104.内包
靉靆とたちこめる未明の霧は、修道院の内部にまでつきまとってきた。
「ごめんください」
そっと扉のあけしめで、足元からうずまく生暖かさである。夜通し絶やされることのない燭の数々が、側廊を執拗に照らしていた。ところどころで灯の色が赤い。いわゆる「水の教会」に訪れるのは、これが初めてのことではないのだと、ゼンは嫌な思いだし方をしている。
「おはようございます、ご紹介にあずかったイージスです」
声はしずしずとしかし、荘厳な石の天井に満ち響く。
応えるのは無機質な視線――二百体の聖者像がずらり並び、左右高くから見下ろしていた。埃でかすれて、いちいちの名札は読みとりにくい。ただ彼らのための大理石碑にはかく刻まれている。
『多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く』
外界は未だ薄明を待つはずだ。
あまりある会衆席を借りて、ひとまず待った。となりのフランが首をかたげてまどろみきる前に、祭壇横の扉はひらく。
「お待たせいたしました……」
粗布をまとった修道僧である。目を見せない、ふかいかぶりの胸元に、垢つきくたびれた法衣を着ている。ふたり立ちあがって出向く。
「朝早くからすみません……」
「お話は伺っております」
彼らはいったいいつ眠るのか。修道僧はでてきた扉の向こうに、かまわず朝課をすすめるように投げかけると、地下へと続く階段のゆくえをしめした。
「この先は暑さが堪えます」ちらと品のよい口元がみえる。「なにとぞご覚悟を……」
錠のかかった闇のむこうへ、あとはくだってゆくしかない。けれど先々、手燭を必要とはしなかった。
「我々は墓守であり、火守りでもあるのです」
修道僧は言う。いつどこであれ地下は灯り通しである。剣も抜きはらえないこの螺旋階段の、右手の壁にはたいまつがやまない。こつこつとした足元はじきに頭上となる。すべてを採色する紺色は、岩を刳り抜いたそのままにも見えた。
「水の神がもたらす水は、死の水です。塩の水とはまた異なります。天雨は大地を削って山を成し、慈雨は豊穣の大地をもたらす。死の水はすべてを洗い清める。すべてを……」
先をゆく彼のため、また地下深くで待つ死者のため、傾聴につとめる。
「レレイア=リレイの信じたところ、水の神とは慈母の女神であったようです。ありとあらゆる種類の死で、足の踏み場もない地上を、ここぞというときさらってしまわれる心威を持ち備えた――人々がいま思うにここは、然る慈悲心のゆきつく先。あの世から、最も遠くて、近しいところ」
なべて二十分ほどを降下に要した。にわかに信じがたい空間が、最下層の、鉄格子扉のむこうに広がっていた。
青い光に満たされた大空洞の、頭上は空と思えるほど高い。雲母岩質な岩天井が、雲にかわってごてごてと浮いている。敷き詰まる質量を支えるのにはたして足るのか、太ましいながらかぞえるほどの石柱が、申し訳程度にそびえている。
おもてに張り巡らされた運河のうらで、これほどの地底世界が実在を許されているとは。ただ青い灯の照らす影の中で、どこからも死者のにおいはしない。
「主要な”墳墓”はよそとなります。こちら”蒼”はほぼ空き部屋なのです」
静謐で、清浄な、運河のにおいのただよう空き部屋であった。
「”瑞”へゆかれれば、霊廟のありさまにも驚かれることでしょう。よろしければ移動いたしますか……」修道僧の梳毛の裾は煤汚れていた。履物はそぐわない上等な戦長靴にみえたのだが、彼の普段仕事には適していよう。「ああ!しかしお忘れなく、現世へ帰還するにも時を要します。この熱気です……」
熱気、そういえば。
ふたりして強い体質であるので、あまり気にせずいた。たしかに空間はたいがい暑かった。常人からして危険な暑さだ。そちこちの青い炎がもたらすのであろうか。例に漏れず、フランは修道僧を思いやった。
「平気なのですか、ええと……」
