12.ヴァンガード
商人の形をした戦士は名乗った。
「ヴァンガード・アーテルだ!よろしく、剣士の少年、それと素敵な髪のお嬢さん」
全ての脅威が鳴りやんでいた。退けたのが彼だった。ヴァンガード・アーテル。剃りこんだ顎鬚に精悍な顔立ちで、凄めば何より恐ろしく、凪げば誰より懐っこい。
大男だ。
隣を行けば、なお際立った。馬上のフランも負かすほどである。戦士長より大きいな。何度もゼンは首を持ちあげた。
なにも背だけに限らない。存在感。おおきかった。「自分よりずっと強い生き物だ」否が応でも知らしめられる。戦士長には思わなかった。剣を交えずそれだから、ゼンには当然、おそろしかった。
得体の知れない「なにか」があった。外見を越えて、いっそう姿を大きく見せる「なにか」を、ヴァンガードは放っていた。これをおさめてくれたのは、一仕事の終わった今さっきである。それで、おそろしくなくなった。ようやくゼンはかたわらを歩んで、無邪気さのおもむくままに――めいっぱい振り上げて、のど元だったら狙えるかな?など、考えられるくらいになった。戦士の性であった。
「ヴァンガードは町から来たんだよね?僕たち、はやく行きたくって」
「ああ、"さなかの町"だね。この調子でも昼過ぎにゃつくはずさ」
ヴァンガードは人攫いの一団、とくに"狩人の群れ"を捕まえるために、町から下ってきたそうだ。はて商人とは。町では戦士と商人の仕事に、区別がないのかもしれない。
「連中、物盗りに人攫い……ま、いろんな悪さを一通りしてる。手配がかかって長いようだけど、森に潜るのが上手かった。東の方から流れてきたのか……」
「東?東ってもしかして、戦争から?」水や食べ物、豊かさを求めて、動物たちは逃れてくるのだ。
「おや、物知りだね!そうとも、少年の熨した三人なんかまさにさ、食うものなくてやった口だろう。でも猟師風の連中は違う。奪うことしかしない、ろくでなしだよ」
"村人の群れ"から裏は取れている。先だって、伸びた六人ぜんぶを縄にかけた後に、ヴァンガードは問い詰めたのだ。「大胆な悪さを働こうとしてたわりに、ずいぶんな怯えようじゃないかい」
金がねぇんだ!いい仕事があるからってよ、脅され半分さっ。
俺ら殺しはやってねぇ!誓ってやってねぇ!
人攫いだなんて知らなかった!本当だよ!
"狩人の群れ"は寝かせたままだった。大男が迫る。「"石尻尾の酒場"に押し入ったか?店主を殺したか?」
俺たちじゃねぇって!
あいつらが、あいつらはっ、そんなようなこと言ってたぜ!
そうさ、自慢してたっ、足がつかねぇから平気だって!
少年の目に、大男がとくに膨らんで見えたのはこの前後だ。「だが物盗りくらいならやったんだな?お前達も。命までとらずたって、誰かを不幸にしたんだろう」
そ、それはっ……。
やった、やったさ!だけど……!
殺しはやってねぇよ信じてくれよ!首だけは、勘弁してくれよぉぉ!
「信じてやってもいいぜ……全てを明かすと"誓う"なら。お前たちがしてきた悪さ、お前たちの見た奴らの悪さを、包み隠さず正直に、だ。そしたら俺も、町兵に言い含めてやる。なんべんか鞭で打たれるだろうが、命は助かる。誓えないなら……打つのは鞭じゃなくて、刃になるかもしれん。どうだい」
"村人の群れ"のたじろぎは、さほど長くなかった。お互い顔を見合わせるだけ、こそこそ相談もしなかった。
わ、わかったよ!
話す!話すさ……!
お命だけは、お命だけは……っ。
「ちゃんと口にするんだ。罪を白状すると誓うか?」
誓う!
ああっ、誓うよ!
誓うとも!
「いいだろう、手縄をのこして解いてやる。猟師連中を先に歩かせるから、お前たちがその見張りをするんだ。ひとりにつきひとり、抜かりなくこなせ。六つばか背中を見逃がしゃしない。俺が見てる。銃を絶対に外さない距離でな。囁きに屈すれば――どうなるかもう、わかるよな?」
穴が開くんだろ!
わかってるっ。
た、頼むから撃たないでくれ!
