第5話 ゴドンの恋(後編)
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ゴドンの母がわしの妹なのはご存じじゃな。
ゴドンも十二歳になり、騎士修業を始めることになった。
じゃが、そのころメイジア領は、少しごたごたしておっての。
騎士の数はそれなりにおったのじゃがなあ。
ゴドンの父やその兄弟を始め、六人か七人は騎士がいたはずじゃ。
しかし身内の濁った空気の中でゴドンに修業をさせたくなかったのか、わしに頼んできおった。
いきなり手紙を付けて本人を送りつけてきたのじゃ。
じゃがまあ、妹の頼みじゃからな。
引き受けたとも。
といっても、そのころのリンツは今のように大きな街ではなかった。
わしも毎日のように部下を連れては川熊や耳長狼を退治に走り回っておったさ。
ゴドンもその中に入れた。
荷物持ち、馬引き、武具や馬の手入れはもちろん、いやおうなしに実戦も経験した。
初めのうちゴドンは内気で静かなたちでのう。
それでも大柄で骨格はしっかりしておるし、力は強いし、体力は底なしといってよかった。
すぐに頭角を現し、三年もたつころにはわしと肩を並べて戦っておったよ。
年長の騎士もかたなしじゃったな。
じゃが、おごることもなく、相変わらずみんなの荷物を持ち、武器や馬の手入れをした。
ああ、料理だけは駄目じゃった。
あれに飯を作らせるのは食材の無駄というものじゃった。
そんなあいつを皆も慕って気軽に声を掛けた。
あいつもだんだん皆に心を開くようになり、明るく笑うようになっていったのじゃ。
ゴドンがわが家に来た半年ほどあとじゃったかのう。
わしはトリーシャという娘を養女にした。
遠縁の娘だったのじゃがな、両親と兄姉が流行病で死んでしまったのじゃ。
しかも火事が起きて、家も何もかも焼けてしもうてな。
トリーシャは栗色のまっすぐな髪をした、肌の白い娘でのう。
ふたりはすぐに兄妹のように仲良くなった。
年はたしか、トリーシャが四つ下じゃったか。
ある年、リンツにエイナの民の旅団が来た。
その中に巧みにザルバッタを弾いて歌を歌う女がおってな。
トリーシャはすっかりそれが気に入って、頼み込んで習い始めたのじゃ。
わしもトリーシャにすがりつかれ、トランを二十日間も引き留めたわい。
それからすぐのことじゃ。
ゴドンが珍しくもしばらく暇が欲しいという。
許してやったら、やつは山に入って耳長狼の毛皮を十枚も獲って来た。
あいつの顔には大きな傷が付いていたから、わしも驚いたよ。
あいつは、その毛皮と引き換えにパルザムからザルバッタを取り寄せてくれ、と言った。
その通りにしてやったとも。
少し足りなかった分はわしが内緒で出した。
あのころはパルザムにわざわざ注文して品を買い入れるには、ひどく金がかかったものじゃった。
あんなに喜んだトリーシャの顔は見たことがなかったのう。
それからというもの、トリーシャは料理や洗濯の合間に、毎日ザルバッタを弾き、歌うようになった。
ゴドンが遠出して帰ったときなどは、二人でオーヴァのほとりに行き、ずっと歌を聞かせていたよ。
ゴドンが二十歳になった年のことじゃ。
あいつの父親から手紙が来た。
そろそろゴドンを騎士に叙任してメイジアに返してくれ、という手紙じゃ。
なにがしかの物が添えてあったよ。
そのころわしは、最初の大型船を就航させたところでな。
人と物と金のやりくりにてんてこまいしておった。
ゴドンは頼んだことは嫌な顔一つせず片付けてくれるし、武勇も確かなものだし、わしの部下たちにも人望が高い。
このままここにいてくれたら、などという気持ちがなかったといえば嘘になる。
じゃが、これもいい機会かと思うことにした。
ゴドンとトリーシャは相変わらず仲が良く、二人はいずれ結婚するだろうと、誰もが思っておった。
騎士になれば堂々と結婚を申し込めるからの。
養女とはいえこのサイモン・エピバレスの娘なのじゃから、家柄にも問題はない。
あいつの両親も喜んで賛成するだろうと、わしは思っておった。
近頃ではあまりはやらないようだが、昔は騎士になる前に卒業の試練というものをすることが多かった。
わしはゴドンに、南の盗賊団を討伐する任務を与えた。
リンツから少し南に行った場所に盗賊団が巣くっておってな。
おかげで南方の街からの仕入れが大打撃をこうむっておった。
