第173話 優太_君に会えない日
その電話は休憩室でお弁当を食べている時にかかってきた。着信を見てすぐに知夏の店だと気がつく。周りを伺うと何人かが休憩中だ。とてもここでは電話に出れない。俺は急いでお弁当を食べて会社の外に出た。
いつもメールでやり取りしているのに、なぜ電話なんだろう。嫌な予感がして折り返しをする。
『はい!お電話ありがとうございます!人妻専門店渋谷店です。』
久々に店長のだみ声を聞いた。
「あの、さっきお電話を頂いた白川です」
『あっ、シラカワ様!わざわざの折り返しありがとうございます。今週の土曜日、10月25日に頂いた莉奈さんのリクエスト予約ですが、体調不良でお受けするのが難しくなりまして、大変申し訳ございませんがキャンセルさせて頂きたく存じます。』
えっ、キャンセル…?
「あ、あの、生理でしたら食事だけでも構いません」
『申し訳ございません。体調不良のためお会いすること自体が難しい、とのことです』
「あ、わかりました…。えっと、次の出勤日は決まっていますか?」
『残念ながらまだ決まっておりません。出勤日が決まりましたらホームページにアップされますのでご確認くださいませ』
「わかりました…」
『この度は大変申し訳ございません。またのご利用をお待ちしております』
切れた電話を耳に当てたまま、呆然とした。体調不良ってなんだろう。次の出勤日も決められないほど、体調が悪いのだろうか。もしかしたら事故にでもあって入院しているとか?このまま会えない、なんてことは無いよな?
彼女の住まいは西日暮里だ。家の場所はどこかわからないが、とりあえず西日暮里にいってみようか、と無意識のうちに考えていることに気づいて、慌ててその考えを打ち消した。さすがにこれではストーカーだ。
体調不良がどのくらい深刻なものなのか、それだけでも確かめたかった。しかし、店長は細かいところまで教えてくれないだろう。もし、そんなことをしたらしつこい客だ、と不審がられてしまうかもしれない。知夏に連絡先を教えてと言った時、断られてしまったが、もっと粘ればよかった。
俺はお店のホームページを開き、知夏のページを開いた。毎週、週明けに更新されている写メ日記が、先週も今週も更新がされていなかった。
お店のホームページを閉じると俺は念のため、店の着信履歴を消した。ゆずが俺の携帯を勝手に見ることは無いと思うが、大和が彼女に携帯を勝手に見られた、という話を聞いてすっかり店とのやり取りは削除するよう癖がついた。
どうしようもなく心配と不安で胸が痛い。気づけば冷や汗をかいている。俺は気持ちを静めようと会社の周りを歩き続けた。歩きながらひたすら頭の中で数を数える。会社の周りを2周する頃には、少し気持ちが収まりオフィスに向かった。
営業フロアに戻るとやけに社員が少ない。なんでだ、と思いながらパソコンを立ち上げると、自分のスケジュールを見て慌てて席を立った。すっかり午後一の会議を忘れていた。遅れて会議室に入ると、営業部長が険しい顔を俺に向けた。
「どうした白川、遅刻なんて珍しいな。顔色が悪いが、体調悪いのか?」
「…いえ、大丈夫です。申し訳ございません。」
同じ会議室にいる圭介と大和が首をひねって、こちらを見ていることに気づいたが、目を伏せ末席に座った。
会議は全く頭に入ってこず、言葉を耳で拾っても意味のある言語として脳が処理を拒んでいるようだった。それでも何度か、集中して話を聞こうとするが会議が終わると、俺のパソコンのメモには『売り上げ必達』とだけ書かれており、具体的な戦略がかかれておらず全く役に立たなかった。
そして、会議後にとんでもないミスをやらかしたのである。
作成した見積書の送付先を間違えてしまったのだ。部長から引き継いだ得意先だったので、このことは部長の耳にすぐに入った。俺は会議室に呼ばれ、営業部長のいかつい顔面と、ガタイの良い体から怒りの圧を真正面から浴びた。
「今回は商品単価が同じだったから、良かったものの、単価が違っていたら大問題だぞ!」
取引先へ卸す単価は、契約数によって割引率が異なる。今回間違って送ってしまった得意先と、見積書に記載している取引先との商品単価は契約数が同等のため割引率が一緒だったことが不幸中の幸いだ。
「明日、俺も行ってやるから謝罪しにいくぞ」
そう言って部長は携帯で得意先に電話をした。目の前で明日のアポを取っている部長の声をきき、俺はいたたまれなくなった。明日の10時に得意先とアポを取った部長は、電話を切ると俺に、10分前に現地集合な、と言った。
「体調が悪いなら、無理せずにゆっくり休め。早退しても大丈夫だぞ。それもとなにか、心配事があるのか?」
本当に俺を気遣ってくれる声色に申し訳なさに頭が下がる。通っている風俗嬢と会えなくなったとは死んでも言えない。
「いえ、大丈夫です。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「わかった。じゃあ、今から明日の手土産を買ってこい。買ったらそのまま直帰しろ。勤怠は定時後に押せよ。」
そう言って部長は胸ポケットから財布を出すと、3000円抜き出し俺に手渡してきた。受け取るわけにもいかず、慌てて首を横に振った。
「いや、俺のミスなので俺が払います。定時後でも店には寄れるので」
「いいから、部下を思いやる俺の気持ちを受け取れ」
ぶっきらぼうに言いながら俺に3000円を押し付けて、部長は席を立った。
「今すぐに買いに行って直帰しろよ。あそこの担当者は羊羹が好きだから、とらやの羊羹でも買えば向こうも機嫌を直すだろ。」
食べやすいよう小さいものにしとけよ、と言って部長は会議室から出ていった。俺はたった今、部長から受け取った3000円を見つめて、そっと目をこすった。
自席に戻ると、圭介がそっとやってきた。斜め前に座っている大和がパソコンの横から顔をのぞかせている。
「どうしたの?何かあった?」
「いや、大丈夫」
「仕事終わったら飲みに行く?」
「いや、今日はちょっと…」
今、飲みに行くと情けない心情をさらけ出してしまいそうで怖い。圭介はそっか、と言い持っていたお菓子をデスクに並べた。
「美味しいもの食べると元気がでるからね」
俺はお礼を伝えると、パソコンを鞄にしまい帰り支度を始めた。
「外出?」
大和が身を乗り出しながら聞いてきた。俺は、おつかい、と短く答える。
「明日、千早も誘って4人で飲みに行こうよ。」
「…いいよ」
気を遣わせてしまったことに申し訳なさを感じ、大和と圭介に片手を挙げて挨拶をすると、部長のデスクまで行って頭を下げて退社した。
銀座線に乗って銀座駅へ着くとまっすぐとらやに向かった。とらやで買い物をするのは初めてだったが、部長が言っていた小さな羊羹はすぐにわかった。俺は羊羹の詰め合わせを購入し、領収書を受け取ると直ぐに銀座駅に戻り日比谷線で北千住駅に向かった。
とんでもなく情けなかった。情けなさ過ぎていたたまれない気持ちで一杯だった。しかし、それ以上に知夏にもう会えないかもしれない、と思うと情けなさ以上に辛さが募った。




