19 護衛官レルムの早朝巡回
凪…魔法に関する概念のひとつ。レルムは呼べない。
死者の国の王へ誓いをたてる…盟約。破れば死んだ先で居場所はない、という意味なので、死者がやったとしたら、それはよほどの覚悟。
それ知ってる。差別だ。僕と同じだ。
僕だってなにもしてない。なのに、しでかしたヤツらが、僕のことを主犯だと言い張ったらしいんだ。勝手に。それで僕も罪人にされた。
ね、君と似たようなものさ。要は同じだ。嫌だよね。最悪。
堂々と無視しなよ。絡まれても、声を聞かなきゃいいんだよ。聞く必要ない。不快なだけ。聞いたって良い事なかった。本当だよ。
へぇ、君って幼体なの? だったら余計に好きにすればいいんだよ。オレくんだって昔からよく言ってた。好きに遊べって。世界はおまえたちのものだって。
ん? 「オレくんって誰のこと?」
オレくんはね、これから僕と親友になるヤツだよ。「好きにしろ」が口癖で、有能で、自由にやれるよう助けてくれる。いわゆる救済キャラ。会いたいなぁ。会えたら一緒に遊ぶんだ。オレくんなら絶対に僕を大事にしてくれる。楽しみ。
? 「賢王さまみたい」? へぇ、誰?
…。…、ふぅん。
ねぇ。でもさ、居心地悪いんだろ? だからこうして森の外に出てきたんだろ? うん、僕と一緒に行こうよ。ともだちになろ?
え。「もう、ともだち」? 「話を聞いてくれたから」?
…そっか。そうだよね。普通はそうだ。僕もそう思う。けど、僕は裏切られてばっかだった。なんで僕だけ…
復讐? …しないよ? 僕はただ、自分の物を返してもらいたいだけだから。
頑張って作ったんだよ、居場所が欲しくて。ともだちと遊びたくて。
だよね。僕らやっぱり気が合うよ。
ね、僕と居よう? 僕には君が必要だ。一緒に大冒険しようよ。
やったぁ! うんうん、行こう、すぐ行こう! そうだ、これあげる。あ、でも一応これも持ってね。2個もあげちゃった! だったら踏むくらい許すよね! そうしたら条件が揃うしさ!
「条件って何のこと?」って…そんなの決まってるじゃん?
僕が君を「所有」するための条件さ!
◆
本日、女神たちは休日である。
この場合の「休日」は「異界に出勤しない日」という意味なので、そも異界に行かない者や朝に仕事をもつ者らは普段どおりだ。
修道女らは今日も変わらぬルーティーンに勤しんでいる。
レルムは早朝訓練、その後は貯水槽の保守点検と巡回。アウローラは観測記録をつけた後は舘中を回って冠水瓶の交換だ。
((お仕事終わらせて、昼からデート…!))
仲良し夫婦は連休最終日を堪能する気満々なのである。
ふたりとも真面目なので、約束したならそのために邁進する。まだまだ外は暗いが、速やかに活動をはじめていた。
ところでヒュプシュは妊婦である。
いかな働き者の彼女といえど、さすがに思うように身体を動かせない。動かせないのに、働き者というのは動きたがる。
やることを思いついたなら、すぐやりたい。今まで出来ていたことならば、なおさら。無自覚の強迫観念なのか単なる意欲なのか定かでないが、とにかくごく自然に思うのだ。「何かをしていたい」、と。
臨月が近づくにつれ、ヒュプシュの「もっとお仕事していたい欲」が増していた。
館内の掃除と換気は朝の仕事だ。高所作業を含む重労働なので魔法が使える者で当番制にしている。
そしてヒュプシュは万能の魔法使い。腕の一振りで全て終わる。
だが、皆は不安を感じていた。
「あんなに一日中眠そうなのに、早起き? 多分、身体がついていかないんじゃないかな…?」
正解。妊婦は行き倒れた。
ほぼ全員の女神が「だろうね…!」としょっぱい顔になった。
ヒュプシュは母親似だった。頑丈さと忍耐力が突出していて、己の限界が分からないタイプだった。
身体が限界を過ぎてから、ようやく(うーんと…今、動きづらいのかなぁ…?)と半信半疑になり、館内の冷たい石床にコロンと横たわる。
(わぁ…呼吸が楽になったぁ…。 …。…起きあがるの嫌になってきちゃいそう…早く終わらせようっと)
