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火曜日

 

 目覚ましがなる。

 また悪夢のような1日がはじまる。

 月姫(るな)は布団の上で高いびきをかいていた。寝てる間は可愛いと思えるのだが……。

 月姫はうちに泊まるときは姉と義兄と三人で姉が結婚前に使っていた部屋に泊まる。

 昨日も姉の部屋に寝かせようとしたが、一人では寝られないと駄々をこねられたので、仕方なく私のベッドの側に月姫用の布団を用意した。布団を被せて、おやすみーと電気を消そうとすると、私のベッドに上ってジャンプをし始めたり、絵本を読めとせがんできたりと、なかなか寝る気配がなかった。子供の夜の支度がこんなに大変なものだったとは……。

 月姫が起きる前に一通り家事をすませてしまいたい。

 普段から母にかわって家事を行うこともあるため、何をどうすればいいのかは分かっていた。

 朝食は食パンでいいだろう。魚焼きグリルのなかに食パンを放り込む。

 うちにはトースターがないため、母はトースターを焼くときは魚焼きグリルを使っていた。魚嫌いの男(父である)がうちに一人いるため、このグリルで魚を焼いたことはない。

 食パンが焼けるのを待つ間、洗濯機を回してしまおう。洗面所に向かうと、2階から寝ぼけ眼の月姫が降りてきた。まだ夢の中にいるのか、何度もあくびをしている。

 ついでに月姫に顔を洗わせよう。

 月姫を適当な台に乗せて、水を出してやる。

 洗濯機に洗剤を入れようとしたが、洗剤入れにもう洗剤がないことに気付き、上の戸棚に備蓄してある詰め替え用の洗剤を背伸びして取り出した。


「花、なんか焦げ臭い」

「え」


 言われてみれば確かに焦げ臭い。しまった。グリルの食パンだ。

 詰め替え用の洗剤を一旦床の上に置き、急いでキッチンへ向かう。

 魚焼きグリルを開けると、食パンは見事なまでに反面真っ黒になっていた。

 包丁で焦げた部分を取り除けばなんとかなる。というレベルの問題ではない。

 さすがにこんな状態の食パンは食べられない。燃えるごみのゴミ箱に食パンを2枚勢いよくいれたとき、洗面所から恐ろしい音が響いた。

 恐る恐る洗面所を覗くと洗濯機が見たこともないような動きをしている。

 その前に置いていたはずの詰め替え洗剤はなく、かわりに月姫が呆然と洗濯機を見つめていた。

 急いで一時停止ボタンを押す。洗濯機の中は泡だらけだ。まさか……。


「月姫、ここに置いてあった洗剤どうしたの? 」


 私の問いに黙って洗濯機を指さす。指先でつまんで洗濯機の中を探っていると案の定、先ほど洗濯機の前に置いたはずの詰め替え洗剤の袋が浸かっていた。

 また月姫のいたずらだ……頭が痛い。


「なんでこんなことしたの!! 」


 月姫の顔を見下ろし叱りつける。月姫に怒っても、あまり効果はないだろうが怒らずにはいられない。なんで邪魔するんだ……。

 月姫の瞳に徐々に涙が溜まる。いつもの嘘泣きの前兆だ。気にして何ていられない。ひとまず、洗剤の袋は取り出し、もう一度スイッチを入れた。洗剤が多いくらいそんな問題ではないだろう……多分。

 そうだ。朝ご飯も用意しなくてはいけないんだった。


「月姫。私は今からコンビニに買い物いってくるから、絶対に余計なことしないでよ。リビングでテレビでも見て待ってて。分かった? 」


 涙をためてこくんと、一つ頷いたのを確認すると、私は近くのコンビニまで走った。




 コンビニから戻ってくると、月姫は言われた通り、リビングでソファーに座ってまっていた。一生懸命自分の髪を結わえようとしている。

 ツインテールの右と左の位置が昨日と同じくちぐはぐだ。


「貸してごらん」


 月姫の横に座り、ヘアゴムを取る。幼児特有のさらさらの髪が羨ましい。

 自分の髪で慣れているため、ツインテールなんてお手の物だ。ぱぱっとすませ、コンビニの袋からパンとジュースを取り出し、月姫に渡した。

 買ってきたのは月姫用にオレンジジュースとチョコレートのパン、私用にコーヒー牛乳とメロンパンだ。コーヒー牛乳は私の好物だったりする。だが、この家でコーヒー牛乳を好むのは私しかいないため、なかなか買ってもらえないのだ。買い食いするときしか飲めない貴重なコーヒー牛乳は大切に飲もう。


