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ドリンクB  作者: マコ(黒豆大福)
プロローグ
40/78

40 努力の報われ方はそれぞれ-2

 一部色の違う板に変わっている靴の棚。以前来た時と変わっている一輪挿し。新しい靴ベラ。


「……」


 全て、これまでに睦人が壊し、取り換えられたものだった。


「睦人、いらっしゃい」

「……ああ、うん」


 気にした様子もなく、如奈は睦人を歓迎する。睦人も返事をするものの、わざとではないが、壊した時のことが脳裏をよぎり僅かに表情が曇る。


 如奈が靴を脱いで上がり(がまち)にのぼると、睦人も倣って家に上がる。


(しかし、申し訳ないというか、何と言っていいか……)


 睦人が如奈の家に来るのは初めてではない。

 幼少より、家が近いために互いの家に行き来する仲であった。

 今よりも力の加減が出来なかった頃に睦人は様々なものを壊しているのだが、それでもこうして家に呼んでもらえている。


「あのね、今日睦人が来るって言ったらね、お母さんが、えっと睦人用にって何か買っていたの」

「俺用?」

「ええ。お母さん、喜んでもらえる自信がある、って昨日から楽しみにしていたわ」


 睦人は疑問符を浮かべるが、何のことだか全く予想が付かない。


「あ、洗面所にタオル出してない……。ちょっと待ってね」

「ああ、悪いな」

 

 廊下の途中にある洗面所で睦人は手洗いうがいをし、如奈からタオルを借りる。


 そして、そう長くもない廊下を抜け、二人はリビングへと着いた。そこでは如奈の母親がソファに座っており、二人が入ってきたのを見て腰をあげる。


「宮古ちゃん、いらっしゃい」

「お邪魔します」


 挨拶を交わすと如奈の母親は、ふふふ、と笑みを浮かべた。


「外、暑かったでしょう?今お茶を淹れるから、ちょっと待っていてね」

「え、いや、おかまいなく……」

「そんな遠慮しないでいいのよー?それに、宮古ちゃんに見せたいものもあるのよー」


 言うが早いか、如奈の母親は台所へと姿を消す。


「お母さん、私も手伝うわ」

「大丈夫よー?如奈は宮古ちゃんとお話ししてなさい。お客様を一人にしちゃだめよー?」

「なるほど……」


 如奈がやんわりと台所から追われ、リビングに戻ってくる。


「睦人、ここ座って?」

「あ、ああ。失礼します……」


 遠慮がちにだが、如奈に促され睦人は食事テーブルに着席する。如奈もその横に座ると、ほどなくして如奈の母親が戻ってきた。手にはトレーを持ち、その上には冷えた麦茶の入ったコップが乗っている。


