39.高校見学
前回の話から二日後(木曜日)の話
平日の日中は、若者が外を出歩くにはなかなか目立ってしまう時間帯だと思う。
都会ならまだいい。
都心部から外れてしまうとどうしても、子供の分母が少ないがために悪目立ちしやすい。
そういうこともあって私は、浮花川に来てからというものあまり外を出歩いていないのだけれど、その日はなんとなく散歩をしたい気分になった。
ウィッグを被って比較的地味目な装いに着替えると、耳にイヤホンを嵌めて外に出る。スマホを確認。五月二六日、木曜日、午前十時。
お気に入りのスニーカーを履いて足取り軽やかに向かった先は、飾くんたちの通っている高校だった。
とはいっても、中に入るつもりはない。
外から眺めて青春の香りを楽しむのが好きなのだ。有名になってしまった以上普通に高校に通うこともできなくなってしまった。後悔はしていないが、未練がないかというとそういうわけでもない。
なので、こういった形で雰囲気だけでも味わおうとしていたのだが。
「ん? あれって」
その日は校門のところに先客がいた。
丸メガネが特徴的なショートカットの女の子で、スーツが似合っている。背は私よりも少し低いくらいだろうか。童顔で、私よりも年齢は下に見えるかもしれない。
……というか。
「んげ」
私と目が合った瞬間にその女の子は顔を顰めた。どうしてこんなところに私が、とでも思っていそうな表情。
「……って、あずさじゃん! どうして浮花川にいるの?」
「なんで今日に限ってこんなところに出没するんだよ、お前は」
「それはこっちのセリフなんだけど」
あずさはかなり動揺しているようで、少し言葉遣いが乱れていた。
ひとつ咳ばらいをすると、あずさは近寄ってくる。
「仕事よ。だからこうやって柄でもなくスーツなんて着ているわけだし」
「似合ってるけど」
「着慣れてはいるのよ」
あずさは私と同い年だから今年で一七のはずだ。ただ、姉の影響もあってか大人たちに交じって芸能プロダクションの仕事をいくらか引き受けている。姉とは少々毛色は違うが、仕事はかなりできるらしい。
「学校は?」
「昨日から金曜まで休みを取った。うちのタレントが騒ぎを起こした影響で動かなきゃならなくなったのよ」
「迷惑なタレントもいるもんだね」
「あとで引っぱたくわよ」
しらを切ろうとしたら、鋭い目で見られてしまった。いろいろとすみませんでした、反省しているので叩くのだけはやめてください。
「ひなぎこそ、いったいどんな用事があってここに?」
「特に用事はないんだけど、強いて言うなら『青春に飢えて』かな」
「ふぅん、ま、どうでもいいや」
「わざと気障っぽいセリフ言ったんだからスルーはやめてって」
若干傷つく。
「それより、暇ならちょっと付き合ってよ」
「べつにいいけど、どこに?」
「見ればわかるでしょ。ここよ」
そう言って、あずさは校舎に視線を向けた。この辺りでは小さくない規模の高校だろう。全校生徒が八〇〇人程度はいると聞いている。東京では珍しくもなんともないけれど。
「一応の名目は、柏木和花への取材。過去の栄光と、活動方針の転換、エトセトラエトセトラ。気になっている人はたくさんいるでしょうから、他に盗られる前に真相を聞き出しておかないと」
「……それ、学校でやる必要ある?」
プライベートでの関わりもあるだろうに、学校に来てまで取材をする必要はないような気がする。
「よく考えてみなさい。『天才、柏木和花。これが等身大の姿!』みたいな見出しの記事があれば売れそうじゃない」
「む。一理ある」
「もっとも、今の記事の見出しは即興で考えたものだから、クオリティーは低いけれど」
そう言いながら、あずさは涼しい表情で校門を通り過ぎていく。置いていかれないようについていくと、彼女は迷わず教員用の昇降口に向かっていった。間違いなく何度か来たことがあるな、これは。
