後
俺は幼い子供に言い聞かせるように舞香に話してやった。
「なぁ、骨折も含めて何回も暴力振るって怪我をさせてきた相手から離れたいって思うのはそんなに不思議な事かな?」
「……なにそれ……あたしが悪いって言うの……? だって……! いつも遼馬があたしを不安にさせるからじゃん!!」
母さんは俺がどんなに怪我して帰ってきても舞香を責めることはなかった。男の子なんだからこのくらい我慢してあげないと、って。何で男だからって一方的に殴られなきゃなんないんだよ、おかしいとは思うが二人に俺の常識は通用しない。
「ねぇ、由美おばさんさ、例えばこれが逆だったらどう思う? 自分の子供をちょっとした事で怒鳴りつけて、殴って、怪我させて、時には骨折まで。そんな人間との付き合いを許しますか? これって傷害事件ですよね、虐めなんてレベルも通り過ぎてて。まともな親って引っ越ししてでも逃してくれると思うんですけど」
おばさんはさっと俺から目を逸らした。「ごめんね……知らなくて……」と消えるような声で呟いて、その顔色は倒れそうなくらい悪い。
聞こえないフリをして何も答えないうちの母さんよりはマシかな。
「舞香、お前自分がやってる事客観的に見たことある? これ傷害罪なんだよ、はーんーざーい」
「…………」
舞香も何も答えない。昔から都合が悪くなると暴力、俺が反論すると暴力、だったけど今は他の人の目があるから殴りかかっては来れないようだ。
「……くせに……遼馬のくせに……遼馬はあたしの言うことだけ聞いてればいいのに……!」
「あのさー、引っ越しの作業に戻るから、邪魔だし家に戻ってくれない?」
その俺の言葉に、舞香はバッと顔を上げた。暴力を振るうことを抑えているのだろう、噛み締める唇はわなわなと震えていて、今までの恐怖に支配されて腰が抜けそうになる。
「引っ越し! そう、どう言うことよ!! 何であたしから離れるなんて言うの!!」
「お前に暴力を振るわれたくないからだよ」
「じゃ、あ……もう叩いたりしないから……」
「遅いんだよね」
「え?」
「だから、もうそう言う段階とっくに過ぎてるから。謝って、もうしないって言われて許せたのは4歳までかな。もうとっくに無理。お前の事は大嫌いな存在でしかない」
「え……?」
「はい、御愁傷さまー。後悔するなら過去の自分の行いを悔やんでね。ここまで怪我させられて、俺は十分我慢したぞ?」
「……うそ、だよね……」
「嘘に見えるか? 俺、何度も何度も、毎回暴力をふるわれるたびに『やめてくれ』『痛い』って言ってたよな? 本当は一分一秒でももっと早くにお前から離れたかったんだけどな。お前の事、昔っから大っっ嫌いだったわ」
「うそ……うそ……! だって、遼馬はいつも最後にはあたしの言う事聞いてくれたじゃん! 部活だってあたしのために決めて、告白もあたしのために断ってくれて……! 志望校もあたしに合わせてくれたじゃん……!!」
「何言ってんだよ、記憶を捏造しないでくれ。お前が俺が『うん』って言うまで叩くからだろ」
ああそれか、うちの母さんと二人がかりで
俺を責め立てるかだな。「舞香ちゃんに謝れるまであんたのご飯ないからね」ってされたら言いなりになるしか無いだろ。
「やだ、やだぁっ、やだぁぁああああっ! 遼馬、行かないで! ごめんなさ……叩いたのも、怪我させたのも謝るから……もうしないから、だから、だから……!」
「いや、もう遅いって言ってるじゃん」
抱きつかれそうになったのをサッと避ける。再度地面に膝をついた舞香は、おめかししたんだろう新品に見える服が汚れるのに構わずうずくまったまま泣き出した。
「そんな……私もお父さんも許さないわよ! 引越しなんて勝手に……」
母さんのそんな言葉に、舞香は希望の光を見出したとばかりにパァッと顔を輝かせて立ち上がった。
引越しできない以上、これからも隣同士に住んでいれば嫌でも関わらざるを得ないからな。
可愛らしく見えるように涙を拭うと、暴君の名残が残る、「これからもお前はあたしの愛玩具だから」と副音声付きで話しかけてくる。
