#012 フィルム
いけない。
気分に任せて言い過ぎるところだった。いくら相手がマサキでも。
「ごめん。言い過ぎた」
あたしが謝ると、マサキは拍子抜けしたような顔をする。
「なんだぁ? 最近、ミハルって変に素直だよな」
え、それってなんだか、前はひねくれてたみたいな言い方じゃない?
「あたしは元々素直よ。マサキがちゃんと知らなかっただけだわ」
思わず苦笑すると、マサキは鼻で笑った。
「ミハルがぁ? 素直ぉ? 素直っつ~のは、東雲とかさぁやみたいのを言うんだよ。もっともさぁやのは天然、っつった方が当たってっ――」
「じゃあその天然に振り回されてるのは、なんて言うのかしらね」
一瞬、沈黙が流れた。
その時のマサキの表情は、いつものスカした余裕なんて一気にどこかに吹き飛んでしまっていて、仕掛けたあたしが驚いてしまうほど。
「――なに、言ってんのお前……ってか、俺サマがいつさぁやに――」
「え? 誰も、マサキのことだなんて言ってないわよ?」
今度はあたしが鼻で笑う番だった。
マサキはしばらくぽかんとしていた。やがて諦めたように天井を見上げため息をつき、肩をすくめる。
――こっち側の階段は利用者が少なくてよかったわねえ。そんな表情、他の人には見せられないんじゃない?
放課後は向こう端、玄関側の階段を利用する生徒が圧倒的に多い。
だからあたしがマサキを追い掛けて来てからここを通ったのは、実習棟へ向かうブラバンの一人だけ。
まぁあたしも、周囲に生徒がうようよしている状況で友人を晒し者にする気はないけれど。
「――しょうがねぇな……やっぱ、ミハルにはバレてたか」
まさか、あれで隠してたつもりなのかしら……噂にまでなってるのに。
「言っとくけどよ。さぁやには――」
「はいはい、言わないわよ。今までだって、言ってなかったでしょ」
あたしは半ば呆れてしまう。
これでマサキは「クールな感じだから」とか「ちょっと怖そうだけど」なんて、密かに人気があるんだから。笑っちゃうわよね。
もっとも、三年の先輩たちとよく一緒にいることが目を惹くきっかけになっているんじゃないか、とも思うけど。
マサキ単品でうろうろしてたら、単に「怖そうな年上の人」で終わっちゃいそうな――あぁ、でもよくわからない。マサキのことをよそのクラスの女子に訊かれるようになったのって、連休に入る前くらいから増えて来たのよね。
「ま、そんならいいんだけどよ……」
マサキは少し落ち着かない風で、周囲をやたら気にしていた。
うーん……まだしばらく隠しておきたいのかしら。
「って、そうよ。その話じゃなくて――」
「あ、そうそう。俺急ぐから、んじゃな」
「ちょっと!」
――油断した。
勝ち誇った笑い声を残し、階段をほとんど飛び降りるくらいの勢いで、マサキは走り去ってしまう。
階段はさすがに追い付けない。
ため息をつきながら、あたしは教室に戻る。
何故かマサキの代わりに、森本くんがホウキを持って動き回っていた。
別にあたしはマサキのことが嫌いなわけじゃない。
気に入らない様子が見えたり、カチンと来るようなことを言われたりするから、つい邪険に扱ってしまうことが多いけれど。
でも友人としてはなかなかいいやつだし、話をしていても楽しい。
そしてマサキの女運にはむしろ同情する。だってさやかは天然で、鈍過ぎるにもほどがあるんだもの。
おしのちゃんでさえ、こっそりあたしに耳打ちするのに。
「ねえねえ。川口先輩って、絶対、さやかちゃんのこと気にしてるよねぇ?」
あたしも少し前からそう思っていた。
マサキはクールぶっているつもりらしいけど、すぐ感情が顔に出るから結構わかりやすい。
最初の頃は、さやかの方がマサキに気があるのかと思っていた。でもどうもオクテ過ぎて、その自覚には至らなかったみたい。
それに、その頃マサキには彼女がいたし。
さやかはわざわざ横恋慕なんてしなさそうだものね。
偽物の彼女役を好きな相手に頼まれたら、多少なりとも複雑な心境になると思うのに、さやかはあっさりと引き受けた。
それでもう、恋愛感情は持ち合わせていないんだな、とあたしは確信した。
マサキがさやかの天然さに振り回されてオタオタしている姿は、はたから見ていて面白かった。
だから時々、あたしはマサキやさやかにちょっかいを出す。そのたびにマサキはムッとして、さやかはぽかんとする。
それはあたしにとって、新しい『遊び』。
でももうマサキには遠慮する必要もなくなったのよね。
これはますます面白くなりそう。
一方のさやかは、本当はエリー先輩を好きみたいだけど、地道なスキンシップが功を奏したのか、マサキにもかなり気を許している様子。
今朝だってマサキのことを呼び捨てにしていたし。
あたしがそれを指摘すると、ほんのり照れていた。
だからようやく何か進展があったんだと思ったのに、残念ながらそこまでじゃなかったみたい。
あたしがマサキの立場なら、今のうちに強引に彼女にするのにねえ。
何故そうしないんだろう? さっさとしないと、他の誰かにさやかのこと奪われちゃうんだから。
こういうのは割と早い者勝ちなのに。どうなっても知らないわよ。
* * *
「さやかたちさ、森本くんのこと、よく平気ね」
掃除が終わってようやく部活に向かう道すがら。
森本くんが帰ってくれてようやく、あたしは肩の力を抜くことができた。
あの人がいると、どうしてもよくわからない緊張をしてしまう。その原因がわからないのが気に入らないし、わからない自分にもイライラする。
「ってゆ~かぁ、森本くんから話し掛けて来るし……ねぇ?」
それがなんか変じゃない? と、あたしは思うんだけど。でもおしのちゃんはピンと来ないみたい。
「森本くんに何か言われたの? そういえば、美晴がいる時にはあまり来ないような気もするけど」
さやかは心配そうな顔をする。
食事のマナーを注意したから、単純に敬遠されてるだけだと思うけど。
向こうからは特に何も言われてないし、むしろ言ったのはこっちの方なのよね。
「特に何も……まぁ、気のせいかも知れないけどね」
そう言いながらあたしは工業棟のドアを開けた。
* * *
今日はなんだか気疲れすることが多い。
まず席替え。それから、あたしにバレて大人しくなるかと思ったら逆に開き直ったマサキ。
あたしたちが部室で話をしている時に突然、マサキは慌てたようなわざとらしい大声を出した。
「思い出した。さぁやたちにカメラ選んでやれって言われてたんだ。ミハルは? どうする?」