「一応、進学候補だったのよ、ココ」
「え、そうなの?」
意外な話だった。あずさは生まれも育ちも東京で、姉は芸能関係の仕事である以上忙しくしているけれど、両親は都内に一軒家を構えている。よほどの高校でない限り、わざわざ浮花川の高校に進学する必要はないように思う。……まあ、それは榛名も同じなのだが。
「柏木兄妹が揃って浮花川を出るつもりがなさそうだったのが要因ね」
「その理由が一番、私には意味不明なんだけど」
「そ? 変な話ではないと思うけど。天才のそばには才能が集まる、という話。……あ、私が天才って言いたいわけじゃないのよ。素質ある人は廃れないようにしなきゃならないの、マネジメントをかじっている人間からするとね」
「ほへぇ。いろいろと考えてるんだ」
自分はマネジメントをされている側だからいまいちピンとこない。
「ま、この辺りの話はおいおい分かるわよ」
昇降口まで辿り着いて外靴を脱ぐと、あずさは私の分のスリッパも出してくれた。それを履くと、私たちは昇降口正面の事務室のところで受付を済ませる。
「アポは取ってあるの」
そう言ってあずさは、来客用のネックストラップを手渡してくれる。不審者じゃありませんよ、という証明になるストラップだ。それを首から下げると、あずさは小さく頷いた。
そのタイミングでひとりの男性教師がやってくる。
「お待たせしてすみません。ここに来るまで迷いませんでしたか?」
「いいえ、問題ありませんでしたよ。こちらこそ、急な来訪になってしまって申し訳ありませんでした。私どもの方でもいろいろと事情がありまして」
「そのあたりの事情はなんとなく察しています。なので、お気になさらず」
角ばった会話に思わず背が伸びてしまう。社会では常識なのだろうが、私は様々な段階をすっ飛ばして大人たちの多い社会に入ってしまったため全然慣れない。
「……ところで、そちらの方は?」
男性の視線が私に向いた。
「弊社所属のタレント……ということでお願いします。本当は連れてくる予定ではなかったのですが、ばったりそこで会ってしまいまして」
「そうなんですか?」
「ええ。とはいえ彼女も、業界に入って忙しくなってしまって高校には通えていないんです。ですから、よろしければリアルな高校生活というのも見学させていただければと思うのですが」
男性は「問題ないですよ!」と頷いた。私が芸能人だと察して、自分の高校を自慢できる、とでも思っているのだろうか。
そう考えていたら、二人は先に歩き出してしまう。
「……彼女、例の」
「え、本当に?」
「受付の紙、本名で書いてあるのであまり多数に見られないように配慮お願いします。受付の方、年配の方だったので気づいてないのが幸いでした」
ぼそぼそと、そんな会話が聞こえてくる。
え、もしかしてこの二人って知り合いなの? その疑問に誰も答えてくれないまま、二階にある職員室脇の応接間に辿り着いてしまった。
「それでは、今呼んでまいりますのでここでお待ちになってください」
そう言って慇懃な笑みを浮かべると、男性は応接間から出ていってしまう。一瞬部屋の中が静かになったけれど、あずさは私が疑問を抱いていることに気づいているようだった。ほぅとちいさく息を吐いて話してくれる。
「……彼、榛名の義理のお兄さんよ」
「え、ええ? ほんと?」
「嘘を吐く理由がないわよ。一応、仕事で来ている以上基本的には丁寧にやり取りするけれど、ひなぎのことは正直に話さないと面倒くさくなるし……かといって、丁寧なやり取りで明かすのもこそばゆいし」
その話を聞くと、この町に榛名の姉が住んでいるという話をしたことを思い出す。ここでその話が繋がってくるのか。
私が考えている以上に、あずさに心労をかけさせてしまっているらしい。
後悔はしていないけれど、少しだけ反省はしておかなければならないと思った。




