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辺境の老騎士  作者: 支援BIS
序章 旅立ち
11/186

第6話 ひだまりの庭(前編)《イラスト:バルドとアイドラとスタボロス》

 





 1


 滔々(とうとう)と流れるオーヴァの岸辺で、バルドは、静かに風景を見つめていた。

 リンツ伯邸に滞在して三日目である。

 腰の痛みが少し治まり、起き上がれるようになったので、スタボロスに乗って散歩に出た。

 スタボロスは、主人を背に乗せてうれしそうだった。

 旅に出る前は引退した馬だったし、旅に出てからは荷物ばかり背負わせたから、無理もない。


  お前は何歳になったのだったかのう。


 声に出して()いてみたが、むろん(いら)えはない。

 バルドは、記憶をたどってみた。

 アイドラがスタボロスをくれたのは、コエンデラに()した年だった。

 ということは、四千二百四十一年である。

 その年にスタボロスは二歳になった。

 今は、四千二百七十年だから、それから二十九年が過ぎた計算である。


  もう三十一歳か。

  長生きしたもんだのう。


 人が飼う馬の寿命は二十年ほどであり、野生の馬はその半分ほどである。

 まれに四十年以上生きる馬もいるが、スタボロスより若い馬が次々に老いて死んでいるのだから、やはりずいぶん長生きだ。


  結局、お前の名前がどういう意味か、聞かぬままだったのう。


 この馬をくれるとき、アイドラは、「名前の意味は秘密よ」と言った。

 ということは何か意味があるのだが、それを尋ねたことがない。

 あれほど長く、一緒の時を過ごしたのに。



挿絵(By みてみん)

イラスト/クダリ氏




 2


 アイドラは、四千二百二十六年に生まれた。

 そのときバルドは十四歳で、アイドラの祖父エルゼラ・テルシアの従卒となって四年目だった。


 アイドラは、父母よりも、十六歳年上の兄よりも、侍女の誰よりも、バルドに懐いた。

 すくすくと成長したアイドラを、バルドは、自分なりのやり方でかわいがった。

 つまり、野山を連れ回したのである。


 辺境の野山は、そうでなくても危険な場所である。

 ましてテルシア家が治めるパクラ領は、大障壁の切れ目に位置し、魔獣とその影響を受けた野獣たちが徘徊する、とびきりの危険地帯である。

 むろんバルドには、本当に危険な場所とそうでない場所を見分ける力があったし、二十歳で正騎士となったバルドは、精鋭ぞろいのテルシア家にあって、すでにずぬけた武勇の持ち主と認められていた。

