76 開き直ると大抵のことは出来る-2
「……」
「……」
いざ話す、となると緊張してしまい二人の間に沈黙が降りる。
「えっと……」
先にその沈黙を破ったのは如奈であった。
「あの、一昨日、私が泣いてしまったことなんだけどね」
「……ああ」
ぽつりぽつりと紡がれる言葉を、睦人は真剣に聞き入った。
「最近、睦人に何か訊くと、何でもない、大丈夫、っていう返事が増えたように思ってね、その、もちろん睦人だって話しにくいことがあったり、その、、本当に大丈夫だっていうときもあることはわかるの……なんだけどね」
如奈の言葉を聴きながら睦人は自身の発言を振り返る。確かに、如奈に何か訊かれたときにそういった返事をした覚えが多分にあった。
「でもね、それが何だか寂しくなっちゃって、寂しいが、こう、大きくなっちゃって。だから、えっと、自覚したら涙が出てしまって……ごめんなさい」
「如奈……」
下を向き謝る如奈を見て、睦人の心中に鋭い痛みが走る。それと同時に、自身の不甲斐なさが重くのしかかった。
「……すまない、今気が付いても遅いが、俺は如奈に寂しい思いをさせていたんだな。その、如奈を蔑ろにしようとは思ってなかったんだが……いや、でも俺の配慮が足りなかったのは確かだ。本当に、すまない」
睦人は、如奈が泣いたときのことを振り返り、やっと自身の言動を思い出した。
―――ああ、俺は何をしていたんだ。
後の祭りだが、睦人は不注意や配慮の足りなさから如奈を悲しませたことに、後悔とそれ以上の自分への怒りを覚えた。
疲れた寝起きの状態で、流血している睦人に驚き、心配をしたら拒否されて。それまでに寂しさを溜めてしまっていた如奈に、その言葉はどれだけ突き刺さったか。どれだけ心を苛んだか。
睦人の言葉に如奈は顔を上げ、緩く頭を横に振った。
「ううん、謝らないで。結局、私も自分が泣いた理由をすぐに言えなかったから。その、睦人を責めるつもりもないの」
「……」
あくまでも、如奈が話したかったのは自身が泣いた理由であり、睦人を責める思いは微塵もない。そこにあるのは、何も言わないで泣くだけなのは良くないだろう、という思いであった。
「如奈、話してくれてありがとう。……その、俺の話も、していいだろうか ?」
睦人は、如奈にとって優しく聞こえるようにと、できるだけ柔らかい声音で伺いたてた。
「……うん。睦人の話、聴きたい」
普段よりも小さな音で発せられた言葉は、普段よりも離れて話している睦人にもしっかりと届いた。
「そうか……ありがとう」
如奈が聴く意思を示しても、睦人は一瞬の躊躇を見せる。一呼吸おいて、ようやく睦人は口を開いた。
「如奈に、俺からの返事がそっけないことを寂しく思わせてしまったが、俺は、如奈に言えないことがあって。その、後ろめたいことだから、言い出せないんだ」
「……」
睦人の話に、如奈は黙って耳を傾ける。
「だけど、如奈に会いたいのも本当で。なのに、訊かれたら答えられなくて。……不甲斐なくてすまない。言い訳だが、正直俺自身もそれに困惑しているんだ」
「睦人……」
要領を得ない曖昧な言い方であるが、これでも睦人は必死に説明している。
如奈に真実が伝わらないように、でも、自身の心情は正直に伝わるように。
「それは、私にも関係しているの ?」
「……ああ」
間をおいて、睦人は小さく頷く。
「そう……」
睦人の話をどう思ったのか。如奈は一言漏らし沈黙する。
睦人の背に嫌な汗が浮かぶ。睦人は伝えたいことを伝えたつもりだが、同時に話したくないことは全く話していない。
話してくれないのを寂しいと言った相手に対し、適切な対応ではないことくらい、睦人は十二分にわかっていた。
「睦人」
「あ、ああ」
如奈の声が、ぴんと張った空気を揺らす。
「……話してくれて、ありがとう」
如奈の口から出たのは、曖昧な話への不満でも、後ろめたさへの抗議でも、不適当な対応への苦情でもなく、話したことへの礼の言葉であった。
「あのね……私、睦人のお話を、もっと詳しく知りたいな、って思ってしまうけどね。えっと、でも、今のが、睦人がたくさん考えて話してくれたことだっていうのも、その、ちゃんとわかってるから。大丈夫よ ?」
睦人の話が情報不足なことを如奈は分かっている。分かったうえで、それでも話してくれた睦人への礼を口にしたのだった。
「でもね、私が関わってるなら、その、いつかは話してほしいな」
「如奈……」
「私、今度は泣かないで待つから。睦人が、ちゃんと話してくれるまで、待ってるから」
「……すまない」
睦人は、謝罪の言葉を述べるしかできなかった。
「ううん。睦人は、大切な幼馴染だから、その、何かあっても、会いたいって思ってくれてうれしいの」
「……そう、か」
「うん、話せなくても、傍にいてほしいの」
言葉の衝撃が大きすぎて、睦人は素っ気ない返事しかできなかった。
自分が会いたいと思うことを、相手が喜んでくれることが、嬉しいと。自分が傍にいることを、相手に望まれることを、ただ嬉しいと思うしか睦人はできなかった。
「如奈。俺、いつかちゃんと話すから」
「ええ、待ってるわ」
何とか絞り出された言葉を受け、如奈もしっかりと返す。その言葉に、睦人は救われたような気持になった。
そして、如奈はふと、何かを思い出したように目を輝かせた。
「そうだ、えっと、睦人が話せるようになったら、その時は私の木登りも見てほしいの」
「木登り ?」
「ええ。私、その、また上手くなったのよ !」
幼子がするように如奈は自身の頑張りを睦人に示す。それが妙に似合っていて、睦人は思わず笑みを浮かべた。
「ああ、わかった。楽しみにしてる」
睦人の返事に満足してか、如奈は笑みを浮かべた。
「ちゃんと片手で登ってみせるから」
「……あまり無理はするなよ」
それを綺麗だと思うと同時に、睦人はずきりと胸が痛んだ。
―――わかっていた。
弥の家で浮かんだ考えが、再び睦人の胸に浮かんでくる。
―――如奈は、自分を待つと答えてくれることを。
―――離れないで、会ってくれるということを。
―――わかっていて、俺はあんな言い方をできたんだ。
如奈が睦人をそう思うように、睦人もまた如奈を大切な幼馴染だと思っている。
大切で、誰よりもそばで見てきたからこそ、睦人はわかっていた。
自身が理不尽な話し方をしても、如奈がそれを受け止め、睦人を拒絶しないとわかっていた。わかったうえで、不誠実さを自覚しながらも実行に移したのだった。
―――卑怯だな、俺は。
自嘲が睦人の胸を打つ。
「睦人、えっと、明日は学校で会える ?」
それでも、目前の如奈の笑みが、今の睦人には何よりも大切であった。
「ああ、もちろんだ」
「そう……ふふ、良かった」
笑みを交わすと、二人は普段話すときのように距離を詰めた。
―――…………っ。
不意に、睦人の脳裏を赤い肢体がよぎる。
「安心したら、お腹がすいちゃったみたい。帰りましょう ?」
「……ああ」
唾を嚥下する音が妙に大きく聞こえた。




