第56話 行って、戻る
その日は、
少し早く屋敷を出た。
理由は、
特別なものではない。
外の用件が一つ、
増えただけだ。
準備を整え、
玄関を出る。
振り返らない。
それでも、
戻ることを
考えないわけではない。
それは、
習慣に近かった。
外での用事は、
滞りなく進んだ。
判断を一つ引き取り、
確認を二つ残す。
以前なら、
すべて片づけてから
戻ろうとしていた。
今は、
途中で区切る。
続きは、
また次に。
屋敷に戻ったのは、
夕方近く。
庭に出ると、
いつもの景色がある。
変わらない木々。
変わらない小径。
「……戻りました」
誰に向けたわけでもない
小さな声。
「お帰りなさい」
少し離れたところから、
声がした。
エドワード様だった。
「ただいま戻りました」
挨拶は、
それだけ。
今日、何をしていたかは
話さない。
彼も、
聞かない。
並んで歩く。
沈黙は、
自然だった。
以前のように
確認する必要はない。
離れていた時間を
埋める必要もない。
「……外に出る時間が
増えましたね」
彼が、
静かに言った。
「はい」
私は、
そのまま答える。
言い訳も、
補足もない。
「困ってはいません」
彼は、
続けた。
「そうですか」
それで、
会話は終わった。
夕暮れの庭を、
一周する。
歩き終えたところで、
自然に立ち止まる。
「……行って、戻る」
私は、
小さく呟いた。
「それだけのことですが」
「それが、
生活というものでは
ありませんか」
彼の言葉は、
穏やかだった。
夜、
部屋に戻る。
机の上には、
今日の記録を書くための紙。
私は、
簡単に要点だけを残す。
詳細は、
書かない。
明日も、
明後日も、
続くからだ。
行くことも、
戻ることも、
特別ではない。
ペンを置いてから、
昼間の言葉が、
一つだけ戻ってきた。
――困ってはいません。
私は、
困っているか、と
聞いていない。
聞かれていない問いに、
彼は、答えた。
誰に聞かれた問いだったのか。
私は、
そこまでは考えなかった。