「じゃあ……あたしも、遼馬がこんな事するくらい嫌がってたってのは分かったから反省するし……遼馬もこんな騒ぎ起こしたよ謝って、それで終わりねっ?」
「終わらないし、もう遅いって言ってるだろ」
「遼馬! そんな馬鹿な事言い続けるなら大学の学費出さないわよ!」
「別に良いけど」
「そんなすねないの! 高校だってまだあるんだよ! 私と同じ大学行くんでしょ?! 来年の1月の試験日まで一緒に勉強……」
「引っ越す、これは決定だし、お前と一緒の大学は受験しない」
大学もやっぱり、舞香のわがままで同じところを受験させられる予定だった。
……俺は、獣医になりたくて。海洋学も学んで、獣医になって、水族館か動物園で海獣メインに診る医者になりたかった。ずっと小さい頃からの夢で。
舞香はこの夢を取り上げる事は無くて、俺はこの将来の職業だけは自由に選べたってほっとしてた。
……高校で、進学について真剣に考えるようになるまでは。
元々、ここは俺が本来行きたかった男子校より偏差値が低い。それでも自主的に勉強して、何とか予備校にも行かせてもらって獣医学部に行けるくらいには頑張ってきた。私立の獣医学部になんて行くほどはうちに余裕は無いから、ここから通える国立一本で。落ちたら専門学校に行って、水族館や動物園のスタッフを目指すことも考えたけど、模試の合格率的には安全圏だったし……一浪くらいならしていいって父さんは言ってくれたから。
母さんも別に「あんた頭良かったのねぇ」って嬉しそうにするものの反対してなかったのに。
ここに来て、舞香がまた騒いだのだ。俺とキャンパスライフを送りたい、絶対一緒じゃなきゃ嫌だ、と。
舞香は優等生として内申は良いが、あくまでも今の学校の中での優秀、レベルだ。俺の目指す国立大学の同じ学部には到底入れない。他の学部も難しく、しかも医学部や獣医学部とは別の敷地になる。そこまで頑張る気持ちも無かったらしい。
……そうして高校の時と同じ、うちの母さんに泣きついた。保護者として願書にサインしないし、舞香ちゃんと同じ大学に行かないなら学費は出さないって……そこで俺は夢も奪われるのかって、とうとう舞香の横暴に我慢できなくなった、元々逃げるつもりだったけど、大学の卒業どころか成人も待てなくなった。今年の夏の話だ。
「なぁ、母さん知ってるか? 日本の法律だと、20歳未満でも、結婚してたら成人扱いで……引っ越すのも大学に入るのも保護者の許可は要らないんだよ」
まぁ保証人は必要だったけど、じいちゃんがなってくれた。
「え……? あんたまさか、」
「嘘よ! だってあたし婚姻届にサインしてないもん!」
「いや……なんでこの流れで自分が結婚相手だと思えるんだよ……」
俺、お前の事嫌いってこの10分で今まで18年分言ったと思うんだけど……。
今言ったように、俺は婚姻届を出したのでもう「橋本遼馬」ではない。お婿に入ったので名字も変わった。「坂上遼馬」になった。元々惜しい! と言われてたけど、苗字が変わってもちょっと惜しいままなのは面白いな。たまたまだが。
舞香は多分、というか確実にうちの母さんから聞いてたんだろうな。俺が先週……婚姻届の保護者の同意を示す旨を記入して署名と捺印してくれって持ってったから。
舞香はうちの母親に、「遼馬が告白してくれないの〜」って俺達が中学の頃から相談してたからな。俺は一切好きじゃないのに告白するわけないんだが。
それで今日、舞香の誕生日に、俺が将来を考えたプロポーズとして「サインをした婚姻届を渡すんだろう」と思い込んで俺が言うままに書いてしまった。それを舞香にも伝えて、舞香は今日俺からプロポーズされるって思ってこんなめかしこんで朝から待っていたんだろう。
まぁ、舞香にプロポーズするって勘違いするようにわざとしたんだけどな! じゃないとうちの母さんは同意なんてくれなかっただろうから。
「遼馬くん、もう部屋の荷物は全部片付いたみたいだけど他に持ってくものある?」
「いや、じいちゃんちにも生活用品あるし、俺の私物だけでいいよ」