よいしょぉお、と精魂ふり絞ってヨロヨロ起き上がり、限界を超えた状態でヘロヘロ動き出す。そうなると目の焦点が合わず、表情はとっくに消えている。
しかしヒュプシュに自覚がない。
「おっくうなだけ。休憩してるもん。遅いけど動けるんだよー?」などと心から言ってのける。
彼女が言う「ちょっと休憩」状態は、「行き倒れ」である。
「歩くの足が重い」だとか「立っているのだるい」どころの話でなく「座っていてもキツい」「横になってやっと気がゆるむ」状態は「行き倒れ」。
「起き上がりたくないなぁ」は「身体が起こせない状態」。
アンナを筆頭に皆がそれとなく手を変え品を変え説明しているのだが、これがなかなか難しい。ヒュプシュに意味が通じない。
彼女は従順なので、ちゃんと話を聞くし内容も信じてくれる。ただただピンときていないようなのだ。
「そうなんだ! 分かった! じゃあ限界がくる前にちゃんと横になる! いっぱい休む!」
…と、言いながら変わらず行き倒れる。そうなって付き添うアナンに「知ってた」と、お持ち帰りされる、そんな「朝のお約束」が成立していた。
舘中のそこここに、ふかふかソファベッドが設置されたのは、そのためだ。
ソファのひじ掛けの一部はミニテーブルになっており、ヒュプシュをおびき寄せるべく「とってもおいしいひとくち栄養クッキー」と「果物ぷかぷかお水」が常備されている。あと毛布。
仕事に誇りを持つ友人への応援であり、皆の願いと祈りであり、「ヒュプシュ危うすぎる守らねば」の苦肉の策なのである。
女神の強い願いは叶う。「神域投影」は、そういう設定になっている。
複数の女神が同じ願いを念じていたならば、なおのこと。
ふかふかソファは、いつしか誰もが「見たからには 座らねば」という衝動にかられる魔性の魔道具と化していた。
存在が強すぎる虹髪や24時間戦闘可能状態の魔王には効かないが、ヒュプシュやレルムやリンはふかふかに弱い。チョロい。
装備した栄養クッキーはヴィルヘルミナをもおびき寄せる。チョロい。
異常に惹き寄せる仕様となったが、もちろん呪物ではない。女神の願いが叶って魅力的になっちゃっただけで、あくまで一介のソファベッドだ。
女神をダメにできる魔道具がはたして一介のソファかはさておき、おかげでヒュプシュは冷たい石床にコロンしなくなった。
行き倒れもアナンのお持ち帰りも「朝のお約束」のままだが、身体への負担は段違い。魅惑のソファさまさまである。
ソファに自我はない。ないはずだが、女神らの感謝が伝わるのかも知れない。最近、どことなく「だって自分ソファなので!」とドヤッていそうな空気感をただよわせはじめていた。
そんな魅惑の魔道具は今朝も張り切って巡回中のレルムを捕獲した。
毎朝のお約束のようにうっかり座っちゃうレルムは「??」と首をひねりながら立ち上がる。歩き出すものの、次のソファにいちいち座っちゃう。
律儀に捕まり続けるレルムはまた立ち上がり、顔を上げ、そのまま目を見開いて固まった。
早朝の薄暗い廊下の壁から、だらんと細い腕が生えていた。
女性らしい手が、指が、固まるレルムを手招きするように「おいでおいで」と揺れ…とたんに一帯が明るくなった。
見れば、魔法のランプから布が剥がされていた。
改めてよく見れば、腕が生えているのは壁ではなく扉の隙間だった。
華奢な腕が雑な動きで上下するたび、こもった空気は急激に新鮮な朝の空気に入れ替わり、埃っぽさが消え、廊下がピカピカに。ゆっくりと腕は引っ込んでいく。
かすかに「ねむいよー…めんどうだよー…今日からは横着するぅ…」と、だるそうなヒュプシュの声が聴こえた。扉がしまる。
万能の魔法つかいは腕の一振りで何もかも叶う。ヒュプシュがその気になれば、全てのお仕事はどこにいようとソレだけで全てが完了する。
目撃したレルムは、小さくガッツポーズをした。お疲れ様の気持ちを込めて、そのまま黙とうもした。
(良かった…やっと限界に気づいてくれた。皆にも報せよう)
