34 長年の習慣はなかなか抜けない-2
「よし、今日はこの辺にしておくか」
約三十分の練習ののち、キリアによって修行の終了が告げられる。
夢中で懸垂をしていた如奈はその言葉で現実に引き戻され、整理運動を行いつつゆっくりと頭を日常へと切り替えた。
「師匠、今日もありがとうございました」
「ああ、今日は疲れただろ。帰ったらちゃんと休めよー」
「はい!」
終了の挨拶をするやいなや、集中の糸が切れたのか如奈は一気に脱力し、肺腑の空気を吐き出しながらベンチへと腰を下ろした。キリアもそれに倣って如奈の隣に座る。
「ふう……」
「大丈夫か?どこか痛めたとか、怪我したとかあるか?」
「いえ、そういうことはないです」
答えるものの、如奈は珍しくぐったりした様子で浮かべる笑みもどこかぎこちない。疲労が色濃く滲んでおり、慣れない運動を行ったことが明らかだった。
「でも、思っていたよりも肩が動かなくて驚きました」
「体が覚えてることと違うからな。でも、最後の方は大分スムーズに動いてたから、続ければすぐに慣れると思うぜ?」
キリアの言葉に如奈は表情を明るくする。
「本当ですか!?」
「ああ、正直すごいと思った」
世辞でも冗談でもなく、キリアは本当にそう思っている。
キリアが見たところ、如奈は体の基礎が良くできており、また積極的に取り組むために覚えがはやい。たかが木登りかもしれないが、不安定な足場で自在に動くということは体も、それ以上に精神も消費するもので継続して行うことは両方の面でなかなか難しい。
(これで学校行って、そっちでも運動してるって言ってたよな……剣道、っていうんだっけ?)
隣でほほ笑む少女に、キリアは改めて驚愕と感心を抱いた。
初めて会った際は突然の申し入れに、積極的だな、程度にしか思わなかった。しかし、練習に付き合う中でその真剣さと一生懸命さが見えてきて、キリアも教えることに身を入れているのが現状であった。
「無理するなよ?たまには休むことも大切だからな」
「そうですね、帰ったらすぐに寝ることにします。ありがとうございます」
そして、そのひたむきさに余計な心配までする始末である。
それ故に、元々が真面目な性格なのであろうが、木登りを頑張る理由が気になるのは自然なことであった。
「なあ」
「はい、何ですか?」
如奈が少々回復すると、深く考えることもなくキリアは疑問を如奈にそのままぶつけた。
「そういえば、何で片腕で木登りしたいんだ?」
「え……?」
キリアの質問に、如奈は少々面食らったような表情を浮かべた。
何かまずかったかとキリアは気にしたが、続く如奈の言葉は予想外のものだった。
「えっと、私、言ってませんでしたっけ?」
「……ああ、聞いてないな」
胡乱気にだがキリアが断言すると、如奈は考え込んだのちに謝罪を述べた。
「そうでしたか……そういえば、言ってませんね。忘れてました……すみません」
「いや、謝ることじゃねえよ。俺も訊かなかったからな」
謝られるとは思わなかったうえに、キリア自身も今まで気にていなかったため、特に責めたりはしなかった。
如奈は、つっかえながらキリアの疑問に答え始めた。
「先日、私が小鳥を拾って、上を見たら木の上に巣、みたいなものがあって……それで落ちたのかなーって思って木に登ったんです。えっと、それで小鳥を戻したら足がすべって……」
「落ちたのか?」
「はい。あ、小鳥は無事に戻せました」
「そうか……」
それで練習していたのか、とキリアは結論付けた。しかし、如奈の言葉はさらに続いた。
「それを幼馴染……あ、幼馴染っていうのは小さい頃からの、えっと友達のことなんですが、幼馴染に言ったら、心配かけてしまって」
「うん?」
「だから、修行を始めたんです」
予想外に続いた言葉を、途中に入った説明も含めて、キリアは時間をかけてかみ砕き正しく理解した。
「その、幼馴染?に心配かけたから、練習しようと思ったのか?」
「はい、そうです」
「へえ。お前、良い友達だなー」
キリアが素直に感心すると、如奈の表情がわずかに翳りを帯びた。
「いえ、その、良い友達ではなくて……」
「え?」
如奈は語尾を濁したが、キリアが聞き返すと、口ごもりながら続きを話し始めた。
「私、えっと、昔事故にあって、その、幼馴染をとても心配させてしまったんです」
「え、そうなのか?」
キリアが意外から声を上げると、如奈は視線を下に向けながら弱く頷いた。
「それから、その、私のこと気にかけてくれていて。でも、そういうのは良くないことだと思って……」
「……」
キリアは黙ってその先に耳を傾ける。
「だから、もう心配かけたくないんです」
そこに含まれる悲痛な響きに、キリアも表情をわずかに歪めた。
「そうか……」
キリアの声もどこか重いものがあった。しかし、その胸中には如奈への親近感が生まれていた。
「そいつのために、頑張ってるのか……」
確かめるようにゆっくりと問うと、如奈は無言で、こくりと首を縦に振った。
「……」
誰かのために頑張る、その相手が付き合いの長い大切な相手である。その部分にキリアは自分と同じ状況であるというのを感じ取った。
キリアは、如奈がここまで真面目に、一生懸命に取り組む理由が自分の中にストンと落ちていくのがわかった。自分と近い状況である、というのは多少の誤りがあったとしても強い理解と肯定を生むものである。
しかし、再度キリアの予想外なことに、如奈の言葉はさらに続いた。
「あと、これは私のわがままなんですが……」
「うん?」
やや恥ずかしそうに、如奈はもじもじと頬を染める。
「私、その、幼馴染に褒められるのが、嬉しいんです」
だから、木登りの修行をするんです、と如奈は結論付けた。
恥じらいながらも零れる笑みの綺麗さに、キリアは瞠目した。




