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8月15日



「海を見に行こう」

ビーチサンダルを履いた翠が玄関前で言った。

「海って……オレ免許もってねぇし」

「電車で行こうよ。たぶん三時間くらい。お弁当も作ったから」

いつも翠の思いつきで亮平はふりまわされる。

でも、亮平にとってそれは苦ではなかった。むしろ少しそれが楽しみでもあった。バスを乗りつぎ、電車に乗った。ここまでですでに四十五分かかってしまった 。


「こりゃあ、なかなかの長旅になりそうですねぇ」


ガタンゴトンと一定のリズムで揺れる車内で窓に肘をかけながらつぶやく。

「計画通りに進む旅行ってのは、ただ疲れるだけなんだよ。もうほらすでに予定狂ってるよ。これは楽しくなりそうですねぇ」

なんでこんなに翠のテンションが高いのかは謎だった。

「おにぎり食べる?」

「おう、サンキュー」

朝つくってくれたのだろう。翠の手のサイズのこぶりのおにぎりだ。

「おいしい?」

「うん、あ、お前ほっぺたに米ついてる」

そういって亮平は翠の頬の米をとった。翠は俯いて黙ってしまった。

「おい。そんな下向いてたら酔うぞ。お前あんまり乗り物系得意じゃないだろ」

「うっさい。アホ」

「なに怒ってんだ……」


トンネルを抜けた窓の外には海が広がった。四時間の電車の疲れもふっとんだ。今まで海に行くときは親の車だったから。電車で海に行くことは、二人にとって新鮮なことだった。電車を降りると、そこは塩の匂いがしていた。海岸沿い独特の雰囲気が、海にきたことを実感させた。

「せっかく来たんだからやっぱり水着もってきたらよかったなぁ」

「亮平知らないの?お盆に海で泳いだらダメなんだよ」

「だったらなんでわざわざ海をチョイスしたんだよ…」

「私も今の今まで忘れてた。まぁ初めから泳ぐ気はないよ。男の子の前で水着とか嫌だもん」

そんな意味のない会話をして歩くこと五分。ようやく二人は砂浜までたどり着いた。



「おぉー」

「わぁー」

キラキラ光る海。砂浜には誰もいなかった。

「誰もいないねぇ」

「海に入っちゃいけないからな」

「うん」

足跡をつけて海に向かう。

「うひゃ、冷たっ! ほらほら!」

「うおっ、お前やめ」

翠が水をかけてくる 。笑いながらキラキラ光る水をかけてくる翠が愛おしかった。たった一年の空白が、もう何十年ものように感じた。

それだけずっと、いつもずっと、二人でいたんだと思い知らされた。


「じゃあ、亮平が鬼ね。」

「なんだよそれ」

「逃げろー」

バシャバシャと、折り曲げたズボンが濡れる。笑ってしまってうまく走れない。トロトロと二人で走った。

「よぉーし、捕まえた」

―――スカッ

伸ばした手が翠を通り抜けた。

「へへっ。私は私が触れたいと思うものしか触れないのです」

「うは、ずるいぞオイ」



「ちょっと休憩しよ。疲れた」

木陰に隠れて二人で涼んだ。

「そういえば亮平は彼女とかいんの?」

「いないな。作ろうとしたこともない」

「ちゃんと作らないとダメだよ?亮平はたぶんきっとほっといてもモテるよ」

「そんなことないって」

翠が素直な目で亮平を見つめる。

「…学校もちゃんといきなよ、……友達ともちゃんと遊ばなきゃ」

「なんで知ってんだよ」

「ごめん。たまに見てた。あっちから」

亮平は翠が亡くなったあの日から少し変わってしまった。他人からみたら無気力になってしまっていた。翠がいなくなってもなにも変わりなくまわり続ける世界。なにも変わらなくたわいもない話で笑いあう同級生たち。きっとあえて亮平には翠の話題をふらなかったのだろう。みんな気をつかってくれていたのだろう。そのことにちゃんと亮平も気づいてはいた。

だけどやっぱり悲しかった。なにより翠のいない世界で、自分のせいで死んでしまったのに。そのオレが、翠のいないところで楽しそうにしていいのかと、ずっとずっと思っていた。ちゃんと普通に生きていいのかって、ずっとずっと思っていた。翠の手が亮平の頬に触れた。

「いいんだよ…?亮平。私のこと忘れていいんだよ。ちゃんと生きて。みんなと笑っていいんだよ。」

「うん…」


ポロポロと涙が頬を伝う。嗚咽がもれる。誰かに言ってほしかった。ちゃんと生きてもいいって、誰かに言ってほしかった。その言葉を翠がくれた。わざわざお盆に帰ってきてまで、言いにきてくれた。翠が頭を撫でた

