、どっかのデクのおかげでなァ!》」
「《手を貸そうか!?》」
「《へッ、トーシロは引っ込んでな!》」
ジャー!と何やら焼く音は、聞くのに聞き耳いらずであった。ヴァンガードが顎をふる。
「ほら、晩飯までの暇つぶしと思って!やって、ぜーったい損ないぜ!《なぁ腕試しだっ、ヴィック!》」
「《……やらんぞ、俺は》」
「《まだ何も言ってないのに!狭量なんだから》」
「《貴様がはじめたことだ、自分の舟は……》」
「《まったく、やれやれだね!》」
「《……?貴様、あまり調子に――》」「そんな訳だからさ少年!ちょっと手合わせしてみよう」
いったい、どんな訳なのだ。ともかく、にかっと、ヴァンガードは笑っている。清々しい、少年少女の好いた笑顔であった。
「手合わせって、誰と……?」
村一番になってもゼンは、避けられる戦いを避ける性だ。むろん、必要とあらば戦うも性で、時が来るなら全力を尽くそう。
けれどこればかり、予感からして抗いたい。
「向こうのヴィーが《ケチ》だから、俺さ!」「《おい、わかるぞ》」
「……僕、ヴァンガードと戦いたくない」
戦いたくない。戦いたくない。どこまでも、さらけ出している。あらゆる意味でゼンは、ヴァンガードとは戦いたくない。
窮地を救ってくれた戦士。数えきれない親切をくれた男。それから何より、手をあげずに笑いかけてくれる大人。
どうして戦いたいと思える。
ぜんぶ、なかった事だとしよう。今が、はじめての出会いだとして。
やはり、ゼンは戦いたくない。なんならもっと、戦いたくない。
ヴァンガード・アーテルは、笑顔のうらに、とてつもない強さを隠している。
――かなわない。僕はヴァンガードには勝てない。
怯えである。初見に、銃よりおそろしかった。大きな男、得体の知れない大男。
どうして戦いたいと思える。
狐、と最初にたとえたか。大きな狐だ、大きすぎる。きっと熊でもぺろりと食べてしまう。山でヴァンガードくらいの動物と出くわしたならゼンは、逃げるほか何も選べない。大男は"オキャク"で、"人の天敵"だ。
ないまぜに感情、少年の見せた表情は、がっかり、だと大人には見てとれた。ゼンは既にヴァンガードを、戦士としてひどく恐れるよりか、子どもとしていたく信用していて、顔色とはその発露であった。大男が声を上ずらせもする。
「な、なぁ大将!少年が俺に勝てたらさ、西の果てまで乗せてやれるよな?」
「は!アッハッハッ、勝ったら!この坊主がか!そいつあいい!もちろんいい!そん時ゃ《世界の果て》にだって連れてってやらぁ!」
「え……」
ハウプトマンが豪快に仰け反っていた。何を意味するか、ゼンにもわかる。「無理に決まっている」しかし、しかしだ。
「ほら、大将もこう言った。それにさ少年、しようってな殺し合いじゃない、手合わせなんだぜ」
「そ、そっか……うん。そうだよね……」
「気軽でいいんだよ。どうだい、やるだけ、やらないか?」
ゼンは気がつく。"神子守の儀"と同じことだ。勝てば村を出られた。今度は勝てば、馬車に乗れる。それも、ただの馬車ではない。西行きの、ヴァンガードも乗る、頼もしい馬車だ。
ヴァンガードは強い。
――僕より、ずっとずっと強い。
思い込みのはずがなかった。戦士の端くれとして、見間違えなかった。ヴァンガード・アーテル。親切をくれた、大きな戦士。戦いたくなど、ない本来。
「ゼン……」
ささやくフランの手を、ゼンは黙したままとった。不安は、ふたりいっしょだとわかった。
ヴァンガードとは戦いたくはない。けれど得られるものが、ものだから。
――僕は。
類稀なる好機だった。実現すれば十夏の道のりも、ぐうっと近くなると思えた。前へ進める、その対価なら。
「やるよ!」
ゼン・イージスの意志は強い。




