27話 人間の心は、とても難しい
上空に浮かんでいるボクとヒナギクさんは、施設の外からこっそり実験室内の様子をうかがっていました。
「お母さまの病気の治療薬となる成分を発見したゲンスケさんは──研究所から逃げたのです。その日の夜、すべてを持ち出して」
えっ。
逃げたって……。
もしかして、いやもしかしなくても。
悪いことなのでは?
「研究は行きづまっていて、他の誰にも見つけられなかった。治療薬の発見は奇跡だったのよ。きちんと成分を分析して、安全性と有効性を証明し、認可がおりればひとりだけじゃなくて多くの人々が助かる。それなのに、源介さん。あなたは成果を自分だけのものにしようとした」
アララギさんは焦げた白衣を手で払って立ちあがり、続けて言いました。
「もちろん、すぐに取り戻して私たちはあなたを追放したわけだけれど。この研究所……いいえ、製薬学会から、永遠にね」
ふむむ、なるほどです。
ドクターの過去がちょっとわかってきましたよ。
アララギさんの証言が本当だとすると、『研究成果を奪われた』というのは──つまり治療薬をひとりじめしようとした結果だったんですね。
そして施設を追われ、発明家に転身したと。
「私が見つけた……私の発明した薬だ。他人に渡さねばならん道理はないはずだ……」
ドクターはさっきと同じように言い返していますが、声に力がありません。
「今すぐに使えれば助けられるなんて、誰もが通る道よ。それなのにあなたは耐えなかった。あのとき私は同じ研究者として、あなたを心底軽蔑したわ」
アララギさん、嫌な女イメージが先行して勝手に悪役扱いしていましたが、あまり悪くなくないですか。むしろ常識的っていうか。
「治療薬の発見が5年前。私たちはあなたの薬をちゃんと有用に使ってる。今、患者を使った治験の段階よ。ここさえクリアできれば、あと数年はかかるけれど新薬として承認がおりるわね」
薬を開発するのって、時間かかるんですねぇ……。
だから、お母さんのために急いで持ち出しちゃったんですね。
ボクは、ドクターの気持ちも理解できる気がします。
ダメなことだって知っていても、どうしてもお母さんの病気を治したかったんですよね。
残念ながら、その願いは叶わず、仲間や居場所も失ってしまって……。
「ヒナギクさん、ここまで知っていましたか」
「はい。すべて日記に書いてありましたから。ゲンスケさんがタブーを犯してしまったことも、彼に非があることも、すべて知りながらここにカチコミに来たんです。もう終わってしまったことですが、それでも薬を取り返せば喜んでもらえるのだと思っていました」
ヒナギクさんは、まっすぐにドクターを見つめていました。
「でも──そうじゃなかったようです。人間の心は、とても難しい。わたくしの情操機能は未熟です。ゲンスケさんが、彼がほんとうはどうしたかったのか、こうして姿を見るまで気づけませんでした」
本当は、どうしたかったか?
いったいどういう意味だろうとボクもドクターのほうを見てみると。
なんと、あのドクターが。
世界でいちばん意地っ張りなDr.ヒラガが──
アララギさんたち、かつての仲間に頭を下げているところでした。
「……すまなかったな」
ああ、そうか。
どうしてDr.ヒラガがここにやって来たのか、ボクもやっと理解しました。
昔のことを、謝りにきたんですね。ちゃんと正装までして。
「あら、やっと素直になれたのね」
「爆破したら気が済んだ」
そうだ、爆破は実行してた。一室吹っ飛んでました。ほんとうにすみません。
はた迷惑な気の済みかたですみません。
部屋が木っ端微塵にも関わらず研究員の皆さんが怪我ひとつなかったのは、ドクターにもアララギさんたちを傷つける意思はなかったんでしょう。
ある種の漢たちが拳でしか語れないのと同じように、ドクターは爆発でしか語れないんです。
「さっきの薬の成分と調合方法だ。完成品は破壊せずにはいられないが、これを渡すだけならば問題はない」
そう言って、一枚の紙をアララギさんに手渡しました。
彼女はそれを受け取って微笑みました。
「妻子ができたからかしら。あなた、少し変わったわ」
「妻子? いったいなんのこ──」
「まあそれはどうでもいいわ。あなたを呼び出したのは、新薬を手に入れたかったのもそうだけれど、ひとつ報告があったからよ。見せたいものがあるの。ついていらっしゃい、平賀博士」