「はい、どうぞー」

「あ、すみません」

「ありがとう、お母さん」


 一人一人の前にコップが置かれる。

 如奈と如奈の母親のものは、普段から使っているのであろうマグカップである。しかし、睦人の前に置かれたコップは鈍色をしており、金属特有の光沢をもって輝いていた。


「……?」

「ふふふ。気が付いたわねー、宮古ちゃん!」


 ついコップを凝視してしまった睦人に、してやったり、と如奈の母親が言葉をかける。


「えっと……?」

「そのコップはね、なんとステンレスでできているのよー?」

「ステンレス?」


 思わず聞き返した睦人に、如奈の母親は得意満面に語り始める。


「宮古ちゃんがねー、家の物を壊しちゃうって最近遠慮してるでしょー?でも、ステンレスなら簡単には壊れないわよー」


 だから、ネットで買っちゃったのー。と如奈の母親は続けた。


 言われた睦人は、呆とすると、二、三回瞬きを繰り返す。



「え、あ……」


 睦人はつい咄嗟の反応に困ってしまった。その横で、共に話を聞いていた如奈が喝采の声をあげる。


「なるほど……さすが、お母さん」

「ふふふ、でしょー?」


 にこやかに会話をする篠崎親子の横で、睦人は、じわじわと自身の内で生まれる感情に気が付いた。


「あの……」


 睦人が何かを言おうとすると、二人は睦人の方を向く。


「すみませ……」

「宮古ちゃーん?」


 申し訳なさから謝罪の言葉を述べようとするのを、如奈の母親が遮った。


「あのねー、ここは謝るところじゃないわよー?宮古ちゃん、何か悪いことしたのー?」

「いえ、でも……」

「私、宮古ちゃんに喜んでもらいたくて買ったのよー?恩着せがましい言い方だけど、それでも宮古ちゃんに謝られるようなことはされてないわ?」

「……」


 その言葉に、睦人は今言おうとした言葉を飲み込んだ。

 そして、俯きながらも、内に沸いたもう一つの気持ちを何とか音にしようとする。


「あの……」

「うん?」

「ありがとう、ございます」

「ふふふ、どういたしましてー」


 にこにこと如奈の母親は笑みを浮かべる。


(本当に、申し訳ないというか、何と言っていいか……)


 照れから思わず視線を下に落とす。しかし、手元のコップが伝える金属特有の冷たさは冷ますには足りなかった。


(ありがたいよな……)


 物を壊してもなお気にかけてもらえることが、睦人は常々申し訳なかった。しかし、感謝の気持ちも当然だが同時に持っていた。ただ、申し訳なさが勝ってしまい、自分でも気持ちの整理が曖昧になっていた部分がある。


(あ……)


 睦人が床に視線を向けると、そこには持参した紙袋があった。

 来る道中からその存在は睦人の中で希薄になっており、今に至るまでにすっかり忘れていた。


「あの……」

「ん?なあに、宮古ちゃん?」

「遅くなってしまいましたが、これ、つまらないものなんですが……」


 定形文とともに、睦人は紙袋から取り出した包みを手渡す。


「あらー、わざわざありがとう宮古ちゃん」


 如奈の母親が受け取り、包みに視線を落とす。

 可愛らしい包み紙には、近所のケーキ屋のロゴが入っており、中身が茶菓子であることが窺えた。


「このケーキ屋さん、如奈が好きなのよー。中は何かしら?」

「ゼリーと、クッキーです」

「本当?睦人、私、えっと、ここのゼリーとクッキー好きなの」

「そうか、それは良かった」


 内心、知ってる、と如奈の好みにあわせて買ってきたことを表すが、それを一々口にするのは無粋だろうと睦人はそれ以上は告げなかった。


(確かに、謝られるより、喜ばれる方がこちらも嬉しいな……)


 受け取る側と与える側が逆転し、睦人は先の如奈の母親が言わんとしたことが理解できた。自身の厚意で謝罪をされたら、双方とも困ってしまうだけであった。


 そう思いながら、睦人が手元に残された紙袋をしまおうとした。しかし、それに気が付いた如奈が声をかける。


「ねえ睦人」

「ん?どうした?」

「えっと、その紙袋、もらってもいい?」

「……別に構わないが」


 特に使い道があるわけでもないので、睦人は迷うことなく紙袋を如奈に渡す。


「ありがとう!」

「ああ……何かに使うのか?」

「えっと、何かってわけじゃないんだけど、その、この間ちょうどいい紙袋がなくて困ったから……」

「ああ。あるよな、そういうこと」


 如奈の言葉に苦笑して同意すると、睦人はそれ以上の追及をしなかった。


 そんな二人のやりとりを如奈の母親は微笑ましく見ていたが、コップも空になり、睦人が来てからそれなりに時間が経っていることに気が付いた。


「じゃあ、宮古ちゃんも来たことだし、私は昼ごはんの買い出しに行ってくるわねー。二人とも、勉強頑張ってね」

「うん。行ってらっしゃい、お母さん」

「はい、行ってきます。宮古ちゃんも、お昼ごはん食べていってねー?」

「あ、はい。えっと……ありがとうございます」


 挨拶を交わすと、如奈の母親は空のコップを片付け、鞄を持ち家を後にした。


 それを見送ると、睦人はふとあることに気が付く。


(ん?あれ、ちょっと待てよ……?)