最後だと自分に言い聞かせてはいたが、舞香の相手でげんなりしていた気分が途端に上向いた。
笑うと片っぽにエクボが出来る、ショートカットの似合う世界一(俺比)可愛い女性。何を隠そう、先日籍を入れた相手でもある。
「……誰よ、遼馬……その女……ねぇ遼馬っ」
「あぁ、紹介しよう。えっと……俺の奥さんの……あやさ……綾香です!」
「はい、ご挨拶が遅れましたが遼馬くんの奥さんになった、坂上綾香です。先日の遼馬くんの誕生日に入籍しました」
ああ、アヤさんのハーフパンツから覗く生脚が眩しい。ペコリと頭を下げたアヤさんの隣で、俺は「奥さん」と声に出した事実に照れながら盛大に身悶えていた。
アヤさんとは予備校の国立理系クラスで出会った。成績順でクラスが分かれる予備校は俺の唯一の休息時間(舞香がいない)で、予備校の日は授業の前と後に連絡入れて、寄り道はせず、帰宅後も一報入れる事と勝手に義務付けられていたが心休まる時間だった。
その予備校で、去年から取る授業が被ったのが出会ったきっかけだった。
俺と同じ獣医学部を目指してたアヤさんは、俺より一つ上で、残念ながら去年は思ったように点数が取れず一浪している。国立一本に絞っているところも俺と同じでそこから話すようになった。
俺はこの頃、「どうやったら舞香にぶたれなくて済むか」って考えるのに頭がいっぱいになっていて、すぐ連絡を返さなきゃ、怒られたから今度遊びに連れて行かなきゃ、ってそれを「おかしい」って教えて少しずつまともな常識を取り戻す手伝いをしてくれたのがアヤさんだった。
予備校の授業の合間の休み時間に根気強く洗脳を解くために付き合ってくれて、自分の勉強もあるのにアヤさんにはいくら感謝しても足りない。舞香が勝手にスマホを見て、女友達がいないか確認するから連絡先は交換できず、週3回の予備校の授業に合わせた短時間の交流だけが俺達の恋を育んだ。今考えるとアヤさんに出会う前のあの頃の俺はまともにものを考える事が出来てなかったな、鬱っぽい無気力状態になりかけてたと思う。
ちなみに、今まで舞香に否定され続けて自己評価超低かったけど、俺は目つきは悪いがイケメンの部類に入るのもアヤさんのおかげで初めて知った。
そうして今年の初めから、アヤさんのアドバイス通りに父方のじいちゃんに助けを求めて、怪我や進学についての相談をした。舞香の性別と名前を伏せて怪我の内容について話したらじいちゃんは大層怒ってくれて、力になってくれると約束して今も協力してくれている。
その後で舞香の性別を知った時は微妙な顔をしてたけど、「いやだから反撃とかしたら俺が悪いことになっちゃうから」とアヤさんと説明して納得してもらった。
後々舞香と決別するためにしっかり医者にかかって診断書を書いてもらうのも、アヤさんの意見だ。
アヤさんのおかげで、夏に志望校について舞香に騒がれた時も諦めなかったし、それをアヤさんに相談する事もできた。この、「結婚」って解決策を思いついて実行してくれたのもアヤさんだ。俺は20歳まで家出するくらいしか思い付かなかったからな。
本当に、その名の通り結婚を前提にしたお付き合いをし始めたのが三ヶ月前。さすがに、提案してもらって最後まで言わせるなんて情け無いから俺から「18歳の誕生日に俺と結婚することを前提に付き合ってください」って告白した。アヤさんには俺の人生を救ってもらった事になる。舞香に殺されかけてた俺の心を救ってもらった。
あ、当然アヤさんのご両親にはすでに挨拶してあるぞ。俺が舞香に監視されてるから予備校近くまでご足労願うことになったが。舞香の話はアヤさんから聞いてて、俺の親より親身になって一緒に怒ってくれた。
「嘘よ! 嘘……だって……遼馬はあたしの彼氏で、素直じゃ無いから告白はしてくれなかったけど周りはみんな良いカップルだって……うそ……うそだ……そんな、去年会ったばかりの女……あたしは生まれた時から一緒にいるのに……! うそだ、うそ……遼馬ぁ……嘘だって言って……」
「うーん現実逃避がすごい」
