63 進む道の先
翌朝ローズが目覚めた時、自分の部屋のベッドの中だった。泣いたせいで頭が痛く、目蓋が腫れていた。
家の中はしんと静まり返り、自分を起こして頭にキスを落としてくれるぬくもりも、パンを焼く匂いも、新聞を畳むガサゴソという音も、‘’ローズ‘’と呼ぶ声も、何もかもが消えて、ただ机の上に白いダリアの飴細工だけが残されていた。
昨夜両親から、ここは自分の為の偽りの世界だと教えられ、今まで三人で過ごしてきた記憶は、両親が持つ記憶と願いで作られていたのだと分かった。
そうなるに至った原因である、両親と三人での最後の記憶を見て目覚めたローズは、自分が送られた‘’あちらの世界‘’の事を思い出していた。
捨て子として義両親に育てられ、男爵家の養女になり、トーマスの妾としてレイモンドを生んだあちらの世界。
女神に導かれて水の底から浮かび上がった自分は、おそらく湖の岸辺で、近くの村に住む義両親に拾われたのだろう。義両親と暮らした村の近くには、聖なる湖と呼ばれていた湖があった。
思えばローズは幼い頃そこに行きたがり、義両親から『湖に落ちたら危ないし、あそこの近くには領主様のお邸があるから、近づいてはいけない』と止められたものだった。
大きくなって水の危険と貴族の恐ろしさを理解してからは、湖に近寄ろうとしなくなったが、その前に一度だけ、義両親の目を盗んで湖へ行った事があった。
その時、湖畔には自分より大きい男の子と女の子、それにお母さんらしい女の人がいて、三人が楽しそうでとても羨ましかった。本当は仲間に入れてもらいたかったが、義両親に止められているのを破っている手前、話しかける事は出来なかった。
もしあの時三人がいなかったら、自分は湖に近寄っていただろう。そこで水に落ちていたら、もしかしたらこの世界に戻る事が出来たのだろうか。
そこまで考えたローズは、もう‘’もしかしたら‘’を考えるのは止めようと思った。その時戻れたとしても、既にリアムもエリナも亡くなっていた。それよりも自分が両親に捨てられたのではなく、命をかけるほど愛されていた事を感謝し、これから何をすべきか考えなければと考えた。
ローズはベッドから出て、飾り棚に置かれた石で出来たダリアの花を手に取った。
冷たい無機物のはずのそれからは何故か温もりが感じられ、エリナが言っていた‘’あちらの世界にいる大切な人‘’の存在を、否応なしに思い出した。
「レイモンド」声に出し名前を呼ぶと、無邪気な笑顔が浮かんできた。同時にあの襲撃の中で死のうとした時、どこかから聞こえてきたレイモンドの叫びと、自分の周りにそびえたった円柱の事も思い出した。
あれは、リアムが自分とエリナを守る為に魔法で作った障壁によく似ていた。
ローズはダリアを胸に押し当てて「レイモンド。私を守ろうとしてくれて、ありがとう。あなたはおじいちゃんに似ていたのね」とつぶやいた。
階下に降りてみると、リアムとエリナは消えてしまっていたが、家具も他の物も全てそのままに残っていた。けれどよく見ると、祭りの夜エリナに渡した赤い薔薇の飴細工がなくなっていた。エリナが一緒に持って行ってくれたのかもしれないと、ローズは思った。
『ローズ。何かにつまずいたり悩んだりしている時は、遠い先の事を考えて立ち止まらずに、目の前の事から一つ一つやっていくしかないの。そうやって進んで行けば、いつか自分が行きたい所へ行きつけるから』
くよくよ悩みがちなローズにエリナが言ってくれた言葉が頭に浮かんだ。
それは実際にエリナに言われた記憶では無いかもしれない。
けれど、紛れもなくエリナがローズに伝えたいと思ってくれた言葉だと、ローズには信じられた。
だからローズは台所にあった食材を使い、いつもの朝食を作り始めた。
卵料理はスクランブルエッグにして、ベーコンはカリカリに焼いて、トーストはきつね色になるよう注意して焼いた。リアムと同じようにコーヒー豆をミルで挽くと、良い香りが部屋中に漂った。自分なりに丁寧に淹れたコーヒーは、リアムの淹れるものには及ばずとも美味しかった。
いただきますと言って食べ始め、ごちそうさまでしたと食べ終えると、食器をきちんと洗って拭いてから戸棚にしまった。
最後に家の中を見渡して、エリナからちゃんと出来たと褒められると頷いたローズは、石のダリアと飴細工のダリアをカバンに入れると玄関を出た。鍵を掛け、鍵は迷ったが服のポケットにしまった。
門を出た所で、隣に住むアン叔母さんの家が目に入り、自分の姿を見たら叔母さんは何と言うんだろうと考えた時、向こうからシャンティの散歩から帰ってきた叔母さんが現れた。ローズは慌てて顔を伏せ、アン叔母さんはちらりとローズを見たが、何も言わずそのまま自分の家へ入ろうとした。しかしその時、シャンティがローズに向かって吠え、走り寄って来ようとした。
「シャンティ!どうしたの。ダメよ、知らない人に吠えては」アン叔母さんが止めるけれど、シャンティはぶんぶんと尾を振って、ローズに近寄ろうとする。
ローズが歩み寄って「可愛い犬ですね。撫ぜても良いですか」と尋ねると、アン叔母さんは「ええ、もちろんです。この子はお嬢さんを気に入ったみたい。いつもは人見知りなのに、珍しいわ」と笑顔を見せた。
(そう。シャンティは人見知りだった)
ローズがしゃがんで、シャンティが一番好きだった首の下を優しく撫ぜると、シャンティは気持ちよさそうに目を細めてローズの手にすり寄った。
その様子を見ていたアン叔母さんが、懐かし気に言った。
「あなたによく似た女の子を知ってたの。こちらの家に住んでいたご夫婦のお嬢さんで、シャンティがすごく懐いていたわ」
「そうなんですね。そのご家族は引っ越されたんですか」ローズは何気ない風で、俯いたままシャンティを撫ぜて尋ねた。シャンティは柔らかく、温かかくて、ローズを覚えていてくれた。
「そのご家族は…もうどこにもいないわ。ある日悲しい事が起こって、命を落としたの。私は、あの人達が大好きだった。シャンティもよ」
「そうだったんですか。ご家族皆なんて、悲しいですね」
「そうね。とても悲しい話だけど、彼らは私達の英雄なのよ。女神様の力をお借りして悪魔を滅ぼし、この地にもたらされるはずだった災いを除いてくれたの。…変ね、どうして見知らぬ人にこんな話をしているのかしら」
ローズは最後にシャンティの背を優しく撫ぜてから、立ち上がった。
「私はお話が聞けて、色々知る事が出来て嬉しかったです」
「そう?きっとあなたがあの子にとても似ているから、話してしまったのね…。もしこの話に興味があれば、大通りの神殿に行くと良いわ。何があったか記録が残っているから、神官が詳しく教えてくれると思うわ」
「ありがとうございます。アン叔母さん、いつまでもお元気で」
ローズは、なぜ自分の名を知っているのか分からず戸惑う叔母さんに一つ礼をすると、まっすぐ神殿へ向かった。
読んでいただき、ありがとうございます。
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