レルムは胸をなでおろしながら、ヒュプシュの部屋の前を通り過ぎる。
(魔法って楽しそうだなぁ。おれもちょっと使ってみたいな…もし、おれが使えたら…)
無邪気な憧れを抱いたレルムは、流れるように生者らしい空想を脳内で展開しはじめた。
レルムは鳥頭である。ひとつのことで頭がいっぱいになれば他が全て抜け落ちる。健康的に爽やかさを増した軍服の好青年(見た目だけ)は、足取り軽く廊下を突き進む。数多の誘惑をスルーし、レルムは今朝の巡回を終えた。
幸せな二度寝(?)を求めていそいそ愛の巣へ戻ろうとしたレルムは、大階段をのぼろうとしたところで、2階の柱の影から現れた魔王さまとバッチリ目が遭ってしまった。
ニヤァアと邪悪な愛想笑いを浮かべたカイザルの短髪には、省エネのアレインがちまっと体育座りをしている。
レルムは内心で首をひねった。
気のせいか、ふたりともけだるそうに見える。
気のせいだと思うが、ふたりの距離が近づいたような印象を受ける。
確実に気のせいだろうが、まるで友情が深まりました的な、芽生えた信頼が根付きはじめた的な、余計な力が抜けた気安い絆をふたりの間に感じる。
(ふたり揃って徹夜明けか? 意外な組み合わせだな)
とりあえずレルムは声をかけてみた。
「おはようございます。今朝は随分と早いですね?」
気怠そうな紫色は、ニヤニヤしたまま2階の双子の部屋を親指で示した。
気怠そうな玩具は、長い腕をひょろりと力なく動かして答えた。
「おはよう。巡回ご苦労さま。…んん」
(閣下、また舌を噛んだんだな)
悟ったレルムは眉尻を下げて、チョコンと座るアレインを見つめた。
アレインは口を真一文字に閉じると、鎖骨あたりから声を発しはじめた。
「おはよう。おいちゃんたちはスペルモル少年を部屋に送り届けた帰りだ。
ところで、レルムくん。我がレディの今日の予定は決まっているかな?」
「はい。午前中は舘で過ごし、午後はおれと出かけます。泉に繋がる遊歩道の整備と、あと冬の雪に備えて休憩所に少し手を加えようかと。
アウローラは、じゃぶじゃぶ? とやらの練習に集中したいらしく。何でもキレイになるとか数字がどうとか…習得できればおれも喜ぶ結果に繋がるそうで…良く分かりませんが張り切っていて可愛いです。
…なにかありましたか?」
「なにかあるのはこれからだな? お前には関係ないが、レディ・アウローラにしたいことができた。いったん寄越せ。終われば返してやる」
一瞬で場はピリッと緊張した。
レルムの表情がスンとなる。穏やかな瞳が、剣呑な光を宿す鋭い眼へ変わる。ギリギリ自制が間に合い、殺気の放出は一瞬だけだった。
物騒な空気が流れた次の瞬間、アレインの長い両腕がウニニニと伸びながらふわりと振りあがり、そのままカイザルの両頬をビターンポフッと叩いた。
片方の手はワタ入りなのでポフッとなったが、もう片手は叩きついでに頬をつまんだ。精悍な顔立ちに頬肉は少ない。ちびっとしか揉めなかった金属の手はすぐに平手となってカイザルの頬に添えられた。
見ていたレルムは「…は?」とポカンとした。
殺気も攻撃意志も、恐らくは痛みすらまるでないだろうごく自然なメッだった。
カイザルは瞬間的な怒りを逃がすように、ゆっくり目を閉じ、すぐまた開いた。らしくなく理性的な反応だった。
展開も関係性もまるで読めないこの不可思議な状況に、レルムの脳内で「??」が止まない。
アレインはカイザルのほおを両手で挟んだまま「うむ!」と言った。
「相棒が失礼した。誤解なきよう。我々の今後について、我がレディへ「報告が」したいのだ。もちろん君にも同席してほしい。近いうちどこかで時間をもらえるかな?」
レルムがあっけにとられたまま頷く。
カイザルはアレインの手をどけつつ、ため息まじりに呟いた。
「…なるほど? そう言えばまともに伝わるのか。昔から何故か怒りを買いやすい…どうやら誤解させる物言いをしていたようだな?」
((…今、気づいたのか!?))
