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ゼン・イージス ―或る英雄の軌跡―  作者: 南海智 ほか
誓いの章:無二の水瓶
103/104

103.ジガヴェスタ


『“水瓶”を扼す天険は、龍をも退く自然の要害。頭上にいただく“母なる水”とは、弧大陸最大の湖にして、都市の最重要水源なりて云々』――常套な単語の端々に、聞けば先走るいやなおぞけだ。

 しかしたしかに。

 天険すなわち“星へと至る丘”の峰々の、雪かたびらの美しさはたぐいがない。眼路を二分する山塊に、視線は主城の尖塔へと押し戻される。

 我々は今朝また、門前にいた。すぐとなり、フランのおぎなう声はかぼそかった。

「たしかに約束があるのですが……」

 高いところで、振り向けば第一、第二城壁のむこう、城下に広がる高層集合建築群の、ひらたい屋根の連なりがみわたせる。あの空間を”空庭”と、水瓶の人々は呼ぶそうだ。

「……“少年の騎士”に憧れておいでか?」

 長短三振りも帯びている私にむかって、ファル・ミンは、からかうそぶりもなく言った。壮年の、かたぶつそうな人物で、いかにも伝統的な騎士らしい「よそものへの愛嬌のなさ」がたぎっている。我々の宿に届いた招待状を、突き返しこそしなかった。

 彼も仕事だ。門前払いにも慣れている。待たせる人さえいなければ、もう数日は譲歩しただろう。私が打つ手を考えていると。 

「おわかりでしょう!遊びで帯びておられぬことくらい」

 高くない鉄柵門のずっとむこうに、ドゥーディカが姿をみせたのだった――さすがにネコ科の聴覚だ――花の咲く歩道をかつかつとやってきて、おもてに通ずる扉をくぐった。

「コマンダ・ミン。このおふたかた、歴と身の知れた大切なお客人ですぞ」

 こちらも誠意をみせるべきだ。

「長物だけでもお預けします」

「いえ結構。我が輩もおりますゆえ」羽根つき帽子をつまむのを、ドゥーディカはあいさつ代わりとした。ファル・ミンに口を挟ませない。

「お嬢様がさぞ楽しみにしておいでです」

 貴殿らの職務も尊重するが……ドゥーディカがそこまで付け加えてようやく、ゆくてをはばんでいた門は開きだした。儀式的な、ひょいと飛び越せる程度の、横引きの門だ。みがきあげられた銀色の柵がちらちらとまばゆい。

 この城を守る騎士団員は、凝った衣装をまとっている。縫製のよい脚衣は白、厚手の上羽織は藍、左肩から腰へ、斜めにかけた飾り帯(サッシュ)は深紅――ドゥーディカも同じ配色なのだし、ジガヴェスタ公家の象徴色なのかもしれない――宮廷に常駐する、忠節な精鋭部隊然としており、城壁と先の門までが彼らの領域だった。

 ドゥーディカは前庭を案内するあいだ、あまり多くを語らない。ただファル・ミンについて。

 「盾こそ持たぬお立場ですが、ご立派な騎士であられます」

 見上げると、青い大気が澄んでいた。

 広大なエウロピア領国諸家の、色とりどりの旗幟があがっている。


 そういえば、謁見の間を見学し逃した。我々がまず案内されたのは、入城広間ともまた違う、かこむ石材の無骨さからして、おそらく身内用の勝手口であったろうか。城内の静謐な空気をたっぷりとふくむ、類型しがたい、広々とした空間でいながら、どこか親しくにぎやかしい。

 青いララウェスがその真ん中を、そわそわと行きつ戻りつしていたからだ。

 追い払われた世話係たちが、柱やものかげで気配を消していた。壁際には曲線のあるつやつやとした椅子が何脚か、窓際には今朝手入れされたであろう花瓶がきれいで、場違い具合に気遣いを感じた。

「やっとおいでになったのね」

 彼女の声に感嘆符は尽きない。はじける笑顔で飛びよってきて、推奨された訪問時間――世間でいわば朝食時だ――が、彼女にとっては非常識でないことをしらせてくれた。

 城は不思議な響き方をする。

 「わたくしは、ララウェスソムニア・”ジガヴェスタ”!」 

 あらためまして、と彼女は言った。むふんと誇らしげであるのと同時に、真名の開示は信頼の表明だ。

 ともかく我々はにこにこと受け入れた。わぁ!おどろきだね――そこまでわざとらしくはなかったはずだが。

「ゼムルウェスおじさまをご存じよね?」こちらは然りおどろいた、当代シュワルコフ公の名だ。たどりたどって血縁があり、彼女の名づけ親だという。「ごつごつとした家名だから、とっても苦労なさったそうよ」

 どう触れようかと思う間に。

「わたくし、気がついたのだけど」

 今日も彼女は先陣を切る。窓のふんだんな石の回廊をゆくのに、やはりしきりに振り向いた。

「あなたたちって不思議だわ。”神子”だとしってもどうじない。わたくしに会って喜ばない、それってとってもめずらしい人」

「喜んでたとも。でもそれは――」「ララウェスちゃんが素敵な人だから、ですよ」

 たいそうご機嫌にかなったようで、彼女はにーっと白い歯をみせた。

「おふたりとも、今日はすごくすてきなお召し物ね!」

 会わぬ中日(なかび)に急ぎで仕立てた正装だった。旅には荷物で、背も伸びるのに、”商隊”の大人たちが強く勧めるもので。

「皆様おられないのが残念だわ」

 招待状にも、ララウェスは筆していた。ご一緒に晩餐をいかがでしょうか。祝祭を控えておりますけれど、せっかく一日あけました、公の公務が終わるまで、お城をご案内します。きっと退屈させません――是非皆様でいらしたらいいわ――しかし大人たちは論ずる間もなく遠慮した。つじつまあわせにぼろが出かねない。