「泣かなくてもいいのに」

「………れない」

「えっ?」

「忘れないよ…。みんながどんだけお前のこと忘れてしまったとしても、オレだけは絶対ずっとこのまま、覚えてる」

ポロポロと大粒の涙が翠からも零れた。

「ありがとう…。嬉しい…。」

「泣くなよ」



そよそよ優しく揺れる風にふかれ、二人は肩を寄り添っていた。波の音が慰めてくれる。二人して泣いた夏の日。言葉などどこにもいらなかった。ずっとこうしていれればいいのに。二人で同じことを思った。

「なんでだろうな。たまにふと思うんだ」

「なにを?」

「なんでコイツといるとき、こんなに飾らなくていいんだろうなぁって」

「うん……」

「どれだけ自分を見せたって、自分の嫌いな部分を見せてしまったって、大丈夫な気がすんだよ。そのことがすごく嬉しいなぁって、他の人の前ではどうしても、ここまで素直になれないからさ」

静かに翠はうなずいた。声には出さずとも気持ちは届いていた。

「なんで私死んじゃったのかなぁ。ごめんね。」

困った表情で笑ってみせた。

「お前は悪くねーだろ…」

「私が死んじゃったせいで、亮平も私の家族も、友達も先生もみんな悲しませちゃったから。泣かせたくない人を私のせいで泣かせちゃったから。ずっと謝りたかったんだぁ。それでも、みんなちゃんと前に進んでいってくれる。あっちから見ててそれだけは本当に嬉しかった。私ね。本当は帰ってくるの怖かったんだ。みんなせっかく私のこと忘れかけてくれてるのにまた会って思い出させて悲しませちゃったらどうしようって、だから、あのとき嬉しかった。亮平が追いかけてきてくれたことが。驚きながらも喜んでくれた。帰ってきてよかったよ。ありがとう」

「バカだなぁ」

「えっ」

「お前と、もう一度会って悲しむ奴なんていねーよ。みんな絶対喜ぶ。お前に会いたいってみんな思ってる。一年たった今だって。」

「ほんとに…?」

「それに前に進んだのは忘れたからなんかじゃねぇよ。みんなちゃんと向き合って乗り越えたんだ。お前がいなくなったことちゃんと考えて受け入れた。だから、会っても大丈夫」

大丈夫だから…と続けて、頭を撫でた。日が暮れた。




「買ってきた花火しよっか」

バリバリと袋を開ける。

「花火って何年たっても入ってるもん変わらないんだなぁ」

ろうそくに火をともした。それを二人で囲んだ。

「綺麗だね」

「私、花火って名前すごく好き。火の花って。考えた人は、相当なロマンチストだったんだろうね」

「そんなこと考えれるお前も十分だよ」

「うるさいなぁ」

始めたらあっという間になくなった。

「あんなにたくさんあったのに」

翠が花火に拗ねた。

「最後の花火終わっちゃったねぇ」

「そうだな」

「帰るか」

「やだ」

「んえ……」

と、亮平は顔を赤くしてしまった。

「え…。なにあんたなんで顔赤く… ってそ、そそそういうのじゃないから変態!気持ち悪い近寄らないで!」

「ち、ちげーよバカ。花火で、の、のぼせたんだよ!」

苦しい言い訳をしてしまった。

「うそだよ。帰ろう。ほら手」

「手…?繋ぐのか?」

「うん」

「じゃ…。仕方ねーな。別にオレはどっちでもいんだけど」

「早く繋ぎなさいよ」

翠の手を通り越し、亮平の手が空をきった。

「…おい」

「触らないでよね変態」



帰りの電車は二人して寝てしまった。話したいことはあった。でも、話すきっかけがなかった。話してしまったら、もう元には戻れない気がした。そうしていつも先延ばしにしているうちに、翠は死んでしまった。もう話せなくなってしまった。翠が目を覚ました。目の前で座っている亮平の寝顔を見た。

いつもこんな顔して眠ってるんだなぁ。スー、スーと寝息をたてる。胸が膨らんではしぼんでいく。

息をしてるんだなぁ、ちゃんと、生きてるんだなぁ、嬉しいなぁ。亮平が生きててくれて、ちゃんと成長していってくれて。

きっと…。楽しいことがあったら笑ったりして、幸せを感じたりするんだろうなぁ。そう思うと涙が零れた。

「あれ…?なんで涙が……」


あぁ、そっか。私亮平のことが好きだったんだ。だから一緒に生きていたいって、そんなことを考えてしまったんだ……。



「バスなくなっちゃったね」

電車を降りてバス停の時刻表を確かめたらとっくの昔に終わっていた。

「そういえばお盆の時刻表だったわ。タクシー捕まえるか?」

「ううん。歩いて帰りたい。ダメかな…?」

「いいよ。歩こう」

雲ひとつない星空。

「誰もいないね」

静かな夜道を二人で歩いた。

「夏… 終わっちゃうね…」

「なぁ……。もう帰ってこれねーのか……?いつだってオレは歓迎するぜ……?」

「無理っぽいなぁ……。ごめんね。次はもうないんだよ。だって私もう死んでるんだもん」

「そう……だよな」


「生きてるってそういうことだよ……」

星空を見上げて、翠がそう言った。



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