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恋はかげろうの中に  作者: ルイ シノダ
3/26

第一章 誰 (3)

奈緒は、旅行から帰ると自分自身の心を整理しきれないでいた。

奈緒とジュンとの出会い、その後の奈緒の気持ちを描きます。

(3)


 どうしたんだろう。ジュンと別れた後、家に戻りながら自分自身が理解できないでいた。


 ジュンと初めて会ったのは、三か月前、ほんの些細なことがきっかけ。田園都市線の通勤電車の中で、三軒茶屋から乗ろうとする私が、ぎゅうぎゅうの中で、入ろうとした時、全く体が入らなかった。背中から入ろうとしたが、体が半分程度しか入らない。ドアが閉まり始めた時、いつもなら駅員が荷物を押してくれるのに、その時だけはいなかった。

 ドアにハンドバックと傘が挟まれてどうにもならない時、左隣にいた男の人が、強引にドアを抑えてなんとか自分のバッグを入れようとしたが、どうにもならない。仕方なく降りて次の電車にしようとした時、すっと左の男の人が降りた。

そして両手で私のバッグと傘をドアの中に入れてドアが閉まった時、ふっと微笑んで、左手を上げて軽く手を振った。

信じられない。今時こんな人いるはずがない・・。そう思っても既に電車は走り始めていた。

ドアの内側から見ると何もなかったかのように彼は次の電車を待っている。周りの人も何もなかったかのような顔をしている。誰、そう思いながら表参道の駅を降りた。


 ジュンは自分の乗車している車両が、ホームに入ってくると、いつもながらいっぱいあるなと思った。停車して、ドアが開いた。あれあれ、こんな可愛い子が無理して入って来なくても。もう一杯なんだから。横顔を見ながら、それ無理だよ。傘とハンドバッグ無理。もう仕方ない。ジュンは、閉まりかけたドアを何とか抑えたが、入りそうになかった。再度、ドアが開いた時、仕方ない。自分が降りて何とかするか。

 降りてから、もう一度見ると、やはりうまくドアの中に入っていない。仕方ないな。体に触れない様にバッグと傘を入れてと。・・やっと入った。ふっと顔を上げると、言葉が出なかった。引き込まれそうな可愛さと美しさをもつ女性が、申し訳なさそうな顔をして立っている。

 その時、スーッとドアが閉まり、電車が動き始めた。何となく左手を上げて恥ずかしそうに微笑んだ。


忘れられなかった。次の日もその次の日も同じ時間、同じ車両の同じドアに乗ったのに、あの時の人はいなかった。心の中でその人の存在が大きくなっていくのを感じていた。一週間後、同じ時間に三軒茶屋から乗ろうとして、いつものぎゅうぎゅうの状態の田園都市線がホームに入って来て、開いたドアを見た時、心が破裂しそうになった。彼がいる。そう思っていると後ろから強引に彼の側に押された。

何も言えずに、恐ろしい位の込み具合の中で、彼の体に自分の体が密着していた。ただ下を向きながらいると、彼が、ドアに手を置いて力を込めると少しだけ楽になった。

顔を上げると、なんとなく彼が微笑んでいるような気がした。恥ずかしくて、また下を向いていた。表参道について降りようとしたが、彼が降りないので、そのまま乗ってしまった。

あちゃーっ。今日は、思い切り密着。こんな可愛い子だからいいけど・・。このままでは。ドアに右手を置いて少しだけ腰を引いた。密着したままでという気持ちも少しあったが、流石にと思い、手に力を入れると彼女が少しだけ楽な感じをしているのが分かった。