「とくにご覧になりたいものはある?」

 招待客として肝要なのは、なんでもかんでも遠慮しすぎないことだ。そこで一番に「図書館」と言ってみた。悪いことをした。臭い干物とは知らずに噛んだ、というしかめ面からして、ララウェスはあまり得意でなさそうである。代わりにドゥーディカが気をつかった。

「具体的に何かお求めの表紙が?」

「しいていわば図書館そのもの、かもしれません」

 夢想の話になる。

 三十段もある大版の本棚に、錠のかかった書物たち。異様にふしくれだった古代語が、独特の画風の挿絵とともに、今はなき幻想をしめしている。たとえばそれは魔物図鑑。火を吐く獅子、双頭の大蛇、三つ首の猛犬、よいどれの多頭竜、有翼の白馬、黄金の蹄をした一角獣……「この先、狂暴なドラゴンがいるぞ」と描かれた地図もみつけたい。実際に行って確かめてやろう、その翼で覆い隠すのが、はてしない金銀財宝なのか、先駆者が恐れた無知なのか。

「つい先月のことでした。ほとんどが智識院併設の図書館へ移し替えられたばかりでして……ええ、”蒼”のあたりになりますな」

 学術的に参照頻度の高くあるものは、より学生の手の届くところへ、という意図らしい。すばらしいではないか。

 今度はフランが気を使った。

「ララウェスちゃんのおすすめは?」

 そのつもりで移動していたらしい、ララウェスが紹介するのは、城の宝物庫とでもいえよう。意外に楽しめるものもあった。

「おふたりはどれほどご存じ?”迷宮”について」

 一見、気持ちの良い広間であった。船や貝殻を思わせる、曲線的な装飾の支柱に、木理の栄える、時代不詳の調度品。

 合間をうめるそれぞれが異物だ。

「言葉のうえでは宝石ね」

 “魔石”――当代エウロピアでは再現しえぬ、迷宮産の道具たち。

 たまたまうまく持ち出されたそれらは、かつての役割を固着化させ、たえず魔法理に働き続ける。

 踏み板を押すと、清涼で冷たい水の飛び出す銀色の箱。

 さーさーと鳴る雲をうつしてやまない、どでかい金魚鉢。

 勝手に発熱する毛布。

 声をばりばりと大きくする漏斗。

 機械式の歯ブラシ。

 天井から広間を照らしきる、平たい照明群もひょっとその手のものだ。

 宝物庫だと私は記したが。

 それらの多くは直接に触れられぬよう境界のむこう、しばしば台座に鎮座し、説明書きの立て札をともなって、つまりは「展示」されている。

「こちらはくぐると音が鳴るの!」

 最奥にみつけるのは、ゆく手を阻まぬ門である。艶のある銀色でものものしい。

 ララウェスがくぐるとたしかに「ブザー」が鳴る。私がくぐっても「ブザー」はまた鳴る。ドゥーディカがくぐってもやはり鳴る。しかしフランがくぐるときだけは鳴らない。

 迷宮探索家ネスフィヨルド(!)の考察書き曰く、

『かの小高い四角さは、神霊でも宿るかの威容をしているが、こうべをたれた君の祈り願いを叶えはしない。淡々とそれは事実を知らす、とある素質を帯びるか、帯びないか。すなわち――』

 金属探知機だ。

 試しに短剣一本でも鳴った。これこそ前庭に配置すべきだ。

「会食や会談の、来客の日によいですね」

「左様でありますな!」

 城の警備主任でもあるという、ドゥーディカは猫の目を丸くした。あきらかに手薄な城内である。なにか割り切っているか、隠しているかだ。

「ここではお見せできないものも、まだまだあるの……!本当よ」

 ララウェスでも立ち入りがむずかしい、本当の宝物庫が、城のどこかにはあるという。

「名も知れない、徳の高い方が寄贈なさった巨大な宝石がそこにはあってね、わたくしと()()()で釣り合うほどの、黄金よりも高価なの」

 なおさら強力な警備手段は欠かせまい。と、私は思ったのであった――午前の出来事のだいたいだ。

 ほかに見張りの塔にのぼって都市を一望したり、寝室の調度の良さを案内されたり……ララウェスはゆく先々で、おみやげとして何かを持たせたがる。やっぱり”魔石”がよいだろうと言い出して、ドゥーディカを困らせたりした。私たちには十分だった。私は――今もこれを記している――インクの絶えない万年筆を、フランは図書館の迷宮で編まれた特別な詩集を、贈ってもらったことがある。


 手入れされた緑と花々の中に、かの城の中庭はあった。心地の良い、そのあずまやで昼食をいただくあいだ、我々は本格的な「音楽」にもあずかった。

 黒くめかした十数人からなる楽隊は、アメイジアで学んできたのだという、新式の楽器や奏法を惜しげもなく披露した。音楽もさることながら、金色や楓色の楽器が日に輝いてうつくしい。当代公が大々的に支援する楽団だという。ときには女性歌手が前に出てきて、柔らかな声でろうろうと歌った。すばらしい詩人の爪弾きに覚えはあるけれど、異なる文法の良さを知った。

