目に映るもの
昼前の市場は慌ただしかった。
ハンナは焼き上がったパンを籠へ並べている。
一つ一つ確認し、最後に布を掛けた。
約束の時間になると、アルビーが店へやって来た。
ハンナは布を掛けた籠を持ち上げる。
「これ、門兵詰所まで届けてほしいんだ」
ハンナが差し出した籠をアルビーは受け取る。
「今日は新しいのを入れてみたんだけど」
ハンナは少しだけ笑った。
「お試しで少しだけね。感想を聞けたら教えて」
「分かりました」
アルビーは籠を抱え直した。
「行ってきます」
「お願いね」
ハンナはうなずいた。
◇
アルビーは市場の喧騒の中へ歩き出した。
市場から共同倉庫を抜け、工房区を通り過ぎる。
さらに進むと、石造りの詰所が見えてきた。
門兵詰所だった。
入口の近くにいた門兵がアルビーへ気付く。
「お、パン屋か」
「届けに来ました」
門兵は籠を受け取る。
近くにいた別の門兵も覗き込んだ。
「いつも悪いな。ん?」
「なんだこれ」
「肉か?」
「うまそうだな」
「小さいのしかないぜ」
「お試しってことだろう」
アルビーはその様子を少し見ていた。
だがすぐに別の音が耳へ入る。
乾いた音だった。
木と木がぶつかる音。
詰所の奥へ視線を向ける。
門の脇では数人の門兵が訓練を見ていた。
その少し先で、若い門兵二人が木剣と木盾を構えている。
少し離れた場所では、年配の門兵が腕を組んで見ていた。
「そこだ」
若い門兵の一人が踏み込み、木剣を振った。
相手は盾を上げる。
鈍い音が響いた。
受けた勢いのまま盾を押し出す。
攻めた門兵が一歩下がった。
すぐに踏み込み直し、今度は力を込めて木剣を振り下ろした。
相手は正面で受けず、体をずらした。
盾を滑らせるようにして剣を横へ流し、そのまま横を抜ける。
「遅い! 正面ばかり見るな」
年配の門兵が声を飛ばす。
若い門兵は構えを直した。
「逃がしたらどうなる」
若い門兵は口を閉ざした。
年配の門兵は小さく息を吐く。
「賊を逃がしたら誰かが被害にあうかもしれん。次!」
若い門兵達は再び向かい合った。
アルビーは黙って見ていた。
剣よりも先に目に入ったのは足だった。
踏み出す。
止まる。
下がる。
向きを変える。
同じように見える動きが少しずつ違う。
一人が動けば、もう一人も動く。
その繰り返しだった。
やがて門兵達が木剣を下ろす。
アルビーはその先にある大きな門へ視線を向けた。
大きな門だった。
アルビーの背丈より何倍も高い。
厚い木材と黒い鉄で作られている。
門は開いていた。
人が行き来している。
荷車を引く男。
大きな袋を背負った女。
工房の職人らしい男達。
門兵達は一人ずつ確認していた。
身分証を見せる者もいる。
紙を見せる者もいる。
その様子をアルビーは眺めていた。
やがて一人の男が呼び止められる。
男は慣れた様子で紙を差し出した。
門兵は紙に目を通した。
「もうすぐ期限だったな」
「はい」
「更新所は時期によって混むからな」
「余裕があるうちに済ませとけ」
「ありがとうございます」
門兵から紙を受け取った男は頭を下げた。
「気を付けてな」
男は笑って門をくぐっていった。
アルビーはその背中を見送りながら門の向こう側へ目を向けた。
「おい」
不意に声がした。
振り返ると、先ほど検問をしていた門兵だった。
「二つしか残ってないぞ」
詰所の中から声が返ってきた。
「え?」
「四つあっただろ」
少し間が空く。
「あ」
「お前らか」
門兵達の視線が二人へ集まった。
「いや、うまかったから……」
「一口だけのつもりだったんです」
「馬鹿野郎」
「試食だとしても勝手に食うな」
二人はそろって肩をすくめた。
「すみません」