彼は、二つ先の永田町で降りた。自分も降りると彼がゆっくりと左方向に行くので自分もつい同じ方向に行こうとするといきなり振り向いて

「あの、すみません」

いきなり声をかけられて驚いていると

「いつも表参道で降りますよね。今日は、何かあるのですか」

彼は自分を見ていたの。そう思って驚いたままに動かないでいると

「すみません。なんか余分なこと言ってしまったみたいで」

そう言って、頭を下げるとその場を立ち去ろうとした。奈緒は今あるすべてのエネルギーを振り絞って

「あの」

それだけしか言えなかった。だが、彼は、振り返ると微笑んで、じっと自分を見た。他の人たちが不思議そうに見ている。


あれからだった。ジュンとなんとなく会い始めたのは。特にどちらからでもない。ただ、あれがきっかけで、もっと相手を知りたいという気持ちが有った。

だけど、彼は別に積極的に来るわけでもなく、だからと言って奈緒の要求を一度も断ることはなかった。いつだったか、映画を見た後、

「ジュン、おいしいフランス料理食べたい」

と言うと

「いいよ」

と言って、携帯でどこかに電話した後、私をタクシーに乗せて赤坂にある有名なホテルの最上階のレストランに連れて行ってくれた。

えっと思ったが、美味しい食事の後、素敵なバーまで連れて行ってくれた。こんな時は、この後、そうなんだろうな。でもジュンなら。自分自身の細やかな知識の中で、心に決めた時もあったが、そんな時でもバーの後、

「もう、九時半だ。送っていくよ」

と言って家の近くまでタクシーで送ってくれた。決して家の前ではなく。手をつなぐこともキスさえも何も要求しなかった。

 私の事、嫌いではないのだろうけど、と思う気持ちの中で、少しの不安が、今回の旅行に心を動かされた理由かもしれない。彼の気持ちを知りたかったのかもしれない。そして彼は優しくしてくれた。

 でも、もう大丈夫。ジュンは私の事、僕の大切な人と言ってくれた。そう考えると少し重かった心が軽くなった。ほんの少しの不安を除けば。


 ジュンは、車を三軒茶屋で返した後、心が少しだけ重かった。成り行きとはいえ、奈緒と体を合わせてしまった事に。

 こんなに急がなくても・・。そんな気持ちだった。輝くほどに綺麗な髪の毛に大きな切れ長の瞳。本当に可愛いまでの顔立ちは、一緒に歩いていると前から来る男たちが必ず奈緒の事を見ていく。

始めは、嬉しい気持ちもあったが、最近は、奈緒を見る視線を送る男を突き刺すように見ていた。守りたかった。誰にも渡したくなかった。でも、それ以上は頭の中に考えはなかった。

 大切にしたかった。今度の旅行も奈緒が行きたいというので、ほんのかすかな期待と、奈緒が行きたいという気持ちを大切にしたい、という心の中で一緒に行った。結果は、既に出てしまった。

これからどうすれば奈緒と今まで通りに会えるのか自身がなかった。自分の心の中にある、鎖で縛っていたものが、解き放たれるのが怖かった。あれ程に素敵な女性。自分が初めてと言ってくれた。事実そうだった。どうしようという思いだけが残った。


 奈緒は、研修で疲れた振りをして家に帰ると

「お母さん、お風呂入りたい。疲れた」

「えーっ、まだ、三時半ですよ」

「でもーっ」

「分かりました。すぐに用意してあげます」

奈緒は、心の中でごめんなさいと言うと自分の部屋のある二階に上がった。まだ、彼の余韻が、自分の体に間違いなく残っていた。

 

 次の日、会社に出ると

「一ツ橋さん、おはよう。なんかすっきりしているね」

同期の中岡が、声をかけて来た。

「そうですか」

「うん、いつもより輝いて見える」

そう言って斜め前の自分の席に座ると、なぜかVサインを出してにこっと笑った。なんだろうと思いながら奈緒も自分の席に座ると、いつものようにデスクにあるPCの電源をオンにした。