呼ぶべき名前をまだ知らない。
「フィンタン、とお呼びください」
「フィンタンさんは……」
すると彼は口元をすぐにこりとさせた。ほんとうにうれしそうである。
「慣れ親しんでおりますので」
フィンタン曰く、墓所もとい地下空洞のありどころは、”色の広場”と照応している。大小さまざまな回廊の接続のしかたも、表のおもだった路地と似ている――すると彼の提案した“瑞”へは、徒歩一時間をくだらない。いかに輝くか見ものだが、今朝がたおもての石畳を踏んだ、あいだの”紫”でさえ微妙だ――事前にもっとも知りたかったことを、ゼンはしぼって訊ねることとした。
「祭りが盛んになると、この熱気はもっと高ぶると聞きます」
「それはもう、瀝青も沸き立つほどに」
「……長居は禁物ですね」
原理を解明する暇はなさそうだ。猶予をほんの数分とさだめ、”蒼”の空洞の散策をはじめる。気散じに墓所をみてまわるといえば、何かの違いを疑われるやもしれない――ゼンは思っている。しるし宿すままの埋葬が、この星では特異なことである以上、なおさら緊張感がともなうべきだ。
撫でてみる極太の石柱に、のみ跡はまったく見当らない。なにか灰色に塗り固められて、ひんやり、つるつるとしている。本当にどんな構造強度であろう。降りてきた螺旋階段も、じつには柱の中にあった。
柱のはざま、遠目の壁面には、いくつも大小の扉がみえる。それぞれむこうには各地への通路があるはずだった。ひょっとすれば死者の個室も。フィンタンのたずさえる鍵束なしでは、いずれも開くことはない。
「船……」
それはフランが見つけたのである。振り向きしな、靴底がきゅっと鳴った。
「浮かんでいる、あちらの船は?」
たいへんな手入れである。そこここで、青い燭は力強く灯り、みずからの発色の暗さを意識させない。こと石柱に青葛のごとくまとわりつくそれは、はっきりと光の線をなしながら、高くまで絶えていなかった。だから影を薄くしか落とさずにいた。
大きな木造船である。
岩の天井に鎖で吊られ、仰げばあるのは船底だ。高さから、角度を変えても帆はのぞけない。ゼンはようやく思い至る――ここはさながら水底だ。
フィンタンが簡単に説明した。
「存在意義には諸説あります。私がもっとも気に入っているのは……いざという日に、祖霊が帰還するための手段である」
地下墳墓にてまつられる死者の多くは、この地方の英霊とされている。彼らはどうして骨をうずめるのか――悪しきものに憑かれる危険を冒してでも?
特別な観察を、ただ任せてくれた人類学者には、ひとつ回答が用意できそうである。
――ジガヴェスタ人は復活を希望している。”星の理”とは、また別のことわりの復活を……。
潮時だろう。首筋に汗が伝うのを、ゼンは感じていた。
「お時間をいただきありがとうございました」
フィンタンは平静にとらえている。
「死者のいあわせないことが、肩透かしでなければよいですが」
どきりとする。回答のむずかしさをみこしてか、フィンタンはつづけた。
「しかしこれからご覧になられるのでしょう?死者の行列を」
祝祭当日の催しもののことである。
「はい。ひとつ用事を済ませてから」
「私もだ。おたがい長い一日になりそうですね」
螺旋階段の柱の中へ、フランを先に行かせていた。フィンタンがあとに続かないことを不審に思って、ゼンは振り向いた。
「ときに……ご姉弟ですか」
ふたつにひとつで、この頃よくされる質問であった。ええ、と頷くことに悪びれはない。
「《ああ、眩しいな……》」
ジガヴェスタ語。つたない聞き取りをもってして、悪口ではなかろうと思わせる。フィンタンがうつむくと、ふかいかぶりの青い影が足元に濃く落ちた。
「僕にも大事な姉がいます。理不尽に阻むものあって今は会えないが……」
「それはお気の毒に」ずっと応えやすかった。ゼンはきちんと向き合えている。「万難の一早き解消を、心より願っています」
「どうもありがとう」