 それにしても、心配する声は絶えなかったが、アイドラは、いつも、


「バルドが守ってくれるもの」


 と言って笑った。

 危険を別にすれば、野山は偉大な教師であり、尽きることのない遊び場だった。

 アイドラは、すくすく成長し、バルドは、一層の修行に励んだ。


 アイドラが八歳のとき、当主のエルゼラが死んだ。

 祖父の死を悲しむアイドラが泣きついたのは、バルドの胸だった。

 母が死んだときも、そうだった。


 アイドラは美しい娘に成長していったが、その気性は毅然として清冽で、ドレスより(よろい)を好み、裁縫針より細剣に手を伸ばした。

 そもそもアイドラとは、騎士たちの園ガルデガツト・ライエンに迎える英雄たちの魂を選別する、三人の戦乙女の一人の名である。


「名前を付け間違えたかのう」


 とつぶやく父ハイドラの言葉は、今さらの感があった。






 3


 アイドラが十二歳のとき、一つの事件が起きた。


 その日、山賊団の討伐からバルドが帰城すると、何やら騒がしい。

 中庭にかがり火が()かれている。

 当主のハイドラがわざわざ城門近くまで下りてきて、


「アイドラに会わなかったか?」


 と()く。

 バルドが、会っておりませぬ、と答えると、蒼白な顔で、


「そうか」


 と言った。

 バルドたちを迎えに、兵士二人を従えて城を出たのだという。

 山向こうの峰に、一行の姿を見て、よく知った道だからと、ハイドラに断りもせず、勝手に兵士二人を連れて飛び出したらしい。

 まだ明るい時間帯であったという。

 アイドラの兄ヴォーラは、大障壁の切れ目にある砦に詰めていて留守だった。


 もはや夜である。

 バルドの顔面も蒼白になった。


 高所から見下ろせば山の道は分かりやすいように思うが、いざ木々のあいだを進めば、方向も位置も距離も、たちまち混沌に飲み込まれる。

 この時間まで帰って来ないということは、自力で帰る見込みはない。

 かといって、夜の森で人を(さが)すなど不可能に近い。

 道も足跡も目印の木々や岩も、見分けることができないのだから。


 だが、バルドは、ただちに馬上に戻り、今連れて帰った部下たちに、


  城内の高台に、あかあかと松明を燃やせ!

  夜が明けるまで絶やしてはならん!


 と命じるや、馬首をめぐらせた。

 走り出そうとするバルドに、ハイドラは、


 「これを持って行け!」


 と一振りの剣を渡した。

 魔剣〈闇を貫くもの(モーラ・グラヴィエロ)〉だ。

 バルドは、自分の帯剣を外し、魔剣を帯びて、駆けだした。


 幸い、月は二つとも出ている。

 生い茂った木々の(あい)を縫って差し込むかすかな月光を頼りに、馬を駆り立てた。


  城から迎えに出たとすると、最初にどこで右に曲がったかが問題だ。

  いつもは私の馬に乗るから、実際の距離より短く感じているかもしれない。

  おそらく、正しい道より早く右に曲がった。


 と推測した。

 そう考えてみれば、よく似た右折路がある。

 たちまち、その右折路に到達して右折する。

 そこからは、道なりに右に左にぐねぐね曲がりながら道は続く。

 似たような道なので、迷いやすいといえば迷いやすい。

 と、分岐路に行き当たった。


  右か?

  左か?

  姫はどちらに進んだ?


 どちらとも考えられる。

 それは、ここまでの道をどう勘違いしているかによる。

 ここで追跡の方向を間違えたら、たぶんもう助けられない。


  神よ!

  わが守護神、パタラポザよ!

  汝神(いましかみ)、闇の(つかさ)なれば、この(くら)き森に進むべき道を示したまえ!


 バルドは、騎士叙任以来初めて、おのが奉ずる神の名を呼んだ。

 バルドが、奉ずる神として暗黒神パタラポザを選んだのは、この神のことを説教する聖職者などいないからである。

 つまり、聖職者に会っても教義を説かれる心配のない神だから、という信仰心のかけらもない理由なのだった。

 それでも数少ない信徒の喚び声に暗黒神が応えたのか、分岐路の闇の中に、ぼおっと何かが浮かび上がった。


 薄明かりにぼんやりと照らされた、それは巨大な顔である。

 人のようでもあり、猿のようでもある。

 首から下は闇の中に溶け込んで見えないが、顔の大きさに対してひどく不釣り合いな小さい体のようである。

 大きな目を、眠そうに半ば閉じ、ゆっくり呼吸するかのように、わずかにまばたきしている。


 〈森の賢者(パドゥリ・オーラ)


 おとぎ話に出る精霊であるが、辺境の奥深い森で見かけたという者が時々ある。

 バルドは初めて見るが、これはパドゥリ・オーラに違いない。

 大障壁(ジャン・デッサ・ロー)の向こうには、不思議な生き物がたくさんいる。

 これもその一つなのだろうか。

 と、森の賢者が、眠そうな目を少しだけ開いて、右を見た。


  かたじけない!


 と、神に対してとすれば丁寧さの足りない、獣に対してとすれば丁寧すぎる言葉を残して、バルドは右の道に馬を走らせた。

 走って、走って、やはりこの道は違うのかと不安が胸を満たしたころ。


  聞こえた!