客観的な視線に立って、茶化せるようになったのもアヤさんのおかげだ。一年前の俺なら怯えて子犬のように震えて言いなりになっていただろう。キャンキャン。
「別に、嘘だって思いたいならそれでいいよ、頑張って。でも実際俺はいなくなるし、スマホも新しく契約したから連絡ももうしない。無理に近づこうとしたら警察挟むから。診断書取ってあるって言っただろ? 本気で訴えるからな。
あ、母さんも。生活費は家事やれば爺ちゃんが面倒見てくれるって言ってくれて、奨学金も取ったから金の心配はいらないよ。卒業式までの出席日数は足りてるから、冬休みが明けても学校には行かない。卒業式も、いやー残念だけど、その日に試験日がかぶる大学があるから出れないんだよなー」
ちなみに学校側にはそう説明してあるが、別に試験を受ける証拠とかは求められなかったので実際は受けない! どうせ受かっても行けないから勿体ないしね。後日卒業証書受け取りに行きまーすと一昨日の終業日に伝えて快く承諾してもらっている。
ちなみに冬休みあけたら通学しないのは黙ってる。さすがに歓迎されないのはわかりきってるし。冬休みあけたら一ヶ月もすれば自由登校なのでマジで問題無いんだけど。
そしてじいちゃんの家はオートロックのマンションなので、うちの親から住所を聞き出した舞香が押しかけて来ても入れなきゃOK。何回かは警察呼ぶ事になりそうだが、娘を前科持ちにさせたくないあっちの両親が頑張って止めてくれるだろう。うん。
結婚してもアヤさんはご実家で、俺はじいちゃんちで暮らすので別居は寂しいが、驚いたがわりと近くで徒歩十分なのでそこまで問題は無い。
「嘘……嘘!! 嘘だ!! 嘘って言いなさい遼馬!! 今なら許してあげるから!」
「いや別に許さなくていいし、嘘じゃ無いから」
「違う……やだ、やだぁっ、やだやだっ!! あたしが! あたしが先に好きだったのにい!! やだよぉ遼馬、あたしから離れちゃやだぁぁああああ!! なんで!! こんなに好きなのに! 遼馬ぁあっ」
お、初めて舞香に好きって言われた。しかし感動は一切無い。テキヤのおばちゃんに「お兄ちゃんイケメンだからまけとくよ、買ってかない?」って言われた方がまだちょっと嬉しいな。
「なんで俺が応えなきゃいけないんだよ。お前だっていつも、告白してくる男のことを『勝手に好きになって迷惑』って散々言ってただろ?」
物を言いたげな観衆……うちの母親と由美おばさんの視線に耐えかねて、俺は自己弁護するようにちょっと言い訳してみた。
いや、マジで。今までの暴力も暴言も過剰な干渉も舞香が俺を好きだからって分かってるけど、分かってるけど無理。俺が折れたらハッピーエンドだって? 何で俺がメリットも無いのに、痛いのも辛いのも我慢して、生活の全てを舞香の言う通りに受け入れなきゃいけないんだ。
俺だって幸せになりたい。
「だって……だって……違う……遼馬は最後にはあたしの言う事聞いてくれたもん……違う……こんなのやだ……嘘だぁ、嘘だよぉ……」
舞香は耳を塞いで駄々を捏ね出した。今のうちにサッと逃げてもいいんだが、俺が今まで味わった精神的苦痛の一万分の一でもお返ししてからでも良かろう。
「え……?」
俺は勢い良く……土下座した。
「お願いします!! 俺の事をもう解放してください! 舞香に殴られて、付き合っても無いのに女友達作るなって制限されて、好きな趣味も出来ず、スマホも勝手に中身を全部見られる生活はもうツライんです!!」
「なに……なに言って、遼馬……」
「舞香さんの事はずっと嫌いで、嫌いと言うより怖くて、誰も味方になってくれなかったし、もう限界ですっ! 許してください、お願いします! お願いします!」
「何で……そんな、謝らないでっ、謝らないでよっ、これじゃあ私がずっと……遼馬に酷いことしてたみたいじゃん……!!」
「みたい」じゃ無いんだよなぁ。
土下座した俺を起こそうと掴んでくる舞香の手を、アヤさんが剥がしてくれた。俺の奥さん頼もしくて胸がときめいちゃう。「私の旦那に触らないで」なんて……もう……好き!