フィンタンはすっとおもてをあげた。水底の光のなかでも、彼の輝きははっきりみてとれた。金髪金眼の、はかない美しさをした青年である。
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明けきらぬ都市の、朝霧のさえぎる路地のどこかで、革靴がせっせと鳴っている。
息をはずませひた走る、彼女の髪はきらきらと青い。うっとうしい裾を両腕で、思いっきりまくしあげている。
祝祭のための、いっそう豪奢なお召し物。召使いたちには言いつけていた、明日のは自分で着たいのだから、そのへんにもう広げておいてと。
めんどうな朝の支度を省いた、ちょっとした気遣いのつもりであった。”城がある丘”まで霧ははいのぼっていて、騎士や庭師の目はかんたんに盗めた。抜け道「ジョージー」はまだばれておらず、まんまと彼女は大脱走した。あとで何と言われるやらわからない。お役目のある大切な日だった。
紅潮する頬が湿っている。
先んじて衣装を着こんだあとは、時を待つための寝たふりでなく、なんだか無性に眠れなかった。
まどろみはしたらしく、なにか物音にはっと気がついた時には、ゼンもフランもとうにいなかった。彼らより早起きしようと思ったのに。
まただ、なぜだか泣けてきた。
わけがわからないこの感情を、ララウェスはうまく言葉にできないでいる。目端でかがやかしい常夜灯の、朝霧に散乱する虹色がぼやけている。
もっとおさない頃の彼女は、七色に陽を跳ね返す、湖面から笑う側だった。遠縁の、同じとしくらいの貴族の子女らが、岸辺によせた小舟のままで、ひとり漕ぎ出せず悔しがるのを。
眠れぬ夜のまどろみや、しとしととした朝霧のなか、ララウェスが、何度も何度も思い浮かべるのは、きのうの晩餐のことであった。
話題の中心となることをよろこぶ彼女が、身の置きどころをうしなっていた。
まじれる会話ならあった。
たとえばドゥーディカのぶりの好きっぷり。弧大陸東方のすばらしい馬種の話。うわさにきく、"花畑の町"の美しさ。
うわさにきく、これが嫌だ。
いろんな場所を知っている。物見高い都会人でも目でないくらい、いろんなものを。けれどララウェスはどこへであろうと、自分の脚で実際に行ってみた訳ではなかった。
父母のように。また「彼ら」のように。それも。
"賢狼の裾"の黒い土でそよぐ麦。
湖で網を打つ漁師の汗した背中。
"水瓶"の朝霧に思い馳せる、スヴェルナの霧。
"見張り鳥の巣"に仰ぐ巨木樹上住宅の妙。
彼らの飾り気なく話すどれもが、初めて耳にする切り口だ。本当はそこにありきたりのに、彼女は見逃してしまっていたものだ。
芸術による新たなコクボウロン、そんな難しい話をふだんの父はしない。英雄にふさわしい湖畔の療養地の提案、それは話のお相手が、剣の得意な男の子だったからだとしても。
商工業組合の女性業種拡大、もはや針仕事だけではない現状について、フランのように意見を述べたことが、ララウェスにはない。新時代の女性のためのとりくみについてや、公的に流通する知の性差について、母から実感を訊ねられたこともない。
ララウェスは見たことがない。父母が思わず話に身を入れて、前のめりになる。そんなさま。
――わたくしの前では、一度たりとも。
ぜんぜん透けはしなかった。見るも不思議な「魔石」をお披露目したときの、ああ、またこれか。という、きっと彼らにあった落胆。
戸を叩かれてようやく開く、彼らの話の水準は、舞踏会にあつまる子どもたちを、やたらと子ども扱いしたがる、ちいさな年長者たちとは違う。
どの匙をとるか、食器のどの部分にふれるか、淡々とこなして、彼らは注意されたりしない。それは、兎耳鋲や革ひもの補修、護符の改造まで手ずからおこなう彼らが、「お客様」だからではないはずだ。
折り目正しい挙措。身に沁みついた作法。正しい大人としてのふるまい――誰が誰だかわからない、偉ぶる「誰か」に認められるために、獲得をせかされるすべてのものを、彼らは現に持っていて、ララウェスはまだ持っていない。
