5 動き始めた企て
シュタイン家に引き渡される日に初めて会ったローズは、学院を卒業したばかりの驚くほど美しい娘だった。
彼女の淡い金髪と青い瞳は親友のアランを思い出させ、それを見たトーマスは、少し落ち着かない気持ちになった。
(俺の髪は黒で、カミラは茶色に近いダークブロンドだ。瞳の色も俺は茶でカミラはダークブルー。生まれた子を俺たちの子どもにするなら、何故カミラは俺達と同じ色を選ばなかったんだろう)
疑問がよぎったがカミラの挙げていた条件の難しさを考え、当てはまる女性がローズ以外いなかったのだろうと、トーマスは自分を納得させた。
カミラがあれこれアマンド男爵と話をし、トーマスが黙ってそんな事を考えている間、夫妻に挟まれているローズは、蒼褪めた顔で静かに座っていた。
しかしカミラの話が一旦終わったところで、彼女は突然、トーマスに向けて話し始めた。
「私の身を差し出す代償に、アマンド男爵家はシュタイン伯爵家から、多大な金銭を得ると聞きました。私をこれまで貴族令嬢として育ててくれた両親への恩は、そのお金で充分お返し出来る事と思います。だから今後私は、アマンド男爵家との関係を断って生きていきたいです。
シュタイン伯爵様、その様に取り決めて頂けませんか。男爵家と縁を切らせてください」
一気に話したせいでローズの息は上がり、顔は紅潮し、力をこめた目に涙が浮かんでいた。
トーマスは華奢な彼女から発せられた心の叫びに衝撃を受け、すぐに反応する事が出来なかった。
アマンド男爵も一瞬あっけにとられたが「何て事を言うんだ!」と激高し、彼女を殴ろうと手を振り上げた。しかし我に返ったトーマスが「止めてください」と険しい顔で止めに入った為、ハッとして振り上げた手を降ろして、こぶしを握り締めたままソファに座り直した。
この時、ローズに魂を揺さぶられたトーマスの中に、《ローズを守りたい》という確固とした気持ちが生まれた。
「彼女はもうアマンド男爵家の人間ではない。シュタイン家の者だ。暴力を振るう事は許さない」
トーマスは男爵へ向けきっぱりと言い渡した。
場が静まり返る中、カミラがいち早く立ち直った。
「ローズさん。あなたがトーマスの子を産めたとして、その子は私が母として育てるのは分かっているわよね。その後あなたが家に帰りたくなっても、男爵家と絶縁したら帰ることは出来なくなるのよ。それでも良いの」
「はい、構いません。それこそが私の望みです。その時は、独りで自分の出来る事をして、静かに生きていきたいです。修道院へ入っても良いと思っています」
それを聞いて、カミラはうなずいた。
「そう。シュタイン家の後継ぎに男爵夫妻が関わってきても困るし、あなたが実家と縁を切るのはこちらにも好都合だわ。
あなたも、産んだ子どもも、男爵家とは無関係だときちんと書面に残しましょう。
そうは言っても私は、次期シュタイン伯爵の実母を野垂れ死ぬ様な事にしないつもりだから、安心して。ローズさんは憂いなく、元気な男の子を一日も早く産んでちょうだい」
カミラの言葉を聞いた男爵夫妻は顔を真っ赤にして沈黙し、ローズは「ありがとうございます。奥様」と虚ろな目で礼を言った。
トーマスはここに至り、自分達がローズの人生にどれだけの影響を及ぼすのか、はっきりと理解出来た。その事に恐ろしさを感じながらも、この力無く美しい女性が自分の庇護下に入るという事を喜んでいる自分を自覚した。
(俺も卑怯者だ。だが、無慈悲で卑劣な卑怯者にはなるまい)
その後カミラの迅速な手配で、ローズをアマンド男爵家の籍から抜く為の書類が作成され、王宮へ提出、承認された。こうしてローズは望み通り男爵令嬢ではなくなり、ただのローズ・アマンドになった。
シュタイン家に移って、ローズには庭に建つ別邸が与えられた。
彼女自身の持ち物はほとんど無かったので、家具もドレスも全てカミラが手配した。トーマスは今更ローズに贈る宝飾品を準備すれば良かったと後悔して、急いで幾つかの品を手配した。
