76.歌うしかない、しかできない
「私はなんにも知らなかった。知って、傷つくと思われていたから。現にそうだった。真実を知ってたくさん傷ついた。無知ゆえの無神経な発言を繰り返していたことに、死にたくなった」
飾くんの高校にいるときにそれを知り、混乱のまま飾くんと遭遇して、逃げ出して。
でも、その後でいくらか冷静になれた。
現実を直視できた。
私の未熟さを、受け入れられた。
「私たちはずっと、その人の好意に甘えてばかりだった。言っとくけどね、ワンマンでこの条件と戦おうってあれば、これが限界。理論値です。あとは手数を増やすしかなかったけれど、下手に戦力外を増やそうものなら余計に事態が拗れてしまっていた。……要するに、八方ふさがりだったってわけ」
だから、私も和花ちゃんも、手を借りられることはなかった。
「無責任に『もっとこうすればよかった』なんて言うのは簡単だよ。でも、当事者として問題に直面するのと、外野から俯瞰して見ているのとではわけが違う。現実問題それが実現可能かどうかをちゃんと考えて発言すべきなんだよ」
それができていないから、無責任だと繰り返し言っている。
「誰かにアドバイスするとき、一度自分に呟かなきゃ。『同じ状況になったとき、自分もそれができるのか』……ってね。できないのなら、それは無責任に言うべきことじゃない」
飾くんの努力は、誰からも評価されてこなかった。
本人が努力を隠したからというのもある。
ただ、飾くんがひとりで頑張ってきたことは、複数人でやるにしてもひどく大変なことだった。
それを誰からも評価されないまま、黙々とひとりでこなし、ときどき失敗しながら、ひとりでそれを反省し、辛くても苦しくても泣きたくても、誰かを頼りたくても、誰かが絡んで致命的な失敗が起こることを恐れて、結局ひとりで頑張るしかなかった。
「不器用なやり方だったと思う。もっと上手なやり方は絶対にあった。すべてが終わった後からであれば、真っ暗な迷路の中をひとりで進んでいた状況が馬鹿らしくなったかもしれない」
苦しかっただろう。
辛かっただろう。
私はそれにずっと気づけなかった。
私は救けてもらったのに、私は救けてあげるどころか、気づいてあげることすらしてやれなかった。
だから言う。
みんなに、飾くんのことを認めてもらうために。
「それでも、ひとつだけ言えることがある」
声が掠れる。
怖かった。
画面の向こう側できっと見ているだろう。
どう思っているか、考える余裕はもうない。
「その努力が、苦労が無駄だったことは一切ない。みんなは評価しないかもしれない。表面上に出てこない努力や苦労は無駄だって鼻で笑うかもしれない。でもね」
誰も気づいていないだろう。
表舞台から一切見えていない人間についてのことだ。
だからこそ、評価されなきゃならない。
「……和花ちゃんが――柏木和花が、ここまで立派に育ったことが、一番の証拠だよ」
言い切って、カメラをまっすぐ見据える。
「それがわからないなら、私の歌なんて聴く意味がない」
まくしたてるように言って、ゆっくりと息を吐いた。
余計なことをたくさん言ってしまったと思う。
柏木の家の事情は、今世界中に拡散されていった。
和花ちゃんの表情を見る。少し驚いたような、呆れたような、それでも少しうれしく思っていそうな表情をしている。
飾くんはどう思っているだろう。
この家の事情を話したのは、私の独断だ。
飾くんにとっては受け入れられないかもしれない。
結局、直接会ってみないことには、本心はわからない。
もしかすると私の悪評も世界中に広まってしまったかもしれない。
でも、それでもいいやと思う。
むしろ、その方がありがたい。
これまでの、まるでお姫様みたいな立ち位置の歌手は息が苦しかった。
仕事がなくなるのは最悪だけれど、多少仕事が減ることや、歌手としての印象が変わることは受け入れられる。またここから再スタートだ。
「無茶するね」
「歌手としての私は、その言葉がよく似合っているからね」
元々、ひとりではいくら背伸びしたところで、柏木和花の曲に釣り合う歌手にはなれなかった。音葉さんに救われ、飾くんに背中を押され、和花ちゃんに手を引かれ、そうして今の私がいる。
こうやって好き勝手言ったことは、みんなに不義理かもしれない。
でも、それでも言わずにはいられなかった。
これが私にとって正しいことだった、と自信をもって頷ける。
「……歌うか」
「そうだね」
でも、結局これまでは前座でしかない。