あてこすりとは思わない。
それがこちらの少女の美徳であった。
けれども、だからこそ。
これまで社交の場で勝手にあふれでて、必死に学ぶまでもなかった、昨晩のにこにことしたあいづちが、精いっぱいの強がりであったのを、ララウェスはとにかくみとめなくてはならない。
いつもさりげなくされるような食事作法の注意を、せめて今だけは免れるように、お行儀で身をかたくするのが、嫌でいやで仕様がなかった根っこの訳を、考えずにはいられない。
ゼムルウェス小父と親しいらしい、彼らの知己を見かけてつい、「耳なしだわ」と叫んでしまった折の、みんなの目に一瞬ともった失望を、払拭する機会を、どうにかして得なくてはならない――なまあたたかな朝霧につつまれた青い少女の、きしきしとする胸底だ。
そのとき、ひた走り続けてきた彼女の前にぼんやり浮かび上がったのは、 大使館のおもてに吊りさがる、シュワルコフ国章であった。柵の敷地から照らされた、平等を告げる水準器。
紫瑞通りまで来れたのだった。
へいぜい不安に涵される性格ではないけれども、いまの彼女は弱っていた。曲がろうと思った角にある、三日前にはみかけなかった、「立ち入り禁止」の立て札にひどくおののいた――たしかにこの先だったはず。
晴れる気のない霧に湿る、縄の規制線がまあたらしい。都市警察だ、彼らが張ったにちがいない。だったらなにも怖くない。すくなくとも霧のお化けよりかは。
ええいままよと、ララウェスは暗い境界をくぐった。朝をみなした通りの街灯が、彼女の背後でいっせいに落ちた。
ララウェスの信ずるところ、彼女が路上で出会うなにものも、彼女のことを好きになる。
同時に、ばくぜんと思っている。
彼女と出会う人々は、なんぴとたりとも幸福でなくてはならないと。
ごきげんよう、ごめんください……目の前の霧につぶやきながら、ララウェスは人を探していた。実は衣装の小脇には、冒険用――彼女にとっての冒険用――のポーチをかかえていて、なかには油紙につつんだ残飯が匂っている。
誰にも相談しなかったのだ。あのときも、どうしてそんな発想にゆきついたのだか、てんで覚えていないのだが。太ったがちょうのひときれを、城の胸壁から落としてやったことがあった。待ち受ける、その日暮らしの人たちが、大声をあげてよろこんでいた。
あの少年少女ができずにいたことは、これくらいしか思いつかない。ララウェスの記憶にはこべりついている、犬を寝かせた物乞いの、差し出していた施しの椀が。
穴ひとつあいたことがない、驚くほどなめらかな青い上毛織物の服を着ていて当然の彼女は、ここらがどんな場所であるかを、いまいち理解しきっていない。朝陽がくれるほの明るさに、こもったきりの白濁のなか、どうにか道をみいだしたのは、幸か不幸か誰ともすれちがわぬままのことであった。ところはさだかに冒険者組合跡地の前で、大きな扉は頑丈に封されたままだった。そのむかいの路傍さえも霧はあいまいにする。
「ごきげんよう……」
ここまで来れば、おそれげもなく近づけた。あぐらで待ち受ける今朝の物乞いは、前見たときより貧相に思えた。頭巾のなかでうつむいて、施しの椀を差し出すこともしない。もしや眠っているやもと、油紙のつつみをそっと置こうとすると、彼もまた手を差し伸べた。それでララウェスはうれしくなった。手渡すのにもちろん、彼の犬の分まであった。痩せこけてそれは気の毒であったのだ。
「あら、あの子はどこかしら……?」
もぞりもぞ、と足元のぼろ毛布がうごめいた。頭をひとなでしようかとララウェスはかがみこみ、すぐさましりもちをつく。
「きゃっ!?」
たくさんの鼠だ、飛び出してきたのは。きゅうきゅう、ちりちりちり、鳴き声は方々の霧に溶けてゆく。
ララウェスは思いだした。
先生にたしなめられたから、やめた。城の胸壁から、ひそかにモノを配るのを。
