第二話 勝てない戦争
──親父の背中が、不自然に揺れる。
何が起きたのか分からなかった。
斬撃も、衝撃も、見えなかった。
それでも、父の体から血が噴き出す。
「……あ?」
戦場に似つかわしくない声が、父の口から漏れる。
その間の抜けた響きが、妙に耳に残った。
親父は振り返ろうとした。
……俺を探そうとしたのだろうか。
だが、その動きすら酷く遅い。
岩より硬いはずの身体。
腕が落ち、
脚が離れ、
強さが、崩れていく。
人間は、無駄な動きをしなかった。
「酒呑童子を殺す手順」を、淡々となぞる。
派手な技はない。
怒号もない。
正解だけが、積み重なっていく。
倒れたのは、──父だった。
それでも立ち上がろうとして、
最後に俺と目が合った。
その目にあったのは、誇りでも怒りでもない。
焦りだった。
……守れなかった、という顔。
次の瞬間、首が落ちた。
音は、思ったより軽かった。
***
俺は、瞬きもせずに見ていた。
泣けなかった。
叫べなかった。
足がすくんだのかどうかも、分からない。
ただ、頭の中だけが、異様に静かだった。
いや──。
壊れたのかもしれない。
喧騒が、一気に押し寄せる。
鬼たちが喚き、吼え、狂ったように走り出す。
金属の音。
肉が裂ける音。
骨が砕ける音。
鬼の咆哮が、戦場を埋め尽くす。
なのに。
迫り来る鬼の濁流を前にして、人間は静かだった。
たった五人。
誰一人、声を上げない。
ただ、決められた位置に立ち、
決められた動きで、鬼を迎え撃つ。
鬼は怒り、吼え、突撃し、死んでいく。
動きは速い。力もある。
それでも、次々と骸に変わっていく。
酒呑童子を斬った人間が、動く。
それだけ。
鬼は、斬られて死ぬ。
赤の鬼が倒れる。
青の鬼は遅れ、
黄の鬼が踏み込み、
緑の鬼が耐える前に──殺される。
後ろにいた四人の人間も、同じだった。
人の身で、鬼を吹き飛ばす者。
鬼の皮膚、骨ごと両断する刀。
見えない壁に叩き潰される鬼。
怪しく光る札。
何が起きているのか、わからなかった。
理解できないまま、鬼だけが死んでいく。
それでも、鬼は止まらない。
吼えろ。
前に出ろ。
人を殺せ。
それが鬼の戦い方だからだ。
頭が、追いつかない。
視界が、狭くなる。
親父は、……酒呑童子は殺された。
このまま前に出たら、
──俺も死ぬ。
その時、俺の中で、熱だけが抜け落ちた。
怒りはあった。
悲しみもあった。
恐れもあった。
ぐちゃぐちゃのまま、一つの言葉だけが浮かんだ。
──勝てない。
力の問題じゃない。
心の問題でもない。
これは……。
「──これ、勝つの……無理じゃね?」
自分の声が、やけに遠くに聞こえた。
怖かったわけじゃない。
冷静だったわけじゃない。
ただ、そう思ってしまった。
そういうものだと、納得してしまった。
その瞬間、
自分の存在が、少し薄くなった気がした。
心臓の音が遠のき、
呼吸の感覚が浅くなる。
吼えろ。
前に出ろ。
人を殺せ。
頭の奥で、叫ぶ。
けれど、黒い何かに包まれて、沈んでいく。
世界が、少し暗くなった。
誰かの殺気が、視線が、
俺を、素通りしていく。
俺は、そこに立っていた。
逃げてもいない。
消えてもいない。
ただ、
誰にも認識されていなかった。
武器じゃない。
力でもない。
──影。
黒い陽炎が、身体を包む。
戦場に、酒呑童子の息子は、確かにいた。
けれど誰も、その存在を認識できなかった。
その日、鬼たちはまた一つの敗北を重ね、
誰にも知られないまま、
黒い影が、生き残った。




