43 襲撃3
男の一人が伸ばしてくる手をよけ、ローズは闇雲に短剣を振り回した。
良く研がれた短剣はその手をざっくりと切ったのに、全く動じずに近寄ってくる姿は、まるで墓から生き返った死人の様だった。
(こいつらは、蛇の力に操られてるんだ)唐突にローズの頭の中にそんな言葉が浮かんだ。訓練された手練れの騎士達が、たかがならず者に敵わなかった理由。
それはこの男達が半分この世の理を外れ、痛みも感じず死も恐れない者になっていたから。そんな者が大量に現れ、切っても切っても立ち上がってきたら、普通の人間が敵う訳が無い。そして操られ自我を無くしていても生来の薄汚れた欲望だけは消えず、自分へ向かって手を伸ばしてくる。
(私は、こんな者の手に汚されて死にたくはない)自分達を守る為に死んでしまった多くの騎士、そしてリチャード。
(私もすぐにそちらへいきます。行ったらレイモンドを守れた事を褒めてください)
ローズが短剣を首すじに滑らせて、全てを終わらせようとしたその時、遠くでレイモンドが大声で泣き叫ぶ声が聞こえた気がした。
その瞬間、じりじり近寄って来る男達とローズを隔てる様に地面が一気に盛り上がると、ローズの周囲に煙突状の土壁がそびえ立った。
(レイモンド!)
男達が土壁に体当たりしてくるドンドンと言う音が響く中、土壁の中に立ちすくんでいたローズは、足元から澄んだ透明な水が湧き出て来るのに気づいた。
水は見る間に水位を上げ、このままだと今度は溺死してしまいそうな勢いで増えていく。
ローズは最初焦っていたが、その水に身体が浸され覆われていくうち不思議な安心感に包まれた。そして水が鼻の上まで来ても全く苦しく無く、全身がすっぽりと水の底に沈んだ時、ローズは不意に自分が何者なのか思い出した。
(私はこことは違う世界にいた。お父さんとお母さんは、あの時もこうして私をこの世界に逃がしてくれたんだ)
透き通る水の中にいるローズは、人知れず溶けていくように見えなくなり、後には湖面の様に静かな澄んだ水だけが残された。
ローズの姿がこの世界から消えていく直前、彼女の記憶が戻ったちょうどその時に、シュタイン家本邸のカミラの部屋に寝かされていたクラウスは、忘れられない忌々しい魔力の波動を感じ目を開いた。
(俺を封印したあいつらの魔力と似ている)
どこにいる、と必死で自分の魔力を広げ探ってみたが、王都のならず者を従えるのに大量の魔力を使い、なかなか範囲を広げられない。ならず者達に与えていた魔力を断ち切り、あともう少しという所で、相手の気配が跡形も無く消えてしまった。
(今回は逃したが、この世界にいるのが分かったからには、今度はみすみすやられはしない)
その魔力の主が自分もよく知っているローズで、既にこの世界から逃げおおせていた事を、歯噛みするクラウスは知らなかった。
「ローズ達の馬車は、まだ着かないのか」
打ち合わせ通り仕事を終え別邸で待っていたトーマスは、予定の時間を過ぎても馬車が現れない事に焦りを募らせていた。
あれだけの騎士を付けたのだから何かあったとは思えず、もしや途中でどこかに寄り道をしているのかとか、まさかレイモンドやローズが急病になってまだ王都にいるのではないかと、色々な可能性を考えながら、うろうろとエントランスホールを行ったり来たりしていた。
そこに近くにある村から、使いの者が来ていると門番から連絡が入った。
「村人が?また道路が陥没したとか、そういう話じゃないのか」
門番の連絡を伝えに来た家令に、今はそんな事に構っていられないとトーマスが投げやりな調子で聞くと、蒼褪めた顔の家令が「それがシュタイン家の馬車が、御者もつけず、村を囲う柵にぶつかって止まっていると言うんです」
「何だと!」
「その村人は最初本邸へ知らせに行ったそうですが、旦那様は別邸にいると聞いてこちらまで来たそうです。疲労困憊しておりますので、今は門番小屋で休ませております」
「すぐに行く」
トーマスが門番小屋へ駆けつけると、立っていた門番がすぐに中へ案内してくれた。
領主の姿に畏まる村人に「楽にしてくれて良い。お前の村はどこだ」と尋ねると「森を抜けた所にあるタリム村です。馬車は森の方から走って来て、柵にぶつかって止まりました」と言う。
「馬車に乗っていた者は無事だったか」
「御者はいなかったですが、中にいた赤ん坊は無事でした。小さい箱みたいな物に入っていて、箱も赤子もしっかり括り付けられてたんで、振り落とされもしてないです」