ほんの出会いたての、信望しきっていないころで、お小言の理屈は、右から左であったけれども。
それまで何を落としたろう。
石の床と口づけをした、真っ白な子羊の砂糖菓子。虫歯にひびく、はちみつで金色にかためられたクルミ。枕もとでかびが生える前は、ふわふわとした甘いパン。苦手な香草のかおる、骨と皮のついた鳥の詰めもの焼き。袖に隠したニンジンの油炒め。
ところによって霧が晴れた。
さしこむ朝陽に影が深い。物乞いの、特徴的な鼻づらは、前にみかけた人物とは違う。”耳なし”のそれだ。とがった前歯と、鼠の鼻だ。ねずみ男だ。
「これっぽっちかい?」
油紙のつつみの重さを、汚れのつまった鋭い爪の、小さな手のひらで上下してはかりながら、ねずみ男は残念がった。ララウェスは不潔な石畳に、手もつけないまま言った。
「ご、ごめんなさい……」
「ダチの足しにもなりゃしめぇ!」
油紙のつつみをにぎりつぶすねずみ男に、ララウェスはおびえた。次の瞬間にはもう、男はうつむき、声をひそめた。「悲しいねぇ、ああ、悲しいねぇ……」おーいおいいおい、と体をゆすって泣きまねをする。ぴたっと泣き止んだ。「どうしてもっともってこない」
それは気まぐれだったから――ララウェスは正直に答えられない。すごく恐ろしいものだったような気がして、男のあげたおもてを直視できない。薄目でさまよわせる視線の先にみつけるのは、ねずみ男が椅子にして、今もあぐらをかく毛布。何か丸太のようなものをくるんで、黒く染みている。
「地を這う俺たちにゃ、うらやましくってたまらないねぇ……お城の暮らしも、探してもらえるそのお値打ちも……」
ララウェスの、視界の端の鼻づらは、頭巾の影でひくひくとしていた。片目が、赤く光っている。
「人間らしい死に方も」
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「わかります、わかりました……!」
ゼンはわざとらしい大きな声を、さびれた路地に響かせた。
「けっしてふたりが、行き当たりばったりというわけじゃない!」
「そうだろう!」
「そうだよなぁ!?」
どうどうと、両脇の大人たちを手しぐさでたしなめる。このばあいの大人とは、顔で迫りくるハウプトマンとサルヴァトレスをいう。日頃の仕事にうっぷんがたまっているふたりだ。たまには公然と不平をぶうたれてみて、大人な子どもがよいしょする。そういう芸である。ぜんぶわかってやっている。
「ええ、”べらぼうにとられるショバ代”が悪いのです」フランの悪乗りだ。彼女、一歩先を進んでいる。
「こうもエルドレイン系列店の天下じゃあ、枝葉末節のお取引きなんてあがったりです!」
「そうだろう!」「そうだよなぁ!?」
商売人たちがやいのやいのと意気投合する。ゼンはやれやれとため息する――念のため、こうした芸である。
四人はときどき足を止めた。
「サルヴァ、二膳いただきます」
「へい毎度」
いくつかの枠組みの外側で、銀一枚を支払うのはフランだ。一行がなにをしているかというと、人気の薄い、目の向かない日陰の路地で、法外な弁当を売り歩いている。
「よい祝祭日を」
身内の売り上げに税はかからない。モノだけ、たまたま彼らにわたる。都市の内側に抱かれながら、外延にいる人々に。
主要な通りを外さなくとも、彼らはときどき見つかった。主要な通りをすこし外せば、そこが彼らの住処であった。
祝祭日だから、とくべつだ。
むろん“商隊”はわかっている。
惻隠の情もあだとなる。
ゆく先々の人物の不幸を、銀貨一枚でなぐさめてやることなぞ、”商隊”にとってむずかしいことではない。
それも出口がないでは仕様がない。
ひとときの豊かさはやっかみをかう。次の日はなにを頼れというのか。理解しないで「施す」ことは、罪でなくとも残酷だ。
ぜんぶわかってやっている。
祝祭日だから、とくべつだ。