「言った通りにすれば平気さ、約束するよ」
男の約束には不思議な力が宿っている。"村人"たちは大人しく従った――以上が仕事の一部始終だ。ヴァンガードは「なにか」を引っ込めた。人好きのする笑顔が残って、ゼンは好奇心に任せ、近づけるようになった。
「ゼン……少年の名は、ただゼンというのかい?」
「そうだよ。家の名前はイージスだけど」
男は悩ましい顔をした。帽子のかぶりをなおすたび、撫でつけた月光色がちらついた。
「じゃあ、ゼン・イージスか。そうかぁ……」
「なにかおかしい?」
「いいや!ちっともおかしかない、善い名前だ。ただ、どう呼ぶべきか迷ってね」
「ゼンじゃだめなの」
「だめじゃないとも!なんていうか俺の……ちょっとした信仰の都合でね、わかるかな」
「信仰なら、うん、わかるかも」
「そうだな、イージスじゃあちょいと堅っ苦しいし……よし、君のことはやっぱり、少年、と呼ぶことにしよう。いいかな?」
「いいよ。僕のことってわかるから」
「よし、少年!俺のことは気軽にヴァンって呼んでくれ」
「気軽にヴァンだね、わかった」
続けてフランの場合。
「フラン・フラムネルか。フラン・フラムネル、フラン・フラムネル……」
男はいかにも不思議そうだった。何度も何度も口にふくむので。
「わ、私の名前、なにか変でしょうか?」
「いいやぁ、ちっとも変じゃない。すごく素敵な名前だとも。ただまさに、変な事だと聞いたら悪いけどね……ひょっとお嬢さんは、"神子"だったりするかい?」
「えっ!は、はいっ、そうです。火の神の村の、火の神子です……」
このあたり、一行に黒鹿毛の馬が加わった。木陰に隠してあったヴァンガードの馬だ。
「こいつはヒィロって言うんだ」
「あっ、こちらはエマちゃんです!」
「ぶふん!」「ぶるるっ」
ヒィロは立派な牡馬で、エマも気に入ったらしい。黒の額には白毛の十字がある。星型みたいで格好いいなとゼンは思った――ついで、耳聡さを発揮した。馬たちが挨拶をするあいだ、会話がやんで静かだった。
「あ……」
「どうしました?」
「狩人がね、村人をおどしてる。逃がさないなら痛い目にあわすぞって」
先に行かした六人は、立てた親指ほど小さく見える。つまり十分な近さであった。
「すごいな少年、ずいぶん耳がいい」
「そうなんですっ、ゼンはすごいんです!」
「あの人たち、早足になるよ。距離をつくってから、ばらばらに逃げる気だ」
「ようし……ふたりとも、ちょいと耳をふさいでおいで。エマも驚かないようにね」
肩に担いだ銃を構えるまで、また速い。ヴァンガードが撃つのは、青空だ。
轟く。
「逃げられないぞっ!筒抜けだ!次は後ろを撃つからな!」
雷の余韻に、男の大声。番え直される銃は、きんっ、と何かを吐き出した。真鍮に似る細長だ。薬莢と呼ぶ。地面に落ちれば、溶けて消えている。
人攫いたちが縮み上がる。悲鳴を聞かずとも見てとれた。弾丸が統べる距離だと知っているのだ。
剣の及ばぬ間合いであった。当然。弓の名手でも難儀する。狙ったところを、矢はすぐ撃たない。覆す速さは、新たな常識。銃、弾丸、恐ろしい。
「なぁ少年、また悪だくみがあれば教えてくれるかい?」
「うん、気をつけておく」
ゼンには発見がある。自分が喋っている時は、とりわけ物が聞こえなくなるのだ。ふだん人と話さないから、気がつけずいた。なおさら誰かにくっついて、拍動の音など聴きながらでは、捉えられるものも捉え逃す。ゼンは同じ過ちを二度しなかった。つまり、できるだけ静かに努めた。
じき、もう一つ発見だ。フランとヴァンガードの会話はどこか安心できた。人の話し声などはかつて、胸をざわつかせるばかりの音だったのに。
「火の神の村、か。これより南に人里が……」
フランは旅の目的を言った。
「ははぁ、聖巡礼!よもや当代に神子様の口から聞こゆとは……すると少年は、戦士は戦士でも守手って訳か。納得だ」
星の反対側について訊ねてみる。神殿聖国を、男は知っていた。
「もちろん名前はね。遠い遠い、本物の騎士たちの国。男なら、誰でも憧れるものだよ」
「神殿聖国に行くことを、ですか?」
「ああ、そういう人も、もちろんいるとも……けど、俺が言うのは、騎士になることさ。大切な何かを守る力を持った、強い騎士にね」