「他には?女性と年配の男性がいなかったか」
「中にいたのは赤ん坊だけです。ひどく泣いてましたが、怪我はありません」
村人はここまで知らせにくるのに数時間歩いたり走ったりしてひどく疲弊していたので、このまま別邸で休ませる事にした。トーマスは別邸に残っていた護衛と共に、急いで馬に乗ってタリム村へ向かった。
(ローズ、父上、どうか無事でいてくれ)必死に馬を飛ばし、村人が数時間かけて辿り着いた道を半分の時間で到着した。
村へ入る時柵の所に半分壊れた馬車が見え、トーマスの気持ちは激しく乱れた。
村の広場で馬を降りたトーマス達に、一人の老人が駆け寄って来た。
「領主様!」
「知らせを受けて飛んできた。お前は村長か」
「はい。私がタリム村の村長をしております、イゴールと申します。馬車の中にいた赤子は、私の家にいます。乳の出る女が世話をしておりますので、ご安心下さい」
「ありがとう」トーマスが足早にその家に向かおうとすると、イゴールは「お待ち下さい」と引き留めた。
「何だ」苛立たしそうに聞き返すトーマスに、沈痛な面持ちで「実は、馬車の来た森を村の男達に身に行かせましたところ、沢山の騎士と怪しい風体の男達の死骸が見つかりました」と告げた。
「本当か。生きている者はいなかったのか」
「はい。騎士も男達も、どちらも全員死んでいます。それで、その、倒れている人間の中に、前の領主様がいらっしゃった様だと…」
私達にはとてもあの現場は手を付けられず、確かめられませんでしたと、頭を下げる村長を見やり、トーマスは信じたくない心を何とか奮い立たせ、連れてきた護衛に指示を出した。
「今の話を聞いていたか。森を検めに行く。着いて来てくれ」
「しかし、伯爵様。この人数では伏兵がいたら危険です」
「ただの村人が見に行っても平気だったんだ。全員亡くなっている事は間違いないだろう…。もし本当に父上がおられるなら、父上だけでも連れて来たい。頼む」
「分かりました」
「村長、もうしばらく赤子を頼んだ」
「かしこまりました」
トーマス達は村で荷車を数台借りて、森へ向かった。
森に到着して自分の目の前に広がっていた光景を、トーマスは生涯忘れる事は無かった。あれだけの数を揃えた手練れの騎士全員と御者、そして無数のならず者が血を流し地面に倒れていた。何故かその中に不思議な煙突のような物が立っていたが、あまりにも凄惨な現場に気を取られ、誰も最初はそれを気にしなかった。
トーマスはその煙突の様な物のすぐ近くで、父リチャードが剣を握ったまま切られて亡くなっているのを見つけた。
「父上。レイモンド達を守ろうとなさってくれたんですね」
倒れているリチャードの顔は無念を湛えていて、トーマスはリチャードが、レイモンドとローズを守れる確信を持てないまま亡くなったのだと思った。
(父上は剣技に自信を持っていたから、馬車を飛び出したのだろう)
護衛達は既に亡骸を確かめながらきちんと横たえ始めていたが、騎士の亡骸も、ならず者の亡骸も全て確認し終わってもローズの亡骸は見つからなかったので、トーマスはかすかな希望を持った。
「ローズが森の中に隠れていないか探してくれ」
「かしこまりました」護衛の数名が散って行った後、トーマスの護衛に残った一人が
「伯爵様。このならず者の亡骸ですが、全員いくつもの致命傷を負っていて、奇妙なんです」と首をひねりながら話しかけてきた。
ローズの生死が確認できずに焦りを感じているトーマスは「どういう事だ」と生返事を返したが、護衛が次の様に言うのを聞いて真剣な顔になった。
「本当ならこんな傷を一太刀でも受けたら、その時点でもう動けなくなるはずです。それなのに、こいつらはそういう傷を幾つも受けている。
という事は何度致命傷を与えられても、立ち向かって来たという事になります。私の同僚のジェイ、あそこで亡くなっているあいつは、こんなならず者にやられる様な腕ではありませんでした。しかし切っても切っても立ち上がって来られたら、どんな腕の良い奴でもたまりません。このならず者達には、悪魔でも憑りついていたんじゃないでしょうか」
‘’悪魔‘’という言葉に、トーマスは咄嗟にカミラと蛇を思い浮かべていた。
(まさか、これは蛇の仕業なのか。こんな悪魔の様な所業が)
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