エルドレイン商家の親玉にも、都市警察長官にも、たまたま、許しがとれていた。
北方の海の幸をたっぷり取り入れた”商隊”特製の高級弁当は、味も滋養もよろしいながら、都市の労働者の二日分の平均的な賃金もする――年に一度の徴収の、都市人頭税なみで法外だ――商隊の料理人が祭日出店の場所取りに、必然的な敗北を喫し、商隊長までめずらしく、仕入れの誤算をした以上、廃棄を待つだけで惜しかろうもの。未認可商店の関税率だって、たいへん悪かった。
だったらたまたま、ゆく先々の人物の不幸を、銀貨一枚でなぐさめてやることが、少年少女にはむずかしいことではない。
人々のつなぐ輪をたどり、抱えたものを配り終え、最後と思って一行の向かう場所は、かつては”瑞の連絡所”、くだんの冒険者組合跡地であった。路地のむかいのござのうえ、施しの椀がぽつんとある。ふちが鋭利にかけている。
「場所を変えたのかもしれん」
最後の弁当の竹容器を、ハウプトマンはござに備えた。痩せこけた犬を寝かせた物乞いの居所のはずだった。
「おさらばしたならなによりじゃねぇの」
サルヴァトレスも変わったもので、ここまでとくに小言を言わない。しょっぴかれたやもとも言わない。
「……彼はおそらく盲目でした」
ゼンは気がつく。ふくらんだぶどう酒の革袋もおきざりだ。ララウェスが推察したように、人物は元冒険者だと思われた。はなやかな歓楽街であったろう、この近辺はかつて、彼らの落とす銭で潤っていた。
「おっと……」
サルヴァトレスが、うしろの吹き溜まりに気がついた。組合跡地の横合いは、今は影の隘路となっていていて、手前の足元を木片やごみがめいっぱいふさいでいる。
「そうまで含めちゃなかったが」
瑞の時計塔の鐘の音が近い。
「そんな、むごい……」
はだけたぼろの毛布では、死の惨状を隠せはしない。主従ともども無造作におしこまれ、息絶えているのがあきらかだった。通りに立ちこめる独特な色とにおいに圧され、血だまりは存在を過少に主張した。
かがんだサルヴァトレスがためらわず、体液に濡れた毛布をはぐ。
「ぬくいな」ただねむりについた人のように、とった手首はぶらりと落ちる。「二、三時間。朝飯の喧嘩にしちゃ早いか」
ふたつの遺体に共通する特徴的な複数の刺し傷を、サルヴァトレスは指摘した。硬くなってしまった彼らのあごは、最後に何をあじわったであろう。
「交番に報せましょう……そう遠くない」
死を悼むフランの肩に、ゼンがふれたときだった。
「待ってください……!」
そうしてここでも”商隊”は、事態の渦中へと飛び込むこととなる。巡りあわせと人は言うが、とるにたらないものとして、いつも見過ごさずいたからだ。
「このポーチ……!」
フランの指摘するように、血に浸かっていたとて、置き去りにされるにはあまりに高貴なしろものであった。頭文字の刺繍はみつからないが、若い婦人用と見受けられる――通りでたまたま盗まれたそれが、たまたまこちらの現場にあった?――ララウェスソムニア・ジガヴェスタとの関連をすこしも思い受かべないのは、”商隊”にとって非合理的だった。
数えきれない、足を踏み合うほどの群衆が、瑞の広場を埋め尽くしている。警笛の音、押さないでという怒号。急いで引き戻してきた四人であったが、祭りというのをあなどっていた。参与観察へ赴く前に、イトーは教えてくれていたのだった。
――進水式は九時からだそうです。
流れをおしのけおしのけ、遡上して、やっと交番にたどりつく。三日前にも訪れた、円形の広場に面した大きなヤツだ。あけはなした立派な玄関構えでしかし、立ち番のひとりもいあわせない。室内灯が煌々と照りながら、人が完全に出払っている。ハウプトマンが苛立った。
「くそ、俺も学ばんな……!」
近くに停めた黒馬車もどうやら見当たらない。留守番のジニーがどこか路地にでものけたのだ。
瑞の時計塔がまた鳴った。生乾きのポーチの革の瑠璃色は、汚されて毒々しい手触りである。ゼンの手元に焦燥を見てとったハウプトマンは、商隊長として果断に命じた。まずはサルヴァトレスにむかって。