「酷いことしてたんだよ、自覚無いの?」
「違う……だって遼馬とは両思いだもん……遼馬はあたしの事好きで、だから何でも言うこと聞いてくれて……」
「囚人が看守の命令を聞くのは別に好きだからじゃ無いよ、わかる?」
うーん例えが上手い。
心の中でアヤさんに座布団一枚計上しつつ、俺は立ち上がると膝の小石を手で払った。
「まぁ、別に舞香さんに納得して欲しい訳じゃ無かったんで分かってくれなくてもいいですよ」
「やめて! 敬語やめてよぉ、遼馬っ、お願い……舞香って呼んで……やめてぇ……」
「いえいえ、これからお隣さんでもなくなるわけですからね。そうなったら元々友達でも無いし、赤の他人の名前を呼び捨てにするわけにはいきませんから!」
「いやぁああああああっ!!」
舞香は絶叫しながら、可愛くセットした髪の毛をバリバリとかきむしって再度泣き出した。
「遼馬……っ、あんたこの事お父さんが知ったら……!」
「まぁ、怒るだろうけど。父さんには後でスマホに連絡するねって伝えといて」
俺は勘当されてもいいけどね。舞香の言う事ばっか鵜呑みにして俺を一緒に虐げる母親と縁が切れて嬉しいよ。
でも父さんには別に恨みはないからな。普通に育ててもらった。俺が舞香に虐められてるって話は信じてもらえなかったけど。
立ち尽くしたまま呆然としてる由美おばさんに、会釈をしてから軽トラの助手席に乗り込む。アヤさんはうずくまってる舞香に最後何か声をかけた後……突然舞香がアヤさんに殴りかかった! うわぁ最後の最後に特大の発狂?! 俺は慌てて降りてアヤさんを庇おうとしたが、華麗に避けたアヤさんはサッと運転席に乗り込んだ。
そう、運転手はアヤさんだ。MTで普通免許持ってるので、軽トラなら運転できるのだ。すごい。俺? 俺は持ってないよ。あったら便利だから迷ってるけど。
すぐに発車して、俺の地獄の象徴だった舞香は追いかけてこようとしたが、車の速度について来れるはずもなく途中で立ち止まって座り込んで泣き出した。
あ、そういえばこのやり取り全部庭先で大声で話してたな……ご近所のすごい噂になりそう……
「ところでアヤさん、最後に舞香になに言ったの? すごい怒ってたけど」
「ん? ……ファーストキスも、遼馬くんの初めても私が全部奪っちゃってごめんねって」
「えー!! そ、そんな話したの?! 恥ずかしいよアヤさん!」
ファーストキスは付き合い初めて一ヶ月後に。初エッチは先日俺の誕生日に入籍した帰りにラブホテルってやつに行って。初めて予備校をサボってしまった。でも人生の一大事だったのだ……普段の受講態度と成績が良かったおかげで、後から「いやー体調不良で」って誤魔化したら信じてもらえたけど。
でもそんな二人の大事な思い出を、あんな悪魔にバラしてしまうなんて酷いよアヤさん!
「ごめんごめん! だって、ちっちゃい頃の遼馬くんも私は知らないし……初デートも……全部舞香さんにとられたから、『貴女が本当に欲しかったのは全部私がもらっちゃったよ』って言ってやりたくて」
「う〜……舞香が悔しがったのはいい気味だけど、俺にもダメージが……」
俺は目つきは悪いんだけど繊細なんだぞ。
でもそんな独占欲も、大好きな人からだと嬉しく感じてしまう。
ニヨニヨしそうになる口元を隠して窓の外を向くと、アヤさんがポツリと呟いた。
「ねぇ……後悔してる? 舞香さんから逃げるためとはいえ、私と結婚して……」
「そんな! まったく! 一切! これっぽっちも! ……だ、大好きな……アヤさんと結婚できる上に、舞香からも逃げられるなんてお得なプランに後悔するわけないじゃん……」
真っ赤になって、どもりながら言う俺にアヤさんも赤くなって嬉しそうに笑った。
解放された、と思うと途端にみぞおちにあった重いつかえが無くなった。
……これが、自由。普通の人が過ごしてる、「誰かに怯えなくていい」って状態か。
ああ、やっと明日から怒鳴られながら目覚めなくて済む。「あんたは最低でみんなに嫌われてるから女の子に自分から声かけたりしたらすごい迷惑なんだからね!」「告白? ……バカね、あんたなんか好きになる女の子いる訳ないじゃない。罰ゲームよ罰ゲーム! きっと遼馬は今頃笑い者にされてるわね! 本気にして! あははははは!! バカみたい!!」「ねぇ、何であたしに許可も取らずに選択授業決めようとしてるの?!」自分が悪いんだ、って心を押し殺して、自分で自分を嫌いになりたくなるような毎日からやっと解放される。やっと。
レンタルした軽トラの車内で、生まれて初めて深呼吸をした気がした。
覆盆ものではツンデレが素直になれずに失恋して後悔して泣く話が1番性癖です
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