旅人もそこを通るのを嫌うから、この街の発展にもよくない影響があった。
いつかはまとめて退治してやろうと思っておったのじゃ。
騎士見習いの下に騎士を付けるわけにはいかんから、屈強の従卒を十二人付けた。
盗賊団の人数は三十人少々だと踏んでいたから、それでじゅうぶんだと思ったのだ。
だが三か月たってもゴドンは帰って来なかった。
心配のあまり捜索隊を出そうかと思い始めたころ、あいつは帰って来た。
親玉を始め盗賊十人を捕虜にし、盗賊八十五人分の右耳を持って帰ったのじゃ。
盗賊団は百人以上の規模に膨れ上がっておったのじゃ。
偵察を出して敵の規模を知ったゴドンは、正面から戦いを挑むのをやめ、少数ずつをおびきだして弱体化させる戦術を採った。
すぐに相手も何ものかに襲われているのに気付き、激しい捜索を行った。
ゴドンたちは、地に潜り水に伏して身を隠し、辛抱強く敵の戦力を削っていった。
そしていよいよ最後には一斉攻撃を行って敵を殲滅したのじゃ。
逃げた賊は十人ほどだが、頭目と幹部は捕らえるか殺すかしたので、もう脅威はないと思われます、と報告しおったよ。
味方には一人の死者もなかった。
ゴドンの下で戦った者たちの話によると、ゴドンのやつは常に先頭に立って戦ったということじゃ。
何度か危ないことがあったが、そのたびに不思議な偶然でゴドンのやつは助かったらしい。
とんでもない武勲じゃ。
あいつは胸を張ってトリーシャに求婚できたはずじゃった。
じゃが、それはかなわなんだ。
トリーシャは死んでおったのじゃ。
ゴドンが卒業の試練に出てしばらくあと、体調を崩して寝込み、そのまま眠るように死んでしまったのじゃ。
寝床の中で毎日熱心に祈っておったのじゃがなあ。
あれは生きて再びゴドンに会えるように祈っておったのじゃろうか。
ふびんなことじゃった。
ゴドンを待ちきれず、葬儀を行ってトリーシャは野に埋めた。
そのトリーシャの墓標の前で、やつは泣いたよ。
大声で泣いた。
一人前の騎士が人前で大声で泣くのなど、わしは初めて見た。
じゃが情けないとは思わなんだ。
ゴドンはなんと、三日三晩トリーシャの墓の前を動かなかった。
四日目に雨が降り、あいつはびしょぬれになって帰って来た。
それからやつは変わった。
明るく快活になった。
大声で楽しそうに笑うようになった。
何かトリーシャと約束があったようなのだがな。
詳しいことは教えてくれなんだ。
わしはやつの騎士叙任の儀式を執り行い、やつはメイジアに帰った。
それから三年後、見込みのある男がいるので妹の婿に取って騎士にする、と書いた手紙がゴドンから来た。
わしはそれを読んで気が付いたのじゃ。
もうゴドンは誰とも結婚する気はないのじゃとな。
これがゴドン・ザルコスの若き日の恋の物語じゃよ。
4
話を聞き終わったバルドは、無言で杯を中空にささげた。
サイモンとカーズとセトも同じようにした。
四人はゴドン・ザルコスの魂に乾杯したのである。
そのように話を聞いてみれば、いろいろと思い当たることがあった。
ああゴドンはやはりゴドンなのだと、あらためて感じさせてくれる逸話だった。
「そうか。
バルド殿は今年に入るまでゴドンの死はご存じなかったか。
カイネンとユーリカの死も同時に聞かれたわけじゃな。
やれやれ。
そうでなくてもジュールラント陛下のご崩御でお力落としであろうに、本当に申しわけないことじゃったのう」
な……に?
今、サイモン殿は、何と言った?
ジュールが、どうしたと?
バルドの表情が凍り付き、カーズとセトも驚きを顔に浮かべているのを見て、サイモンも気が付いた。
バルドたちにとり、それが新しい情報なのだということを。
「や。
まさかご存じなかったのか。
パルザム国前国王ジュールラント・シーガルス陛下は、昨年ご崩御なされたぞ」
バルドは杯を取り落とした。
呆然として思考が空回りしている。
ジュールが?
ジュールが?
左胸が急に苦しくなり、腰を浮かせて両手で胸を押さえた。
座らなければと思うのだけれど、その動作ができない。
脂汗が額から噴き出すのを感じた。
「い、いかんっ。
バルド殿の顔が土気色じゃ。
薬師を!
薬師を呼べいっ。
早く。
早く!!」
サイモンがわめく声を遠くに聞きながら、バルドは意識を手放した。
4月25日「王妃の奮闘(前編)」に続く