 昼休みになると、中岡が、

「一ツ橋さん、お昼一緒に行かない」

そう言われたので、、断る理由もないままに、近くのスパゲティ専門店に行くとオーダーをした後にいきなり

「ねえ、この週末に何かあったの。顔に書いてあるわよ」

えっと思って一瞬戸惑った顔をすると

「あっ、やっぱり。一ツ橋さんは、あっちの経験薄そうだから聞いてみたらやっぱり」

そう言って嬉しそうに目元を緩めた。

「何もないですよ。ずっと家に居たし」

「ふーん」

運ばれてきたスパゲティをスプーンの上でフォークに巻きながら言う中岡に

「中岡さんは」

その意味をどう捉えたのか、

「私は、彼要るし。二年も付き合っていれば・・ねえ」

あはっ、そういう意味か、スパゲティを口に入れる目の前の同期を見ながら

「残念でした。お腹痛くて土曜日曜と家に居たの。日曜だけ買い物に行ってその後、マッサージサロンにお母様と一緒に行ったから」

そう言うと自分もスパゲティを口にした。


 午後四時近くになると席を離れた。トイレに行く振りをして外に出るとジュンに電話した。数回のコールの後、

「はい」

と言ったので

「ジュン、いま話せる」

「ちょっと待って。このまま」

 どこかに移動しているらしい音が聞こえた後、

「奈緒、いいよ」

「ジュン、会いたい。渋谷のハチ公交番の前。六時でいい」

「分かった」

「じゃあ」

口数の少ないジュンに一瞬だけ寂しさを感じながら、仕事中だったから仕方ないか。そう思ってスマホをオフにした。


ジュンは、虎の門にある、新しく建てられたビルの二七階のオフィスで、デスクにオントップにしている時計を見ると五時二五分を回るところだった。

今から向かえばちょうどいい。そう思いながらサイドデスクのカギをフリーからロックにすると、PCの画面ボタンだけをオフにして席を立った。

PCの電源をオンにしておけばデスクトップ機能で外から検索可能だ。奈緒と会った後、家に戻ってから資料を読むことが出来る。

数年前、この機能をバックプロセスで動かしてハッキングした男がいたが、警察は、こんな知っていれば誰でも分かる単純な仕組みを気づかずに、ハッキングされた他人を犯人にしたニュースを思い出し、ちょっとだけ微笑むと席を後にした。

今はFWゲートとPAMによって完全にガードがかけられている。ちょっとした知識では、侵入出来ないことを知っているだけに、お役所の仕事にちょっと笑いがでた。

 ジュンは、ビルを出ると、虎の門の地下鉄に乗る為、青山方面から新橋まで虎の門の交差点を通過して走る大きな道路の交差点を渡った。会社に出社する時と反対方向から乗らないと銀座線を大きく迂回する地下道路を歩かなければいけない為、道路の反対側から地下鉄に入るのだ。

 渋谷方面の銀座線ホーム改札に入ると帰宅時間だからか、ずいぶん人が多い。朝ほどではないにしてもジュンは、人の流れのままに一車両目に乗ると渋谷へ向かった。


渋谷のホームに着くと改札を出て、先頭に行くように右方向に行き、下りのエスカレータに乗る。こうすれば、奈緒と約束しているハチ公前交番にすぐに行けるからだ。

 エスカレータを乗り継ぎながら一階まで来ると左に曲がった。ガラス扉の向こうにハチ公前交番の前に立っている奈緒が見える。不安そうな顔をしながら少しうつむき加減に立っていた。通り過ぎる男たちが奈緒を見ているのがはっきり分かる。

 ジュン早く来ないかな・・。えっ、何となく左からの視線を感じるとゆっくりと顔を上げた。自分の顔が段々笑顔になって行くのが分かる。ジュン・・。自分の方を見ながら笑顔で近付いてくる。

ジュンは、奈緒から視線を外さないように歩いて行くと視線を感じたのか、うつむき加減だった顔を起こしてゆっくりと左に顔を向けた。

 ジュンと視線が合うと急に笑顔になった。嬉しそうな顔に変わっていく。ジュンも微笑みながら近付くと奈緒がこちら歩いて来た。

 奈緒は、そのままジュンの胸に自分の顔を埋めると腕をジュンの背中に回した。ジュンは何もしないままに立っていると、二人の側を通り過ぎていく人たちが、ニタニタしているのが分かる。

 ジュンは、奈緒の両方の肩に自分の手を優しく包む様に添えると

「奈緒」

とだけ言った。ゆっくりと顔が上を向き始めた。

「ジュン、ごめん。ただ会いたくて。ジュンの顔を見たら、不安とも嬉しさとも分からない気持ちがこみ上げて来て、こうしたくなった」

「奈緒、分かった。でも、少しだけ離れよう」

口を耳元に近づけると

「僕も奈緒を抱きしめたいけど人が見ている。ねっ」

そう言って、ゆっくりと奈緒の体を自分から離した。

ジュンの言葉に自分も体を離すと、まだ自分の肩にかかっているジュンの右手を、自分の右手で触るとゆっくりと降ろして自分の左手に持ち替えた。そしてジュンの右側に来るとジュンを見つめた。