レルムは湧いたツッコミをゴクリと飲みこんだ。相手が86歳まで生き抜いた年上だと知っているので、さすがに失礼かと自重したのだ。
孫より幼い年下から情けをかけられたカイザルは、そうと気付かずしみじみと重低音を響かせる。
「そういや言い方を治せと妻からもよく言われていたなぁ。かなり矯正されたと思っていたんだが。まだまだか。
あぁ…形だけでは意味がないということだな? やれやれ、努めることが多すぎる。先は長そうだなぁ?」
高笑いしはじめたカイザルの頭の上で、アレインは「…ふむ」と思案した
「生前と、思考に差異が生じている? 脳を含めて身体は他人のもの。アウローラの影響下でもある。もし…、
レルムくん、諸事情により今のカイザル殿は話が通じる…やもしれない。試しに何かおねだりしてもらえまいか?」
「妻で挑発しないでくれ、頼む」
レルムは食い気味にねだった。声が切羽詰まっていた。
カイザルの高笑いが止む。
「あなたの生きた時代の価値観を妻から聞いている。だから、他のレディたちへの配慮や距離感には感謝している。
口説くような所作を挨拶代わりにするのはどうかと思うけど、レディたちはごっこ遊びとして喜んでいるし…なにより、あなたからは決して踏み込まない。それとなく聞いてみたが問題ないそうだ。
だけど、おれや妻に対してはいつもその調子だろう…親切そのものは助かっている。害意も、悪意も、そういうつもりがないことも、おれたち夫婦を尊重しているつもりなのも…本気の良かれや親愛表現が結果ああなるだけなんだと、おれも妻も理解している。
しているが…色々と耐え難い。
妻はおれの全てであって、夫の付属品じゃない。愛する妻を、まるで獲物や戦利品のように扱われることも本気で嫌なんだ。人としての魅力を褒めるのとは話が違う。そっちに馴染みたくない。あなたの物言いには煽られて困っている…おれは護衛官でいたいんだ。
死者は考えを変えられないと聞いた。おれが凪を呼べないのと同じことなんだろうが…いつかは気付いてほしいと望まずにはいられない。
だから、せめて妻で挑発しないでくれ。どうか。頼む」
カイザルは真顔になった。レルムに向かって厳かに頷いた。
「そうか。理解できた…つくづくオレは無能だとな。
お前が本気で訴えているのは伝わってくるが…何を言われているのかまったく分からん。何故なにがどうダメなのか、オレに何を気付かせたいのか、こうして面と向かって言われても、やはりさっぱりだ。
だがオレとて平穏を乱したいわけじゃない。餓鬼共の足を引っ張るなんざまっっっぴらゴメンだ。
治療ついでにどうにかしたいところだが…このザマだ。間違いなく自力じゃ変われない。レルム、お前も手を貸せ」
どうせまた高笑いで受け流されるだろうと予想していたレルムはあっけにとられた。
「あ、ああ…それはもちろん。喜んで…」
戸惑い半分に頷きかけ、ギョッと怯んだ。絶句した。
カイザルの手がゆっくりと動き、死者の国の王へ誓いをたてたからだ。
「誓おう。変わると。具体的には、…そうだな、まずは知りたい。
今後もやらかしたら殴れ。やらかす前でも殴れ。嫌な予感の段階でもかまわん。すべて許す。
調教だ。恐らくそれが一番オレには分かりやすい」
レルムは、カイザルの覚悟を悟った。仰天を通り越して不安になった。
(死者がやって大丈夫なのか、そのアクションは…、というか話が通じたぞ!? 本当にどうしたんだ、このひと。なにが、
…そういやさっき諸事情がどうのって)
レルムの凝視を受けたアレインは、深く頷いてから告げた。
「結論として、呪物モドキ感染症の克服。おいちゃんらでワクチンをつくるよ。
その前段階として、現在のカイザル殿は一味違うのだ。
解説しよう。まず死者の魔核ゆえ疑似的に復活それすなわち輪廻を促すべく記憶保持流転装置を兼ねる機械人種側の調整」
カイザルの手が素早くアレインの胸元をわし掴んだ。
発声器官を塞がれたアレインは「んももも…」と言葉にならないこもった声を響かせる。
カイザルは愛想笑いした。
「色々あってな? そのための…、報、告、が、…したい。
ああ、レディたちにも伝えてくれるか。好きにぶん殴れ、殴りついでにアレインに訴えてもらえるとありがたいってな。
正直、女衆の声は聞き取りにくい。声は聞こえるが、やはりどうにも聞き取れん。話の内容が入ってこない。対策として補聴器だ。
オレはな、レルム。人間をやる能力がない」
「人間をやる能力がない」
ぽかんと復唱したレルムに、カイザルは深く頷いてみせた。
「そうだ。壊滅的に向いていない。才能がない。86年かけても無理だった。
だったらいっそ呪物として末弟から便利に使ってもらいたかったんだがな? その気がないらしい。
このオレを自分の群れに入れたいんだと。弟が人間であれとねだるなら、応えるしかないだろう?」
だろう?と聞かれても、レルムにはてんでまったくなにもかもまるでなんのことかさっぱり分からない。
だが、かつてアレインが呟いたセリフが脳裏をよぎった。
(…「嵐は近い、嵐ですめばいいが」…その嵐って、もしやこれから…?)
カイザル(86)身体の持ち主が未来を知っているので、未来の倫理観や価値観も知ってはいる。知っているからって理解できるとは限らない。理解できても実践できるかは別。ましてや応用がきくかどうかなんてのは別の能力も絡んでくるため努力だけで何とかなるものじゃない。けど、やるしかない。




