第五話:外部生の不安と劣等感
「ここが魔法学院……」
石壁の向こう側――レオニダス魔法学院の敷地に足を踏み入れたロイドは、そこに広がる光景に息を呑んだ。
ロイドと同じく魔法学院の制服に身を包み、白いローブを靡かせながら石造りの道路を行き交う生徒たち。
その数に驚き、同時に周囲にそびえる建造物の数にも目を見張る。
事前に軍から魔法学院に関する資料を渡されていたとはいえ、実際に目で見ると圧倒される。
(これは、人材探しも一苦労しそうだな……)
人材探しに一人の取りこぼしも許されない。その取りこぼしが、もしかしたらとてつもない力を持った者かもしれないのだ。
帝国との戦争に有用な魔導士をみすみす見逃すわけにはいかない。
「すごいですね……」
ロイドの傍らに立つ黒髪の少女も同様に感嘆の声を漏らす。
「そういえば、これを渡しておかないとな。裏路地に行く途中で拾ったんだ」
「あ、私いつの間に落として……ありがとうございます!」
思い出したように、ロイドは懐に仕舞っていた少女の学生証を手渡す。
と同時に、罰が悪そうに頬を掻いた。
「すまない、拾った際に中を見てしまった」
「き、気にしないでください! ……その、姓がないのは別に珍しいことではないですから」
学生証に書かれていた少女の名前には、姓が書かれていなかった。
昔とは違い、今は平民も姓を持つ時代。そんな時代に姓を持っていない者がいるとすれば、それは孤児か、あるいは身分を隠したい者かのどちらかだ。
「私の名前はもうお知りだと思いますが、改めて自己紹介を。私はフィリスと言います。この度は助けていただきありがとうございました」
「……俺はロイド。君と同じく、ただのロイドだ」
ロイドの名乗りにフィリスは目を見開き、それからどこか可笑しそうに笑った。
◆ ◆
「どうやら同じクラスらしいな」
「そう、みたいですね」
高等科の校舎へと向かうと、昇降口近くの看板に一年生のクラス分けの紙が貼り出されていた。
ロイドとフィリスは共に人垣をかき分けながらそこまで行き、そして己の名前が書かれているクラスを確認して思わぬ運命に顔を見合わせた。
「これも何かの縁だ。ひとまず一年間よろしく頼む」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
ロイドがそう言いながら手を差し出すと、フィリスは一瞬固まり、それから弾かれたようにその手を握り返した。
その後、二人は校舎へと足を踏み入れた。
四階建ての校舎の階段を昇り、最上階まで向かう。
そのまま廊下を突き進み、いくつかの教室を通り過ぎて、ようやくお目当ての場所――ドアに『1-D』と書かれた看板が貼り付けられた教室の前へと辿り着いた。
既に教室には何人も人がいるのか。彼らの喧騒が廊下に立つロイドたちの耳に届いてくる。
ロイド自体はそれほど緊張していないものの、フィリスはその話し声を聞いて身を強張らせて萎縮している。
「どうした? 体調でも悪いのか」
「だ、大丈夫です。ただ……」
「……?」
ロイドの問いに、フィリスは俯きがちに唇を引き結ぶ。
彼女のその態度の理由が判然とせず、ひとまずこのまま廊下に突っ立っているのもよろしくないので、ロイドは教室の引き戸を開けた。
――その時、教室内にいた生徒たちの視線が一斉にロイドとフィリスの二人に向いた。
ロイドはそれらを気にせず、教室の中へと足を踏み入れる。
その背中を、フィリスがおどおどしながら追った。
「席は自由、か」
黒板に書かれているその旨を読み取り、ロイドは教室の後ろに視線を移す。
階段状に、後方になるにつれて高くなっている。そしてそこに三人が座れるほどの長さのイスが三つ。その前の同じく三人が使えるほどの長机が置かれている。
既に教室にいた生徒たちはその殆どが後ろの方に陣取っていた。
さすがのロイドもその中に入っていく気は起きず、大人しく一番前の列のイスに腰掛けた。
「ん? 座らないのか?」
「ッ、はい!」
いつまでも教卓付近で突っ立っているフィリスに声をかけると、彼女は弾かれたように足早にロイドの横へ移動し、そこに腰掛けた。
そしてまたすぐに俯く。
その様子を訝しみながら見つめているロイドの耳に、後方に陣取る生徒たちの声が届く。
「おい、あれ誰だ?」
「知らないな、中等科で一度も見たことがない」
「もしかして、外部生じゃない?」
好奇の入り混じった声と、そして僅かな嫌悪が含まれる眼差し。
そういうことか、と。ロイドは小さくため息を吐いた。
そもそも、外部生というのは魔法学院に途中から編入してきた生徒のことを指す。そして基本的に外部生は普通の生徒からは下に見られることが多い。
何故なら、途中から編入してくる者は総じて魔導士としての才能が開花するのが遅かったからだ。
あらゆる物事も、学ぶのが早ければ早いほど上達し、より高みへといける。
高等科から編入してきた外部生は、初等科から魔法を学んでいる生徒と比べて六年のアドバンテージがある。
そのアドバンテージは直接魔導士としての力量に現れてしまう。
ならば何故それぞれの科を、年齢ごとに区切ってしまっているかといえば、それはやはり年齢によって限界があるからに他ならない。
歳をとるごとに魔導士としての器は更に深く、大きなものとなる。例え魔導士として目覚めてから一年しか経っていない者でも、六歳も年下の者と比べれば前者に軍配が上がる。
(俺の場合はそもそも軍に入って魔法を習っていたからそんな感覚はなかったし、何よりそういうのに興味はないが……)
フィリスは違う。
彼女は、ロイドと同じく高等科からの編入であるとは言え、彼とは境遇がかけ離れている。
本当に一から魔法を学ぶことになる彼女が、既に魔法を学んでいる彼らに対して劣等感を抱き、萎縮してしまうのは仕方がないことだろう。
何より、初等科、中等科と過ごす間に、彼らの中でもコミュニティというものは当然形成されている。
その中に自分が溶け込むことができるのか、という純粋な不安もあるのだろう。
(だが、俺の視たところ彼女は――)
ロイドの目が、軍人としてのソレに変わる。
「――!」
が、直後教室のドアが開かれた音で、意識が舞い戻る。
ロイドはその音でフィリスから一旦視線を逸らし、天井を見上げて大きく息を吐いた。
そしてフィリスの方へ向き直り、努めて優し気な声色で話しかける。
「フィリス」
「は、はい!」
俯いていたフィリスは顔を上げてロイドを見返す。
「俺も君と同じ外部生だ。さっきも言ったと思うが、よろしく頼む」
「――――」
フィリスはしばしの間呆然とロイドを見つめる。
そして、彼が彼なりに自分を元気づけてくれていることを理解し、満面の笑みを浮かべた。
「はい!」
「――ッ」
彼女の髪色と目の色が同じだからだろうか。彼女が自分の後ろを追ってくるその様子が似ているからだろうか。彼女のその無邪気な笑顔がいつも自分に向けてくれていたものとそっくりだったからか。
――フィリスを、かつて喪った妹と重ねてしまったのは。
(……らしくない。前線を離れると、調子が狂うな)
心の中で舌打ちをして、己の馬鹿な妄想を一蹴する。
そしてそれ以上その妄想を引っ張らないために、ロイドはフィリスから視線を逸らして教卓の方を見つめた。
丁度その時、校舎一帯にチャイムが鳴り響いた。