「奈緒、歩こうか」

頭だけで軽く頷くとハチ公前の交差点方向を見た。


ジュンは、交差点を渡ると西部デパートの前を通り、公園通り方向に足を向けた。奈緒は、何も言わない。

話があると言っていたけど、本当は会いたかっただけなのだろうな・・。そう思っていると、歩きながら奈緒が、声を出し始めた。

「ジュン、この前の旅行行って以来、何か、こう心の中に・・分からない、自分でも分からないものが有って・・」

言葉の続かない奈緒に

「奈緒」

とだけ言って歩みを止めて奈緒の顔を見ると

「ジュン、ごめん。自分でも分からない。でもジュンに会いたくて、会いたくて・・」

一生懸命にジュンの瞳を離さないように見つめる奈緒に

「奈緒、分かった。僕も同じだよ」

そう言って、また歩き始めようとすると

「ジュン、お腹すいた」

急に言葉の音が変わり甘えた声になると、ジュンも心が緩み

「何が食べたいの」

「ジュンが食べたいもの」

いつもならすぐに自分の好みを言う奈緒に、ちょっと変化を感じながら

「分かった。いっぱい空いている。少し空いている」

「ううん。あんまり。でも、やっぱり一杯空いている」

いつもの甘えに戻ったと安心しながら

「じゃあ、スパゲティでいい」

「うん」

元気な声に戻りながら自分の顔を見る奈緒に

「じゃあ、東急本店通り方向に行こう」

そう言って、足を向けた。


「ここでいい」

二階に上がる階段を見て言うジュンに

「いいよ」

と奈緒が言うと、ジュンは先に階段を昇り始めた。


スパゲティを食べ終わり、コーヒーを頼むと奈緒は、自分の腕時計をちらっと見た。そのしぐさに

「奈緒、この後何か用事有るの」

何も言わないままに下を向きながら

「まだ、七時半だな。ジュンはこの後どうするのかな。と思って」

そこまで言って、顔を上げた奈緒に

 えっ、いつもならこれでコーヒー飲んで帰るのに。そう思いながら見返すと

「ジュン、あの旅行の後以来、なにか、こう心に残るものが有って、・・ずっとジュンと居たい。いつも側に居たい、出来れば・・そうして居たい・・。でもダメなんだろうなと思うと」

そこで言葉が切れた奈緒は、俯いてテーブル見つめた。

 奈緒の言っている意味は、分かるような気がする。自分もそうしたい。でも今は、この旅行の出来事で奈緒の心が揺らいでいるだけだ。それをそのままに流されたら、二人は、戻れないところに行ってしまう。

大切だからこそ、幸せにしたいからこそ。ジュンも心の揺らぎに彷徨う時も有った。

「奈緒」

ジュンの声に頭を上げると視線を外さないように瞳を見つめた。

「奈緒、僕も同じ気持ちだよ。いつまでも、そしていつも側に居たい。でも・・。そう、心はそうしている。でも・・ねっ」

奈緒の瞳に喜びと寂しさが交互に現れながら、ただ、自分の瞳に視線を外さない、目の前の女性・・もう女の子では無くなった。少なくとも自分では・・をジュンも見返すと、いつの間に店員が置いたのか分からなかったコーヒーカップから漂う匂いが、鼻をくすぐった。

 チラリと目の前にある奈緒の腕時計を見るといつの間にか、八時半を回っていた。

「奈緒、もう八時半を過ぎた。送っていく」

ジュンの言葉に理解をしながらも、頭の中では、もっと居たいと思いながら、奈緒は、コクンと頷くと席を立った。


奈緒は、旅行以来、自分の体の中に現れる別の気持ち、自分では理解できない気持ちをジュンに分かってほしかった。

そんな奈緒の気持ちを分かりながらも、大切にしたいという思いから自分自身を自制してしました。

さて、次回は、二人の関係が、思い切り前進します。お楽しみに。

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