「るなもそれがいい」


 袋をびりびりに破って、チョコレートを口の周りにつけて手を伸ばす。よく見ると、手にもチョコレートがついているではないか。このまま掴まれると私までチョコレートまみれになってしまう。

 咄嗟に立ち上がり、月姫から距離をとった。


「月姫の、ちゃんとあるじゃん! 」

「やだやだ。るなもコーヒー牛乳のむ」


 またわがままが始まってしまった。だが、このコーヒー牛乳は私のもの。第一、幼稚園児にコーヒー牛乳を飲ませても大丈夫なのか……?

 一気にストローでコーヒー牛乳を吸い上げると、空の紙パックを机の上にどんと置く。


「これは私の、なの。ちゃんと月姫のジュースも買ってあげたんだから、そっち飲みなさい」


 顔を膨らませて足をドタバタさせる。相変わらず自分の望みは何でも叶うと思っているようだ。大きな溜息をつく。すると、洗濯完了の音が鳴ったため、私は洗面所へと向かった。

 洗濯機の中身を洗濯籠へと移動するとき、カランと乾いた音が洗濯機の中に響いた。

 ポケットの中に入っていたものが落ちたらしい。昨夜のお風呂は慌ただしかったため、見逃していたのだろう。

 拾い上げてみると、私の部屋にあるはずのおもちゃの指輪だった。

 犯人は月姫だろう。あの時取り上げて引き出しにしまったのを、私の隙をついて持っていたんだな。

 指にはめようとすると、小指にしか入らない。こんなおもちゃの指輪なんて、私が持つよりも月姫が持つほうがよっぽど良いのだろうが、月姫が勝手に持ち出そうとしたことが私は許せなかった。

 母や姉が帰ってきてから、そんな指輪くらいあげてしまえと言われても素直に渡せる気がしない。

 なんとか洗濯物を干し終えると、リビングのソファーにどかっと座った。朝から疲れた。


「はな、あそぼう」


 ソファーで一息ついていた私の静寂を壊してくる。何で子供は一緒に遊びたがるのだろう。一人でテレビでも見ていればいいのに。

 姉が置いていった月姫の遊び道具の入った袋のなかから、一冊の絵本を取り出す。


「この絵本を読むよ」


 私も小さい頃によく読んでいたものだった。懐かしくなり、手に取りパラパラとめくる。ふと開いたページには、赤色の指輪を持つ少年が描かれていた。

『少年は指輪に願い事をしました。すると、少年の望み通り力を手にすることができたのです。』

 今まで、いたずらばかりしていた少年は、自分は独りぼっちで友達がいないことに気づいた。ある日出会った怪しい物売りのおじいさんからもらった指輪に仲間がほしいと願った。すると、目の前に少年を仲間にしてくれる悪者が現れた。少年は悪者と本当に悪いことをしているうちに、これは友達いえるのだろうかと悩んだ。少年は指輪を捨てて、悪者を倒すと、それを見ていた周りの人たちが少年の友達になってくれました。魔法の指輪は最後に少年の望みを叶えました。確かこんなストーリーだったと思う。

 月姫はキラキラとした瞳で私の開いたページを見つめていた。


「これ、はなの持ってた指輪だよね? 」


 指差したのは少年の持っている指輪だ。確かに色といい形といいよく似ている。

 ポケットから取り出して見比べてみると、驚いたことに瓜二つだった。


「それ! るなのポケットに入ってたのに! なんではなが持ってるの? 」


 目を真ん丸にして驚く月姫に、いたずら心が出てしまった。


「それはね、この指輪が魔法の指輪だからだよ。本当の持ち主は私だから私のところに帰ってきたの」


 喋りながら冗談のくだらなさに吹き出してしまいそうだったが、なんとか言い終えることができた。

 月姫はさらに驚いた顔をして私の顔をのぞきこむ。

 騙されてるのがおかしくてにやけてしまいそうだが、がんばって我慢しよう。


「やっぱり魔法の指輪なんだ……。ちょうだい! 」

「だ、め! 」


 先ほどのコーヒー牛乳のこともあり、つい意地になってしまった。




 お昼前、月姫は何も映っていないテレビの前に陣取り、髪の毛をいじっていた。朝、私がせっかく結ってあげたツインテールを外してしまっている。暴れて取れてしまったのだろう。