 楽団は明日の祝祭での活躍をひかえているという。食後のララウェスに予行演奏の必要性を痛感させたようで。

「ドゥー、帰しちゃだめよ!おふたりも、すぐに戻ってくるんだから!」

 曰く、優美な白鳥も見えないところでばた足をする。

 取り残された我々に、脱帽しているドゥーディカは、さすがにお慣れになりましたか、と肩のしぐさで物言った。

「お茶でもお入れいたしましょう」

 あずまやの白い彫刻柱には、桃色の花のあざやかな蔦が絡んでいる。


「茶葉は我が輩の特製配合です」ララウェスがいない合間のドゥーディカは、私人の顔をしていたかと思う。「つまみ加減はその時々ゆえ、味の保証はできないが」

 茶器がひととおりそろった後は、使用人たちを帰してしまい、なにからなにまでてきぱきこなした。

「うん、よろしい」

 白いシャツ、赤い胴衣に、ぴっしりとした青いタイ、一口ふくむのにドゥーディカは胸を張る。

 我々はしばらくしずかに飲んだ。中庭の自然な音楽を聞いていた。無理に何かをつけくわえる必要性を、とくには感じない。

「こうしてみると、間違いなくこの()のお人のようだ」

 ドゥーディカは率直に言った。お代わりを淹れてくれたあとであった。

「泉から湧いて来られたものかと」

「……レレイア・リレイのように?」

 彼はちいさく頷いた。私は彼のおもざしを見るふりして、じっさい彼の猫ひげが、どこでぴくりとするかをみていた。

「狡猾な罠にかけられたものです、これじゃ帰るに帰れない」私は言った。「夢中で口にしてしまいました、この星の食べ物とは知らず」

 彼は落ち着きのある声を立ててわらった。表情の豊かさは只人とかわらない。

「……誰もまだ見ぬあのストラト(天上)川の上流からやってきたのではないというのなら、それはそれ、運命の贈り物ですな」

 折しもバターのかおる茶菓子のタワーがやってきて、フランの目を輝かせた。私たちは余計にわらった。


 人気(ひとけ)のひいた中庭のわりに、やけに感じた視線のわけは、のちのちわかるところであった。ドゥーディカの身の上話を、我々は聞かせてもらう。

「石がちな丘陵地帯に、イヒシズリンのぶどう園はあります。なにがしかの壁、たいていは石垣でぐるっと囲まれており、貴重な果実を見張るための、高い櫓もそびえています。ぶどう絞り場のくぼみの穴は、通りがかるとかぐわしい。便利な暮らしではとてもなかったが、あの景色へ帰りたい、そうよぎることはときたまあります。

 いまでこそすっかり落ち着きました。二十年も前のこの都市は、夜ごとにどこかで決闘騒ぎ、辻斬り……朝霧の中で、新前の我が輩は仕手の痕跡を追った。

 熱に浮かされているのでしょうか。事変に駆り出されることこそありましたが、お嬢様……殿下の生誕以来は、ええ、ずっとおそばで」

 思い違いならすまないが、何を根拠に我々をさほど信用するのか、私は訊いた。

「同志である、と思ったからです」

 共通点はフランが言い当てた。

「なぜかつききりで守られるものと、凄腕ですきのない物腰の剣士?」

「ああ……」

 なるほどを含意した、我ながら傲慢な相槌ではあった。


 ふとドゥーディカは、イエネコのような悟りのまなざしで、明後日の方角を気にかける。耳をはばたかせると、暗に「ごちそうさま」を告げるかっこうで茶器をととのえた。

「お嬢様はああ仰せられたが……午後には美術棟の限定公開がされるのでした」流し目で強く誘っている。「よければご覧になられませんか」


 なまじ腰を抜かすような物事を見てきたために、世間で広く喜ばれるものも、子どもだましに思えてしまう――美術棟はまったくちがった。城の内装を活かしきった刺激的な展示の数々は、あますところなく素晴らしいものであった。

 ほかの招待客、たとえば智識院の学生団体は、年齢・徴とも多様でも、光の加減で濃緑につややかな、黒いローブで見分けられる――おめでとう――この秋に入学かなったものたちだという。あとは穏やかそうな貴族の夫妻が一組いるばかり。ところどころで思いだすように、“水鏡騎士団”の三色制服もみえた。正式な一般公開は次の春だそう。

 私は特権にあずかり、ただ見入った。見入るうち、棟内はすさまじく静かになった。

 一本髭の、ヘビのような竜を描いた水彩壁画、ドラッドネルト風車の精密な小型模型、なんら魔法照明を透かして模様を落とす絹の天蓋、香料のかおる異国の絨毯、“激昂する竜の爪”と異名される魔剣、リレイの肖像画、彗星の出現をまめに記録した古い巻物。石膏を削り出した、弓矢をもつ有翼の童児神。今にも襲い掛かってきそうな騎馬像の大理石彫刻……。案内によれば、右の部屋には装飾美術、左の部屋には乗馬関連資料、それから奥の間には――とつぜんあらわれた巨大な蝋壁画に、私の足は止まった。熱量が現実に溶け出している。人馬のもつれあう、苛烈な軍旗争奪戦の絵かと思った。しかし細部だ、慣れた戦士は追っ手の目を今にも指でつかんとしているし、剣をふりあげる敗軍の将のふところには、髑髏の影が隠されている。獣の狂気を描くのだと知った。

