苦いコーヒーと甘い罠2
「今日は素敵な場所に連れてきてくださってありがとうございます。まさか噂のコーヒーハウスの、しかもVIPルームにいるなんて」
フレーバーコーヒーが流行ることをいち早く見抜いたのはダンフォース公爵夫人だった。彼女はすぐに商路を確立させて王都にコーヒーハウスを構えた。姉が女性誌で見つけたものはダンフォース家が経営している店で、ティナはリヴィと店内の別室で寛いでいる。
「店が中央公園の通り沿いだったし、何かと話題になっていたからな。……喜ぶかと思って」
自信がないのか徐々に声が尻すぼみになっていく。今日が突然の雨になって急遽代替案を考えてくれたのだ。その気遣いがティナは嬉しくて自然と笑みを浮かべる。
「話題になっているので興味はありました。私はコーヒーを見たことも飲んだこともないんです。だからここに来られてとても嬉しいですよ」
「そうか。なら良かった」
リヴィはどこかほっとした様子で小さく息を吐いた。丁度、ウエイターが淹れ立てのコーヒーと数種類のお菓子をテーブルに並べてくれた。
ティナは初めてだからと、まずは定番のコーヒーをお願いした。
目の前に置かれたカップを覗き見ると、本で書かれていた通り真っ黒な液体が並々と注がれている。立ち上る湯気からくる香りはお茶と違ってとても香ばしい。一体どんな味がするのか想像もつかない。
まじまじと観察しているとリヴィが微苦笑を浮かべて飲んでみるといいと勧めてくる。ティナは、はっと我に返ると慌ててカップを手に取り、一口啜った。
「――っ!?」
その瞬間、口の中が酸味と苦味に支配された。衝撃的な味に戻しそうになったがなんとか飲み込み、そして盛大に咽せた。口元を押さえて咳き込んでいると、リヴィが席を立って背中を摩ってくれる。
「ティナ、大丈夫か?」
「こほっ。はい、大丈夫です。味に驚いてしまっただけで」
ティナは水をもらって口に残る苦味を流し込んだ。そういえば、何かの本にコーヒーは大人の味だと書かれいた。その表現は的を射ている。
リヴィは同じものを頼んでいたので、自分のコーヒーに口をつけた。
「……エスプレッソ、濃いコーヒーみたいだな。定番ではあるが、初めての人が飲むには少々辛い」
平然とした顔で言ってのけるので、ティナは目を見開いた。
これが大人の余裕なのかしら? あんなに苦かったのにリヴィ様は顔色一つ変えていないわ。
呆気にとられていると、テーブルにカップを置いたリヴィがティナが座る二人がけのソファに腰を下ろした。
「?」
きょとんとした表情を浮かべていると、突然彼に優しく顎を持ち上げられて口の中に何かを放り込まれる。
驚いたのもほんの一瞬で口の中はすぐに甘い味が広がった。噛めばそれはすぐに消えてなくなる。
リヴィの手にはメレンゲクッキーが握られていた。
「俺の配慮が足りなかった。すぐに飲みやすいものを用意させるから口直ししてくれ」
リヴィはベルを鳴らしてウエイター呼び、飲みやすいコーヒーを頼んでくれた。
「すみません。折角のコーヒーなのに」
新しく淹れなおしてもらうなんて忍びない。自分の舌が子供であったばかりに、としゅんと肩を落としているとリヴィに優しく頬を撫でられる。
「問題ない。ティナの分は俺が飲む。……それよりもまだ口の中が苦いんじゃないか?」
「え?」
リヴィは取り皿に木イチゴのタルトを載せ、フォークで掬うとティナの口元へと運んでくれる。あまりにも自然な流れで理解に数秒かかった。
待って。これってリヴィ様に食べさせてもらっているってことよね?
目の前には慈しむような瞳を滲ませた美貌。と、その手には木イチゴのタルト。
頭の中で理解が追いついたのも束の間、ティナは顔を今まで以上に赤くさせてパニックを起こし、咄嗟に顔を背けた。
「お気遣いありがとうございます。ですけど――」
ティナは再びリヴィの方を向いて「自分で食べられますから」と断りを入れようとする。しかしその言葉を紡ぐ前に、頬に口づけが落とされた。
「嗚呼、甘いと言えば別の方法もある。ティナはどっちの甘いのが好きだ?」
「……っ!?」
「それとも、こういう甘いのは嫌か?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるリヴィはとても楽しそうだ。
「そ、その質問は……いろいろとずるいです!」
結局ウエイターがコーヒーを届けてくれるまで、ティナはリヴィの甘い腕の中に閉じ込められる羽目になってしまった。
フレーバーコーヒーが甘くて飲みやすいとティナが知ったのは、もう少しあとになってからの話。