いくら言葉を尽くしたところで、私は歌手で、和花ちゃんは音楽家だ。
伝えたいことがあるなら、歌を使うしかない。
ごちゃごちゃと余計なことも書き込まれるコメント欄は閉じてしまう。
待機画面にはしないまま、テーブルをどかして機材を適当に配置する。
時間がもったいなかった。
すぐにでも歌いたい気分だった。
ごちゃごちゃ余計なことばかりしていた気がする。
体裁を気にしてちゃんと収録したけれど、結局こうなる。曲を完成させるために、収録すること自体は必要な儀式だった。でも、感極まってしまえば歌わずにはいられない。
そういう人間なのだ、私たちは。
設置し終えたカメラを視線を向ける。
今は、同時接続がどれほどになっているだろう。
最後に見たときには、五万人を超えていた。
生配信でこれだけの同接を稼ぐのは、難しい。前回二人で弾き語りしたときはどうだっただろう。たしか四万にギリギリ届かなかったと思う。今回はそれを大幅に上回っている。
でも、これから歌うのは彼らのためではない。
たったひとり、飾くんのためだけに歌おう。
和花ちゃんと一度視線を合わせる。それだけで呼吸が合う。やっぱり和花ちゃんが、私にとっては一番の相棒だ。
和花ちゃんの手が、アコースティックギターの弦を弾く。弾かれる音は『これでいこう』と決めた私のアレンジだけれど、ギターの技量や表現力は和花ちゃんのほうが遥かに高い。カラフルなシャボン玉がスタジオ内を埋めつくしていくような感情を抱く。
私が、ギターの技術で和花ちゃんレベルになることはないと思う。
弱気になっているわけじゃない。
現実を受け入れ、目標達成のためにどうすべきかを思案することが、前へ進むための重要なステップであることを、私は知っている。
それは、なんにだって当てはまる。
今回起こった出来事だってそうだ。
私は、今まで気づけなかった現実を思い知らされた。自分の未熟さを思い知った。それを補うために気づかないところで苦労している人がいることも知った。
無意識で人を傷つけることは簡単だ。
人を傷つけるつもりがなくとも、人を傷つけた事実は消えない。
それは私に限った話じゃない。
だから、つい話してしまった。
「……ごめんね」
マイクに乗るか、乗らないかの声量で言う。
自分の弱いところを認めるのは辛いことだ。でも、認めなければ前へは進めない。自分の弱いところに気づけない、なんて以ての外だ。
これはエゴだ。
さっき私は、『飾くんのため』という大義名分で語ったけれど、実際はただのエゴでしかない。
自分が出来事の歯車のひとつであることも知らずに、まるで他人みたいな顔して好き勝手言いやがるやつを許せなかっただけなのだ。
息を吸って、歌い始める。
苦しかった。
喉が焼けるように痛かった。
肺が割れそうだった。
罪悪感が胸のなかにうずまく。
飾くんの家での日々は楽しかった。
それは嘘じゃない。
でも、同時に、少しだけ辛かったよ。
みんな頑張りものなんだもん。
才能があっても努力も怠らない人たちに囲まれて、息が詰まりそうだった。
たくさん成長できたけれど、まだまだ私は、みんなの隣に平然といられるような人間ではないのだと思い知らされた。
住んでいる世界が違うのだと、まざまざ見せつけられた。
私の苦労も努力も嘘じゃなかった。無駄じゃなかった。
だからこうして、和花ちゃんの隣で歌えている。
十分頑張ったと思う。
分不相応な容姿に負けず、それに見合う実力を身に付けられたと思う。
でも私は、それで満足できるような人間じゃなかったみたいだ。
世界は私を過大評価している。
世間からの評価は、実力を正確に測る物差しなんかじゃなかった。
それがわかって初めて、ようやくスタートラインに立った気がした。
だから歌う。
一生歌い続ける。
まさか自分がここまで歌に夢中になるとは思っていなかった。
暗い部屋の隅でイヤホンして、耳に入ってくる音だけが認識できる世界だった昔とは大違いだ。
みんなが思うほど、私はきらきらとした人間じゃない。
根は暗くて、挑戦するのが怖くて、誰かがそばにいてくれなきゃ頑張れない。
そんな弱っちい人間だ。
歌うのも、みんなの特別でありたいからじゃない。
大切な人の特別でありたいから、歌う。
わがままばかりだ。
迷惑ばけてばかりだ。
それももう、これで終わりにしよう。
今度は飾くんの抱えているものも、一緒に抱えられるようになろう。
近道なんてない。
ノイズの多い砂利道を、ソールの薄い靴でひたすらに歩くしかない。
そうやって私は、ようやく自分自身に満足できる。