「ごきげんよう」

 となりうしろで気配はした。なんとなく、先に見かけた貴族の紳士だろうと思った。顔は見なかった。

「芸術をご理解なさる?」

 初対面でとんでもなくむずかしいことをいう。私はただただ見ていただけだ。

「正直、僕にはよくわかりません……」

 彼は壁画も見ていない。うずうずと続きを促されている。思うところがないではなかった。借りた答えにはなるけれど、と私はことわった。

「――少なくともそれは……商売としてひきあうかでない。雪に埋もれた山荘で、凍えて死ぬか火にかけるかを、あなたに選ばせるものだ」

 そしてここから、私とフランが思うには。

「なるほどあるいは拙いけれども、亡くした子の肖像かもしれません」

 んふふ、と笑う紳士であった。科学か魔法か判じつかぬ照明具は、展示にふさわしい暖色で薄暗い。

「”人はパンだけで生きるのではない”」

 紳士の顔をかえりみる必要性に、私は駆られた。

「僕も借りた詩でお返しします」壁画をみつめる若い紳士は、どこかで嗅いだにおいがする。「エウロピアに生まれた工芸品は、あってたかだか数百年。父祖伝来の品と呼ぶには、どれもあまりにも若すぎる」流麗なアメイジア語であった。「対してこちらの展示室にあるほとんどの美術品が、迷宮産と言われています。未来のそれとみなす人もいるが。あれは過去へと通ずる扉だと、個人的に信じているもので」

 私は美術品の軌跡というのに、意識を接続していた。

「人々の手から手へ渡る……すると手紙のようなものですね」

 ほかでもないこちらの紳士から、新たに得られた答えであった。彼の笑顔は、やはり親近感がわく。

 フランとドゥーディカが、淑やかな貴婦人のうしろにひかえて、同室までやってきた。紳士はうれしそうに目くばせした。

「僕はメリオン・エルドレイン・ジガヴェスタ。それから妻の――」

「セリーヌ・トゥエイン・ジガヴェスタでございます」

 そうした予感はあった。


「すると滞在は三日目?」

「時鐘の音には慣れました?」

 道行くうちに、さまざまな人と出会う。まるで初対面にもかかわらず、どこかで会ったかな、と思うときがある。顔かたちはまるで似ないのに――メリオン公の場合は、イトーだ。居合わせていれば話はもっとはずんだろう。

 そう、話していて、実に正しく、楽しい人たちだった。会話になんの齟齬もない――思えば変わったことである。いわゆる「外国人」の枠組みにおいて、一風どころかおかしな我々が、簡単な感想に始終できてしまう。


 我々はアベル・シルヴェストリの食客を公言していた――”北方森林”に宿を借りてきて偽りなしだ――メリオン公のダンコヨーテ語をいなし、剣と魔法のこと以外、およそ知らないことはないアメイジア人家庭教師のありがたさをほのめかす。

「商いのための言語というのは、急速に浸透するものです」

 納得を示すだけではない。商家エルドレイン出身のメリオン公は、アメイジア語の推進者であった。

「四公会議はじゅうぶんな防衛費を調達済みでした。しかしエルカテリーナ公はおのずから山路を拓き、アルスノード(シュワルコフ領都)との直通貿易路を確立なさった。長年の計画が実ったのですね」

 トゥエイン家は都市の運河を統べている。出身のセリーヌ妃は情報通で、先の”賢狼の裾”政変事情にも、我々より詳しいまであった。

「たとえ逼迫した財政窮乏の折にも、漁業組合が味方でありつづけたでしょう。”旧都”が落ちることはございません――とは、キューサッカ(クサカベ)ーヴェ様より伺っております」

 おっとりするのは微笑と声だけ、他人の言葉を隠れ蓑に、論理だった切れ味がみえる。


「ひどいわ!わたくしを仲間外れにして」

 ドゥーディカに連れられて、ララウェスが合流した。撞球室のとなりのこの応接間は、しずかな緑の内装をしている。

「とんでもない、待っていたんだよ」

 然る人物の”盾”を受け渡すのに、メリオン公は記念写真を所望した。その準備にかかっていたのである。

「腐敗の剔抉の立役者とは、シルヴェストリ家のみならず、”勝利の騎士”でもあったとか?」

 繁文縟礼をきらう剣の師の名を、隠すつもりはないのだが、親しさをどれほど明かすべきかは迷った。メリオン公の意図は違った。

「ほかでもない、こちらの彼が大の()()()でね」

 ドゥーディカは、一瞬恥ずかしそうに身をよじったものの、すましたひげをすぐとりもどす。「ええ」と落ち着き払って言う。「あの方の噂話でしたら、どんな信じられない内容でも真実と思えてしまう」