 争いの気配がする。

 風よりも(はや)く、バルドは森を駆け抜けた。


  いた!


 少し(ひら)けた場所で、十数匹の獣と、一人の兵士が倒れている。

 いま一人の兵士は、アイドラ姫を後ろにかばい、血まみれになりながら、手に持った剣を目の前の敵に突きつけている。


 魔獣化したもぐら猿(ゼユ・スィーバ)である。


 妖魔(ギエルガノス)の妖気を浴びた獣が魔獣(キージェル)になるのだ、といわれるが、本当のところはよく分からない。

 妖魔を見たという騎士は多いが、バルド自身は見たことがない。

 ただ、普通の獣が魔獣に変わることは間違いない。

 魔獣化した獣は、体格が一回り大きくなり、凶暴化する。

 ひどく力が強くなり、肉体は異様に頑健になる。

 兎のような弱い獣でも、魔獣化すれば驚くほど強くなる。


 魔獣の目は、赤く輝く。

 そして、魔獣が現れると、近くの獣たちも凶暴になる。

 魔獣は、獣たちを引き連れるようにして、大障壁の向こうから現れる。

 この魔獣と野獣たちを撃退することこそ、テルシア家の使命なのだ。


 バルドは、魔剣を持たせてくれたハイドラに感謝した。


 もぐら猿は、魔獣化しなくても手強い野獣だ。

 人と同じぐらいの体軀。

 人よりはるかに強力な長い手。

 硬質化し、鋭く(とが)った長い指。

 敏捷性は高く、毛皮はひどく硬い。

 通常の武器では魔獣を傷つけることは難しい。


 魔剣(エルグォードラ)は、魔獣(キージェル)を倒すために生み出された剣だ。

 特殊な素材が混ぜ込んであるらしい。

 魔剣の(やいば)のみが、魔獣の表皮を、肉を、骨を斬り裂くことができる。

 魔剣は城一つ買えるほどの高価なもので、テルシア家にもこの一振りがあるのみだ。


 おそらく、もぐら猿は、血の匂いに引かれ、今来たところなのだろう。

 でなければ、この兵士が生きているはずがない。

 味方の接近を知り、兵士はかすかな笑みを浮かべ、バルドのほうにちらと視線を送った。


 それを隙とみたのか、魔獣が兵士とアイドラに飛び掛かった。


 バルドは馬を止めもせず抜剣し、走り込んだ勢いのまま、馬ごと魔獣に激突した。

 アイドラと兵士の目の前で、魔獣は真横に吹き飛んだ。

 馬から落ちたバルドは、魔獣ともつれ合って茂みに突入した。

 魔剣は、魔獣の心臓を貫いていた。


 だが、魔獣は両の手の爪をバルドの背中に突き立ててきた。

 そこは鎧に覆われていない場所なので、爪は深く食い込んだ。

 バルドは、目の前にある魔獣の顔をにらみつけながら、剣をぐいぐいと押し込む。

 魔獣の体から血が噴き出してバルドの鎧を染める。

 魔獣は大きく口を開け、鋭い牙でバルドの顔を噛み砕こうとした。


 とっさにバルドが顔を右にそむけると、魔獣の(あぎと)は、バルドの左肩を捉えた。

 強靱な(かわ)の肩当てをやすやすと貫いて、魔獣の牙はバルドの肩を噛みちぎろうとする。

 それでもバルドは、魔剣をぐいぐいと押し込み続けた。


 突然、魔獣の力が抜けた。

 目の赤い光が消えていく。

 魔獣は死んで、くずおれた。


 振り返ると、目に一杯涙をためたアイドラが、すぐそばに来ていた。

 バルドは、何もいわず、アイドラを抱きしめた。

 アイドラは、血に汚れるのも構わず、バルドに抱きついて泣いた。






5月4日「ひだまりの庭(後編)」に続く

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