「ともかく馬車を探してくれ」
おう、と聞こえたらもう影も形もない。"魔法の居間"にはダルタニエンが眠るはずだった。つづいてハウプトマンは、目の前をすぎゆく人垣模様を、背伸びした首でかわしがわしつつ、隙間の南の青空を指示した。
「たしか祭日警備の総指令所は――」「白の塔だと聞いています……!」
ゼンは察せた。交番の石の門構えに高く、山羊のように飛びついた。その監視塔はしっかりと見つけられる。ただし爪でも隠せるほど高さで、手前の広場一キロルには大群衆、ララウェスがうたった運河もどうにかして跳び越さねばならない。ちらと頭上を仰ぎ見た。解決策があるにはあった。
気づかわしげに見下ろすゼンに、ハウプトマンはうなずいて応じた。
「二人一組の原則だ」
「……次の鐘。いや、十分で行って戻ります……!」
またたくまに、ゼンは“空庭”の人となった。広場の淵をなぞってそびえたつ建造物群は、上へ上へとよじのぼるのに好適な、窓枠や鉄柵やあまどいや、都市らしい装飾のでっぱりに富んでいた。
広場は長大な円を描いている。面する高い軒並みの、長く弧を描く急がば回れのいずこかに、ゼンのくすんだ金髪はかがやいたのだろう。のこったフランとハウプトマンらは、まあらしい手配書や紋切り型の警句の掲示板を背に、祭りの中心を目指す人ごみを注視していた。
「怒られたらその時あやまるさ」
「そうですね……」
二人一組は戦時の原則、該当するかをたしかめるのに、ひとまず方々呼び寄せている。巨大な生き物のような雑踏は一見、交番前に関心をよせないでいるが、不定の悪意の隠れ蓑として、これ以上ない良物件だ。
じりじりとするふたり。この間、時計の針ひとつ。
「何かお困りですか」
身構えるのが期待にまさった。人波からこぼれた彼らは、暗紺色に警棒がしるしの、都市の警察官とはちがう。
「リカルド殿!」「レミさんも……」
しかしやなんと奇遇なことか、見知った地方騎士らである。
「や、どうも」
正騎士リカルドとその従兄弟にして従騎士レミについて、お人よしだと”商隊”は理解している。
”水瓶”の南の農村で、素朴に暮らす彼らとは、食害する野猪の退治でゆきあったのだった。冬の備えにてこずりながら、今年も祭りへはゆきたいと、聞き及んではいたけれど。
「ええ、三夜も飛ばしてどうにか滑り込み」
「つい赤く光るから何かと思って」
真上を見ると交番の、赤い照明がちかちかとしている。フランは交番の留守を伝えた。
「なかの呼び鈴を勝手に鳴らしてみたのです……」
ともかく御用ありということだろう。かんたんに説明しただけで、リカルドらは俄然と力になろうとしてくれる。ふたりとも猟の心得があり、ちょっとした追跡や痕跡探しは日常のことであった。農村の老婆に仕込まれたような彼らのまじないは、なまじ都市暮らしの魔術師のそれより効果覿面である。
いつの間にかこれだけの人が、祭りのためにのぼってくるようになった、今年は一段と多い、などとリカルドたちは大声で言いかわした。群衆に負けないように、四人で広場のはじをぐんぐんと進んでいた。
「みんな降り注ぐお菓子と甘酒が目当てだ」
「自分だってほしいくせに」
「たまには砂糖の味も思い出さないと!」
振り返りつつ彼らは人懐っこく笑顔する。ふたりとも家庭があるが、まだ若かった。国中が戦争の脅威にさらされて、貧困と空腹に苦しんでいるさなかでは、こんな祭りはひらけない。それをわかって、ありがたがるらしかった。フランはリカルドに訊ねた。
「ジョセフィーヌさんのお加減はいかがですか」
「よいよ!あの大きなおなかで蹴とばされたくらいさ。せめてあんたが拝まにゃ無事に産めやしないと」
頭上では瑞の時計塔が存在感をしめしていた。レミが体をかたげてその針を読む。
「船が出るまで三分ばかしか……」
「どうせ鐘のとおりじゃないさ」