男はふと、思い出したそぶりだ。
「そうだ!ひょっと俺は、祝福をもらえたりしないかい?なんて」
「えっ、祝福ですか?」
ヴァンガードはだいぶ気安い調子だ。また冗談なるものかと、ゼンは思った。
「僕、もらってみたけれど、なんにも起こらなかったよ。絵本の台詞とそっくりだったし」
ぽしょりと真実である。物語の一節を口にしただけで、すごい神秘が起こるなら、暮らしにもうちょっと楽もあった。
フランといえば、すておけず頬を膨らませた。抱いている疑問――ゼンの絵本どころか町の人まで、祝福を知っています――も忘れて。
「もーっ!またからかうんです!さっきはたしかに、何も起きませんでしたけど……」
「おや、そうなのかい」
「でっ、でもですよ!旅路を助けていただいた方に、お返しする祝福っ、たしかに伝わっていますから!ヴァンガードさんにもっ……効き目はその、わかりませんけれど……」
教えと体面の問題であった。少女個人でともかくとして、仮にも神子とは、あんまり侮られたらいけない。
「あは、ただのヴァンで構わんぜ、お嬢さん。いやね?恩着せがましく言うもんじゃないってのは俺も弁えてる。踏まえてなおだ。たまさかの行いで祝福と巡り会えるってんなら、この上なく誉れだと思ってさ。とくに俺みたいなやつにはね。ちょいとの興味と試しの物言いで失礼した。なんせ俺がいようがいまいが、少年は人攫いどもをやっつけたろうから――」
祝福とは、みだりに与えるものではない。またたしかだ、よって神子は。
「その……ゼンは、どう思いますか?」
「ん」
なんで僕?までは口をつかない――ああ、フランにはわからないんだ。
「僕だけだったら、ぶじじゃなかったよ。たぶん、誰かが撃たれてた」
ゼンは正直な少年だ。人の群れに生きてこなかったから、言葉通りに、嘘を知らない。偽り、欺く、など意味は知るとも、森にて追って追われて、必要だった。では会話においては?発想がない。価値を思い知るなら、今だ。
「そ、そうなんですね……」
気の毒なほど、フランの肩の落としようであった。正直者も慌てさす。
「うっ、うん。だからね、ヴァンのおかげだよ!あげよう、祝福!」
早口の後は沈黙がいい。聞き耳を立てに戻るのだ。こんどは祝福を笑わないでいたから、フランは顔色をよくしてくれる。ゼンが言うなら!と。
「ヴァンに差しあげますね、"報恩の祝福"!」
「おお、光栄だね。感謝するよ少年」
歯を見せるのを厭わない。ヴァンガードのその笑みこそが、野生の警戒心にも、歩み寄ってみたいと思わせるのだ。
神子から正式な作法とやら、あれこれ説明がある。道中の事情を踏まえ、いろいろ簡略する。
「ふぅ……はじめてはやっぱり、緊張しますね」
行きながらだ。馬上の神子は手のひらを掲げる。大男が脱帽すると、淡い金髪がよく日に光った。首をすくめて手の傘に入る。愛くるしい咳きばらいが聞こえるだろう、はじまりの合図だ。
『其の戦士に注ぐは報恩の杯、天杯満たすは聖者の涙。
剛健叡敏な身躯の極と誠の心威に神秘を授く。
されどもこれ仮初めの才一時の夢、嗚呼汝これ現と溺るる勿れ。
然らば行人よその旅路、御達者で、御達者で……』
口上には露ほども滞りがない。"守手への"それと同じくして、よほどの練習が察せる。
「おお……」
ヴァンガードが唸った。見上げたゼンは、それだけ?と思うだけ飲み込んだ。
「ど、どうでしょう……?」
神子に問われて大男は、青い瞳を輝かすのだった。
「すごいなっ。《これが始祖たる支援魔法……!闘気が漲る、はち切れそうだ!》」
「え?な、なんですか?」
男はときどき、少年少女のわからない言葉を言った。ちがった国の言語である――鷲頭の狩人に、ゼンは経験済みだった。
「いや、とにかくすごいぞ、これは!」
ヴァンガードは言いあらためる。感覚が研ぎ澄まされて、力がみなぎるのだそう。
「見た目はとくに変わらないけど……すごいんだ」
「おう、耳なんかとくに良くなったぜ。連中の鼓動も聴こえるくらいさ!」
「そんなに……?」ぎゅっと、ゼンは目をつむった。手を耳に当て、探ってみる。「僕にはきこえないや……」
はははっ、と陽気さなら横につかまえた。つられて見開けば、おおきな笑みも見つけられる。また冗談なのかも?少年少女は顔を見合わせた。
「お!そろそろ町が見えるぞ」