ローズが別邸に入り何日か過ぎ、気持ちが落ち着いたと思われる頃、トーマスは出来上がったジュエリーを手に初めて彼女の許を訪れた。
カミラからはすぐに行って義務を果たす様言われたのだが、せめて数日はゆっくり過ごして貰いローズの心の準備が整うまではと、トーマスが譲らなかったのだ。
トーマスはカミラの冷酷さを受け入れたく無かったし、彼女と同類だと思われてローズに嫌われたくも無かった。
彼は幼い頃からの付き合いで育んできたカミラへの暖かい気持ちを、この一連の出来事の中で手放しつつあった。
離れを訪れた日、トーマスはローズの緊張をほぐし今夜を和やかに過ごそうと、離れのダイニングで二人だけで夕食を取った。ローズとゆっくり話すのは、初めての事だった。
「ここの暮らしで困っている事は無いかな? 何か欲しい物があれば遠慮なく言って欲しい」優しく尋ねるトーマスに、ローズは「何も困っている事はありませんし、必要なものも全て揃えて頂いて、感謝しています」と目を伏せ言葉少なに答えた。
食事の最後に、トーマスは用意していたジュエリーをローズへプレゼントした。
「これを君に。縁あってこうして共に過ごす事になった記念に、贈らせて欲しい」
ローズはおずおずと箱を受け取り、中を見て目を見張った。
ローズの髪の色の金に、瞳の色のサファイアがはめ込まれたリングと、同じモチーフのネックレスが入っていて、一目で高価な品と分かった。
「こんな高価な物を私に?」トーマスが戸惑う彼女の手を取って指輪をはめ、ネックレスを華奢な首に着けてやると、ローズは初めて恥ずかしそうに儚げな微笑を見せた。
「ありがとうございます。ジュエリーなんて身に付けるのは初めてで…。おかしくないですか」
「とても良く似合ってるよ」トーマスも微笑んで、かすれた声で答えた。
その夜二人は初めて共に過ごした。
ローズの固く閉じた目から涙が流れるのを見た時、トーマスは思わず「君を妻には出来ないが、きちんと大切にすると約束する。君はとても美しく、気丈な人だ。俺は君に出会えて良かった」と告白した。
ローズはそれを聞いて、涙に濡れた目を開きトーマスを見つめた。
「それは本当ですか」
トーマスは自分でも不思議な程必死になって、その目を見つめ返した。
「本当だ。初めて会ったあの日から、君を愛し始めていたんだと思う。信じて欲しい」
「…私は何も持っていません。あなたとの子どもが出来ても、その子も無くす事が決まっています。でも、出来るなら少しだけでも、自分の人生を生きて幸せになりたい」
トーマスはローズに「俺が君を幸せにする」と約束した。ローズは何も答えず再び目を閉じたが、トーマスは彼女を強く抱きしめ、何度も誓いを口にした。
その日から、トーマスは毎日離れに出向くようになった。
ローズの暮らしは離れという籠の中、与えられた物と許された事だけで静かに営まれた。
最初からの約束で、伯爵家の家政や社交に関わる事は一切許されず、外出も禁じられていた為、トーマスと会っている以外の時間は刺繍や読書、離れの庭の散歩くらいしか出来る事は無かった。
カミラを含め本邸の人間とはほとんど接する機会も無く、本邸の者は皆、彼女をいない人間の様に感じ、扱っていた。カミラという正妻の存在を慮り、そうしないとやり辛いという事でもあった。
トーマスは、閉じ込められているローズの環境を考えると、本当は早く子どもを作って解放してやるのが一番良いと分かっていた。
だが他でもないトーマス自身がローズに執着し、いつも離れに彼女の姿がある事が喜びになっていた為、仮に子どもが生まれても彼女を手放せそうになかった。
そんなトーマスのローズへの想いに反比例する様に、カミラとの仲は日ごとに冷たさを増し、言葉を交わす回数も数える程になっていたある日、遂にローズの妊娠が判明した。
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