130 ローズとカミラ
後に残されたトーマスとローズ、アラン、マーガレットは、何を言えば良いのか分からずに顔を見合わせていた。少し経って、ローズが考え込んでいるトーマスへ話しかけた。
「トーマス様。トムの事、許してやって下さい。彼は私とは逆に幼い頃あちらの世界へ行ったので、この世界の身分や貴族について、頭では分かっても心では理解出来ないんです。
私の両親もそうでしたが、あちらの世界では結婚は愛し合った者同士がします。
彼はそんな世界で育ち、カミラ様を忘れず幸せを願って祈り続けてきたので、どうしてもあんな風に考えてしまうのでしょう」
トーマスはゆっくり頭を振った。
「許すも許さないも無いよ。俺は自分の妻であるカミラの幸せを、あんなに激しく強く願えないんだから。マーガレットの前で言うのはどうかと思うが、誰が見てもカミラは、ずっとアランに憧れていただろう?
それはアランに初めて紹介した時からずっとだった。俺はカミラが恋に落ちるのを目の前で見た時、彼女と自分がそういった間柄になる事は無いと悟った。
しかし一緒に時間を過ごしていけば、互いに穏やかな情を育めるんじゃないかと思い、そう務めてきたんだ。
だが余りに多くの事があり過ぎて、俺はもう、彼女とこの先の人生を歩もうと思えなくなった。だから彼が俺を責めるのも無理はない」
「カミラ様がアラン様を好きだというのは、私も何となく感じていましたが…」ローズは困った様にアランの方を見てから「でも、本当は違ったんでしょうね」と言った。
「違ったとは?」不思議そうな顔のトーマスに「気づきませんか?カミラ様はあの絵本が大好きだったんですよ。絵本の中の王子様に恋をしていたんです。その時カミラ様と一緒にいた男の子が誰だったか、分かりますよね」ローズが切なそうな顔をした。
「一緒にいた子…ああ、そうか。トムがカミラの王子だったんだな」
「そうです。だから悪魔は、カミラ様からトムと、大切な母代わりのケイトさんを引き離して、記憶も愛情も消し去ったんです。そうすればカミラ様がもっと不幸になって、自分の栄養になるから。けれどカミラ様の心に、二人への愛情は残り続けた。だからアラン様に惹かれ、私を妾に選んだんです。二人共金髪で青い目だったから」
マーガレットは「私もトムに会うまで、カミラ様もアランに心を寄せる女性の一人だと思っていたわ。だから私に意地悪をしてくるんだろうって。だけど悪魔に憑りつかれていたと分かった後、ローズと一緒に戻って来たトムを見たら、本当にカミラ様が求めていたのが誰か分かった。
意地悪をされていた時は悔しかったけど、お陰でローズに出会えて刺繍も上達したから、私はもう良いわ」と笑った。
「俺は何だか知らない内に振られたみたいだな」アランは苦笑いして、トーマスに尋ねた。
「君はこれからどうしたい。そろそろきちんと決めなきゃな」
「ああ。だが全て相手があることだから、俺の一存では決められない」トーマスが言うと、アランは「だが君がどうしたいのか決まっているなら、ちゃんとその方向へ進める様に行動しないと。トムはその点良いのか悪いのか分からないが、脇目も振らず一直線だ」と笑った。
「俺がどうしたいのかは、とっくに決まっている」トーマスが小さな声で言うと、アランは「そうか。それなら良い。俺に出来る事があれば何でも言ってくれ」とトーマスの肩を叩き立ち上がった。
「そうね。トーマス様は、まずカミラ様との事をはっきりさせないと」
アランとマーガレットは、一緒に部屋を出て行った。
トーマスとローズは、カミラの様子を見る為に寝室へ戻った。良く寝入っているカミラに二人が安心していると、横に付いていたシモーヌがローズに頼み事をしてきた。
「あの、ローズ様。申し訳無いのですが、少しカミラ様に付いていて下さいますか。
家政の事で指示を出す事が溜まってしまって」
シモーヌはクラウスが生まれてから家政を放棄していたカミラの代わりに、今もずっとシュタイン伯爵家の女主人の役割を担っていた。
「ええ。もちろん。レイモンドはお昼寝中で乳母が見てくれているし、私は時間があるから、ゆっくり仕事をして来て下さい」
ローズが快諾するとシモーヌはホッとして礼を言い、急ぎ足で部屋を出て行った。
「トーマス様も、帰ったばかりでお仕事が溜まっているでしょう。私はここにいますから、どうぞ行って下さい」ローズに促され、トーマスはありがたくそれに従う事にした。留守の間の執務が滞り、オリバーに迷惑をかけている自覚があった。