「ん……みたいだね」
「え、どこですか!私にはよく……」
「ほら、むこうの空!まっすぐな影が見えない?葉っぱや枝じゃ、ああならないもの。建物だ」
「あっほんとです!二人ともよく見えますね、まだ小さいのに」
「ふふ、祝福のおかげかな」
「今度は僕にも見えたよ!」
両脇を樹々に支えられ、ずうっと続いた"一条の道"も、どうやら終いが近かった。心待ちにときめく少年少女がいれば――終焉だと怯える者もある。
人攫いの一人が走り出した。
「あっ!」
「止まれ!止まらなければ撃つ!」
梟だ。止まらない。腕を縛られたままだから、速さはない。繁みに飛び込むつもりだろう。
「警告はした!」
全ては、まばたきでおよそ三度の間だ。
ヴァンガードが構えている。
ヴァンガードが狙いを澄ましている。
ヴァンガードが引き金を絞っている。
雷が鳴る。
穿たれた。
梟が転んでいる。
脚を穿たれた梟が転んでいる。
たった一発。動く的。遠くにある的。なお加減した。ヴァンガードは急所を逸らしたのだ、刮目したゼンにはわかる――おそろしい。
どさっ。
と、かえってくる頃に、ゼンは駆け出している。ヴァンガードがヒィロに飛び乗って、フランはエマで追随した。
「おい他の!動くんじゃないぞ!」
どれもが震えて従った。
「いでえぇぇぇ、いだい、いだい!」
ほーほほほ。とは、鳴けなくなっていた。どんぐりくらいの穴を、ふくらはぎにこさえ、鈍い色の血をとくとく流す。
「どーれどれ。うーん、当たりどころはよさそうだな。これっくらいじゃ死にゃしないよ!痛いのは《自業自得》ってな覚えたらいい」
ヴァンガードは素早く手当てをしてやると、体格の良いガズに担がせる。泣いて詫びたのはトーワだ。
「わざとじゃねぇんです!急に動かれて、手ぇが滑って!」
「わかったわかった!連行を手伝ったって、ちゃあんと言い含めてやるから!そら、黙って残りも進むんだ」
「ああ、ありがとうごぜえます、旦那。ありがとう、ありがとう!」
"村人"たちを手伝わせるのは、罪を軽くしてやる為らしい。ヴァンガード曰く。
「あいつらだって"悪心"が差さなきゃ、まっとうな仕事を探したろうさ。この国にだって《法》がある、《王国》や《公国》ほど整ったもんじゃあないが……うん、君たちの言う、掟のようなものだね。公正に裁かれる機会を与えてやらにゃ、いくら罪だって理不尽だ……。
なんて、善い心がけばかりに聞こえるかい。実はもう半分、理由があってね、大勢を一人で担いだら骨だからさ!銃を持ちだしたのとおんなじ理由だよ、ははは」
締めくくりに、にかっと笑えば。
「なんにせよ命まで奪わず済んだ。これまた祝福のおかげだね!」
「そ、そうですね……」
あっけにとられるフランは、治癒の神秘を思うのかもしれない。とは、ゼンの勘だ――フランはやさしいから、梟が死にそうだったら使いたがったかも。
次に使えるのは夕暮れになる。加減してもらえて、梟は運が良い。
"さなかの町"に到着するのは、ガズが担ぐのにへばるより前だった。
門柵はいかにも堅固な木組み。村のそれなど比にならない、堂々たる様で連なっている。
門前には槍の戦士が二人いた。剣も帯びている。鉄の帽子に、鉄の防具が、町の戦士団の"徴"であって、兵士とか町兵とか衛兵とか呼ぶのだと、少年少女は教わった。
ヴァンガードは門兵たちと知り合いらしい。馴染みな様子で会話をしたら、鉄帽のひとつが仲間を呼んで、人攫いの群れを奥へ連れて行った。
一行は、二頭と三人になる。少年少女はやたら門兵に見られたが、何事もなく柵の向こうへ。入ってしまえばたちまち、町の一部となってしまう。
ゼンは石畳の平らさにすぐ気がついて、まもなく匂いの多さにおどろかされた。
フランは、見ない仕立ての服を見て、可愛いなぁとあこがれた。
新鮮が満ち溢れている。
「建物の背がみんな高いね、石のかべだ!」
「一階は石造り、高いとこは木造ってのが多いかな」
「たくさん立ってる鉄の棒はなんですか!」
「街灯だよ。こいつは《王国製の魔道具》だから明るいぞ――」
「町のかがり火かぁ……ならんでる小さな屋根は?」
「ああ、屋台だね。食べ物、飾り物、土産物に――」
「こんなにいっぱい、商人さんが!」
「あ、動物の耳の人……」