「たしかに、そうざらにはいない人物です」

 私はむかいの写真家に、前を向くよう言い渡された。光と煙が目に染みた。


 当代ジガヴェスタ公家は、三人きりの一家であった。彼らは主城のいずこかではなく、離れの邸宅にひっそりと住む。ひっそり……とはいえ豪邸の部類にはなるけれども。

 華美な趣味性や色彩の乱用はみられない。ほどほどに天井の高い食堂の夕方に、照明具が充実していた。 

 公会議と同じ作法が入用であった。暗器が包み隠されぬよう、食事布(ナプキン)は開いたままで運ばれた。

 器は厳かに重く、匙は異様に軽い。晩餐にあずかる我々は、それぞれの話題に興じた。

 フランはセリーヌ妃とよく気があうようだった。

「荷は香水であったこともあります。石鹸に、丈夫な針や……電気結晶も。そういえば、この町のともしびの動力源は何でしたでしょう?」

 長い机にはドゥーディカも相席していて、私は冒険話を小出しにした。

「森林街道の治安保全には、サー・シルヴェストリも手を焼くご様子でした。スヴェルナの霧中には、いまも不明な勢力や魔物が跋扈しています」

 我々は好き勝手な話をしていたのである、"魔法の居間(リビング)"でいつもそうするように。

(いつも)、ですか?どんな富よりも贅沢です。これほど話柄に事欠かない」

「汲めど尽きせぬ泉のようね」

 公夫妻が絶賛するのは、我々を後ろ盾する大人たち、ということになる。だから悪い気はしなかった。

「あなた方はひとかどの名無しのようだ」

 ぶどう酒をたしなむ人たちであったけれど、とくにメリオン公は明晰で、杯をあけるほど簡単な話をしなかった。

「祝祭をめくらましにはしない。しかし理想の存在は理想の闘いをすべき、ということです」

 御仁は熱心であった。文化、ひいては統治について。ところどころを質問しながらも我々は、そういうものか、と頷いてみるしかなかった。

「エウロピア人はさまざまな民族として分化するより先に、四つの大公国に要約された――色彩として幸であり不運でありました――さらにひとつとならんとするに、私たちは私たちを結束する共通言語が必要です。白黒なアメイジア語が不服だという気持ちが私にはわかる。ならば、だからこそ文化という結節点を。芸術の、技の見極める目の、せめて市井への普及を。

 生存に直結しない、無駄なものだとそれはなじられます。いいや、我々を我々として識別するのに、これからもっともっと必要になる。未知を解明せんとする衝動、無から一を生み出さんとする意志――これらは、ただパンを効率よく獲得するための機能としては、できすぎた装飾です。人が持ち備えたこの過剰さは、文明を磨き上げる動力となる。獣とを懸隔する、立派な盾たりうる……。

 とてつもない不合理の淵に、我々は包囲されています。悪徳をはねのけるために、霧を拓くための松明としての知恵が、退嬰的であってはならない」

 新たな夜が深まっていた。さまざまな肩書きの人々が、晩餐のあいまに顔を出し、公夫妻に一日の挨拶をする――至極自然なことのようである。

 水鏡騎士団長のファル・ミンと、都市警察局長官マルゼオン・ドーモナーは、連れたってその最後にあらわれた。それぞれ城内の夜間警護の引継ぎと、翌祝日の警備体制の滞りなさとを知らす。メリオン公の開明な思想が、ひととおり明かされる頃でもあった。

「公王の権標としての剣は、もはや当代、彼らの手にゆだねられるべき。と、僕は信じているのです」

 業務以上の話となると、ミン団長はあとの用事のために去り、ドーモナー長官だけが立ち居残った。必要以上ににこにことした男である、と僭越ながら私は感じた。

「これからの経済発展につれ、都市の人口は激増し、新たな階層間対立が生まれます。共同体の社会的結合関係を円満に保つのに、先んじた役割分担は不可欠だ」

 警察と騎士団との差別化について、ドーモナー長官の口から聞きはした。察するにもとはメリオン公の言葉ではないかと思う。

「人目のにぎやかなところを長い衣で歩き回って、恭しく挨拶されたがる旧貴族とも、街道や宴会で上座を所望してやまない学者どもとも、当代公夫妻は異なっておられます」

 彼の急所をつくことが、その場では正義と感じなかった。

「独特の習俗と資質をそなえた、優雅で勇敢な騎士という人間類型に、私は尊敬の念を抱いている。本当ですよ」

 真実はいつもひとつ。だけれど写真機どんな側面を切り抜いたかには、またいつも検討の余地があろう。少年の冒険活劇がかくあるように。


 さて、私たちはこれからとにかく驚くのである。ドーモナー長官をいとわず済んだのも、大恩ある人物のように感じたからだ――その客人を紹介されてしまっては――知らない扉があけはなたれた。

「"あけてびっ(さぷらーいず)くり"だぁ!」

「わぁ!?」

 我々は作法もほうって席を跳び立ち、食後の茶をうける別室を駆け抜けていた。

「「ダルーっ!」」

 我らが友ダルタニエン・サングリエの療養と、長らくの修行を受け入れていたのはゼムルウェス・アッカン・シュワルコフ公。当代ジガヴェスタ公夫妻との親しい関連、それはどこかしかだかで血縁があり、両家とも本家筋でないという点に由来する。すでにさりげなく聞き及んでいた。ゼムルウェス公も、ララウェスを姪っ子のようにかわいがっていて……。

「いつのまに!グリフォーンで来たの!?」

 私は城の図書に幻想を求めたものだが、鷲頭・獅子胴・有翼の幻獣グリフォーンは、今日も公国の空を舞う訳である。(昼すぎにはすでに到着しており、遠目にも我らがいるのを知ったという。こちらの一日の豪勢な食事内容を、彼は冗談で気にしたりした)長く見ぬ間もダルタニエンの、おなか周りは変わらない。けれどかねてより爽やかで精悍なにおいがするし、髪を野性味に刈り上げている。

「これってシュワルコフの野戦服!?すごくかっこういいじゃん!」

「ふたりは、あんがい、かわってないなぁ!」

「ジニーとおんなじこと言ってます!」

 助かった、と思うのは、我々の関係について、ダルタニエンはすでにうまく説明してくれていたことだ……(もう寝なくては。未明のうちに墓所の見学を所望したのは私なので、夜更かしをフランが案じている)


