40.卵が先か、鶏が先か
「ところでさ、あずさは『Minor』って知ってる?」
和花を待っている間に、ふと気になってそのことを訊く。あずさはきょとんとして私を見つめ「今更かよ」とこぼした。
「今更って」
「……割と有名な話よ、『舞奈』が『Minor』なんじゃないかって話は」
「そうなの?」
あずさはゆっくりと頷いた。
「興味ない人にはとことん無頓着よね、ひなぎって」
無頓着、とまで言われてしまった。
そこまでだろうか、私って。
たしかに白髪を隠すために髪を全部真っ黒にしていたときは、他人に興味がなかった。
いや、どちらかというと他人を知ることが怖かっただけだと思う。
興味を持って相手と関わろうとしても、この白髪が原因で普通の関係にはなれないと思い込んでいたからだ。白髪だと気づかれたときにそれまで築いた関係が崩れ去るくらいなら、誰とも知り合いにならない方が傷つかなくて済む。
今でこそ、かつての他人と関わることへの恐怖心は薄れたけれど、他人に関心を示すことが多くなったわけではない……ということなのだろう。
実際、白髪を隠さなくなってからそれを実体験する機会は多かった。
私は腫れ物のように扱われたいわけではないし、偶像としてもてはやされたいわけでもない。まして、有名になればなるほど向けられる害意の量は増えていくばかりだし。
「それで、今更『Minor』がどうしたのよ。急に興味が湧いた……ってことは、動画でも見つけたの?」
「……よくわかったね」
驚いて目を見張ってしまった。
「特に驚くことでもないでしょうに。柏木の家にいれば、似たような場面はいくらでもあったはずよ」
「それはそうだけど」
飾や榛名の洞察力の鋭さは異常だ。実感する場面がなかっただけで、和花も負けず劣らずだろうが。
……こうやって一緒にいるとわかるけれど、大概あずさも天才だな。
大人に混じって普通に仕事をしている時点で変だが、任されている仕事もそれなりに重要なものだったりする。それがあずさの有能さの証明だった。
だからまあ、あずさになら何も隠す必要はないか。
「最初は偶然『Minor』の動画を見つけただけだったんだけど、和花ちゃんに聞いたら私の曲を書いた『舞奈』とは別人だろうって言われちゃって」
「……ふぅん。まあ、さすがに和花は見抜くか」
「ん、どういう意味?」
「気にしないで、こっちの話よ。それで、続きは?」
あずさは眼鏡を正しながら言った。首を傾げつつ話を続ける。
「気になってほかの動画も見てみたんだけれど、そこまで耳がいいわけじゃないから私には区別がつけられなかった。どれも素敵なアニメーションだったから、その虜にはなっちゃったんだけど」
「『Minor』は、べつに作曲がメインなわけではないわよね。アニメーションを引き立てるBGMなだけであって」
「そだね。でも、そういうわけじゃなくて」
なんて言えばよく伝わるのだろう、と顎に手を当てて考える。
音楽が似ている、というわけではないのだ。
「『Minor』の動画の雰囲気が、『舞奈』が私に書いてくれた曲と似てるんだよね」
頭の中にメロディーを流す。
『Along with』
特別な曲だ。この曲のおかげで、私は新たな境地に辿り着くことができたように感じる。
メッセージ性がかなり強く、今でもSNSでは歌詞の意味の考察がされているらしい。ときどきその件で私の投稿にリプライがついているけれど、私に訊かれても何も答えられない。
私が『Along with』を歌うにあたって舞奈に見せられた、聴かされたのは曲のテーマらしき一枚絵(所謂コンセプトアートというやつだろうか)と収録済みの音源のみ。今思えば、見せられた絵と『Minor』の動画の世界観は似通っている気がする。
「動画と曲の雰囲気が似ているってのもあるんだけど……、これ見てよ」
舞奈から送られた絵のデータをスマホに保存していたので、それをあずさに見せる。
「この絵と動画の世界観って、同じよね」
「……さすがにこれは、同じね」
「でしょ。だってのに、同一人物じゃないってどういうことなんだろうなって。……ま、あずさに訊いてもわからないか」
あずさの姉と舞奈は知人らしいが、だからといってあずさが詳しく知っているとも限らない。話を断ち切ろうとすると、あずさは少し唸っていた。
「どしたの?」
「……私も、どこまで言っていいのかはわからないけれど」
あずさはかなり悩んで、それから言葉を選ぶようにゆっくりと話し始める。
「簡単に言うと『舞奈』は個人の名前で『Minor』はアニメーションを作る集団としての名前なのよ」
「え」
あずさの口から飛び出した言葉は、私が想像していない情報だった。
「『舞奈』がいるから『Minor』なのか『Minor』に所属しているから『舞奈』って名乗っているのかは、『卵が先か、鶏が先か』みたいな話になるのだけれど」
「ちょ、ちょっと待って」
理解が追い付かない。
「……あずさは、いったいどこまで知ってるの?」
「ん? ああ、そこからか」
私の発言に、あずさは少し考える。
「ま、きっと一般人は絶対に知り得ないことまで、知っているはずよ」
「それって、」
「ああこれは、『舞奈』と姉が知り合いだから、というわけじゃない」あずさは私の言葉を遮って言う。「個人的に、私は『舞奈』と知り合いだからね」
知り合い、とあずさは明言した。
「彼らは『言語に囚われない作品を作る』ということをモットーにしている。だから、彼らの出自について語るのは憚られることではあるんだけど」
「……」
「でも、ひなぎは無関係ってわけにもいかないから、多少は説明しなきゃだよね、うん」
あずさはひとりで納得したようだった。
「『舞奈』がひなぎに曲を書いてあげた理由は知らない。そもそも、『舞奈』は『Minor』の根幹にはいるけれど、作品制作の中核を担っているわけじゃないのよ」
「……だから、いったいどこまで知ってるの、あずさって」
「かなり深くまで知ってるわよ」
さらりと言われてしまうと、どうしようもない。
教えて、と言っても教えられるところまでしか教えてはくれないだろう。
「そもそも私は『舞奈』が作曲までできるとはまったく思っていなかったくらいだもの。コンセプトアートまで書いてもらっちゃって……ひなぎは幸せ者ね」
「私って、そこまで羨ましい立場なの?」
「死ぬほど羨ましいわね。特定の人物への肩入れなんて、滅多にしないもの」
「……あずさがそこまで言うなんてよっぽどだなぁ」
そこまで話したところで、先ほどの男性が和花を連れてくる。
「来客って言ったけど……およ、二人ともどうしたの?」
「俺はコーヒーでも持ってくるから、彼女たちの取材を受けてあげて」
「私紅茶がいい」
「あ、私も和花と同じで」
「……お前ら、多少は行儀よくしろよ。仮に個室だとしても」
顔見知りの二人が自由に振る舞っていて、私は置いてけぼりを食らう。紅茶が特別好きと言うわけでもないしコーヒーでよいのだけれど、淹れるなら同じ物の方が楽なのだろう。「きみも紅茶でいい?」と聞かれたので、頷くことしかできなかった。




