第52話 名前を与えられる前に
その話は、
前触れもなく出てきた。
午前中、
外の取り組みに関する
定例の確認があった。
規模は大きくない。
けれど、
関わる人が増えてきている。
書類をめくりながら、
官吏の一人が言った。
「そろそろ、
正式な呼称を
決めたほうがよろしいかと」
呼称、という言い方は、
柔らかい。
制度名。
計画名。
窓口の名前。
どれも、
実務上は必要なものだ。
「……今、
決めなければなりませんか」
私は、
静かに問い返した。
急かす調子ではない。
確認だ。
「必須、というほどでは
ありません」
官吏は、
正直に答える。
「ただ、
外部とのやり取りが
増えていますので」
私は、
小さく頷いた。
理由は、理解できる。
「ですが」
私は、
言葉を選ぶ。
「今は、
名前が先行しないほうが
良いと思います」
誰かを否定するためではない。
「名前がつくと」
私は続ける。
「期待や役割も、
一緒に固定されます」
「今はまだ、
動きながら
形を探している段階ですから」
場は、
静かだった。
反論はない。
けれど、
納得も即座ではない。
それでいい。
会合が終わり、
私は庭へ向かった。
歩きながら、
ふと思う。
名前は、
分かりやすい。
分かりやすいものは、
安心を与える。
けれど、
安心は時に、
動きを止める。
庭に出ると、
エドワード様がいた。
「何か、
決まりそうでしたか」
彼は、
状況を察している。
「いえ」
私は、
首を横に振った。
「決めないことを
決めました」
「それは」
彼は、
少しだけ考えてから言った。
「あなたらしい選択ですね」
評価ではない。
納得だ。
「名前をつけることが」
私は、
正直に言った。
「怖いわけでは
ありません」
「ただ、
今の余白が
失われる気がします」
彼は、
すぐに答えなかった。
「余白は」
一拍置いて。
「選び直すために
必要なものです」
夕方、
部屋に戻る。
机の上には、
未整理の書類。
どれも、
名前の欄が空いている。
私は、
その空白を
しばらく眺めていた。
夜、
灯りを落とす前。
私は、
静かに思う。
名前は、
いつでもつけられる。
けれど、
外すのは難しい。
今は、
まだその時ではない。
与えられる前に、
一度立ち止まる。
それが、
私の選んだ
守り方だった。
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