【邸内に置き忘れられたゼンの日記】




 —




 ここからは、少年の記録物の参照から離れて、別なひとりの騎士の肩を借りよう。

 水鏡騎士団長ファル・ミン――融通の利かない男である。すくなくとも城外ではそうみなされている。

 “星へと至る丘”のふもとの一大豪族にはじまるミン家は、五代前からジガヴェスタ公家の忠臣であった。ファル・ミンもまた伏水の路を漏れず、その生涯の大半を先代公ナタニフ=フェンレイ・ジガヴェスタにささげてきた。

 ファル・ミンには、三人の息子がいた。ひとりは戦場で華々しく散った。ひとりは膿み傷が災いし、戦勝の帰路もなかばで倒れた。ひとりはもはや剣の振れない戦傷を苦にして都市運(ラ・プルモ)河に沈んだ。みな若くして立派な騎士であった。

 ファル・ミンは妻も亡くしている。三度目の産褥が悪かった。後妻をとるそぶりはなかった。

 彼は必要なだけ口をひらくが、みずからのことをべらべらと語りたがる質ではなかった。ひとりの彼はますます語らなくなった。今や直属の配下でさえほとんどの人が、ファル・ミンの心の奥処を知らない。

 ただ彼は、実直な武人気質であり続ける。

 ただ彼は、上等な席を勧められたおりには、決まって伝統的な礼儀作法で鞘をきれいに立てかける。

 ただ彼は、約束を守る男である。

 城中ではそうみなされていた。


 ファル・ミンは、ゼンたちのいあわせる、祝祭前夜の晩餐の席を、彼らしい不愛想さでそそくさと去った。

 続く出来事になる。

 夜が降りている。彼は生真面目な早足で、銀門を抜け、二つの城壁をくぐる。近年急速に鮮烈になった都市の光と影にあてられながら、城をいただく丘をくだりきり、広場を抜け、入り組んだ細い路地をとめどなく縫って、約束の場所へとたどりついた。

 今宵、招かれた「合議」とやらに、ファル・ミンは重大な気がかりがある。その開催日、時そして場所は、人目にふれぬよう蝋板の蝋の下に彫りつけられていた。別々の夜に、寮の寝室へ運び込まれるそれらを、ファル・ミンがくまなく手ずから片づける性分だと、知っている人物の仕業であった。

「恐れながら閣下、メリオン公登極の合法性については結論が出ております」

 約束のところ、暗中にみた暗赤色のローブの相手に、ファル・ミンは早々と告げた。その裾の切れ端でも手にできれば、昨今の技術革新で職を失った家族も、路頭に迷わず済むような代物だ。

「方々を向いてゆく手さだまらぬ、『民意』とやらで?」

 ファル・ミンの、予想そのままの迎え方、じきじきにあらわれたヴァーレムナルト・イヒシズリンはひとりきり、路地からひとつの怪しい扉を目ですすめる。身じろぎせぬ態度で、ファル・ミンはいっとき拒んだ。

「既に申しあげた通りです」

「せっかくだ、開けてみなければわからない」

 これははからいごとである。

 先にある、”船入り座”の半地下を間借りした、舟漕ぎのための休憩室が、健全な合議場であるとは考え難い。

 肘を伸ばせば届く天井に、ほのかなあかりが随所で灯っていた。目に残像のこべりつく、城庭の強力な照明とはちがった。

 解体された元老院のお歴々が、十数人から席に立ち座り集っている。これで多いか少ないか、ファル・ミンはいまいち判断つかない。埃が湿気ている。

「なぜ私なのです」

「もうすぐ、という相対的な言葉で場を濁すのが……君の嫌うところであるからだ」ヴァーレムナルトの撫でつけた白髪は豊かで、老いた額はよく秀でている。

「君が向けと命じた方を、君の配下は疑わずに向く」

「私に左様な価値はありません」

「しかし君は来た。その哀れな道化の衣装ままで」

「それは……」

 先代公に長らく仕えて、ファル・ミンにもわかることがある。ヴァーレムナルト・イヒシズリンは、最大にして最後のジガヴェスタ併合領イヒシズリンの盟主。旧来のジガヴェスタ貴族層に対して、無視しがたい求心力を当代になって有している。個人としては、目的の実現のために労力を厭わない実務家で、なによりも無駄話を嫌う人物である――そのヴァーレムナルトが言った。

「そうとも。かのお方こそ、君と私を握手させるカギを握っている」

 ファル・ミンとはかつて、右腕と左腕の仲であった。おなじ主に仕えながら、かたや剣、かたや本とで、けして握り合うことのない手と手。首の置き換わる今でこそ、泥の中をまさぐっても確かめる義務がまた、ファル・ミンにはあった。

 奥の闇から、彼女は招かれる。

「ケネスサンドラ様……!」

「ファル!」

「ほんとうに……!ご無事を案じておりました……」

 ファル・ミンは、彼女を前に膝をついた。主に対する作法であった。


 ときに、或る少年少女の”卒業”の日、ところを変えておこった”迷宮監獄”の陥落について、あなたは覚えているだろうか。”悪心の呼び声”にて実行された、”使徒”の生け捕りは歴史的に稀少なことで、三名ともなれば増して類を見ない。結末としての全員脱走は、やはり意表のまた意表をついたものであり、政治の上層世界で共有されながら、深刻に受け止められていた。

