第6話 静かな線引き
翌日、
私は予定通り、何も予定を入れなかった。
朝食をゆっくりと取り、
読みかけの本を数ページ進め、
庭を一周する。
それだけの一日。
何も生産的なことはしていないのに、
心は穏やかだった。
――こういう日が、
これから増えていくのかもしれない。
そう思った矢先だった。
「お嬢様、
本日、王城から使いが来ております」
マリアの声は、
いつもより慎重だった。
「……用件は?」
「詳しくは。
ただ、殿下より直接、
お話ししたいとのことです」
王太子殿下。
その名を聞いても、
胸は大きくは揺れなかった。
驚きよりも、
「そういうこともあるでしょう」
という感覚に近い。
「今日は、外出の予定はありません」
それは、
拒否でも、了承でもない言葉だった。
けれど、
マリアは一瞬、迷ったあとで言った。
「その件ですが……
すでに、侯爵家を通して、
ご返答が済んでおります」
「……返答?」
私は顔を上げた。
「本日は、
お嬢様にご負担となるご用件には、
一切お応えしない、と」
淡々とした口調。
けれど、その内容は、
はっきりとした線引きだった。
「誰が、その判断を?」
分かっていながら、
確認するように尋ねる。
「エドワード様です」
その名を聞いた瞬間、
胸の奥で、何かが静かに落ち着いた。
守られた、というより――
境界を引かれた、という感覚。
私が前に出なくても、
誰かが、私の代わりに線を引いている。
昼過ぎ、
エドワード様が屋敷を訪れた。
用件は、
「確認」だけだという。
「突然で、失礼しました」
そう言って、
彼は深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
それしか、言えなかった。
「謝意は、不要です」
彼は、穏やかに言う。
「今のあなたに、
過去を整理する義務はありません」
義務。
その言葉が、
私の中に、静かに残った。
「距離を取ると決めた方が、
その距離を守られるのは、
当然のことです」
当然。
その響きに、
私は、ようやく理解する。
これは、
過剰な好意ではない。
「選択」を、
尊重されているのだ。
「……私は、まだ」
言葉を選びながら、
私は続けた。
「誰かと、
近い関係になるつもりはありません」
それは、
確認でも、宣言でもない。
ただの事実。
エドワード様は、
少しだけ目を細めた。
「ええ。
存じています」
「それでも?」
「それでも、です」
即答だった。
「近づかない選択も、
守られるべきですから」
その言葉に、
胸が、ほんの少しだけ温かくなる。
期待させる言葉はない。
約束もない。
ただ、
線を越えないことを、
はっきり示されただけ。
彼が帰ったあと、
私は一人で庭を歩いた。
整えられた小径。
静かな白百合。
誰かが、
私の代わりに、
世界と向き合っている。
それは、
安心であり、
同時に、少しだけ――怖かった。
「……いつかは、
自分で引く線も、
変わるのでしょうか」
答えは、
今は出さなくていい。
私は、
まだ立ち止まっているだけだ。
夜、灯りを落とす前に、
私は初めて、こう思った。
この距離を、
無理に縮めなくてもいい。
けれど――
この距離を、
守ってくれる人がいることを、
拒まなくてもいいのだと。
そう思えた夜だった。
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