第31話 少し、外へ
それは、
特別な提案ではなかった。
父が、朝食の席で
何気なく言った一言だった。
「来月、
地方の領地で視察がある」
私は、
紅茶のカップを置いたまま、
顔を上げる。
「小さな件だが、
女性や子どもの暮らしに関わる話だ」
父は、
こちらを見て言った。
「お前の目で見ておいてほしい」
命令ではない。
期待でもない。
「頼めるなら」
という調子だった。
私は、
すぐには答えなかった。
断る理由はない。
けれど、
これまでの私は、
こういう場面では
一歩引いていた。
立場が中途半端だから。
決めていないから。
「……私で、
よいのですか」
父は、
少しだけ目を細めた。
「お前が、
ここにいるからだ」
それ以上の説明はない。
私は、
小さく頷いた。
「分かりました」
準備は、
静かに進んだ。
同行者は最小限。
形式ばった視察ではない。
私は、
その事実に、
少しだけ緊張していた。
「……外に出るのは、
久しぶりですね」
独り言のように呟く。
外に出ること自体が、
怖いわけではない。
けれど、
ここ最近の私は、
“ここ”で完結していた。
出発の前日、
庭でエドワード様と会った。
「来月、
少し留守にします」
私がそう言うと、
彼は頷いた。
「伺いました」
「……同行は、
されないのですね」
「今回は、
あなたの仕事です」
その言い方が、
とても自然だった。
当然のように、
線を引く。
「……そうですね」
私は、
胸の奥が少しだけ動くのを感じた。
守られない夜とは、
違う。
今回は、
“一人で進む”選択だ。
「不安は、
ありますか」
彼が聞いた。
心配する声ではない。
確認に近い。
「少しだけ」
私は、
正直に答えた。
「でも」
一拍、置いて。
「やってみたいとも、
思っています」
彼は、
わずかに微笑んだ。
「それなら、
十分です」
「……戻ってきたら」
私は、
言いかけて、止めた。
“何かが変わる”
と言いたかったのかもしれない。
彼は、
それを察したようだった。
「戻ってきたら、
また、庭を歩きましょう」
未来の約束ではない。
日常の延長。
私は、
小さく頷いた。
夜、
部屋で荷物を整えながら、
考える。
私は、
ここから少し離れる。
関係を試すためではない。
距離を測るためでもない。
ただ、
自分の足で、
外を歩くために。
「……少し、外へ」
そう呟いて、
鞄を閉じた。
それは、
この関係から離れる一歩ではなく、
自分の世界を、少し広げる一歩だった。
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