 内通者がいる。

 消息不明の“柊の騎士”の言伝であり、上層世界の見解にあたる。

 出来事の生存者による断片的な証言、看過できぬ歴史的一大事態――そしてその特殊でねじれた今昔の立場、さまざまな偶然は、彼女をあだなした。

「私はもはや騎士さえ名乗れない、凋落したアクエリナの女。コマンダ・ミン、あなたに傅かれるいわれはないのですよ」

 ケネスサンドラ・アクエリナ・ジガヴェスタには、敵前逃亡、重要施設破壊工作、脱走・悪心幇助などの嫌疑から、都市警察による秘密手配がかけられている。

「わかっている、むずかしい決断だ。迷っておられるものも多かった」

 ヴァーレムナルトが代わったのだ。先代公との約束を。本来ファル・ミンが後ろ盾すべき人物の保護を。

「しかしこの場をご覧の通り、ケネスサンドラ様がおわすことで決意を固めた者は多い」ヴァーレムナルトの口ぶりは、陰謀だ、と告げている。正統な公家の血を、邪険とするなら誰なのか。「それでもまだ迷いがあるというなら……」

「待ってください、ヴァーレムナルト」ケネスサンドラは身をやつしていても、声に覚悟の色がみえる。「窮地をかばってくれたあなたの恩義に報いて、ここへやって来た。けれど、だからこそ改めて、私の意志を諸氏へ直接に告げておきたい」

 彼女はファル・ミンと同じ方を向き、部屋中に言った。

「私はジガヴェスタ公位の継承をのぞんでいない」

「そんなあなたは無実でもあられる」ヴァーレムナルトは隙を見逃さない。「実に困った。かかる罪がおおやけになれば、民衆は何をどう受け止めるべきでしょう」

 ケネスサンドラは言葉に詰まった――気丈に振舞ってはおられるが――ファル・ミンは思っている。今の彼女に実際的な政治力はない。そもそもこうしたやりとり(まつりごと)を不得意とするから、騎士位専念を宣誓したのに。

 ふたり身を寄せあったところで、集う視線は密談を許さなかった。ヴァーレムナルトが手燭の薄暗闇でほほ笑んだ。

「是非ともお知らせいたしましょう、どちらが正しい方角なのか――」

「待ちくたびれたよ、ヴァーレムナルト」

 反対側の闇から響く、繊細そうな青年の声に、お歴々が、おやと振り向いた。

「は、なにとぞご容赦を……」

 ヴァーレムナルトのこうべを、すなおに垂れさすのは誰か。ひとりが、あっ、と声をあげるのを契機に、ぞくぞくと席を立ち上がり、道をゆずって後ずさる。誰で何者かさだかでないうちにも、彼らが口端に漏らす声は、きまって同じ名前を指した。

「ジョフレイ様……?」

「ジョフレイ様……!」

 まもなく半地下を満たす熱狂は、ファル・ミンに川向いの態度をもたらした――目にしているのが真実であれば、この場で自分は喜ぶべき立場だ。しかしとっさに気にかけるのは、同じ側にいるケネスサンドラ。みはっている彼女の大きな青い目は、驚きばかりを湛えるものなのか。

「姉さま!」

 ジョフレイのために歓声はやんだ。だっとケネスサンドラの胸に飛び込む。

「ジョフレイ……」

「ああそのお声、本物だ!たいへんお寂しゅうございました!」

 姉に捧げる抱擁としては、ほとばしる息が熱い。

 いかにして受け止めるべきなのか。ケネスサンドラは目をそらした。ヴァーレムナルトに向けている。

「どうして先に伝えない……!」

「お許しを、何分わたしは持ち時間の少ない老人ゆえ」

 じっと動かなくなったジョフレイを、ファル・ミンもまじまじと見た――若い。金色の目に金色の髪の王子。()()()のままの、ナタニフ=ジョフレイ・アクエリナ・ジガヴェスタ。

「わかったでしょう、コマンダ・ミン。ダンコヨーテの内輪もめとはわけが違うのですよ」ヴァーレムナルトは義理立てが済んだといわんばかり。「恐れながらジョフレイ様、現在の都市警察がケネスサンドラ様をみつけたならば、容赦なく白刃で打ちかかることでしょう」

「許せないな」ジョフレイはようやく姉から一歩離れて、あたりを見渡した。「どこの家名であった?」

「エルドレイン、そしてトゥエインになります」

「うん、歴史から消そう。一族郎党だ」

 美青年らしからぬ眼光でそれは、ぎょろ、とあなたの方を見る。

「聞いているよ、ファル・ミン。お前が力になってくれると。共に戦うのはこれが初めてじゃない。ペルシたちのことはまこと気の毒だった……」

 たしかに、こうしたわざとらしい感傷をためらわない人物ではあった。ヴァーレムナルトの演説に利用される。

「貴殿の熱誠は疑いようもない。よくぞいさぎよく耐えてきた!」

 もはやファル・ミンに背を向けて、ヴァーレムナルトは腕をかきひらいた。

「我々が永年信じてきた(のり)と正義とは死んでしまった。当代公は儚い理想をおうむのようにくりかえし、あるべき明日を見向きもしない。享楽におぼれたこのままの統治を許せば、罪人という罪人、狂人という狂人が、色の広場を闊歩する夜も近い!」

 計算された素早さで、ヴァーレムナルトは顧みる。

「”春雪の蠢き”が再現してからでは遅いのです……!」

 握った拳を力強く震わせている。手を取る間もなく、また背を向ける。

「剣も執れない金ぴかのかかしのどこが怖いか。来たる旗日こそ、アクエリナの汚名を濯ぐにはふさわしい!」

 拍手喝采。

「姉さまは御身をひそめてお待ちください。どうかしばしのご辛抱です」

 両腕を抱かれたケネスサンドラは、いまだにうまく声が出ない。ファル・ミンだけは依然同じ側にいた。視線から意志でもくみとったように、ジョフレイは説明に関心をさいた。微笑している。

「牢番への賄賂(まいない)は高くついたよ」

 色めきたつのはお歴々だ。

「おお、ではやはり……!」

 とある風説があった――”春雪の蠢き”にて消息不明となったアクエリナ・ジガヴェスタの王子は、実際のところ、都市の地下墳墓に幽閉されている。

 何者の、如何なる意志によるものなのか?