 もう一度結ぶのも面倒なので、こちらから話しかけるのはやめにした。

 あーあ。また、左右のバランスがあべこべなツインテールの出来上がりだ。


「ちょっと、月姫。せっかく結んであげたのに、取れちゃったの? 」


 もたもたしている動作に耐えかねて、つい言葉をはさんでしまった。


「自分でやるの」


 口を膨らませて、一心不乱にがんばる姿は少々応援したい気持ちになる。月姫の手からヘアゴムをとり、すぐ後ろに座った。


「また、結んであげるよ」

「自分でできるもん! 」


 右手に持っていたヘアゴムは奪いとられ、月姫はリビング隣の和室に駆けていった。

 せっかくもう一度結んでやろうと思ったのに。こっちが口を膨らませたくなる。

 口が膨らむと、お腹がへこむ。腹の虫が鳴った。そろそろお昼にしよう。

 昼御飯は出前でいいか。

 ピザのデリバリーのチラシをリビングの机の上に置いた。

 半分ずつ好きな味のピザにしよう。1つはチーズ好きの私には堪らないエクストラチーズ。もう1つは月姫の好きなものにしてやるか。


「月姫」


 不貞腐れてた月姫の名前を呼ぶ。私に指輪を取り上げられたのがよっぽど悔しかったらしい。

 器用にずりばいでふすまから顔を出した月姫に向かって聞いた。


「お昼ご飯、ピザ注文するけどどれがいい? 」

「ちゅうもんって? 」

「電話かけてピザくださーいっていうと、出来立てを持ってきてくれるの」

「はなは作らないの? 」


 予想外の答えだった。

 普段は母が作っているのをたまに手伝う程度、下味がついているものを焼いたり煮込んだりするくらいならできるが一から作るとなると……。


「作らない」

「ママはいつも作ってくれる」

「私は月姫のママじゃないし」

「いじわる」


 顔を膨らませる月姫に近づき、チラシを目の前に置く。


「ともかく、私は作らないから。どれにするか選びなさい」


 最初は口をとがらせてチラシを眺めていたが、次第にピザのチラシに興味を持ち始めたようで凝視している。


「月姫、これ初めて食べる」


 意外だ。姉も家にいたときは私と同じでたまに手伝うくらいしかしなかったから、てっきりデリバリーピザなんてよく食べてると思っていた。


「どれがいい? 」

「どれがいいかわかんない」

「さっさと決めなよ」


 ピザのチラシは写真も多くのっているため、文字が読めなくてもどんなピザなのかは多少分かるだろう。


「これ、赤いのがある」


 月姫が指さしたのは赤いプチトマトがいくつも乗ったピザだ。ピザ屋の電話番号を押し、私の選んだチーズのピザと月姫のトマトのピザを注文した。




「るな、これ食べられない。トマトきらい」

「はあ? 」


 届いたピザを見た月姫の言葉に絶句した。自分でこのピザがいいと選んだのではないか。


「だって、赤い色がかわいかったんだもん。指輪みたいだったんだもん」

「ちゃんとトマトピザって書いてあったじゃん」


 強い口調でいうと、月姫の瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。と、部屋中に響くような大声で泣きわめきだした。


「わかったよ。じゃあ私がトマトのほう食べるから、月姫はチーズのほう食べな」

「やだ~」

「じゃあトマトのほう食べるの? 」

「やだ~」


 どうしろというのだ。

 よく見ると、涙が流れたのは最初だけで今はまったく涙が流れていない。また嘘泣きだ。

 このままでは私もピザを口にすることができない。仕方がない。いったん泣き止むのを待っていよう。

 スマホを取り出してソーシャルゲームをやっていると、徐々に声のボリュームが小さくなっていく。さすがに泣かせっぱなしはかわいそうに感じたため、ティッシュを渡してやると、叩き落とされてしまった。本当にどうしてあげたらいいのかわからない。お腹が限界だ。