「"獣の徴"を悪く言ったらだめだぞ?」
「悪く?どうして。言わないよ」
「そうだろうな、少年は言わないだろう――」
あれはなんだこれはなんだ。やまない問いにも、男はひたすら楽しげであった。これから衛兵の詰め所へ行くんだと彼が言えば、少年少女もついてゆく。旅の目的もいっとき忘れて、こんこんと湧き出る知識の泉を飲み干した。三人にして、ご機嫌だった。
ところが。
しばらくして、不安そうにフラン。
「なんだか、すごく見られてる気がして……私、どこかおかしいでしょうか?」
エマに跨るから、フランの頭もまた高くなった。だから視線を集めるのだろうか。いいや、跨って町を行く人は、なにも彼女に限らない。では服装?違いこそあって、おかしくまでない。似た格好の町人とていた。
そも、田舎の出だとじろじろ見られて、先に気にするならゼンだ。人目をたくさん感じてはいた。ぜんぶ意味のない視線であった。あたってはすぐ、どこかへ消える。村人たちのひと睨みより、よほど不快でない。さなかに「気になる」と、フランから言い出すのだから。
「ああ、本当なんだな。神子ってのは……」
ヴァンガードは何でも知っていた。
「や、もちろんわかってたさ。お嬢さんが神子ってな、祝福まで貰ったんだ、俺はよぅく信じてる。ようは話に聞く通り、ホントに人目を惹くんだな、ってコトさ」
遅かれ早かれ、多かれ少なかれ。人は、神子を見れば「神子だ」と、無意識のうち気がつくという。
すると人は、神子の存在を気にかけてしまう。種類はどうあれ、理由はどうあれ、しばし無視できない。
《"星の理"》だ。ヴァンガードは、わからない言葉を引いた。
問題は。
神子は大きな力を持っている。と、人々は知っている。
力を持つ神子を、多くの人は敬うだろう。かたや。力を持つ神子に、善からぬ考えを抱く輩もいる。
「星の誰しもかれしもが悪人じゃあない。けど、旅をするなら用心は大切だ。お嬢さんが神子ってことは、みだり他人に知らせない方がいい。そのためには人前で、"神子の徴"を隠すんだ」
不思議にうつくしい火の髪色を、ヴァンガードはさして言った。ひとすじの赤。それは真昼に注ぐ陽の明かり、落陽にまさにほとばしる輝き、終わりを知らない炎の煌めき。
「見たってすぐに気がつけない、俺みたいなニブちんもいるが……どうだい、隠せるものはないかな」
「さがしてあげる!」
「……名前もね、神子様は隠した方が良いんだ。《真名》は伏せておく、その方が悪心を近づけない」
「ふせておく……心と体を?」
「ん、《真名》ってな語は"さなかの言葉"にゃないのか……愛称があると便利ってだけ、覚えといてくれ」
呼び名はともかく髪の方だ。フランは助言に従った。頭に布を巻いてみる。町の女性を見よう見真似で、とくべつな赤を隠してしまえば、効果はすぐに現れた。
「ほんと……ぜんぜん見られなくなりました!」
「なによりだ」
「ふしぎだね。いろんな色や見た目の人が、こんなにたくさん町にはいるのに」
「特別な徴ってことさ、それだけね」
詰め所のだいぶ間近であった。ヴァンガードが中で用を済ませるのを、少年少女はしばし待つことにする。"大通り"と、名のある道だった。
「ヒィロを見といてくれるかな?」
「わかった」
物知り男に教わったひとつ、「時計」を少年少女は見上げている。街灯の仲間の顔をして、通りの真ん中に立っているから、暇つぶしにうってつけだった。
「短い針と長い針、どちらをさきに読むんでしたっけ」
「うーん、忘れちゃった……広場で聞いたばっかりなのに。でも、どっちも同じをさしてみえるね」
「あれはたしか、数字の二と読むはずですよ」
「数字がわかるんだ!」
「姉さまから習ったには習ったのですが、自信はあんまり……」
「すごいや、僕なんて指で数えるばっかりだもの……陽のかんじ、お昼はだいぶすぎたかな」
「そ、そういえば。お腹が鳴りどおしです」
「僕もだ。もらったご飯がまだあるよ。ここで食べる?」
「あのう……私、ご飯のお店というのが気になってて……」
「たくさんあったね、いい匂いがしてた。僕たちでも入れるのかな?」
「ヴァンに聞いてみましょう!」
思い出したが最後であった。あとは飯の都合と空腹具合を、語ってばかりの少年少女――ヴァンはまだかな、まだかな?あっ、出てきた!
