第三話 黒鬼は殺されなかった
⸻戦場は、死んだみたいに静かだった。
さっきまでの怒号と咆哮が、最初から存在しなかったかのように消えている。
倒れた鬼たちの身体から、まだ熱が抜けきらない。
血と臓と土が混じった匂いが、喉の奥に張り付き、息を吸うたびに吐き気を誘った。
立っているのは、五人の人間だけだった。
誰一人、汗ひとつ落としてはいない。
呼吸すら、乱れていなかった。
鬼を殺すことを、最初から最後まで「ただの作業」として終えた顔。
鬼たちは、ほぼ全滅している。
立っている者は、いない。
呻いている者が、わずかに残るだけ。
「……息のある鬼は、残り十八」
源頼光の子孫──あの男が、淡々と告げる。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がひくりと縮んだ。
ここからは、もう戦いじゃなかった。
まるで生き物を用途別に仕分ける、品定め。
四人の人間が、迷いなく動き出す。
役割分担は、最初から決まっているようだ。
一人は札を取り出し、
一人は鎖を引きずり、
一人は倒れた鬼の口を無理やりこじ開け、
一人は、その反応を無表情に観察する。
「適正あり」
「なし」
「……こっちは、ギリあり」
言葉は短く、乾いていた。
そこに感想も、ためらいもない。
適正のある鬼は、殺されなかった。
代わりに、舌に札を打ち込まれる。
紙が肉を焼き、沈む音が、妙に生々しい。
まるで魂そのものを、札で縫い止めているように見えた。
適正のない鬼は、その場で首を落とされた。
呻き声が、悲鳴に変わる前に、すべてが終わる。
俺は、それをただ見ていた。
……見ているはずだった。
そこに立っている。
倒れてもいない。
逃げてもいない。
なのに、最初から存在しないもののように扱われている。
人間たちの視線は、一度も俺を掠めなかった。
──影。
親父の死を見て、……勝てないと納得した瞬間。
俺は、「そこにいない」ものになったらしい。
それに気づいた途端、指先が僅かに震えた。
寒くないのに、歯が鳴りそうになる。
「品質の良い式神が、できそうですね」
ひと段落着いたのか、
札を打ち込んでいた人間が、満足そうに呟く。
胃の奥が、きりりと痛んだ。
「……酒呑童子の死体は?」
「確認済みだ。完全に討ち取った」
源の子孫が、短く答える。
「首もある。魂の反応も消えた」
その声に、何の感情もなかった。
勝利の余韻も、達成感もない。
ただ──予定通り。
迷いのない戦い。
迷いのない処理。
……ああ。
この人たちは、
本当に、これを何度も繰り返してきたんだ。
そう思った瞬間、胸の奥がひどく重くなった。
理解したくなんて、なかった。
鬼は強い。
それでも、人間の方が強い理由。
力の差じゃない。
数の差でもない。
──経験。
鬼は、その場で生まれ、
その場で吼え、
その場で死ぬ。
人間は、過去を残す。
記録を残し、磨き、次に渡す。
時間を、積み重ねているのだ。
勝てるわけがない。
……そう、思わされてしまう。
選別は、終盤に差しかかっていた。
生き残った鬼は、十三。
そのうち十二は、札を打ち込まれ、鎖で繋がれ、連れて行かれる。
最後の一体……赤鬼は、力を振り絞って暴れ、首を落とされた。
溢れ出る強い感情は、影が飲み干していく。
そして。
──誰も、俺に気づかないまま、終わる。
伝えなくては、里の鬼たちに。
人の強さと、鬼の弱さを。
無駄死にだけは、させないために。
そう思った、その時だった。
「……待て」
源頼光の子孫が、足を止めた。
空気が、ぴんと張り詰める。
他の人間たちの視線が、一斉に集まった。
「どうしました?」
「……いや」
男は、ゆっくりと視線を巡らせる。
地面。
血溜まり。
崩れた岩陰。
そして──俺が立っている場所。
正確には、何もないはずの場所に落ちている影。
「……そこに、何かいる」
その言葉と共に、影が霧散した。
心臓が、跳ね、
喉が、ひくりと鳴る。
逃げなきゃ、と思った。
でも、足がいうことをきかない。
見つかった。
そう、理解し身体が死んだように冷たくなる。
「子供……か?」
男の視線が刺さる。
俺は、息を殺した。
だが、影は答えない。
肺が勝手に空気を求める感覚だけが、身体に響く。
「恐らく、鬼です」
「チッ、油断したか」
「雑魚だ。殺そう」
「……気配を消している? いや……存在そのものを」
刀に手をかける。
膝に力が入らなくなる。
「待て」
その一言で空気が変わった。
源の子孫の目が、僅かに細まる。
初めて”目の色が変わった”ように見えた。
「……鬼とはいえ、子供だ」
人間たちの間に、戸惑いが生じる。
「力も、殺気も、ほとんどない。……脅威じゃない」
「ですが、鬼ですッ!!」
「ああ、餓鬼だ。情なぞ、お前らしくない」
「……まさか、見逃すのか?」
「そうです! 殺すなんで勿体無い。こんな稀有な個体、式神にして──」
札を持った人間が興奮しながら、じっとりと俺を見た。
「酒呑童子の、血の匂いがする」
源の子孫が呟く。
その一言で、全員が黙った。
心臓が耳元で鳴り出す。
「……息子、か」
男は、俺をじっと見ていた。
その目には、
憐れみも、
優しさも、
殺意もなかった。
ただ、測っている。
「放っておけ」
静かな声だった。
「──何もない。
この程度では、生きていても淘汰される。
人が……これ以上、無駄に手を汚す必要はない」
「……よろしいのですか?」
「ああ」
男は、背を向けた。
「これは、選別だ。
子を狩る仕事じゃない」
その言葉を最後に、
人間たちは、山を下りていった。
俺は、その場に残された。
誰にも縛られず、
誰にも殺されず、
誰にも救われず。
膝が、がくりと落ちた。
その時、ようやく分かった。
いや、分かったことに、しておきたかった。
俺の力は、
戦うためのものじゃない。
生き残るためのものだと。
見られない。
選ばれない。
数にも入らない。
だから、死なない。
そう思っていなければ、立てなかった。
──この世界で、生きるには。
派手な力も、
誇りも、
吼える理由も、いらない。
必要なのは、ただ一つ。
影になること。
戦場には、鬼の死体だけが残った。
その中で、
誰にも知られない黒が、
足を引きずりながら、次の場所へと歩き出した。