 嫌いだといっていたトマトピザなら先に食べても問題ないだろうと思い、一切れ齧る。母がいるときは滅多にピザなんて注文できないため、久々のピザが非常においしく感じた。プチトマトとベーコンがよくあっている。思わず顔がにやける。

 視線を感じる。犯人は月姫あろう。私がピザを食べているのをこっそりと見つめている。

 少し食べづらいが気にしてはいられない。私はお腹がすいているのだ。

 すると、月姫はこっそりとプチトマトのピザへ手を伸ばした。

 恐る恐る口にする。最初は眉を寄せて目を閉じ、苦虫を食べたような顔をしていたが、徐々に穏やかな顔になり、二口目、三口目と続いていった。


「トマト……美味しい」


 全部食べ終わりぽつりと呟く月姫に、私はにっこりと笑顔をみせた。




 夜、月姫を私の部屋で寝かしつけると、電話が鳴った。主は姉だ。

 ひどく疲れた声がきこえた。


『ごめんねー。全然連絡できなくて……。昼休憩もろくにとれなくてさ……』

「それは良いけどさ。いつ帰ってこれそうなの? 」

『ああ、それは予定通り。金曜日には帰れるので心配なく……さっき母さんからのメールみたけど、一人で頑張ってるんだって? 』

「二人っきりで大変だったんだから……家の中で台風が起きたみたい」

『あはは。でも月姫も大分大人しくなったから、楽だったんじゃない? お手伝いとかもできるようになってたでしょ? うちでは洗濯機係に任命しているくらいなんだから』

「お手伝いって……邪魔されたようにしか感じなかったよ」

『それは感じかたの問題。自分のことを棚にあげてるようだけど、あんただって相当だったんだから』


 姉の言ったことにいまいち納得ができなかった。記憶が曖昧なところがあるが、私は月姫のようにわがままをいったり、大人の邪魔をしたりしたことなどないはずだ。


『確か今くらいの時期じゃなかったかなー? 母さんのお手伝いするんだー。て、はしゃいで、庭の花に水あげようとしたら部屋の中まで濡らしたり、お風呂掃除して風呂場を泡だらけにしたり……。はたから見れば邪魔してるようにしか見えなかったわー』


 姉の笑い声が耳に刺さる。全く記憶にないことだった。


「でも、それは邪魔してるんじゃなくて……手伝おうとしているだけだし……。」

『月姫だって同じだよ。何をやらかしたかは知らないけど、邪魔するつもりはなかったんじゃない? 』


 今日の月姫の行動を思い出す。洗濯機に洗剤を入れていた。袋を破くというのはできなかったようだが、スイッチを入れることはできていた。あれは月姫なりのお手伝いのつもりだったのだろう。


「でも、朝だって、私のコーヒー牛乳取ろうとしたんだから……。」

『月姫の分、用意しなかったの? 』

「月姫にはオレンジジュース用意したし……」


 電話口の向こうで姉が大きく溜息をついているのが分かった。


『そりゃあさあ、人が飲んでるものは欲しくなっちゃうって……。あんただって経験あるでしょ? 』


 痛いところをつかれた気がして返す言葉が見つからない。


『それに、月姫はあんたと同じでコーヒー牛乳大好きだし。その代わり旦那に似てプチトマトは大の苦手なんだけどね』


 声を上げて笑う姉にお昼ご飯でのことを伝えてみた。


『うっそ……月姫、プチトマト……食べれたの? 信じられない…』


 感銘を受けている姉の顔が目に浮かぶ。声も少し震えているように聞こえるが、自分の子供が嫌いな野菜を食べたことがそんなに嬉しいことなのだろうか。何度も私にお礼を言うので、そんなにお礼を言うならとっとと帰ってきてくれと懇願しておいた。


『それは無理かな……。月姫の成長を目の前で見ることができないのは残念だけど……。悪いけど花、あともう少しお願いね』


 姉が大きな欠伸をした。明日も朝から仕事のようだ。電話を切ると、私も自室のベッドへ潜る。月姫は絵本を広げた状態で眠りこけていた。夏とはいえ、クーラーの効いた部屋でタオルケットをかぶっていないと風邪をひいてしまう。お腹を出した月姫にタオルケットをかけると、私も眠りについた。




メゾン文庫大賞へ応募しています。

よろしくお願いします。

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