「ありがとう、ローズ。何かあったらベルで誰かを呼んでくれ。すまないがカミラを頼む」
一人になったローズは、さっきまでシモーヌがいたベッドの脇にある椅子に腰かけた。
ふとカミラの枕元を見ると、ケイトとトムがあちらの世界から持って帰ってきた絵本があるのを見つけた。
『カミラ様はレイモンド坊ちゃまに三回も絵本を読んで差し上げて』乳母が言っていた声が蘇ったローズは「カミラ様、ありがとうございました」と小さな声で礼を言って、絵本へ手を伸ばした。
本を手に取りふと思いついて、確かここら辺に…とページをめくって、ケイトが黒い魔力を吸い取っていた少女の絵を探した。
『ずっと灰色のまま、白に戻らなくなってしまったんです』
あちらの世界から戻る前に、少女の色がどうやっても変わらなくなったとケイトが心配していたのを思い出し、今は何色なのかを確かめたかったのだ。
「あった」少女を見つけたローズは目を見張った。
あちらの世界で見せて貰った時、確かにその少女はカミラと同じダークブロンドの髪で、服は灰色に染まっていた。
しかし今海の底にいる少女はダークブロンドではなく物語の通り金髪碧眼で、真っ白い服を着ていた。彼女はこれから同じ色を持つ王子と手を取り合って、海の国へ冒険に行くのだ。
(女神様はケイトさんに、カミラ様の魂の影をこの少女へ移したと告げていた。
それなら、カミラ様へ魂の影も戻ったのね。蛇に奪われた記憶も、絵の中に移された魂の影も、色んな物が欠けていたのが私の見ていたカミラ様だった。彼女は幼い頃から、孤独な冷たい闇の中で生きていたのだろうか)
ローズは思わず、眠るカミラの額へ手を伸ばし祈った。
(カミラ様の魂が元の輝きを取り戻して、再び明日を夢見る事が出来ますように。彼女を愛し守り続けた人の心がカミラ様に届き、明日へ進む力を与えてくれますように)
ローズの指先から伝わった聖女の祈りは、混乱と絶望の暗闇の中で苦しむ幼いカミラの魂へ届いた。
幼いカミラは、自分が成長する過程で行ってきた心無い言動や、悪魔と共に過ごして人々を破滅に導いた記憶に慄いて、心の隅に隠れ震えていた。
怯えて膝を抱え、しゃがみ込む彼女の頬を光が照らし顔を上げると、ローズの与えた祈りが一筋の道となって続いているのが見えた。
子どものカミラはその暖かさに導かれ、ゆっくりと立ち上がると一歩一歩光に向かい歩き出した。
「ローズ…」
カミラが目を開き、ダークブルーの瞳で自分を見ているのに気づいたローズは、額から指を離しした。
カミラの瞳を見ると、人にも自分にも厳しく、冷たかったカミラだけでなく、無邪気に笑い走り回っていたカミラも帰ってきたのがローズには分かった。
カミラの視線はもう温度の無い無機質なものではなく、暖かな血が流れる、生きた人間の複雑な感情を表していた。
「カミラ様。気が付かれましたか」ローズが静かに尋ねると、カミラは視線をそらした。
「私はあなたに対して、許されない事をした。それなのに、どうして私に良くしてくれるの」
「それはあなたが悪魔に憑りつかれて、長い間辛い目に遭われていたと分かっているからです」
ローズが答えると、カミラは首を横に振った。
「いいえ。私のした悪事には、悪魔の指示じゃなく自分の意思だった事も沢山ある。
その一つが、あなたをお金で買ってトーマスの妾にした事よ。私はあなたと同じ色の、金髪碧眼の子どもが欲しかったの。その為に条件に合う令嬢を探して、あなたを選んだのよ」
「ええ。カミラ様が金髪碧眼の子どもが欲しくて私を選んだと知っていました。それなのに生まれて来たレイモンドがトーマス様そっくりで、とてもがっかりしていた」
「そうよ。あの時私は心底失望して、あなたに酷い言葉をかけた。
それに自分であなたを妾にする画策をしたのに、トーマスがあなたに夢中になって、大切にしているのがとても腹立たしかった。だからトーマスがあなたの所へ行く邪魔もしたし、妊娠中は私のメイド達にあなたを監視させた」
「そうでしたね。だけどそれは正妻としては当然だったと思います。昔から一緒にいたトーマス様があなたを顧みなくなったと感じて、寂しくて悔しかったんでしょう。
私の妊娠中の監視については、正直気が狂いそうになる程鬱陶しかったですけど…メイドが何でも世話してくれるし、カミラ様の持ってくる本で勉強出来たのは助かりましたよ」
ローズがいたずらっぽく笑うと、カミラは呆れた様に横を向いた。
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