そして彼はいなくなった
小惑星が衝突したほどのクレーターを作り出したその怪物は、そのクレーターの中心で天に向かって吠えた。
もはや言葉は介さない。ただ獣としての存在が、そこにある。
「フゥ……フゥ……!」
クレーターの中に、もう一人、いやもう一匹怪物がいた。
それは岩の怪物だ。彼は右半身をだらりと下げながら、よろめいた身体で立っていた。
「〈逢魔ヶ時〉を、迎えたか……危なかった……も、もう少しで全身を持って行かれるところだった」
だらりと下がった右半身は、血に染まっている。
彼の腕を覆っていた分厚い岩は綺麗に削り取られ、素肌をさらけ出している。
「ふ!」
しかし奈良が腕に力を込めると、右腕の岩の鎧が再出してくる。
岩が右腕を覆うと、右腕は何事もなかったかのように動き出した。
奈良は自分の出す岩を自由に扱えるため、岩の鎧で動かない部分を強制的に動かせる。それ故片手が折れた程度では、動かす事に何の不自由もない。
「だが痛みは消えんな……」
あくまで応急処置だ。腕が怪我していることには変わりない。
奈良は体勢を整え、大駒へと視線を戻した。
「攻撃専攻型か……確かに君のその攻撃力は驚異的だが……互いに覚醒し、これでようやく互角になった。理性を失った君に私も遠慮はせん!」
初めて奈良の方からアクションを起こした。
両腕で地面を叩き、大駒へと突進する。
その接近に気付いた大駒は、その両腕で正面からそれを受け止める。ザザッ――と、受け止めた大駒の足が地面に埋まっていった。
「ウ、ガアアアアアッ!」
先ほどの逆のように、今度は大駒が奈良の身体を持ち上げた。そしてそのまま奈良の身体を鞭のように何度も何度も地面へと叩き付けた。
ようやく大駒が奈良を手放し、捨てるように投げた。
地面にボールのように転がった奈良。しかしそれは身を丸めて攻撃に耐えていただけで、即座に奈良は身体を元に戻して自分に背を向けた大駒へと殴りかかった。
ドシャ、と背中にヒットした攻撃に、大駒はそのまま前へと飛ばされ、クレーターの側面に衝突した。奈良は間を置かずに、そこに石つぶての砲撃を見舞った。
粉塵が舞い、場は静まりかえる。
これで殺せたか――と奈良が注意深く正面を見据えていると、視界が明瞭になったその時、そこには大駒の姿はなかった。
大駒が現われたのは、奈良の右側面からだった。おそらく地面に埋まった状態で、地面をクレーターの円周上に掘り進んできたのだろう。思いも寄らぬところから飛び出てきた大駒に、さすがの奈良も混乱する。
「なんという……力、だ……!」
飛びかかり掴まれた奈良はそのまま大駒に馬乗りにされるような状態で抑え込まれる。
しかも抑え込む大駒の腕は外れない。
マウントポジションのまま、大駒は両手を振りかざした。そして右、左、と交互に振り下ろし、奈良を殴りつけた。
ドウッ! ドウッ! ドウッ!
と、一度殴るたびに地面が揺れ、地面が凹んでいく。
「ウガァッ! ガァッ! ガァッ!」
殴りつける大駒からは、人の声は漏れてこない。
ただ闇雲に、目の前のものを破壊しようと叫ぶだけ。
ようやく大駒が手を止めた。目の前の動かなくなった物に興味を無くしたように立ち上がり、できた穴から這い出てクレーターを上っていく。
そしてもう一度、大駒は吠えた。
ぐるりと周囲を見渡す。大駒の目の間にあったのは、広大な撮影スタジオだ。体育館サイズほどの建物がずらりと並び、その他にも建築物や電波塔なども建っている。
大駒は一番近くにあった電波塔に目を付け、そちらへ歩み寄っていく。
ただ破壊するために。
その時、大駒が這い出た穴から、静かに何かが這い出てくる。奈良だ。全身をボロボロにして、しかし再度全身を新しい岩で覆い隠した。そして両手を前に差し出し、そこに一本の細い石槍を生成する。それは徐々に肥大していき、まるで攻城戦で相手の砦を貫くような巨大な岩槍へと変化する。
自分の身体よりも大きくなったその岩槍を、奈良は両手で持ち構え、そしてそれを目一杯踏ん張って溜め、大駒へ向かって投擲した。
その投擲する際の物音で敏感に気付いた大駒は振り返る。だが振り返った時には、それはもう避けられない距離にまで近づいていた。
当たる――そう思った瞬間、大駒はその向かってくる岩槍に向かって拳を振り抜いた。