「や、待たせたね」
「ヴァンガード!僕たち、ご飯の店を知りたいんだけど……」
「おお?そういや俺も腹ペコだ、どうだい一緒に」
是非もなかった。"中央広場"へ、一行は引き返す。
「そうだ少年。忘れないうち、こいつを渡しておく」
大きな手から渡されるのは二枚、ぺちゃりと丸い金属であった。正体は。
「硬貨、お金だよ。猟師の連中、手配がかかってるって言ったよな。生け捕りの報酬さ。少年は半分もやっつけたから、分け前だって半分だ。じゃなきゃ《公平》じゃない」
「フェアー……でも僕、猟師は倒してないよ。村人も硬貨になるの?」
「痛いとこつくね!正味あっちゃあ金にならない……が、おカタいことを言いなさんな。金ってな、旅にゃいつ何時入用になるかわからんもんだ。それに少年が半分こなしたな、嘘じゃあなかろ?お嬢さんがくれた祝福だって、なきゃ一人を逃がしてたかもしれん」
商人から何かと押しつけられがちな少年だった。こんどは素直に受け取るかわりに。
「じゃあ、フランにも僕の半分をあげなくちゃね。その方が公平だ……使い方、あってる?」
「ははっ、あってるとも」
広場も食堂なる場に行きつけば、野外席を陣取った。馬たちにも食わせてやれるらしい。食欲を誘うあたたかい湯気が漂ってくると、少年少女は胸を膨らませ、お腹をいっそう空かせて鳴らした。
「身ひとつなら長台席が便利だ。馬や荷があるときは、できるだけ見張ってた方がいいね」
「つながなくても、エマは逃げないよ?」
「馬は良くても、荷を盗むやつがいるからさ。なんだって用心だ」
「ご注文はー」
「ああ、昼時のおすすめは?――うん、じゃあそれを三人前。支払いはこれで」
給仕、品書き、値段に精算、村では知れない言葉だらけ。
「あの、支払いって、私たちもお金を……路銀というのを預かってますから」
「ん!いいさいいさ。ここは俺の奢り……ってな、ちょいとおこがましいかもな。そう、こりゃ二人との"巡り会い"と"祝福"に捧げるお代金と思ってくれたら良い。つまり払わせてくれたら俺が嬉しいのさ!信仰の都合でね……ん、そうだ。少しだけ席を外すよ、すぐ戻る」
まくしたてると、男は立った。向かうのはどうやら近場の屋台だ。目につくものがあったらしい。
「本当にいい人ですね、ヴァンガードさん」
「そうだね。味方でいてくれてよかった」
「とっても頼りになりますし……」
「うん」
「あっ!もちろんゼンも頼りになりますよっ!」
慌てるフランの言いたしをよそ、ゼンはまったく頷くしかない。
ヴァンガードは頼りになる。何だって知っているし、何だって教えてくれた。道すがらにして既に、老商人にも負けないくらい、多くのことを教えてくれた。
ヴァンガードは頼りになる。あれほど大きく見える戦士を、ほかには一人、見たかどうか。重ねる思い出は、おぼろ気だ。
――銃なんて、ヴァンガードには必要なのかな?
ゼンはうらやましい。あの巨体である。
大男がただ歩くだけで、人々は、さっと道を開けるのだ。思わず、といったふう、駆け馬からでも、逃れるよう。
男と背が変わらぬ只人もまれにいて、さらに上回る巨人すら町にはいて、必ずしも同じにはならない。
大男は、ヴァンガード・アーテルだから、大男であった。
少年がどれほど背伸びして、どれほど毎日剣を振ったって、すぐには手に入れられないものを、大男はふんだんに持っている。外にも、内にも。
必要以上に音の出ない、まっすぐな足取り。何か手に取るだけの、ほんのちょっとした身のこなし。戦うさまを、銃のほか見ていないのにわかる。
――ヴァンガードは強い。味方でいてくれたら、すごく頼りになる。
彼のような戦士がこの先、旅路に味方でいてくれたら、どれほど頼もしいことか。独りで何でもやってきた少年ですら、考えた。それだけ男は大きかった。
そうだ。実際、訊ねてみたらいい。途中まででも、一緒に来てはくれないかと。
「よっ、お待たせ!」
「おかえりなさい!」
「なにか買ったの?」
「鋭いな!まぁまぁ、飯の後のお楽しみとしよう、ほらちょうど来るぞ」
お待たせしましたぁー。獣の耳のある給仕だ。長盆を三つも器用に運んで、手早く、木机の上に並べて去った。ごゆっくりぃー。
突き匙、で食べるの?