 なんだってかまわないのである。然る人物は公然の秘密として、ケネスサンドラの異母弟にあたるのだから、解釈の余地は幅広かった。

 お歴々はさらに追従した。

「これで不覚はありえませんな」

「ああ、ナタニフ卿さえおられるのであれば……」

 そのときだ、ファル・ミンでさえ身がこわばった。すぐにでも鞘を按じたい。


「姉さまは不要とでも申すか」 


 ジョフレイの放つ異様な力に、半地下の空気は軋んだ。

 これだ――”刹那”にファル・ミンは実感を取り戻している――武人として稀有なまで優れ、一定の層に対する人心掌握に長け、王子としてふるまうことを得意とする、ナタニフ=ジョフレイ・アクエリナ・ジガヴェスタの問題点。

 先代公ナタニフ=フェンレイは何を懸念して、みずから命を絶ったのか。事後とくに何からケネスサンドラを守れと、ファル・ミンはあの日命ぜられたのであったか。

「不遜な口ぶりを疾く改めよ」

 幾度殺そうとしても、それは()()()()()――猛毒を盛られても、礫に押しつぶされても、雪融けの大河の激流にながされようとも。それまでは、あたかもよみがえったよう、見えていただけかもしれないが――ついにきた“春雪の蠢き”の騒動に乗じて、ナタニフ=ジョフレイは間違いなく死んだ。

 美しい貴公子の心臓は、先代公フェンレイの刃によって貫かれた。

 ファル・ミンはすべて覚えている。

 ケネスサンドラの腕に抱かれながら、おびただしい鮮血の華を雪に咲かせ、義姉の血濡れた頬にもうっとりと、たえだえになった白い息を、どうにかあびせかけながら、はたのわずらわしい物事に、最後の最後までまるで関心をよせない、ナタニフ=ジョフレイ・ジガヴェスタ。

 それまでに、ファル・ミンの三男は首をはねられた。次男は毒の刃をやり返された。長男ペルシは右手と左腕をとられた。

 ペルシが運河に沈んだのは、誇りの喪失を苦にしたからではない。枕もとにあらわれる怨霊に、戦後もうなされ続けたからだ。

 すべてファル・ミンは覚えている。

 ケネスサンドラとて忘れまい。

 だがしかし、記述の仕方を変えてみると、ナタニフ=ジョフレイの死にざまは、この星でいまや、たったふたりにだけ記憶されている。


 半地下の、圧倒的な静寂のなかで、ファル・ミンはそれまで、何かの劇芝居を見ている気がしていた。演出される、正統な後継者たちの帰還。

 当事者意識を取り戻した今、それの背を見つめてはならない。不思議と、視線から心を読み取る怪物であった。だからファル・ミンは、ケネスサンドラと横目で意識をくばりあいながら、剣柄に手を忍び寄らせている。お歴々の「失言」に今ばかり気を取られているジョフレイは、若干十七のときすでに、騎士七人がかりでようやくの天才剣士。本性を枷していた先代公は後を追うよう亡くなった。暴力性を真っ向から御せた“柊の騎士”も、近頃とうとつに姿をくらました。ファル・ミンは察している。

 次は己の番かもしらぬ。

 どれもこれもが呪いとすれば、せめて明かしてから倒れるべきだ、それがいま有する血潮の色を。

 尚早な抜剣は意外にも、ファル・ミンの立場を悪くしなかった。


 堅牢な木床がぶち破られて、ふりそそぐ血の色は赤だ。床下に潜んでいた、何者かをつらぬく槍は三叉。遺体は高くかかげられ、黒い塊となっている。ゆらりゆれ、どしゃ、とほうられた。仕留め手は同じく地下に潜んでおり、暗い穴からすばやく跳びだした。

「"開けてびっ(サプライズ)くり"だ」 

 顔はなかば頭巾のかげにある。なのに人目を惹く鼻づらをした、見るもいとわしい小男だ。ぼろの裾から二、三匹のネズミがちょろちょろ這いだして、部屋の黒い隅へと融けた。

「案ずることはない、私の護衛だ」

 ジョフレイの声はふっと明るい。悲鳴とともに腰を抜かしきったお歴々でなく、ケネスサンドラをかばうかたちの、ファル・ミンにだけ指向している。

「ちょうどここのマテウが、誰もやりたがらない大役を買って出てくれた」

 大役。まさにするように、メリオン公の手のものであろう間者の遺体を、部屋の塵落とし口へ無造作に投げ込むことではあるまい。つっかえるのを、マテウは石突きで押し込んだ。滑り落ちてゆく音に、ジョフレイは少しだけ関心をよせている。

「かかる問題の解決を……」

「問題……?」

 催促するようひらいたファル・ミンの口を、ジョフレイはむしろとがめない。「ああ」面と向かい、王子然と、淡々とした明朗さで告げた。 

「この(みやこ)の防衛機能を封ずる」


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