勢いを持った巨大な柱のような岩槍と、大駒の拳が衝突する。
そして勝ったのは大駒だった。
大駒はそのまま拳を振り抜き、巨大な岩槍は粉砕する。
「まさ、か……」
そう奈良が状況を受け入れられずに唖然としていると、大駒はすぐに飛び散った岩槍の破片を手に掴み、それをピッチャーのように奈良へと投げた。
ズドン――と、音速のような速度で奈良にヒットし、そのまま彼は奥へと吹き飛ばされる。それ以上這い上がってくることはなかった。
しかしそれでも飽きることなく、大駒は顔を厳めしくしたまま、側の電波塔へと手を伸ばした。まるで猿のように電波塔を上まで上り、高圧電流の流れる電線を、ぶちぶちと引きちぎる。辺りの電気が一斉に消える。
「ウガァァァッッ!!」
何度でも吠える。
その怒りに魂を奪われた怪物は、ただ自身の衝動を発散するように、吠えまくる。
そのまま大駒は呆気なくその電波塔を壊して曲げて、倒壊させた。
ドスン、と地面に着地する。
さて次は何を怖そうか、とそう首を回した時だった。
バシャ――と、大駒の全身に水が浴びせられた。そしてその濡れた全身が、一気に凍り始めた。
「グ……!」
大駒はあっという間に首から下を全て氷に固められ、身動きをとれなくされる。
「……やはり、遅かったのね」
身動きが取れない大駒を確認し、暗闇から現われたのは宝華だった。
彼女は持っていたバケツを投げ捨てる。
そしてその鋭い目を、少し悲しみに染めて大駒を見ていた。
「貴方なら、もしかしたらって……そう思ったけれど」
悔しそうに首を振り、宝華はその手に一本の氷剣を生成する。
それは純水で創り出した硬い先ほどの物とは違い、空気中の水分から練りだした不純物の詰まった氷ではあるが、防御力に特化しているわけではない大駒の身体を貫くには、充分だろう。
「少し遅れたけれど、ここで私の任務を遂行する」
宝華は氷剣を握り直し、高く構えた。
「ごめん」
そしてそれを外に露出した大駒の顔に向かって、突き出した。
「ガアアアァァァァッッ!!」
ピキキ、と大駒を縛る氷に一気にヒビが入る。
そしてそれは大駒が筋肉に力を入れただけであっさりと破壊され、大駒は自分を突き刺そうとする宝華の腕を掴んだ。大駒の顔に突き刺さる直前で、刃は止まる。
しかし大駒はそのまま固まった。
何かを見定めるように、宝華をその獣の瞳でじっと見つめる。
美少女の瞳と、獣の瞳が、邂逅する。
「黄磊……大駒……? 貴方もしかして、まだ――」
だが宝華の僅かに湧いた希望は見事に打ち砕かれる。
大駒はそのまま宝華の右手を持って彼女の身体を振り上げた。華奢な宝華の身体は軽々と持ち上がる。
「くっ!」
叩き付けられる――そう悟った宝華は、左手に持っていた本で呪文を唱え、自分と地面との間に幾重もの氷の層を創り出した。
振り落とされる。宝華はその創り出した薄い氷のミルフィーユを次々にぶち破りながら、地面に叩き付けられた。
大駒は宝華が死んだと確信し、手を離した。
だが宝華はなんとか生きていた。幾重もの氷の層にぶち当たる事で衝撃を分散させ、地面に叩き付けられる際の衝撃を減らしたのだ。
だからといって無傷では済まない。宝華は立ち上がれないでいた。
だがその顔は大駒を睨み上げる。負けじと、自分を誇示するように。
しかし無残にも大駒は足を振り上げた。
容赦無く、足下のそれを、踏みつぶそうとする。
その時――
「だいく?」
小さな声が響いた。か弱い、少女の声だ。
大駒は足を止め、その声をした方を見る。
「どうして……ノラ、ちゃん……来ちゃ駄目って……けほっけほっ!」
そこにはノラが立っていた。
彼女はその無垢な瞳で大駒を見つめている。
「あ、だいく!」
ノラは怪物に成り果てた大駒を見て、しかし迷うことなく近づいてくる。
嬉しそうだ。保育園に迎えに来た母を見つけた子供のように。
「来ちゃ駄目ッ!」
宝華が叫ぶも、ノラは止まらない。
大好きな大駒に寄ろうと、駆けてくる。
「ウ、グガ……」
その時、近づいてくるノラから逃げるように、大駒は頭を抱えて身体を引いた。
何かを思い出しそうに、何かに抗うように、うめき声を上げる。
「フッ、ガアアアァッ!」
自分を苛む頭痛の原因を吹き飛ばそうと、大駒は再度振り上げた足をノラに向けた。
そしてノラが近づいてくるタイミングを合わせ、その足を振り下ろした。