そうだ、くるくる巻くんだよ。
うーん、うまくできません……。
かまうなかまうな、すすっちまえ!
この赤い野菜は何?
そりゃ赤茄子だ。麺のタレとおんなじやつだよ。
ごほっ、この汁物、からいね!
ん、辛子の実が利き過ぎかな?食えそうかい?
うん……だいじょうぶ!
この国の北にさ、"香ぐわしき国"ってトコがあってな、そこの――
ごろり肉団子のせトマト麺。具だくさんで辛めのスープ。いろどり野菜の盛り合わせ。中央食堂、本日のおすすめ昼定食を、少年少女は夢中で食べた。
ゼンに至っては、きちんとした料理などいつぶりか。鼻に利くスープも、一滴残らず飲み干した。
「おいしかった!こんな味の肉たべたことない!」
「おいしかったです!野菜がしゃきしゃきしてました!」
よかったなぁ。食べっぷりに男は微笑んだ。少年少女に負けないくらい、満足そうに。
「さて……そいじゃ、こいつらを渡そうか。俺から君たちへ、旅の餞別だ」
ヴァンガードは、そばのヒィロから荷を取り寄せた。
机上に置かれる、一振りの剣。やや湾曲した剣身で、ありがちな直剣よりもつまっている。少年には見覚えがあった。
「これって、ガズの剣だ」
戦いに使われず終わった剣でもある。
「探したら、ぴったりの鞘と剣帯が見つかったよ。合わない鞘を内から裂いちまうんだから、結構な業物だね。銘は見当たらないな、いわゆる掘り出し物なんだろう。詰め所で聞いてみたら好きにしていいってさ。少年にやるよ。積んできた甲斐もある」
「え。ありがとう……?」
男は今度、懐を探った。
「剣と比べたら小さくて悪いね。お嬢さんには、この髪留めをあげよう」
「あ、かわいい……」
屋台ではこれを買ったらしい。
「いつでも頭巾じゃ窮屈だろう?お嬢さんの髪は全部美しいけど、"徴"はほんの一部だけだ。こいつでだいぶ隠せるんじゃないかな」
「あ、ありがとうございますっ」
「僕、返せるものがないけど……」
「いらないよ!二人の巡礼の無事を思って、ささやかな贈り物だ。贈り物に対価はいらない」
餞別とは、別れの贈り物だそう。多くを聞くまでなく、少年少女はさとった。ヴァンガードがこの先を、ともに来てくれることはない。
それでも。
試しの物言いなるものを、学んだばかりだ少年少女。もしよかったら――
「やぁ!そう言ってもらえるのはすごく嬉しいね。俺みたいな根無し草だ、是非ともついて行きたいトコだけど……のっぴきならない旅の連れがいてね、当分離れられないんだ。俺達も西へ向かっちゃいるが……二人とも"さなかの町"に来たってこた、領主に護衛を出してもらうんだろ?」
「そうなの?」守手の少年、何も知らない。
「え、えと、領主さんに会うように、とは授かってます。その先どうするかまでは私も……」
「おや、そうなのかい。"神子と守手の聖巡礼"とは言うもののね、長旅にゃ危険が尽きないもんだろう。だからさ地元の名士が護衛をつけるってな聞いた話だぜ。や、実際に見た訳じゃないからね、思い違いだったら悪いが……」
「い、いえ!いいんです。髪留め、ありがとうございます!」
「僕もだ、剣をありがとう」
別れが近かった。
旅の目的を思い出す。少年少女――守手と神子は、領主の屋敷に向かわねばならない。
すると、また道を行くのだ。時間がかかる。広場から屋敷まで、どれほどだろう?時の読み方だけ今一度、教わりなおした方がいい。
「ああ、短い方から長い方だよ、背の順ってな覚えたらいい。今はそうさな、どこかに……ほら、食堂の中だ。時計がかかってる、見えるかな?」
「僕は数字が読めないや。フラン、わかる?」
「はい。ええと、今は三時……三時四十分くらいでしょうか?」
「おおそうとも。あってるよ、三時四十分で……三時四十分!?」
がたっ!椅子も机もなにもかも、吹っ飛ばしかねない勢いだった。大男が伸び上がると、周囲の視線も一身に集める。巨躯が男の徴であった。
や、失敬!と、ヴァンガード。驚くあたりに手を挙げてから。
「君たちと一緒だとほんとうに愉快でね、ついつい時間も忘れちまったよ。抜かせない用事があるんだった」