詰所の中から情けない声が返ってくる。
検問の門兵は呆れたように息を吐いた。
それからアルビーへ視線を向ける。
「ハンナによろしくな」
アルビーはうなずいて踵を返した。
◇
昼過ぎの広場は賑やかだった。
子供達が走り回り、井戸の近くでは住民達が立ち話をしている。
リアムは広場を横切った。
手には一本の棒を持っている。
「リアム!」
よく遊んでいる子供達がこちらへ駆け寄ってきた。
「どこ行くんだ?」
「別に」
「門のとこ行くんだろ」
「なんで分かった」
子供はリアムの持つ棒を指差した。
「それ」
周囲から笑い声が上がる。
リアムは目を逸らし頬をかいた。
「訓練やってるかもしれないし」
「俺も行く」
「俺も」
子供達が口々に言う。
「じゃあ行こうぜ」
子供達は連れ立って広場を後にした。
向かう先は第八区との境界門だった。
門兵詰所の脇では、二人の門兵が向かい合っていた。
木剣を横薙ぎに振るう。
相手は後ろへ下がってかわした。
さらに下がろうとしたが、後ろへ逃げる場所がない。
今度は盾で受けて押し返した。
攻めた門兵が一歩下がる。
すぐに踏み込み直した。
押し返されないよう足を踏ん張り、木剣を大きく振り下ろす。
相手は体をずらしながら剣を流した。
そのまま横を抜けようとする。
だが、攻めた門兵の蹴りが横へ抜けようとした相手の進路を塞いだ。
「うおっ」
相手は慌てて飛び退いた。
「すげえ!」
子供達から歓声が上がる。
「悪くない」
年配の門兵から褒められた若い門兵の口元が緩む。
「あぶねぇなこの野郎……今度はこっちの番だ!」
「ひぃ」
逃げ出そうとした門兵へ年配の門兵が怒鳴った。
「こら! 逃げてどうする!」
笑い声が上がる。
リアムはその様子を見つめながら、手に持った棒を強く握っていた。
◇
やがて訓練は終わり、子供達は門兵詰所を後にした。
リアムの頭の中には、さっきの訓練が残っていた。
受け止めた相手を下がらせる剣撃。
その剣を受け止め押し返す盾捌き。
よく分からなかったが、足も使っていた。
気付けば、何度も手の棒を握り直していた。
広場へ戻ると、子供達は訓練の真似をし始めた。
「あの蹴り見たか?」
「見た見た」
「俺もやる」
拾った枝で木剣を振る真似をする。
「こうだって」
子供達は思い思いに門兵の真似を始めた。
リアムも棒を構える。
横に薙ぐ。
振り下ろす。
受けて、押し返す。
さっき見た訓練を思い出しながら動く。
その時だった。
「すきあり!」
「うおっ」
後ろから足を軽く蹴られる。
振り返ると、蹴った子供は腕を組んで笑っている。
「まえばかりみるな、ばかもの」
そう言うと逃げ出す。
「待てこの野郎!」
笑い声が上がる。
「このまま鬼ごっこしようぜ!」
「賛成!」
子供達は一斉に駆け出した。
リアムもその後を追いかける。
広場に笑い声が響いた。
◇
夕食後、アルビーは孤児院の中庭にいた。
手には一本の棒がある。
昼間見た門兵達の訓練を思い出しながら振る。
踏み込んで振る。
向きを変えて振る。
風を切る音が響いた。
だが棒は思ったより遅かった。
さらに強く振る。
その瞬間、棒が手の中で滑った。
危うく落としかけ握り直す。
もう一度、踏み込んで振る。
今度は最後まで振り切ったが遅かった。
少し離れた場所ではマルクが憂鬱そうにその様子を見ていた。
(……剣も使えたのか……)
小さく息を吐く。
(……もうすぐ祈りの日か……)
視線の先でアルビーは黙々と棒を振り続けている。
踏み込みを浅くし、握る位置も少しずつ変えていた。
先ほどより自然に振り抜けたが、まだ遅い。
アルビーは棒を構える。
そしてもう一度、棒を振った。