「子どもの時からそうだった!」
「おーどろいた、今のお前ってば大人かい!?」
彼らが肘で小突きあううちに、ちょうど陰気な路地に出た。幅こそ広いが、晴れの昼間にもかかわらず暗く、まるで雨中の森だと、ふたりの若者は不吉がった。せっかく規制線の一本もないのに、群衆は誰も選ぼうとしない。
「獣も通らぬ獣谷……」「しかし目指すのはこの先でしょう」
ちょっと先では、人も馬もない荷馬車が傾いている。高圧的な都心の木造建築が、微妙にうねって連なっており、どこまでも奥は見通せない。然り”瑞の連絡所”のある通りであった。ふとリカルドがうしろをたしかめ、首を伸ばした。
「おや、フラン殿はいずこへ……?」
戦慄したのはハウプトマンだ。時計塔を見上げるより前は、横目にとらえて離さなかったのに。うしろの正面、目と鼻の先、ごうごうとうごめく大群衆は、はたして悪意の隠れ蓑なのか――呆然と疑うその刹那、はじめにレミが殺された。
こぽぉ、とむせたレミは、唇の端から血を流していた。前のめりに倒れるのをまたず、リカルドがとっさに支えにかかる。しかし陰にひらめく不穏をみとめて、彼は従兄弟の肩をすりぬけた。正騎士なりの抜剣をどうにか間に合わせる。たしかに一合、何かを弾く鋭利な音がした。リカルドの首がてんてんと落ちたのは、石畳につく両ひざよりあとだった。
これが戦時の用意どん。両名の犠牲あってして、ハウプトマンの戦闘準備は間に合った。その得物には被覆携帯の努力義務がある。シャツをまくりあげ、ベルトから抜き、構え、引き金をもう絞っている。実用という美徳と歴史が醸成したそれは、アメイジア 陸 特 現行の、九ミル自動拳銃である。
路地にとどろきとどろく銃声をうけて、敵影はのみのごとく跳ねまわった。
「いひひっ!」
幾度となく宙を飛び散るかたい火花が、元軍人の照準そのものの正しさを証明している。ふりまわされる長い得物と不定形の影に吸われ、効力射には至っていない。
とびのきとびのく怪人は――間違いない、それは「人間」の範疇だ――停めっぱなしの荷車を遮蔽にした。相対十五メルもない。ハウプトマンは短く息を吸う。四発残した弾倉が、自由落下する場つなぎは、薬室の一発にかかっている。凌げた。貫通効果のほどは不明だが、残弾を回復するや否や、全十六発をたたみかける。
――豆鉄砲もいいとこだ……!
どんな大砲を持ちあわせれば、事態を解決してくれた?荷車を蜂の巣にしても、ハウプトマンは様子をみない。手元で弾倉を交換しながら、着実に背後へ引いてゆく。首を少し振りぎょっとした。広場から物珍しがる群衆は、銃声の意味を把握しない。
「下がれっ、下がれぇ!」
リカルドたちの死にざまに、気づいた子どもが悲鳴を上げた。恐怖は群衆に伝播する――いや、実際はほとんどしなかった。明るいところにこれほどの大衆がいあわせるとき、かような暗い路地のとるにたらない雑音は、消費され、希釈され、忘却されてしまう。
荷車のむこうから何かが飛び出た。はっと照準する今のハウプトマンには、群衆の盾となるすべが足りない。なにしろ相手が悪すぎだ。
――ごめんなさい……っ!
しかし彼女であれば。雑踏に転んで泣き出す迷い子の手とって、両親に引き渡していた彼女の力もあわされば。
『”焦熱燬然す螺旋の光鎚”』
もういくばくかの時を稼げるかもしれない。
それは力の奔流だ。路地を埋めつくして赫々と、立ち上るようにも、振り下ろされるようにも、”光鎚”は見える。あとにはふつう、灰燼もなにも残さない。事実、十秒の封鎖をといたとき、円環に灼熱する石畳の上に荷車は残らなかった。
しかし影は。
影は増えた。
強烈な光はむしろ鮮明にする、さる代弁者が内に抱きし慢性的な逆転の価値観を。
約束の鐘はまだ鳴らない。
ジガヴェスタ編の完結まで隔週投稿を目指します(26/3/21)
六月を照準に予約投稿開始。ひと月に一話ペースになるやもです…(26/4/30)