「旅の連れ?がいるんだったよね」
「そうなんだ!約束を破っちゃどやされる、もう行かないと」
「うん、いろいろありがとう。ヴァンガード」
「ありがとうございました!ヴァンガードさん」
「ああ、達者でなゼン、フラン。《縁》があったらまた会おう!」
覚悟があった別れなれば、いざ、あっさりとしたものである。
ヴァンガードは机上の帽子を被ったなら外套を翻している。ヒィロの繋ぎを解きはなち、尻を叩いてともに走り出す。
人の群れをかき分けて、しばらく大きな背が見えた。やがて、角を曲がって見えなくなった。
大男が馬並みに豪脚なせいで、ほとんど大馬二頭の駆け足であった。町中では原則、騎乗の駆け足は禁止だそう。危ないからだ。衛兵に怒られなければ良いが。
「行っちゃいました……」
「うん」
「まだお話したかったですね」
「そうだね」
男が行ってしまえば、後から後から、あれも聞くべきだった、これも聞くべきだった。山ほど思い出すことがある。
ゼンにはとくに。
聞き損ねておしいのは全部、戦士の性に由来した。
疑問とともに現れたヴァンガードである。どうして、向かいから来て姿が見えず、声がしてようやくかたちが見えたの、とか。
ほかに。その大きな手に、剣だこはあるの、とか。ずっと手袋でかくすのは、どうして。とか。
さらに。
「ね。フランはさ、見てたよね?ヴァンが人さらいと戦うところ」
「え?ええ、いちおうは……」
「僕、うしろを見てて知らないんだ。ヴァンガードはどうやって、狩人の群れを倒したの……?」
村人をおおよそ倒し終えたとき、狩人はすべて倒されていた。
頭領、右腕、梟の三人は剣を帯びていた。ヴァンガードは剣を帯びていなかった。
ヴァンガードは銃を使わなかった。音でわかる。ヴァンガードは短剣など使わなかった。やはり音でわかる。
では、どうやって?戦士の端くれの、疑問であった。
「ええとですね。ゼンに言われた通りに私、ずっとヴァンの方を見てました。でも、ほんの一瞬の出来事で、なにがなんだか……」
「わかるだけでいいんだ。教えてほしいな」
「うう、頑張りますね。その……ヴァンはまず、人攫いさんたちの前までやってきて……近づくのも、あっ!と言う間で。走った、ってふうでもなくてですね、立ったまますぅーって動いた感じでした。それから、ヴァンがぱしぱしぱしーって腕を動かすと、人攫いさんたちは倒れていってしまって……」
「ぱしぱしぱし……?」
「そう!ぱしぱしぱしーっです」
フランの仕草は可愛らしい。顔にかかった蜘蛛の巣を、払いのけるかに両手を振っている。
「そのまま全員?」
「そうです!最後の人はぱしぱしぱしーってしてから、軽々と抱きかかえてしまって。しばらく抱えたままだったのを、とつぜんゼンの方に放り投げたので私……」
「ああうん。そこからはわかるよ……つまりさ、ヴァンガードは素手で、三人を倒したんだよね?」
「はい!それは間違いないです!」
戦慄だ。今更ながら、剣士の少年は慄くほかない。
ばかげている。
徒手で剣士を三人倒した?話を聞く限り、一方的に?
ありえない。
狩人らが持った剣技の程度を、今となっては知る由もない。
しかし時計の針を読むよりも、ずっと簡単にわかる話だ。
剣は徒手よりも強い。
絶対の真実。
空手より棒が勝る。棒より鋼の刃が勝る。
ゆえにまさか。得物なしを覆せる「何か」など。尋常にはありえない。
あの"大男"なら、ありえたとして。
どれほどの力と技だ。
それも数、一対三。
ゼンのなんとかこなせる数で、いくつもコツが必要なのに。
ヴァンガード・アーテル。商人を着た、一人の戦士。
少年少女は自然と打ち解けた。人好きする笑みに釣られてともに笑いあい、町を教わり、贈り物さえ受け取った。
同時に。
得体が知れなさすぎる。
前触れもなく現れて、敵に雷を落とし、恵みを与えて消えていった。
剣士の少年は、戦士で守手であった。ひそかに考えている。
彼のような人物が敵に回ることだけは、この先ずっと起こらなければいい。