「睦人、じゃあ部屋に行きましょう?」

「ん、ああ……如奈、その前にちょっといいか?」

「なあに?」

「今日、おじさんは?」


 睦人は、如奈の父親の所在を問う。

 突然の質問に如奈はきょとんとするが、すぐに答えを述べた。


「お父さんなら、今日も仕事だけど……何か用事?」

「いや、そういうことじゃないんだ。少し、気になっただけで……」


 歯切れ悪く睦人は答えるが、如奈から得られた解答によって自分の疑いが確信に変わった。


(今、如奈と、二人きり……⁉)


 如奈の家で、如奈と二人きりである。

 睦人にとっては、結構な一大事であった。


「睦人?部屋、行かないの?」

「いや、え、もちろん行くが……」

「そう?じゃあ行きましょう?」


 如奈は睦人の態度を訝しむが、すでに課題をこなすことに頭が移っているため部屋へと歩き出した。

 睦人も後に続くが、思考が渦を巻きはじめ、その歩みはゆっくりであった。


(いや、何をよこしまなことを考えているんだ俺は……⁉)


 自身の考えが行き過ぎないように睦人は自制する。ただ幼馴染の家に課題をしに来ただけである。それ以上のことは何もないし、当然するつもりもない。


(おばさんも、信用して……というか、そんなこと考えていないから俺を残して出掛けたんであって)


 睦人は、何に対してかはわからないが否定と言い訳を胸中で繰り返す。


 しかし、一度意識してしまったものを完全に消すのは難しい。

 何もなくとも、幼馴染の家で幼馴染と二人きりであることは、経験の少ない高校生には考えるなと言う方が難しかった。


 ただ、その考えが睦人の足元を掬った。


 如奈の部屋は二階であるために、階段を上る必要がある。

そう長くない階段を、すでに如奈はほとんど登り切っている。一方で、今だ一段も登っていない睦人は登ろうと足をかけた。

 しかし、考え事をしていた睦人の足は、浅くしか階段にかかっていなかった。


「ぅわっ!!」

「睦人⁉」


 不意に視界がぶれて、睦人は叫び声をあげる。浅かった足は階段を踏み外し、受け身も取れないまま睦人はその場に転んだ。


「睦人、大丈夫⁉」

「ん……ああ……大丈夫だ……」


 睦人は派手に打った膝を抑えつつ、こけて伏した体勢のまま顔をあげて如奈に応じる。


 そして、次の瞬間には、痛みが飛んだ。


(あ……)


「っつ――――!?!?!?」


 何かに気が付き、睦人はバッと音がしそうなほど勢いよく頭を下げる。


 そんな睦人を不審に思い、如奈は階段を駆け下りてきた。


「睦人、本当に大丈夫?立てる?」

「ああ、いや、うん、立てる……」


 促され、睦人はやっと立ち上がるが、その様子は明らかにおかしかった。


 口元を手で押さえ、顔を赤くしている。そして視線を合わせない。

 今転んだことが原因であることは明白であり、如奈は心配を隠さなかった。


「怪我したの?あ、絆創膏いる?えっと、確か戸棚に……」

「如奈、本当に大丈夫だ。怪我はしていないし、心配することはない。全部俺が悪い、うん」

「え、えっと……?」


 口早に言われてしまい、如奈は困惑する。とりあえず、怪我をしていないことはわかったが、睦人の様子がおかしい理由は何もわからない。


 しかし、肝心な睦人は、顔を染めたまま如奈を直視できないでいた。


(……見えた)


 今日の如奈の格好はワンピースである。


 そして、先ほどの二人の状態だと、睦人は如奈の立ち姿を下から見る形になる。もっと言うと、下から覗き込む形であった。


(…………俺というやつは)


 先までの、淫らとは言えずとも、ある意味健全な思考も加え、睦人は自分の鼓動を抑えられなかった。耳の奥でうるさく響くそれは、睦人の顔に血流を送り体温を上昇させている。


「如奈、すまない。大丈夫だが、水を一杯もらっていいだろうか?」

「それはいいけど、睦人、もしかして熱があるの?」

「いや、いたって健康だ。うん。如奈が気にすることは何もない。……あと、すまなかった」


 如奈の誤解を解こうと、あまり回っていない頭で過剰なほどの否定を睦人は述べた。一刻もはやく自身が落ち着くことに精一杯であった。


「……そう、なの?」

 だから、如奈の表情が寂しげに歪んだことには、睦人は一切気が付かなかった。


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